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2.騎士になる覚悟
しおりを挟むクライド・タルコットは焦っていた。
蜂蜜色の髪を靡かせ、足早に目的地へと向かう。
自身の邸宅の中庭へ辿り着くと、その光景を見て翡翠色の瞳を丸くした。
「―――アイラ!」
クライドは妹の名前を叫ぶようにして呼ぶ。
そこにいたアイラは、振り返るとにこりと微笑んだ。その笑顔は、天使のように輝いている。
「おはようございます、クライドお兄さま」
「ああ、おはよう。……じゃなくて、何をやっているんだ!?」
アイラの可愛らしい笑みに絆されそうになったクライドは、慌てて表情を引き締め問い掛ける。
アイラは不思議そうに、両手で握っていた木剣に目を遣った。
「何を……と言われても、ご覧の通り剣の練習ですけれど……」
その答えに、クライドは目眩がした。
父から緊急の手紙が届いた時は何事かと思ったし、中に目を通せば、それこそ信じられない事が書かれていたのだ。
『アイラが、騎士を目指すと言い出した』―――と。
何かの間違いだと思ったクライドは、直接話を聞こうとすぐに荷造りを始めた。
今年入学した魔術学校の休みに合わせ、こうして寮を飛び出してやって来たわけだが…どうやら間違いではなかったらしい。
「アイラ……頼む、とりあえず素振りを止めてくれ」
しばらく言葉を失っていたクライドを横目に、木剣の素振りを再開していたアイラは、しぶしぶとその手を止める。
「どうかしたのですか、お兄さま?」
「どうしたも何も……、アイラお前、一体どうしちゃったんだ?別人じゃないよな?」
目の前の少女は、クライドと同じ蜂蜜色の髪を一つに束ね、母親譲りの瑠璃色の瞳を向けている。
紛れもなく妹だと分かっている。分かっているのに、クライドはアイラが魔術師になる夢を捨てたとは思えなかった。
アイラは、どこか悲しげに笑う。
「ふふ、別人……そうですね。私は別人になった……いいえ、なりたいのです」
「アイラ……」
「ごめんなさいお兄さま。もう、決めました」
アイラの揺るぎのない瞳の奥で、炎が揺らめいた気がしたクライドは、片手で顔を覆うと、諦めに似たため息を漏らす。
「……父さまと母さまは、何て?」
「お父さまからは散々説得されましたが、私が譲らないので困っていました。お母さまは…その、気を失って……そのままお部屋で寝込んでいます」
気まずそうにアイラはそう答えた。
だから父は、クライドに何とか説得して欲しいと手紙を飛ばしたのだ。
剣も握ったことのない可愛い娘が、騎士を目指すなど自殺行為に等しく、許せるはずもない。
そもそもクライドは、女騎士という存在自体が少ないと聞いていた。
「アイラ。理由を聞いてもいいか?」
「………」
アイラは唇を結び、困ったように眉を下げる。クライドはじっと黙って答えを待った。
やがて、アイラが木剣の柄を握りしめている手に力を込め、口を開く。
「強く、なりたいのです」
真剣な瞳だったが、クライドには何故か、アイラが泣き出してしまいそうに見えた。
「……それは、魔術師でもなれるよな?騎士じゃなくても……」
「いいえ、お兄さま。魔術師になろうとすればきっと、私は……本当の意味で、強くはなれないのです」
「………?」
そっと目を伏せたアイラの言葉に、クライドは眉を寄せた。
本当の意味で、とは何だろう。物理的な意味では無く、もしかして精神的な意味だろうか、と。
「アイラ、もし父さまと母さま……そして俺の期待が重かったなら謝る。だが、お前には才能が……」
「才能など!」
クライドの言葉を遮るように、アイラが大きな声を上げた。思わず目を見張ると、声を出した本人の方が驚いていたようだった。
けれど、アイラは少し声を落として続ける。
「……才能などあっても、意味を成さないこともあるのではないでしょうか」
「アイラ……」
幼い頃、共に魔術師になることに憧れ、頑張ってきた。
クライドが魔術学校に入学が決まった時、まるで自分のことのようにアイラは喜び、「次は私も!」と息巻いていたのに。
……たった数ヶ月の間に、アイラに何が起きたのか。
クライドは頭を振り、アイラの肩を優しく叩いた。
「話はまた、夕食の時に父さまと母さまも交えてしよう。……俺は荷を解いてくるから、お前も一旦部屋に戻って休むんだ」
「……はい」
夕食までに、頭を少し冷やしてくれたらいい―――…そんなクライドの願いは、見事に打ち砕かれた。
夕食時、家族が食事するだけの小さな部屋にやって来たアイラは、背中まで伸びていた蜂蜜色の髪をバッサリと切り落としていたのだった。
***
「……………」
しぃん、と水を打ったように静まりかえった部屋で、その場にいた全員が言葉を失いアイラを見ていた。
注目を集めている当の本人であるアイラは、素知らぬ顔で自分の席に座る。一番最初に我に返ったのは、兄のクライドだった。
「……ア、アイラ…その、その髪は……」
「はい、切りました。似合いませんか?」
「いや似合う。お前の小さな顔にとても似合っている。似合っているけどそれは……!」
クライドは狼狽えつつ、壁の近くに立つアイラの侍女へ視線を向けた。
「ベラ!どうして止めてくれなかった……!」
ビクッと肩を震わせたベラを庇うように、アイラは口を開く。
「お兄さま、ベラは何度も私を止めました。でも私が無理やりナイフで切ったので、仕方なく綺麗に整えてくれたのです」
「アイラ……どうしてなの…?」
震える声でそう言ったのは、母のセシリアだった。その顔は真っ青で、今にも倒れてしまいそうだ。
そんな妻の様子を見てようやく我に返ったのか、父のラザールも慌てて口を開く。
「そ、そうだぞアイラ。どうしてそこまでする必要があるんだ?」
「……私の覚悟を分かっていただくには、これが一番だと思いましたので」
「覚悟?魔術師になる道を捨て、騎士になるとかいう覚悟か?」
「はい」
アイラが頷くと、ラザールは「そんな、まさかそこまで…」と呟いて頭を抱えた。
家族を悲しませている事実に、アイラの胸が痛む。けれど、ここで説得を諦めては以前の自分と何も変わらないのだ。
「お父さま、お母さま……お兄さま。何故、と思われるのは当然です。私もずっと魔術師を目指し、努力していました」
「では……!」
「けれど、私はこの先、騎士を目指します。魔術師になる道を諦めるのでは無く、選ばないのです」
悲壮感漂う表情を、家族全員から向けられる。
部屋に引きこもっていたアイラに、毎日扉越しに声を掛け続け、何度も「信じている」と口にしてくれた、大切な家族。
アイラは深く息を吸うと、瑠璃色の瞳に決意を滲ませた。
「―――家族の縁を切られたとしても、私は騎士となる道を歩みます」
息を呑む音だけが、小さく空気を揺らした。
アイラは絶望の眼差しを向けられることを恐れ、テーブルに並べられた、冷えてしまったであろう料理に視線を落とす。
永遠に感じられる沈黙を破ったのは、カタン、と誰かが椅子を立つ音だった。
「……アイラ」
優しく名前を呼ばれ、アイラは反射的に顔を上げる。コツコツとヒールを鳴らし近付いて来たセシリアは、その瞳に涙を溜めていた。
「アイラ。私は……貴女の覚悟を、受け入れるわ」
「お母さま……」
「だからどうか、お願いだから……縁を切るだなんて悲しい言葉を、言わないでちょうだい」
ふわりと抱きしめられ、その温もりにアイラの張り詰めていた糸がプツリと切れた。
涙が次々と溢れ、セシリアの背に両手を回す。
「……アイラ、セシリアの言う通りだ。私たちは永遠の家族であり、味方なんだから。……だから、私も受け入れよう」
「俺もだ、アイラ。お前の覚悟を甘く見ていた俺を、許してくれ」
「お、お父さまっ……お兄さま…!」
ラザールとクライドが立ち上がり、優しい微笑みを浮かべる。
それを見たアイラは頬を濡らしながら、心の中で謝り続けた。
―――みんな、ごめんなさい。私が弱いせいで、二度も傷つけてしまって。
でももう、心が負けないように強くなるから。魔術師になれなくても、立派な騎士になってみせるから―――…。
アイラはそっと瞼を落とし、決意を胸に秘めたのだった。
◇◇◇
やり直しの人生が始まってから、五日目の昼間。
兄のクライドは魔術学校の寮へ戻り、両親はそれぞれ仕事で忙しいため、アイラは毎日中庭で一人鍛錬をしていた。
「あっ、来た来た。こんにちは~」
「………?」
軽い昼食を終え、中庭に木剣を携えてやって来たアイラは、そこに立っていた見知らぬ人物を見て首を傾げた。
綺麗な銀髪を後ろで一つに束ねているが、体格からして男性のようだ。顔立ちは整っていて中性的に見える為、パッと見ただけでは勘違いする人が多いだろう。
色素の薄い真珠のような色の瞳が、値踏みするようにアイラを見ていた。
「ええと…?失礼ですが、どなたですか?」
「あれ?タルコット男爵から聞いてないかな?」
不思議そうに返され、アイラはハッと思い当たった。
父のラザールから、昨夜聞かされていたことがあったのだ。
「もしかして、ディアスさまですか?」
「そ。フィン・ディアス。フィンでいいよ」
「フィンさま、大変失礼致しました…!父から副団長の方がいらっしゃると聞いていたので、お若い方とは思わず…!」
「あはは、いいよいいよ。そんなに固くならなくて」
アイラがぺこぺこと頭を下げると、フィンは笑って片手を挙げた。
優しそうな人柄だと感じたアイラは、ほっと息を吐く。
昨夜、アイラの部屋を訪れたラザールは、にこやかな笑みと共にこう言っていた。
『アイラ、昔の伝手を利用して、お前に剣の稽古を付けてもらえることになったぞ!』
昔の伝手とは、魔術師として活躍していた時のものだった。その伝手で、なんと城で働く騎士団の、しかも副団長の稽古を付けてもらえることになったというから、アイラは目を丸くしたのだ。
それが今、アイラの目の前にいるフィンという男だった。
歳は兄のクライドより上に見えるが、恐らく二十代前半だろう。
若くして副団長まで上り詰めた人に、週に一度だけ稽古を付けてもらえる…アイラは心から父に感謝した。
「あの、フィンさま。貴重なお休みの時間を私なんかの為に割いていただき、ありがとうございます」
「……うん、平気だよ。よろしくね」
気のせいか、一瞬フィンの瞳が鋭く光った。けれどすぐに手を差し出された為、アイラは深く考えずにその手を握り返す。
フィンの手のひらは固く、剣を握ってきた年月が感じられた。
「アイラ嬢は、どうして騎士を目指すの?」
突然そう問い掛けられ、アイラは握っていた手に思わず力を込めた。
動揺が伝わったのか、フィンが僅かに口角を上げて手を離す。
「タルコット男爵家といえば、正統な魔術師の家系だ。実際、君のお兄さんは魔術学校に入学したんだろう?」
「………はい」
「なのに、驚いたよ。男爵家のご令嬢が、まさか騎士を目指していて、その指導の打診が来るなんて」
アイラは気付いた。フィンは笑っているが、その目は決して笑っていない。
嘲るようなその視線は、かつて魔術学校で向けられたものに似ていた。
反射的に顔を背けたくなったが、何とか思いとどまったアイラは、負けないよう眉にぐっと力を入れる。
「……私の行動が、フィンさまの気に障ってしまったのなら申し訳ございません。けれど、私は本気です」
「ふぅん?」
「そもそも、フィンさまにとっては私が騎士を目指す理由など、どうでもいいのではないですか?」
アイラの挑発とも取れる言葉に、フィンは少し口の端を上げた。
「へえ。どうしてそう思うのかな」
「先ほどから、私を値踏みしていますよね。午前中も、ここで一人訓練していた私をこっそり見ていたでしょう?」
「あれ、気付かれてたんだ」
少し意外そうに言っているが、恐らく気配に気付くかどうかも試されていたのだと、アイラは思った。
魔力の高いアイラは、探ろうとすれば人の気配が分かる。相手が、よほど上手く気配を隠そうとしない限りは。
「フィンさまは、私が騎士になれるかどうか、単純にその一点だけを探っていたように思えます」
「うん、まぁほとんど正解だよ」
フィンはパチパチと両手を鳴らすと、不敵な笑みを浮かべて続ける。
「そして、その一点に関しては、君は不合格だよ……アイラ嬢」
「………」
「分かるだろ?筋力は無いし、木剣を振るう力だって弱すぎる。女騎士はそれこそ厳しい関門なんだ。君が何年後に騎士の登用試験を受けるにしても、稽古を付けたって結果は変わらないと思うね」
だから早く諦めなよ、と言外で言っている。
アイラは真珠色の瞳から視線を逸らさず、腰に携えていた木剣をフィンの前に突き出した。
「では、フィンさま」
「……うん?何この木剣。まさか…」
「私と、お手合わせ願います」
にっこりと笑ってそう告げると、フィンの顔がとても嫌そうに歪んだのだった。
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