お嬢様は悪事がお嫌い——とある公爵令嬢と執事の華麗なる成敗譚——

夜宵 蓮

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第一章 高慢令嬢成敗編

第六話 青天の霹靂

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「——それで、その後どう? 何か分かった?」

 アンナについての話し合いから数日後。リズとシリルの二人は、リズの授業後に合流し、共に廊下を歩いていた。外廊下に出て、人通りが少なくなってきた頃、リズが話を切り出した。

「はい。この前の食堂での一件の当事者であるご令嬢を調べてみましたが、どうやら今回の事件とは無関係のようです。調査中、特に変わった行動は見られませんでした。また、アンナさんを尾行している最中、ある令嬢たち四人のグループに遭遇したのですが……恐らく、首謀者は彼女たちでしょう。アンナ様を突き飛ばし、罵声を浴びせていました」
「……そう。それって、もしかして……」
「お嬢様も、目星はついているのですか?」

 顎に手を当て呟いたリズを見て、シリルは意外そうに尋ねた。リズは静かに頷いた。

「えぇ。アンナの運動着がなくなった時、誰よりも先に彼女を笑っている令嬢たちがいたのよ」
「それはかなり怪しいですね……」
「そうね。貴方が調査に行っている間、彼女たちを知っている生徒に聞いてみたんだけど、伯爵家のご令嬢たちみたいよ。彼女たちがアンナの悪口を言っているのを聞いたことがあるって生徒もいたわ」

 シリルは主人が珍しく行動的なのに驚き、目を見開いた。

「そうでしたか、助かります。……お嬢様がそんなに積極的に行動されるなんて、珍しいですね」
「何よ。私が、いつもは消極的だって言いたいの?」

 むっとして言うリズに、シリルは悪戯っぽく肩を竦めた。

「そういうわけではありませんよ」

 ——するとその時、二人はくすくすと笑う数人の令嬢たちとすれ違った。リズは、彼女たちを見るなり目を見張って立ち止まった。シリルはリズの異変に気がつき、そっと耳打ちする。

「もしかして……彼女たち、ですか?」

 リズは、一度深く息を吸い込むと、息を吐くと共にシリルに告げた。

「……えぇ、彼女たちよ」

 リズはたった今すれ違った令嬢たちを振り返ると、不愉快そうに顔をしかめた。リズの言葉を聞いて、シリルもその後ろ姿を目で追った。

「俺が見たのも、彼女たちで間違いありません」
「何か、嫌な予感がするわ。行きましょう」

 リズはそう言うと、考えるよりも先に歩き出した。シリルもその後を追う。そうして二人は、令嬢たちがやってきた方へと早足で向かっていった。


 二人が向かった先には、初秋の花々の咲き誇る美しい中庭があった。その中心には、大きく優雅な噴水が佇んでいる。
 それを見て二人が息を呑んだのは、噴水の縁に足を投げ出すようにして、水の中にへたり込むアンナがいたからだ。噴水の水が彼女の頭上から容赦なく降り注ぎ、顎や服の端から滴っている。

「——アンナ!?」

 リズは、柄にもなく大きな声を上げると、アンナに駆け寄った。

「リズ様、シリル様……」

 アンナは二人に気がつくと決まり悪そうに苦笑し、顔にかかる濡れた髪の毛を払った。その制服はぐっしょりと濡れており、噴水のへりで擦ったのか、脚からは血が流れている。アンナは自力で立ち上がろうとして失敗し、顔をしかめた。リズが、その手を掴んで立ち上がらせる。

「アンナ様、少し失礼しますよ」

 シリルは胸ポケットからハンカチを取り出すと、その顔に付いた水滴を優しく拭き取った。アンナは以前のように頬を染めることはなく、その目からは何の感情も読み取れない。リズはアンナを覗き込むと、切羽詰まって尋ねた。

「……アンナ、何があったの?」

 すると、アンナは俯いたまま首を横に振った。

「何でもないんです。うっかりしてたら、噴水の中に落ちちゃって」

 アンナはそう言うと顔を上げ、苦しそうに笑った。彼女は隠そうとしているつもりなのかもしれないが、何があったのかは事情を知る二人には一目瞭然だった。リズとシリルは黙って顔を見合わせると、深刻な面持ちで頷いた。シリルは膝を立てると、「失礼します」と言ってアンナの脚に付いた血を拭き取った。そのまま目を細めてアンナの足を診る。

「——傷はそれほど深くないようですが、なかなか血が止まりませんね。着替えも必要ですし、とりあえず保健室に行きましょうか」

 アンナは何も言わずに頷いた。シリルは、ハンカチを彼女の傷口に巻いて立ち上がった。

「よろしければ、肩をお貸ししましょうか?」
「いえ、いいんです」

 気を遣ってそう提案するシリルに、アンナは頭を振った。

「そうですか……」

 依然心配そうな顔をしつつ、シリルは先立って歩き出した。シリルに続き、リズも、アンナの横に並んでゆっくりと歩き出す。リズはアンナの横顔を窺いながら、心の中で無力な自分に憤っていた。


 保健室で着替えを済ませたアンナは、あるベッドにて女性の養護教諭から足の傷の手当を受けていた。その間にリズとシリルは、保健室の責任者で医師の資格を持つ、ある養護教諭に打診していた。

「——そういう訳なんだけど、少しの間だけここでアンナと話させてくれない?」

 そう前のめりに問うリズに、黒髪の男性は困ったように苦笑した。

「リズ、いくら従兄妹と言ったって僕はここじゃ先生なんだから、その口調はいただけないな」
「それじゃあ、ここで少しだけアンナと話をさせてくれませんか? カートレット先生」

 カートレットは溜息をつくと、渋々といったように言った。

「……仕方ないなぁ、特別だよ?」

 言葉とは裏腹に、そのどこかリズに似た端正な顔には、優しい微笑が浮かべられている。リズはそれを見てふっと表情を崩し、彼に感謝を伝えた。

「ありがとう、ヘンリー。じゃなくて、カートレット先生」
「俺からも、ありがとうございます」

 シリルも礼を述べると、カートレットは二人の目を真っ直ぐに見て言った。

「いいんだよ。生徒の心の健康を守るのも、教師の役目だからね。……彼女のこと、頼んだよ?」

 養護教諭として何年もこの学園に勤めてきたカートレットは、アンナが平民出身であることも、平民の生徒がここでどのような扱いを受けているかも知っていた。
 リズとシリルは、カートレットの視線をしっかりと受け止めて頷いた。

「えぇ。分かってる」
「お任せください」

 二人の決意を見て取ると、カートレットは安心したように頬を緩めた。

「あぁ、それと、シリルはリズのことも頼んだよ」
「はい、もちろんでございます」

 カートレットに言われると、シリルは微笑んだ。リズは不満げな顔だったが、シリルに目配せをすると保健室の受付であるカウンターを出て行った。シリルも、そのすぐ後に続く。カートレットは回転椅子に座ったまま、その後ろ姿を静かに見送るのだった。


「ねぇ、アンナ。話したいことがあるのだけど」

 リズとシリルがカーテンを開けて中に入ってきた時、治療を終えベッドに座っていたアンナは驚きに目を見張った。

「——リズ様、それにシリル様も……まだいらっしゃったんですか? 授業、もう始まってますよ」
「そんなのどうだっていいわ。それに次の授業は科学だから、きっと大丈夫」

 リズの有無を言わせぬ口調に、アンナは諦めたように笑うと目を伏せた。

「それで……何があったのか、本当のことを話してほしいの。貴方は、そんなにしょっちゅう失くし物をするような人じゃないし、間違って噴水に落ちるほど不注意な人でもないはずよ。……本当は、何かあるんでしょう? お願い、教えて。一人で苦しむことはないわ」

 リズの熱のこもった言葉に、アンナは一瞬口を開きかけたが、すぐにそれも閉じてしまった。しばらくの沈黙の後、アンナはようやく震える声で言った。

「——それは、無理です」

 その言葉を聞いて、リズは目を見張った。

「そんな、どうして——」
「これ以上、リズ様を巻き込みたくないんですっ! こんな私を助けてくれて、仲良くしてくれて……もう、十分です。苦しむのは、私一人で十分ですから」

 アンナの叫びを聞いたリズは、その華奢な肩を震わせ始めた。そして彼女が顔を上げた時、その顔には紛れもない怒りが浮かんでいた。

「……そうやって貴方は、また『迷惑をかけたくない』って私を突き放すの? 心配くらい、させてよ。時には迷惑をかけ合って、それでも支え合い助け合っていくのが、本当の友人じゃないの? 今の私は、貴方にとってそれ以下なの? 私は——私は、貴方と本当の『お友達』になりたいの!」

 リズは一息で言い切ると、荒い息を整え、真っ直ぐにアンナを見据えた。

「——だから、お願い。本当のことを、話して」

 アンナは、リズの視線を受け止めた。その瞳には、みるみる涙が溜まっていく。

「——っ、リズ様……!! ごめんなさい、ごめんなさい——……!」

 そしてついに、涙は彼女の頬を大粒の雨のように零れ落ちた。リズはそんなアンナを優しく抱きしめた。アンナは、まるで小さな子供のように声を上げて泣いた。

「……あたし、本当は、ずっと、ずっと辛くて——っ」
「ごめんなさい。もっと早くに、気づくべきだったわね」

 リズは、縋りつくアンナの頭をそっと撫でた。唇を噛み締めるその顔は、アンナの心象を汲み取って苦しそうに歪んでいる。
 しばらくして、保健室に響く嗚咽の音が収まると、シリルはどこからかハンカチを取り出し、静かにアンナに差し出した。それは、先程彼女の足に巻いたハンカチとはまた違うもので、新雪のように美しい白をしていた。

「……っ、ありがとうございます」
「いえ。いいんですよ」

 労わるように微笑むシリルに礼を言い、それを受け取ったアンナは、既に涙の渇きかけている頬を拭った。リズは、抱きしめていた彼女からゆっくりと離れると、涙に濡れて輝く琥珀色を真っ直ぐに見つめた。

「話して、くれるわね」

 その問いかけはほとんど確信に近い響きを帯びており、アンナもゆっくりと首肯した。

「——はい」

 そして、アンナはゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
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