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第一章 高慢令嬢成敗編

第九話 身分上等

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「——まず、これで一つ明らかになったことがあるわ。アンナが、『平民だから』というだけの理由で、執拗な嫌がらせを受けているということよ」

 リズは大衆を目の前にしても物怖じすることなく、真っ直ぐに前を見据え、静かに講じ始めた。

「彼女が入学してから今までに受けてきた嫌がらせは、数知れないわ。教科書を隠されたり、運動着をぐちゃぐちゃにされたり——挙句、噴水に突き落とされたり。彼女の脚、包帯が巻いてあったのに気がついたかしら? あれは、その時にできた傷よ」

 その言葉を聞いて、観衆がにわかにざわつき始めた。
 すると、いつの間にか脇に控えていたシリルが、先程アンナが見て絶望の色を浮かべたあの原稿を掲げた。

「これは、先程アンナさんが読もうとしていたものです」

 彼の持った原稿大の紙には、大きな字で『平民風情が』と書かれている。

「見えない方もいるとは思いますが、こんな言葉を声を大にして言うのは躊躇われますので、控えさせていただきますね。——それにしても一体、誰がこんなものと本物の原稿をすり替えたのでしょうね。……まぁ、今ここにいる全員の身体検査を行えば、それも分かることでしょう」

 シリルは珍しくその美麗な顔から笑みを消し、冷たい視線で客席を見下ろした。その低い脅しの声に、当事者である令嬢たちはさっと青ざめた。それを見て、リズは溜息を一つ落とした。

「私は、犯人捜しがしたい訳ではないの。だから、今は身体検査は行わないわ。ただ、私は貴方たちに伝えたいことがあるだけ。
……身分——生まれの違いだけで、こんな仕打ちを受けるなんて、散々だわ。私だったら、とても耐えられない。貴方たちはどう? もし自分が平民の身分だったら——なんて、きっと想像したこともないでしょうね」

 そこでリズは、どこか哀しげに目を伏せた。しかし、再び顔を上げた瞳には、強い意志の炎が宿っていた。

「アンナだけではないわ。この学園では、驚いたことに、日頃から平民に対する嫌がらせや差別があるそうね。それを聞いた時、私は悲しくなったわ。貴族という身分に生まれてしまっては、それが当たり前の行動だと感じるのかもしれないけれど……果たしてそれで、胸を張って自分の家を名乗ることはできるのかしら? 私だったら、無理だわ」

 彼女が冷たく言い放つと、客席の生徒たちは僅かにたじろいだ。

「貴方たちは、貴族とか平民とか、馬鹿馬鹿しい『身分』なんかに拘っているようだけど。そんなの、私に言わせれば、実に愚かなことだわ。
貴族だろうと平民だろうと、同じ人間でしょう? 身分が違ったって、何も違わないわ。——そこに、一人の人間がいるだけよ」

 リズは真っ直ぐな声で、眼で、そう言った。

「……貴方は、私たち貴族の生活が、誰の手によって支えられているか、知ってる? 一度でも、考えてみたことがある?
そうよ。私たちの恵まれた生活は、他でもない平民の労働によって支えられているの。豪華な食事も、上等な衣服も、大きな屋敷も、こうした教育も。私たちは、数多くの平民の支えがあってこそ、こんな幸せな生活を送っていられるのよ。
農家がいなければ、食事は取れない。機織りがいなければ、服は着られない。大工がいなければ、屋敷には住めない。
貴族は、この事実をよく理解するべきだわ。私たち貴族は、決して平民よりも優れてなんかいない」

 リズがそう言い切ると、客席から憤慨の声が聞こえた。リズは全く動じることなく、論じ続けた。

「——じゃあ、私たちに、汗水垂らして自分の手で野菜が育てられる? 糸から布を織ることはできる?
きっと答えは、否でしょう。
だから私たちは、平民よりも優れているなんて思ってはいけないわ。
貴族は、平民あってこその貴族よ。
平民がいなければ、私たちはこんな恵まれた暮らしを送ることはできない。それを忘れて、平民を蔑み、見下すのは間違っているわ。平民に対しても、敬意を持って接するべきよ。
それができて初めて、貴族としての自分を誇れると、私は思うわ。私たちは、人の上に立つ身分。それは、生まれた瞬間から定められている、いわば運命よ。だからこそ、私たちは知らなければいけない。平民と呼ばれる人々がいて初めて、貴族は成り立っているのだという事実を。
それを知らずに、知っていたとしても見て見ぬ振りをして、身分をかざして威張り散らすのは、それこそ貴族の名折れだわ」

 リズはそこで一旦一呼吸置き、脇に控えるシリルを見遣った。いつの間にか聴衆の視線は彼女に釘付けになっており、息遣い一つさえも聞こえないほど講堂は静まりかえっている。

「——私は昔、偶然知る機会があったから、今のように心持ちを変えることができただけなの。貴方も、まだ遅くはないわ。
これを聞いて少しでも心を動かされたなら、貴方も、今日からその身分に凝り固まった考え方を捨てて、心を入れ替えて。それはきっと、貴方のためになることだから。貴方の心を、今よりずっと豊かにしてくれるはずよ。
だからこんな、馬鹿馬鹿しい差別はもうやめて。
全ての人々が、身分なんて関係なしに、等しく素晴らしい人生を送ることができる。そんな学園を——世界を、共に創りましょう」

 リズがそう言い、生徒たちを真っ直ぐな眼差しで捉えた瞬間、会場は一気に沸いた。リズのスピーチに感銘を受け賛同の声を上げる者もいれば、声を上げて涙を流す生徒までいた。
 その場の誰もが、彼女の言葉に胸を打たれ、感動を覚えた。それと同時に、自分の今まで当たり前だと思っていた差別的な思想が、彼女の言う通りいかに愚かしいことだったのかに気づき、後悔や恥辱に打ち震える者もあった。
 もちろんそうでない者たちもいたが、彼らが自分の凝り固まった考え方に気がつくことができたのは確かだ。例の令嬢たちでさえ、ただ茫然と舞台上の彼女を見つめ、涙を流していることにさえ気づいていない様子だ。

 リズは壇上からそれを見て、一人静かに柔らかい笑みを零した。先程までの鋭い眼光はどこへやら、それは優しく温かい眼に変わっていた。シリルは、その様子を見て、端正な顔に再び穏やかな微笑を湛えた。そしてリズは、未だ熱狂に沸く生徒たちを後に、舞台裏へと入っていった。

 舞台裏には、大粒の感涙を滝のように流しながらそこに立ち尽くすアンナがいた。リズはそんな彼女の手をそっと取ると、真っ直ぐに涙に濡れた琥珀色の瞳を見て言った。

「ほらアンナ、行きましょう。これは、貴方の表彰式よ」
「——っ、はい……!」

 アンナは、両方の手の平で涙を拭いながらこくこくと頷いた。二人が再び舞台上に姿を現すと、客席が静まった。リズは座席を見渡して言った。

「それじゃあ、私たちはもう失礼するわ。式を中断してしまってごめんなさい」

 リズは席に向かって頭を下げると、シリルも一呼吸後に丁寧な一礼をする。そして、リズはシリルに合図を出し、舞台を下りようと足を踏み出した。その時、それを引き留める男子生徒の声が講堂に響いた。

「——お待ちくださいっ! 貴方の、お名前は——?」

 リズは、少し驚いた様子で歩みを止めると、無表情のままアンナをちらりと一瞥してから、ゆっくりと口を開いた。

「……私は——彼女の友人の、リズよ」

 リズはそう言い捨てると、一斉に蜂の巣をつついたような騒ぎになる客席を横目に、シリルを伴って舞台上を後にした。


 そしてその後、アンナの表彰は無事に執り行われた。リズのスピーチの後は、アンナを侮蔑したような態度をとる者はいなかった。むしろ、素直に彼女を祝福する生徒たちが増えたように思われた。
式が終わると、アンナはリズに泣きながら礼を言った。

「——リズ様、本当に、本当にありがとうございます……っ! リズ様は最初から、平民の私にも分け隔てなく接してくださって、あたし、ほんとに嬉しくてっ——!」

リズは大したことじゃないと言うように肩を竦めて微笑むと、彼女を抱きしめた。シリルは、晴れやかな笑顔でそんな二人を少し離れて見ていた。


 表彰式が終わった夜、リズとシリルは二人廊下を歩いていた。廊下に取り付けられた縦長の窓から覗く藍色の空には、黄金色の月が輝いている。二人の他に、周りに人の姿は見えない。
 少しして、リズが徐に口を開いた。

「……ねぇ、シリル」
「はい、何でしょう?」

 ややあって、リズが言った。

「——ありがとう。私一人だったら、きっと解決できなかったわ」

 シリルは、少し拍子抜けしたように色素の薄い瞳を見開くと、次にゆるりと微笑んだ。その微笑みは柔らかく穏やかで、窓から差す儚げな月光のようだ。

「いえ、私は当然のことをしたまでですよ。リズ様は昔からずっと、誰よりも正義感が強かったですからね。ご友人のために立ち上がるリズ様は、とても素敵でしたよ」

 そう言って笑うシリルを見て、リズもつられて頬を緩めた。

「頼りに、してるわよ」
「はい。お嬢様の仰せのままに」

 シリルは胸に手を当て敬礼をした。ぼんやりとした月明かりの中、二人の姿がくっきりと照らし出されていた。
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