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◆最後の一杯
~アフタヌーンティー~
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さまざまなお茶を飲む事が出来る茶房「茶々螺(さらら)」は、古民家をリフォームしたせいもあり、お洒落な洋風のカフェとは違い、落ち着いた和食店といった雰囲気のお店であった。
メニューにある軽食類は基本、おにぎりやお茶漬け、みたらし団子、季節限定のかき氷やところてんといったものしかメニュー表には載っていない。一応、店主の榛名特製のクッキーやケーキなども取り扱ってはいるが、それらは商品ではなく、それらはあくまで紅茶やハーブティーといったもののお茶請けとしてサービスされるものであったので、たまたま出された特製のお茶請けが気に入ったとしても、いつも食べられる保証はない。客からそれらを有料のレギュラーメニューで置いて欲しいという要望をされても、それらがレギュラー化される事はなかった。
「あ、今日のお茶請けはスコーンだぁ。ラッキー」
お気に入りのオレンジペコのティーセットと一緒にお茶請けとして出された皿を見た白原香奈が、嬉しそうな声を上げる。
「しかもクロステッドクリームとジャムが添えられているって事はイギリス式だし」
語尾に♪記号が付きそうな様子の香奈に榛名が笑顔を浮かべた。
「スコーンの違いがわかるなんてさすがだね」
香奈は「私、紅茶好きですから」と言ってにっこりとする。
「イギリス式のスコーンはカップケーキみたいな形をしていて、それを割ってクリームやジャムを付けて食べるけど、アメリカのスコーンはちょっと湿気た分厚いクッキーって感じで、ブルーベリーやクランベリーのフルーツとかナッツ、チョコチップなんかが入っている事が多いからすぐわかります」
「北米のスコーンはチーズやベーコン、玉ねぎやハーブが入った塩味ものもあるけど、ありゃ総菜パンの仲間なんじゃないかと、僕は思ってる」と言って榛名が笑った。
それを聞いた香奈が頷きながら楽しそうに笑う。
「確かに、具材がお総菜パンに近いですよね~」
「だろ?」
そんな会話をしていると、ランドセルを背負った花田由宇が一人で店に入って来た。
「いらっしゃい…あれ? 今日は一人?」
どう見ても学校帰りにしか見えない由宇に榛名が訊ねると、由宇は大きく頷いた。
いつもなら母親の香織と一緒に来店するので、一人でやってきた由宇に榛名はその理由を尋ねる。
「あのね、来週、ママ誕生日なの」
「そうなんだ」
「それでね、ママが好きなここでお祝いをしてあげたいの。いくらいるかな?」
勇気を出した様にそんな事を言う由宇の言葉に、榛名は戸惑いの表情を浮かべた。
「ママのお誕生日のお祝いか…」
由宇の話を聞いた榛名は以前香織が言っていた事を思い出し、頭を捻る。
「お嬢さんのママ…そういや洋風のケーキとか苦手って言ってたよな」
「うん」
大きく頷いた由宇は期待する様な目で榛名を見上げながら、再び「いくらいる?」と訊いてきた。
「う~ん…」
香織も最近ちょくちょくお店にやってきてくれる大切な客であり、目の前の小さな由宇の気持ちに答えてやりたいと思うが、どうしてやれば一番良いのかとすぐに答える事が出来ず榛名は考え込む。そんな由宇と榛名の会話を聞いていた香奈が由宇の傍までやって来ると、しゃがみ込んで由宇と同じ視線の高さで話しかけた。
「お嬢ちゃん、いくらあるのかな?」
「…これ」
香奈の質問に由宇はポケットに手を入れて、中から小さく折りたたまれた紙幣と複数の硬貨を取り出して見せた。
「三千円か…このお金はどうしたの?」
「私の貯金箱のお金」
「そっか…これでママのお誕生日のお祝いをしてあげたいのね?」
由宇は再び大きく頷くと、不安そうに「足りるかな?」と呟きを漏らす。
「ハルさん…」
目の前の少女の気持ちに心を動かされたのか、香奈は何とかしてやって欲しいといった目で榛名を見た。
「わかってるって…香奈ちゃん迄そんな目で見ないでくれるかな」
榛名は苦笑いを浮かべると、香奈に習うようにしゃがみ込んで由宇と目線の高さを合わせる。
「ママの誕生日、来週って言ってたけど何日かな?」
「26日」
「26日って事は水曜日か…何時ぐらいにママと来られるかな?」
「んとね、いつもはママは夕方までお仕事だけど、26日はお昼から授業参観で、終わった後ここに寄ろうねってママが言ってたから、3時くらいかな?」
小首を傾げながら質問に一生懸命答える由宇の返事を聞いた榛名は、笑顔を浮かべながら「来週の26日、ママのお誕生日をお祝いする準備をしておくから、おじさん待ってるね」と優しく伝える。
「お金はこれで大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ」
一生懸命貯めたお金を榛名に渡しながら由宇がそう言うと、榛名は優しく頷く。
由宇はホッとしたのか、ようやくその顔に笑顔が戻って来た。
「来週、絶対ママと来るね」
そう言うと、由宇は一旦店を元気よく飛び出して、何かを思い出したのか、入り口から顔をのぞかせる。
「…忘れ物かい?」
「ありがとう!」
嬉しそうに由宇は元気一杯にそう言うと、店を後にした。
「あの子、ママが大好きなんだろうね…いい子だなぁ」
自分の席に戻った香奈がそう言うと榛名が頷く。
「シングルマザーのお家みたいだけど、あの子の事、母親が大事にしているのは僕にも感じるからね…」
「そっかぁ。あの子もそれがわかっているから、大好きなお母さんを喜ばせてあげたいんだろうな」
そう言いながら、すっかりぬるくなってしまった紅茶を香奈は少し飲んだ後、気になったのか「…3千円でどうするんです?」と榛名に尋ねた。
それを聞いた榛名が苦笑する。
「心配しなくても大丈夫だよ。ちゃんと予算内で喜んでもらえる様にするからさ」
「…まあ、ハルさんがそう言うなら、大丈夫だろうけど」
まだ少し不安そうな香奈に榛名が笑う。
「心配なのはわかるけど、香奈ちゃん、そろそろ居酒屋のバイトの時間だろ? 大丈夫かい?」
「ああっ、もうこんな時間!」
時計を見た香奈が慌て出す。もったいないとばかり飲み残しの紅茶を流し込んでいる香奈の側で、榛名は持ち帰り用の容器を持って来ると、ほとんど手を付けていないスコーンとクリーム、ジャムを手際よく詰めた。
「これ、捨てるの勿体ないし、休憩時間のおやつににでもすればいいよ」
「あ、すみません」
持ち帰り容器をリックに入れて立ち上がった香奈は「お代は私のティーチケットから」と叫ぶように言うと、バタバタと飛び出して行く。
静寂が戻った店内で榛名は「まるで台風みたいだな…由宇ちゃんも香奈ちゃんも」と呟くと小さく笑い漏らした。
それから一週間後の26日の午後3時ごろ。
由宇は母親の香織と共に茶房「茶螺々(さらら)」を訪れていた。
花田母子はいつものように座敷席に座ると、香織はメニュー表を手に取った。
「いらっしゃい…今日は学校の帰りかい?」
お冷と温かいおしぼりをテーブルに置きながら、榛名はいつもと変わらない様子で由宇に声をかける。
「うん。今日はね、国語の授業の参観日だったんだよ~」
由宇はそう答えると、内心ドキドキしているのを隠すようにお冷を飲んだ。
そんな娘に何も知らない香織は「由宇は何を頼むのか決まってるの?」と尋ねる。
「うん、決まってるよ。ママは何にするの?」
「ママはほうじ茶——ここのほうじ茶ママ好きなんだ」
「そっか…おじさん~、ほうじ茶とアレ下さい~」
「?」
榛名に注文をする娘の言葉を聞いて香織か怪訝な表情を浮かべた。そんな香織とは対照的に榛名はにっこりと笑顔を浮かべるとカウンターの奥に姿を消す。
「由宇…あれって?」
「あれはアレだよ」
いたずらっ子の様な表情を浮かべる娘の様子に香織が首をひねっていると、榛名がホテルのアフタヌーンティーなんかで使われているティースタンドを運んできた。
「これは…?」
自分の目の前に置かれたティースタンドの香織が困惑していると、榛名の後ろにほうじ茶とクレオパトラティーが入ったティーセットを運んできた香奈がニコニコしながらテーブルの上に置く。
何が何だかわからないといった香織に、由宇が「ママ、お誕生日おめでとう!」と笑顔で声をかけると、それに合わせる様に榛名と香奈が「おめでとうございます!」と言いながらポケットから取り出したクラッカーを鳴らした。
「‼」
ようやく自分の誕生日をサプライズで祝ってくれている事に気が付いた香織は、びっくりした様子で満面の笑顔の娘に「ありがとう」と言った後、胸がいっぱいになったのか言葉を失った。
「…ママ?」
泣き笑いの様な顔になった香織に由宇は不安そうに声をかける。
「…大丈夫。ちょっとびっくりしただけだから」
娘を安心させる様にそう言うと、香織はにこにこしながら見守っていた榛名たちの方を見た。
「お祝いありがとうございます…あの、これって…」
ティースタンドが何なのか説明を求める様な目で見る香織に、榛名が笑いながら説明をする。
「バースディーケーキの代わりです。香織さん、洋風のケーキとかクリーム苦手って言ってたでしょ?」
「…あ」
よくそんな事を覚えていたなといった顔で、香織はティースタンドに乗っているものを見た。
「一番下は、いなりとミニおにぎりに巻きずし、真ん中はお漬物や焼き魚、ミニ茶碗蒸しなんかの小鉢類、一番上はお団子などです」
「和風アフタヌーンティー…」
榛名の説明を聞いた香織はそう呟くと娘を見る。
「高かったんじゃないの?」
娘のお財布事情は母親が一番よく知っているので心配をする。
「大丈夫だったよね? おじちゃん」
由宇がそう言うと、榛名も笑顔で頷く。
「心配しなくても大丈夫ですよ――娘さんのサプライズプレゼントをゆっくりとお楽しみください」
そう言うと、香奈を伴って榛名はカウンターの方へ戻った。
「和風アフタヌーンティーなんてよく考えつきましたね…」
カウンター席に座った香奈が、カウンターの中で洗い物を始めた榛名に言う。
「この間、スコーンを出しただろ? イギリスではスコーンはアフタヌーンティーで食べられる事が多いからね」
今日、花田母子が来店予定だった時間は、アフタヌーンティーを楽しむ時間帯であったし、ティースタンドを使えば低予算でも少量ずついろんなものが楽しめて、豪華に見える事もあり、香織は洋風の甘いものが苦手なので和風アフタヌーンスタイルにする事にしたのだと榛名は笑った。
「なるほど~さすがハルさん」
感心する香奈に榛名は「そんな大した事じゃない」と照れた後、「手伝ってもらったお礼だよ――香奈ちゃんはアールグレイも好きだから、多分これも好きだと思うけど…」と言いながら、香奈の前に紅茶が入ったティーカップを置いた。
「この香り…レディーグレイですね。ありがとうございます」
紅茶の香りを嗅いだ香奈はすぐに紅茶の種類を言い当てて、嬉しそうに紅茶に口をつけた。
「さすがトワイニングのブレンドティーですね…おいし」
満足そうな香奈の呟きを聞きながら榛名は花田母娘の様子を見ると、香織と由宇はティースタンドの料理を取り分けて食べながら、会話を楽しんでいる様であった。
「今日はありがとうございました」
帰り際、香織は感謝の言葉を口にして深々と頭を下げた。
「お礼はお嬢さんに言ってあげて下さい」
僕たちはお嬢さんのお手伝いをさせていただいただけですから…と榛名は言うと、リボンが付いた小さな紙袋を香織に差し出す。
「大したものではありませんが、日本茶のティーバッグのセットです――これは僕からの誕生日のお祝いです」
「あ…ありがとうございます」
予想外のプレゼントに戸惑いながらも、香織は紙袋を受け取った。
「良かったね、ママ」
由宇がそう言うと香織は大きく頷く。
「——今日の事は一生忘れないと思うわ…本当に今日はありがとうございました」
香織はそう言うと、もう一度深々と頭を下げて愛娘と共に店を後にした。
店の前まで出て二人を見送った香奈は店内に戻ろうとして、入り口にかかっている麻地の暖簾に描かれた藍染の二つの渦模様に目を止める。そして渦模様以外に暖簾の隅に一文が添えられていた。
――異なるものが出会うと螺となり動きが生まれる
この一文に榛名の哲学の様なものを感じ、この店の「茶螺々」という名前の由来はこの一文だった事に香奈は気付く。
「このお店は、お茶に集まってきた人たちによって新しい物語が生まれる場所って意味なのかも…」
何となく榛名らしい考え方だと感じた香奈は、小さく笑った。
<FIN>
メニューにある軽食類は基本、おにぎりやお茶漬け、みたらし団子、季節限定のかき氷やところてんといったものしかメニュー表には載っていない。一応、店主の榛名特製のクッキーやケーキなども取り扱ってはいるが、それらは商品ではなく、それらはあくまで紅茶やハーブティーといったもののお茶請けとしてサービスされるものであったので、たまたま出された特製のお茶請けが気に入ったとしても、いつも食べられる保証はない。客からそれらを有料のレギュラーメニューで置いて欲しいという要望をされても、それらがレギュラー化される事はなかった。
「あ、今日のお茶請けはスコーンだぁ。ラッキー」
お気に入りのオレンジペコのティーセットと一緒にお茶請けとして出された皿を見た白原香奈が、嬉しそうな声を上げる。
「しかもクロステッドクリームとジャムが添えられているって事はイギリス式だし」
語尾に♪記号が付きそうな様子の香奈に榛名が笑顔を浮かべた。
「スコーンの違いがわかるなんてさすがだね」
香奈は「私、紅茶好きですから」と言ってにっこりとする。
「イギリス式のスコーンはカップケーキみたいな形をしていて、それを割ってクリームやジャムを付けて食べるけど、アメリカのスコーンはちょっと湿気た分厚いクッキーって感じで、ブルーベリーやクランベリーのフルーツとかナッツ、チョコチップなんかが入っている事が多いからすぐわかります」
「北米のスコーンはチーズやベーコン、玉ねぎやハーブが入った塩味ものもあるけど、ありゃ総菜パンの仲間なんじゃないかと、僕は思ってる」と言って榛名が笑った。
それを聞いた香奈が頷きながら楽しそうに笑う。
「確かに、具材がお総菜パンに近いですよね~」
「だろ?」
そんな会話をしていると、ランドセルを背負った花田由宇が一人で店に入って来た。
「いらっしゃい…あれ? 今日は一人?」
どう見ても学校帰りにしか見えない由宇に榛名が訊ねると、由宇は大きく頷いた。
いつもなら母親の香織と一緒に来店するので、一人でやってきた由宇に榛名はその理由を尋ねる。
「あのね、来週、ママ誕生日なの」
「そうなんだ」
「それでね、ママが好きなここでお祝いをしてあげたいの。いくらいるかな?」
勇気を出した様にそんな事を言う由宇の言葉に、榛名は戸惑いの表情を浮かべた。
「ママのお誕生日のお祝いか…」
由宇の話を聞いた榛名は以前香織が言っていた事を思い出し、頭を捻る。
「お嬢さんのママ…そういや洋風のケーキとか苦手って言ってたよな」
「うん」
大きく頷いた由宇は期待する様な目で榛名を見上げながら、再び「いくらいる?」と訊いてきた。
「う~ん…」
香織も最近ちょくちょくお店にやってきてくれる大切な客であり、目の前の小さな由宇の気持ちに答えてやりたいと思うが、どうしてやれば一番良いのかとすぐに答える事が出来ず榛名は考え込む。そんな由宇と榛名の会話を聞いていた香奈が由宇の傍までやって来ると、しゃがみ込んで由宇と同じ視線の高さで話しかけた。
「お嬢ちゃん、いくらあるのかな?」
「…これ」
香奈の質問に由宇はポケットに手を入れて、中から小さく折りたたまれた紙幣と複数の硬貨を取り出して見せた。
「三千円か…このお金はどうしたの?」
「私の貯金箱のお金」
「そっか…これでママのお誕生日のお祝いをしてあげたいのね?」
由宇は再び大きく頷くと、不安そうに「足りるかな?」と呟きを漏らす。
「ハルさん…」
目の前の少女の気持ちに心を動かされたのか、香奈は何とかしてやって欲しいといった目で榛名を見た。
「わかってるって…香奈ちゃん迄そんな目で見ないでくれるかな」
榛名は苦笑いを浮かべると、香奈に習うようにしゃがみ込んで由宇と目線の高さを合わせる。
「ママの誕生日、来週って言ってたけど何日かな?」
「26日」
「26日って事は水曜日か…何時ぐらいにママと来られるかな?」
「んとね、いつもはママは夕方までお仕事だけど、26日はお昼から授業参観で、終わった後ここに寄ろうねってママが言ってたから、3時くらいかな?」
小首を傾げながら質問に一生懸命答える由宇の返事を聞いた榛名は、笑顔を浮かべながら「来週の26日、ママのお誕生日をお祝いする準備をしておくから、おじさん待ってるね」と優しく伝える。
「お金はこれで大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ」
一生懸命貯めたお金を榛名に渡しながら由宇がそう言うと、榛名は優しく頷く。
由宇はホッとしたのか、ようやくその顔に笑顔が戻って来た。
「来週、絶対ママと来るね」
そう言うと、由宇は一旦店を元気よく飛び出して、何かを思い出したのか、入り口から顔をのぞかせる。
「…忘れ物かい?」
「ありがとう!」
嬉しそうに由宇は元気一杯にそう言うと、店を後にした。
「あの子、ママが大好きなんだろうね…いい子だなぁ」
自分の席に戻った香奈がそう言うと榛名が頷く。
「シングルマザーのお家みたいだけど、あの子の事、母親が大事にしているのは僕にも感じるからね…」
「そっかぁ。あの子もそれがわかっているから、大好きなお母さんを喜ばせてあげたいんだろうな」
そう言いながら、すっかりぬるくなってしまった紅茶を香奈は少し飲んだ後、気になったのか「…3千円でどうするんです?」と榛名に尋ねた。
それを聞いた榛名が苦笑する。
「心配しなくても大丈夫だよ。ちゃんと予算内で喜んでもらえる様にするからさ」
「…まあ、ハルさんがそう言うなら、大丈夫だろうけど」
まだ少し不安そうな香奈に榛名が笑う。
「心配なのはわかるけど、香奈ちゃん、そろそろ居酒屋のバイトの時間だろ? 大丈夫かい?」
「ああっ、もうこんな時間!」
時計を見た香奈が慌て出す。もったいないとばかり飲み残しの紅茶を流し込んでいる香奈の側で、榛名は持ち帰り用の容器を持って来ると、ほとんど手を付けていないスコーンとクリーム、ジャムを手際よく詰めた。
「これ、捨てるの勿体ないし、休憩時間のおやつににでもすればいいよ」
「あ、すみません」
持ち帰り容器をリックに入れて立ち上がった香奈は「お代は私のティーチケットから」と叫ぶように言うと、バタバタと飛び出して行く。
静寂が戻った店内で榛名は「まるで台風みたいだな…由宇ちゃんも香奈ちゃんも」と呟くと小さく笑い漏らした。
それから一週間後の26日の午後3時ごろ。
由宇は母親の香織と共に茶房「茶螺々(さらら)」を訪れていた。
花田母子はいつものように座敷席に座ると、香織はメニュー表を手に取った。
「いらっしゃい…今日は学校の帰りかい?」
お冷と温かいおしぼりをテーブルに置きながら、榛名はいつもと変わらない様子で由宇に声をかける。
「うん。今日はね、国語の授業の参観日だったんだよ~」
由宇はそう答えると、内心ドキドキしているのを隠すようにお冷を飲んだ。
そんな娘に何も知らない香織は「由宇は何を頼むのか決まってるの?」と尋ねる。
「うん、決まってるよ。ママは何にするの?」
「ママはほうじ茶——ここのほうじ茶ママ好きなんだ」
「そっか…おじさん~、ほうじ茶とアレ下さい~」
「?」
榛名に注文をする娘の言葉を聞いて香織か怪訝な表情を浮かべた。そんな香織とは対照的に榛名はにっこりと笑顔を浮かべるとカウンターの奥に姿を消す。
「由宇…あれって?」
「あれはアレだよ」
いたずらっ子の様な表情を浮かべる娘の様子に香織が首をひねっていると、榛名がホテルのアフタヌーンティーなんかで使われているティースタンドを運んできた。
「これは…?」
自分の目の前に置かれたティースタンドの香織が困惑していると、榛名の後ろにほうじ茶とクレオパトラティーが入ったティーセットを運んできた香奈がニコニコしながらテーブルの上に置く。
何が何だかわからないといった香織に、由宇が「ママ、お誕生日おめでとう!」と笑顔で声をかけると、それに合わせる様に榛名と香奈が「おめでとうございます!」と言いながらポケットから取り出したクラッカーを鳴らした。
「‼」
ようやく自分の誕生日をサプライズで祝ってくれている事に気が付いた香織は、びっくりした様子で満面の笑顔の娘に「ありがとう」と言った後、胸がいっぱいになったのか言葉を失った。
「…ママ?」
泣き笑いの様な顔になった香織に由宇は不安そうに声をかける。
「…大丈夫。ちょっとびっくりしただけだから」
娘を安心させる様にそう言うと、香織はにこにこしながら見守っていた榛名たちの方を見た。
「お祝いありがとうございます…あの、これって…」
ティースタンドが何なのか説明を求める様な目で見る香織に、榛名が笑いながら説明をする。
「バースディーケーキの代わりです。香織さん、洋風のケーキとかクリーム苦手って言ってたでしょ?」
「…あ」
よくそんな事を覚えていたなといった顔で、香織はティースタンドに乗っているものを見た。
「一番下は、いなりとミニおにぎりに巻きずし、真ん中はお漬物や焼き魚、ミニ茶碗蒸しなんかの小鉢類、一番上はお団子などです」
「和風アフタヌーンティー…」
榛名の説明を聞いた香織はそう呟くと娘を見る。
「高かったんじゃないの?」
娘のお財布事情は母親が一番よく知っているので心配をする。
「大丈夫だったよね? おじちゃん」
由宇がそう言うと、榛名も笑顔で頷く。
「心配しなくても大丈夫ですよ――娘さんのサプライズプレゼントをゆっくりとお楽しみください」
そう言うと、香奈を伴って榛名はカウンターの方へ戻った。
「和風アフタヌーンティーなんてよく考えつきましたね…」
カウンター席に座った香奈が、カウンターの中で洗い物を始めた榛名に言う。
「この間、スコーンを出しただろ? イギリスではスコーンはアフタヌーンティーで食べられる事が多いからね」
今日、花田母子が来店予定だった時間は、アフタヌーンティーを楽しむ時間帯であったし、ティースタンドを使えば低予算でも少量ずついろんなものが楽しめて、豪華に見える事もあり、香織は洋風の甘いものが苦手なので和風アフタヌーンスタイルにする事にしたのだと榛名は笑った。
「なるほど~さすがハルさん」
感心する香奈に榛名は「そんな大した事じゃない」と照れた後、「手伝ってもらったお礼だよ――香奈ちゃんはアールグレイも好きだから、多分これも好きだと思うけど…」と言いながら、香奈の前に紅茶が入ったティーカップを置いた。
「この香り…レディーグレイですね。ありがとうございます」
紅茶の香りを嗅いだ香奈はすぐに紅茶の種類を言い当てて、嬉しそうに紅茶に口をつけた。
「さすがトワイニングのブレンドティーですね…おいし」
満足そうな香奈の呟きを聞きながら榛名は花田母娘の様子を見ると、香織と由宇はティースタンドの料理を取り分けて食べながら、会話を楽しんでいる様であった。
「今日はありがとうございました」
帰り際、香織は感謝の言葉を口にして深々と頭を下げた。
「お礼はお嬢さんに言ってあげて下さい」
僕たちはお嬢さんのお手伝いをさせていただいただけですから…と榛名は言うと、リボンが付いた小さな紙袋を香織に差し出す。
「大したものではありませんが、日本茶のティーバッグのセットです――これは僕からの誕生日のお祝いです」
「あ…ありがとうございます」
予想外のプレゼントに戸惑いながらも、香織は紙袋を受け取った。
「良かったね、ママ」
由宇がそう言うと香織は大きく頷く。
「——今日の事は一生忘れないと思うわ…本当に今日はありがとうございました」
香織はそう言うと、もう一度深々と頭を下げて愛娘と共に店を後にした。
店の前まで出て二人を見送った香奈は店内に戻ろうとして、入り口にかかっている麻地の暖簾に描かれた藍染の二つの渦模様に目を止める。そして渦模様以外に暖簾の隅に一文が添えられていた。
――異なるものが出会うと螺となり動きが生まれる
この一文に榛名の哲学の様なものを感じ、この店の「茶螺々」という名前の由来はこの一文だった事に香奈は気付く。
「このお店は、お茶に集まってきた人たちによって新しい物語が生まれる場所って意味なのかも…」
何となく榛名らしい考え方だと感じた香奈は、小さく笑った。
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