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105. 俺が噛むのは

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 泰樹たいきくんは俺が首を振ったのを見て、性急に部屋のなかへと連れていく。リビングは二人が家を出たときのままで、耳を澄ませると空調の音が静かに聞こえるくらいだ。

 俺をソファーの真ん中に座らせると、泰樹くんはまるで騎士が姫にかしづくかのように足下にしゃがんだ。自然と見上げられるような形になる。

 普段は自分が見上げる立場だから、なんだか妙に落ち着かない。

 なんだか昔に戻ったみたいで、今目の前で跪いているのはもう大人の泰樹くんなのに、その向こうに「真緒まお兄ちゃん」と呼んで懐いてくれていた子供の泰樹くんが見える。


(あの頃は髪も直毛だったし、カラコンも入れてなかった。黒い髪と黒い目に、黒いランドセルが似合ってたなぁ。垂れ目だから、宏樹ひろきと同じ黒い目なのに柔らかい印象で……)


 留学するまで――俺と離れるまでは、瀬尾の三兄弟は全員黒一色だった。それが、再会したときには俺のためにまったく印象が違うように仕組んでたんだから。


(俺のために……俺のために留学して、俺のために見た目も変えて。そして色んなものを失わせてしまった)


 そんなにも強い好意を向けてもらえる価値が俺にあるのか自信はないけれど、でもずっと好きな人に振り向いてもらえなかった自分としては、そのばかでかい矢印が嬉しい。


「ねえ真緒ちゃん。さっき、車のなかで俺に言ってくれたことは本当?」
「うん」
「大丈夫? 無理してない?」
「無理なんかしてないよ。ちゃんと考えて言ったんだ」


 泰樹くんはいつも俺を優先しすぎる。
 ここで俺が「無理してる」と答えたら、俺のため……と、引いてしまうことを想像した。

 目の前で揺れる柔らかい髪に、そっと手ぐしを通す。黒髪には戻したけれど、髪はパーマをかけたままだから手触りがふわふわだ。

 最後にこうして泰樹くんの頭を撫でたのはいつだったかな。


 ――算数のテストで満点だったんだ。満点は僕だけだったんだよ!
 ――運動会のリレーでアンカーに選ばれたんだ。僕、絶対一位になるから、真緒兄ちゃん、応援しに来てくれる?
 ――お父さんたちに、真緒兄ちゃんとあまり会うなって言われたんだ。なんで……


 何かあるたびに俺のところに来て、太ももに、腰に抱きついてくる泰樹くんの頭を撫でてやってた。

 笑った顔も、張り切った顔も、泣いてる顔も、頭を撫でてあげると全部が二割増しになって本当に可愛かったんだよな。


(抱きつかれるたびに、宏樹のやつが引きはがしてたけど……)


 大きくなった今だって、嫌がられるかなと触った後から思ったけど、嬉しそうに笑ってる泰樹くんを見る限り嫌がられてはなさそうだ。


「……もう一回」
「え?」
「もう一回、言ってほしい」
「なにを?」
「さっき車のなかで言ってくれたこと」
「え。な、なんで?」
「なんでって……だって、さっきは突然言われたから、心づもりなんて全然できてなかった。運転中にいきなりあんなこと言われて、心臓が止まるかと思ったんだ。なんであのタイミングだったの? 俺、横向いてたし、真緒ちゃんの言ってくれたときの顔とか見れてないし。もう一度、真緒ちゃんに面と向かって言われたいんだ」
「べ、別にいいけど……」


 必死すぎて、可愛い。
 当の泰樹くんは、まるで合否結果を待つ受験生みたいな面持ちをして俺を見ている。大学院の受験のときだって、こんな不安そうな顔してなかった。


「……真緒ちゃんをこうして見上げるのは久しぶりだ」
「俺もちょうど今同じことを考えてたよ。最近はずっと見上げてばかりだったから、泰樹くんを見下ろすのは不思議な感じ。泰樹くんのつむじなんて超レアだなぁ」


 俺のつむじでよければいくらでもどうぞ、と頭をずいっと差し出されて、目を丸くした。泰樹くんといると、俺も自然体でいられてホッとする。

 気がつけば笑ってるのは俺だけで、泰樹くんはそんな俺を幸せそうに見ていた。


「俺は夢のなかではいつも真緒ちゃんを見上げてたから、懐かしいのに不思議な感じ」
「……夢のなか?」
「カナダにいた頃のことでね。現実で会えないからだろうな。俺、真緒ちゃんの夢をよく見てたんだ。……嫌なことがあっても、真緒ちゃんと夢で会えるだけでがんばれた」


 そう言って、髪を触る俺の右手をそっと取る。その手のひらに軽く口づけをされた。ちゅ、ちゅ、となんどもついばまれる。


「夢を見始めた最初の頃、夢のなかの真緒ちゃんははっきりした姿で、俺とおしゃべりもしてくれたんだよ。でも一年、二年と経つうちに、どんどん輪郭がぼやけていって……そのうちあれだけ目に焼きつけた顔ですら、ぼんやりとしかわからなくなった。……たまに真都まいとさんが真緒ちゃんの写真を送ってくれたけど、俺はそばにいられないのにって余計に辛くなった」
「泰樹くん……」
「真緒ちゃんのなかでは俺に今でも可愛い弟みたいなイメージがあるだろうけど、俺はそんなにきれいな人間じゃないんだよ。真緒ちゃんには知られないようにしてるだけで……昔みたいに、ちっとも可愛くなんてない。頭のなかで真緒ちゃんへのどろどろに煮詰まった気持ちを、二十年分ため込んでる」


 思いがけず吐き出された内容に、俺は少しだけびっくりした。でも不思議なことに――びっくりしただけだった。
 
 
「ねえ泰樹くん」


 俺の右手に口づけたままの泰樹くんの右頬に左手を添えると、泰樹くんの体が小さく跳ねた。

「守谷先生が、今の俺ならアルファなら誰でも大丈夫だろうって言ってたのが、泰樹くんは不安だったんだよね?」
「……うん」


 実際にはそこまであけすけな言い方はされてなかったような気もするけど、まあニュアンスというか、含みは違わないはず。

 守谷先生としては事実を述べたまでだし、それに今までのオメガとしての人生を瀬尾に囚われていた俺に対する可能性を示唆してくれただけだろう。

 でもあれが泰樹くんを不安定にしちゃったんだろうな。あの場ではアルファ然としてたけど……


「ばかだなぁ」


 だとしたら俺にできることは、泰樹くんを安心させてやることだろ。


「俺は、番になるなら泰樹くんがいいよ」
「……真緒ちゃん……っ」

 俺は身を乗り出して、ひざをついたままの泰樹くんを抱きしめた。体勢的に、覆い被さるといったほうが近いかもしれない。俺の背にそっと泰樹くんの両腕が回される。

 次は俺の番だ。


「泰樹くんこそ、俺でいいの?」
「……真緒ちゃん。それは、どういう意味かな」
「言葉どおりだよ」


 俺の背中に回った腕の力が増した。ぎゅう……と音がしそうなくらいの力強さが息苦しい。聞こえてないだけで、実際ぎゅうって音はしたかもしれない。


「俺は子供の頃からずっと真緒ちゃんを好きなんだよ。真緒ちゃんしか見てこなかった。今でも真緒ちゃんだけ。なのに、そんな俺に真緒ちゃんが自分のことを〝俺で〟なんて言うなんて、すごく悲しい。俺がどれだけ真緒ちゃんのことを好きか、伝わってなかった? どうしたらわかってくれる?」


それだけで、俺が言った一言は泰樹くんを傷つけるものだったと、鈍い俺でもわかった。

 
「……ごめん。泰樹くんが俺のことを本気で好きでいてくれてること、頭ではちゃんとわかってるんだ。でも泰樹くんの一番身近にいたオメガが俺だっただけで、もっと泰樹くんにふさわしいオメガがいるんじゃないかな、って……たまに思ったりして……俺は、泰樹くんの運命じゃないし」


 そう。俺の運命の番は宏樹だ。はじめて会ったときにそれはわかってる。運命だからこそ俺も宏樹も、お互いに執着したんだ。

 だからこそ、もし泰樹くんが運命の番と出会ってしまったら……それが一番こわい。


「ごめん」


 泰樹くんがそっとつぶやいた。


「俺がずっと真緒ちゃんに黙ってたから、不安にさせちゃったんだね」


 俺を抱きしめる力がゆるむ。俺は泰樹くんの肩に両手を置いて、顔を上げた。目の前には泰樹くんの整った顔。いつもの温和な顔は曇っていて、そしてほんの少し喜色が浮かんでる。

 え。俺今めちゃくちゃ真面目に話したよね。なんで嬉しそうなの?


「本当にごめんね、真緒ちゃん。……俺が嬉しいって言ったら、幻滅する?」
「…………嬉しいって、なんで?」
「嬉しいよ。だって、真緒ちゃんは俺がそのうち運命の番と出会って、俺が真緒ちゃんじゃなくそっちを選ぶかもって不安になってたってことだよね?」
「……うん」
「こんなありえないことで不安になるくらい、俺のことが好きなんだって俺は思ったんだけど……ってことで、合ってる?」
「…………合ってる。合ってるけど」


 ――ありえないこと、はないだろ。
 世の中では運命の番は眉唾ものだとか言われてるけど、そうじゃないことは俺も泰樹くんも理解してる。


「いや、本当にありえないんだ」
「えっ……」


 俺が心のなかで吐き捨てたつもりの言葉は、どうやら口から出ていたらしい。


「帰宅してからちゃんと俺の口から言おうと思ってたんだけど、つい、車のなかでのことが衝撃的すぎて」
「……泰樹くんがなにを言いたいのかわからない。お願いだからはっきり言って」


 遠回しなことばかりを言われて頭がついていけない。しびれを切らして答えを急かした俺を泰樹くんは困ったように見つめてから、あきらめたように笑った。そしてまっすぐ俺の目を見て言い切った。


「俺たち最上位アルファには、運命の番なんか存在しない」


 俺はそうきっぱりと断言した泰樹くんと見つめ合ったまま、身じろぎひとつできなかった。なにを言われたのか、今ひとつ理解できなかった。


「最上位アルファは、運命の番どころか普通のオメガと番になることすら困難なんだよ」
「……なんで?」
「俺たちが完全なるアルファだから」
「…………完全なる、アルファ」


 聞き覚えのある言い回し。


「それは……俺が完全なるオメガってやつになったのと関係があったりするの……?」
「する」


 だよね。だってどう考えても関連性ありまくりな言い方だし。


「榛名さんの番の人が、真緒ちゃんと同じ完全なるオメガだってことは話したよね」
「うん」
「番の人は、元からオメガだったわけじゃない」
「…………えっ」
「元ベータの男性なんだ」
「!?」


 驚きすぎて変な声を上げてしまいそうになって、開いた口をとっさに両手で隠した。そんな俺を見て、泰樹くんは「驚くよね」と笑う。


「後天性オメガってこと……?」


 第二性は中学校入学前と高校入学前に性別検査を受けることが義務づけされていて、一度判定された性別はその結果がくつがえることがほとんどない。

 でも両親がアルファとオメガの夫婦だったり、近親者にアルファやオメガがいる場合、ごくまれに成人後でも第二性が変わることがあるらしい。

 らしい――なのは実際に俺の患者には後天性オメガや後天性アルファといった人がおらず、あくまでも文献でしか知らないからだ。ちなみになぜかアルファやオメガがベータに転換することはないという。


「広義的には同じだね。でも真緒ちゃんが知ってる後天性転換とはまた違うんだ」
「どういうこと?」
「男女の組合せであれば結婚できるし、子供もできる。でも番は、アルファとオメガの組合せじゃないとなれない。それと一緒で……完全なるアルファは完全なるオメガとじゃないと、番うことができない」
「そんなこと」
「そんなことが、あるんだ」


 あくまでも穏やかな口ぶりだった。脳裏にはさっき車のなかで泰樹くんとした会話が浮かぶ。


「ねえ……でも、俺みたいな完全なるオメガは自然に生まれないって、さっき言ってなかった……?」


 そう尋ねると、泰樹くんの口角がきゅっと上がった。


「アルファの執着は知ってるよね。自分の番が自然に生まれないのなら、どうすればいいと思う?」
「え……」
「榛名さんは高校で番の人を知って、どうしてもその人と番いたかったんだって」
「そうなんだ。榛名さんって……たしか俺よりも年上だよね。高校生のときに出会ったってことは、もうお付き合いが十年くらいなのかな。なんかそういうのって憧れるよね。……あ。じゃあお相手が完全なるオメガになったことは、榛名さんにとっては僥倖だったのか」
「どうしてそう思うの?」
「えっ……だって、男性だったらベータのままじゃ番えないでしょ」


 女性なら番うことはできないがベータであっても子供が作れる。でも、男性のベータは子供はもちろん無理だし、番うこともできない。

 もちろんそれは榛名さんに限ったことじゃない。世のなかにはベータ同士のカップルや夫婦もいるし、アルファ同士、オメガ同士の同性カップルだって少なくない。だからこその「僥倖」だと言ったつもりだ。


「俺たちに番えない相手なんていない」


 でも泰樹くんはやんわりと首を横に振って、俺の目を見て言った。


「……最上位は完全なるオメガとしか番えないって」


 言われたのはさっきのことだ。聞き返すと「そのとおりだよ」と、矛盾した答えが返ってくる。

 意味がわからない。目の前にいるのに、泰樹くんがなにを言いたいのかがまったくわからなくて、俺はつい彼の肩に乗せた両手に力をこめた。


「俺たちには運命の番が存在しない。普通のオメガとも番えない。……その代わり、自分が唯一と定めた相手を、完全なるオメガへと転換させることができるんだ」


 泰樹くんの両手が俺の腰に回って抱き寄せられた。まるで赦しを乞うかのように、俺の腹に泰樹くんが自分の顔をすり寄せる。


「そんなこと、できるわけが……」
「俺たちだよ、できないと思う?」
「…………。」


 できない、なんて言えない。榛名さんは知らない。でも小さな頃から真都兄を身近で見ている俺は、真都兄にできないことなんてないんじゃないかって思ってるから。

 真都兄に同じことを言われたら、俺は驚きはするけどきっと信じる。真都兄ができるなら、同じ最上位アルファの榛名さんだって……

 そこで俺は、ふと俺の腹に顔をうずめるこの幼なじみも、真都兄と同じ最上位アルファだということを思い出した。


「…………じゃあ、俺は?」


 榛名さんの番の人がベータの体を完全なるオメガに転換させられたというのなら、俺を転換させたのは――


「だからか」
「……うん」
「俺を完全なるオメガに変えたのが自分だから、さっきから泰樹くんはごめんねって言ってたんだね」
「…………。」


 否定しない泰樹くんの髪に、俺はもう一度手ぐしをとおした。


「ばかだなぁ」
「……またばかって言った」
「だって泰樹くん、ばかなんだもん」
「俺のこと、ばかって言うのは真緒ちゃんくらいだし。大体〝もん〟って……なんでそんなに可愛いの? 真緒ちゃんはもっと俺に怒っていいんだよ? わけのわからない体によくも変えてくれたなって殴っていいんだよ? なのになんで、優しくしてくれるの……」
「うーん。なんでって言われてもなぁ……俺、多分だけど、好きな人にはついつい甘くなっちゃうんだよね。余程ひどいことされないかぎり怒らないよ。そこは泰樹くんもよく知ってるかと……」


 宏樹の顔が一瞬だけ頭に浮かんで、すぐ消えた。

 「知ってる」と何度も繰り返す頭を、俺も言われるたびに何度も撫でてやる。今俺が甘くなる相手は、目の前にいる。腹の部分が、しっとりと濡れているような気がするけど、言わないでおいた。


「もしかしてなんだけどさ。最近泰樹くんからいい匂いがしてたのって、あれが完全なるオメガにするためだった?」
「……俺たちのフェロモンを取りこませることで、相手の体を作り変えることができるんだ。真緒ちゃんは元々オメガで、しかも瀬尾と相性が良かったから、俺の誘発フェロモンをあてるだけで済んだ。数は多くないけど、もっとえげつない方法もあるんだよ」


 完全なるオメガへの転換の原因は、俺の知る他の症例の後天性転換とさして変わらなかった。ただ大きな違いは、影響されたフェロモンが誰よりも強い最上位アルファのフェロモンだったということか。


 それよりも〝もっとえげつない方法〟ってなんだ。最後の一言が気になりすぎる。フェロモンを取りこませることが目的で「えげつない」って表現を使うのは……

 頭のなかで、あんなことこんなことを想像していると「真緒ちゃん、すごい顔してる」と下からの声ではっとした。考えすぎて、とんでもない顔になってたようだ。


「真緒ちゃんが俺のフェロモンを嫌がるようならやめるつもりだったんだ」
「あー……嫌がるどころか、俺っていい匂いとか言っちゃってたね」
「うん。だからすごく嬉しかった。真緒ちゃんは俺に対して気を許してくれていたし、多分大丈夫だろうとは真都さんにも言われてたけど、世の中には絶対なんてこと、少ないでしょ」
「真都兄が?」
「第二性の転換方法は真都さんから教えてもらったんだよ。真都さん本人はしたことがないって言ってたけど、榛名さんで実証済みだから、真緒ちゃんにフェロモンを拒否されないんだったらやってみろって」
「……初耳なんだけど」
「そこはほら、真都さんだから」


 完全なるオメガへの第二性転換方法を教えたってことは、真都兄は俺が泰樹くんと番になることを望んでるのかな。あくまでも決定権は俺にあるけど……


「真都兄、泰樹くんのこと実はすごく気に入ってるよね」
「……俺が気に入られているというより、ヒロとナオが嫌われただけだと思う。俺、小学校に入学したとき真都さんに言われてたんだよね」
「なにを?」
「んー……まあ、真緒ちゃんを大事にしろ、みたいなこと」
「え?」


 ……そんなの知らない。

 泰樹くんが小学校に入学した頃といえば、俺が初めての発情期を迎えて、色々と瀬尾と揉めていた頃だ。

 あの頃にはもう真都兄は実家から独立していた。仕事が忙しくてなかなか会えなかったのを、俺を心配してなるべく会いに来てくれていた。

 泰樹くんも毎週のように俺のところへ通ってくれていたから、もしかして俺の知らないところで二人がかち合っていたのかもしれない。

 初対面ではなかったけど、小学校一年生が親子ほどの年齢差の真都兄にそんなことを言われるなんて。


(しかも筋骨隆々で迫力もあるから、俺だったらこわすぎて泣くかも……)


「ま、真都兄がなんかごめん……」
「ううん。大体、言われなくても元から真緒ちゃんのことは大切だったから、気にならなかったよ。それに真都さんは真緒ちゃん大好き仲間だしね」


 臆面もなく「大好き」とかさらっと言える泰樹くんは、本当に俺の年下なのかと疑問になるくらい直情的だ。

 そのまっすぐさに、振り向いてもらえない辛さで張り裂けそうになっていた胸は、いつの間にかいっぱいいっぱいにになっていた。


「あーあ……」


 ぽつりと漏らすと、泰樹くんがようやく顔を上げた。どうしたの、と目が言っている。その顔がたまらなく可愛くて、泰樹くんの肩に置いた両手をぐいっと前に押し出して、そのままキスをした。たった数秒のほんの短い間だった。その瞬間、俺は目を閉じていたから泰樹くんの表情は見えなかった。

 そっと唇を離して薄目を開ければ、今度は泰樹くんのほうから顔を寄せて、噛みつかれるかのようなキスをされる。泰樹くんの柔らかな舌が絡みついて熱い。

 膝をついていたはずの泰樹くんは、気がついたらキスをしながら俺を横抱きにして立ち上がっている。

 それでもやまない口づけに、俺は泰樹くんの胸をバンバンと叩いた。やっと唇が離れる。合わなかった焦点が合うと、とろけるようなまなざしの泰樹くんが俺を見ていた。


「泰樹くん。……寝室行く?」
「行く」
「はは、即答」
「……真緒ちゃん。次の発情期は?」
「えっと、わからない」
「……なんで?」
「最近調子が悪くて……完全なるオメガになったせいか微熱も続いてて、周期の予測ができないんだ」


 暗に泰樹くんのせいだという意思をこめて上目遣いでねめつけると「……そうでした」と決まり悪げに苦笑した。


「試しに今日、噛んでみてもいいよ」
「……は? そんなのだめだよ。お試しのノリで真緒ちゃんの体を噛むわけないでしょ」
「でももし発情期にさしかかってたら、番になれるかもだよ?」
「……それでも。真緒ちゃんわかってる? アルファの太くて鋭い犬歯が噛みつくんだよ。甘噛みじゃない、痛くないわけがないんだ。俺は真緒ちゃんに痛い思いはなるべくさせないって決めてるの。俺が噛むのは、本気で番にするときだけだから」
「………………。」


 ――ああもう。
 どれだけ俺が好きなの。どれだけこの人は想ってくれるんだろう。どれだけ愛してくれるんだろう。

 言葉にならないなにかが体の奥から衝き上げてきて、俺はまた胸がいっぱいになる。俺の心にはもう泰樹くんが根付いてる。苦しいけれど幸せすぎて。


 いつの間にか泣きじゃくってる俺を、泰樹くんは何も言わずに寝室へと連れていった。

 ベッドボードの前にクッションを何個も重ねて置いて、そこに脚を伸ばした状態でもたれかかる。俺は泰樹くんにまたがる形で向かい合って座った。

 俺の眦に浮かんだ涙を、泰樹くんは嬉しそうに舐め取る。


「泰樹くん、それ変態っぽい……」
「えー。なんで? ただの涙だよ」
「涙を舐めるなんて十分変態ちっくだってば」
「でも今からもっと色んなもの舐めるんだけど」
「は?」


 さらっと言われた一言に硬直する。


「真緒ちゃん可愛い」


 くすくす笑って、涙を舐め取っていた舌が、そのまま頬、耳、首筋と移動する。首輪をがじがじと噛みながら「……これ、俺が新しいのを贈ってもいい?」と耳元でささやかれる。

 うなずくと、ふふ、と笑い声がして、項に近い部分をべろりと舐められた。

 項から背筋にかけて、びりびりと電流のような刺激が走る。胎の奥底が熱い。泰樹くんの濃い匂いと、胎の熱と、肌をすべる刺激が俺の体の細胞ひとつひとつに発情を促している。


「泰樹く……あつ、あつい……」
「……俺も熱い……一緒に脱ご」
「うん、うんっ」


 溶けそうに熱い――とうわごとのように繰り返す俺のシャツを、泰樹くんはたくし上げて脱がしていく。俺はもう体に力が入らなくて、ただ泰樹くんのたくましい上半身に抱きついて身をまかせていた。
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