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5.入団試験②
しおりを挟む何が起こったのか、すぐに理解できた者は少なかっただろう。
凄まじい殺気から解放され、その場に立ち尽くす受験者の間を、副団長のフィンが素早く歩く。
そして一人ひとりの肩にポンと手を乗せると、「合格」「不合格」と短く言い放った。
当然、すぐに反発の声が上がる。
「……なっ…、何だってんだいきなり!」
「不合格」と告げられた、短く髪を刈り上げた男が、声を荒げてフィンを睨んだ。
「説明も無しにいきなり適性検査だあ!?今の殺気がか!?」
「一言断りは入れたけどな」
フィンが口を開く前に、台の上で両腕を組んでいるエルヴィスがそう答えた。いつの間にか剣は鞘に収まっている。
「少し適性を見させてもらう、と言ったろ?」
「そっ…それだけだろ!こっちにだって心の準備ってもんが…!」
「そんなものが、騎士の戦いで一体何の役に立つ?」
抑揚のあまりない声で、エルヴィスが問う。その紅蓮の瞳から、アイラには感情は読み取れなかった。
「護衛任務か、はたまた戦場か。どの場面においても、騎士に最も必要なのは、正解を瞬時に判断し、それを行動に移せる力だ」
なぜなら、と言葉は続く。
「一歩判断を誤れば、命を落とすことになりかねないからだ」
男はごくりと喉を鳴らす。それでも納得できないのか、他の誰かの言葉を求めたのか、つり上がった目がフィンへ向いた。
フィンは一度エルヴィスを見遣り、仕方ないと言うように肩をすくめる。
「…団長の言う通りですよ。殺気を放ったのは、戦場を想定したもの。目の前に敵が現れたとき、咄嗟に行動できるかどうかが適性検査の内容です」
「なっ…」
「だから、腰を抜かした貴方はその場で斬り捨てられたも同然です。今のままじゃすぐ命を落とすでしょう…よって不合格なわけですよ」
真珠色の瞳が細められ、他にも理由が必要かな?と言いたげに周囲へ向いた。声は何も上がらない。
男はがっくりと項垂れ、フィンはもう一度肩を叩くと、残りの受験者の判定に戻った。
アイラはエルヴィスをちらちらと見ながらも、自分の番が回ってくるのを待つ。
フィンはアイラの肩を叩くと、優しく笑った。
「合格」
「………!」
ほっと胸を撫で下ろすと、フィンに軽く頭を下げた。そして自然と視線がエルヴィスへ向き、固まる。
―――あ。目が合ったわ。
紅蓮の瞳が、真っ直ぐアイラを見ている。けれど何故か、その瞳は驚いたように見開かれていた。
アイラが目を逸らせずにいると、エルヴィスが一度瞼を閉じた。深呼吸をしたように見える。
次にアイラに向けられた瞳は、どこか憂いを帯びていた。
「………」
まるで心配しているかのような視線を受け止めたまま、アイラはどうしてだろうかと考える。
何故か悲しそうに見える表情を、向けられる理由は何なのだろう、と。
「はい、最後の君は合格。団長終わりましたよ。次の試験に移りま……団長?」
いつの間にか、全員の合否判定が終わっていたらしい。
フィンはエルヴィスの様子がおかしいことに気付き、その視線の先を追い―――アイラを見た。
それから、何故か面白いものを見たようにニヤリと笑った。
アイラがその反応に眉をひそめた時、エルヴィスが何事も無かったかのように口を開く。
「よし、次の試験に移る。合格者はフィンの指示に従うこと。不合格者は帰っていい…来年、また挑戦してくれることを願っている」
不合格を言い渡された受験者は、エルヴィスの最後の言葉に面食らったようだった。
それが社交辞令だとしても、団長に「願っている」と言われたら悪い気はしないようで、先程声を荒げていた男もすっかり毒気を抜かれた顔で去っていった。
その場に残った合格者は、ざっと数えて五十名ほどだ。随分減らされたようにアイラは思った。
近くにデレクが残っており、目が合うとグッと親指を立てて笑う。アイラは嬉しくなって同じように親指を立ててみせると、デレクは何故か胸元を押さえてよろめいた。
「はーい。合格者の皆さん集まってください。浮かれているところ悪いけど、次が本番ですからね」
フィンが悪気ない笑顔でそう言うと、残っていた受験者の顔が引き締まる。アイラも姿勢を正しながら、次の言葉を待った。
ついエルヴィスを見たくなる気持ちを、アイラはぐっと抑える。エルヴィスのことは、ひとまず試験を無事終えてから考えようと決めた。
「そうだな…十人ずつに分けよう。順に訓練場で模擬戦を行います。自分以外は皆、敵とする。狙うのはココ―――左胸の名札」
フィンが右手の親指で左胸をトン、と叩くと、受験者は一斉に自身の名札をちらりと見た。
「あとは訓練場に着いてから説明します。こちらへどうぞ」
訓練場へはすぐに着いた。数人の騎士が壁伝いに一列に並び、こちらを見ている。
受験者はフィンによって十人ずつ五組に分けられ整列した。だいたいの年齢で分けられたようで、アイラはデレクと同じ組だった。
「じゃ、さっき言った通り模擬戦をします。木剣を使用して、自分以外の皆が敵だと判断して戦うこと。狙いは名札で、斬り込むと加点されます。逆に斬り込まれた方は減点。それ以外にも加点と減点はあるから、闇雲に名札だけ狙えばいいってわけじゃないので」
フィンの説明を、アイラは頭の中で反芻する。
自分一人と九人の敵という状況は、なかなか遭遇しない。さらに、その九人の敵が仲間ではなく、バラバラの敵同士だなんてあり得ない。
向かってくる相手は、一人かもしれないし、複数が同時に斬り掛かってくるかもしれない。
完全に、その場での判断力が試されるだろう。
「あそこに並んでるのは俺の部下で、試験官になってもらいます」
一列に並んでいた騎士たちは、フィンの言葉に一斉に頭を下げた。ビシッ!と効果音がつきそうなくらい綺麗に揃っていた。
「あとは俺と、エルヴィス団長も採点するので。さあ、皆さんの実力……存分に発揮してくださいね?」
ニヤリと笑ったフィンの瞳は鋭く、獲物を狙う鷹のようだ。アイラは厳しかった稽古を思い出し、ぶるりと震えた。
そんなアイラを、エルヴィスがじっと見ていることに気付く者はいない。
各組の代表がくじ引きで順番を決め、早速試験が始まった。アイラとデレクの組は最後だ。
「最初の組の方が勝手が分からなくて不利だと思うかもしれないけど、ちゃんと俺達はそこのとこ考えて点数つけるから安心してくださいね~。……では、一組目…始め!」
フィンの合図で、一組目の受験者十人が動く。
比較的年齢が高い人たちが集まった組だった。年の功もあってか、それぞれの動きは安定しているように思える。
開始五分程で、名札を斬りつけられた受験者がいた。一対一で戦っていた所に、横から入ってきた人物が斬り掛かったのだ。
「反則じゃないですよー。隙を突くのも立派な戦略。時には敵も味方のように利用すること。はい、動き止めないでー」
間延びした声で、フィンが口を出す。最初に名札を斬りつけられた受験者が、顔を真っ赤にして「反則だ!」と怒鳴ったからだ。
ここは試験の前に、戦場である。目の前の敵に、ルールなど存在しない。
時間が過ぎると、受験者に疲労が溜まっていく。
味方のいない状態で九人と戦い、体力と同時に神経も擦り減っていくだろう。アイラは見ていて息苦しくなっていた。
何人もが入り乱れ、名札を斬りつけ合う。周囲に立ってメモを取る試験官たちは大変なはずだが、涼しい顔で様子を見ていた。
「……はい、そこまで!お疲れ様でした。終わった組はこっち側で待機してください。次の組、前へ」
フィンの合図で、受験者の動きがピタリと止まる。
皆が疲れ切った顔で、ぞろぞろと指定の場所へ移動した。中には、他の受験者に支えられて歩く者もいる。
名札を狙うためには、隙を作る必要がある。その隙を、手や足を斬りつけて作るため、避けられなければ当然打撲や擦り傷はできてしまうのだ。
そこも考慮されているのか、終わった組の待機場所には医務官らしき人物がいた。
そして、次の組の試験が始まる。
先程の組と同じような動きを、皆がしていた。アイラはそっと視線を動かす。
視線の先にいるのは、エルヴィスだ。両腕を組んで、受験者の動きをじっと見つめている。どうやらメモは取らないらしい。
そこに立っているだけで威圧感が出る人物を、アイラは他に知らなかった。
―――だめ。どうしても団長が気になっちゃう……。ああもう、試験に集中するって決めたばかりなのに…!
アイラは小さく頭を横に振り、何度も視線がエルヴィスに向かいそうになる度に、自分の頬を両手でパチンと叩いた。
最初、周囲の受験者たちはギョッとしていたが、何度も繰り返すうちに、それがアイラの気合の入れ方なのだと思い込んだようだった。
デレクだけは、心配そうにちらちらとアイラを見ていたが。
そして、あっという間に最後の―――アイラの組の試験となる。
「じゃあ、最後の組……の前に、一言」
フィンが言葉を区切ると、その瞳がアイラへ向いた。そこに、親しみの感情は無い。
「相手が女性だからって、手加減は一切しないように。騎士となるからには、甘えは通用しない。君は、分かっているよね?」
「……はい。もちろんです」
最後の問い掛けに、アイラが頷く。少しやり辛そうにしていた他の受験者は、フィンの言葉で手加減はしないと決心したようだ。
ふと目が合ったデレクも、真剣な顔でアイラを見て頷いた。
「では、最後の組」
アイラを含めた十人の受験者は、ぐるりと円を描くように向かい合って立ち、木剣を構える。
「―――始め!」
試験開始の合図で、それぞれが一斉に地面を蹴った。
アイラが斬り掛かったのは、真横にいた少年だ。円の中心へ向かうと混戦となるため、まずは身近な相手から攻めることにした。
その少年は、重心の傾きからして、中心へ飛び込もうとしていたのだろう。アイラに横から足元を木剣で薙ぎ払われ、バランスを崩した。
アイラはそれを見逃さず、瞬時に胸元の名札を斬りつけた。
名札はこの試験のために特殊な加工がされているのか、パァンと音はしたが全く傷ついていない。
驚きで目を見開く少年に構わず、アイラはすぐに次の相手に向かっていった。
一人、二人、三人。
流れるような速さで相手の懐に入り込み、名札を狙う。
アイラに斬られた相手は、何が起こったのか分からない顔をしていた。その光景を見ていた他の受験者はざわついているが、アイラの耳には届かない。
四人目の名札を斬りつけた瞬間、背後からぞわりと気配を感じたアイラは振り返る。
同時に迫りくる切っ先を、反射的に木剣を横に構えて受け止めた。
両腕にじん、と痺れが走る。重い一撃を受け止めたアイラは、すぐに相手の木剣を振り払い、足元を狙う。
身軽に避けられ、腰を狙った振りが入り、すんでのところで受け流した。
強い、と思いながらアイラは相手を見据える。同じように、デレクの黄緑の瞳がアイラを捉えていた。
二人の攻防は、他の受験者が入り込む隙がないものだった。間に割って入ろうものなら、自身が怪我を負うことが嫌でも分かったのだろう。
その場にいた誰もが、アイラとデレクの動きを固唾を飲んで見守っている。
その様子を楽しそうに見ていたフィンは、ふと上司の反応が気になって視線を移した。
そこには、腕を組んだまま眉を寄せているエルヴィスがいる。
どのくらいの時間が経ったのか、勝敗を分ける時は突然やってきた。
デレクの木剣が、アイラの足元を薙ぎ払った。それを跳躍で避け、そのまま宙で弧を描くと、デレクの背後に着地する。
振り向きざまに横から振るわれた木剣を屈んで躱すと、アイラはほぼ真下から名札を目掛けて木剣を突き上げた。
カァン、と響いた音と共に、デレクの名札が胸元から外れ飛んでいく。アイラは思わず「あっ」と声を上げた。
名札が吸い込まれるよう飛んだ先にはエルヴィスがいた。片手でサッと名札を掴むと、紅蓮の瞳でアイラを見てから、ゆっくりと口を開いた。
「……そこまでだ」
一瞬の静寂。そして次にワッと歓声が上がり、アイラは驚いて肩を跳ねさせた。
周囲の状況を確認するより先に、両手をがしっと掴まれる。木剣がカランと地面に落ちた。
「アイラ…お前、すっげーなあ!」
目をキラキラと輝かせ、デレクがいかにアイラの動きがすごかったかを語り始めた。
最初は呆気に取られていたアイラだったが、あまりに褒め称えられるので顔を赤くする。
「あ、ありがとうデレク。デレクもすごく強かったよ」
「………!お、おう。ありが…」
「はーいそこまで。いつまでも手を握り合ってないで、早く医務官のところまで行くこと」
アイラとデレクの間に、フィンが割って入る。デレクは顔を真っ赤にして手を放し、回れ右をするとカクカクと変な動きで歩き出した。
そこでアイラは、ようやく周囲を確認する。
すでに試験を終えた受験者は、ガヤガヤと話しながらこちらを見ていた。何だか皆興奮している。
試験官をしていた騎士たちは、複数転がる木剣を片付けたり、地面をならしたりしている。それが終わると、点数を書き留めていたであろうメモを持って団長のエルヴィスの元へ向かっていた。
アイラと同じ組の受験者は、すでに医務官の治療を受けていた。ついさっき団長の終了の合図があったのに、とアイラが不思議に思っていると、トンと背中を優しく押される。
「ほら、早く向かいな。全く無傷ってわけじゃないんだから」
「フィンさ…、副団長」
「君たちの勝敗が決まる前に、俺が一度終了の合図を入れたんだけどね。集中しすぎて聞こえてなかっただろ?」
呆れたような、どこか楽しそうな声音でフィンにそう言われ、アイラは苦笑いを返した。全く聞こえていなかったのだ。
つまり、アイラとデレクは終了の合図を無視し、全員の視線が集まる中で戦い続けていたということだ。
アイラは肩を落としながら、とぼとぼとデレクの後を追った。
一旦休憩を挟み、再度受験者は訓練場へ集められた。
先程の組ごとに整列し、壇上にエルヴィスとフィンが立つ。
「これにて試験は終了だ。良い戦いを見せてもらった。結果は約三日後に知らせる」
端的にそう言ったエルヴィスが、ぐるりと受験者を順に一瞥した。
視線が絡み、アイラの心臓がどくんと跳ねる。
「……では、解散」
その言葉が告げられると、受験者の緊張が一気に解けたようだった。
足早に帰ろうとする者、試験で思うように動けなかったことを悔やむ者…そして、アイラに声を掛ける者がいる。
「お嬢ちゃん!あんたの動きすごかったなぁ!」
「いやー本当に!美しい動きだったな…」
「おいおい、こいつ顔を赤くしてるぞ」
「惚れ惚れする剣技だったよ。俺もまだまだだな」
口々にそう言って、皆が去り際に「お互い合格できたらいいな」と笑いかけてくれた。
最初は遠巻きにされていたアイラは、話しかけてもらえただけで涙が出そうなほど嬉しかった。
「……っ、はい!またお会いできたら嬉しいです!」
アイラが勢い良く頭を下げれば、笑い声が返ってくる。俯いた視界にブーツが映り顔を上げれば、デレクが微笑んでいた。
「お疲れ、アイラ」
「うん。デレクもお疲れさま…あ、そうだ。お礼を言いたかったの」
「お礼?」
首を傾げたデレクに、アイラは笑う。
「一番最初に話しかけてくれて、ありがとう」
「……………ど、ドウイタシマシテ?」
胸元を押さえながら、何故か片言で、しかも疑問形で返事をされる。試験中のデレクとは別人のようで、アイラは可笑しくなってまた笑った。
心から笑えることが、とても幸せだと思えた。
「じゃ、じゃあ…アイラ。俺たち、もう友達だよな?」
「うん、もちろん」
「また、ここで会おう…次は、騎士として」
最初のときのように、デレクが差し出してくれた手を握り返す。
騎士を目指す人生でできた、初めての友人との約束に、アイラは笑顔で頷いた。
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