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25.フィン・ディアスの物語②
しおりを挟むフィンが名乗ったのを聞いた少年は、しばらくその場で声を失っていた。
それは当然の反応だ、とフィンは思う。
いきなり暗がりから知らない人間が現れ、異母兄弟だと言い出すのだから。
じっと黙ったまま立っていると、やがて少年が深い溜め息を吐いた。
「……フィン、と言ったか?」
「え、あ、ハイ」
名前を呼ばれ、フィンは動揺しながら返事をする。鷹のような目が、探るようにフィンを見ていた。
「俺はバージルだ。バージル・ウェルバー」
「………バージル…」
「ついてきてくれ。ここだと見回りの衛兵に見つかる可能性がある」
そう言って、バージルは本を脇に抱え、ランプを持って立ち上がった。
スタスタとどこかへ向かって歩き始めたので、フィンは慌てて後を追う。
当たり前のように邸宅の中へ入り、階段を上る。
廊下の突き当りの部屋に入ると、思わず言葉が口をついて出た。
「……いやいやいや、待って。ここは何の部屋?」
「俺の部屋だが」
そう答えたバージルは、机の上に本とランプを置く。
落ち着いた表情で外套を脱いでいる目の前の異母兄弟を、フィンは信じられない思いで見た。
「会ったばかりの知らない人間を、自分の部屋に入れるの?」
「異母兄弟なんだろう?」
「そんなにアッサリ信じられる?」
「嘘なのか?」
疑問符のやり取りに、フィンはだんだんと頭が痛くなってきた。
恐らく、年齢はバージルの方が一つばかり上だ。けれどこんなにも、落ち着きに差が出るものなのだろうか。
侯爵家で、育ったからだろうか―――。
フィンの中で、スッと気持ちが落ち着いた。
目の前にいる異母兄弟は、フィンと母親が小さな家で細々と毎日暮らしている間、この大きな邸宅で何不自由無く過ごしてきたのだろう。
―――俺は母さんを失ったのに、バージルには…両親がいる。地位もあるし、豪勢な暮らしをしている。
今まで考えないようにしていた事実が、嫉妬となってフィンを支配する。
兄弟に、会ってみたいと思った。会えたら、この胸の穴を埋めてくれるのではないかと思った。
なのに今、急激に体が冷えていくのは何故なのか。
「……ごめん、帰る」
「は?」
くるりと背を向けたフィンに、バージルが駆け寄って来て腕を掴んだ。
「……放してくれる?」
「おい、どうした突然…」
「……放せって!」
乱暴に手を振りほどく。バージルは、驚いたようにフィンを見ていた。
「何で、泣いてるんだ?」
そう言われて初めて、フィンは頬を伝う涙に気付いた。
「な…んで、って…、そんなの…」
口を開いても、言葉に詰まる。
自分でも何が何だか分からなかった。色々な感情がぐるぐると体を巡っている。
バージルと視線を合わせたまま、静かに涙が零れ落ちる。
がしがしと頭を掻いたバージルは、再びフィンの腕を掴んだ。
そして、その腕を引くと近くのソファに無理やり座らせる。
「なっ…、」
「まず落ち着け。それから全部、話してみろ」
フィンの隣にドサッと座ると、バージルが足を組む。態度は乱暴だが、不思議と声音は柔らかかった。
「全部、って…。君の父親の、知りたくない話になるけど…」
「構わない。……お前の、父親の話にもなるんだろう」
不審者だと騒ぐこともなく、嘘を吐くなと追い出すこともしない。
落ち着いて話を聞くと言ってくれているバージルを見て、フィンは涙を拭った。
全てを話したいと、素直にそう思えたのだ。
「………で、今ここにいるわけだけど…」
フィンが話し終えると、バージルは頭を抱えていた。
父親の不貞の話など、やはり聞きたくなかったに違いない。
「やっぱり、信じてもらえないよね。……俺たち似てないし」
「いや……信じるよ。あの男ならやりそうだ」
父親を“あの男”と呼んだバージルを、フィンは不思議そうに見た。
「父親を、良く思ってないの?」
「ついこの間からな。……ちょうどいい、お前が兄弟なら相談させてくれ。一人でどうしようかと思ってたところだ」
バージルは立ち上がると、机の引き出しから書類の束を出し、フィンに手渡した。
そこに書かれていたのは、数字の羅列だ。フィンは首を傾げる。
「……なにこれ」
「不正帳簿の抜粋だ」
フィンは勢い良くバージルを見た。まさかを想像し、口元がひきつる。
そんなフィンを、バージルが満足そうに見ている。
「察しがいいな。俺の父親であり、お前の父親であり、ウェルバー侯爵家当主の不正帳簿だ」
「……………やっぱり帰る」
スッと立ち上がろうとしたフィンの足を、バージルが自身の足で払い、フィンはソファに倒れ込んだ。
「ちょっ、何す…」
「兄弟なんだろう?協力してくれるよな?」
それは、もはや脅し文句だった。
フィンはバージルの顔を見て、貴族の令息というより悪役の方が似合うなと頭の片隅で思った。
そこから、今度はフィンがバージルの話を聞く。
たまたま父親が仕事中に落とした書類を、近くで本を読んでいたバージルが拾った。
それを慌てたように奪い取った父親の態度に、不審感を持ったことが始まりだという。
気になったバージルは、父親がいない隙に執務室に忍び込み、管理のずさんな書棚から証拠を見つけた。
高い税金の一部を私金として利用していたことや、裏で賭け事をしていたこと、魔術具の偽物を作り売りさばいていたことなど、父親の悪事を証明する記録だった。
バージルは、その書類の数々を破り捨てたくなる衝動に駆られたが、何とか思いとどまった。
せっかく証拠を残してくれていたのだから、これを利用する手はない。
父親の仕事を手伝ってみたいと言い出し、今は人脈を広げながら目を光らせているとのことだった。
「あの男は、自分の悪事が俺に知られているとは思ってもいない。おかげで探りやすくて助かるよ」
書類をパラパラと捲りながら、バージルが言う。フィンは眉を下げた。
「……その不正の書類を見つけたとき、ショックじゃなかった?」
「ショック?……いや、むしろ納得したかな。前々から、あの男の要領でどうしてウェルバー侯爵家がじゅうぶんにやっていけてるのか疑問だったからな」
「君の母親は、このことは…」
「知らないだろうな。母が興味あるのは自分の体裁だから」
血の繋がった両親のことなのに、まるで他人のことのようにバージルが話している。
そのことから、フィンはバージルが恵まれて生活しているという考えを、改めるしかなかった。
きっと親から愛情を貰うという点では、フィンの方が恵まれていたのだ。
「……俺は、バージルに嫉妬してた。どうして俺ばっかりこんな目に、ってさ」
「その通りだろ。お前は、俺を憎んで当然だ」
「いや…憎むのは父親だね。それと同時に、感謝もする」
バージルが「感謝?」と言いながら片眉を上げる。フィンは自然と笑みが溢れた。
「バージルっていう、かっこいい兄弟に会えたからさ」
「……格好良くはどう見てもないだろ。それはお前だ、フィン。最初暗がりから現れたとき、雪の精かと思ったぞ」
「ぶはっ!雪の精!?」
フィンはケラケラと笑う。こんなに笑ったのは久しぶりだった。
ムッと口を尖らせたバージルも、笑い続けるフィンを見て、すぐに口元が緩んだ。
「……そうだな、俺も感謝しよう。一人で戦うしかないと思っていたが……味方が出来たしな」
「はは……しょうがない、協力してあげようか。俺は、何をすればいい?」
「その前に確認だ。フィン、お前は自分があの男の息子だと、名乗り出るつもりはあるか?」
「無いね」
バージルの問いに、フィンは即座に答える。
名乗り出たところで、下手すれば投獄される未来しか見えなかったからだ。
安心したようにバージルが息を吐く。
「お前が良識的で安心した。……それじゃあ、騎士になってくれ」
「へっ?騎士?」
突然の提案に、フィンは間抜けな声を漏らした。今までの流れに、騎士という単語は出ただろうか。
「あの男の悪事には、騎士が絡んでる部分もあるんだ。それを探るには、同じ騎士になるしかない…それに、騎士なら街中も調べやすいだろ。俺が足を運べる場所は限られてるからな」
「……理由は分かった。分かったけど、俺は剣を握ったことすらないよ?」
「それは…どうにかならないか?雪の精」
丸投げのバージルをじとりと睨みながらも、ふと一つの希望が頭に浮かんだ。
「あ……どうにかなるかもしれない。母さんが働いていた酒場の店主なら、力になってくれるかも」
「よし。じゃあ明日、さっそく行動に移してくれ。夜にまた会おう」
「どこで?俺にまた忍び込めと?」
「いや、ここで」
バージルは住所を走り書きした紙を、フィンに渡す。そして、真珠色の瞳をじっと見据えた。
「頼んだぞ、兄弟」
その口元は、綺麗な弧を描いていた。
それからの日々は、あっという間に過ぎていく。
酒場の店主に騎士を紹介してもらい、週に一度稽古を付けてもらった。
なかなかふざけた性格の男だったが、剣の腕は確かなようだった。教えるのが上手く、剣を初めて握るフィンにも分かりやすかった。
稽古が無い日は、ひたすら教わったことを復習し、体を鍛えた。バージルから剣技の本を借りたりもした(ちなみにバージルは運動音痴である)。
バージルは、ひたすら本を読み知識を付け、父親のあとについて回っては、徐々に根回しをしていく。
あの男が気付く頃には、自分がウェルバー侯爵家の命を握る立場になっているだろうと、不敵に笑っていた。
数日に一回、情報交換の場として小さな宿屋でバージルと会っていた。
父親の不正が分かってから、行動の拠点として一室を間借りしていたらしい。さすがだな、とフィンは思った。
三年の月日が流れ、フィンは騎士団へ入団した。十八のときだった。
いつものように宿屋で話していたフィンは、バージルの突然の提案に固まっていた。
「ええと………なんて??」
「だから、次からは日中会うときは邸宅の門から堂々と入って来い、と言った」
「俺が?門から?」
自分を指差すフィンに、バージルは軽く頷く。
「たまたま騎士団の団員と知り合ったと親には言っておく。今度は夜の行動を調べたいから、なるべく会うのは日中が良いんだ」
「……もし侯爵に会ったら、どうするつもり?」
「別に、ハジメマシテの挨拶をすればいいだろ?それとも、あの男が気付くと思うか?」
その問いに、フィンは思考を巡らせた。
母親譲りの容姿をしているフィンに、気付く可能性はゼロではないのではないか、と。
しかしその心配は、杞憂に終わった。
初めて門からウェルバー侯爵家を訪れたとき、偶然にもバッタリと侯爵と出くわしてしまった。
ところが、フィンを一目見るなり、侯爵は笑顔を浮かべたのだ。
「君が、バージルの友人の騎士か。息子をよろしく頼むよ」
「……フィンと申します。今後とも、よろしくお願い致します」
フィンは我ながら、綺麗に笑顔を返せたと思った。
心は嫌悪感でいっぱいになっていた。この男にとって、母親は簡単に忘れられる存在だったのだ。
そして、フィンが日中にウェルバー侯爵家を訪れるようになると、何故かバージルの母親に目を付けられた。
バージルと別れて帰ろうとすると、どこからか現れ、香水の匂いを振りまきながら腕に絡みついてくるのだ。
堪らずにバージルに話すと、サラリと流された。
「ああ、母は若い男が好きだからな。あの男に隠れて遊んでいるようだ」
「……バージル、お前はそれでいいのか?」
「別に、どうでもいい。親への期待なんてとっくの昔に捨てた。……それに今は、お前がいるしな」
バージルが笑いながらフィンを見る。
出会った頃に比べれば、フィンにはだいぶ笑顔を見せてくれるようになっていた。
フィンもまた、バージルと話す度に心が満たされていくのを感じていた。
それからまた時は流れ、バージルの言う通りになっていた。
ウェルバー侯爵家の実権を握るのは、バージルとなっていたのだ。
バージルが頭角を現し始めた頃から、両親はやたらと夜会を開いては、バージルの婚約者を見つけようと躍起になっていた。
バージルは全く女性に興味が無かった。フィンが心配になるほどだった。
「バージルには好みとかないわけ?」
「……しいて言うなら、俺を邪魔しない女が良い」
「聞いた俺がバカだったー」
婚約者が出来ると動きにくいからと、バージルは髪をわざとボサボサにし、服装もだらしなく着崩すようになった。
常に眼光を鋭くし、無愛想な態度を貫いた結果、噂は大げさに広まっていった。
バージルは満足していたが、両親は大慌てだったようだ。
フィンは全てが丸く収まったら、バージルに見合う女性を探してやろうとひっそりと誓った。
ウェルバー侯爵家の実権をバージルが握っていても、侯爵は諦めていないようで、水面下での戦いは続いていた。
けれど決して、バージルは集めた証拠を持って父親を糾弾しようとはしなかった。
口にはしていないが、きっとどこかで心変わりしてくれるのではと、信じているように思えた。
フィンもまた、バージルを信じ、自身は騎士団で出来ることを頑張ると決めたのだ。
***
「……それで起きたのが、昨夜の事件だったってわけだよ」
語り終えたフィンは、ふうっと息を吐いてアイラを見た。
「いやー、長かったなぁ。侯爵はバージルが全て知っている上で動いているって、まだ気付いていなかったし」
「侯爵は、今日は…」
「ああ、夫人と一緒に部屋に籠もってるよ。……いや、閉じ込めてるって言ったほうが正しいかな」
顎に手を添えてフィンがそう呟く。
「バージルがね、今までまとめた不正や不貞の証拠を両親の前に叩きつけて、この先どうやって償うか書面で提出しろ、出来るまで部屋から出るなって鍵をかけたんだよね」
「……さすが、バージルさまですね…」
「だろ?自慢の兄だよ」
フィンとアイラが並んで座っている場所は、あの日、初めて会ったバージルが座っていたベンチだ。
改めて思い返すと、侯爵邸に忍び込むなんて自殺行為だった。
それでもフィンは、あの日の自分の行動が間違っていたとは思わない。
バージルに会って、兄弟の温かさを知った。
騎士団に入って、仲間に恵まれ、居場所が出来た。
心に空いた穴は、知らずの内に塞がっていたのだ。
「……アイラはさ、俺が今、幸せだと思う?」
フィンはそう問い掛けながら、アイラをじっと見つめる。
フィンの人生に現れた、新たな存在。
今まで出会った他の女性とは何かが違う、異質な少女。
アイラは瑠璃色の瞳を真っ直ぐにフィンに向け、ふっと笑った。
「フィンさま、それは私ではなくて、他に聞いて下さい」
「……他って?バージル?」
「いいえ。フィンさまの心にです。……だって、もう答えは出ていますよね?」
得意げにそう言ったアイラに、フィンは驚いてから、困ったように眉を下げた。
「アイラは出会ったときから、俺のこと良く分かってるよね」
「ふふ、私の観察眼はすごいのです」
アイラもきっと、この先の人生でかけがえのない存在となるだろう。
―――ああ。俺は今、とても幸せだ。
晴れ渡った空を見上げながら、フィンはそう思った。
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