獅子の王子は幼なじみと番いたい

ゆく

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7. 雨と雷

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 天気予報は晴れだったのに昼過ぎからはどんどん雲行きが危うくなって、夕方からは土砂降りが続いている。夕方のニュースではゲリラ雷雨で大雨警報、とアナウンサーが繰り返し口にしていた。

 今日は誠吾は実家に呼ばれたと言って、三限目が終わると奏多を一人残して出かけていった。日が落ちても帰ってこないところを見ると、今日は実家に泊まるのかもしれない。夕食はどうするのか尋ねるラインを送ったけれど既読もつかなかった。


 わざわざ一人分の料理をするのも面倒くさくて、地元にいる時に買っておいたカップラーメンをキッチンの収納庫から取り出してお湯を注ぐ。そのまま三分待って、味も感じないまま胃へ流し込んだ。

 豚骨味。ここ十数年で味噌味や醤油味なんかもメジャーにはなったものの、奏多の地元では基本が豚骨味だ。有名メーカーのものなら首都圏でも買えるが、奏多の好きなカップラーメンは地元メーカーのもので、こちらではなかなか見ることがない。今ある数を食べ終わったら、夢路に頼んで送ってもらうつもりでいる。


(誠吾も生まれはこっちやのに、十年もおったらすっかり豚骨味に馴染んでるんよなぁ)


 最近は自炊してばかりでインスタントラーメンは食べていなかった。ゴミ箱にカップラーメンの空き容器があるのを見つけた誠吾が拗ねて不機嫌になるであろうことを想像して、奏多は〝今度誠吾にも作ってやらんとな〟と最後の一口を噛みしめた。


 食後は眠気と戦いながら、大学の予習をこなす。明日は一限目に第二外国語の講義があるから教科書の訳をしておく必要がある。奏多は電子辞書派だ。高校入学時に誠吾の祖父母から入学祝いとして贈られた電子辞書を愛用している。誠吾とお揃いの機種だ。

 高校は紙の辞書でも電子辞書でも、タブレットでも良いというスタンスだったので、奏多は中学で使っていた辞書を引き続き使う予定だった。それを誠吾が「高校は使う辞書も多いし、電子辞書がいいから」と推していた。だから、誠吾の祖父母からのお祝いを受け取って、自宅で包装紙を開けた時の驚きはすごかった。


 広めの1LDKで一人。ソファーの前に座って、ローテーブルに教科書と筆記用具を広げた。実家は畳に座卓だったから、ダイニングテーブルを使うよりもこっちの方が性に合っている。教科書に直接マーカーペンとフリクションペンで、ひたすら訳を書き込んでいく。

 そういえば物心ついてからというものの〝家〟で一人の夜を過ごすのは初めてかもしれない。年子の弟の夢路めろとは常に一緒にだったし、ある程度大きくなってからは年の離れた弟妹のお世話をしていた。

 小学生になって誠吾が転校してきてからは、奏多を挟むように、夢路とは反対側の隣にいるようになった。


(……いつも誰かの声がしてたから、誰の声もしない夜は初めてやな……)


 それにしても雨音がすごい。
 奏多は訳を終えて教科書や筆記具をリュックに入れると、大粒の雨が打つベランダの掃き出し窓を見た。

 外は真っ暗で、開けっぱなしにしていたカーテンを引くかどうか迷ってやめた。これだけの雨なら、どうせ外から内は見えないはずだ。遠くで雷鳴と時たまの稲光が激しい。天気アプリの雨雲レーダーでは、ここ一帯にだけ真っ赤な雨雲がかかっていた。


(もうすぐ終電もなくなる時間やけど……誠吾、実家で大丈夫なんやろうか。ていうか今日帰ってくんのかな……)


 あとはもう風呂に入って寝るだけだ。
 相変わらず誠吾からは連絡がない。実家に呼び出されていたが、そんなにも大変な用件だったんだろうか。

 獣人の頂点に立つという桧葉家ってどんなところなのかは、小学一年生の夏に転校してきてから、一度も里帰りをしていない誠吾の態度が物語っている。奏多が誠吾の家へお泊まりした際に何度か実家から電話がかかってきている場面に遭遇したことがあるが、電話口に出る誠吾の表情は沈んで、そして今夜のように毎回天気が荒れていた。


 誠吾が帰ってくるかわからないのに浴槽に湯を張る気になれず、今夜は簡単にシャワーで済ませる。シャワーを浴びているうちに帰ってくるかもと烏の行水で上がったけれど、結局誠吾は日付が変わっても帰ってこなかった。




 寝室のドアをそっと開けると、すー、すー、と小さな寝息が聞こえる。
 雨で濡れた服を脱ぎ捨てて下着一枚になった誠吾は、濡れたままの体を奏多の眠るベッドに滑らせた。髪の毛先から雫が滴っているし体だって冷えている。

 横向きの奏多を後ろから抱きしめると、びくりと跳ねるように奏多の体が身じろぎした。


「…………誠吾、帰ったん?」
「ん。」


 奏多が後ろを振り向きながら聞いた。振り向きはしたもののまぶたは下りたままで、言葉も舌っ足らずだ。眠いのは明らかで、そんな奏多を起こして悪いと思いつつ、誠吾は奏多の首筋に鼻先を埋める。くすぐったいわと小さな声で抗議されたのは無視した。

 奏多の微かな匂いをめいっぱい吸い込んで、誠吾はやさぐれた気持ちが満たされるのを自分でも感じる。


「おかえり。お疲れさまやったな……」
「眠いなら寝ろ」
「ん、寝る。……誠吾も、はよ寝らんと、おやす……」
「おう。……って、み、まで言わないのかよ」


 力尽きたとばかりに「おやすみ」を最後まで言えずに奏多は眠りに落ちた。


(……可愛い。めっちゃ可愛い。いい匂いだし、可愛いし、癒やされる。本当に奏多をここに連れてきて良かった)


 今日は散々だった。

 大学進学後、ほとんど顔を出さない誠吾にしびれを切らしたのか、実家から呼び出しの電話があったのは昼休みのことだった。無視をしようと決め込んでいたが、向こうは学生課に電話をして構内放送で呼び出すという恐ろしい手を使った。

 さすがの誠吾も、奏多や他の学生たちの視線には逆らえず、仕方なく実家へ折り返し電話をかければ「帰ってこい」の一言だった。

 用件はわかっている。誠吾は、傍に置いている奏多と会わせろと父親から長年要求されている。少なくとも五年。中学に入った頃には既に「いつ会わせてくれるんだ」と何度も何度も電話口で言われていた。

 誠吾がどれだけ奏多を大事にしているかはわかっているらしい。獣人たちに奏多の情報が漏れないように手を回してくれていることには感謝しているものの、それと会わせるかどうかは別の話だ。


「……疲れた」


 手の先、脚の先、頭の先。体の末端という末端の血がぞわぞわと沸き立った。何度経験しても慣れないその感覚に、誠吾は抗うように目の前の奏多の体を抱きしめる手に、そっと力を込める。鋭く伸びた爪が、奏多の体を傷つけないように気をつけて。
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