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最終章 王女と騎士
最終話
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王の計画が潰えた。
樹海に聳えた『破滅の塔』は、幻のように消えてしまった。
消滅したはずの人々は、何事もなかったように現世に帰還した。そもそも全員に消滅した間の記憶がない。主観的には実際に「何事もなかった」のだ。
ただ、塔の消滅に伴って樹海にぽっかりと穴が空いてしまい、地下放水路も消えてしまった為に、西橋都の復興には多くの時間と予算が必要となり、都は頭を悩ませることになる。
世界中にばら撒かれた兵士は全て機能を停止した。もはや危険性はない筈だが、駒の量産技術が外に漏れているとすれば一大事である。今のところ目立った動きはないが、安心は出来ない。
もしまた、残った駒が動き出すようならば、その時は──。
二〇六七年六月二十七日水曜日、西橋大学医学部附属病院──。
『────次のニュースです。昨日午後五時過ぎ、西橋都の住宅街で学生が乗用車にはねられました。被害者は近くに住む高校生、水樹和也くん十六歳。付近の住民の通報により救急車で搬送されましたが、搬送中の車内で死亡が確認されました。警察の調べによりますと、事故を起こした運転手は現在も逃走を続けており──』
物騒なニュースを聞きながら花瓶の水を換え、萎れた花と持参した花を入れ替えてからキャビネットに置く。
「轢き逃げなんて、随分と物騒な話だね。な、冬馬さん」
振り向き、ベッドで眠る冬馬に話しかけるも、返事は返ってこない。
王との戦いから三週間近く経つも、未だに冬馬の意識は回復しない。
女王の話だと、塔は一ヶ月前から稼働しており、冬馬の魂も他の人たち同様に塔に囚われていた為、機能を停止させた事で魂が肉体に戻り、目を覚ましてもおかしくないとの事だった。
しかし、回復の目処が立たないのが現状だ。
あの日から一日も欠かさずに見舞いに来ては、今のように他愛ない話を振ってはいる。もしかしたら目を覚ますかも……なんて淡い希望を抱いて。
「そうだ、聞いてよ。この前教室に蜂が入ってきて、クラス内が大騒ぎになってさ。蜂がいなくなるまで授業も一旦停止になって帰りが遅くなっちゃったんだよ。迷惑だと思わない?」
冬馬の手を握りながら、自分でも思うほどどうでもいい話を続ける。
医師は意識のない人に話しかける事で目覚める可能性があると言っている。
なら、俺は諦めない。助かる可能性があるのなら、全力で賭ける。
だが、今日はここまでだ。一回の面会は三十分までと制限されている。それに、まだ行かなければいけない病室がある。
「じゃあ、明日も来るから」
椅子から離れ、病院のドアノブに触れる寸前──。
「……悠斗、くん?」
背後から、か細い声が確かに聞こえた。
反射的に振り向くと、固く目を閉ざしていた冬馬が、細々と目を開けて、俺を見ていた。
「嘘だろ……冬馬さん!」
声を荒げ、冬馬の手をもう一度、今度は強く握る。
「冬馬さん! 目が覚めたんだね!」
「……悠斗くんの声が聞こえて……それで」
弱々しく、酷く掠れた声。何週間も使わなかった喉が乾燥し切って上手く機能していないんだ。その状態で喋るのはさぞかし辛いだろう。
「いいんだ。今は無理に喋らなくて……」
冬馬の口に人差し指を当て、ゆっくりと閉ざす。
「時間なら沢山ある。だから、今はゆっくり休んでくれ」
その後、駆けつけた医師たちと共に手術室へ移送される冬馬を見送った俺は、別の棟にある病室へと足を運んだ。
ドアを数回ノックしてから入ると、部屋の主たる少年──伊澤海斗と対峙する。
「調子はどう、海斗くん?」
ベッドで寝たきりの海斗に訊ねるも、返事はない。
未だ動けない海斗の治療法は見つかっておらず、こうして毎日話しかける事が唯一の手段と言われている。
だが、海斗の両親は見舞いには来ない。拓実も……二度と海斗に会えない。
拓実の死を知ったのは、塔から出る帰りだった。
惨殺された死体の状態が悪く、最初は誰か分からなかったが、腕に巻かれたブレスレットで初めて彼と気付き、同時に泣き叫んだ。
せめて彼の魂が安らげるように、代わりに俺が話しかける役目を引き継ごう。例え何年、何十年掛かろうとも、彼が目覚めるまで、永遠に。
「海斗くん。君とお兄さんのお話をしたいから、早く目を覚ましてくれよな」
横たわる海斗を撫でながら囁く。
きっと今も、拓実は願っている筈だ。弟の目覚めを。
病院を後にした悠斗は、帰りに寄った公園のベンチに座り、図書館で借りた分厚い専門書に目を通していた。
聞こえてきた賑やかな声に顔を上げると、少し離れた場所で数人の子供たちが走り回っているのが目に入る。
楽しそうに遊ぶ光景が微笑ましい。なんてことはない日常の、だからこそかけがえのない光景。
見上げれば、雲ひとつない青空。
柏木悠斗は願った。どうかこの青空があの人たちの下まで繋がっていますように。
遥か遠い──かつて共に戦った英霊たちの下まで。
「よろしかったのですか、女王?」
酷く穏やかな声で、女王は告げる。
「これは彼が考え、選んだ結末です。私はそれを叶えただけです」
「しかし、私には理解できません。世界中の人間から、我々に関する記憶を消すという願いが」
柏木悠斗が女王に願ったのは、呪力に関わった全ての人の記憶を消す事だった。
「呪力に関する記憶の消去。それはつまり、悪鬼だけではなく、鎧騎士の存在も忘れる事になる。それが意味するのは、全人類が柏木悠斗と彼が行った偉業を忘れる事を意味します」
「そうですね」
「それでは彼が不憫だ。多くを失った彼から、更に存在すら奪うなんて……」
「全て承知の上で、彼は願ったのです。私たちの為に」
女王の一言に、ロットが押し黙る。
「我々が行った所業が全人類に知れ渡れば、全呪力は未来永劫恨まれ続ける。それを不憫に思った彼は、せめて我々が誰にも恨まれずに安らげるようにと、自分も道連れになる道を選んだのです」
「しかし──」
「我々は救われたのです。彼の優しさと、甘さに」
女王の言葉で、ロットは嫌々と納得してしまった。
確かに、悠斗は度が過ぎる甘ちゃんだ。呪力の安らぎの為ならば、自分の存在など顧みないほどに。
「ロットよ」
「はい」
「もしまた、あの星に未曾有の危機が訪れた際には」
「分かっております」
姿を戻したロットが、親友の住む星に敬礼する。
「その時もまた、命をかける事を惜しみはしません」
「私も同じ気持ちです」
ロットは、唯一無二の親友を見つめ。
女王は、大切な子孫を見守る。
二つの魂は、英雄の永遠の平穏と幸福を強く願った。
そして──
樹海に聳えた『破滅の塔』は、幻のように消えてしまった。
消滅したはずの人々は、何事もなかったように現世に帰還した。そもそも全員に消滅した間の記憶がない。主観的には実際に「何事もなかった」のだ。
ただ、塔の消滅に伴って樹海にぽっかりと穴が空いてしまい、地下放水路も消えてしまった為に、西橋都の復興には多くの時間と予算が必要となり、都は頭を悩ませることになる。
世界中にばら撒かれた兵士は全て機能を停止した。もはや危険性はない筈だが、駒の量産技術が外に漏れているとすれば一大事である。今のところ目立った動きはないが、安心は出来ない。
もしまた、残った駒が動き出すようならば、その時は──。
二〇六七年六月二十七日水曜日、西橋大学医学部附属病院──。
『────次のニュースです。昨日午後五時過ぎ、西橋都の住宅街で学生が乗用車にはねられました。被害者は近くに住む高校生、水樹和也くん十六歳。付近の住民の通報により救急車で搬送されましたが、搬送中の車内で死亡が確認されました。警察の調べによりますと、事故を起こした運転手は現在も逃走を続けており──』
物騒なニュースを聞きながら花瓶の水を換え、萎れた花と持参した花を入れ替えてからキャビネットに置く。
「轢き逃げなんて、随分と物騒な話だね。な、冬馬さん」
振り向き、ベッドで眠る冬馬に話しかけるも、返事は返ってこない。
王との戦いから三週間近く経つも、未だに冬馬の意識は回復しない。
女王の話だと、塔は一ヶ月前から稼働しており、冬馬の魂も他の人たち同様に塔に囚われていた為、機能を停止させた事で魂が肉体に戻り、目を覚ましてもおかしくないとの事だった。
しかし、回復の目処が立たないのが現状だ。
あの日から一日も欠かさずに見舞いに来ては、今のように他愛ない話を振ってはいる。もしかしたら目を覚ますかも……なんて淡い希望を抱いて。
「そうだ、聞いてよ。この前教室に蜂が入ってきて、クラス内が大騒ぎになってさ。蜂がいなくなるまで授業も一旦停止になって帰りが遅くなっちゃったんだよ。迷惑だと思わない?」
冬馬の手を握りながら、自分でも思うほどどうでもいい話を続ける。
医師は意識のない人に話しかける事で目覚める可能性があると言っている。
なら、俺は諦めない。助かる可能性があるのなら、全力で賭ける。
だが、今日はここまでだ。一回の面会は三十分までと制限されている。それに、まだ行かなければいけない病室がある。
「じゃあ、明日も来るから」
椅子から離れ、病院のドアノブに触れる寸前──。
「……悠斗、くん?」
背後から、か細い声が確かに聞こえた。
反射的に振り向くと、固く目を閉ざしていた冬馬が、細々と目を開けて、俺を見ていた。
「嘘だろ……冬馬さん!」
声を荒げ、冬馬の手をもう一度、今度は強く握る。
「冬馬さん! 目が覚めたんだね!」
「……悠斗くんの声が聞こえて……それで」
弱々しく、酷く掠れた声。何週間も使わなかった喉が乾燥し切って上手く機能していないんだ。その状態で喋るのはさぞかし辛いだろう。
「いいんだ。今は無理に喋らなくて……」
冬馬の口に人差し指を当て、ゆっくりと閉ざす。
「時間なら沢山ある。だから、今はゆっくり休んでくれ」
その後、駆けつけた医師たちと共に手術室へ移送される冬馬を見送った俺は、別の棟にある病室へと足を運んだ。
ドアを数回ノックしてから入ると、部屋の主たる少年──伊澤海斗と対峙する。
「調子はどう、海斗くん?」
ベッドで寝たきりの海斗に訊ねるも、返事はない。
未だ動けない海斗の治療法は見つかっておらず、こうして毎日話しかける事が唯一の手段と言われている。
だが、海斗の両親は見舞いには来ない。拓実も……二度と海斗に会えない。
拓実の死を知ったのは、塔から出る帰りだった。
惨殺された死体の状態が悪く、最初は誰か分からなかったが、腕に巻かれたブレスレットで初めて彼と気付き、同時に泣き叫んだ。
せめて彼の魂が安らげるように、代わりに俺が話しかける役目を引き継ごう。例え何年、何十年掛かろうとも、彼が目覚めるまで、永遠に。
「海斗くん。君とお兄さんのお話をしたいから、早く目を覚ましてくれよな」
横たわる海斗を撫でながら囁く。
きっと今も、拓実は願っている筈だ。弟の目覚めを。
病院を後にした悠斗は、帰りに寄った公園のベンチに座り、図書館で借りた分厚い専門書に目を通していた。
聞こえてきた賑やかな声に顔を上げると、少し離れた場所で数人の子供たちが走り回っているのが目に入る。
楽しそうに遊ぶ光景が微笑ましい。なんてことはない日常の、だからこそかけがえのない光景。
見上げれば、雲ひとつない青空。
柏木悠斗は願った。どうかこの青空があの人たちの下まで繋がっていますように。
遥か遠い──かつて共に戦った英霊たちの下まで。
「よろしかったのですか、女王?」
酷く穏やかな声で、女王は告げる。
「これは彼が考え、選んだ結末です。私はそれを叶えただけです」
「しかし、私には理解できません。世界中の人間から、我々に関する記憶を消すという願いが」
柏木悠斗が女王に願ったのは、呪力に関わった全ての人の記憶を消す事だった。
「呪力に関する記憶の消去。それはつまり、悪鬼だけではなく、鎧騎士の存在も忘れる事になる。それが意味するのは、全人類が柏木悠斗と彼が行った偉業を忘れる事を意味します」
「そうですね」
「それでは彼が不憫だ。多くを失った彼から、更に存在すら奪うなんて……」
「全て承知の上で、彼は願ったのです。私たちの為に」
女王の一言に、ロットが押し黙る。
「我々が行った所業が全人類に知れ渡れば、全呪力は未来永劫恨まれ続ける。それを不憫に思った彼は、せめて我々が誰にも恨まれずに安らげるようにと、自分も道連れになる道を選んだのです」
「しかし──」
「我々は救われたのです。彼の優しさと、甘さに」
女王の言葉で、ロットは嫌々と納得してしまった。
確かに、悠斗は度が過ぎる甘ちゃんだ。呪力の安らぎの為ならば、自分の存在など顧みないほどに。
「ロットよ」
「はい」
「もしまた、あの星に未曾有の危機が訪れた際には」
「分かっております」
姿を戻したロットが、親友の住む星に敬礼する。
「その時もまた、命をかける事を惜しみはしません」
「私も同じ気持ちです」
ロットは、唯一無二の親友を見つめ。
女王は、大切な子孫を見守る。
二つの魂は、英雄の永遠の平穏と幸福を強く願った。
そして──
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