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そして・・・再び
待ち望んだ再会
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一花は一人でドアを開けて一目散に走りだした。中州では救急員が担架を囲んで応急処置をしている。一花は川の中を横目で見ながら走りパトカーの停車位置にたどり着いた。
掛川が一花を見つけて声をかける。
「ああ、あなたは──」
掛川の笑顔が一花の緊張を和らげた。
「どうなんですか?」一花が息を弾ませて訊ねる。
「応急処置は終わったようです」
掛川は小型のトランシーバーをあごと肩で挟んでいる。
「うん。大丈夫なんだな! わかった」とトランシーバーに向けて話すと、一花の方を見て微笑んだ。
「たった今蘇生したようです」
「蘇生!」一花が絶句した。
「心配しないでも良いですよ……。身元の確認をお願いできますか?」
掛川は笑顔で応対している。
「はい!」と一花が明るく返事した。
救急隊員が担架を川岸の道まで持ち上げる。
担架の上の若い男は、少し苦しそうだが意識がはっきりしているようだ。
「春樹!」一花が担架を覗き込んで春樹の顔を確認した。
「間違いありません。一ノ瀬春樹です!」
掛川は笑顔で救急隊員へ親族の到着を告げる。
救急隊員は、掛川の話を聞いて一花の元へやって来た。
「ご家族の方ですか? 男性は心肺停止状態でしたが今は安定しています。これから病院へ救急搬送します。一緒に乗ってください」
声は冷静だ。
「少し待ってください」
一花は急いで車に駆け戻ると助手席のドアを開けた。
「里沙! 春樹よ! 大丈夫、春樹は生きてるわ!」
里沙の顔に赤みが戻った。一花は里沙の手を掴み一緒に走った。
「兄さん……兄さん!」
里沙は涙を流しながら一花に引かれている。救急車まで来ると一花が隊員に告げた。
「妹さんです!」
「すぐに乗ってください」
一花は里沙を救急車に押し込み「私もすぐに後を追うから」と言って救急隊員と一緒にバックドアを閉めた。
掛川が小走りに一花のそばに来て状況を説明する。
「一ノ瀬春樹さんは平取町の病院へ搬送されます。私たちは現場検証がありますから、しばらくここに残って後から向かいます」
一花は、掛川から病院の住所が書かれたメモを受け取り大きくうなずいた。
平取町立記念病院は、二風谷ダムの先にある。
一ノ瀬春樹は、一旦、救急病棟へ搬送された。
処置が終了し容態が落ち着いてくると、里沙は春樹の寝ているベッドから離れて病棟の出口にあるベンチに放心状態で座り込んだ。
全身の力が抜け、今までの精神的疲労が一気に押し寄せてくる。
「里沙!」
一花が病院について里沙の元へ走り寄って肩を抱いた。
「春樹が見つかってよかったね!」
里沙は、一花に顔を向けて微笑むと、そのまま一花の肩に頭を乗せて目を閉じた。
「里沙……。疲れたんだね──」
一花は静かになった病棟の前で、里沙の頭の重みを肩に感じながらじっと前を向いた。
春樹が見つかった喜びと解放感が一花の緊張した顔を微笑みに変えた。
しばらくして掛川と白石が急いで救急病棟にやって来た。
一花が笑顔で迎える。里沙は一花の肩に頭を乗せたまま、かすかに寝息をはいている。
「いろいろとありがとうございました」
一花が掛川に向かって丁寧に挨拶した。
「お疲れさまでした。少しお話をお訊きしたいんですが──」
掛川は、里沙が一花にもたれかかっているのを確認すると、にっこり笑った。
「無理そうですね」
一花が「すみません」と笑う。
「わかりました。落ち着いたら一度連絡をください」
その場を立ち去ろうとする掛川に白石が不満げな顔を向ける。
「いいんですか?」
病院の出口に向かって歩きながら掛川が顔を上げた。
「いいんだよ」
病院を出ると早朝の太陽の光が二人を照らした。
「さあ、今日は帰ってゆっくり眠るとするかぁ」
掛川が大きく両手を広げて伸びをした。
「大学の方にはどう言います?」
「ああ、そうだな、適当に、探し人が見つかったとでも伝えておけ」
午後になって、春樹は一般病棟の個室に移された。病室の窓から見える沙流川の景色をずっと見ている。
「どう? 兄さん」
里沙と一花が売店から帰ってきた。里沙が菓子パンとパックの牛乳を春樹に渡して、ベッドの脇の椅子に座る。
「ああ、気分はだんだん良くなってきている」
春樹はストローを差し込んで牛乳をひと口飲んだ。
「ところでさ、兄さんはどこに行ってたのよ。一か月も行方不明なんてさ。心配したんだから。ねえ一花」里沙が明るく春樹に苦情を言った。
横で、一花がストロベリーのパックジュースを飲みながら「うん、うん」とうなずく。
「それで、一花も里沙も俺のことを捜しに来てくれたのか?」
「そうよぅ。さんざん探したんだからね」一花が春樹に向かって頬を膨らませた。
「私たちね、不思議な体験をしたの。突然震えだしたり、過去や未来が見えたり――」
里沙が春樹に話しながら一花と顔を見合わせた。
一花はストローを咥えたまま「そう、そう」と言っている。
「そうか……。苦労かけたな」春樹が、落ち着いてため息交じりに声をかけた。
一花が拍子抜けした。
「春樹は驚かないの?」
「どうして?」
「だって、普通じゃ考えられない体験したのよ!」一花の声のヴォルテージが上がる。
「いや……まあ……そうか、大変だったな」
「もう、春樹ったら」一花は、また頬を膨らませた。
落ち着いたそぶりを見せる春樹に、里沙は以前とは違う逞(たくま)しさを感じていた。
「なんか、兄さん雰囲気が変わったわね」
「うん。いろいろ経験したからね。ところで、俺だけが見つかったのか? もう一人赤ん坊の姿は無かったか?」
里沙と一花が顔を見合わせて首を傾げ(かしげ)る。
「赤ん坊? 春樹一人だったよ」
一花は、春樹が一人担架に乗せられるのを目撃している。
「そうか――」
「それがどうかしたの?」里沙が春樹の反応に不審な顔をした。
「いや、何でもない」
――洞窟についたときにはレラの子も一緒にいた。時空を超えたのは俺だけか……。
春樹は浮かない表情で自分の手を見た。アイヌの集落で経験した細かい記憶が徐々に薄れていく。
──あれは夢だったのか? いや、この手で抱きしめたレラの感触は残っている。
「そうだ! 手帳だ! 父さんが渡してくれた手帳は見なかったか?」
「手帳? 父さん? 父さんって!」
里沙が春樹につめ寄る。
「父さんに会ったんだ……その……どう説明すればいいのか──」
「どこで? そもそも兄さんはどこにいたのよ!」
里沙の勢いに春樹は口淀んで下を向く。
──明治時代に行ってたなんて……信じてくれないだろうな。
春樹のそばで息を弾ませる里沙の後ろから、一花がストローを咥えながら布の袋を渡した。中にはシステム手帳が入っている。
「これのこと?」
春樹の目が光る。
「そうだ! 俺が過去から現代に帰ってくる前に父さんが渡してくれたんだ!」
「過去? 何のこと?」一花と里沙が顔を見合わせる。
袋から手帳を取り出して、ページに没入する春樹を不思議そうに見ながら、一花はベッ
ドの脇にある椅子に座って、里沙を手招きした。
「こないだ警察の人からもらったやつだけど……。春樹が見つかった場所よりも、もっと下流にあったんだよ……。一緒に見つかったわけじゃないけど――」
一花は小声でささやいて、パックのジュースを飲み切った。
ドアがノックされて看護師が入ってきた。
「一ノ瀬さん、検温の時間ですよ」
部屋に入って来た看護師は、体温計を取り出して準備をし、ワゴンの上に載せてあるノートパソコンを開いた。
ノートパソコンを覗き込む看護師を見たとたん、春樹の表情が変わった。
「レラ!」
里沙と一花が声に驚いて顔を上げ、看護師を見た。若くて美しい顔をした看護師が春樹をまっすぐ見つめる。丸いあごのラインにつぶらな黒い瞳。少し濃い眉が上品に垂らした前髪で隠れている。
「どうしましたか?」
看護師が優しく声をかける。
春樹の視線は看護師を見つめたままだ。
「レラ! レラ! 生きていたんだね!」
里沙が春樹の肩を押さえた。
「兄さん! いったい何を言い出すの? 看護師さんに失礼じゃない」
春樹は里沙の方を見向きもしない。
看護師が体温計を春樹に渡そうとすると、春樹はその看護師の腕を掴(つか)んだ。
「!」
看護師は一瞬ひるんだが、ゆっくり春樹の手を自分の腕から離して、その手のひらに体温計を置いた。
「お願いしますね」と言って点滴の分量を確かめ始める。
上半身を春樹にかぶせるようにして両手を伸ばすと、白衣のふくよかな胸のあたりが春樹の鼻先に近づいてきた。目の前にある名札には「姫野れいら」と、フルネームで書かれている。
「レラ! 俺のことを忘れたのか? レラもこの時代に来れたのか?」
春樹が点滴のチェックを終えた看護師を見ながら必死で声をかける。
「一ノ瀬さん、その元気があれば大丈夫ですね。早めに退院できますよ」
看護師はにっこり笑って、春樹をいさめるそぶりを見せた。
春樹の目は、なおも看護師の顔を追っている。
「ちょっと! 兄さん! 何をわけのわからないこと言ってんのよ! 恥ずかしい!」
里沙が耐え切れずに大きな声を出した。
看護師が里沙の方を見て「大丈夫ですよ」と微笑んだ。静かに春樹の手から体温計を受け取ると、ワゴンを引いて部屋のドアに向かう。
「ああ、レラ……」
看護師がドアの前で立ち止まり、ゆっくり振り向いた。里沙と一花はドアに背を向けている。
看護師は軽く会釈して、春樹に向かって静かに微笑み、声の出ない言葉を口にした。春樹は唇の動きを確認しようとする。看護師が春樹の座るベッドを見つめている。
『ハルキ』
春樹の中にレラの声がかすかに聞こえた。看護師はしばらく春樹を見ていたが、里沙が振り向いた瞬間にドアを開けて出ていった。
掛川が一花を見つけて声をかける。
「ああ、あなたは──」
掛川の笑顔が一花の緊張を和らげた。
「どうなんですか?」一花が息を弾ませて訊ねる。
「応急処置は終わったようです」
掛川は小型のトランシーバーをあごと肩で挟んでいる。
「うん。大丈夫なんだな! わかった」とトランシーバーに向けて話すと、一花の方を見て微笑んだ。
「たった今蘇生したようです」
「蘇生!」一花が絶句した。
「心配しないでも良いですよ……。身元の確認をお願いできますか?」
掛川は笑顔で応対している。
「はい!」と一花が明るく返事した。
救急隊員が担架を川岸の道まで持ち上げる。
担架の上の若い男は、少し苦しそうだが意識がはっきりしているようだ。
「春樹!」一花が担架を覗き込んで春樹の顔を確認した。
「間違いありません。一ノ瀬春樹です!」
掛川は笑顔で救急隊員へ親族の到着を告げる。
救急隊員は、掛川の話を聞いて一花の元へやって来た。
「ご家族の方ですか? 男性は心肺停止状態でしたが今は安定しています。これから病院へ救急搬送します。一緒に乗ってください」
声は冷静だ。
「少し待ってください」
一花は急いで車に駆け戻ると助手席のドアを開けた。
「里沙! 春樹よ! 大丈夫、春樹は生きてるわ!」
里沙の顔に赤みが戻った。一花は里沙の手を掴み一緒に走った。
「兄さん……兄さん!」
里沙は涙を流しながら一花に引かれている。救急車まで来ると一花が隊員に告げた。
「妹さんです!」
「すぐに乗ってください」
一花は里沙を救急車に押し込み「私もすぐに後を追うから」と言って救急隊員と一緒にバックドアを閉めた。
掛川が小走りに一花のそばに来て状況を説明する。
「一ノ瀬春樹さんは平取町の病院へ搬送されます。私たちは現場検証がありますから、しばらくここに残って後から向かいます」
一花は、掛川から病院の住所が書かれたメモを受け取り大きくうなずいた。
平取町立記念病院は、二風谷ダムの先にある。
一ノ瀬春樹は、一旦、救急病棟へ搬送された。
処置が終了し容態が落ち着いてくると、里沙は春樹の寝ているベッドから離れて病棟の出口にあるベンチに放心状態で座り込んだ。
全身の力が抜け、今までの精神的疲労が一気に押し寄せてくる。
「里沙!」
一花が病院について里沙の元へ走り寄って肩を抱いた。
「春樹が見つかってよかったね!」
里沙は、一花に顔を向けて微笑むと、そのまま一花の肩に頭を乗せて目を閉じた。
「里沙……。疲れたんだね──」
一花は静かになった病棟の前で、里沙の頭の重みを肩に感じながらじっと前を向いた。
春樹が見つかった喜びと解放感が一花の緊張した顔を微笑みに変えた。
しばらくして掛川と白石が急いで救急病棟にやって来た。
一花が笑顔で迎える。里沙は一花の肩に頭を乗せたまま、かすかに寝息をはいている。
「いろいろとありがとうございました」
一花が掛川に向かって丁寧に挨拶した。
「お疲れさまでした。少しお話をお訊きしたいんですが──」
掛川は、里沙が一花にもたれかかっているのを確認すると、にっこり笑った。
「無理そうですね」
一花が「すみません」と笑う。
「わかりました。落ち着いたら一度連絡をください」
その場を立ち去ろうとする掛川に白石が不満げな顔を向ける。
「いいんですか?」
病院の出口に向かって歩きながら掛川が顔を上げた。
「いいんだよ」
病院を出ると早朝の太陽の光が二人を照らした。
「さあ、今日は帰ってゆっくり眠るとするかぁ」
掛川が大きく両手を広げて伸びをした。
「大学の方にはどう言います?」
「ああ、そうだな、適当に、探し人が見つかったとでも伝えておけ」
午後になって、春樹は一般病棟の個室に移された。病室の窓から見える沙流川の景色をずっと見ている。
「どう? 兄さん」
里沙と一花が売店から帰ってきた。里沙が菓子パンとパックの牛乳を春樹に渡して、ベッドの脇の椅子に座る。
「ああ、気分はだんだん良くなってきている」
春樹はストローを差し込んで牛乳をひと口飲んだ。
「ところでさ、兄さんはどこに行ってたのよ。一か月も行方不明なんてさ。心配したんだから。ねえ一花」里沙が明るく春樹に苦情を言った。
横で、一花がストロベリーのパックジュースを飲みながら「うん、うん」とうなずく。
「それで、一花も里沙も俺のことを捜しに来てくれたのか?」
「そうよぅ。さんざん探したんだからね」一花が春樹に向かって頬を膨らませた。
「私たちね、不思議な体験をしたの。突然震えだしたり、過去や未来が見えたり――」
里沙が春樹に話しながら一花と顔を見合わせた。
一花はストローを咥えたまま「そう、そう」と言っている。
「そうか……。苦労かけたな」春樹が、落ち着いてため息交じりに声をかけた。
一花が拍子抜けした。
「春樹は驚かないの?」
「どうして?」
「だって、普通じゃ考えられない体験したのよ!」一花の声のヴォルテージが上がる。
「いや……まあ……そうか、大変だったな」
「もう、春樹ったら」一花は、また頬を膨らませた。
落ち着いたそぶりを見せる春樹に、里沙は以前とは違う逞(たくま)しさを感じていた。
「なんか、兄さん雰囲気が変わったわね」
「うん。いろいろ経験したからね。ところで、俺だけが見つかったのか? もう一人赤ん坊の姿は無かったか?」
里沙と一花が顔を見合わせて首を傾げ(かしげ)る。
「赤ん坊? 春樹一人だったよ」
一花は、春樹が一人担架に乗せられるのを目撃している。
「そうか――」
「それがどうかしたの?」里沙が春樹の反応に不審な顔をした。
「いや、何でもない」
――洞窟についたときにはレラの子も一緒にいた。時空を超えたのは俺だけか……。
春樹は浮かない表情で自分の手を見た。アイヌの集落で経験した細かい記憶が徐々に薄れていく。
──あれは夢だったのか? いや、この手で抱きしめたレラの感触は残っている。
「そうだ! 手帳だ! 父さんが渡してくれた手帳は見なかったか?」
「手帳? 父さん? 父さんって!」
里沙が春樹につめ寄る。
「父さんに会ったんだ……その……どう説明すればいいのか──」
「どこで? そもそも兄さんはどこにいたのよ!」
里沙の勢いに春樹は口淀んで下を向く。
──明治時代に行ってたなんて……信じてくれないだろうな。
春樹のそばで息を弾ませる里沙の後ろから、一花がストローを咥えながら布の袋を渡した。中にはシステム手帳が入っている。
「これのこと?」
春樹の目が光る。
「そうだ! 俺が過去から現代に帰ってくる前に父さんが渡してくれたんだ!」
「過去? 何のこと?」一花と里沙が顔を見合わせる。
袋から手帳を取り出して、ページに没入する春樹を不思議そうに見ながら、一花はベッ
ドの脇にある椅子に座って、里沙を手招きした。
「こないだ警察の人からもらったやつだけど……。春樹が見つかった場所よりも、もっと下流にあったんだよ……。一緒に見つかったわけじゃないけど――」
一花は小声でささやいて、パックのジュースを飲み切った。
ドアがノックされて看護師が入ってきた。
「一ノ瀬さん、検温の時間ですよ」
部屋に入って来た看護師は、体温計を取り出して準備をし、ワゴンの上に載せてあるノートパソコンを開いた。
ノートパソコンを覗き込む看護師を見たとたん、春樹の表情が変わった。
「レラ!」
里沙と一花が声に驚いて顔を上げ、看護師を見た。若くて美しい顔をした看護師が春樹をまっすぐ見つめる。丸いあごのラインにつぶらな黒い瞳。少し濃い眉が上品に垂らした前髪で隠れている。
「どうしましたか?」
看護師が優しく声をかける。
春樹の視線は看護師を見つめたままだ。
「レラ! レラ! 生きていたんだね!」
里沙が春樹の肩を押さえた。
「兄さん! いったい何を言い出すの? 看護師さんに失礼じゃない」
春樹は里沙の方を見向きもしない。
看護師が体温計を春樹に渡そうとすると、春樹はその看護師の腕を掴(つか)んだ。
「!」
看護師は一瞬ひるんだが、ゆっくり春樹の手を自分の腕から離して、その手のひらに体温計を置いた。
「お願いしますね」と言って点滴の分量を確かめ始める。
上半身を春樹にかぶせるようにして両手を伸ばすと、白衣のふくよかな胸のあたりが春樹の鼻先に近づいてきた。目の前にある名札には「姫野れいら」と、フルネームで書かれている。
「レラ! 俺のことを忘れたのか? レラもこの時代に来れたのか?」
春樹が点滴のチェックを終えた看護師を見ながら必死で声をかける。
「一ノ瀬さん、その元気があれば大丈夫ですね。早めに退院できますよ」
看護師はにっこり笑って、春樹をいさめるそぶりを見せた。
春樹の目は、なおも看護師の顔を追っている。
「ちょっと! 兄さん! 何をわけのわからないこと言ってんのよ! 恥ずかしい!」
里沙が耐え切れずに大きな声を出した。
看護師が里沙の方を見て「大丈夫ですよ」と微笑んだ。静かに春樹の手から体温計を受け取ると、ワゴンを引いて部屋のドアに向かう。
「ああ、レラ……」
看護師がドアの前で立ち止まり、ゆっくり振り向いた。里沙と一花はドアに背を向けている。
看護師は軽く会釈して、春樹に向かって静かに微笑み、声の出ない言葉を口にした。春樹は唇の動きを確認しようとする。看護師が春樹の座るベッドを見つめている。
『ハルキ』
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