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~それぞれの想い人~
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お茶会からひと月ほど経った放課後、お世話当番の仕事を終えたユウは、梅雨空が広がる窓の外を一人ぼんやりと眺めていた。
「よく降るなぁ…」
ユウがそんな呟きを漏らしていると、学食で買ってきたサンドイッチなどが入った白い紙袋を抱えた渉が実験室に入って来る。
「あれ? ユウちゃん一人?」
「あ、先輩…」
渉に声をかけられたユウは少し驚いたように窓の外から実験室の中へ視線を移した。
「丸ちゃんがいないって事は、トキちゃんもいないって事か…」
そんな渉の呟きにユウは小さく頷く。
今だにトキの丸山に対する恋心は冷める事無く、最近はクラブ活動の時だけではなく、通学時からお昼休み、放課後までトキは丸山にべったり状態になっていた。
「あの二人一緒にいるのはよく見るんだけど…どうなってるの?」
見掛ける度に一緒ではあるが、雰囲気的に付き合っているという感じでない印象のが気になっていた渉は、トキの幼馴染でもあるユウに尋ねた。
「トキが一方的に丸先輩に熱を上げているって感じです――丸先輩優しいから嫌な素振りとかしないですけど、迷惑してるかも」
ユウはそう言うと「だけど最近あの子、私の言う事、全然聞く耳持ってくれなくって…」と、少し悲しそうにため息を吐く。
「ユウちゃんとトキちゃんって幼馴染って言ってたよね?」
渉の問いかけにユウは小さく頷く。
「トキの氏名が金子で私の氏名が金沢なんで、出席簿の並びが近いし、気が合うし、家も近所だったんで、小学校の頃からずっと一緒だったんだけど…」
そんなトキが丸山と出会ってからユウに対する態度が一変したのだという。
「今までもトキが好きになった人っていたんだけど、今まで私の事を全く考えなくなるなんて無かったのに」
トキの変貌ぶりにユウは全く理解できず、ただ戸惑っているのだという。
「そうなのか、なんか寂しいね」
「寂しくないって言ったら嘘になっちゃいますけど、トキが幸せだったらいいんです」
ユウはユウなりにいろいろ思うところがあるらしく、そう言うと前から気になっていたという疑問を口にした。
「渉先輩——丸先輩って、もしかして男性が好きだったりします?」
「へ?」
突拍子もないユウの質問に渉の目が点になる。
「後輩女子から好きですアピールを猛烈にされているんだから悪い気はしないと思うし、付き合っている人がいないなら、普通その子と付き合ったりするじゃないですか」
なのに丸山は、トキが付きまとい始めて数カ月になるというのに未だに付き合う訳でもなく、手を出す事もせず――かといってトキを嫌って遠ざける訳でもなく、いつもニコニコしているだけなので、もしかしたら女子に興味がないのでは? と思ったのだという。
「…いや…まあ…確かに普通そう思うよな」
ユウが言う事ももっともではあるが、丸山の好みのタイプなど話したことも無ければ聞いた事もなかった渉は、何とも言えないといった表情を浮かべた。
「もし丸先輩の好みが男性だったとしたらトキが可哀想すぎるんで、渉先輩、丸先輩の好みのタイプを訊いてくれませんか?」
「え…ええ⁈ 俺が⁈」
思いもかけない白羽の矢に渉は困惑の声を上げる。
「トキが悲しむところ見たくないんです!」
そう言うと、ユウは渉に手を合わせた。
幼馴染の幸せを願うユウの想いに押される形で、頷くしかない渉であった。
勢いでユウの依頼を引き受ける形となった渉であったが、丸山に好みのタイプを訊こうとしても、なかなかその機会は訪れなかった。
「トキちゃん、ほんと丸ちゃんにずっとくっついてるからなぁ…まさか、トキちゃんがいる所で丸ちゃんの好きなタイプを訊くわけにもいかないし…」
恒温高圧滅菌器(オートクレープ)での寒天培地の滅菌作業をしながら、渉はなんとか丸山からトキが離れる機会を作れないかと頭を悩ませていた。
「先輩何か言いました?」
棚から両眼顕微鏡を取り出した藤原が、不思議そうな顔でブツブツと独り言を呟いていた渉に訊く。
藤原は先月のお茶会の後、同じテーブルだった加山と共に入部した新入部員で、生物部部員としての基礎講習を丸山や高橋から受けている最中であった。
「あ、何でも無い――今から講習?」
「そうです。新入部員全員でこれから」
「そっか…頑張って」
渉の応援の言葉に藤原は小さく頭を下げると、実験室の方へ両眼顕微鏡を持って入って行った。
「新入部員全員って言ってたから、あっちは藤原君と加山君、トキちゃんとユウちゃん、あと清水さんと田中さんがいるのか――」
お茶会に参加したメンバーの中で、最後に渡された白紙の入部届を後日持ってきたのは男子二人、女子二人で、内訳は一年生三人と二年生が一人という結果となっていた。
「それに先に入部していたトキちゃんとユウちゃんを足すと一年が一気に五人になったし、二年も丸ちゃんに高橋君、順子ちゃんに、田中さんが加わって…あ、それにあおいちゃんも加えたら一気に五人になったんだもんな――怪しいお茶会効果すげぇ」
指折り数え、一気に大所帯となった事にちょっと感動する。
「今、考えるとトキちゃんの存在が無かったらお茶会イベントをしようなんて思わなかったんだから、トキちゃんに感謝しないとなぁ」
今回のお茶会自体、トキの恋の熱がいつ冷めるかわからないといった不安感からだったので、少々複雑な心境ではあったが、ユウの頼みもあるし、丸山の好みを訊いてやらなければという気持ちになっていた。
実験室を覗くと、高橋が両眼顕微鏡の取扱いについてのレクチャーを新入部員にしている最中だったので、渉は邪魔をしないように彼らから少し離れた席へ座り講習の様子を見守る事にした。
「——接眼レンズは単眼の顕微鏡と同じで、最初は観察対象物のギリギリまで横から見ながら下ろして、ダイアルを回してレンズの位置を上げながらピントを合わせていきます」
髙橋は説明が終わると、二年女子の田中を指名して実際にやってみるように指示を出す。
去年は渉の指導で両眼顕微鏡の扱い方を覚えていた高橋が、今は指導する側になった事に喜びの様なものを感じながら、今日は高橋の補助の役割なのか、全体の様子を横で見守っている丸山の方に視線を移した。
熱心にメモを取りながら質問する加山に丸山が答えていて、そんな丸山をトキが熱い視線を送っているのだが、丸山自身はその視線を全く気にする様子もなく、いつもの様子でにこやかに笑っているのを見て渉は思わず苦笑いする。
――こりゃ暖簾に腕押しだよな。
これではユウが心配するのも無理はないと、渉も思わずにはいられない。
トキの想いを丸山が気が付いていない訳ではないというのは、お茶会イベントの企画を持ちかけた時の丸山に言動からもはっきりしているので、そうなると丸山が何を考えているのかという話になってくる。
――ユウちゃんが言うように、同性愛者? …いや、まさかね。
渉は小さく首を左右に振り、丸山の本音を聞き出す作戦を練り始めた。
六月最後の日曜日。
新入部員歓迎会を兼ねた親睦会の為、繁華街にあるボウリング場に生物部のメンバーが顔を揃えていた。
「ボウリングなんて久しぶりだなぁ」
レンタルのシューズに履き替えながら高橋が感慨深そうに呟きを漏らすと、その隣にいた加山が「自分もです――ボウリングは久しぶりだし、下手だから溝掃除ばっかりになると思うんで、笑わないでくださいね」と笑う。そんなたわいもない話をしていると、受付を済ました渉が合流した。
「この人数でひとレーンじゃ、なかなか順番が回ってこないんで、二つに分けるぞ」
渉はそう言うと、紙に書いたあみだくじを差し出し、自分の名前を書くようにと言う。
あみだくじはA班が渉、丸山、トキ、田中、藤原で、B班はあおい、高橋、順子、ユウ、清水、加山がB班という結果になった。
二班に分かれてはいるが、プレイするレーンは隣り合っているので、みんなで楽しむには問題は無いようである。
案内されたレーンのブースに入った一行はソファーに手荷物を置くと、ボールスタンドに置かれた自分に合うボウリング玉を探しに行く。
丸山が借りてきたボールをリターン台に置いていると、トキも自分用のボールを借りて戻って来た。
「丸先輩のボール重そうですね」
「一応、男子だからね」
いつもと変わらない様子で丸山はにこやかに答えていると、藤原や田中も自分に合うボールを探して持って来た。
「——全員、揃った? じゃあ、第一ゲーム開始するよ」
レーンのコンソール席でメンバーに名前を入力していた渉が声をかけ、プレー開始のボタンをクリックする。
A班の投球順番は藤原、トキ、田中、丸山、渉の順で、順番が最初の藤原がボールを手にアドレス――投球準備に入った。
「藤原 いっきまーす」
少しふざけた様な口調で藤原はそう言うとレーンの先のピンをめがけて球を投げる。藤原が投げたボールは真ん中のヘッドピンからは若干ずれてはいたが、かなり勢いがあったのもありボールが当たった瞬間、全てのピンがはじけ飛ぶ。
「すげー」
一発目からのストライクに一同感嘆の声を上げた。
メンバー達から拍手を受けて席に戻って来た藤原は「どうもどうも」と言いながら照れくさそうな笑顔を見せる。
「…次、トキちゃんの番だよ」
驚いた顔で藤原を見ていたトキに渉が声をかけると、トキは「下手なんで笑わないでくださいね」と言って席を立った。
――さて、どのタイミングで丸ちゃんに話を聞くかだな。
トキがボールを持ってアドレスに入ったのを確認した渉は、ソファーで藤原や田中と話をしながらジュースを飲んでいる丸山の方に視線を移す。
渉が今回の親睦会をボウリングにしたのは、自然な形でトキを丸山から引きはがし、丸山から話を訊く機会を作る為であった。
ボウリングは1ゲーム10フレーム制。1フレームにつきストライクが出れば投球は一回となるが、そうでなければ二回投球する事となり、ボールリターンの時間も考えると、トキの投球の順番の時に、数分ではあるが確実に丸山と引きはがす事ができた。
――まあ、3ゲームでレーンを取ったから、急がなくてもいいか…。
どんな口実を付けてこのコンソール席の隣に丸山を座らせるか考えながら、両手でボールを転がすトキの後ろ姿を見る渉であった。
「トキちゃんファイト!」
最初少し緊張していたのか固い表情だった田中だったが、2ゲーム目の中盤を超えたあたりから、トキがかなりボウリングが苦手なタイプという事に親近感をもったのか、田中は順番が回って来た時に声援を送る様になっていた。そんな田中の声援に戸惑っていたトキであったが、次第にその応援に笑顔で応えるようになっていた。
トキがアドレスに入ると、藤原と田中の二人が楽しそうに雑談を始める。メンバー同士の雰囲気が和やかになって来たのを確認して、渉は丸山を手招きをした。
「…丸ちゃん、ちょっと」
「あ、はい」
呼ばれた丸山はソファーから立ち上がり渉が座るコンソール席の側に来ると、渉は隣に座る様に促す。
「丸ちゃん、結構ボウリング上手いね」
いきなり本題に入る訳にはいかないと思ったのか、渉はコンソールのモニターに表示されたスコア表を指し示しながら口を開いた。
「…いや、俺、ノーコンっすよ」
苦笑いを浮かべる丸山に、渉はノーコンと言いながらもスコアがいいじゃないかと笑う。
「力技っす――ボールが重いんで、勢いをつけて投げれば結構破壊力あるんで」
「そういうものか? 俺の場合、ストライクかガータって感じですげーバラつきがあるから、全然スコア伸びないんだよ」
「安定して上手いのは藤原君ですね――トキちゃんと田中さんはどっこいどっこいって感じですけど…」
丸山はそう言って小さく笑う。
「それにしても、トキちゃんのボウリングの投球スタイルって独特だよな」
ボウリングの玉を投げるというより、両手でボウリング玉をレーンにゆっくり転がすといったプレイスタイルをトキの後ろ姿を見ながら渉が呟いた。
「彼女、指だけでボーリング玉を持つと、指がもげそうだって言ってましたけど」
かなり軽い重さの玉なんですけどねと言って丸山は小さく笑う。
「ほんとトキちゃんって、か弱い女の子って感じだよな――ところで丸ちゃんはトキちゃんと付き合う気は無い訳?」
「え?」
ようやく本題に話を切り込んだ渉の質問に、丸山は少し驚いた様な表情になる。
「トキちゃん一途だし、丸ちゃんの事好きなのはわかってんだろ?」
「——トキちゃんの好意はありがたくはあるんですけどね」
「その言い方…もしかして丸ちゃん、他に好きな人がいるとか?」
「いや…まあ…はは」
「あ~」
カマをかけたつもりが図星だったらしく、笑ってごまかす丸山を渉は少し驚いた目で見る。
「マジか…。って事はトキちゃん恋愛対象外って事かよ」
それならそれで早く言ってやれよと思いながら渉が言うと、丸山は二投目のボールが戻って来るのを待ちながら田中たちと言葉を交わしているトキを見ながら苦笑いを浮かべる。
「恋愛対象外っていうか、俺的にトキちゃんって可愛い妹って感じなんっすよ」
「妹かぁ…。因みに丸ちゃんの好きな人ってどんな人な訳?」
「え~、言わなきゃダメっすか?」
「言いたくなかったら、別に構わないけど、どんな人が丸ちゃんのタイプなのかと思ったからさ」
渉がそう言うと、丸山は仕方がないなといった表情を浮かべて重い口を開いた。
「俺の好きな人は、髪が長くて朗らかで優しくて…でも自分の芯はしっかりと持っている料理上手の女性なんですけどね」
「えらく具体的なのに、なんですけどって…片思い?」
丸山は小さく頷くと、もう話す事は無いといった様子で席を立ちソファー席の方に戻って行く。
とりあえず直接丸山の口から、好きなのは女性で、同性が好きという訳ではないという事を聞いたのでホッとした渉であったが、ふとある事を思いついて茫然となる。
――髪が長くて朗らかで優しくて、心の芯がしっかりした料理上手の女性って、もしかして…香奈子先輩⁈
本当はその推測をその場で確認したい渉であったが、結局、丸山本人に確認する事は出来なかった。
「結論から言うと、丸ちゃんは同性が好きって訳じゃなく、恋愛対象は極めてノーマルだったよ」
親睦会から数日後、渉は丸山の好きなタイプを確認した事をユウに報告していた。
「そうだったんですか…となると、何で?」
ノーマルなら何故トキの好意を受け止めないのか? と不思議で仕方がないといった様子でユウは渉に訊く。
「なんか丸ちゃんにとってトキちゃんは可愛い妹って存在らしいよ」
「妹…」
渉の言葉にユウは複雑そうな表情になった。
「——そう、可愛い妹に手を出そうなんて思う兄貴は外道じゃなきゃいないと思うよ」
「…」
黙り込んだユウを見ながら渉は――丸ちゃんに片思いの好きな人がいるって話は、彼女たちにはしない方が良さげだよなと、心の中で呟く。
「とりあえず今現在の丸ちゃんは…って話だし、今後、丸ちゃんが心変わりするか、しないかは俺には解らないけど、少なくても可愛い妹だと思っているトキちゃんの事をひどい扱いすることは無いと思うよ」
「…そ、そうですね」
渉の言葉に少し安心したのか、ユウの表情に笑顔が戻る。
「じゃ、そういう事だから」
自分の役目はここまでだといった様子で渉は片手を挙げると、早々にユウの前から立ち去った。
――人に想ってもらえるって、ちょっとうらやましいな。
トキから想いを寄せられる丸山然り、そのトキの幸せを想うユウ然り、そして丸山の想い人然り。
この学校に入学した当時は、渉も新しいたくさんの出会いや恋をする事もあるかも…と、期待で心を膨らませたものの、現実は三年生の夏休みを前にしても渉が想いを寄せる人もいなければ、自分に想いを寄せてくれる人物と出会える事などなかった。
――そういや俺、恋ってした事ないかも。
これから恋愛をするチャンスが自分に訪れるのであろうか? という疑問が心に浮かぶが、その答えは神のみぞ知る事であった。
「よく降るなぁ…」
ユウがそんな呟きを漏らしていると、学食で買ってきたサンドイッチなどが入った白い紙袋を抱えた渉が実験室に入って来る。
「あれ? ユウちゃん一人?」
「あ、先輩…」
渉に声をかけられたユウは少し驚いたように窓の外から実験室の中へ視線を移した。
「丸ちゃんがいないって事は、トキちゃんもいないって事か…」
そんな渉の呟きにユウは小さく頷く。
今だにトキの丸山に対する恋心は冷める事無く、最近はクラブ活動の時だけではなく、通学時からお昼休み、放課後までトキは丸山にべったり状態になっていた。
「あの二人一緒にいるのはよく見るんだけど…どうなってるの?」
見掛ける度に一緒ではあるが、雰囲気的に付き合っているという感じでない印象のが気になっていた渉は、トキの幼馴染でもあるユウに尋ねた。
「トキが一方的に丸先輩に熱を上げているって感じです――丸先輩優しいから嫌な素振りとかしないですけど、迷惑してるかも」
ユウはそう言うと「だけど最近あの子、私の言う事、全然聞く耳持ってくれなくって…」と、少し悲しそうにため息を吐く。
「ユウちゃんとトキちゃんって幼馴染って言ってたよね?」
渉の問いかけにユウは小さく頷く。
「トキの氏名が金子で私の氏名が金沢なんで、出席簿の並びが近いし、気が合うし、家も近所だったんで、小学校の頃からずっと一緒だったんだけど…」
そんなトキが丸山と出会ってからユウに対する態度が一変したのだという。
「今までもトキが好きになった人っていたんだけど、今まで私の事を全く考えなくなるなんて無かったのに」
トキの変貌ぶりにユウは全く理解できず、ただ戸惑っているのだという。
「そうなのか、なんか寂しいね」
「寂しくないって言ったら嘘になっちゃいますけど、トキが幸せだったらいいんです」
ユウはユウなりにいろいろ思うところがあるらしく、そう言うと前から気になっていたという疑問を口にした。
「渉先輩——丸先輩って、もしかして男性が好きだったりします?」
「へ?」
突拍子もないユウの質問に渉の目が点になる。
「後輩女子から好きですアピールを猛烈にされているんだから悪い気はしないと思うし、付き合っている人がいないなら、普通その子と付き合ったりするじゃないですか」
なのに丸山は、トキが付きまとい始めて数カ月になるというのに未だに付き合う訳でもなく、手を出す事もせず――かといってトキを嫌って遠ざける訳でもなく、いつもニコニコしているだけなので、もしかしたら女子に興味がないのでは? と思ったのだという。
「…いや…まあ…確かに普通そう思うよな」
ユウが言う事ももっともではあるが、丸山の好みのタイプなど話したことも無ければ聞いた事もなかった渉は、何とも言えないといった表情を浮かべた。
「もし丸先輩の好みが男性だったとしたらトキが可哀想すぎるんで、渉先輩、丸先輩の好みのタイプを訊いてくれませんか?」
「え…ええ⁈ 俺が⁈」
思いもかけない白羽の矢に渉は困惑の声を上げる。
「トキが悲しむところ見たくないんです!」
そう言うと、ユウは渉に手を合わせた。
幼馴染の幸せを願うユウの想いに押される形で、頷くしかない渉であった。
勢いでユウの依頼を引き受ける形となった渉であったが、丸山に好みのタイプを訊こうとしても、なかなかその機会は訪れなかった。
「トキちゃん、ほんと丸ちゃんにずっとくっついてるからなぁ…まさか、トキちゃんがいる所で丸ちゃんの好きなタイプを訊くわけにもいかないし…」
恒温高圧滅菌器(オートクレープ)での寒天培地の滅菌作業をしながら、渉はなんとか丸山からトキが離れる機会を作れないかと頭を悩ませていた。
「先輩何か言いました?」
棚から両眼顕微鏡を取り出した藤原が、不思議そうな顔でブツブツと独り言を呟いていた渉に訊く。
藤原は先月のお茶会の後、同じテーブルだった加山と共に入部した新入部員で、生物部部員としての基礎講習を丸山や高橋から受けている最中であった。
「あ、何でも無い――今から講習?」
「そうです。新入部員全員でこれから」
「そっか…頑張って」
渉の応援の言葉に藤原は小さく頭を下げると、実験室の方へ両眼顕微鏡を持って入って行った。
「新入部員全員って言ってたから、あっちは藤原君と加山君、トキちゃんとユウちゃん、あと清水さんと田中さんがいるのか――」
お茶会に参加したメンバーの中で、最後に渡された白紙の入部届を後日持ってきたのは男子二人、女子二人で、内訳は一年生三人と二年生が一人という結果となっていた。
「それに先に入部していたトキちゃんとユウちゃんを足すと一年が一気に五人になったし、二年も丸ちゃんに高橋君、順子ちゃんに、田中さんが加わって…あ、それにあおいちゃんも加えたら一気に五人になったんだもんな――怪しいお茶会効果すげぇ」
指折り数え、一気に大所帯となった事にちょっと感動する。
「今、考えるとトキちゃんの存在が無かったらお茶会イベントをしようなんて思わなかったんだから、トキちゃんに感謝しないとなぁ」
今回のお茶会自体、トキの恋の熱がいつ冷めるかわからないといった不安感からだったので、少々複雑な心境ではあったが、ユウの頼みもあるし、丸山の好みを訊いてやらなければという気持ちになっていた。
実験室を覗くと、高橋が両眼顕微鏡の取扱いについてのレクチャーを新入部員にしている最中だったので、渉は邪魔をしないように彼らから少し離れた席へ座り講習の様子を見守る事にした。
「——接眼レンズは単眼の顕微鏡と同じで、最初は観察対象物のギリギリまで横から見ながら下ろして、ダイアルを回してレンズの位置を上げながらピントを合わせていきます」
髙橋は説明が終わると、二年女子の田中を指名して実際にやってみるように指示を出す。
去年は渉の指導で両眼顕微鏡の扱い方を覚えていた高橋が、今は指導する側になった事に喜びの様なものを感じながら、今日は高橋の補助の役割なのか、全体の様子を横で見守っている丸山の方に視線を移した。
熱心にメモを取りながら質問する加山に丸山が答えていて、そんな丸山をトキが熱い視線を送っているのだが、丸山自身はその視線を全く気にする様子もなく、いつもの様子でにこやかに笑っているのを見て渉は思わず苦笑いする。
――こりゃ暖簾に腕押しだよな。
これではユウが心配するのも無理はないと、渉も思わずにはいられない。
トキの想いを丸山が気が付いていない訳ではないというのは、お茶会イベントの企画を持ちかけた時の丸山に言動からもはっきりしているので、そうなると丸山が何を考えているのかという話になってくる。
――ユウちゃんが言うように、同性愛者? …いや、まさかね。
渉は小さく首を左右に振り、丸山の本音を聞き出す作戦を練り始めた。
六月最後の日曜日。
新入部員歓迎会を兼ねた親睦会の為、繁華街にあるボウリング場に生物部のメンバーが顔を揃えていた。
「ボウリングなんて久しぶりだなぁ」
レンタルのシューズに履き替えながら高橋が感慨深そうに呟きを漏らすと、その隣にいた加山が「自分もです――ボウリングは久しぶりだし、下手だから溝掃除ばっかりになると思うんで、笑わないでくださいね」と笑う。そんなたわいもない話をしていると、受付を済ました渉が合流した。
「この人数でひとレーンじゃ、なかなか順番が回ってこないんで、二つに分けるぞ」
渉はそう言うと、紙に書いたあみだくじを差し出し、自分の名前を書くようにと言う。
あみだくじはA班が渉、丸山、トキ、田中、藤原で、B班はあおい、高橋、順子、ユウ、清水、加山がB班という結果になった。
二班に分かれてはいるが、プレイするレーンは隣り合っているので、みんなで楽しむには問題は無いようである。
案内されたレーンのブースに入った一行はソファーに手荷物を置くと、ボールスタンドに置かれた自分に合うボウリング玉を探しに行く。
丸山が借りてきたボールをリターン台に置いていると、トキも自分用のボールを借りて戻って来た。
「丸先輩のボール重そうですね」
「一応、男子だからね」
いつもと変わらない様子で丸山はにこやかに答えていると、藤原や田中も自分に合うボールを探して持って来た。
「——全員、揃った? じゃあ、第一ゲーム開始するよ」
レーンのコンソール席でメンバーに名前を入力していた渉が声をかけ、プレー開始のボタンをクリックする。
A班の投球順番は藤原、トキ、田中、丸山、渉の順で、順番が最初の藤原がボールを手にアドレス――投球準備に入った。
「藤原 いっきまーす」
少しふざけた様な口調で藤原はそう言うとレーンの先のピンをめがけて球を投げる。藤原が投げたボールは真ん中のヘッドピンからは若干ずれてはいたが、かなり勢いがあったのもありボールが当たった瞬間、全てのピンがはじけ飛ぶ。
「すげー」
一発目からのストライクに一同感嘆の声を上げた。
メンバー達から拍手を受けて席に戻って来た藤原は「どうもどうも」と言いながら照れくさそうな笑顔を見せる。
「…次、トキちゃんの番だよ」
驚いた顔で藤原を見ていたトキに渉が声をかけると、トキは「下手なんで笑わないでくださいね」と言って席を立った。
――さて、どのタイミングで丸ちゃんに話を聞くかだな。
トキがボールを持ってアドレスに入ったのを確認した渉は、ソファーで藤原や田中と話をしながらジュースを飲んでいる丸山の方に視線を移す。
渉が今回の親睦会をボウリングにしたのは、自然な形でトキを丸山から引きはがし、丸山から話を訊く機会を作る為であった。
ボウリングは1ゲーム10フレーム制。1フレームにつきストライクが出れば投球は一回となるが、そうでなければ二回投球する事となり、ボールリターンの時間も考えると、トキの投球の順番の時に、数分ではあるが確実に丸山と引きはがす事ができた。
――まあ、3ゲームでレーンを取ったから、急がなくてもいいか…。
どんな口実を付けてこのコンソール席の隣に丸山を座らせるか考えながら、両手でボールを転がすトキの後ろ姿を見る渉であった。
「トキちゃんファイト!」
最初少し緊張していたのか固い表情だった田中だったが、2ゲーム目の中盤を超えたあたりから、トキがかなりボウリングが苦手なタイプという事に親近感をもったのか、田中は順番が回って来た時に声援を送る様になっていた。そんな田中の声援に戸惑っていたトキであったが、次第にその応援に笑顔で応えるようになっていた。
トキがアドレスに入ると、藤原と田中の二人が楽しそうに雑談を始める。メンバー同士の雰囲気が和やかになって来たのを確認して、渉は丸山を手招きをした。
「…丸ちゃん、ちょっと」
「あ、はい」
呼ばれた丸山はソファーから立ち上がり渉が座るコンソール席の側に来ると、渉は隣に座る様に促す。
「丸ちゃん、結構ボウリング上手いね」
いきなり本題に入る訳にはいかないと思ったのか、渉はコンソールのモニターに表示されたスコア表を指し示しながら口を開いた。
「…いや、俺、ノーコンっすよ」
苦笑いを浮かべる丸山に、渉はノーコンと言いながらもスコアがいいじゃないかと笑う。
「力技っす――ボールが重いんで、勢いをつけて投げれば結構破壊力あるんで」
「そういうものか? 俺の場合、ストライクかガータって感じですげーバラつきがあるから、全然スコア伸びないんだよ」
「安定して上手いのは藤原君ですね――トキちゃんと田中さんはどっこいどっこいって感じですけど…」
丸山はそう言って小さく笑う。
「それにしても、トキちゃんのボウリングの投球スタイルって独特だよな」
ボウリングの玉を投げるというより、両手でボウリング玉をレーンにゆっくり転がすといったプレイスタイルをトキの後ろ姿を見ながら渉が呟いた。
「彼女、指だけでボーリング玉を持つと、指がもげそうだって言ってましたけど」
かなり軽い重さの玉なんですけどねと言って丸山は小さく笑う。
「ほんとトキちゃんって、か弱い女の子って感じだよな――ところで丸ちゃんはトキちゃんと付き合う気は無い訳?」
「え?」
ようやく本題に話を切り込んだ渉の質問に、丸山は少し驚いた様な表情になる。
「トキちゃん一途だし、丸ちゃんの事好きなのはわかってんだろ?」
「——トキちゃんの好意はありがたくはあるんですけどね」
「その言い方…もしかして丸ちゃん、他に好きな人がいるとか?」
「いや…まあ…はは」
「あ~」
カマをかけたつもりが図星だったらしく、笑ってごまかす丸山を渉は少し驚いた目で見る。
「マジか…。って事はトキちゃん恋愛対象外って事かよ」
それならそれで早く言ってやれよと思いながら渉が言うと、丸山は二投目のボールが戻って来るのを待ちながら田中たちと言葉を交わしているトキを見ながら苦笑いを浮かべる。
「恋愛対象外っていうか、俺的にトキちゃんって可愛い妹って感じなんっすよ」
「妹かぁ…。因みに丸ちゃんの好きな人ってどんな人な訳?」
「え~、言わなきゃダメっすか?」
「言いたくなかったら、別に構わないけど、どんな人が丸ちゃんのタイプなのかと思ったからさ」
渉がそう言うと、丸山は仕方がないなといった表情を浮かべて重い口を開いた。
「俺の好きな人は、髪が長くて朗らかで優しくて…でも自分の芯はしっかりと持っている料理上手の女性なんですけどね」
「えらく具体的なのに、なんですけどって…片思い?」
丸山は小さく頷くと、もう話す事は無いといった様子で席を立ちソファー席の方に戻って行く。
とりあえず直接丸山の口から、好きなのは女性で、同性が好きという訳ではないという事を聞いたのでホッとした渉であったが、ふとある事を思いついて茫然となる。
――髪が長くて朗らかで優しくて、心の芯がしっかりした料理上手の女性って、もしかして…香奈子先輩⁈
本当はその推測をその場で確認したい渉であったが、結局、丸山本人に確認する事は出来なかった。
「結論から言うと、丸ちゃんは同性が好きって訳じゃなく、恋愛対象は極めてノーマルだったよ」
親睦会から数日後、渉は丸山の好きなタイプを確認した事をユウに報告していた。
「そうだったんですか…となると、何で?」
ノーマルなら何故トキの好意を受け止めないのか? と不思議で仕方がないといった様子でユウは渉に訊く。
「なんか丸ちゃんにとってトキちゃんは可愛い妹って存在らしいよ」
「妹…」
渉の言葉にユウは複雑そうな表情になった。
「——そう、可愛い妹に手を出そうなんて思う兄貴は外道じゃなきゃいないと思うよ」
「…」
黙り込んだユウを見ながら渉は――丸ちゃんに片思いの好きな人がいるって話は、彼女たちにはしない方が良さげだよなと、心の中で呟く。
「とりあえず今現在の丸ちゃんは…って話だし、今後、丸ちゃんが心変わりするか、しないかは俺には解らないけど、少なくても可愛い妹だと思っているトキちゃんの事をひどい扱いすることは無いと思うよ」
「…そ、そうですね」
渉の言葉に少し安心したのか、ユウの表情に笑顔が戻る。
「じゃ、そういう事だから」
自分の役目はここまでだといった様子で渉は片手を挙げると、早々にユウの前から立ち去った。
――人に想ってもらえるって、ちょっとうらやましいな。
トキから想いを寄せられる丸山然り、そのトキの幸せを想うユウ然り、そして丸山の想い人然り。
この学校に入学した当時は、渉も新しいたくさんの出会いや恋をする事もあるかも…と、期待で心を膨らませたものの、現実は三年生の夏休みを前にしても渉が想いを寄せる人もいなければ、自分に想いを寄せてくれる人物と出会える事などなかった。
――そういや俺、恋ってした事ないかも。
これから恋愛をするチャンスが自分に訪れるのであろうか? という疑問が心に浮かぶが、その答えは神のみぞ知る事であった。
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