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◆8杯目
~腹痛に効く⁈ お茶~
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茶房「茶螺々(さらら)」がある八十島商店街のアーケードの下では、旧暦に七夕に合わせて飾り付けが商店街の組合員によって作業が進められていた。その指揮を執るのは八十島商店街組合会長の黒松である。
「そこ…もうちょっと右…そう、そんな感じ」
黒松の指示の元、アーケードの天井部分に吹き流しが吊るされると、アーケードの中を吹き抜ける風に吹かれた吹き流しがそよぎ始める。
「涼し気でよいですね」
店先で七夕飾りの設置作業を見守っていた榛名が、そよぎだした吹き流しを見上げて微笑みを浮かべた。
「夏真っ盛りだからね――お客さんたちにも気分だけでも涼んでもらいたいからね」
噴き出す汗を首にかけたタオルで拭いながら黒松が答えると、榛名が「あとは笹に飾りを付けるぐらいですか?」と尋ねる。
七夕飾りは吹き流しだけでなく、商店街の通りの両脇に数メートルおきに大き目の笹が設置してあり、その側の商店主たちが笹に飾り付けを行っていくという段取りになっていた。
「お客さんたちにも願い事を書いてもらうブースを設置してあるから、今年もいろんな願い事を書いた短冊が集まるだろうよ」
黒松はそう答えると、吹き流しや笹の設置作業に携わっていたスタッフ達にねぎらいの言葉をかけ作業終了を宣言する。それを合図に作業スタッフはそれぞれの店へ戻って行のを見送っていた黒松に榛名が声をかけた。
「会長――時間があるならうちでお茶でもいかがですか?」
「そりゃありがたい」
黒松は笑顔を浮かべると、店の暖簾をくぐる。
「…アーケードの下とはいえ、この暑さは年寄りには体に堪えるね」
冷房が効いた店内に入った黒松はカウンター席に腰を下ろすと、ホッとした様子で息をついた。
「お疲れさまでした…いつものアイスコーヒーにします?」
カウンターに入りながら榛名が訊くと黒松は考え込む。
「喉も乾いているしアイスコーヒーと言いたいところなんだが、最近、暑いせいか冷たいものばっかり飲み食いしていて胃腸の調子がいまいちでねぇ…」
「確かにこう暑いと冷たいものをついつい口にしてしまいますよね――我々の子供の頃に比べたら確実に5℃以上は平均気温が高くなっているでしょうから」
自分たちが子供の頃、プール帰りに裸足でアスファルトの上を歩いても平気だったが、今それをすれば火傷をするのは確実だと榛名は苦笑いした。
「そうだな…私の子供時代に気温が30℃を越えるなんてひと夏に数度あるくらいで、暑くても朝晩は涼しかったもんなんだがね」
黒松はぼやくようにそう言うと、胃腸を整えてくれるお茶は無いのかと訊く。
「胃腸の調子を整えるお茶となると、緑茶、紅茶、ジンジャーやペパーミント、カモミール…あとフェンネルなんかのハーブティー、甘草茶ぐらいかな?」
胃腸の調子を整えると言っても、消化を助けるか、不快感を解消したいのか、腹痛を直したいのかなど目的によってもお茶の種類は違うという。
「なんだか薬みたいだな」
「薬局で売っている薬みたいに強い薬効がある訳ではありませんが、昔から民間療法の一環として薬代わりに飲まれていたのがお茶ですからね」と言って榛名は笑う。
「実は私は小さい頃から腹が弱くてね、腹を冷やすとすぐにお腹が痛くなって腹を下すのが長年の悩みでねぇ」
「ああ…それわかります。僕たちの世代だけなのか、お腹が弱い男子って多かった気がするんだけど、気のせいですかね…」
榛名はそんな事を言いながら、カウンターの中の棚に並べてあるキャニスター缶を眺める。
「僕の実家の薬箱には胃薬は陀羅尼助、腹痛や下痢、虫歯の痛み止めには正露丸、傷の消毒には赤チン、あとは鎮痛剤のケロリンぐらいしか入ってなくて、中でもよくお世話になったのが正露丸でしたね」
それを聞いた黒松は「正露丸って、あのにおいを嗅いだだけで腹痛が治った気分になる気がしないかい?」と笑う。そんな会話で榛名は何かを思いついたのか、少し悪戯っ子の様な表情浮かべて棚の奥にあったキャニスター缶を手に取った。
「会長の今の話を聞いて丁度いい紅茶があるのを思い出したので、今からそれをお出ししますね」
「そりゃ楽しみだ」
黒松の返事を聞いて榛名はティーポットとカップにお湯を入れてお茶を入れる準備を始める。その様子をカウンター越しに眺めながら黒松が訊ねた。
「ティーポットを温めだしたって事は紅茶かい?」
「紅茶は紅茶ですが、ちょっと面白い紅茶なんで、飲んでからのお楽しみです」
「面白い紅茶ねぇ…」
興味深げに榛名がお茶を入れる様子を眺める黒松であったが、ティーポットを温めた湯を捨てて、ポットの中に入れたキャニスター缶の中の茶葉を見る限りでは普通の紅茶となんら変わりがない。
榛名は茶葉を入れたティーポットに熱湯を注ぎ入れると、ティーコージーと呼ばれる保温用のキルティング製のカバーをティーポットに被せ砂時計をセットする。
「3分ほど蒸らすんで、少し待っててください」
榛名はそう言うと、黒松の前にお茶菓子のクッキーを乗せた小皿を置き、カップの中のお湯を捨ててソーサーに乗せると小皿の横に並べた。
「——ラプサンスーチョンという紅茶です」
砂時計の中の砂が落ち切ったのを確かめてティーポットを黒松の前に置くと、榛名は紅茶の名前を告げる。
「…ラプサン…スーチョン? 聞いた事がない変わった名前の紅茶だね…」
怪訝そうに黒松はそう言うとカップに紅茶を注ぎ入れて、カップを手にすると紅茶に口元に運び、その次の瞬間、その特徴的な香りに黒松の表情が困惑に変わる。
「…正露丸のにおいがするんだけど…?」
自分の嗅覚を疑うかのように黒松が呟くと、榛名は「一口飲んでみればわかります」と意味ありげに口元に微笑みを浮かべた。
黒松は榛名に勧められるがまま、恐る恐る紅茶を一口飲むと同時に何とも言えない表情になる。
「なんだこりゃ⁈ 本物の正露丸みたいに辛くは無いんだけど…正露丸の香りが口の中に広がって…正露丸のお茶⁈」
黒松の予想通りの反応に榛名は声をたてて笑い出した。
「ラプサンスーチョンはフレーバーティーの一種で、紅茶を松の葉で燻製にしたものなんです――松の葉の薫香は正露丸に含まれているクレオソートとよく似ているんで、会長がお感じになられた様に日本人の間では正露丸の香りがする紅茶と言われているんですよ」
「松の葉の燻煙って正露丸のにおいにそっくりなのか…」
信じられないといった表情で黒松はカップの中の紅茶を見詰める。
「かなり癖の強い風味なんで好き嫌いがはっきりしますが、これを愛飲する人もいるんで、人の好みもそれぞれって事ですね」
「…いや、まぁ、びっくりしたけど、正露丸のにおいって独特のにおいだから、臭いのは判っていてもつい嗅いでしまうってのは、わからなくはない」
黒松は苦笑しながら再びカップに口をつけた。
「どうやら会長はラプサンは大丈夫みたいですね」
「私の小さい頃には正露丸に糖衣錠なんてなかったし、腹を下すたびにお世話になってたから慣れもあるかな?」
まさか正露丸風味のお茶があるとは想像もしなかったが…といって黒松は笑う。
「緑茶も紅茶も同じチャノキの葉が原料で、緑茶を発酵させたのが紅茶なんで、胃腸を整えると言われている効能に大きな違いはないのかもしれません」
榛名はそう言うと言葉を続ける。
「我々日本人は正露丸は腹痛に良く効くと刷り込みがあるせいか、腹痛時にラプサンスーチョンを飲んだら本当に痛みが引いたって話がまことしやかに囁かれていますからね」
「まるでパブロフの犬だな」
そう言う自分もその一人だと黒松は言うと、楽しそうに笑った。
「そこ…もうちょっと右…そう、そんな感じ」
黒松の指示の元、アーケードの天井部分に吹き流しが吊るされると、アーケードの中を吹き抜ける風に吹かれた吹き流しがそよぎ始める。
「涼し気でよいですね」
店先で七夕飾りの設置作業を見守っていた榛名が、そよぎだした吹き流しを見上げて微笑みを浮かべた。
「夏真っ盛りだからね――お客さんたちにも気分だけでも涼んでもらいたいからね」
噴き出す汗を首にかけたタオルで拭いながら黒松が答えると、榛名が「あとは笹に飾りを付けるぐらいですか?」と尋ねる。
七夕飾りは吹き流しだけでなく、商店街の通りの両脇に数メートルおきに大き目の笹が設置してあり、その側の商店主たちが笹に飾り付けを行っていくという段取りになっていた。
「お客さんたちにも願い事を書いてもらうブースを設置してあるから、今年もいろんな願い事を書いた短冊が集まるだろうよ」
黒松はそう答えると、吹き流しや笹の設置作業に携わっていたスタッフ達にねぎらいの言葉をかけ作業終了を宣言する。それを合図に作業スタッフはそれぞれの店へ戻って行のを見送っていた黒松に榛名が声をかけた。
「会長――時間があるならうちでお茶でもいかがですか?」
「そりゃありがたい」
黒松は笑顔を浮かべると、店の暖簾をくぐる。
「…アーケードの下とはいえ、この暑さは年寄りには体に堪えるね」
冷房が効いた店内に入った黒松はカウンター席に腰を下ろすと、ホッとした様子で息をついた。
「お疲れさまでした…いつものアイスコーヒーにします?」
カウンターに入りながら榛名が訊くと黒松は考え込む。
「喉も乾いているしアイスコーヒーと言いたいところなんだが、最近、暑いせいか冷たいものばっかり飲み食いしていて胃腸の調子がいまいちでねぇ…」
「確かにこう暑いと冷たいものをついつい口にしてしまいますよね――我々の子供の頃に比べたら確実に5℃以上は平均気温が高くなっているでしょうから」
自分たちが子供の頃、プール帰りに裸足でアスファルトの上を歩いても平気だったが、今それをすれば火傷をするのは確実だと榛名は苦笑いした。
「そうだな…私の子供時代に気温が30℃を越えるなんてひと夏に数度あるくらいで、暑くても朝晩は涼しかったもんなんだがね」
黒松はぼやくようにそう言うと、胃腸を整えてくれるお茶は無いのかと訊く。
「胃腸の調子を整えるお茶となると、緑茶、紅茶、ジンジャーやペパーミント、カモミール…あとフェンネルなんかのハーブティー、甘草茶ぐらいかな?」
胃腸の調子を整えると言っても、消化を助けるか、不快感を解消したいのか、腹痛を直したいのかなど目的によってもお茶の種類は違うという。
「なんだか薬みたいだな」
「薬局で売っている薬みたいに強い薬効がある訳ではありませんが、昔から民間療法の一環として薬代わりに飲まれていたのがお茶ですからね」と言って榛名は笑う。
「実は私は小さい頃から腹が弱くてね、腹を冷やすとすぐにお腹が痛くなって腹を下すのが長年の悩みでねぇ」
「ああ…それわかります。僕たちの世代だけなのか、お腹が弱い男子って多かった気がするんだけど、気のせいですかね…」
榛名はそんな事を言いながら、カウンターの中の棚に並べてあるキャニスター缶を眺める。
「僕の実家の薬箱には胃薬は陀羅尼助、腹痛や下痢、虫歯の痛み止めには正露丸、傷の消毒には赤チン、あとは鎮痛剤のケロリンぐらいしか入ってなくて、中でもよくお世話になったのが正露丸でしたね」
それを聞いた黒松は「正露丸って、あのにおいを嗅いだだけで腹痛が治った気分になる気がしないかい?」と笑う。そんな会話で榛名は何かを思いついたのか、少し悪戯っ子の様な表情浮かべて棚の奥にあったキャニスター缶を手に取った。
「会長の今の話を聞いて丁度いい紅茶があるのを思い出したので、今からそれをお出ししますね」
「そりゃ楽しみだ」
黒松の返事を聞いて榛名はティーポットとカップにお湯を入れてお茶を入れる準備を始める。その様子をカウンター越しに眺めながら黒松が訊ねた。
「ティーポットを温めだしたって事は紅茶かい?」
「紅茶は紅茶ですが、ちょっと面白い紅茶なんで、飲んでからのお楽しみです」
「面白い紅茶ねぇ…」
興味深げに榛名がお茶を入れる様子を眺める黒松であったが、ティーポットを温めた湯を捨てて、ポットの中に入れたキャニスター缶の中の茶葉を見る限りでは普通の紅茶となんら変わりがない。
榛名は茶葉を入れたティーポットに熱湯を注ぎ入れると、ティーコージーと呼ばれる保温用のキルティング製のカバーをティーポットに被せ砂時計をセットする。
「3分ほど蒸らすんで、少し待っててください」
榛名はそう言うと、黒松の前にお茶菓子のクッキーを乗せた小皿を置き、カップの中のお湯を捨ててソーサーに乗せると小皿の横に並べた。
「——ラプサンスーチョンという紅茶です」
砂時計の中の砂が落ち切ったのを確かめてティーポットを黒松の前に置くと、榛名は紅茶の名前を告げる。
「…ラプサン…スーチョン? 聞いた事がない変わった名前の紅茶だね…」
怪訝そうに黒松はそう言うとカップに紅茶を注ぎ入れて、カップを手にすると紅茶に口元に運び、その次の瞬間、その特徴的な香りに黒松の表情が困惑に変わる。
「…正露丸のにおいがするんだけど…?」
自分の嗅覚を疑うかのように黒松が呟くと、榛名は「一口飲んでみればわかります」と意味ありげに口元に微笑みを浮かべた。
黒松は榛名に勧められるがまま、恐る恐る紅茶を一口飲むと同時に何とも言えない表情になる。
「なんだこりゃ⁈ 本物の正露丸みたいに辛くは無いんだけど…正露丸の香りが口の中に広がって…正露丸のお茶⁈」
黒松の予想通りの反応に榛名は声をたてて笑い出した。
「ラプサンスーチョンはフレーバーティーの一種で、紅茶を松の葉で燻製にしたものなんです――松の葉の薫香は正露丸に含まれているクレオソートとよく似ているんで、会長がお感じになられた様に日本人の間では正露丸の香りがする紅茶と言われているんですよ」
「松の葉の燻煙って正露丸のにおいにそっくりなのか…」
信じられないといった表情で黒松はカップの中の紅茶を見詰める。
「かなり癖の強い風味なんで好き嫌いがはっきりしますが、これを愛飲する人もいるんで、人の好みもそれぞれって事ですね」
「…いや、まぁ、びっくりしたけど、正露丸のにおいって独特のにおいだから、臭いのは判っていてもつい嗅いでしまうってのは、わからなくはない」
黒松は苦笑しながら再びカップに口をつけた。
「どうやら会長はラプサンは大丈夫みたいですね」
「私の小さい頃には正露丸に糖衣錠なんてなかったし、腹を下すたびにお世話になってたから慣れもあるかな?」
まさか正露丸風味のお茶があるとは想像もしなかったが…といって黒松は笑う。
「緑茶も紅茶も同じチャノキの葉が原料で、緑茶を発酵させたのが紅茶なんで、胃腸を整えると言われている効能に大きな違いはないのかもしれません」
榛名はそう言うと言葉を続ける。
「我々日本人は正露丸は腹痛に良く効くと刷り込みがあるせいか、腹痛時にラプサンスーチョンを飲んだら本当に痛みが引いたって話がまことしやかに囁かれていますからね」
「まるでパブロフの犬だな」
そう言う自分もその一人だと黒松は言うと、楽しそうに笑った。
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