イルファ

golbee2001

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タイムスリップ

時代を超えた愛

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 春樹は夕暮れの沙流川さるがわのほとりに立って目の前に広がる水の流れを見つめていた。時代が違っていても川の流れは変わらない。
 ――里沙はどうしているだろう? 母さんは?

 天気の良い日が続いて寒さも和らいだが、夕暮れになると風が冷たい。春樹は、家の中に入ろうときびすを返した。

――元の時代に戻れる方法を早く見つけないと……。

そう考えながら家の近くまで来たとき、レラが家の中から走って出てきた。

「ハルキ、ご飯の支度ができたわよ!」

 大きな声で春樹を呼びながら走るレラが小石につまづいて転びそうになった。

「あっ!」春樹のすぐそばまで来ていたレラの身体が大きく傾く。

 春樹が瞬間的にレラの倒れる方向に動いた。レラの身体がスローモーションのように春樹に覆いかぶさる。両手が春樹の首に巻きついて抱き合う格好になった。

「レラ、気をつけなきゃ。慌て者だなぁ」

柔らかな胸の膨らみが甘美な衝動となって春樹の神経を刺激した。レラの大きな目が春樹のすぐ前にある。目と目が合ってドキッとした。

「ごめんなさい」と言ってすぐにレラは自分の身体を離した。顔を赤くしてうつむいている。春樹も自分の下半身が反応したことに気づき少し顔を赤らめた。

春樹は「中に入ろうか……」とレラの背中に手を当てる。胸の鼓動が徐々に大きくなってレラに聞こえてしまわないかと焦った。
 
食事の後、春樹とチパパはゆっくりお茶を飲んでくつろいでいた。レラはアットゥシ織に精を出している。

「どうじゃ、ハルキ。こちらの生活には慣れたかの?」

「ああ、だいぶ慣れた」と言いながら織物をするレラを見つめる。

 春樹の脳裏にレラを抱き止めたときの情景が浮かぶ。柔らかい身体の感触や間近に見たレラの顔が忘れられない。レラと目が合うと思わず頬を染めて視線を逸らした。

「明日の昼間にでも温泉に行ってみないか?」
 チパパの声にレラが反応して顔を上げる。

「チパパ! 私行きたい! この間みんなで行った下流の湯殿でしょ?」

 レラが喜んで大きな声を出した。チパパが「そうだ」と答える。

普段は、木を切り出して作った一メートルほどの風呂桶に湯を入れて入浴している。大きな湯船のある野天湯で足を延ばすのは気持ちが良い。特に、チパパが見つけた川辺の温泉は、周囲に薬草も生えていて妊娠中のレラにとって十分な薬効やっこうが期待される。

「温泉は近くにあるのか?」

 春樹が興味津々きょうみしんしんでチパパに訊ねた。

「ああ、少し下流の川辺に湯が湧き出ておる。たまには、ゆっくり湯に浸かるのも良いじゃろう」

 チパパの口元が緩んだ。

 翌日の午後、春樹はチパパとレラの案内で沙流川のほとりを下流に向かって歩いていた。道は平坦で茂った草は左右に分かれている。しばらくすると、レラがすぐ先の川辺を指差した。

「ハルキ! あそこよ、チパパが見つけた湯殿」

 レラの指の先には、川辺の石で囲われた五メートル四方くらいの水溜まりが見えた。湯気が立っている。春樹が大学に通っていたころ、道内を巡っていて見かけた野天湯と同じ光景だ。

「へえ、風情があるな。でもここは混浴じゃないか――」

「コンヨク?」レラが首を傾げて春樹の顔を覗き込む。

 チパパが横で笑った。
「ハルキ、ここでは男も女も一つの湯殿に入るのが普通じゃ」

「そうなのか?」春樹は思わずレラを見た。レラの裸身を想像してまた顔が赤くなる。

 温泉のほとりに着くと、チパパとレラは平気で自分の着ているものを脱ぎ始めた。春樹
はおどおどしていたが、やがて二人に背中を向けてズボンのベルトに手をかける。
 春樹が振り向き湯につかっている二人を見て身体から力が抜けた。レラが襦袢を身に
つけて気持ちよさそうに湯につかっている。

 ――なんだ……。襦袢着てるんだ。

 レラの全裸を連想した自分が恥ずかしくなった。

 その温泉は、予想以上に気持ちが良かった。少し熱めの湯はすぐそばを流れる沙流川の水で程よく薄められ長い時間入っていられる。

「なかなか良いもんじゃろ?」

「ああ、気持ちが良い」と答えながら恐る恐るレラの方を見た。目が合うとレラはにっこ
り笑う。襦袢が濡れて身体にぴったり貼りついていた。レラの身体がまぶしい。

 しばらく湯に浸かっていると、春樹の気持ちもだんだんほぐれてきた。森林に囲まれて
いるので、少し冷気を含んだ空気が流れていたがそれも心地よく感じた。

「そろそろ帰るか」
 チパパの声に、二人は満面の笑みで応えた。

 その日の夕方、春樹はひとりで沙流川のほとりに座っていた。森に囲まれた野天湯で見た湯上がりのレラの後ろ姿を思い出している。濡れた襦袢は、レラの身体の線を浮き彫りにし、濡れた髪が背中に貼りついて艶めかしさをかもし出していた。

 春樹は、自分の口がポカンと開いていることに気がついてかぶりを振った。

 ――何を考えてるんだ、俺は……。

「ふうっ」と大きく息を吐いた。

「レラは……お腹に子どもがいる。どこかに愛する夫がいるのだろう――」

 春樹の声が流れる波の音に消されていく。

 ――好きになってはいけない人だ。

春樹は、そう考えて無理やり自分の感情を抑え込もうとしていた。

「ハルキ、何をしてるの?」
 後ろから聞こえたレラの声に胸の鼓動がドクンと体内に響いた。

「ああ、レラか……」
 レラが寄って来て横に座る。

「これ、ハルキの?」
 レラが小さなバッグを持ち上げて春樹に問う。

「あっ、俺のバッグだ! どこにあった?」

「さっきね、村の人がチパパに持ってきたの。チパパはハルキの持ち物じゃないかって」

 春樹は早速バッグの中を確認した。ボールペンの横には愛用していたスマートフォンがある。

村の若者がイルファの洞窟の前を歩いていて見つけたバッグは、春樹がこの世界に来る直前まで身につけていたものだった。

「なぜ、今になって見つかったんだろう?」と不思議そうな顔をして自分の脇に置く。

 レラは春樹の表情を注意してみながら微笑んでいた。

春樹はレラの顔を見て苦笑いする。レラの優しい瞳に気持ちが和んだ。

春樹の視線がふとレラの下腹部に留まった。

視線を感じたレラが自分の下腹部を両手で覆う。

「やっぱり気になる?」
レラがそう言いながら少し悲しげな表情を見せた。

「まだ、お腹がこんなに大きくなかったころは村のみんなも普通に話してくれた……。だけどね、お腹が目立ってくると、だんだん私から離れていったわ――」

 レラは目を閉じた。長いまつ毛の先に涙がたまっている。

「今でも、村の男の人の目が怖い……」

レラは思い切って自分の胸中を話し始めた。
「噂は急に広まったの……」

レラの腹が大きくなり子を宿したことがわかると、それまで優しかった村の男たちの態度が一変した。

若い女が父親のない子を宿した、という噂は、レラに「淫乱な女」という烙印を押し、男たちの好奇の視線は一斉にレラの下腹部に集中した。

レラは、異様に光る男たちの目に恐怖を感じた。

「父親がいない?」

「うん。この子の父親は流人るにんだったの。突然いなくなった……」

 レラは小さな声で泣き始めた。

「レラ――」

 春樹は、思いがけないレラの過去を知って動揺した。明るく振舞っているレラが、実は辛(つら)い過去を背負って村の男たちの中傷に耐えていたのだ。

「男の人たちが私をどう思っているか考えると……」

レラの嗚咽は止まらない。春樹はそっとレラの肩に手をかけた。どう言って慰めたらよいかわからない。

「ハルキも……。私をそんな目で見てたの? 私、ハルキは違うと思ってた……」

 レラは訴えるような目で春樹の顔を見た。涙で濡れている。

「やっぱり変に思うよね。こんなお腹をした女……」

レラが沙流川の方に顔を向けて悲しい顔をする。レラの横顔を見る春樹は、何か声をかけようとしたがうまい言葉が見当たらない。

「だめだなあ……私って」少し憂いを帯びた横顔にはかすかな女の色気が漂っていた。

 レラは春樹に対して他の村の男たちと違う異性の匂いを感じている。

偏見も何もない春樹の優しさがいつもレラの心を解きほぐした。それだけレラは男の視線に恐怖と警戒心を抱いている。レラは春樹と一緒に暮らすうちに、そばにいても甘えを許してくれる安心感を覚えていた。いつしかそれが異性への好意に姿を変えている。

「――でも、やっぱりだめだよね。こんな、お腹の大きい女なんて――」

 レラは大きく「うん」と言って顔を上げた。無理に笑顔を作って立ち上がろうとする。

 春樹がレラの腕を掴んだ。

「レラ! ちょっと待って!」

 レラの目に涙が光る。春樹はレラにもう一度座るように促した。

「俺の話を聞いてくれるかい?」
 レラは首を傾げている。

「実は、俺も寂しいんだ。この時代に来て知り合いが誰もいなくて……毎日が寂しくてつらい。でもレラがずっとそばにいてくれるから……その……安心感っていうか……」

 春樹は唯一自分を見ていてくれるレラにいつの間にか甘えている自分に気がついた。

「お腹のことなんて気にしてないよ。俺はレラのことが……ずっと身の回りの世話をしてくれる、けなげな君が……とても大事な人に思えて……」

 春樹はうまい言葉が見つからない苛立いらだちから思わずレラの腕を取って突然抱き寄せた。レラが驚いて目を丸くする。春樹はレラへの想いを抱きしめた腕に込めた。

「ハルキ?」
「レラ……。俺は……」

 レラの顔が抱き合った春樹の肩の上で震えていた。

「ハルキ……こんな私でも……いいの?」レラの消えるような声が春樹の耳をくすぐる。

 春樹は目を閉じてうなずいた。

「レラ……俺はレラの力になりたい。まだ、あまり偉そうなことは言えないけど――」
 抱き合ったまま春樹がレラの耳元でささやくように言う。

「嬉しい――」

沙流川の豊かな自然に包まれて、二人は抱き合ったままお互いの体温を感じていた。

レラが静かに身体を離して前を向く。

「――ずっと前にね、ハルキみたいに洞窟に倒れてた若い男の人がいてね……」

 春樹は驚いてレラを見た。

「いいんだよ。レラ。もう過去の話はしなくても……」

春樹はレラに話すと同時に、自分にもそう言い聞かせた。

「ううん。ハルキ、聞いてほしいの。ハルキには私のすべてを知ってほしい……」
「レラ――」

 レラは、一度大きく首を縦に振って、話を続けた。

「その人は、とても優しくて私を大事に扱ってくれた……。でも、去年の夏、暑い日だった――。私がひとりで織物をしていると、突然背中から抱きつかれたの。暑かったから、私襦袢の下には何もつけてなかった……油断してたのね」

 レラはひと息ついた。春樹は複雑な思いで聞いている。

「私、男の人とそういうことするの初めてだったから、びっくりしたわ……。でも、受け入れてしまったの――」

 春樹はじっと下を向いている。

「その人を……愛してたの?」
「わからない。かれていたのは事実だけど、私も未熟だったし……大人の愛ってどんなものかわからなかったの……」

 春樹はレラに顔を向けたまま、静かに腰に手を回した。レラは春樹の肩に自分の頭を乗せて目を閉じる。

「そのうちに、身体の異変を感じ始めたわ……妊娠したってわかったとき、初めてチパパにすべてを話した……」

チパパはレラの妊娠を隠そうとした。村長のシリウクの耳に入れば大変なことになる。だが、四十人足らずの小さな集落では、秘密を隠し通すことはできなかった。またたく間に、レラが流人るにんの子を身ごもったことが周囲の人に知れ渡った。

「それで村の人たちのレラを見る目が変わったんだね?」

 レラは目に涙をためていた。

「その人は突然いなくなったの……。シリウクは、私たちの婚姻を認めなかったわ」

レラの妊娠を知った村の長老シリウクは激怒した。シリウクは男女の関係には特に厳しく、婚姻前の女が妊娠すると相手の男を探し出し姦通罪として厳しい罰を与えた。 
レラの相手の青年はシリウクの怒りに触れ村から追放された。

「その人の行方は?」
レラは静かに顔を左右に振った。

「チパパはね『子どもは授かりものだから大切に育てよう』って言ってくれた──」

 春樹は黙ってレラを正面から静かに抱き寄せた。

「ハルキ……」レラが春樹の肩の上で目を閉じた。春樹が腕に力を込める。レラの心の中に安堵あんどの気持ちが広がった。

春樹は、元の時代に戻りたい気持ちとレラへの想いのはざまで葛藤かっとうしていた。レラの将来に責任が持てるか不安だが一緒に暮らしていきたい思いも強くなっている。

春樹がレラを抱いている手の力を緩めて沙流川に向き直ると、レラも身体の向きを変えて身を預けるように肌を腕に密着させてきた。

「なあ、レラ。ここでの生活は楽しいかい?」
 接触している肌のぬくもりにもレラの愛情を感じる。

「どうして? そんなこと訊くの?」
 レラは春樹のそばで小石を拾って眺めていた。

「ああ……こんな殺風景な場所で暮らすことがつらくないのかなと思ってね。余計なお世話かも知れないけれど――」

 レラはさらに体を寄せてきて、春樹の肩に自分のあごを乗せた。頬と頬が近づく。

「ねえ、ハルキ……。ハルキはどこか遠い国から来たの?」
 レラが春樹の顔を覗き込む。
「遠い国っていうか、未来から迷い込んだんだ」

 春樹は正面を向いたまま話して、また小石を掴んで川に投げた。小石が落ちたところに白波が立ち幾重いくえにも輪が広がる。

「ミライ?」レラが顔の向きを変えた。春樹の頬にレラの唇が触れる。

「そうだ、ずっとずっと先の世界だよ」

 遠くを見つめる春樹の横顔にレラがそっと自分の頬を寄せた。

「その、ハルキの世界では、人々はどんな暮らしをしているの?」

 春樹は未来の話をした。交通が発達し全国各地に数時間で移動できることや、どんな病気になっても、ほとんどが回復すること。人々はおいしいものを食べてみんな幸せに暮らしていることなどを話した。

「――いいわね。チパパはあまりそういう話をしてくれない。私もハルキの世界が見てみたい……」

「レラ……」

 春樹は思いついたように脇に置いたバッグに手をかけた。

「そうだレラ、いいもん見せてやるよ」

 春樹はレラを元気づけようとバッグからスマートフォンを出して見せる。画面を軽く指で触ると待ち受け画面が現れた。

 ――まだバッテリーが残っている?

 レラはスマートフォンの画面を見て目を見張った。春樹がにっこり笑ってレラを見る。レラは驚いた顔を春樹に向けた。

「これ一つあれば、どんなに離れていても会話ができるんだ」

 レラが春樹の肩越しに春樹の手もとを見た。

「これって、声の出る石ね!」
「えっ、ああ確かに声が出る金属だが……」春樹が首を傾げながらスマートフォンを渡すとレラはじっと手元を見つめた。

「おんなじのチパパも持ってた」
「チパパが?」

「そう、チパパはあまり自分のこと話さないけど、私が『それは何?』って訊いたの」

 ──そうかチパパも同じようにスマートフォンを持っていたんだ……。
 自然と笑顔になる。レラも微笑みを取り戻した。

「さあ、ご飯の準備しないとね」と言ってレラが立ち上がろうとしたとき、着物の裾がはだけて白い太腿が露わになった。

「レラ? その足の傷は?」

 レラは慌てて着物の裾を整えた。膝の上から脚のつけ根に向かって一筋の赤黒い傷跡が残っている。鋭利な刃物でつけたような一直線で細い傷だった。

 レラは恥ずかしそうに少し顔を赤くした。

「この傷は小さいころからあるの。なるべく人に見られないようにしてるよ。チパパは知っていたかもしれないけれど……」
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