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◆episode14

~時空再編~

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 光に満たされた世界。
 静寂につつまれたそこは0であり∞の空間。
 影が存在する事が許されないそこにあったのは一粒の種。
 どこからか現れた勾玉の様な形をした赤と青の光が種に吸い込まれると、種が輝き出して根が生まれ周囲に拡がっていく。
 根が張ると同時に種からは芽が顔を出し小さな二葉を広げた。その二葉の間からさらなる芽が現れ成長し、茎となり、そこから新たな芽が生まれ出る。
 融合と分岐を繰り返して種から生まれ出た芽は茎となり、茎はやがて幹となり、葉を生い茂らせた。
――その樹は世界であり、生命の樹と呼ばれるもの。
 光は「アイ」で満ち、それを養分として吸収する為に樹は根を伸ばし、枝葉を伸ばしてさらに成長し繁栄していく――大樹となったその樹からは喜びだけが溢れていた。そしてその喜びは結晶となり花を咲かせる。
 花が実を結び散り去った後、実は成長を続け成熟すると枝より離れて落ち、そこで新たな生命の樹として成長を始めた。
 一粒の種から始まった生命の営みと繁栄は大樹となり林となり、森となり、その繁栄を妨げるものはなく無限に生命の樹の森が拡がっていく――。
 その一瞬とも永遠とも思われた繁栄の時の記憶をピリカは「視ていた」。
 空間自体が光り輝いている為、影が存在する事が許されない世界。
 木々からは喜びがあふれ、命溢れる平和な世界の光景であったが、第六感のようなものがピリカの魂に警告を発する。
――違う!
 その警告が自我を呼び戻したのか、どんどんピリカの意識がはっきりしてくる。
「——たしか、アマテラスから金色の光が出て世界が光の洪水に飲み込まれちゃったんだっけ…?」
 ピリカの呟きに応えるものはなく、ピリカは森の中で一人ぼっちでいる事に気が付いた。
「…エル? …サクヤちゃん?」
 磐船の中で一緒にアマテラスの様子を見ていたはずのエルとサクヤの気配はなく、戸惑いを隠せない様子でピリカは周囲を見回すが、見渡す限り深い森が広がっているだけであった。
「この森…何か変…」
 そう感じる原因を探るべく、ピリカは森を眺めているうちにその理由に気が付く。
「…そっか、ここ静かすぎるんだ。小鳥さんたちのさえずりも聞こえなければ、風のささやきも川のせせらぎの音も無い」
 森の中で育ったピリカからすれば不自然極まりない森。
「エルとサクヤちゃん…どこに行ったのかな?」
 そう呟くとピリカはエルとサクヤの姿を探して歩き出した。
 進めど進めど果てしなく続く同じ木だけの森。一見緑豊かな森ではあるが、見渡す限り他の植物や小動物といった生き物の姿は見えず、精霊や妖精の気配すらない。この森の異様な世界から一刻も早く逃げ出したいという衝動にピリカはかられながら声を張りあげた。
「エル~、サクヤちゃん、どこ~?」
 ピリカの呼びかけに応える者はなく、その声は虚しく森の中に吸い込まれる。
「…どうしよう」
 日ごろはお気楽なピリカではあるが、さすがにこの不自然な森の中でひとりぼっちでいる事に不安を覚えて、心細い気持ちを隠せない様子であった。
「スサとアオたちの能力をアマテラスで増幅させてみんなの波動を上昇させて、次元の歪みを解消させるって話だったのに…こんな変な森と私だけになっちゃったのって、失敗しちゃった…?」
 そんな呟きをピリカは漏らすが、その答えを知る者はここにはいない。
「精霊さんがいれば案内をお願いできるのに、どこにもいない感じだし…」
 森の中の精霊の気配を探るが、やはり何の気配も感じる事が出来ず、ピリカは途方に暮れる。
「この木からは喜びみたいなのは感じるんだけど、精霊さんみたいにはっきりした固有の意識がないのも変なんだよね…」
 不気味なものを見るような目でピリカは立ち並ぶ木々を見回すと、ダメ元で他に精霊がいないか呼びかけてみる事にした。
「――天と地の結び…火と水の契約の友よ…姿を現し給え…」
 ピリカは精霊に呼びかける言葉を紡ぐが辺りは静まり返ったままである。
「やっぱりダメかぁ…」
 予想通りではあったが、万が一にでも応えてくれる精霊がいればという期待があったピリカは、がっかりした様子で肩を落とす。
「こんな世界を作り出す為にスサやアオ、ワッカが犠牲になったっていうの…?」
 確かにこの世界には争いも無ければ悲しみも無い。生きる喜びに満ちた木々の森はあるが、単色に塗りつぶされた様な世界をピリカは美しいとは思えなかった。
「たくさんの命であふれるあの世界に戻して…」
 ピリカはそう呟きながら手を合わせる。
「悲しみのない世界は大切だけど、いろんなみんなが輝かなきゃ意味がない――こんな世界なんて誰も望んでいなかったはず…お願い…元に戻して」
 何に祈っているのかもわからないままピリカが祈っていると、その祈りに応える様にピリカの頭の中に言葉が響く。
――それが汝の望みか?
 驚いたピリカは祈るのを止めて顔を上げる。
「…誰?」
 ピリカの問いかけに応える事無く、それはもう一度同じ言葉を繰り返した。
「…私はいろんな命が笑って暮らせる世界が好きなの——ここには悲しみも苦しみも無いかもしれないけれど、一つの種だけなんておかしな世界私は要らない」
 はっきりとそう言うと、それに応じる様に大きな扉がピリカの前に出現した。
――求めよ。されば与えられん。
「そんなの当たり前だよ。待ってるだけじゃ何も変わんないもん」
 ピリカは何の迷いを見せる事無くそう言うと、目の前の大きな扉を見上げる。
 その扉には精巧なレリーフが刻まれていたのだが、見覚えのあるデザインにピリカの視線が釘付けになった。
「地の磐戸と同じ模様…」
 ピリカが言うようにその扉の真ん中付近には、地の磐戸にも刻まれていた○の中にゝが入った特徴的な模様が刻まれている。
「この模様…スサを表す調和の模様で、対なるものの事だったよね…」
 最初にこの文様を目にした時にも何か心に引っ掛かった事を思い出してピリカはその場で考え込んだ。
「天と地、太陽と月、火と水、男と女…って話から――あ、物質界と精神界、過去と未来を一つにしたらどうなるんだろう? って話になったんだっけ」
 アオとの会話を思い出して、ピリカは目の前の扉に刻まれた模様を改めて見返す。
「地の磐戸の模様がこの扉にもあるって事は、もしかして対となる存在?」
 ふと浮かんだ考えを口にした瞬間、その考えは確信に変わる。
「多分…ううん、きっとそうなんだ。地の磐戸の対になるものって事は、この扉は天の磐戸…」
 地の磐戸を開ける為の装置があった様に、目の前の天の磐戸を開く為の装置が無いかとピリカは周囲を見回すが、それらしきものは見当たらない。
「まあ、この扉の中に何かが閉じ込められてる訳ではなさそうだから、鍵になる装置なんていらないのかな?」
 詳しい事はよく分からないが、とりあえず扉が開くかどうかを確かめようと、ピリカは扉に手を触れた。その次の瞬間、扉に光の文字が現れ、その文字はレリーフの上を流れていく。
 地の扉の鍵となっていた装置が作動した時の光景とデジャブを感じて、ピリカは軽いめまいの様なものを覚える。
 光の文字列の動きが止まると同時に、天の磐戸はアマテラスが作動した時と同じように強い光を放ち、その光の波にピリカは再び飲み込まれた。

 ピリカは再び「視て」いた。
 ある時は哲学者として自然と対話し、ある時は馬で草原を馳せる。光り輝くガラスの街で祈りを捧げ、また漆黒の中に瞬く星々を旅する。男であったり女であったり、若者であったり老人であったり、街の風景も着ているものも、肌の色も違う者であったが、それは全て「私」であった。
 生まれ変わり死に変わりを何度も何度も繰り返していた記憶が蘇る。
――そうか。そうだったんだ…。
 物質界で一つの学びを終えた魂は精神界に戻ると学んだ事の整理をして、自分が学びたい新たなるテーマを決め、新しい肉の衣を纏う事となる。
 新たな肉の衣を纏った後、母体の中で羊水に浸かっているうちに、魂に刻まれた記憶は新たな学びには妨げとなる為封印される――肉の衣を纏う際、学びと場となる場や家族構成、テーマは自分で選んで決めているのであるが、魂の記憶にその選択した事も封印されている為、生まれ出て苦難に見舞われた時に思い悩み挫折する事もあるが、それもまた学びの一つであった。
 魂の学びの仲間達と出会い、共に過ごし、そして別れ――常に大好きな者達の笑顔を願い過ごしてきた記憶の封印が解かれ、ピリカは悟る。
 スサやアオの様な存在ではないけれど、自分もまたこの世界と関わり続けていたのだと。美しくも醜いこの世界とそこに住む者達を護りたいというスサやアオ、ワッカの気持ちは今ならよく理解する事ができる。
――幾星霜の時の流れの中で、皆で作り上げた美しくも醜いこの世界という織物。虚無に還して全てが意味のないものにだけはしたくはない!
 そんな強い想いにピリカは駆られる。
「現在過去未来、中今とアオが言ってた…今なら私も出来るかも…」
 予感と確信が入り混じった不思議な感覚を感じてピリカはそう呟くと、強い想いを込めて叫ぶ。
「次元の歪みの元となった場所へ私を誘へ! 必ずそれを止めてみせるから!」
 その叫びに応えるかのように空間が震え出し虚空に飲み込まれたかのようにピリカは姿を消した。

 次にピリカが「視て」いたのは、洞窟の中の急な坂道であった。
 坂の下から一人の男性が必死な形相で駆け上がって来るのが見え、その後を女が追いかけていた。
 地上への出口近くに辿り着いた男は今来た道を振り返り地面に手を付くと何かを唱える。それに応える様に地面が壁の様にせりあがり道を塞ぐと、安堵した様に男はその壁にもたれ掛かる様に座り込んだ。
 男を追いかけていた女は壁に行く手を阻まれ、壁に向かって叫ぶように訴える。
「嘘つき! 私を迎えに来たんじゃなかったの⁈」
「…化け物を迎えに行った覚えはない!」
「化け物⁈」
 男の言っている事が理解できない様子で女は怪訝な表情になる。
「私の愛した妻はお前の様な醜い化け物などではない。お前は私をたばかろうとしているのであろう」
「あなた何を言ってるの⁈」
「去れ。葦原中の国はお前の様な化け物が住む所ではない!」
 男の罵詈雑言に女はさめざめと泣きだす。
「一体あなたはどうしてしまったと言うの? 根の国の神様にお許しをいただいたので、黄泉還りのお支度をしていただけなのに…化け物だなんて…酷い…」
「その様な嘘で私が騙されるとでも思っているのか」
 男は壁にもたれ座り込んだまま顔を上げる壁の向こうにいる女に「この壁がある限り、お前はこちらへは来られまい」と言って、勝ち誇ったように言い放った。それを聞いた女の目から涙がぽろぽろと零れ落ちる。
「永遠に君を愛し護り続けるって言っていたのに…嘘つき…」
 消え入るような女の言葉を聞いたピリカは見兼ねて二人に声をかける。
「あの…このお姉さん、化け物なんかじゃないよ?」
 狭い洞窟の様な坂道で、しかもその道を壁で塞いだ事に安堵していたところで、突如ピリカが姿を現したので男は驚愕する。
「お…お前は誰だ⁈」
「…誰でもいいじゃない。それより壁の向こうの彼女泣いてるよ?」
「…み…見えるのか⁈」
 予想もしなかったピリカの言葉に男は更に驚く。
「うん。きれいな女の人が壁の向こうで泣いてるのが見えるよ」
「きれいだと?」
「縞瑪瑙の勾玉の耳飾りをしていて、長い髪の毛を綺麗に結い上げたきれいな女の人」
「…縞瑪瑙の勾玉の耳飾りは確かに我妻が好きで身に付けていたものであるが…」
 ピリカの話を聞いて男はまさかといった表情に変わる。
「ねぇねぇ、何があったの? 黄泉がどうとかこうとかいう話が聞こえてきたんだけど…」
 ピリカのその言葉は壁の向こうの女にも聞こえていたようで、女は泣くのを止めて事情を説明し始めた。
「…わたくしがお役目の為に黄泉に里帰りをしてお手伝いをする事となったのですが、そこにいる夫が葦原中に一人で過ごすのは寂しいと、戻って来て欲しいとわざわざ黄泉まで迎えに来てくださいましたので、根の国の神様にお許しをいただいて帰りの準備をしていた所、夫が突然何の説明もなく私を置いて逃げだしたのです」
 何が何だかわからないし、迎えに来たはずの夫がいきなり逃げ出したとなれば、女の面子は丸つぶれで黄泉での評判にも関わるので、慌てて後を追いかけてきたのだと女は言う。
「…そりゃあ、迎えに来たはずの旦那さんが突然逃げ出したら、訳が分かんないし恥ずかしいよね」
 女の話にピリカは同意すると、男の方に向き直り男側の事情を尋ねた。
「今の話…黄泉に我が妻を迎えに行った所までは、間違いない――が、黄泉にいた妻が戻るには許可が必要だからといって事情説明に行ったので、私は許可がもらえるか心配でその様子を覗き見すると、そこには我が妻の姿は無く、そこにいたのは化け物ばかり。私は危うく化け物に騙されるところだった事に気が付いて慌ててそこから立ち去ったら、壁の向こうの化け物が追いかけてきたので、追ってこられない様にこうして壁を作ったのだ」
 男の説明を聞いたピリカは首を傾げる。
「…さっきから化け物、化け物って言ってるけど、壁の向こうのお姉さんはきれいだよ? 黄泉って事は黄泉比良坂を下った世界なんだろうから精神界の事なんだと思うけど、精神界で化け物という程、変なのは見掛けなかったけどなぁ…」
「いかにもここは黄泉比良坂であるが…そなたも黄泉へ行った事があるのに、化け物を見なかった?」
 怪訝そうな顔になる男にピリカは頷く。
「んと、背中に翼が生えてる空飛ぶ人とか、頭に角が生えてる人とかはいたから、それを化け物って言えば化け物かもしれないけど、怖いとか気持ちが悪いってのとはまた違ったし」
「…? 私が見た化け物とは随分違う様であるが…?」
 同じ場所の光景とは思えないと思ったのか、男は首を傾げる。
「お兄さんが見た黄泉の世界ってどんなのだったの?」
「黄泉の世界とは死者の国であるから、魑魅魍魎が跋扈する世界で葦原中と違って暗く汚い場所だと聞いていた通りの世界であった」
「…聞いていた?」
 男の言葉に引っ掛かりを感じてピリカは聞き返す。
「黄泉の世界はそういう場所であるのは常識であろう」
 当然の事を何故訊き返すのだといった様子の男の言葉を聞いて、ピリカはようやく何が起きていたのかを理解した。
「…もしかして、思い込みの力で無いものを作り出して、それを見てるんじゃないかな?」
「思い込み?」
「そう。怖い怖いって思っていたら何でも怖く感じちゃうし、精神界って魂の波動に応じて想いが力を持つから、無い地獄を自分で作り出して自分がそれに縛られる事もあるんだよ」
 かつてあの世と呼ばれる精神界のエンマに見せてもらった、自分が作り出した無い地獄で自縛し苦しみ続ける者達の姿を思い出してピリカが言う。
「化け物は私が作り出した…だと⁈」
「そう。だって、壁の向こうにいるお姉さんは私が見る限り、化け物なんかじゃないし、禍々しい雰囲気なんて全くないもん」
「…」
 ピリカの指摘に男が絶句していると、二人の間を隔てている壁に向かって「黄泉は根の国。魑魅魍魎が跋扈するような世界ではありません――根の国とは葦原中を繁栄させる為には必要不可欠な存在。根の国には黄金の泉のごとく溢れ出ているエネルギーで満ちているので、黄泉の国とも呼ばれているのはそれが理由…。葦原中生まれのあなたと、黄泉生まれのわたくしが協力する事によって新たな種を作り出すという遠い日の約束は、もうお忘れになってしまっているのですね…」と訴えた後、再びさめざめと泣き始めた。
 女からその話を聞いてピリカは納得顔になる。
「あ~なるほど、元々ここの時空間で物質界と精神界が融合して新しいものを作り出そうとしてたんだけど、思い込みの勘違いでおかしくなっちゃったのかぁ…」
 この世界に来る前に、次元の歪みの原因の所に行きたいと願っていた事を思い出し、どうやらこの二人がその原因の張本人であるようであった。
「…ねぇ、おにいさん。自分の思い込みで大好きな奥さんを化け物としてこのままお別れしちゃって本当にいいの?」
「それは…」
 ピリカの問いかけに男の視線が彷徨う。
「奥さんとずっと一緒に居たいから黄泉の国まで迎えに行ったんじゃないの?」
「…」
「間違いや思い込みは誰にでもある事だから仕方がないけど、自分が間違っていた事に気が付いたのなら、素直にごめんなさいをしないと、後で後悔する事になるよ」
 気まずそうに黙り込んだ男にピリカはそう言うと、女を慰める様にその頭を優しく撫でる。
「もう泣かないで…彼が素直に謝ってくれたらそれでいいんだよね。謝ってくれたら嫌な想いや悲しい想いをした事は忘れて許してあげるよね?」
 ピリカの言葉にこくんと頷いた後、女は我に返ったのか驚いたように頭を上げる。
「…あなた…この壁をすりぬけられるの⁈」
「…え?」
 女に指摘されて、ピリカはようやく自分が男が作った壁をすり抜けている事に気が付く。
「あ~、もしかすると、この壁って地の磐戸なんかとは違って、想いの力で出来てるのかも…」
 そう呟くとピリカは壁を隔てた男女の手を掴む。
「‼」
 驚く二人にピリカは語り掛ける。
「この壁は、思い込みで無いものを作り出してしまった彼と、話しても理解してもらえないと最初から黄泉の国の事を説明するのを諦めてしまっていた彼女の心の壁の象徴。ここでこの心の壁を取り払わなきゃ、謝る事も出来ず二度と会えなくなっちゃうんだよ? 二人ともそれでもいいの?」
 その言葉に先に反応を示したのは女の方であった。
「あなたの言う通り、黄泉の国は葦原中とはあまりにも違いすぎるから、話しても理解してもらえないと思って何もお話をしてこなかったのが、こんな誤解を生みだす事になってしまっていたのね…あなた、ごめんなさい…」
 素直な女の言葉が聞いた男の表情がバツの悪いような何とも言えないものに変わり、一瞬見えない空を見上げる様に上を向いた男は大きく息を吸い込むと壁に向かって「私の方こそ、すまぬ」と謝罪の言葉を口にする。それを聞いたピリカは二人の手を引き合わせ、二人の手が触れた瞬間壁が霧の様に消え去った。
「おぉ…そなたがいう事は誠であった。私を追ってきていたのは化け物などではなく、ここにいるのは間違いなく我が妻」
 もう少しで大切な妻を化け物としてこの場所に置き去りにして、永遠の別れをするところであったと言う男に、ピリカは満面の笑みを浮かべる。
「はい、仲直り」
 ピリカの言葉を合図とした様に男女はお互いの手を取り見つめ合い抱擁した。
 それを見届けたピリカは小さく頷くと二人に背を向け坂を下り始める。そんなピリカに気が付いた女が慌てて声をかけた。
「ありがとうございました。あなたは一体?」
 その問いかけにピリカはふり向きもせず、名乗ることなく坂を下って行く。そんなピリカの背中に男——イザナギと、女——イザナミは深く頭を下げた。
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