51 / 136
幕末動乱篇10 長州征伐を打ち返すには
長州征伐を打ち返すには(5)
しおりを挟む
山口ではイギリス公使から、自分が訪問したいところだが、提督を派遣するので藩公や世子様と対面をはたしたいという話が、取り次がれていた。
歓迎の準備とはいっても、大っぴらにはできない事情もある。長州はまだ一般的には、攘夷の気炎は消えていなかったのだ。
また、うれしいとはっきりとは言いづらいが、この時密航仲間の遠藤謹助も帰国していた。病による中途での帰国だった。
「謹助、中途での帰国残念だったの。じゃがわしら半年ぐらいの成果でも接待掛やっとるんじゃ。おぬしの事頼りにしてるぞ」
「聞多さんと、キング提督の歓迎のお役目するの、楽しみですよ」
「俊輔とはもう会ったのか」
「まだ、下関には着いたばかりでこれからです」
「今度三人で飲みに行くか」
「いいですね」
謹助はようやく笑っていた。残っているメンバーの近況も聞いてみた。
「庸三や弥吉は元気か。頑張っている話は聞いたが。造船と鉄道だったかの」
「金がないなりに、知恵を絞ってやってますよ。薩摩藩も留学生を送っているので、そちらとも親しくなってます」
「一足早い薩長連合じゃの」
「今度はイギリスとも手を結ぶということですね」
「そうじゃ、個人的にはやり取りできても長州としては難しいからの。世子様との対面は重要じゃ」
準備も整ったころ、重大なことが起きた。
帝が崩御されたのだった。
今上帝は長州をお嫌いであったので、朝廷との間も難しくなっていた。新しい帝が立たれれると、変わることも多いだろうという予感がしていた。そのためもあってか、キング提督との晩餐はそのまま行われることになった。
提督の三田尻到着の報を受けて、まず世子様と木戸、広沢といった側近が三田尻に赴いた。その頃遠藤謹助が提督の側近と打ち合わせを行っていた。藩公にもお目にかかりたいという話が出たので、すぐにお目見えできるようように取り計らう約束をした。日数も限られていることなので、すぐに三田尻から山口に使者がたてられた。
まず歓迎の宴を行った。聞多が中心になって、できる限りの洋食と、外国人の口に合いそうなものを集めた。これは、喜んでもらえたようでよかった。
藩主敬親公や世子様には、この宴にお出ましいただいた。聞多と謹助は通訳と接待を取り計らった。
イギリス側にも話をして、藩公や世子様の前ではなるべく儀礼的な話をしていただくように取り計らうようにした。具体的な政治向きのことは、木戸、広沢達とまた別の場を設けた。
その温度差が提督側に伝わったかもしれないが、宴席ができる精一杯のことだった。本来ならば地元の名士や住民からも、歓迎を伝えるべきだったのかもしれないが、攘夷の意識が消え切らない以上、危険は冒せなかった。
聞多と遠藤は提督の船で兵庫まで行くことになった。京・大坂の事情を探りに行くためだ。大坂、京に長州藩士が入ることはまだ認められておらず、薩摩藩邸に入っている品川に連絡を取り、薩摩の吉井幸輔を案内役に送ってもらい、京都に入ることが出来た。
聞多達が薩摩の斡旋で宿泊所とされた宿につくと、早速品川弥二郎がやってきた。
「戦の勝利、めでたい事です」
「公儀との止戦の交渉一筋縄では行かなかったが、あちらの軍はとりあえず退いた。これで、次の段階に進められるようじゃ」
「ということは、いよいよですか」
「それで、京の様子を見てこいということじゃ。薩摩の動きはどうなっとる」
「長州の復権に動いているのですが、公儀の動きは芳しく無いようです。兵庫の開港問題も横たわってますからね」
「なるほどな。大久保さんとか西郷さんには会えるじゃろうか」
「おふたりとも在京です。大丈夫です」
聞多は謹助がただ聞き役に回っていることに気がついた。
「おう、そうじゃ。弥二郎は謹助を知っとるか。戦の前にイギリスから帰ってきた、わしの密航の同士じゃ」
「遠藤謹助です。下関の外国応接接待掛をしております」
「弥二郎は、薩摩藩邸に入って薩摩と長州のつなぎ役をしちょる」
「品川弥二郎です。以後お見知りおきを」
「なに、堅苦しいのは無しじゃ。ゆるりとやろうな」
一通り情報交換が終わると、弥二郎は帰っていった。
「謹助はあまりこういうお役目には興味ないのか」
ふと気になったことをきいた。
「あまり、興味が持てていないですね。僕には英学塾をやるくらいがあっている気がして、お願いしているのですが。なんとも」
「まぁこういう事態じゃ。知識のあるものは生かして、やってくれんことにはすすまんからの」
「そうですね。やれることやっていきます」
「そうじゃ。明日からはついてきてくれればええ」
品川の言葉通り、大久保、西郷と言った薩摩の幹部と会うことができた。特に西郷とは時間をかけて話すことができた。
「お時間をいただきありがとうございます」
まずは礼から始めた。
「京へのご足労に比べればなんともなか」
「わが長州の朝廷への復権の活動、ありがたいことと思っております」
「なかなかうまくいかんが、公儀からの邪魔が入れば最終手段も考えております」
最終手段とは武力倒幕。待ち望んでいた言葉だった。
「そのことについては、わが長州も軍を動かす準備整えております。なれば諸侯会議などないものとして、一日でも早く大政を返上させ、帝を中心とした世を作るべく、ともに働いていきたいと考えております」
そう、佐幕側の諸侯会議に論が向くと、将軍の力は温存されたままになる。それは我らの望む世にはならないということだ。
「薩摩も同意見である。ご安心いただきたい」
「合力の確認出来て、確かな便りを国元に届けられます」
大久保とも同じような話ができて、武力による討幕の時が近づいているのがわかった。しばらく滞在して、帰国のため大阪に向かうと緊急の話として弥二郎が黒田を伴ってやってきた。
「間に合ってよかった」
弥二郎はものすごく上機嫌だった。
「何が起きたのじゃ」
「公儀が長州の征討軍の解兵を決定した。これで本当に戦は終わりだ」
「そりゃ本当か」
「そのことをつづった文だ。木戸さんに渡してください」
「了解した」
「それじゃ、急いで帰らんといけんの」
「西郷さが薩摩に帰りもす。その船にお乗りください」
黒田が言った。
「それは有り難い。お言葉に甘えさせていただく」
西郷とともに船に乗り、三田尻でおろしてもらった。
山口に帰り、薩摩は長州の復権のことがうまくいかない場合は、公儀を見限り断固とした策に出るという話をした。そして京で受けた情報として、三条公達五卿の京への復帰も間近いことも説明した。そうして、この役目が終わったところで、また下関の応接御用掛に任じられたので、下関に向かった。
そのころ高杉の病状は悪化の一方だった。慶応3年4月13日夜高杉晋作は永眠した。公儀を倒す動きを本格化させようという時だったのに、と思うと悔しかった。
ただし聞多にも俊輔にも、立ち止まっている時間はなかった。晋作のやり残したことを、自分たちがやり遂げることが重要だと考えるしかなかった。
そうして同年10月15日には、将軍慶喜が大政を奉還することになる。
歓迎の準備とはいっても、大っぴらにはできない事情もある。長州はまだ一般的には、攘夷の気炎は消えていなかったのだ。
また、うれしいとはっきりとは言いづらいが、この時密航仲間の遠藤謹助も帰国していた。病による中途での帰国だった。
「謹助、中途での帰国残念だったの。じゃがわしら半年ぐらいの成果でも接待掛やっとるんじゃ。おぬしの事頼りにしてるぞ」
「聞多さんと、キング提督の歓迎のお役目するの、楽しみですよ」
「俊輔とはもう会ったのか」
「まだ、下関には着いたばかりでこれからです」
「今度三人で飲みに行くか」
「いいですね」
謹助はようやく笑っていた。残っているメンバーの近況も聞いてみた。
「庸三や弥吉は元気か。頑張っている話は聞いたが。造船と鉄道だったかの」
「金がないなりに、知恵を絞ってやってますよ。薩摩藩も留学生を送っているので、そちらとも親しくなってます」
「一足早い薩長連合じゃの」
「今度はイギリスとも手を結ぶということですね」
「そうじゃ、個人的にはやり取りできても長州としては難しいからの。世子様との対面は重要じゃ」
準備も整ったころ、重大なことが起きた。
帝が崩御されたのだった。
今上帝は長州をお嫌いであったので、朝廷との間も難しくなっていた。新しい帝が立たれれると、変わることも多いだろうという予感がしていた。そのためもあってか、キング提督との晩餐はそのまま行われることになった。
提督の三田尻到着の報を受けて、まず世子様と木戸、広沢といった側近が三田尻に赴いた。その頃遠藤謹助が提督の側近と打ち合わせを行っていた。藩公にもお目にかかりたいという話が出たので、すぐにお目見えできるようように取り計らう約束をした。日数も限られていることなので、すぐに三田尻から山口に使者がたてられた。
まず歓迎の宴を行った。聞多が中心になって、できる限りの洋食と、外国人の口に合いそうなものを集めた。これは、喜んでもらえたようでよかった。
藩主敬親公や世子様には、この宴にお出ましいただいた。聞多と謹助は通訳と接待を取り計らった。
イギリス側にも話をして、藩公や世子様の前ではなるべく儀礼的な話をしていただくように取り計らうようにした。具体的な政治向きのことは、木戸、広沢達とまた別の場を設けた。
その温度差が提督側に伝わったかもしれないが、宴席ができる精一杯のことだった。本来ならば地元の名士や住民からも、歓迎を伝えるべきだったのかもしれないが、攘夷の意識が消え切らない以上、危険は冒せなかった。
聞多と遠藤は提督の船で兵庫まで行くことになった。京・大坂の事情を探りに行くためだ。大坂、京に長州藩士が入ることはまだ認められておらず、薩摩藩邸に入っている品川に連絡を取り、薩摩の吉井幸輔を案内役に送ってもらい、京都に入ることが出来た。
聞多達が薩摩の斡旋で宿泊所とされた宿につくと、早速品川弥二郎がやってきた。
「戦の勝利、めでたい事です」
「公儀との止戦の交渉一筋縄では行かなかったが、あちらの軍はとりあえず退いた。これで、次の段階に進められるようじゃ」
「ということは、いよいよですか」
「それで、京の様子を見てこいということじゃ。薩摩の動きはどうなっとる」
「長州の復権に動いているのですが、公儀の動きは芳しく無いようです。兵庫の開港問題も横たわってますからね」
「なるほどな。大久保さんとか西郷さんには会えるじゃろうか」
「おふたりとも在京です。大丈夫です」
聞多は謹助がただ聞き役に回っていることに気がついた。
「おう、そうじゃ。弥二郎は謹助を知っとるか。戦の前にイギリスから帰ってきた、わしの密航の同士じゃ」
「遠藤謹助です。下関の外国応接接待掛をしております」
「弥二郎は、薩摩藩邸に入って薩摩と長州のつなぎ役をしちょる」
「品川弥二郎です。以後お見知りおきを」
「なに、堅苦しいのは無しじゃ。ゆるりとやろうな」
一通り情報交換が終わると、弥二郎は帰っていった。
「謹助はあまりこういうお役目には興味ないのか」
ふと気になったことをきいた。
「あまり、興味が持てていないですね。僕には英学塾をやるくらいがあっている気がして、お願いしているのですが。なんとも」
「まぁこういう事態じゃ。知識のあるものは生かして、やってくれんことにはすすまんからの」
「そうですね。やれることやっていきます」
「そうじゃ。明日からはついてきてくれればええ」
品川の言葉通り、大久保、西郷と言った薩摩の幹部と会うことができた。特に西郷とは時間をかけて話すことができた。
「お時間をいただきありがとうございます」
まずは礼から始めた。
「京へのご足労に比べればなんともなか」
「わが長州の朝廷への復権の活動、ありがたいことと思っております」
「なかなかうまくいかんが、公儀からの邪魔が入れば最終手段も考えております」
最終手段とは武力倒幕。待ち望んでいた言葉だった。
「そのことについては、わが長州も軍を動かす準備整えております。なれば諸侯会議などないものとして、一日でも早く大政を返上させ、帝を中心とした世を作るべく、ともに働いていきたいと考えております」
そう、佐幕側の諸侯会議に論が向くと、将軍の力は温存されたままになる。それは我らの望む世にはならないということだ。
「薩摩も同意見である。ご安心いただきたい」
「合力の確認出来て、確かな便りを国元に届けられます」
大久保とも同じような話ができて、武力による討幕の時が近づいているのがわかった。しばらく滞在して、帰国のため大阪に向かうと緊急の話として弥二郎が黒田を伴ってやってきた。
「間に合ってよかった」
弥二郎はものすごく上機嫌だった。
「何が起きたのじゃ」
「公儀が長州の征討軍の解兵を決定した。これで本当に戦は終わりだ」
「そりゃ本当か」
「そのことをつづった文だ。木戸さんに渡してください」
「了解した」
「それじゃ、急いで帰らんといけんの」
「西郷さが薩摩に帰りもす。その船にお乗りください」
黒田が言った。
「それは有り難い。お言葉に甘えさせていただく」
西郷とともに船に乗り、三田尻でおろしてもらった。
山口に帰り、薩摩は長州の復権のことがうまくいかない場合は、公儀を見限り断固とした策に出るという話をした。そして京で受けた情報として、三条公達五卿の京への復帰も間近いことも説明した。そうして、この役目が終わったところで、また下関の応接御用掛に任じられたので、下関に向かった。
そのころ高杉の病状は悪化の一方だった。慶応3年4月13日夜高杉晋作は永眠した。公儀を倒す動きを本格化させようという時だったのに、と思うと悔しかった。
ただし聞多にも俊輔にも、立ち止まっている時間はなかった。晋作のやり残したことを、自分たちがやり遂げることが重要だと考えるしかなかった。
そうして同年10月15日には、将軍慶喜が大政を奉還することになる。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
武蔵要塞1945 ~ 戦艦武蔵あらため第34特別根拠地隊、沖縄の地で斯く戦えり
もろこし
歴史・時代
史実ではレイテ湾に向かう途上で沈んだ戦艦武蔵ですが、本作ではからくも生き残り、最終的に沖縄の海岸に座礁します。
海軍からは見捨てられた武蔵でしたが、戦力不足に悩む現地陸軍と手を握り沖縄防衛の中核となります。
無敵の要塞と化した武蔵は沖縄に来襲する連合軍を次々と撃破。その活躍は連合国の戦争計画を徐々に狂わせていきます。

忍者同心 服部文蔵
大澤伝兵衛
歴史・時代
八代将軍徳川吉宗の時代、服部文蔵という武士がいた。
服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。
忍者同心の誕生である。
だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。
それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―
三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】
明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。
維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。
密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。
武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。
※エブリスタでも連載中


日本が危機に?第二次日露戦争
杏
歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。
なろう、カクヨムでも連載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる