引きこもり令嬢はやり直しの人生で騎士を目指す

天瀬 澪

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4.入団試験①

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 その日は、とても晴れやかだった。

 デレク・アルバーンは空を見上げ、軽やかな足取りで目的地へと向かう。


 昨日まで三日ほど雨が続いていたため、所々に水溜りができていた。デレクはそこを踏まないよう気を付けながら、どうせならこれも鍛錬にしようと考える。


 ―――足場に罠が仕掛けられていて、そこを避けながら戦う設定だ。よし、これに決めた。


 早速デレクは駆け出した。一つ目の水たまりを飛び越え、着地と同時に剣―――の代わりに拾った枝を振るう。
 次の水たまりは横に回転するように避けた。もちろん、枝を振るのも忘れない。


 そうして目的地までやって来たデレクは、道中かなり目立っていた。

 子どもは目を輝かせ拍手をし、老人は驚いて転びそうになった。デレクが慌てて滑り込むように抱きとめ、周囲が沸いた。
 何かの芸なのかと興味津々に見ていた人々は、デレクが城門へと向かっていることが分かると、揃って納得の表情を浮かべていた。


「何だ兄ちゃん、騎士志願か!」


 背後から掛けられた誰かの声に、デレクは振り返るとニカッと笑う。


「おう!応援してくれよなー!」


 その太陽のような笑顔に、周囲から歓声と拍手が送られた。


 デレクは城門に立っていた衛兵に、騎士となるための試験に必要な書類を渡す。目を通した衛兵がデレクの名前を確認すると、胸元に付ける名札を差し出した。


「デレク・アルバーンどの。受付したので、名札を付けてあちらの試験会場へ向かって下さい」

「了解で……あ、枝持ってきちゃってた。まぁいいか。お守り代わりに持っとこう」


 衛兵は眉をひそめたが、デレクは試験の前に捨てればいいかと呑気に考える。
 名札を付けながら周囲を見ると、かなりの数の騎士志願者が集まっていた。


 この国の騎士団の入団資格は、割と緩い。年齢制限は下が十五で上は特に無く、出自は問われない。
 年齢さえ基準を満たし、相応の覚悟があれば、誰でも受けられるのだ。何かを護り、盾となる覚悟があれば。


 そして、騎士は入れ替わりが激しい。試験に受かっても長い見習い期間から入り、実力が伴わなければ出世も無い。
 途中で諦めて辞める者もいれば、任務の途中で負傷して逃げ出す者、最悪命を落とす者もいる。

 ただ、出世できれば給料がとても良いのだ。それを夢見て騎士を目指す人間もいる。
 かくいうデレクも、高い給料に惹かれた一人だ。


「……ん?」


 会場に集まっている男たちの視線が、ある方向に集中していることにデレクは気付く。
 そこに何かあるのだろうかと、興味本位でざわめく男たちの間を縫うように歩いた。

 自然と、会話が耳に入ってくる。


「おい、あそこにいる子見たか?」
「ちらっと見たぞ。いやぁ、いいもん見たなー」

「それにしても、何で騎士志望なんだ?」
「さあ。あんだけ可愛けりゃ、他にいくらでも選べるだろうになぁ」


 会話を聞きながら、デレクは予想する。
 『あの子』『可愛い』の単語から、美少年でもいるのだろうかと首を傾げてそのまま進んだ。
 すると、どうやら人垣の先頭にたどり着いたようだ。デレクは自分より年上に見える二人の男を掻き分け、一歩前に出た。


「さーて、一体何が……」


 そこで言葉を失ったのは、注目の的になっていた人物に、目を奪われたからだった。


 スラリと伸びた手足に、小柄な身長。
 蜂蜜色の肩まで伸びた髪は、光を浴びて輝きながら風に揺れている。

 どこか憂いを帯びた瑠璃色の瞳は大きく、陶器のように滑らかな肌に、薄紅色の唇が映える。


 デレクは最初、予想通り美少年がいたのかと思った。けれど、すぐに違うと悟る。
 白いシャツと細身の黒いボトムスに包まれた体は丸みを帯びていて、その胸が膨らんでいるのは明らかだった。


 少女の周囲には、不自然に人がいなかった。
 少女を円の中心に、ぐるりと隙間が空いている。男たちはきっと、あまりの少女の美しさに近寄ることができなかったのだろう。


「て、天使……?」


 ぽつり、とデレクの開いた口から言葉が漏れる。その声が届いたのか、少女が視線を動かした。

 そして、少女と目が合った瞬間、デレクは稲妻に打たれたような衝撃を受け、胸元をぐっと押さえる。


 デレクが、知らずのうちに恋に落ちた瞬間だった。






***



 アイラは困っていた。

 どうすればいいのか分からずにいた時、不意に聞こえた『天使』という単語に反応した。


 声がした方を見ると、緑色の短髪の少年と目が合った。髪より少し薄い黄緑の瞳が、驚いたように見開かれている。


「………?」


 まさか天使みたいな人がいるのかと、アイラは周囲を見渡してみたが、男性の受験者しか見当たらなかった。何故か皆の視線がアイラに向いている。

 アイラが困っていたのは、この周囲の反応だった。
 城門にいた衛兵からも、会場へ向かう途中でも、そして今も、絶えず向けられる好奇の視線。何か声を掛けてくれればいいものの、誰一人として近寄っては来ない。


 魔術学校の時とはまた違う。あの時はほとんどが侮蔑の視線だった。稀に憐れみもあったが。
 なので、心が擦り減ることは無いものの、落ち着かない視線であることには変わりなかった。


 ―――うう。きっと、私の他に女性の受験者がいないからだわ。だから物珍しそうに視線が集まるのよ…。


 この二年、アイラに騎士の稽古をしてくれた副団長のフィンは言っていた。騎士団の中で女騎士は数人しかいないと。

 だからアイラは、今年の試験でせめて一人くらいは同性がいるといいな……と思っていたのだが、その考えは甘かったらしい。


 慣れない場所に、これから始まる試験への緊張と、さらに周囲の視線。誰かと話したいが、遠巻きにされてしまい、アイラは誰にも声を掛けられずにいた。
 魔術学校のときのように、無視されたり突き飛ばされたりしたら……そう思うだけで、体が震えて動かないのだ。


「………、」


 まだ何も成長できていない、と悲しくなり俯いたアイラの前に、フッと影が落ちた。

 同時に、頭上から声が掛かる。


「あ…、の!こんにちは?」


 何故疑問形なのだろう、とアイラが顔を上げると、先程目が合った少年が目の前に立っていた。


「こんにちは……ええと…デレク、さん?」


 アイラが胸元の名札を見て呼ぶと、デレクが「ん゙ぬぁっ」と奇妙な声を出す。その後慌てたように咳払をし、右手を差し出してきた。


「デレク・アルバーンです。よ、よろしく」

「……アイラ・タルコットです。よろしくお願いします」


 アイラの名前に、周囲の何人かは反応を示した。貴族であれば、タルコット男爵家のことを知っていても不思議ではない。

 それを気にせず、アイラは目の前の骨張った手を取って握ると、いくつも豆ができていることに気付く。同い年に見える少年は、随分と鍛錬をしているようだ。
 小麦色に日焼けした肌に、ガッチリとした体型。服の上からでも、腕の筋肉が分かる。

 それを羨ましそうにじっと見つめるアイラの視線に、デレクは冷や汗を流していた。


「アイラ、さん?あの、あんまり見つめないでもらえると…」

「えっ。……ごめんなさい、すごく鍛えられた体だなと思って…」

「あ、本当に?それは嬉しい」


 デレクが顔を輝かせると、アイラは思わずくすりと笑った。そのころころと変わる表情が、見ていて面白いのだ。


「良ければ、アイラと呼び捨てにしてください」

「え……。じゃあ俺のことも呼び捨てで、あと敬語もむず痒くなるからやめて欲しいかな…ア、アイラ」

「分かった、デレク」


 嬉しくなって微笑むアイラに、デレクの心臓はまたぎゅうっと締め付けられていた。
 そんな二人を遠巻きに見ていた男たちが、じりじりと距離を詰めてくる。

 同じように話しかけてみようか―――とそれぞれがごくりと唾を飲み込んだところで、一際大きな声が響いた。


「はい、集合!適当に整列して―――…って、何かあった?」


 聞き覚えのある声に振り向いたアイラは、この二年間、何度も指導してくれた師匠の姿を見つけた。

 フィン・ディアス。騎士団の副団長だ。


 いつも通りに銀髪を後ろで結んでいたが、黒の団服を着ている姿は初めてだった。銀の装飾で留められた白いマントがはためいている。

 その真珠色の瞳が、妙な人垣を見つけ、その中心にいたアイラを捉える。
 大体の理由を察したのか、フィンは少し呆れたように口を開いた。


「あ~、気持ちは分かるけど口説くのはあとにしてねー。ここに八列で適当に並んで。ハイ、どうぞ」


 パン、とフィンが手を叩くと、ぞろぞろと移動が始まる。デレクを始めとした何人かが頬を赤くしていた。
 フィンがニヤニヤしながら見てくるので、アイラは首を傾げながらも近くの列に並ぶ。デレクは隣の列だ。

 あっという間に整列したことを満足そうに確認したフィンは、受験者から姿が見えるように大きめの台の上に立った。


「騎士を目指すために集まった皆さん、俺は副団長のフィン・ディアス。他に副団長が二名いるけど、今日は任務があり不在です。合格すればそのうち会えるから問題ないでしょう」


 合格すれば、の言葉に受験者の表情が強張った。

 試験内容は毎年決まっている。実践形式の実技試験のみだ。あらかじめ合格ラインは決められており、そこを通過しなければ不合格となる。

 ちなみに、不合格になっても本人にやる気さえあれば、来年また試験を受けることはできる。


 アイラは真っ直ぐフィンを見ていた。
 二年の指導を終え、フィンは「うん。もう大丈夫だね」と笑って背中を押してくれた。そして「思ったよりも飲み込みが早くて、嬉しい誤算だよ」とも言ってくれたのだ。


 ―――フィンさまが、認めてくれた。なら私は、全力で試験に臨み、結果を出さなきゃ。


「……で、今から紹介するのが我が騎士団の団長です。おーい、エルヴィス団長ー」


 フィンが片手を口の横に添え、大声で名前を呼んだ。受験者の後方に向かって呼びかけたため、ほぼ一斉に受験者が後ろを振り返る。

 拳を握り、自身を奮い立たせていたアイラは、一瞬行動が遅れた。慌てて同じように振り返り―――息を飲む。


 エルヴィス団長と呼ばれた人物が、受験者の方に向かって歩いて来ていた。
 距離があるにも関わらず、とても存在感があった。

 まず、艶のある黒髪に目がいく。この国では珍しい色だ。そして整った眉に、スッと通る鼻筋。唇は弧を描いていて、妙な色気があった。耳には赤い小さなピアスが付いている。
 歳はフィンと同じくらいのようだ。


 アイラが驚いたのは、騎士団の団長が想像よりずっと若いからでも、容姿が整っているからでもない。

 鋭く前を見据えるその瞳が―――燃えるような、紅蓮の色だったからだ。


「うそ……」


 震える唇から漏れたアイラの小さな声は、周囲のざわめきの中に消えていった。


「あの人が噂の……」
「戦場の“死神”って呼ばれてるんだろ?」
「随分と若いな。なのに団長か……」


 エルヴィスがあっという間に受験者の前にたどり着き、フィンの隣へ立つ。

 何か合図があったわけでもないのに、ざわめきがピタリと止まった。
 一声でも発したら、その場で斬り捨てられてしまうかのような緊張感が漂う。


 そんな空気の中、アイラだけは呆然とエルヴィスを見つめていた。


 ―――あの日。私が最期に見た光景は、一生忘れられない自信がある。
 あの時、私に駆け寄ってくれた人の、紅蓮の瞳。そして騎士の服。……まさか、団長だったの?


 顔はハッキリと思い出せない。けれどアイラは、最期に自分の元へ来てくれた騎士に感謝と憧れを抱き、騎士を目指すと決めたのだ。

 アイラはいずれ騎士となれたら、その人物に会えるといいなと思っていた。瞳の色を見たら分かるかもしれないと、そんな淡い期待が心のどこかにあった。

 けれどまさか、可能性のある人物に、さっそく出会うことになるとは思ってもいなかったのだ。


「団長の、エルヴィス・ヴァロアだ」


 艶のある声が発せられ、受験者は固唾を飲んで次の言葉を待っている。


「これより、入団試験を開始する。…その前に、少し適性を見させてもらうかな」


 エルヴィスはそう言うと、おもむろに腰に下がっていた長剣を抜き前に構えた。
 受験者は皆、何が始まるのかと困惑の表情を浮かべる。

 アイラはハッとして、反射的に腰に手を伸ばし―――今は剣を携えていないことに気付いた。


 
 そして次の瞬間、凄まじい殺気が放たれた。

 ドサッと鈍い音が連続して聞こえる。何人かが腰を抜かし、地面に尻もちをついていた。


 呆然と立っている者や、冷や汗を流し震える者もいれば、アイラのように剣を構える姿勢をとる者もいた。隣の列に並ぶデレクは、どこから取り出したのか木の枝を構えている。


 アイラのこめかみを、一筋の汗が伝う。と、急に殺気が跡形もなく消えた。
 緊張で強張っていた身体が緩み、アイラは大きく呼吸を繰り返す。


 見ると、エルヴィスは笑みを浮かべていた。その隣で、額に手を当てて肩を落とすフィンが口を開く。


「あ―――…、今から適性検査の結果を言います」


 受験者は誰も声が出せず、ただ目を丸くしていた。

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