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◆episode9

~小さな神仙~

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 次元の壁を越えて黄泉比良坂を下り、せせらぎとなった清めの水が流れてゆく。
 サラサラとした澄んだ水は地面を洗いその地にあった穢れを清め、その汚れと共に地中へ吸い込まれこの星に還っていた。
 その様子を見詰めていたアオが呟く。
「自ら潔くして他の汚れを洗い清濁併せて容るる量あるは水なり…」
 その呟きを耳にしたピリカが「何かの呪文?」と不思議そうな顔アオに訊く。
「これは水五訓の一節じゃ」と言って微笑んだ。
「水五訓? なんだそれ?」
 エルも初めて聞く言葉なのか首を傾げる。
一、 自ら活動して他を動かしむるは水なり。
一、障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり。
一、常に己の進路を求めて止まらざるは水なり。
一、自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり。
一、洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ霰(あられ)と化し凝しては玲瓏たる鏡となりたえるも其の性を失はざるは水なり。
 水五訓をアオは歌う様に諳んじる。
「水のありかたを通して、この宇宙の生き方を説く哲学の様なものじゃ」
 この水五訓以外にも、水を通してこの宇宙の法則——自然を語る哲学者と呼ばれる巨人族も過去には複数いるとアオは言う。
「自分たちもまた宇宙の法則の中で生きているのであるから、その法則は自分たちにも適応される。よって自然を手本にして生きる事を最良であるであると、さまざまな哲学者によって語られてきたのじゃが…」
 それを理解する巨人は少ないとアオは首を振る。
「私達も自然の一部ってそんなの当たり前の事なのに、それがわかんない巨人さんたちってやっぱり変なの」
「どれだけ力を誇示しても釈迦如来の手の平から出られなかった孫悟空の様なものじゃ――巨人達だけではなく、我らとて宇宙法則といった大神の決め事を免れる訳にはいかぬのに」と、ピリカの言葉にアオはそう言って苦笑いをする。
「俺達は森の中で生きてきたから巨人達の住む世界が不自然だって感じるけど、巨人達にとってはその不自然な世界が当たり前だから、わからなくなっているのかもな」
「そうじゃな――正しいと信じている事がおかしいのだと気が付く事は難しい」
 それに気が付いたある者は哲学者として宇宙の真理や生き方を語り、また里山再生の村で出会ったイトたちの様に自然と平和に共存する事を選んだ巨人族もいる。
 未だに「あやま知」に汚染され、自然との共存を忘れている巨人族であるが、宇宙の真理に気付きその原点に回帰する者たちがいる以上、捨て置くわけにはいかないというのがアオやサクヤの想いであった。
「俺たちで出来る事なんてちっぽけな事かもしれないけど、何もしなくて後悔するよりは、ダメ元でやってみる事が大事だよな――諦めたらそこで終わり。嘆いているだけじゃ何も変わらない」
「うんうん、行動あるのみ♪」
 エルとピリカの言葉にアオはその表情を和らげる。
「不思議なものじゃな――我ではどうする事も出来なかった故、スサ様をこの地の磐戸から出す方法を考える事すら諦めて待っておるしか出来なかったのに、お前たちと出会う事になって今こうしておるのじゃから」と言ってアオは笑った。
「だってスサの事知っちゃったんだもん…見て見ないふりなんて出来ないよ」
 ピリカ的には、宇宙人の事情などどうでもよく、自由を奪われ一人ぼっちでいるのは寂しい事だからどうにかしてあげたいだけ、というのは今も変わらない様である。
「約束は守るためにあるんだもん――どうすればいいか全然わかんないけど、きっとなんとかなる!」
 何の裏付けも無い妙な自信を見せるピリカに、エルが「当たって砕け散らないようにだけしようぜ」と茶化す。そんなエルにピリカは頬を膨らませてみせるが、その目は笑っていた。
――まさにピリカの生き方は水五訓を手本にしている様なものじゃな…。
そんな事を考えながら、静かに穢れを洗い続ける清めの水の流れをじっと見つめるアオであった。

 地の磐戸の間に清めの水を引き込んで数刻立った頃、フヨウが再び地の磐戸の間に姿を現した。
「仙境に新たな清めの水を引く段取りはどうなった?」
 最初に出会った時の様に影が集まってその姿を現したフヨウに、眉ひとつ動かすことなくアオが訊ねる。
「…蓬莱山の仙人たちが総力をあげ、おかげさまで先ほど無事に仙境に清らかな流れが戻りました」
 そう言ってフヨウは深々とアオに頭を下げた。
「それは良かったな…じゃが、その吉報を伝える為だけにわざわざ来た訳ではあるまい?」
「御明察でございます」
 アオの言葉にフヨウはそう答えると、今回はサクヤの使いだと告げた。
「おぬしもいろいろ忙しいのぉ」とアオは笑った後、その要件を訊ねる。
「隠れ里からこちらに続く回廊に入れないとオニたちが騒いでいるが、何かご存知ではないか? とお尋ねでございます」
「ああ…その事であったか」
 そういえば黄泉比良坂設定を切り替えるという事をサクヤに伝えていなかった事を思い出し、アオは苦笑する。
「黄泉比良坂の設定をこちらに赤龍王の清めの水を引く為に切り替えたので、穢れの清めが終わって結界を張り直した後に元に戻すので、それまで待つようにと伝えてもらえるか?」
「…承知いたしました」
 フヨウはそう答えると一礼し姿を消そうとしたが、何かを思い出したのかその動きを止める。
「まだ何か?」
「…いえ、あの小さなコロボックル様はいずこに?」
「今はエルと共に地の磐戸の間周辺の探索に出掛けておるが?」
 アオの返答を聞いたフヨウは真顔になって口を開く。
「あのお方は何者なのでしょうか?」
「おぬしもコロボックルが北の地の妖精族である事は知っておるであろう?」
 怪訝そうに答えるアオにフヨウは少し困った様な表情を浮かべる。
「存じ上げておりますが、あのお方は妖精族らしからぬご様子でございましたので…」
 一般的なこの星の妖精族は気難しい性格の者が多く、悪戯好きである事が多いのであるが、ピリカの性格は天真爛漫で正直、どちらかというと精霊に近い波動を持っていたのでフヨウは不思議に感じている様であった。
「ピリカの祖父も我は知っておるが、その祖父は一般的な妖精族と同じように少し物事を斜に構えておるところがあったな――おそらく、ピリカの純粋無垢な性格は彼女の個性であろう」
 そんなアオの言葉を聞いたフヨウは納得したのか頷く。
「純真無垢である存在はカミかかりやすくあるので、あれの勘ハタラキは我も驚かされる事がようある」と言ってアオは笑った。
「カミかかりやすい…まこと羨ましいかぎりですな」
 仙人という存在は、自己研鑽に励み、さまざまな知識を得て超常的な技を使えるようになってはいるが、決してカミそのものがかかる事はない。
「仙人は欲を精練していった者じゃから、カミかかる条件が「無我」である以上、仙人にカミかかる事はまずない――欲というのは無我とは対極の存在であるからの」
「…さようでございますね」
 複雑な表情を浮かべながら合槌を打つフヨウにアオは微笑む。
「唯一、ピリカは食欲が強いが、あれは本人も知らず知らずの間に、その欲で半物質の肉の衣を繋ぎとめているのではないかと最近我は思うておる」
 無我の境地というのは解脱と同意語であり、魂の学びを終える最終的な状態である。魂の学びを終えれば、その者は輪廻から解放され神となる。
「神に近いからこそ、カミかかりやすい…ピリカの場合、唯一持っておる食欲を手放せば神上がりするのは確実であろうな」
 神上がりという言葉を聞いたフヨウの目が驚いたように見開かれる。
「神上がりというのは、我々仙人の世界では神仙となる事でございますが、わたくしが長年生きてきた中でそのような者は今まで見た事がございません…神仙なる存在はあくまで伝説でしかないと思うておりました」
「無理もない話じゃ――神と同一視される事が多い古き者や我らですら、本当に神上がりした者は数えるほどしかおらぬ。最近神上がりした者といえば巨人族の釈迦ぐらいかのう」
 アオは古い記憶をたどり口にした名は、フヨウもよく耳にする人物の名であった。
「釈迦は確か…釈迦族王家の王子でございましたよね」
「そうじゃな、巨人族の支配層の生まれであったが、世あり方に疑問を持ち、地位や名誉、金に執着する事無く、世捨て人となった変わり種であった」
 釈迦が生きていた時代は、銀河連合がこの星から撤退した時より前であったので、おそらくサタンが蒔いた「あやま知」の世界に疑問を持ったところで、当時まだ巨人族の指導の為にいた銀河連合の者から宇宙の法則の事や、肉の衣を纏うのは魂の学びであるといった事を聞いたのであろう…それを自分なりに探求していくうちに、魂の最終的な目標は無我の境地であるという結論を導き出し悟ったのやもしれぬとアオは言う。
「わたくしたち仙人と同じ世捨て人にもかかわらず、辿り着く所がずいぶん違う事となっておりますね」
「釈迦はお前たちの様に、自己研鑽の探求の為に不老不死を願う事はなかったからであろうな」
「我らは欲を律する事は出来ますが、無欲ではいられませぬ」
 自嘲気味にフヨウが笑っていると、地の磐戸周辺の探索に行っていたピリカとエルが戻って来た。
「あ、案内人さんだぁ」
 ピリカは無邪気に声を上げるとフヨウに走り寄る。
「また何かご用事?」
 小首を傾げ訊いてくるピリカにフヨウは静かに微笑むと、サクヤ様のご用事で参りましたと丁寧に答えた。
「そうなんだ、お仕事大変だね」と笑顔を見せるピリカにアオが探索の成果を尋ねる。
「特にこれといったものは無かったよ」
 期待外れであったといった表情のピリカにアオは笑う。
「そうであろうな――まあ、先程のあそこの穴を見つけただけでも大収穫であったと思うが」
「そうだね。アオも知らない穴だったし、磐戸の模様の形がちゃんとわかったのは良かったけど、あの中にあった箱がいったい何なのかがわからなかったのが残念~」
 そう言いながらピリカは、先ほど見つけた地の磐戸の正面の天井付近にある穴に視線を向けた。
「穴…ですか?」
 話を聞いていたフヨウは、ピリカの話が気になったのか珍しく自分から口を挟む。
「そう、あそこに小さな穴があるでしょ? あそこの中にアオも使い方が判んない箱があったの」
「青龍様も使い方がわからない?」
 ピリカの話がよくわからなかったのか、フヨウは説明を求めるようにアオに視線を向けた。
「——あの穴の中に銀河連合で使われているシステムによく似た装置であったのじゃが、使われている文字が我が知る文字より古い様で読むことが出来なくてな…」
 不本意そうなアオの言葉を聞いてフヨウは右眉を跳ね上げる。
「青龍様でも読めない文字があるのでございますか⁈」
「…我より古い存在である、古き者の間で使われていた文字ではないかとは思うのじゃが、残念ながら解読する事が出来ぬ」
 それを聞いたフヨウは、考え込むようにじっと地の磐戸と謎の装置があった穴を交互に見比べる。
「…あくまでわたくしの推察ではございますが、位置関係を考えると、あの磐戸となんらかの関係があるのでは?」
「それは我も思うたのじゃが、古き者たちの文明のものとなると、さすがに我では手も足も出せぬ」
 アオとフヨウの会話を聞いていたエルが疑問を口にする。
「そんなにも違うのか?」
「この宇宙に存在する意識体の文明や波動レベルでいえば、古き者の文明が最古で最上位、それに続くのが我やサクヤといった存在で、銀河連合の文明レベルは古き者の科学技術をベースにした簡易版で波動レベルも我らよりは低いといった具合じゃ」
「⁇」
 疑問符を飛ばすエルにアオは補足を加える。
「銀河連合などで使っておる装置は、文字と個々の魂が持っておる波動を組み合わせて様々な働きをする様になっておる――具体的な使い方だと、装置の操作に鍵を掛けたい場合などでは、登録した波動パターンのみに操作権限を与えるといったものじゃな」
「…鍵?」
 「鍵」という概念がないピリカとエルは首を傾げるが、俗世で生まれ育った元巨人族のフヨウは、すぐにアオの言葉の意味を理解した。
「ああ、なるほど。物理的な鍵なら模造する事もできますが、目に見えない波動がカギとなっており、それを識別するという仕組みでございますと、確かに模造は難しゅうございますね…」
 フヨウはそう言うと、ピリカ達に鍵というものがどういうものなのかを説明する。
「…要するに、自分の縄張りに置いてある大事なものを他の奴らに取られないようにする為の障害になるようなものなんだな?」
 鍵の説明を聞いてざっくりとではあるが概要を理解したエルがそう言うと、フヨウは頷いた。
「鍵があるという事は、外から中に入る事はもちろん、中のものが外へ出る事も鍵を持つ者以外は自由に出来なくなってしまうという事なのです――そちらにある磐戸の様に」
 それを聞いていたピリカが驚く。
「あれって大きくて重いから動かせないんで困ってたんじゃないの⁈」
「ここは精神界であるので物理的な重さや大きさの問題ではない――こうして大きく感じておるのはあの磐戸である時空間障壁の大きな波動を感じ取っておるだけじゃ」
 以前、アオが力任せに地の磐戸を開けようとしたというのはものの例えで、実際のところは物理的ではなくアオの魂が持つ高周波高エネルギーを集約して磐戸にぶつけて干渉しようというものだったらしい。
「時空間障壁だとか…何が何だか…訳わかんないや」
 理解を越える説明に頭を抱えるエルにアオは「理解できなくても問題はない」と笑う。
 古き者の文明で培われた文明の科学技術の流れを銀河連合でも踏襲しており、波動を集めて発しやすい手で装置に識別させる事が多いという説明を聞いて、ピリカは何かを思い出したように「あ~、あれかぁ」と声を出した。
「あれ?」
 ピリカの声に不思議そうな顔をするエルにピリカが答える。
「アオと一緒に中に入った時、磐戸の横の壁にアオが触ると磐戸の中への入り口が出来たでしょ? あれだよね?」
 確認する様に言うピリカにアオは頷く。
「ご名答。壁に触っておったのは時空エアロックの鍵を解除する為に、我の波動を認識させておったのじゃ」
「そういや、その後、ぱたーんあお、なんちゃらかんちゃら…っていう言葉みたいなのが頭の中に流れてきたけど、あれってその装置のやつだったのか…」
 エルも話を聞いているうちに思い出したらしい。
「——って事は、どこかにある鍵を探して解除すればこの磐戸が動いて開くっていう可能性もあるって事か…」
 ようやくアオとフヨウが考えていた事を理解したのか、エルが呟く。
「そういう事じゃ。その鍵があの穴の中にあった装置ではないかという事を我もフヨウも思ったのじゃが、あの表示された文字の意味が解らぬ故、どのようなものであるかさえつかめておらぬ」
「やっぱりあの箱が怪しいんだ!」
 アオの説明を聞いてピリカが声を上げる。
「その可能性が高いというだけで、あくまで推測でしかないが…」
「アオと案内人さんが同じ事考えているなら、きっとそうなんだよ!」
「…いや…しかし、たとえそうであっても使い方がわからぬし、鍵もどのようなものかもわからぬから、こうして思案しておるのではないか」
 妙にテンションが上がり始めたピリカに、アオは戸惑いながら答える。
「さっき見つけた穴の中の箱って、ずっと長い間ここに来ていたアオが全く気が付かなかったけど、それを見付ける事が出来たのって、あの箱が使って下さいって呼んでくれたんだと思う!」
「——そういえば、あの穴に最初に気が付いたのはピリカであったな…」
「うん。最初にワッカと出会った時と同じで、何かに呼ばれたような気がして見たらあったの」
 それを聞いたアオは無言で空を仰ぎ見る。
――やはり純真無垢な者にはカミかかりやすいという事か…。
 奇跡ないのが奇跡であり、偶然というものは必然である事を知るアオにすれば、ピリカは宇宙の法則である大神の守護下にあるのだと思わずにはいられなかった。
「あの箱が呼んでくれたって事は、きっといい事があるんだよ」
 何の根拠もない楽観的な言葉を口にしたピリカは屈託のない笑顔を浮かべる。そんなピリカを複雑な表情で見ていたフヨウが口を開く。
「青龍様…ここはこの小さな神仙様に従ったほうがよろしいいかと…」
「神仙…ああ、そうかもしれぬな」
 フヨウの言葉に答え頷いたアオの表情は、泣いているのか笑っているのかよく分からない複雑なものであった。
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