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明治維新編8 対立の間で
対立の間で(7)
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馨には重大な変化も起こっていた。母婦佐子が亡くなった。
父親の厳しさとは違い母親からは、ずいぶん甘やかされていた。金の無心は日常茶飯事だった。大抵のことはなんとかしてくれたのも母だった。
そんな母に悲しい思いをさせたのは、長州藩での内訌の中心にいたことだったろう。膾切りにされ死んで当然のところを、たまたま居合わせた外科手術のできる医者に救われた。そのときには兄に介錯を頼んだところ、母が身を呈したのだった。その後の座敷牢で斬首を待つ状態での、心を込めた差し入れ。
「何度わしは、母上から命をもらったのだろうな」
「凛としてお優しい御母上でしたね」
「やっと落ち着いて孝行するつもりじゃったが」
「ひとつ屋根の下お暮らしになったことで、ご安心されたはず」
「じゃが東京で寂しい思いをさせたのではないかと」
「上京された皆様も良くお見舞いにお越しでした」
「何よりもお前様がたいそうご自慢で」
馨を力づけようとしていた武子も、流石に泣き笑いの表情になっていた。その武子を見た馨は泣き崩れていた。武子にはその馨を抱きとめて、背中をさすることしかできなかった。
家のものが弔問客の来訪を告げた。馨は奥に一旦下がり、顔を洗い出直した。武子は馨が戻ってきたところで、奥に下がっていった。来客は祭壇の前に出てくると、喪主である馨に挨拶をした。
「元徳公のお心遣いで参りました。この度はご愁傷様でございます」
あっと思った馨はすでに、泣き笑いの表情を浮かべていた。
「この度はありがとうございます。元徳公に感謝のお言葉お伝え下さい」
そう答えると、続けて言った。
「杉が来てくれるとは。それにしても久しいの」
「すまん。聞多。なかなか落ち着かんかった。訃報が高輪に届いたところ、ちょうどおって、元徳様が行けとおっしゃってくださりやっとじゃ」
「宮内省に出仕とか」
「あぁそのへんが、僕にはあっていると思っての。あまり頼りにはならんが、気晴らしにはなるぞ」
「あぁ助かる。そうじゃ」
馨はそう言うと、たって人を呼びに行かせた。武子がやってくると紹介した。
「ワイフじゃ。武子と申す」
「武さん、長州の昔からの友人の杉孫七郎じゃ。東京に出てきて宮内省にお勤めと」
「武子と申します。よろしくお願い申します」
「武子さん、こちらこそ。僕は聞多を頼らにゃいかんゆえ、ご迷惑かけるかもしれん。まずは、よろしくお願いします」
「なにかお持ちいたします。お待ちください」
武子は奥に下がっていった。
「気になさらんでください」
「まあええ。気を使ったんじゃろ」
「それにしても、ええ奥方様じゃ」
「じゃろ。恋女房じゃ」
「思ったより元気で良かった」
「おぬしの顔を見たからじゃ」
しばらく二人は話をして、杉は帰っていった。
「杉様、おいでなされてようございました。これもお母上のご縁でございますな」
「そうじゃな」
馨は少し穏やかな顔になっていた。ここにきてやっと俊輔とも違う、気のおけない友人が現れたのだ。
母の喪中も開けて出仕をした馨を待ち受けていたように、佐伯が大量の書類を運んできた。
「大輔のお休みの間の様々な業務についての書類です。あぁここにオリエンタルバンクからのニューイヤーパーティの招待状がございます。一年とは早いものですね。あちらは12の月で一年なのですね。こちらの来年は13の月がありますが」
「佐伯、もう一度言ってくれんか」
「オリエンタルバンクのニューイヤーパーティのことですか」
「暦のことじゃ」
「あぁ、来年は閏月があることですね」
「西洋の暦と日本の暦にひと月の差が、あるっちゅうことじゃな。今まで気が付かんかった。そうじゃ。暦を変えるぞ。渋沢を呼んでくれ」
佐伯は馨の突然の反応に驚きながらも、今度は何が起こるのかと楽しみになってきていた。
佐伯に呼ばれた渋沢が馨の執務室にやってきた。
「おう、渋沢。母の喪中の間色々すまんかった。沢山の面倒をやらせてしもうた」
「それも私の仕事です。陸奥さんや芳川さんもおられますし、大丈夫です」
「それで、呼び出したことじゃが。暦を至急西洋の太陽暦に変える必要があると、思い至ったのじゃ」
「それは、忙しいことになります」
「いままでなんで気が付かんかったのかと思うのじゃが。さっき佐伯を話しをしての。和暦には閏月があろう。西洋の暦は12ヶ月じゃ。つまり官員の給料を考えると13月と12月とあるのは不便が多い。なれば、西洋の太陽暦を導入して12ヶ月に限定する必要があると思ったのじゃ。渋沢どう思う」
「農業は月齢や太陰暦のほうが都合が良いことが多いと思いますが。たしかに太陽暦を導入して西洋と合わせることも重要ですな。この金に悩まされていることを考えると、来年の給金を13回払うのも辛いことですし」
「そうか。では合わせるためには時間がない。早く正院に上げる建議書の作成を頼む」
「わかりました」
こうして太陽暦が導入された。
12月になった途端、急に年の瀬になってしまった明治5年の出来事だった。ちなみに12月は2日しか無いので、この月の給金は支払っていない。
世の中の流れは、世界の方を向いているのは明らかだった。
昨年馨は、長崎のキリシタンが預けられた先で、たとえ棄教しても家族がバラバラでは可愛そうなので、家族ごとに暮らせるようにしたらどうかと建白を出していた。
今度はようやく、キリスト教の禁教が解けることになった。ただし、それが信教の自由とはなかなかならなかった。
神道を国家の中心としたい流れは、廃仏毀釈運動となっていった。神仏習合は否定され、寺は打ち壊されるようになってしまった。これは寺院の経営にも直結し、寺の宝が二束三文で売り買いされるようになった。そして貴重な美術品も海外に流出するようになっていった。
馨が日々忙しくしている中、気がつくことのなかった問題があった。
きっかけはたまたまなことだったが、陸軍省を巡る問題が表面化した。フランスで大金を使っている日本人がいると噂になっていた。それが長州出身の山城屋だった。
そこから陸軍との繋がり、特に山縣有朋が疑われることになった。山城屋は陸軍省で割腹自殺を遂げ、書類も処分していたことから真相は不明なままになってしまった。
父親の厳しさとは違い母親からは、ずいぶん甘やかされていた。金の無心は日常茶飯事だった。大抵のことはなんとかしてくれたのも母だった。
そんな母に悲しい思いをさせたのは、長州藩での内訌の中心にいたことだったろう。膾切りにされ死んで当然のところを、たまたま居合わせた外科手術のできる医者に救われた。そのときには兄に介錯を頼んだところ、母が身を呈したのだった。その後の座敷牢で斬首を待つ状態での、心を込めた差し入れ。
「何度わしは、母上から命をもらったのだろうな」
「凛としてお優しい御母上でしたね」
「やっと落ち着いて孝行するつもりじゃったが」
「ひとつ屋根の下お暮らしになったことで、ご安心されたはず」
「じゃが東京で寂しい思いをさせたのではないかと」
「上京された皆様も良くお見舞いにお越しでした」
「何よりもお前様がたいそうご自慢で」
馨を力づけようとしていた武子も、流石に泣き笑いの表情になっていた。その武子を見た馨は泣き崩れていた。武子にはその馨を抱きとめて、背中をさすることしかできなかった。
家のものが弔問客の来訪を告げた。馨は奥に一旦下がり、顔を洗い出直した。武子は馨が戻ってきたところで、奥に下がっていった。来客は祭壇の前に出てくると、喪主である馨に挨拶をした。
「元徳公のお心遣いで参りました。この度はご愁傷様でございます」
あっと思った馨はすでに、泣き笑いの表情を浮かべていた。
「この度はありがとうございます。元徳公に感謝のお言葉お伝え下さい」
そう答えると、続けて言った。
「杉が来てくれるとは。それにしても久しいの」
「すまん。聞多。なかなか落ち着かんかった。訃報が高輪に届いたところ、ちょうどおって、元徳様が行けとおっしゃってくださりやっとじゃ」
「宮内省に出仕とか」
「あぁそのへんが、僕にはあっていると思っての。あまり頼りにはならんが、気晴らしにはなるぞ」
「あぁ助かる。そうじゃ」
馨はそう言うと、たって人を呼びに行かせた。武子がやってくると紹介した。
「ワイフじゃ。武子と申す」
「武さん、長州の昔からの友人の杉孫七郎じゃ。東京に出てきて宮内省にお勤めと」
「武子と申します。よろしくお願い申します」
「武子さん、こちらこそ。僕は聞多を頼らにゃいかんゆえ、ご迷惑かけるかもしれん。まずは、よろしくお願いします」
「なにかお持ちいたします。お待ちください」
武子は奥に下がっていった。
「気になさらんでください」
「まあええ。気を使ったんじゃろ」
「それにしても、ええ奥方様じゃ」
「じゃろ。恋女房じゃ」
「思ったより元気で良かった」
「おぬしの顔を見たからじゃ」
しばらく二人は話をして、杉は帰っていった。
「杉様、おいでなされてようございました。これもお母上のご縁でございますな」
「そうじゃな」
馨は少し穏やかな顔になっていた。ここにきてやっと俊輔とも違う、気のおけない友人が現れたのだ。
母の喪中も開けて出仕をした馨を待ち受けていたように、佐伯が大量の書類を運んできた。
「大輔のお休みの間の様々な業務についての書類です。あぁここにオリエンタルバンクからのニューイヤーパーティの招待状がございます。一年とは早いものですね。あちらは12の月で一年なのですね。こちらの来年は13の月がありますが」
「佐伯、もう一度言ってくれんか」
「オリエンタルバンクのニューイヤーパーティのことですか」
「暦のことじゃ」
「あぁ、来年は閏月があることですね」
「西洋の暦と日本の暦にひと月の差が、あるっちゅうことじゃな。今まで気が付かんかった。そうじゃ。暦を変えるぞ。渋沢を呼んでくれ」
佐伯は馨の突然の反応に驚きながらも、今度は何が起こるのかと楽しみになってきていた。
佐伯に呼ばれた渋沢が馨の執務室にやってきた。
「おう、渋沢。母の喪中の間色々すまんかった。沢山の面倒をやらせてしもうた」
「それも私の仕事です。陸奥さんや芳川さんもおられますし、大丈夫です」
「それで、呼び出したことじゃが。暦を至急西洋の太陽暦に変える必要があると、思い至ったのじゃ」
「それは、忙しいことになります」
「いままでなんで気が付かんかったのかと思うのじゃが。さっき佐伯を話しをしての。和暦には閏月があろう。西洋の暦は12ヶ月じゃ。つまり官員の給料を考えると13月と12月とあるのは不便が多い。なれば、西洋の太陽暦を導入して12ヶ月に限定する必要があると思ったのじゃ。渋沢どう思う」
「農業は月齢や太陰暦のほうが都合が良いことが多いと思いますが。たしかに太陽暦を導入して西洋と合わせることも重要ですな。この金に悩まされていることを考えると、来年の給金を13回払うのも辛いことですし」
「そうか。では合わせるためには時間がない。早く正院に上げる建議書の作成を頼む」
「わかりました」
こうして太陽暦が導入された。
12月になった途端、急に年の瀬になってしまった明治5年の出来事だった。ちなみに12月は2日しか無いので、この月の給金は支払っていない。
世の中の流れは、世界の方を向いているのは明らかだった。
昨年馨は、長崎のキリシタンが預けられた先で、たとえ棄教しても家族がバラバラでは可愛そうなので、家族ごとに暮らせるようにしたらどうかと建白を出していた。
今度はようやく、キリスト教の禁教が解けることになった。ただし、それが信教の自由とはなかなかならなかった。
神道を国家の中心としたい流れは、廃仏毀釈運動となっていった。神仏習合は否定され、寺は打ち壊されるようになってしまった。これは寺院の経営にも直結し、寺の宝が二束三文で売り買いされるようになった。そして貴重な美術品も海外に流出するようになっていった。
馨が日々忙しくしている中、気がつくことのなかった問題があった。
きっかけはたまたまなことだったが、陸軍省を巡る問題が表面化した。フランスで大金を使っている日本人がいると噂になっていた。それが長州出身の山城屋だった。
そこから陸軍との繋がり、特に山縣有朋が疑われることになった。山城屋は陸軍省で割腹自殺を遂げ、書類も処分していたことから真相は不明なままになってしまった。
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