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~奇人変人博覧会⁈~
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生物室と聞くと、薄暗い部屋の棚に並べられたホルマリン漬けの瓶詰め標本や骨格標本、不気味な人体模型をまず思い浮かべ、気味が悪い印象を持っている者は多い。
「中学時代の生物室って薄暗くて不気味だったんだけどなぁ…」
生物準備室を見回して渉が何とも言えない表情を浮かべた。
この珠河高等学校の生物室や生物準備室の雰囲気は、渉が知る生物室の印象とはかなり違うものであった。
照明は明るく壁は塗りたての様な白さを保っているので全体的に清潔感の様なものがあったし、棚にホルマリン漬けの標本などが無いせいか、その独特の異臭もしない。部屋全体の不気味さを演出する等身大の人体模型もあるのだが、何故か野球帽を被りTシャツを着せられ、肩から虫かごをたすき掛けにぶら下げている。ご丁寧に片手には虫取り網が括りつけられていた。
「——虫取り少年?」
滑稽とも思える人体標本の姿を眺め、渉は首を傾げる。
「春になって昆虫たちも活動期に入ったからトオル君も衣装替えしたみたいだよ」
生物準備室の自分の机で採点作業をしていた生物教師であり、生物部顧問の武田 繁(たけだ・しげる)が、渉の呟きが聞こえたのか手を止めて笑う。
「トオル君?」
「その人体標本の名前。誰が名前を付けたのか僕は知らないけれど、生徒たちは代々そう呼んでるんだ」
「へぇ…」
そもそも人体模型に名前が付いている事自体不思議であったが、それ以上に不思議だったのはその格好である。
「何でこんな変な格好させてるんですか?」
武田の話によると、生物部部員に受け継がれている習慣で、季節ごとに様々な趣向を凝らした格好をさせているらしい。
「…らしいですね」
予想を裏切らない話に、渉は呆れ半分のため息をもらした。
「人体模型なんて授業で使う事はほとんど無いし、マネキンの仲間だと思えば、季節感のあるインテリアで面白いと僕は思うけどな」
――あんたも面白かったらそれでいいタイプかいっ。
武田の言葉を聞いた渉は心の中でツッコミを入れる。
「——ところで鏡くんは、高校生活には慣れてきたかい?」
「授業の時間が中学の頃に比べて長いから最初はびっくりしましたけど」
「大学に行ったら授業の一コマはもっと長くなるけど、何事も慣れだからね」
教師らしい言葉に渉が曖昧に頷くと、武田は「まあ、ぼちぼち頑張れ」と言って採点作業を再開した。
生物部の部長である優子とのじゃんけんに負けた渉は生物部に入部する事となったが、入部してひと月程になってもまだ具体的に自分のしたい事を見つけられずにいた。
「ラッキーの機嫌は今日はどうかな?」
不本意な入部であったが、律儀な性格なのか渉はとりあえず放課後になると部室である生物室には必ず顔を出すのには理由があった――生物部で飼育しているグリーンイグアナの「ラッキー」の様子を見るのが楽しみだったからである。
生物部の怪しいお茶会が校内では有名であったが、グリーンイグアナの飼育や水棲両生類のアフリカツメガエルの飼育など、一応生物部らしい活動もやっていた。
大きなケージの中に置かれた流木の上でラッキーはいつものように目をつむり、紫外線を放つUVライトの光を浴びているのを見て渉は「やっぱイグアナって小さい恐竜だよな…」と言いながらケージの掃除を始める。
ケージの床に敷いた汚れたペットシーツを新しいものに取り換え、糞の状態をみて健康状態の確認をする。
「こちらはいつもと変わらない…っと」
ケージの横に置かれたノートを取り出して糞の状態の記録を書きこむ。
その後、エサである野菜と水を新しいものに取り換えて、その記録もノートにつけた。
「なんか俺、生物部っぽいぞ」
渉がひとりニヤニヤしていると、準備室に銀縁眼鏡をかけた男子生徒が入って来た。
「あ、古谷先輩…」
男子生徒は二年生の生物部員、古谷 将(ふるや・まさる)である。
「ラッキーの世話やってくれたんやね、ありがとう」
ケージの状態を確認した古谷は渉に礼を言うと、実験台の上に教科書やノート、参考書などを並べ勉強を始めた。
「…先輩、勉強熱心なんですね」
部室まできて勉強しなくてもと思って渉がそう言うと、古谷はもうすぐ中間テストがあるからという答えだった。
「やっぱ高校は試験勉強しなきゃマズいですか?」
渉の中学時代、定期試験は一夜漬けでやり過ごしてきたので、定期試験対策にきちんと試験勉強をする古谷に素朴な疑問をぶつける。
「好きにすればええと思うで――僕は学年トップの成績を維持したいから勉強しているやし」
「学年トップ…マジっすか」
今迄、身近に学年トップの成績の知り合いがいなかったので渉が目を丸くしていると、古谷が「ここは快適に勉強できるから」と笑う。
「快適…ですか?」
「基本的には静かで落ち着いた場所やし、わからない事があれば先生に尋ねに行けるからな」
「図書館でもいいような…」
渉の言葉に古谷は笑いながら首を振る。
「この部屋なら勉強しながら飲み食い自由やし、何より…」
「何より?」
「いつでもラッキーを見る事が出来るやん!」
穏やかな口調でクラスの委員長タイプの優等生といった雰囲気だった古谷の言葉が突如熱を帯びる。
「ラッキー?」
怪訝そうに訊き返す渉に古谷は「僕、ラッキーを見ているだけで幸せな気分になれるねん」と笑顔を見せる。
「先輩、イグアナが好きなんですか?」
「イグアナだけちゃう。爬虫類全体が好きやねん。鏡君は爬虫類を格好ええって思わん?」
「…恐竜のミニチュアみたいで格好いいですよね」
「せやろ!」
自分の意見に同意してもらったのが嬉しかったのか、古谷は嬉しそうに渉に握手を求めてくる。
「わかってくれる奴がおってめっちゃ嬉しいわ。これから僕ら友達や。先輩やなくて まさって呼んでくれてええで」
「へ?」
急な展開に目を白黒させている渉に構わず、古谷は言葉を続ける。
「僕も鏡君の事、下の名前で呼ぶから、それでええやろ⁈」
「…まあ」
「よっしゃ。渉くん、改めてよろしくな!」
嬉しそうにそう言う古谷に、渉は引きつった笑顔を浮かべそれに応える事しか出来なかった。
実験の授業がある時以外は教師と講師以外の姿が無い静かな生物室や準備室であったが、放課後になると部員たちが頻繁に出入りし、賑やかな場所となる。
「ようちゃん、サンドイッチとオレンジジュース買って来てぇ」
実験室の窓辺に置いた椅子に座り、気だるげに外の様子を眺めていた結城 静香(ゆうき・しずか)が、黒板にチョークで悪戯書きをしていた杉浦 洋司(すぎうら・ようじ)に声をかけた。
「他に欲しいものある?」
「今はない~」
「わかった」
静香の言葉に洋司は頷くと、実験室を駆け出してゆく。それを見ていた優子が「またパシらせてるし…」と呆れ声を上げた。そんな優子に静香は「彼は私のげ・ぼ・く」と悪びれる事無くそんな言葉を口にする――それは静香のお決まりのセリフであった。
静香も洋司も優子と同じ二年生の生物部員である。静香の学年は二年生であるが一年留年しているので、年齢は三年生と同じだった。年齢が影響している訳ではないのであろうが、女子高生とは思えない大人びた色気があり、若干クセはあるが整った顔立ちも相まって彼女に憧れる男子も数多い。
「ようちゃんは、ねこさんを甘やかしすぎなのよ」
ねこさん――それは静香のあだ名である。その容貌と性格から猫を連想した事から付けられた名前であった。
「嫌なら嫌でいいよって言ってるしぃ」
自分は悪くないと言いたいのか静香はそう言うと、優子に「新入部員どんな感じ?」と尋ねてくる。
「あおいはともかく、渉君はまだ海のモノとも山のモノとも判断つかないなぁ…なんで?」
「新しい玩具になるかなぁって思ったから」
「…やめなさい」
静香の悪い癖が始まったとばかり、優子は容赦なく静香の言葉を却下する。
「え~、そろそろ新しい玩具欲しい~」
「あんたに憧れてる男子多いんだから、そこから見繕えばいいじゃない」
「落とすのが面白いのに、それじゃ面白く無い」
「その気の無い人間の心を散々揺さぶって、落としたら毎回すぐにポイだもんねぇ…あんた、そのうち刺されるわよ」
静香の悪癖とも言える男癖の悪さを優子は良く知っていたので、その言葉に容赦はない。
「今が楽しかったらいいの、あんただって快楽主義でしょ」
静香の言葉に優子は一緒にするなと反論する。
「自分が楽しいからって他人に迷惑かけたりしないけど、あんたは自分が楽しいなら平気で相手を地獄に叩き落とす悪魔でしょ」
「人聞きが悪い――私は夢を見せてあげている聖女よ」
「悪女の間違いでしょ」
二人の後輩たちの会話を漫画を読みながら聞いていた岡部が「お前ら漫才コンビになれば?」と笑う。
「漫才⁈」
抗議めいた声を上げる優子に対して、静香が「べーさんは、どっちがボケだと思います?」と面白がるように聞く。
「どっちもボケツッコミだと思うけど、敢えていうならねこちゃんがボケかな?」
岡部の言葉に静香は「女性漫才師はボケの方が可愛いですもんねぇ」とまんざらでもない表情を浮かべた。
「自分で可愛いとか言うな」
静香にすかさずツッコミを入れる優子の言葉を聞いた岡部が爆笑していると、白い紙袋を手にした洋司が息を切らしながら戻って来た。
「楽しそうだね…はい、サンドイッチとオレンジジュース」
「ありがとう」
サンドイッチとオレンジジュースが入った紙袋を洋司から受け取った静香はにっこりと微笑むと、洋司に向かって投げキッスをする。それがいつもの洋司に対する静香のお礼であった。洋司はその投げキッスを嬉しそうに受けると、幸せそうな表情を浮かべる。
優子が洋司と静香を見比べ「本人が幸せならそれでいいんだけどさぁ…」と納得がいかない様子であった。
珠河高等学校生物部の現部長、志麻優子こと はかせは制服の上から白衣姿がトレードマークの、怪しいお茶会を主催する変人として校内の有名人であったが、実は前部長もかなりの変人で有名であった。
ある日の放課後、実験室の席に集まった生物部員たちを前に、黒板の前で迷彩服に白衣姿、手には教棒を持って立っていたのは、前生物部部長である藤木 忠志(ふじき・ただし)である。
「——では今日の講義は日本の防衛についてだ」
そう言うと、藤木は優子を指さし、わが国の防衛を担っているのは何の組織だ?といきなり質問をする。
「陸、海、空の自衛隊——志願制。中卒、高卒、一般の社会人枠の求人があり、防衛大学校っていう幹部候補生の為の全寮制の大学もありますね…昔は男子校でしたが、今は女子も入る事が出来ます」
すらすらと答える優子に藤木は満足げに頷く。
「その通り。この国を守りたい志高い者たちがこの国の安全を担っていると言っても過言ではない!」
声を張り上げる藤木を呆気にとられた表情で渉とあおいは見ていた。
前部長から全部員の招集があったと言うので来てみればこれなので、訳が分からないのも無理は無かった。
「現在、この国は近隣諸国による脅威に晒され続けている!」
他の部員たちはこの訳のわからない状況に慣れているのか、特に困惑している様子はない。
「…何でこんな話? あおいちゃん何か聞いてる?」
渉が隣の席に座って居るあおいに小声で尋ねる。あおいは渉と同じ新入生の一年生であるが、優子の中学時代の後輩であり、以前から優子と知り合いであるので何か知っているかもしれないと思ったからである。
「…わかんないですぅ」
あおいも詳しい事情は知らないらしく、困惑した表情を浮かべながら渉に囁き返す。
「生物部とは関係ない話だよなぁ…」
「ですよねぇ」
そんな話を新入生二人がひそひそやっていると、藤木はそれに気が付いたのか「そこの二人! 何か質問でもあるのか⁈」と声を張り上げる。
「生物部の部活なのに、日本の防衛の話をする理由を教えて下さい」
若干三年生の前部長の威圧的な雰囲気を感じて及び腰になりながら、渉は勇気をふり絞って声を上げる。
「生物をはじめとする科学全般の知識というものは我々の文明の礎であり、平和であるからこそ我々はこうやって日々勉学に励む事が出来るんだ——その平和を守ってくれているこの国の防衛をしてくれている組織がどんなところか知る機会が普段の生活では無いので、こうやってそれをみんなで知りろうじゃないか!」
藤木の説明に渉とあおいは顔を見合わせる。
もっともらしい意見に聞こえるが、しがない一市民でしかない高校生が部活で話し合う様な話題だとは思えなかった。かといって新入生である自分が三年生の元部長に正面切って異議を唱えにくい。よほど困惑した表情を二人が浮かべていたのか、実験室の隅の方に座っていた三年生の卜部 華(うらべ・はな)が苦笑いを浮かべながら口を開いた。
「インターネットが普及しているんだから、興味があれば何でも自分で調べる事が出来るでしょ――この国の防衛だとか世界情勢だとか。みんなの貴重な時間を割いてわざわざ藤木の講義を聞く必要なんて無いと私は思うけど」
「大人として知っておいて欲しい知識をお前たちに教えておこうと思っている俺の熱意が判らないというのか⁈」
華の正論に藤木は反論を試みるが、静香が「教官ごっこしたいなら、ちゃんとお願いしなきゃあねぇ――これ次第で考えなくもないけど…」と言いながら親指と人差し指で輪を作り、お金を示すサインを藤木に示した。そんな静香の言葉を香奈子が「私たちの時給高いですけどね~」と笑いながら後押しする。
「…お前らなぁ」
言葉を失う藤木に女子たちは「軍事オタク」「中二病」「時間泥棒」「暇人」「話のセンス悪っ」と一斉に抗議の声を浴びせかけた。
――うぁ、容赦ない。怖ぇ
女子たちにフルボッコにされている藤木の様子が痛々しく思えてきた渉が心の中でそう思っていると、岡部が「華ちゃんが狙撃で忠志の足止めをして、他の女子たちで機関銃の一斉掃射。こりゃ藤木は肉片すら残れねぇわ」と言いながらゲラゲラ笑う。
席を立った古谷が肩を落としている藤木に歩み寄るとその肩をポンと叩き「先輩、女には口で勝たれへぇんって…」と言葉をかけ、実験室を出ていった。
「は~い。解散」
優子も立ち上がり、手を叩いて場の解散を宣言する。
藤木に構うことなく部屋を出ていく部員たちと、黒板に手を付き落ち込んでいる藤木を見比べながら渉が戸惑っていると、華が「ここは先輩だからって遠慮する必要ないからね。間違っていたらちゃんと違うって言ってあげるのが愛だから」と笑う。その言葉を聞いた渉が複雑な表情になる。
「ちょっと愛の鞭は棘だらけだけど、自業自得」
最後に冷酷な目の色を浮かべた華が部屋を出ていく。それに気が付いてしまった渉は、常識人に見える華が一番怖い存在かもしれないと感じて身を震わせる。
「うちの生物部って奇人変人博覧会だよな…」
そう呟かずにはいられない渉であった。
「中学時代の生物室って薄暗くて不気味だったんだけどなぁ…」
生物準備室を見回して渉が何とも言えない表情を浮かべた。
この珠河高等学校の生物室や生物準備室の雰囲気は、渉が知る生物室の印象とはかなり違うものであった。
照明は明るく壁は塗りたての様な白さを保っているので全体的に清潔感の様なものがあったし、棚にホルマリン漬けの標本などが無いせいか、その独特の異臭もしない。部屋全体の不気味さを演出する等身大の人体模型もあるのだが、何故か野球帽を被りTシャツを着せられ、肩から虫かごをたすき掛けにぶら下げている。ご丁寧に片手には虫取り網が括りつけられていた。
「——虫取り少年?」
滑稽とも思える人体標本の姿を眺め、渉は首を傾げる。
「春になって昆虫たちも活動期に入ったからトオル君も衣装替えしたみたいだよ」
生物準備室の自分の机で採点作業をしていた生物教師であり、生物部顧問の武田 繁(たけだ・しげる)が、渉の呟きが聞こえたのか手を止めて笑う。
「トオル君?」
「その人体標本の名前。誰が名前を付けたのか僕は知らないけれど、生徒たちは代々そう呼んでるんだ」
「へぇ…」
そもそも人体模型に名前が付いている事自体不思議であったが、それ以上に不思議だったのはその格好である。
「何でこんな変な格好させてるんですか?」
武田の話によると、生物部部員に受け継がれている習慣で、季節ごとに様々な趣向を凝らした格好をさせているらしい。
「…らしいですね」
予想を裏切らない話に、渉は呆れ半分のため息をもらした。
「人体模型なんて授業で使う事はほとんど無いし、マネキンの仲間だと思えば、季節感のあるインテリアで面白いと僕は思うけどな」
――あんたも面白かったらそれでいいタイプかいっ。
武田の言葉を聞いた渉は心の中でツッコミを入れる。
「——ところで鏡くんは、高校生活には慣れてきたかい?」
「授業の時間が中学の頃に比べて長いから最初はびっくりしましたけど」
「大学に行ったら授業の一コマはもっと長くなるけど、何事も慣れだからね」
教師らしい言葉に渉が曖昧に頷くと、武田は「まあ、ぼちぼち頑張れ」と言って採点作業を再開した。
生物部の部長である優子とのじゃんけんに負けた渉は生物部に入部する事となったが、入部してひと月程になってもまだ具体的に自分のしたい事を見つけられずにいた。
「ラッキーの機嫌は今日はどうかな?」
不本意な入部であったが、律儀な性格なのか渉はとりあえず放課後になると部室である生物室には必ず顔を出すのには理由があった――生物部で飼育しているグリーンイグアナの「ラッキー」の様子を見るのが楽しみだったからである。
生物部の怪しいお茶会が校内では有名であったが、グリーンイグアナの飼育や水棲両生類のアフリカツメガエルの飼育など、一応生物部らしい活動もやっていた。
大きなケージの中に置かれた流木の上でラッキーはいつものように目をつむり、紫外線を放つUVライトの光を浴びているのを見て渉は「やっぱイグアナって小さい恐竜だよな…」と言いながらケージの掃除を始める。
ケージの床に敷いた汚れたペットシーツを新しいものに取り換え、糞の状態をみて健康状態の確認をする。
「こちらはいつもと変わらない…っと」
ケージの横に置かれたノートを取り出して糞の状態の記録を書きこむ。
その後、エサである野菜と水を新しいものに取り換えて、その記録もノートにつけた。
「なんか俺、生物部っぽいぞ」
渉がひとりニヤニヤしていると、準備室に銀縁眼鏡をかけた男子生徒が入って来た。
「あ、古谷先輩…」
男子生徒は二年生の生物部員、古谷 将(ふるや・まさる)である。
「ラッキーの世話やってくれたんやね、ありがとう」
ケージの状態を確認した古谷は渉に礼を言うと、実験台の上に教科書やノート、参考書などを並べ勉強を始めた。
「…先輩、勉強熱心なんですね」
部室まできて勉強しなくてもと思って渉がそう言うと、古谷はもうすぐ中間テストがあるからという答えだった。
「やっぱ高校は試験勉強しなきゃマズいですか?」
渉の中学時代、定期試験は一夜漬けでやり過ごしてきたので、定期試験対策にきちんと試験勉強をする古谷に素朴な疑問をぶつける。
「好きにすればええと思うで――僕は学年トップの成績を維持したいから勉強しているやし」
「学年トップ…マジっすか」
今迄、身近に学年トップの成績の知り合いがいなかったので渉が目を丸くしていると、古谷が「ここは快適に勉強できるから」と笑う。
「快適…ですか?」
「基本的には静かで落ち着いた場所やし、わからない事があれば先生に尋ねに行けるからな」
「図書館でもいいような…」
渉の言葉に古谷は笑いながら首を振る。
「この部屋なら勉強しながら飲み食い自由やし、何より…」
「何より?」
「いつでもラッキーを見る事が出来るやん!」
穏やかな口調でクラスの委員長タイプの優等生といった雰囲気だった古谷の言葉が突如熱を帯びる。
「ラッキー?」
怪訝そうに訊き返す渉に古谷は「僕、ラッキーを見ているだけで幸せな気分になれるねん」と笑顔を見せる。
「先輩、イグアナが好きなんですか?」
「イグアナだけちゃう。爬虫類全体が好きやねん。鏡君は爬虫類を格好ええって思わん?」
「…恐竜のミニチュアみたいで格好いいですよね」
「せやろ!」
自分の意見に同意してもらったのが嬉しかったのか、古谷は嬉しそうに渉に握手を求めてくる。
「わかってくれる奴がおってめっちゃ嬉しいわ。これから僕ら友達や。先輩やなくて まさって呼んでくれてええで」
「へ?」
急な展開に目を白黒させている渉に構わず、古谷は言葉を続ける。
「僕も鏡君の事、下の名前で呼ぶから、それでええやろ⁈」
「…まあ」
「よっしゃ。渉くん、改めてよろしくな!」
嬉しそうにそう言う古谷に、渉は引きつった笑顔を浮かべそれに応える事しか出来なかった。
実験の授業がある時以外は教師と講師以外の姿が無い静かな生物室や準備室であったが、放課後になると部員たちが頻繁に出入りし、賑やかな場所となる。
「ようちゃん、サンドイッチとオレンジジュース買って来てぇ」
実験室の窓辺に置いた椅子に座り、気だるげに外の様子を眺めていた結城 静香(ゆうき・しずか)が、黒板にチョークで悪戯書きをしていた杉浦 洋司(すぎうら・ようじ)に声をかけた。
「他に欲しいものある?」
「今はない~」
「わかった」
静香の言葉に洋司は頷くと、実験室を駆け出してゆく。それを見ていた優子が「またパシらせてるし…」と呆れ声を上げた。そんな優子に静香は「彼は私のげ・ぼ・く」と悪びれる事無くそんな言葉を口にする――それは静香のお決まりのセリフであった。
静香も洋司も優子と同じ二年生の生物部員である。静香の学年は二年生であるが一年留年しているので、年齢は三年生と同じだった。年齢が影響している訳ではないのであろうが、女子高生とは思えない大人びた色気があり、若干クセはあるが整った顔立ちも相まって彼女に憧れる男子も数多い。
「ようちゃんは、ねこさんを甘やかしすぎなのよ」
ねこさん――それは静香のあだ名である。その容貌と性格から猫を連想した事から付けられた名前であった。
「嫌なら嫌でいいよって言ってるしぃ」
自分は悪くないと言いたいのか静香はそう言うと、優子に「新入部員どんな感じ?」と尋ねてくる。
「あおいはともかく、渉君はまだ海のモノとも山のモノとも判断つかないなぁ…なんで?」
「新しい玩具になるかなぁって思ったから」
「…やめなさい」
静香の悪い癖が始まったとばかり、優子は容赦なく静香の言葉を却下する。
「え~、そろそろ新しい玩具欲しい~」
「あんたに憧れてる男子多いんだから、そこから見繕えばいいじゃない」
「落とすのが面白いのに、それじゃ面白く無い」
「その気の無い人間の心を散々揺さぶって、落としたら毎回すぐにポイだもんねぇ…あんた、そのうち刺されるわよ」
静香の悪癖とも言える男癖の悪さを優子は良く知っていたので、その言葉に容赦はない。
「今が楽しかったらいいの、あんただって快楽主義でしょ」
静香の言葉に優子は一緒にするなと反論する。
「自分が楽しいからって他人に迷惑かけたりしないけど、あんたは自分が楽しいなら平気で相手を地獄に叩き落とす悪魔でしょ」
「人聞きが悪い――私は夢を見せてあげている聖女よ」
「悪女の間違いでしょ」
二人の後輩たちの会話を漫画を読みながら聞いていた岡部が「お前ら漫才コンビになれば?」と笑う。
「漫才⁈」
抗議めいた声を上げる優子に対して、静香が「べーさんは、どっちがボケだと思います?」と面白がるように聞く。
「どっちもボケツッコミだと思うけど、敢えていうならねこちゃんがボケかな?」
岡部の言葉に静香は「女性漫才師はボケの方が可愛いですもんねぇ」とまんざらでもない表情を浮かべた。
「自分で可愛いとか言うな」
静香にすかさずツッコミを入れる優子の言葉を聞いた岡部が爆笑していると、白い紙袋を手にした洋司が息を切らしながら戻って来た。
「楽しそうだね…はい、サンドイッチとオレンジジュース」
「ありがとう」
サンドイッチとオレンジジュースが入った紙袋を洋司から受け取った静香はにっこりと微笑むと、洋司に向かって投げキッスをする。それがいつもの洋司に対する静香のお礼であった。洋司はその投げキッスを嬉しそうに受けると、幸せそうな表情を浮かべる。
優子が洋司と静香を見比べ「本人が幸せならそれでいいんだけどさぁ…」と納得がいかない様子であった。
珠河高等学校生物部の現部長、志麻優子こと はかせは制服の上から白衣姿がトレードマークの、怪しいお茶会を主催する変人として校内の有名人であったが、実は前部長もかなりの変人で有名であった。
ある日の放課後、実験室の席に集まった生物部員たちを前に、黒板の前で迷彩服に白衣姿、手には教棒を持って立っていたのは、前生物部部長である藤木 忠志(ふじき・ただし)である。
「——では今日の講義は日本の防衛についてだ」
そう言うと、藤木は優子を指さし、わが国の防衛を担っているのは何の組織だ?といきなり質問をする。
「陸、海、空の自衛隊——志願制。中卒、高卒、一般の社会人枠の求人があり、防衛大学校っていう幹部候補生の為の全寮制の大学もありますね…昔は男子校でしたが、今は女子も入る事が出来ます」
すらすらと答える優子に藤木は満足げに頷く。
「その通り。この国を守りたい志高い者たちがこの国の安全を担っていると言っても過言ではない!」
声を張り上げる藤木を呆気にとられた表情で渉とあおいは見ていた。
前部長から全部員の招集があったと言うので来てみればこれなので、訳が分からないのも無理は無かった。
「現在、この国は近隣諸国による脅威に晒され続けている!」
他の部員たちはこの訳のわからない状況に慣れているのか、特に困惑している様子はない。
「…何でこんな話? あおいちゃん何か聞いてる?」
渉が隣の席に座って居るあおいに小声で尋ねる。あおいは渉と同じ新入生の一年生であるが、優子の中学時代の後輩であり、以前から優子と知り合いであるので何か知っているかもしれないと思ったからである。
「…わかんないですぅ」
あおいも詳しい事情は知らないらしく、困惑した表情を浮かべながら渉に囁き返す。
「生物部とは関係ない話だよなぁ…」
「ですよねぇ」
そんな話を新入生二人がひそひそやっていると、藤木はそれに気が付いたのか「そこの二人! 何か質問でもあるのか⁈」と声を張り上げる。
「生物部の部活なのに、日本の防衛の話をする理由を教えて下さい」
若干三年生の前部長の威圧的な雰囲気を感じて及び腰になりながら、渉は勇気をふり絞って声を上げる。
「生物をはじめとする科学全般の知識というものは我々の文明の礎であり、平和であるからこそ我々はこうやって日々勉学に励む事が出来るんだ——その平和を守ってくれているこの国の防衛をしてくれている組織がどんなところか知る機会が普段の生活では無いので、こうやってそれをみんなで知りろうじゃないか!」
藤木の説明に渉とあおいは顔を見合わせる。
もっともらしい意見に聞こえるが、しがない一市民でしかない高校生が部活で話し合う様な話題だとは思えなかった。かといって新入生である自分が三年生の元部長に正面切って異議を唱えにくい。よほど困惑した表情を二人が浮かべていたのか、実験室の隅の方に座っていた三年生の卜部 華(うらべ・はな)が苦笑いを浮かべながら口を開いた。
「インターネットが普及しているんだから、興味があれば何でも自分で調べる事が出来るでしょ――この国の防衛だとか世界情勢だとか。みんなの貴重な時間を割いてわざわざ藤木の講義を聞く必要なんて無いと私は思うけど」
「大人として知っておいて欲しい知識をお前たちに教えておこうと思っている俺の熱意が判らないというのか⁈」
華の正論に藤木は反論を試みるが、静香が「教官ごっこしたいなら、ちゃんとお願いしなきゃあねぇ――これ次第で考えなくもないけど…」と言いながら親指と人差し指で輪を作り、お金を示すサインを藤木に示した。そんな静香の言葉を香奈子が「私たちの時給高いですけどね~」と笑いながら後押しする。
「…お前らなぁ」
言葉を失う藤木に女子たちは「軍事オタク」「中二病」「時間泥棒」「暇人」「話のセンス悪っ」と一斉に抗議の声を浴びせかけた。
――うぁ、容赦ない。怖ぇ
女子たちにフルボッコにされている藤木の様子が痛々しく思えてきた渉が心の中でそう思っていると、岡部が「華ちゃんが狙撃で忠志の足止めをして、他の女子たちで機関銃の一斉掃射。こりゃ藤木は肉片すら残れねぇわ」と言いながらゲラゲラ笑う。
席を立った古谷が肩を落としている藤木に歩み寄るとその肩をポンと叩き「先輩、女には口で勝たれへぇんって…」と言葉をかけ、実験室を出ていった。
「は~い。解散」
優子も立ち上がり、手を叩いて場の解散を宣言する。
藤木に構うことなく部屋を出ていく部員たちと、黒板に手を付き落ち込んでいる藤木を見比べながら渉が戸惑っていると、華が「ここは先輩だからって遠慮する必要ないからね。間違っていたらちゃんと違うって言ってあげるのが愛だから」と笑う。その言葉を聞いた渉が複雑な表情になる。
「ちょっと愛の鞭は棘だらけだけど、自業自得」
最後に冷酷な目の色を浮かべた華が部屋を出ていく。それに気が付いてしまった渉は、常識人に見える華が一番怖い存在かもしれないと感じて身を震わせる。
「うちの生物部って奇人変人博覧会だよな…」
そう呟かずにはいられない渉であった。
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野球への未練から、毎日のようにバッティングセンターに通う高校一年生の久保雄大。
ある日、野球部のマネージャーだという滝川まなに野球部に入るよう頼まれる。
理由を聞くと、「三年の兄をプロ野球選手にするため、少しでも大会で勝ち上がりたい」のだという。
そんな簡単にプロ野球に入れるわけがない。そう思った久保は、つい彼女と口論してしまう。
その結果、「兄の球を打ってみろ」とけしかけられてしまった。
彼はその挑発に乗ってしまうが……
小説家になろう・カクヨム・ハーメルンにも掲載しています。

俺たちの共同学園生活
雪風 セツナ
青春
初めて執筆した作品ですので至らない点が多々あると思いますがよろしくお願いします。
2XXX年、日本では婚姻率の低下による出生率の低下が問題視されていた。そこで政府は、大人による婚姻をしなくなっていく風潮から若者の意識を改革しようとした。そこて、日本本島から離れたところに東京都所有の人工島を作り上げ高校生たちに対して特別な制度を用いた高校生活をおくらせることにした。
しかしその高校は一般的な高校のルールに当てはまることなく数々の難題を生徒たちに仕向けてくる。時には友人と協力し、時には敵対して競い合う。
そんな高校に入学することにした新庄 蒼雪。
蒼雪、相棒・友人は待ち受ける多くの試験を乗り越え、無事に学園生活を送ることができるのか!?
水曜日は図書室で
白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
青春
綾織 美久(あやおり みく)、高校二年生。
見た目も地味で引っ込み思案な性格の美久は目立つことが苦手でクラスでも静かに過ごしていた。好きなのは図書室で本を見たり読んだりすること、それともうひとつ。
あるとき美久は図書室で一人の男子・久保田 快(くぼた かい)に出会う。彼はカッコよかったがどこか不思議を秘めていた。偶然から美久は彼と仲良くなっていき『水曜日は図書室で会おう』と約束をすることに……。
第12回ドリーム小説大賞にて奨励賞をいただきました!
本当にありがとうございます!

夏と夏風夏鈴が教えてくれた、すべてのこと
サトウ・レン
青春
「夏風夏鈴って、名前の中にふたつも〈夏〉が入っていて、これでもかって夏を前面に押し出してくる名前でしょ。ナツカゼカリン。だから嫌いなんだ。この名前も夏も」
困惑する僕に、彼女は言った。聞いてもないのに、言わなくてもいいことまで。不思議な子だな、と思った。そしてそれが不思議と嫌ではなかった。そこも含めて不思議だった。彼女はそれだけ言うと、また逃げるようにしていなくなってしまった。
※1 本作は、「ラムネ色した空は今日も赤く染まる」という以前書いた短編を元にしています。
※2 以下の作品について、本作の性質上、物語の核心、結末に触れているものがあります。
〈参考〉
伊藤左千夫『野菊の墓』(新潮文庫)
ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』(ハヤカワepi文庫)
堀辰雄『風立ちぬ/菜穂子』(小学館文庫)
三田誠広『いちご同盟』(集英社文庫)
片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館文庫)
村上春樹『ノルウェイの森』(講談社文庫)
住野よる『君の膵臓をたべたい』(双葉文庫)
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