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12. 夏休みの目標
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梅雨が明け、初めての前期試験がようやく終わると、奏多と誠吾の通う大学も長い夏休みに突入した。
結局、友達らしい友達はできなかった。唯一、阪口とその取り巻きたちとは講義の前後に話すことが増えたものの、微妙に距離を感じるから友達と言えるかはわからない。
誠吾は奏多以外の同級生と関わろうとしないので、誠吾に何か連絡事項でもある時は阪口から奏多、そして奏多から誠吾と、まるで伝言ゲームのように仲介する必要があった。
相変わらず誠吾は奏多が自分以外と喋るのを嫌がっている。拗ねた誠吾は面倒くさい。阪口との初対面時のことで痛感している。だからこそ余計な火種は生みたくなくて、できれば直接本人と話してほしいのに、何度そうお願いしても誰も首を縦に振ってくれない。
二人ともバイトなんてしていないし、帰省の予定すらない。友達ができなかった二人には、外で遊ぶ相手すらいない。
つまり、二ヶ月間の夏休みをどうやって過ごすか、が奏多の目下の悩みである。
「奏多」
「……ん。あれ? 俺、寝とった……?」
「ああ。一時間くらいだけどな。大丈夫か、起きれるか?」
「ん、平気。起きるよ」
今年も猛暑だ。
リビングのソファーでうたた寝をしていた奏多は、冷たい手が首筋に触れた感覚で目が覚めた。
名前を呼ばれてうっすらと目を開けると、上下反転した状態の誠吾の顔が、心配そうに自分を見下ろしている。
夏バテ気味の奏多を案じて、普段なら二人で行く買い出しに、今日は誠吾が一人でスーパーへと行って来てくれたらしい。冷蔵庫に買うものリストのメモを貼っておいたから、きっとそれを見てくれたはずだ。
西向きの窓から西日が強く射してまぶしい。奏多は背と、ソファーの肘置きの間にクッションを差し込んで体を起こす。誠吾は窓のカーテンを閉めると、奏多の上半身に寄り添うように座った。
目を覚ました時と同じように左手を首筋に添わせる。手が冷たいせいか、それとも奏多の首筋が熱いのか、その温度差が気持ちいい。
誠吾は左手はそのままに、ソファーの背もたれに右腕を乗せて、そっと顔を近づける。あ、と奏多が気がついた時には、もう焦点の合わないほどの距離に、誠吾の金色の瞳が迫っていた。
(あ。あ、食われそう――)
と、ぐー、と腹の虫が大きく鳴る。
「…………。」
「…………。」
「……あ。あのっ、これは、その、昼飯を食い損ねてたからっ」
ここでだめ押しにもう一度、ぐー、と鳴って、みるみる奏多の頬が赤く染まった。その顔が可愛くて、誠吾はこらえきれず破顔する。
唇に触れるだけのキスをして、誠吾は奏多の黒髪をくしゃっと撫でて立ち上がった。
「その感じなら、夕飯は大丈夫そうだな」
「…………はい。お腹ペコペコです」
「照れてんのか? お前の腹の音とか、もう聞き慣れてるぞ」
「そんなん聞き慣れんでよ」
出会って十年以上。会わなかった日は、きっと一日だってない。お互いの腹の音だって、いびきだって寝言だって、全部知っている。それでも恥ずかしいものは恥ずかしい、と奏多はキスをしたばかりの唇を尖らせた。
「汗かいてるから、シャワー浴びてくる……上がったら夕飯作るよ」
「今日ぐらいは出前でいいんじゃないか。俺が買ってきた惣菜もあるし、お前、まだ本調子じゃないだろ」
「作るって言っても、素麺茹でるくらいやし。さっぱりしたもの食べたいんよね。何なら、誠吾が茹ででくれてもいいんやけど」
「…………わかった」
「あ、うそ、嘘です、冗談っ。誠吾に素麺茹でるとかさせられんし!」
中学生の頃、藤原家にお泊まりに来た誠吾に素麺を茹でるようお願いしたところ、なぜか麺と麺がくっついて団子状になった素麺を思い出して、奏多は慌てて止めた。
素麺は誠吾の祖父母から夏になって贈られてきたものだ。木箱に入ったそれを、むざむざと団子にしてはなるものか。
とにかく、素麺と鍋、買った惣菜をキッチンに出しておくようお願いして、奏多は浴室へと向かった。
シャワーを終えてリビングに戻ってくると、向かい合って座るダイニングテーブルではなく、隣合って座れるソファー前のローテーブルに並べられていた。
誠吾はソファーに深く腰かけて、手にはドライヤー、空いた手で奏多を手招く。誠吾の両脚の間にちょこんと浅く腰かけた。
タオルドライしただけの黒髪はしっとり濡れている。無香料のヘアオイルを毛先を中心に揉み込んで、誠吾はドライヤーのスイッチを入れた。
(…………ん? んんっ?)
いつもと違う音に、思わず振り返って、背後の誠吾の右手を凝視した。
「おい、急に振り返るな。危ないだろうが」
「……そのドライヤーどうしたん? 何かいつも使っとったのと違うくない?」
「買った」
「買ったあ!? いつ、どこで」
「今日。買い出し行ったついでに」
ノズル近くにPから始まるブランド名が書かれているそれを奏多はこの家で見たことがない。そういえばスーパーの先に、家電量販店がある。そこで買ったのか。
昨日まで使っていたドライヤーは同居を始める際に適当にヨドバシで買った五千円台のもので、だから買ってからまだ半年も使っていないものだったのに。
「お前の髪、大分伸びてきただろ。髪にいいドライヤーで乾かしてやりたかったんだよ。悪いか」
「や、悪いかって言われたら……まぁ悪くはないし、ありがたいですけども」
だってそれ三万くらいするやつやん、と言いたくなるのは育った環境のせいもあるけれど、でも、いつも決して安くはない金額のものをポンと出せる誠吾と自分の価値観が違いすぎるせいだ。
ここ数ヶ月切っていない髪は伸びて、肩にはつかないまでも「短髪」とは言えない。誠吾は肩より少し長いくらいの髪をいつも後ろで雑に括っているから、誠吾のカットの間隔に合わせるとどうしても奏多まで長めになる。
「ほら。乾かすから、顔は前」
「はーい」
「はいは伸ばさない」
「……はい」
前を向きながら、スマホで新しいドライヤーの値段を調べる。やっぱり高い。アマゾンで四万近くするなら、量販店だともっと高かったのではないだろうか。何が違うんだ、イオンか。乾けばいいのに。
誠吾の節ばった大きな手が、時折耳たぶや項を触りつつ、自分の髪を梳いていく。スマホをスリープにした瞬間、暗転した画面に、満足そうな顔の誠吾が映った。
ドライヤーだけじゃない。この家も、進学先も、ベッドの組み立てサービスだって、何もかも誠吾のおかげだ。好かれている自覚はある。ただ、与えられてばかりの関係に、ほんの少し落ち着かない。
どうやったら何も持たない自分が誠吾に与えることができるか、この夏休みはそれを模索しようと、奏多は心の中で静かに目標を立てた。
――
誠吾は実家から毎月送られてくる小遣いとは別に、亡くなった実母絡みの収入があります。長年暮らしていた祖父母家も獅子族の資産家で、いわゆるお坊ちゃまです。
結局、友達らしい友達はできなかった。唯一、阪口とその取り巻きたちとは講義の前後に話すことが増えたものの、微妙に距離を感じるから友達と言えるかはわからない。
誠吾は奏多以外の同級生と関わろうとしないので、誠吾に何か連絡事項でもある時は阪口から奏多、そして奏多から誠吾と、まるで伝言ゲームのように仲介する必要があった。
相変わらず誠吾は奏多が自分以外と喋るのを嫌がっている。拗ねた誠吾は面倒くさい。阪口との初対面時のことで痛感している。だからこそ余計な火種は生みたくなくて、できれば直接本人と話してほしいのに、何度そうお願いしても誰も首を縦に振ってくれない。
二人ともバイトなんてしていないし、帰省の予定すらない。友達ができなかった二人には、外で遊ぶ相手すらいない。
つまり、二ヶ月間の夏休みをどうやって過ごすか、が奏多の目下の悩みである。
「奏多」
「……ん。あれ? 俺、寝とった……?」
「ああ。一時間くらいだけどな。大丈夫か、起きれるか?」
「ん、平気。起きるよ」
今年も猛暑だ。
リビングのソファーでうたた寝をしていた奏多は、冷たい手が首筋に触れた感覚で目が覚めた。
名前を呼ばれてうっすらと目を開けると、上下反転した状態の誠吾の顔が、心配そうに自分を見下ろしている。
夏バテ気味の奏多を案じて、普段なら二人で行く買い出しに、今日は誠吾が一人でスーパーへと行って来てくれたらしい。冷蔵庫に買うものリストのメモを貼っておいたから、きっとそれを見てくれたはずだ。
西向きの窓から西日が強く射してまぶしい。奏多は背と、ソファーの肘置きの間にクッションを差し込んで体を起こす。誠吾は窓のカーテンを閉めると、奏多の上半身に寄り添うように座った。
目を覚ました時と同じように左手を首筋に添わせる。手が冷たいせいか、それとも奏多の首筋が熱いのか、その温度差が気持ちいい。
誠吾は左手はそのままに、ソファーの背もたれに右腕を乗せて、そっと顔を近づける。あ、と奏多が気がついた時には、もう焦点の合わないほどの距離に、誠吾の金色の瞳が迫っていた。
(あ。あ、食われそう――)
と、ぐー、と腹の虫が大きく鳴る。
「…………。」
「…………。」
「……あ。あのっ、これは、その、昼飯を食い損ねてたからっ」
ここでだめ押しにもう一度、ぐー、と鳴って、みるみる奏多の頬が赤く染まった。その顔が可愛くて、誠吾はこらえきれず破顔する。
唇に触れるだけのキスをして、誠吾は奏多の黒髪をくしゃっと撫でて立ち上がった。
「その感じなら、夕飯は大丈夫そうだな」
「…………はい。お腹ペコペコです」
「照れてんのか? お前の腹の音とか、もう聞き慣れてるぞ」
「そんなん聞き慣れんでよ」
出会って十年以上。会わなかった日は、きっと一日だってない。お互いの腹の音だって、いびきだって寝言だって、全部知っている。それでも恥ずかしいものは恥ずかしい、と奏多はキスをしたばかりの唇を尖らせた。
「汗かいてるから、シャワー浴びてくる……上がったら夕飯作るよ」
「今日ぐらいは出前でいいんじゃないか。俺が買ってきた惣菜もあるし、お前、まだ本調子じゃないだろ」
「作るって言っても、素麺茹でるくらいやし。さっぱりしたもの食べたいんよね。何なら、誠吾が茹ででくれてもいいんやけど」
「…………わかった」
「あ、うそ、嘘です、冗談っ。誠吾に素麺茹でるとかさせられんし!」
中学生の頃、藤原家にお泊まりに来た誠吾に素麺を茹でるようお願いしたところ、なぜか麺と麺がくっついて団子状になった素麺を思い出して、奏多は慌てて止めた。
素麺は誠吾の祖父母から夏になって贈られてきたものだ。木箱に入ったそれを、むざむざと団子にしてはなるものか。
とにかく、素麺と鍋、買った惣菜をキッチンに出しておくようお願いして、奏多は浴室へと向かった。
シャワーを終えてリビングに戻ってくると、向かい合って座るダイニングテーブルではなく、隣合って座れるソファー前のローテーブルに並べられていた。
誠吾はソファーに深く腰かけて、手にはドライヤー、空いた手で奏多を手招く。誠吾の両脚の間にちょこんと浅く腰かけた。
タオルドライしただけの黒髪はしっとり濡れている。無香料のヘアオイルを毛先を中心に揉み込んで、誠吾はドライヤーのスイッチを入れた。
(…………ん? んんっ?)
いつもと違う音に、思わず振り返って、背後の誠吾の右手を凝視した。
「おい、急に振り返るな。危ないだろうが」
「……そのドライヤーどうしたん? 何かいつも使っとったのと違うくない?」
「買った」
「買ったあ!? いつ、どこで」
「今日。買い出し行ったついでに」
ノズル近くにPから始まるブランド名が書かれているそれを奏多はこの家で見たことがない。そういえばスーパーの先に、家電量販店がある。そこで買ったのか。
昨日まで使っていたドライヤーは同居を始める際に適当にヨドバシで買った五千円台のもので、だから買ってからまだ半年も使っていないものだったのに。
「お前の髪、大分伸びてきただろ。髪にいいドライヤーで乾かしてやりたかったんだよ。悪いか」
「や、悪いかって言われたら……まぁ悪くはないし、ありがたいですけども」
だってそれ三万くらいするやつやん、と言いたくなるのは育った環境のせいもあるけれど、でも、いつも決して安くはない金額のものをポンと出せる誠吾と自分の価値観が違いすぎるせいだ。
ここ数ヶ月切っていない髪は伸びて、肩にはつかないまでも「短髪」とは言えない。誠吾は肩より少し長いくらいの髪をいつも後ろで雑に括っているから、誠吾のカットの間隔に合わせるとどうしても奏多まで長めになる。
「ほら。乾かすから、顔は前」
「はーい」
「はいは伸ばさない」
「……はい」
前を向きながら、スマホで新しいドライヤーの値段を調べる。やっぱり高い。アマゾンで四万近くするなら、量販店だともっと高かったのではないだろうか。何が違うんだ、イオンか。乾けばいいのに。
誠吾の節ばった大きな手が、時折耳たぶや項を触りつつ、自分の髪を梳いていく。スマホをスリープにした瞬間、暗転した画面に、満足そうな顔の誠吾が映った。
ドライヤーだけじゃない。この家も、進学先も、ベッドの組み立てサービスだって、何もかも誠吾のおかげだ。好かれている自覚はある。ただ、与えられてばかりの関係に、ほんの少し落ち着かない。
どうやったら何も持たない自分が誠吾に与えることができるか、この夏休みはそれを模索しようと、奏多は心の中で静かに目標を立てた。
――
誠吾は実家から毎月送られてくる小遣いとは別に、亡くなった実母絡みの収入があります。長年暮らしていた祖父母家も獅子族の資産家で、いわゆるお坊ちゃまです。
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