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19. 獣人たちは聞き耳を立てる

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 阪口の話を聞いてからずっと、不安そうな顔をした奏多がようやく寝ついたのを見て、ベッドの上の誠吾はふぅ……と嘆息した。

 自分にとって、いまはもう捨てた気持ちでいる実家が関わると不安定になることは、とっくの昔に奏多には知られている。情緒不安定となった誠吾に奏多が抱き潰されたことは、もう片手ではとても足りない。

 はじめて抱いてしまったときのように、正気を取り戻した際にかたわらで血の気のない顔色をして気を失っている奏多の姿を見るたび「なんということをしてしまったんだ」という自責の念が浮かぶものの、いつも「俺は男やし、丈夫にできとる。気にせんどき」と軽快に笑いとばしてくれる彼の優しさに甘えてしまっていることは自覚している。

 同時に、どこまでも男前な自分の想い人への愛しさがさらに募ってしまうことも。


 今回だって、桧葉家が出しゃばってくれば一番危険なのは誠吾の〝弱点〟と化している奏多だというのに、当の本人は誠吾のことばかりを心配していることが誠吾には辛い。

 自分の実家は、もう捨てたつもりなのに。
 むしろ幼いころに自分を捨てたのは向こうのほうなのに。

 桧葉家の分家筋から嫁いだ母は、元々体が弱かったのに無理をして誠吾を産み、そのまま数年間、一度もベッドから下りることがなかった。産後の肥立ちが悪く、起き上がることができないほど衰弱して亡くなったのだ。

 そんな母を、本家の生まれの父は最期まで愛することがなかったと聞く。実際、まだ幼稚園児だった誠吾ですら母が息を引き取る場に居合わせたというのに、父は愛人の家に入り浸って顔すら出すことがなかった。

 かわいそうに……と自分を見てつぶやく祖父母や、陰でひそひそと内情を噂している使用人たちを覚えている。

 さすがに父も喪主として葬儀は挙げたが、その後しばらく姿を見ないと思っていたら、ある日、見知らぬ同族の女と、そして自分の腹違いの弟たちだとやらを連れて帰ってきた。

 ――父と同じ黒毛に黒い瞳の獅子族の子供。吊り上がった目尻や、薄い唇は自分とはまったく似ていない。

 その女と子供たちに、いままで自分や母にはつけられたことのない父親の匂いがべったりとついていることに気づいて、湧き上がったのは羨望や嫉妬なんかではなく、嫌悪感。ただそれだけだった。

 腹違いの弟たちは見るからに健康で、母親ゆずりで体の弱い息子を持て余していた父親はあっさりと誠吾を捨てた。

 家督を父親に譲り渡して以降、田舎暮らしを満喫している祖父母が、夏休みに誠吾を呼び寄せたのをこれ幸いに。


 誠吾にとっても、それまでの短い人生でほぼ没交渉だった父親に愛情なんてかけらもなかった。流されるようにして、そのまま祖父母の家で暮らしはじめ――奏多と出会えた。


 小さく寝息を立てる奏多を胸元へ抱き寄せると、なんともいえない芳香が鼻をつく。

 父親は腐っても桧葉家の家長だ。獣人の長といわれているくらいなのだから、さすがに考えもなしに人間、それも一般人へと手を出すはずがないと思うものの、いまひとつ信じられない自分がいる。

 大体、いまさらどうして捨てた息子に関わってこようとするのか。


(想像した以上に俺の名前が獣人たちに知られてるってことがわからなかったくらいのぼんくらだからなぁ)


 進学の際〝桧葉誠吾〟の名前に気づいた獣人たちが騒いだことで、捨てた息子の価値を思い出したらしい。


「……くそが」


 文化祭で父親が直接接触してくることはないだろう。だとすれば、父親の部下か。それか、弟たちがしれっと来場者に混ざってくる可能性も高い。いまは中学生か、高校生か。


「いまの顔がわかんねえな……」


 桧葉姓を名乗っているのは確かだが、そういえば名前もよく覚えていない。

 弟たちとは桧葉家に引き取られてきたときに会ったきりだ。二人とも父親によく似た陰湿そうな顔だった。

 念のため、明日にでも狐に確認させようと決めて、誠吾は長い脚を奏多の体に絡めて目を閉じた。

     ✣

 翌日、大学内のカフェテリアで奏多と待ち合わせをしている最中、自分たちを遠巻きにしている学生たちのなかから、疲れた表情の阪口がこちらへと向かってくるのが見えた。手を振ってやればより悲愴感が増す。小さく「ひっ」と悲鳴が上がったような気がした。


「ちゃんと時間どおりに来たな」
「……王子が呼びつけるとか、俺に何のご用がおありで?」
「王子じゃねえよ」
「それにしてもこんなとこで大丈夫な話、なのか?」


 吐き捨てた誠吾の向かいに阪口は着席すると、ぐぐ、と体を寄せる。人目を気にしたその素振りで呼び出した理由をなんとなくだが察していることがわかって、思いのほか有能そうだな、と誠吾はほんの少しだけ阪口の株を上げた。


「このあと奏多と待ち合わせてる」
「なるほど。じゃあ手短に済ませないとか」
「話が早くて助かる。単刀直入に聞くが……お前、俺の弟たちのことは知ってるのか?」


 声量を落とさずにいった誠吾の一言に、カフェテリアが一瞬しん、と静まった。


「ちょっ……少しは声落とせって」
「あ? なんでわざわざそんな面倒なこと、俺が気にしないといけないんだよ」
「いやいやいや、なんで俺が昨日こそっとお前たちにあれを話したと思うんだっ」
「俺が知るか」
「えええ」
「どうせどれだけ声をひそめても、聞くやつは聞くんだから、気にしたってしょうがないだろうが」
「…………それもそうだけどさぁ」


 獣人は耳がいい。いまだって、聞いていないふりをして聞き耳を立てているやつはいる。

 その〝ふり〟がバレバレなことも誠吾にはわかっているが、いちいち聞くなと絡むほど暇じゃない。聞いてほしくない会話なら、防音ルームを使うなりすればいいだけだ。


「文化祭で俺に接触してくるなら、動きやすい弟たちかなと思ったんだよ。ただなぁ、俺、あいつらのこと全然知らないから、お前に聞けばわかるかと思って」
「知らないって、どのレベルで?」
「名前から知らん」
「まじか。血の繋がった弟、なんだろ。気にならないのか?」
「繋がってるっていっても腹違いだから半分だけだしな。よりによって、あのくその血だぞ」
「だから誰が聞いてるかわかんない場でくそとかいうなってば。一応、獅子族のトップなんだし、俺、敵に回したくないんだからな。……大体、少しはその口の悪さをなんとかしなよ」
「お前相手に丁寧なしゃべりをしたって意味がないだろ。――で、どうなんだ?」


 おさまりの悪い長い脚で阪口の座るイスを蹴って答えを急かすと、諭すのはあきらめたのか寄せていた顔をようやく戻して頭をかいた。


「弟っていわれてもなぁ……これといって悪い噂は聞かないけど、いい噂も聞いた試しがないよ。俺は何度か獣人会の会合で一緒になったことがあるけど、俺があいさつしてもふんぞり返ってるし、獅子族ってことを鼻にかけてて嫌~な感じ」
「へえ。会合にまで行ってるのか」


 十数年前、まだ祖父が家督を握っている頃に何度か連れられて行ったことがあった。単純に祖父としては、母は寝たきりだし、父は帰ってこないしで、休日に一人きりだった自分を放っておけなかっただけとは思う。

 
「俺は補佐見習いとして行ってるけどね、あいつらは単に獅子族の長の付き添いだと思うよ。会議での発言権もないし、まず席がないから。まぁそのうち俺みたいに補佐見習いとして来るのかもしんないけど……それを見越した見学って可能性もある」


 各種族の代表者たちが集う会合に同席させるくらいだ。阪口の予想に誠吾はうなずいた。
 

「それにしてもさぁ、あの二人、本当にお前の弟なの? 笑っちゃうくらいお前と似てないんだけど。お前の要素がかけらもないっていうかさ、親父さんにそっくりすぎて笑える」
「そんなに似てるのか?」
「目つきが悪いところとか、クローンかってくらいそっくりだよ。……だからまぁ、一応ちゃんと桧葉家の血はひいてるんだなって、みんな言ってる」
「なんだよそれ」


 あまりにも神妙な顔つきで阪口が匂わせることがおかしくて、誠吾は目を細めて笑った。


「俺は死んだ母親に似てるらしいからな。そういうところも父親は気に入らなかったんだろ。ま、あれに気に入られたいとか思わねえけど」
「……結構、親父さんのこと嫌ってる感じ?」
「どうでもいいとは思ってる。今回の件で、俺じゃなく奏多に接触してくるなら、話は変わるけどな」
「まさか藤原に接触してくる可能性があるのか?」
「……可能性があるどころか、接触してくるなら奏多だ。昔から、父親の周りにいるやつらは奏多を紹介しろってうるさくてな。高校までは距離があったから電話でいわれる程度だったけど、……こっちに来てからはまじでくそうるせえ」
「……紹介って、どういう……?」


 阪口の問いに、誠吾はすぐに答えなかった。答えられなかった。

 相手はもう十数年会っていなかった父親とその取り巻き連中だ。獣人の存在を自然と受け入れている田舎で、先代でもある祖父とのんびり暮らしてきた誠吾とは、価値観そのものが違う。

 なにを考えて奏多に会わせろというのか、推測しかできないことがもどかしい。


「奏多は年上の知らないやつは警戒するけど、同年代にはとことん甘いんだ。だから、もし文化祭で弟たちが受験生を装って奏多に接触してきたらまずいことになる」
「ああ……俺のことも最初から警戒らしい警戒はしてなかったもんね。友達になってくれるかも、って目が言ってたし。でもあれは人間だから余計にじゃない? 俺が獣人だってことも気づいてなかったけど」
「……だから、まずいって言ってんだろうが。俺たちと違って鼻がきかないんだから、自分に近寄ってくるやつが獣人かどうか見分けがつかねえし、なによりここでわざわざ奏多に寄ってくる獣人にろくなやつがいるわけがない」
「おおう……めっちゃ俺あてこすられてる気がする」


 狐族として誠吾の情報を引きだそうと奏多に接触したことが始まりなだけに、阪口は気まずそうに眉を下げる。

 あの日、特に奏多へ悪意を持っていたわけでもないし攻撃的でもなかったのに、食堂で金獅子ににらまれた狐を、獣人たちは冷や冷やしながら見ていた。藤原奏多に不用意に接触すると、桧葉誠吾に敵視されるということが認識された瞬間だった。


「……もし弟くんたちが、藤原に接触したら……王子は、どうすんの」
「あ? んなの、どうするもこうするもねえだろ」


 それまでも静かだったカフェテリア内が、水を打ったように静まりかえった。聞き耳を立てているものたちの吐息が聞こえてきそうな静けさに、阪口もつられて息を呑む。

 対して誠吾はにべもなく答えた。


「そんときは弟だろうがなんだろうが、ぶっころす」


 どこからか、ヒュッと喉の鳴る音がした。
 阪口からだったかもしれないし、その後ろでずっとこっそりと聞き耳を立てているヤマネコだったかもしれない。それか、好奇心だけでちらちらと鬱陶しくのぞき見てくる人間か。

 青ざめる周囲の様子に、阪口は「あちゃあ」と額に手をあてた。


「王子さぁ、藤原が心配なのはわかるけど、もう少しどっしり悠然と構えてもいいんじゃないの。王子なのに、なんでそんなに血気盛んなんだよ」
「……王子じゃねえよ」
「王子にそのつもりはなくても、俺たち獣人にとっちゃ王子なんだって。親父さんに認められてなくてもさ」
「…………。」


 その言葉に目を伏せて、存在を思い出したテーブル上のコーヒーにようやく手を伸ばす。いつも奏多が淹れるものとは違う味に眉をひそめると、電子音が鳴ってそっとカップをまた置いた。

 ジャケットのポケットから取り出したスマホの画面には、奏多から「終わった」というメッセージが表示されている。


「とりあえず弟たちのことは俺のほうでも調べとくから、王子は藤原となるべく一緒にいるようにしといて。写真は……来週また会合があるから、そのときに撮ってみるよ」
「二人の名前も頼む」
「え。名前って、もしかして弟たちの?」
「ああ」
「……あー、そうだね。名前から知らんってさっき聞いた気がするわ」
「俺は、自分に必要ないものは覚えない」
「ああ、ソウデスヨネ。うん。……ちなみに俺の名前は……?」
「阪口だろ。下の名前は知らねえよ」


 驚喜に近い表情を浮かべて、阪口はぶんぶんと首を縦に振った。
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感想 4

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みんなの感想(4件)

える子
2022.12.13 える子
ネタバレ含む
ゆく
2022.12.13 ゆく

える子さま

わー♡感想ありがとうございます(〃▽〃)
誠吾はかなり独占欲強いです〜でもそれをさらっと流す奏多です笑

狐以外の獣人も出る予定なので、える子さんに楽しんでもらえたら嬉しいです♡

解除
こここ
2022.11.24 こここ

新作の番宣のを見てきました♡
こちらも ようチェックや~~(〃艸〃)ムフッ

ゆく
2022.11.24 ゆく

こっこさま

こちらでもありがとうございます〜!😍

婚約者〜の方には出てこないような暴走系溺愛執着攻めなので、こっこさまのお眼鏡に適いますように(*´▽`人)

解除
nico
2022.11.23 nico
ネタバレ含む
ゆく
2022.11.24 ゆく

nicoさま

こちらでも!
ありがとうございます!(〃▽〃)

こちらの攻めは受けへの長年の片思いをこじらせた暴走系溺愛執着攻めとなっております♡

楽しんでもらえると嬉しいです♡
(ベッドについてはまた後々…🤭)

解除

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