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26.武術大会①
しおりを挟むその日は、城内がやけに浮足立っていた。
アイラはカレンと共に城内の食堂へ向かう途中、廊下の至るところで使用人や衛兵が集まって話しているのを見かけた。
皆が皆、とても楽しげに話しているので、アイラは何かあるのかと不思議に思いながら足を進める。
「アイラ?どうかした?」
「あ…、これから何かあるのかなって思って…」
「ああ。もうすぐあの時期だからね」
「あの時期?」
隣を歩くカレンを見ながら歩いていたアイラは、前方から来る人影に気付かなかった。
どん、と軽くぶつかってしまったのは、女性の使用人だった。
仕事の途中なのか、手に持っていた籠が落ち、中からシーツが飛び出てしまう。
アイラは慌ててそれを拾った。
「ご、ごめんなさい!大丈夫ですか?」
「……ちゃんと前を見て歩いてください」
使用人はじろりとアイラを睨むと、素っ気なくシーツを受け取る。
その後ろにいた二人の使用人が、アイラを見てひそひそと話している。
―――ここでも、かぁ…。
アイラはげんなりとした。普通に過ごしているだけなのに、アイラは見知らぬ女性たちに嫌われる運命らしい。
下手に関わらない方がいいことを、アイラは知っている。しかし、カレンはそれを良しとしなかったようだ。
「ちょっと、その態度はないんじゃない?貴女だってぺちゃくちゃ喋って前を見てなかったんじゃないの?」
「なっ…」
美女が凄むと、迫力があった。両腕を組むカレンを見て、使用人はバツが悪そうな顔をしている。
「……う、うるさいわね。男性の騎士に媚を売ってちやほやされている人って、態度が大きいのね」
「はあ?」
「そ、そうよ!私たちが一生懸命に仕事をしているとき、貴女たちは男性に囲まれていい気になっているんだわ!」
「どうせ、私たち使用人をバカにしているんでしょう!」
その場にいた三人の使用人が、口々にまくし立てる。
アイラはその様子に呆然とし、カレンは眉を吊り上げている。
一体何を言っているのだろうか、と困っていると、カレンが「なるほど」と言って続けた。
「分かったわ、あたしたちに嫉妬してるのね」
「………!」
「女騎士は少ないし、周りに男ばっかりなのが気に食わない?そうでしょ?」
言い当てられた様子の使用人たちは、みんな顔を真っ赤にしていた。
食堂へ向かおうとして通りすがる騎士が、何事かとちらちらと見てくる。
「バッカバカしい」
カレンはそう吐き捨てた。
「気に食わないなら、騎士になってみなさいよ。貴女たちがシーツを平和に洗っている間、あたしたちは魔犬を倒したり、盗賊と戦ったりしてるんだからね!」
その具体例は、どうやらアイラの体験が用いられているようだ。
先日のウェルバー侯爵家での出来事を聞いたカレンの最初の感想は、「アイラって厄介事を引き寄せる体質なのね」だった。
使用人たちに反論の隙を与えず、カレンは言葉を続ける。
「それにいつ、あたしたちが媚を売ったって言うのよ?勝手に男どもが寄ってくるだけよ!鬱陶しいんだから、変わってあげましょうか!?」
「ちょ、ちょっとカレン…」
アイラはさすがに止めに入った。火に油を注いでしまう気がする。
それに、だんだんと目立ってきてしまった。
「もう行きましょう。このままだと大事になっちゃうわ」
カレンの腕を引きながら、アイラは使用人たちに視線を送った。
彼女たちは揃ってアイラとカレンを睨みつけると、洗濯籠を持って足早に去って行く。
ホッと息を吐いたところで、背後から声を掛けられた。
「……何やってるの?」
呆れたような声に振り向けば、リアムとデレクが立っていた。
「二人とも、おはよう。ちょっと…いろいろあって」
「もう!何なのあいつら!腹が立つー!」
アイラが言葉を濁すと、カレンが怒りの声を出した。
デレクがスッとリアムの後ろに隠れる。「女って怖い…」と呟いた声が聞こえた。
「途中から見てたし聞いてたけど。しょっちゅうあんな言いがかりつけられるわけ?」
「えー…と、ここでは初めてよ」
リアムの問いに、今までを思い返して答えると、カレンが反応を示した。
「ここでは?城の中以外でもあるの?」
「そ、れは…」
「先輩、アイラは令嬢ですから」
リアムがそう言うと、カレンはすぐに理解したようにハッとする。
「貴族の趣味の、貶し合いのことね?」
その言い方はどうかと思うが、事実なのでアイラは何も言えなかった。
それに加え、魔術学校時代でも散々だったことも言えないので黙っておく。
カレンの怒りはすっかりと落ち着いたようで、眉を下げてアイラの頭を撫でた。
「アイラ…あたしはいつでも味方だからね。何かあったらすぐに言うのよ」
「お、俺たちもいるからな!」
「デレクは言葉じゃ勝てなさそうだけどね」
「ふふ、ありがとうみんな」
アイラはお礼を言ってから、皆と一緒に再び食堂へ向かう。
今日は宿舎の食堂が使えないため、城内の食堂に来ている。何度か利用したことがあるが、使用人や衛兵も利用するためとても広い。
ただ、どうしても視線を感じるので、アイラは宿舎の食堂の方が好きだった。
食事を選び席に着いてから、先程カレンが言っていたことを思い出した。
「カレン。そういえば、あの時期ってなんのこと?」
「ああ、武術大会のことよ」
「「武術大会?」」
アイラとデレクの声が重なった。リアムは平然とサラダを食べている。
「オレが説明してあげよっか」
そう言ってカレンの隣に座ったのは、ギルバルトだった。カレンの美しい顔が歪む。
「ちょっと、あんたは呼んでないんだけど。あっち行って」
「えー、ひどくない?おはよ、アイラちゃん」
「おはようございます」
「……先輩、俺とリアムには?」
「あはは、野郎に挨拶して何が楽しいの?」
にこりと笑うギルバルトを、カレンは睨むように見た。
「……あのねギルバルト、あたしたちは軽く流せるから良いけど、あんまり使用人の子とかにちょっかい出さないでね」
「んん?どうして?」
「そういう子に限って、嫉妬で嫌がらせとかしてくるんだから」
さっきのことをまた思い出したのか、カレンが少し乱暴に野菜にフォークを突き刺した。
ギルバルトが「あーなるほど」と言って頬杖をつく。
「見てたよ、さっきの。いや~カレンは見事に怒ってたね」
「怒るに決まってるでしょ!とにかく、アイラも絡まれちゃうんだから、口説く相手はちゃんと選んでよね」
「約束はできないけどね~。……でも、アイラちゃんはやけに冷静に見えたけど」
ちらり、とギルバルトの視線がアイラに向く。好奇心の塊であるギルバルトから逃げるように、アイラは話をすり替えた。
「それより先輩、武術大会のことを教えてください」
「あー…、毎年恒例の催し物だよ。街の闘技場で行われるんだけど、条件を満たせば誰でも参加できるし、報酬が良いから人気なんだ」
「誰でも!?俺も出れるんですか?」
デレクが目を輝かせて訊いた。ギルバルトは頷く。
「騎士団からは毎年、何人も出てるよ。剣術の部でね」
「剣術、武術、魔術の専門で分かれてるのよ」
カレンはそう補足すると、大きなパンを頬張った。
「なかなか大きな大会なのね、面白そう」
「な!わくわくしてきた!俺も出たいな~」
「…っていうか二人とも、大会の存在知らなかったの?」
ナイフとフォークを使って綺麗に食事を続けながら、リアムが問い掛けてきた。アイラとデレクは顔を見合わせる。
「俺は…ほら、田舎の村から出たことなかったから」
「……私も、魔術と剣術でいっぱいいっぱいだったから…」
アイラは苦笑した。自分のことで手一杯で、外の催し物に目を向ける余裕が無かったのだ。
けれど、楽しそうな大会を毎年見逃していたのは、正直悔しい。
「その大会は、いつ行われるんですか?」
アイラが訊くと、ギルバルトはこめかみをトンと叩く。
「んーと…いつだっけ?カレン」
「もう。正確な日付は確認しないと分からないけど、ひと月後よ」
「大会の警備の依頼も毎年来るから、今日あたり副団長から話があるかもね」
ギルバルトの言葉通り、訓練場でまず始めに話されたのが武術大会のことだった。
「……と、いうわけで。大会当日は、参加希望者と、大会の警備の者と、急な任務に備えて城に残る者に分かれるから」
フィンは一枚の紙をひらりと皆の前に出す。
「参加希望者は、ここに必要事項を記入してね。これは談話室に貼っておくから。期限は五日後ね」
アイラの隣に立っているデレクは、目を輝かせてソワソワしていた。早く名前を記入したくて仕方がないのだろう。
そんなデレクを微笑ましく見ていたアイラの背後で、先輩騎士たちの会話が聞こえた。
「去年は盛り上がったよな。剣術の部で優勝した男の試合、見てたか?」
「もちろん見てたさ。隙のない動きで相手を圧倒してたし」
「団長とやり合えそうなくらいの強さだったよなー…。今年も出るかなぁ」
団長のエルヴィスと、やり合えるくらいの強さ。アイラの耳がピクリと動いた。
―――参加すれば、途中で負けたとしても、そのあとの試合を観戦できるのかしら?
アイラまでデレクと同じようにそわそわしながら、あとでフィンにこっそり聞いてみようと思った。
そして、頭にエルヴィスの姿が浮かぶ。
エルヴィスとは、盗賊事件のあとに病室で会話して以来、会えていなかった。
ウェルバー侯爵家の事件の内容は、フィンが直接報告したようで、特にアイラに説明を求められることはなかった。
一方的に、城内でエルヴィスを見かけたことは何度かある。
不思議と、アイラはエルヴィスが近くにいると気配で感じるのだ。
本人の魔力量が多く、お互いに魔力を流したことがあるからかもしれないと、アイラは思っている。
「―――じゃあ、そういうことで。今日も皆よろしくね」
フィンがいつも通りにパンと両手を叩き、アイラは我に返る。話を全く聞いていなかった。
それぞれが動き出す中、おろおろとしているアイラは肩を叩かれた。振り返ると、苦笑したオーティスがいる。
「アイラ。君は今日は俺と訓練だ。……上の空だったろう?」
「はい……すみません」
「はは、いいよ。場所を移動しよう」
オーティスは既に木剣を二本持っていて、アイラに手渡すと隅に移動する。
訓練場の隅で補助魔術を使って訓練するのが、第一騎士団では暗黙の了解となっていた。
中央で訓練すると、なんだかんだで他の皆が注目し、その手を止めてしまうからだ。
アイラの補助魔術は、まだ限られた団員にしかかけたことがない。皆が自分はいつなのかと心待ちにしているのだ。
第一騎士団の中で、補助魔術をかけたことがあるのは、フィン、オーティス、ギルバルト、それにデレクとリアムだ。
よくアイラと一緒に行動するメンバーである。
実力があり、面倒見の良いオーティスは、アイラと組んで訓練することが多かった。
オーティスの指導は、フィンとはまた違った視点で教えてもらえるので新鮮だった。
何より、とても分かりやすい言葉で教えて貰える。
「……うん、いい感じだ。斬り込むときに、あと半歩出たほうが速さが出るかもしれない。躱すときは、まだ左のほうが遅いときがあるな」
「はい。分かりました」
アイラはひと息吐くと、頭の中で動きを反芻する。
額の汗を腕で拭うと、オーティスがタオルを差し出してくれた。
「あ、ありがとうございます」
貴族の令嬢が腕で拭うなんて、と言ってくる人物は、第一騎士団にはいない。
それでも何となく恥ずかしくなったアイラは、誤魔化すようにオーティスに訊ねた。
「オーティス先輩は、武術大会に参加するのですか?」
「いや、しないよ。人前で戦うのはあまり好きじゃないから」
「そうですか…団長や副団長は、去年はどうでしたか?」
「団長と副団長は、毎年不参加だな。強さの次元が違うし、盛り下げちゃうからって」
それを聞いて、アイラは残念な気持ちになった。エルヴィスやフィンが戦う姿を、大きな闘技場で見てみたかったからだ。
肩を落とすアイラに、オーティスがフッと笑う。
「アイラは、出るんだろう?」
「ええと…、もし出たら、そのあと試合を観戦できるかなぁとは考えてました…」
「はは、それで上の空だったのか。観戦はできると思う。闘技場の警備でも、場所によってはできるんじゃないか?」
オーティスの話を聞いて、アイラはどうしようかと唸った。
腕試しもしてみたいけれど、大勢の観客に囲まれるのが少し怖い。
魔術の部もあるならば、魔術学校のときにいろいろあった人物が参加する可能性だってある。できれば、二度と会いたくはなかった。
「参加締め切りまであと五日あるし、よく考えてみな。出るなら、俺はアイラを応援するよ」
「オーティス先輩…」
「さあ、まずは今日の訓練を続けないとだ。続きをやるぞ」
「はい!よろしくお願いします」
アイラはタオルを近くの木に掛け、木剣を握りしめて構える。
―――後悔しない選択を、あとで考えよう。
再びオーティスと訓練を始めたアイラは、木の上からじっと見つめていた人物がいたことに気付かなかった。
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