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14.過去と向き合うこと
しおりを挟む「……っ、ギルバルト先輩!」
アイラの目の前には、全身傷だらけのギルバルトの姿があった。
斜面を滑り落ちたアイラにケガがなかったのは、ギルバルトが身を挺して庇ったからだった。
滑り落ちた末に大木にぶつかり、勢いは止まったが、まだ斜面が続いている。
「先輩っ…、ご、ごめんなさ…」
「あー、いいのいいの。オレが驚かせちゃったみたいだからさぁ」
気にしなくていーからねー、とギルバルトは片手をひらひらさせているが、アイラには気にしないなんてことは無理な話だった。
ギルバルトの団服はところどころ破れ、血が滲んでいる。顔も傷がついているし、動こうとしないことから考えれば、どこか骨が折れているのかもしれない。
「私、副団長を呼びに……っ」
「待って待って、どこにいるか分かんないでしょ……っと、ごめん」
立ち上がろうとしたアイラの腕を掴んだギルバルトが、しまった、という顔をして手を放した。
その顔を見て、アイラの心がズキンと痛む。
―――先輩は、何も悪くない。私が弱いせいで、過去に囚われているせいで―――…。
アイラは唇をキュッと結ぶと、周囲に視線を走らせた。後悔するのは今じゃない。まずは、ギルバルトの手当てが最優先だ。
今アイラたちが寄りかかっている大木以外は、細い木々がたくさん生えていた。
斜面は続いており、しばらく先に平坦な地面が見える。そこなら安定して手当てができそうだが、斜面をまた滑り降りるわけにもいかない。
逆に、木の幹を伝って斜面を登ることはできそうだが、少しでも足を滑らせたら終わりだ。
ギルバルトを背負うことはできそうもないし、置いて行くこともしたくはなかった。
「心配しなくて平気だよ。オレたちが昼頃に集合場所に来なかったら、副団長が探しに来てくれるだろうから」
「………でも…」
「このくらいの傷なんて、よくあることだからさ~…っと、これは逆にこの先の任務が不安になっちゃうかぁ」
ごめんごめん、とギルバルトがペロッと舌を出す。アイラに気を遣わせないようにと強がっているのが分かり、余計に申し訳なく思った。
クルドとは、こんなにも似ていないのに。瞳の色が同じというだけで勝手に警戒して、拒絶して。
アイラは自分が恥ずかしかった。
「アイラちゃんは、ケガはない?」
「……はい。先輩に、庇っていただいたので…」
「庇うためとはいえ、強く抱きしめちゃってごめんね」
本当に申し訳無さそうに、ギルバルトが眉を下げた。アイラはふるふると首を横に振る。
「オレさあ、自分で言うのもなんだけど、騎士団の中で五本指には入る色男でしょ?」
「……えっ?」
「だからさ、城の中でも外でも結構人気あって。女の子は勝手に寄ってきてくれるし、オレもそれなりに楽しんでたんだよね」
唐突に始まった話を、アイラはよく分からないまま黙って聞くことにした。
ギルバルトはそんなアイラを見てクスリと笑う。
「アイラちゃんはさ、オレに全然興味なさそうでしょ。むしろ警戒して避けられてるなぁって思ったし、だからこそ何でだろうって知りたくなってさ」
「………」
「あとは、純粋に君の強さが気になったのもある。…とにかく、オレの態度が気に障ったならごめんね、このとおり」
パン、と胸の前で両手を合わせると、ギルバルトはその動きでどこかが痛んだのか「いてて」と顔をしかめた。
アイラの中で、モヤモヤと渦巻いていた気持ちがスッと凪いでいく。
「……ギルバルト先輩」
「うん?」
「私…私は、好意を寄せていた男の子に騙されて、無理やり襲われそうになったことがあります」
アイラの突然の告白に、ギルバルトが目を見開いた。慌てて起き上がろうとして、「いたぁ!」と叫ぶとずるずると大木に背中を預けている。
「先輩、いきなり起き上がろうとするのはやめてください」
「いやだって、アイラちゃんがとんでもない過去をいきなり暴露するから!」
「先輩には…話さないといけないな、と思ったので」
アイラは一度深く息を吐いてから、ギルバルトに微笑んだ。
「避けるような態度をとって、すみませんでした。……先輩の緑の瞳が、その男の子と重なってしまって。それで…」
「……そういうこと。うーん、目の色は変えられないしなぁ…そういう魔術具あるかな?変装できそうなやつ。ああでも、オレの魅力が半減するかもなぁ~それは困った」
ぶつぶつと呟かれた言葉に、アイラはきょとんとして問い掛ける。
「怒らないのですか?」
「怒る?オレがアイラちゃんを?……そんなバカな。怒るならその男だね、殴り飛ばしてやりたいくらい。拳の殴り合いは弱いんだけどね、オレは」
「……ふふっ」
アイラが思わず笑うと、ギルバルトもフッと笑みを浮かべた。
至るところに傷ができてしまっているが、ギルバルト本人が自負するほどに整った顔をしている。
「女の子はやっぱり笑顔でなくちゃね。アイラちゃんは特に可愛いし……おっと、こういうのもダメかな?」
「いえ、もう大丈夫です。いつもの先輩でいてください」
「そう?よかったー。もう癖みたいなもんなんだよ、女の子を口説くの」
「……その癖はやめたほうがいいと思います」
「ちょ、オーティス先輩みたいな目付きでオレを見ないでくれる??」
この短時間で、すっかりアイラの中でギルバルトへの警戒心は和らいでいた。過去を打ち明けたことで、少しだけ胸のつかえが取れた気もしていた。
アイラは、自分の理想の騎士となるためには、魔術学校での過去の自分とも向き合わなくてはダメだと、そう強く感じることができた。
「先輩は、オーティス先輩と一緒に訓練することが多いのですか?」
正反対に見える二人だが、連携がとても上手いことを、剣を交えたアイラは知っていた。
アイラが疑問を口にすると、ギルバルトは悩む仕草を見せる。
「ん~…。そんなに一緒に訓練した覚えはないけどねぇ。ほら、オーティス先輩って真面目そうに見えるでしょ。本当にその通りで、オレはこの通り楽に動いてるから、よく怒られててさー」
「私には、仲が良さそうに見えましたけど…」
「ええ?そう見える?……まぁ、組んで戦うと、不思議とやりやすいんだよねぇ。どうやって動くのか想像できて、それに合わせてオレも動けるというか」
何でだろうね?とギルバルトは笑っていた。
昨日の模擬戦のとき、オーティスも組みやすいのはギルバルト、と言っていたので、相性がいいのだろう。
羨ましいなぁ、とアイラは思った。
「……私にも、背中を預けて戦えるパートナーができると思いますか?」
「共に戦っていくうちに分かるんじゃない?戦う機会なんて、ないにこしたことはないんだけどねー。ま、野郎どもはアイラちゃんと組みたい!って皆思ってるんじゃないかなぁ」
ギルバルトの最後の言葉に、アイラは苦笑する。
「先輩は冗談がお上手ですね」
「いや、冗談じゃ…、うーん。本当に君は自分の価値を分かってないねぇ」
やれやれ、とギルバルトが肩を竦める。
自分の価値。それは昨日、オーティスにも言われた言葉だ。
「……騎士団は、依頼内容によっては魔術師と共に行動することもあるんですよね?」
魔術学校でもそう教えられたし、オーティスも補助魔術師と組んだことがある、と言っていたはずだ。
それならば、魔術師でもない自分の価値は低いとアイラは思っていたのだが。ギルバルトがそれを否定する。
「そういう依頼もあるけど、日常から補助魔術を受けた訓練ができるのとできないのじゃ全然違うでしょ。常に補助魔術師が一緒にいてくれるなんて、騎士団にとっては非常にありがたーいことなんだ。つまり、君の価値はとても高いんだよ、アイラちゃん」
「……でも、昨日もお伝えした通り、魔術師の魔力との相性がありますし…」
「あ~。でも魔力持ちは第一騎士団にはほとんどいないよ。副団長と、新人以外だと…五人くらいかな?」
「そうなのですか?」
思ったより少ないことに、アイラは目を丸くした。副団長のフィンは、稽古をつけてもらっていたときに、散々補助魔術をかけさせられたので知っている。
アイラとフィンの魔力の相性は、普通より少しかけやすいくらいだ。
「ま、補助魔術に慣れすぎて、アイラちゃんと組めないときに攻撃が鈍るようじゃあ本末転倒だけどね~。そのへんは副団長が上手く考えて訓練してくれるんじゃないかなぁ」
ギルバルトは「つまり!」と言って人差し指をアイラにビシッと向けた。
「第一騎士団にとって、君の存在はまさに天から遣わされた女神!って感じだね」
「め、女神?」
アイラが信じられない思いで瞬きを繰り返していると、ふと空気の揺らぎを感じた。そして。
「―――随分と、呑気な会話だな?」
頭上から声が聞こえたかと思えば、すぐ近くに黒い影が降りてきた。
黒い髪、黒い団服、ひらりと舞う黒いマント。
紅蓮の瞳が向けられたとき、アイラはハッと息を飲んだ。
「えっ?エルヴィス団長?」
ギルバルトが驚きの声を上げ、ポカンと口を開けている。エルヴィスはそんなギルバルトを見遣ると、傷だらけの全身に視線を走らせた。
「傷の状態は?」
「え、これくらいは大丈夫です…」
「嘘つけ、強がるな。で、実際は?」
「……全身擦り傷に打撲、手は動きますが片足が痛すぎて正直心配です」
観念したギルバルトがそう告げると、エルヴィスは腰の巾着から小瓶を取り出し、ギルバルトへ渡す。
「これを飲め。少しは楽になるはずだ」
「わ~、ありがとうございます。……というか、団長はどうしてここへ?」
その疑問はもっともだった。城にいるはずの騎士団長が、何故ここへ来たのだろう。
―――ど、どうしよう。距離が近いわ。緊張する…。
大木の幹の上に、人間が三人。バランスを崩さないよう中心の辺りに集まっているので、少し狭い。
アイラは心臓がドキドキして、なかなかエルヴィスの方を見られなかった。
「ついさっき、フィンから急ぎの連絡が届いた。騎士二名が北の森で行方不明。捜索を開始するから何名か騎士を送ってほしいと」
「……それで、団長が来たんですか?お一人で?」
「俺なら広い範囲の気配を探るのは得意だし、移動用の魔術具を使えば早いと思ったからな」
ギルバルトの目は、わざわざ騎士の捜索に騎士団長が自ら動いたんですか?と問い掛けている。口にしないだけの自制心はあるらしい。
アイラも同じように思っていたが、それよりも聞きたいことがあった。
「あの……助けに来てくださって、ありがとうございます。ここからはどうやって戻るんですか?」
エルヴィスはちらりとアイラを見ると、その目が探るように動いた。
「……君は、ケガは?」
「あ、私は大丈夫です。ギルバルト先輩が庇ってくださったので…」
「良かった。それで、戻る方法だが…」
ピクッとエルヴィスが反応を示す。アイラも何かの気配を感じ周囲を探る。
二人の様子を見ていた動けないギルバルトが、「え、何か嫌な予感がする」と呟いた。
その気配は、アイラたちがいる大木の下の方から感じた。エルヴィスが近くの木に飛び移り下を眺めると、紅蓮の瞳をすうっと細める。
「魔犬か」
「えっ?こんな森の奥にですか?」
アイラは大木の端から身を乗り出して確認すると、その姿を捉えた。
灰色の毛に覆われた体に、ぎょろりと光る三つの赤い目と長く鋭い牙。間違いなく魔犬だ。
けれど魔犬はどちらかといえば、森の中より住宅街の路地裏などを好む。捨てられた残飯を漁る行動は、他の野生動物と変わらない。
ただ、飢えると人間を襲うし、その牙には毒がある。群れて行動し、狙った獲物を必ず仕留めるのだ。
「……十頭はいるな。獲物を求めて迷い込んだのかもしれない。数日前にもこの森で任務があったが、魔犬の報告はされていないな」
「どこかに隠れていたんですかね?魔犬は知能が高いと聞きますし」
「ねえ、ちょっと待って。二人とも冷静に分析してますけど、この状況の獲物って…」
額に手を当てているギルバルトに、アイラは真剣な顔で頷いた。
「はい。私たちですね」
「何でサラリと言えるのアイラちゃん!」
焦った様子のギルバルトの気持ちも、アイラには分かる。
ここは急斜面で戦いにくい上に、そもそもギルバルトはケガで動けないのだ。襲われればひとたまりもない。
「二人とも、ここで待て。俺が行ってくる」
エルヴィスの言葉に、アイラはバッと顔を上げた。
「私にも行かせてください」
「……ちょっと待って、それはやめておこうアイラちゃん」
「でも、魔犬は連携が得意ですよね?一人より二人の方が、動きを撹乱させられるはずです」
アイラの固い意志を感じ取ったのか、ギルバルトが困ったようにエルヴィスを見る。
「団長、止めてあげてくださ…」
「分かった」
「ほらアイラちゃ……んええ!?」
エルヴィスがまた大木へ飛び移り、アイラの近くへ着地する。腰の剣をスルリと抜くと、口を開いた。
「ただし、条件がある」
「……何でしょう?」
「俺に、補助魔術をかけてみてくれ」
少し身構えたアイラは、思ってもいなかった言葉に面食らった。けれど、近くで魔犬の唸り声が聞こえ、慌てて意識を集中させる。
いつものように、腕と脚へ。それから剣だ。木剣より魔術をかけるのは難しいが、散々練習していたから大丈夫だった。
それよりも、アイラは気付いた。
―――エルヴィス団長の魔力は、なんて心地良いの…。
魔力の相性の良し悪しはあるが、アイラは補助魔術をかけづらいと思うことはあっても、これほどかけやすいと思ったことは無かった。
流れるように魔力が吸い込まれていく感覚は、不思議なほどに心地良く感じる。
「……終わりました。何か作戦はありますか?」
「無いな。好きに動いていい。俺が必ずフォローする」
ここまで他人の言葉が信用できると思ったことは、今まであっただろうか…とアイラは考えた。
力強い響きがあったわけでもなく、ただ当たり前のように告げられた言葉が、アイラの緊張をほぐしていく。
「お前も安心して休んでろ、ギルバルト」
「……はぁい。気をつけて、アイラちゃん」
「はい。行ってきます」
ひらひらと手を振るギルバルトに、アイラは真剣な顔で頷いた。
そして、エルヴィスとほぼ同時に大木から飛び降りた。
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