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第五章 鎧騎士として
第三十二話
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北条歩は悟った。
新たに現れた悪鬼は、自分とは次元が違う存在だと。
鎧騎士に変身する子供が、三個の駒を使って変身した悪鬼は、そう思わざるを得ないほどの気迫と殺気を放っていた。
「マジでヤベェな……コイツは」
悪鬼なら味方、という浅はかな考えは、最初からない。
明らかな敵意を、こちらに向けてきているからだ。
「ツミビトハ、コロス」
酷く不明瞭で掠れた声でそう言うと、姿を消した。
瞬間──
北条が、背後から貫かれる。
「ガハッ⁉︎」
何が起きたのか全く分からず、北条はただ呆然と自らを貫く手刀を見下ろす。
刺々とした鎧で覆われた右手は、アンタレスの甲殻を無視する勢いで貫き、再生した心臓を的確に刺し貫いてきた。
「なんだ、今の──⁉︎」
言い終わるよりも早く手刀を抜き、すかさずアンタレスの首を刎ねる。
背後へ回り、心臓を貫き、首を刎ねる。それまでに掛かった時間は、わずか三秒。
流れ作業のような動きに、愕然とする間もなく倒された北条は、首を失った体を眺めながら地面に転がっていく。
悪鬼は転がる北条の頭を掴むと、高く掲げた。
「ま、待てよおい。お前……なにを」
言い終わるより早く、それは行われた。
掴む手に呪力が集まり、赤い稲妻が北条を襲い、一瞬で消し炭にする。
既に再生限度を迎えていたアンタレスは頭部を完全に失った事で、活動を停止するように膝から崩れ落ちる。
呆気ない最後に、ユニは黙って息を呑むことしか出来なかった。
必要な動きをスピーディーに行い、無駄な動きは一切しない。効率的に標的を仕留める姿が、ユニには殺戮兵器のように見えた。
「悠斗、くん……?」
不意に、依代の名を呼ぶ。
悪鬼の動きは、悠斗とは思えないほど淡々としていた。ただ無感情で機械的な動きからは理性を感じられなかった。
「悠斗くんなんだよね? まだ、そこにいるよね?」
おそるおそる訊ねるも、悪鬼は黙っている。
伊澤拓実から手に入れたデータには、悪鬼に関するデータが入っていた。
悪鬼は欲望を満たす為の手段であり、満たした瞬間に独立化する。
冬馬は『悠斗の想いを聞けた』ことで欲望を満たし、独立化した悪鬼に体を乗っ取られてしまい、魂が召されて目覚ぬ人になった。
悠斗の欲望は、『ユニを救う』『北条を殺す』の二つ。
既に片方は満たされている。残された方も満たされてしまったら、悠斗の体は悪鬼に乗っ取られてしまい、行き場のない魂は無に帰る。
──それだけは嫌だ。
悠斗が私を大切に思ってくれるのは嬉しい。だけど、それ以上に私は悠斗を失いたくない。
記憶もない、家族もいない私を受け入れる人はいなかった。
体を対価に数日泊める人はいたが、リスクを恐れてすぐに追い出され、また新しい家を探す日々。
暴力を振るわれ、罵声を浴びせられ、嫌悪の眼差しを向けられる生活。そんな日々の中で、悠斗だけが全てを知った上で私を受け入れてくれた。大切に思ってくれた。
彼だけは失いたくない。だって私は、彼のことを──
「悠斗くん! 帰ってきて!」
長いようで一瞬の逡巡を経て、ユニは依代に向けて叫んだ。
「このままじゃ死んじゃうんだよ⁉︎ 死んじゃったらラーメンも食べられないし、学校にも行けなくなっちゃう! それでもいいの⁉︎」
悠斗が反応しそうな単語を出すも、悪鬼は一切反応を示さずに、淡々とアンタレスの体を壊している。
それでもユニは諦めずに続けた。
「私だけじゃない! 滝口さんに沙耶香さん、沢山の仲間があなたの帰りを待ってる!」
「……」
「帰ろうよ、悠斗くん! 私にそんな事を言う権利はないけど……」
「…………」
「私は、悠斗くんとずっと一緒にいたいんだよ!」
衝撃的な告白を聞いた悪鬼は、動きを止め、ユニに顔を向けた。
無言でユニを見つめると、歪な口が動く。
「……ユニ、チャ……ン?」
不明瞭だが、確かに悪鬼は呼んだ。
好機と見たユニは、畳み掛けた。
「あなたが私を大切に思う気持ち以上に、私はあなたの事が好き! 言うこと聞かないし、ラーメンばっかり食べるし、無茶ばっかりするけど、そういった所も含めて大好きなの!」
ここまで来たら、もはや羞恥心はない。思いの丈を全て吐き出してでも、悠斗の心を取り戻す。
「だからお願い! そんな所にいないで、私の側に来て、抱きしめてよ! そうしないと、違う男の所に行っちゃうよ!」
「……ユ、ユニ、チャン」
突然、悪鬼は頭を抱えて苦しみ出した。
「コロス。オカス、ユニヲ……イヤ、オレハ……ユニガ、オカ……」
支離滅裂な言葉を繰り返す悪鬼。
きっと、呪力から体を取り戻す為に抗っているんだ。
「オレハ……オレハオレハオレハオレハオレハ」
「思い出して! あなたは悪鬼なんかじゃない! 悪鬼から人々を守る鎧騎士なんだよ!」
腹の底から声を出し、必死に抗う悠斗を呼ぶと、悪鬼は一層激しく悶え出した。
「オレハ、アーマーナイト……チガウ、チガワナイ、チガウ、チガワナイ、チガウチガワナイチガウチガワナイ──」
「早く目を覚まして、悠斗!」
想いを告げた事で、今まで無意識につけていた「君」が抜けてしまったが、ユニは後悔しなかった。
やっと、少しだけ自分の気持ちに正直になれた。欲望を……満たすことができた。
「ヤメロ、ウケイレロ……クルシミカラカイホウサレル」
悠斗を支配する呪力の声が外に漏れだしたが、漏れているのは呪力だけではなかった。
「嫌だ……オレは、ユニと一緒に……生きたい!」
間違いない。悠斗の意識が戻りかけている。彼は今、必死に呪力の侵食に抗っているんだ。頭を抱え、尋常じゃない苦しみ方をする悠斗に駆けよろうとした寸前──。
「俺は、お前の……」
酷く掠れているが、確かな声が聞こえた。
「道具じゃ、ない!!」
右手を大きく振り、天に向けて叫ぶ。
途端、悪鬼の全身から赤い蒸気が噴き出す。
「悠斗くん⁉︎」
今すぐにでも向かいたいが、右肩の痛みと噴き出す蒸気で視界が遮られてしまい、彼の下へ辿り着けそうにない。
何もできない歯痒さに心締め付けられていると、蒸気の噴出が収まる。
噴き出た蒸気は瞬く間に消散すると、悪鬼から人間に戻った悠斗が倒れていた。
一目散に駆け寄り、首筋に指を、胸に耳を当てる。
脈拍、心拍数に異常はない。体温も平均、呼吸も正常。傷も悪鬼から戻る際に治ったから目立った外傷はない。外見だけ見れば悠斗だ。
しかし、安心はできない。
如何に外見が良くても結局は中身だ。もし悠斗の魂が召され、悪鬼に乗っ取られていたら意味がない。
この瞬間だけ痛みを忘れ、許されるギリギリの力で悠斗を揺さぶる。
「悠斗くん……早く起きてよ。ねぇったら!」
懇願するような呼びかけに応じてなのか、長い睫毛が震え、少しずつ、ゆっくりと瞼が上がっていき、明るい瞳が見開かれた。
そして──彼は言った。
「ユニ……ちゃん?」
何度も聞いた声が鼓膜に届いた瞬間、ユニは悠斗に抱きついていた。
「良かった……」
すすり泣き、精一杯絞り出した言葉はシンプルなものだったが、その一言に込められた思いはとても強い。
大胆な行動で一気に目が覚めた悠斗だったが、ユニが発した言葉の真意を察し、耳元で囁いた。
「ごめん」
言い慣れ、聞き飽きた言葉なのに、今まで以上に心に響く理由を、二人は知っている。
互いの両眼を見つめ合う。
永遠に感じるほど見つめ合う中、先に動いたのはユニだった。
「教えて、悠斗くん。どうして戻ってこれたの?」
悠斗が戻ってきたのは何よりも嬉しい。しかし、だからこそ解せない。
「正直、賭けだった」
真剣な顔で答えられ、首を傾げるユニ。
「今朝話したけど、今はロットが呪力を操作してくれてる。で、呪力を操作できるって事は、外部からの侵食も防げると踏んだんだ」
「……いや、操作できると侵食を止めるは別だと思うけど」
「だから賭けなんだって」
無意識に握りしめていた右手を解き、じっと見下ろす。
「悪鬼になってる時、ぼんやりとだが意識は残ってた。それでさ、呪力を喰い止めるロットの姿が見えたんだ」
ロットとは、悠斗が愛用する騎士の駒に宿る呪力だ。睡眠時に夢の中で彼に語りかける悪鬼であり、他のに比べて温和だと悠斗自身が語っている。
「ロットが意識だけを保護してくれたが、アイツでもそれが関の山で、体の大部分は呪力に侵されるって言ってた……」
突然、悠斗は解いた右手の人差し指を左手全体で握り、第一関節から直角になるようにへし折った。
「ちょっ……⁉︎」
何の前触れもなく奇行に走った事に驚くも、すぐに目を見張る事が起きる。
折れた人差し指が勝手に動き、元の状態に戻ったのだ。
「見ての通り、俺はもう人間じゃない」
どこか遠くを見つめながら、悠斗は言った。
「これが欲望の代償だ」
悲しげな瞳を見据え、ユニは口を開いた。
しかし、続く言葉が出てこない。
悠斗が人間を辞めた理由は、私のせいだ。
私が油断せずに警戒していれば拉致される事もなかった。
私が悠斗くんに鎧騎士の力を与えなければ。
違う……。
私が、悠斗くんと出会っていなければ、こんなっ……こんなことにはっ…………。
「それは違うよ、ユニちゃん」
悠斗は、まるで心を読んだかのように言った。
「人間を辞めたのが君のせいなんて思っちゃいない。鎧騎士になってから、いつかはこうなるって思ってたんだから、気にしないで」
取り返しのつかない結果を平然と受け止める悠斗。
ユニはその姿を見て、より一層心を痛めた。
嘘だ。本当は辛いのに我慢している。
いつもそうだ。私の前で苦しい顔を絶対に見せない。見せようとしない。
どんなに辛くても、私の前では空元気を振る舞う。
だからすぐに分かる。嘘をついているのが。
ユニは、胸を締める罪悪感に苛まれながらも、勇気を振り絞って声を出した。
「強がらないでよ……」
「えっ」
驚く悠斗に、ユニは更にたたみかける。
「私、今まで悠斗くんを怒ったこと、一度もなかったよね」
いきなりなんだ? 疑問に思いながらも、悠斗は何も言わずに黙って聞いている。
「ずっとどうしたらいいか分からなかったの。悠斗くんのお陰で生きられてる私が、生意気に怒っていいのか。悠斗くんの無茶を怒らずに放置してていいのか……いや、それだけじゃない」
スカートの裾を握り、悠斗の目をまっすぐ見つめる。
「両親を亡くした悠斗くんにどう接したらいいのか、どこまで踏み込んでいいのかずっと分からなくて、少しだけ距離を置いて過ごしてた」
「そっか……だから半年間ずっと、君付けだったんだね」
ユニの話を受け流さずに、真摯に聞き入れる悠斗。
「想いを告げられた今がチャンスかもしれない。だから悠斗くん」
「なに?」
「今から、怒るね」
我ながら何の宣言か疑いたくなるが、悠斗は一切笑わずに、私の言葉を待ってくれている。
本当に優しい。だけど、その優しさに甘えて、弱いままの自分とはもう、お別れをしなければいけない。
「辛いのに大丈夫なんて言って、一人で抱え込まないでよ! あなたは無敵でもなんでもないただの学生なんだから、困ったら周りに助けを求めなさい!」
「……ッ‼︎」
最近似たような事を言われたせいか、悠斗の表情が分かりやすく曇る。
「一人で出来る事なんてたかが知れてるから、人は支え合って生きてるんだよ? 誰にも助けを求めないようじゃ、助けを求める人の手を取れる訳がない」
お人好しな所が悠斗らしいと言えるが、今は否定しなければいけない。心は痛むが、彼を愛してるからこそ、助けたいからこそ、彼の優しさを壊さねばならない。
「もっと自分に素直になりなよ。頼るのは弱さでもなんでもない。本当に弱い人は、誰にも助けを求めない人なんだから」
「頼るのは、弱さじゃない……?」
「今のあなたは優しいだけの弱い人間よ。そんなんじゃ誰も守れない。もちろん、大切な人もね」
誰も守れない。その言葉が何よりも許せなかったのだろう。悠斗の表情が一層暗くなる。
「大切な人を失う辛さを知ってる。だからあなたは鎧騎士になった。でも力だけあっても人は強くなれない。本当に強い人は、強がらずに周りを頼れる弱さを持ってる」
自分の弱さに気付き、うつ伏せる悠斗を抱きしめる。
「だから悠斗くん。これからは大丈夫なんて言わないで、私たちを頼って。そうしなきゃ、また大切な人を亡くしちゃうよ?」
悠斗は、自分を抱きしめる存在にすがるようにくっつき、すすり泣いた。
しかし、すぐにいつも通りの声で言った。
「やっぱりユニには敵わないな」
顔を上げた悠斗は、泣き顔を消し去るような笑顔を浮かべた。
「ありがとう、ユニ」
何に対してお礼を言ったのか、ユニには分からなかった。
だが、それを追求する気はない。
悠斗は分かってくれた。私の胸で泣いているのが何よりの証拠。
人前では決して泣かない悠斗が、今は私の目の前で泣いている。堂々とカッコ悪い姿を見せているが、私は笑ったりはしない。
これが当たり前なんだ。鎧騎士なんて力があっても、悠斗は私と同じ子供だ。人を辞めた重みに耐えきれず泣いたとしても、誰も責めたりはしない。
いや、責めさせない。沢山の人を助けてきた悠斗を責めさせはしない。
これからは、私も一緒に戦おう。
悠斗が誰かの為に命を賭けて戦うならば、私は悠斗の為に命を賭けて戦う。
ただ……欲を言えば、誰かじゃなく、私だけの為に戦ってもらいたい。
そう願うのは強欲かもしれない。
だから我慢しよう。彼の優しさは独占して良いものではない。
だけど、これだけは譲りたくない。
悠斗の両頬に両手を持っていき、ゆっくりと挟む。そっと顔を上げ、至近距離で見つめ合う。
「ユニ……?」
私の名を呼ぶ悠斗は、今から自分がされる事を全く予想できていないだろう。
微笑みかけ、顔を近づける。
悠斗の唇に、自分の唇が近づく。たった数センチの距離が遠く感じる。
──あなたの優しさを、私だけに向けさせるつもりはない。
でも、あなたは誰にも渡さない。私だけのものにする。
悠斗とユニの唇が重なる。驚くほど柔らかい感触に胸が高鳴り、更にその先へと行く。
腕を首にまわし、舌を差し込む。探し当てた舌を舌で絡める。
冗談でする軽い接吻ではない。愛する者にしかしない大人の接吻は、悠斗を激しく混乱させた。
突然のキスだけでも動揺するというのに、その上ディープにまで進めば誰でも混乱はする。ましてや性知識に疎く、女性への免疫がお世辞にも高くない悠斗にとって、ディープキスなど禁忌に等しい行為だった。
当然、ユニはそれを知った上でしている。半分は悠斗とのはじめてを忘れない為に、半分は悠斗を独占したいが為に。
一分と満たないキスが終わり、唇が糸を引いて離れる。
二人が無言で見つめ合う。互いに何を言えばいいのか分からずにいるのだ。
「あ、あの……ユニ、さん?」
さっきまで呼び捨てだった悠斗は、顔を恥ずかしさで真っ赤に染めている。
高校生とは思えないピュアな反応が、普段のギャップと相まって可愛らしい。もっと意地悪して反応を見たいが、それはもっと関係が進展してからでも遅くない。
ユニは舌を小出しにし、はにかみながら言った。
「ごめんね、悠斗。でも凄く可愛かったよ」
今ので更に照れてしまったのか、何も言わずに俯いてしまった。
鎧騎士でも、人間を辞めていても、根本的にはまだ子供だなぁ、と微笑みながら思う。
やはり悠斗は今の姿が一番素敵だと、改めてそう思う。彼の普通を取り戻す為にも、これからは私が頑張れなければ。
そう決意したと同時に。
ユニの背中を、大振りの片刃剣が刺し貫いた。
新たに現れた悪鬼は、自分とは次元が違う存在だと。
鎧騎士に変身する子供が、三個の駒を使って変身した悪鬼は、そう思わざるを得ないほどの気迫と殺気を放っていた。
「マジでヤベェな……コイツは」
悪鬼なら味方、という浅はかな考えは、最初からない。
明らかな敵意を、こちらに向けてきているからだ。
「ツミビトハ、コロス」
酷く不明瞭で掠れた声でそう言うと、姿を消した。
瞬間──
北条が、背後から貫かれる。
「ガハッ⁉︎」
何が起きたのか全く分からず、北条はただ呆然と自らを貫く手刀を見下ろす。
刺々とした鎧で覆われた右手は、アンタレスの甲殻を無視する勢いで貫き、再生した心臓を的確に刺し貫いてきた。
「なんだ、今の──⁉︎」
言い終わるよりも早く手刀を抜き、すかさずアンタレスの首を刎ねる。
背後へ回り、心臓を貫き、首を刎ねる。それまでに掛かった時間は、わずか三秒。
流れ作業のような動きに、愕然とする間もなく倒された北条は、首を失った体を眺めながら地面に転がっていく。
悪鬼は転がる北条の頭を掴むと、高く掲げた。
「ま、待てよおい。お前……なにを」
言い終わるより早く、それは行われた。
掴む手に呪力が集まり、赤い稲妻が北条を襲い、一瞬で消し炭にする。
既に再生限度を迎えていたアンタレスは頭部を完全に失った事で、活動を停止するように膝から崩れ落ちる。
呆気ない最後に、ユニは黙って息を呑むことしか出来なかった。
必要な動きをスピーディーに行い、無駄な動きは一切しない。効率的に標的を仕留める姿が、ユニには殺戮兵器のように見えた。
「悠斗、くん……?」
不意に、依代の名を呼ぶ。
悪鬼の動きは、悠斗とは思えないほど淡々としていた。ただ無感情で機械的な動きからは理性を感じられなかった。
「悠斗くんなんだよね? まだ、そこにいるよね?」
おそるおそる訊ねるも、悪鬼は黙っている。
伊澤拓実から手に入れたデータには、悪鬼に関するデータが入っていた。
悪鬼は欲望を満たす為の手段であり、満たした瞬間に独立化する。
冬馬は『悠斗の想いを聞けた』ことで欲望を満たし、独立化した悪鬼に体を乗っ取られてしまい、魂が召されて目覚ぬ人になった。
悠斗の欲望は、『ユニを救う』『北条を殺す』の二つ。
既に片方は満たされている。残された方も満たされてしまったら、悠斗の体は悪鬼に乗っ取られてしまい、行き場のない魂は無に帰る。
──それだけは嫌だ。
悠斗が私を大切に思ってくれるのは嬉しい。だけど、それ以上に私は悠斗を失いたくない。
記憶もない、家族もいない私を受け入れる人はいなかった。
体を対価に数日泊める人はいたが、リスクを恐れてすぐに追い出され、また新しい家を探す日々。
暴力を振るわれ、罵声を浴びせられ、嫌悪の眼差しを向けられる生活。そんな日々の中で、悠斗だけが全てを知った上で私を受け入れてくれた。大切に思ってくれた。
彼だけは失いたくない。だって私は、彼のことを──
「悠斗くん! 帰ってきて!」
長いようで一瞬の逡巡を経て、ユニは依代に向けて叫んだ。
「このままじゃ死んじゃうんだよ⁉︎ 死んじゃったらラーメンも食べられないし、学校にも行けなくなっちゃう! それでもいいの⁉︎」
悠斗が反応しそうな単語を出すも、悪鬼は一切反応を示さずに、淡々とアンタレスの体を壊している。
それでもユニは諦めずに続けた。
「私だけじゃない! 滝口さんに沙耶香さん、沢山の仲間があなたの帰りを待ってる!」
「……」
「帰ろうよ、悠斗くん! 私にそんな事を言う権利はないけど……」
「…………」
「私は、悠斗くんとずっと一緒にいたいんだよ!」
衝撃的な告白を聞いた悪鬼は、動きを止め、ユニに顔を向けた。
無言でユニを見つめると、歪な口が動く。
「……ユニ、チャ……ン?」
不明瞭だが、確かに悪鬼は呼んだ。
好機と見たユニは、畳み掛けた。
「あなたが私を大切に思う気持ち以上に、私はあなたの事が好き! 言うこと聞かないし、ラーメンばっかり食べるし、無茶ばっかりするけど、そういった所も含めて大好きなの!」
ここまで来たら、もはや羞恥心はない。思いの丈を全て吐き出してでも、悠斗の心を取り戻す。
「だからお願い! そんな所にいないで、私の側に来て、抱きしめてよ! そうしないと、違う男の所に行っちゃうよ!」
「……ユ、ユニ、チャン」
突然、悪鬼は頭を抱えて苦しみ出した。
「コロス。オカス、ユニヲ……イヤ、オレハ……ユニガ、オカ……」
支離滅裂な言葉を繰り返す悪鬼。
きっと、呪力から体を取り戻す為に抗っているんだ。
「オレハ……オレハオレハオレハオレハオレハ」
「思い出して! あなたは悪鬼なんかじゃない! 悪鬼から人々を守る鎧騎士なんだよ!」
腹の底から声を出し、必死に抗う悠斗を呼ぶと、悪鬼は一層激しく悶え出した。
「オレハ、アーマーナイト……チガウ、チガワナイ、チガウ、チガワナイ、チガウチガワナイチガウチガワナイ──」
「早く目を覚まして、悠斗!」
想いを告げた事で、今まで無意識につけていた「君」が抜けてしまったが、ユニは後悔しなかった。
やっと、少しだけ自分の気持ちに正直になれた。欲望を……満たすことができた。
「ヤメロ、ウケイレロ……クルシミカラカイホウサレル」
悠斗を支配する呪力の声が外に漏れだしたが、漏れているのは呪力だけではなかった。
「嫌だ……オレは、ユニと一緒に……生きたい!」
間違いない。悠斗の意識が戻りかけている。彼は今、必死に呪力の侵食に抗っているんだ。頭を抱え、尋常じゃない苦しみ方をする悠斗に駆けよろうとした寸前──。
「俺は、お前の……」
酷く掠れているが、確かな声が聞こえた。
「道具じゃ、ない!!」
右手を大きく振り、天に向けて叫ぶ。
途端、悪鬼の全身から赤い蒸気が噴き出す。
「悠斗くん⁉︎」
今すぐにでも向かいたいが、右肩の痛みと噴き出す蒸気で視界が遮られてしまい、彼の下へ辿り着けそうにない。
何もできない歯痒さに心締め付けられていると、蒸気の噴出が収まる。
噴き出た蒸気は瞬く間に消散すると、悪鬼から人間に戻った悠斗が倒れていた。
一目散に駆け寄り、首筋に指を、胸に耳を当てる。
脈拍、心拍数に異常はない。体温も平均、呼吸も正常。傷も悪鬼から戻る際に治ったから目立った外傷はない。外見だけ見れば悠斗だ。
しかし、安心はできない。
如何に外見が良くても結局は中身だ。もし悠斗の魂が召され、悪鬼に乗っ取られていたら意味がない。
この瞬間だけ痛みを忘れ、許されるギリギリの力で悠斗を揺さぶる。
「悠斗くん……早く起きてよ。ねぇったら!」
懇願するような呼びかけに応じてなのか、長い睫毛が震え、少しずつ、ゆっくりと瞼が上がっていき、明るい瞳が見開かれた。
そして──彼は言った。
「ユニ……ちゃん?」
何度も聞いた声が鼓膜に届いた瞬間、ユニは悠斗に抱きついていた。
「良かった……」
すすり泣き、精一杯絞り出した言葉はシンプルなものだったが、その一言に込められた思いはとても強い。
大胆な行動で一気に目が覚めた悠斗だったが、ユニが発した言葉の真意を察し、耳元で囁いた。
「ごめん」
言い慣れ、聞き飽きた言葉なのに、今まで以上に心に響く理由を、二人は知っている。
互いの両眼を見つめ合う。
永遠に感じるほど見つめ合う中、先に動いたのはユニだった。
「教えて、悠斗くん。どうして戻ってこれたの?」
悠斗が戻ってきたのは何よりも嬉しい。しかし、だからこそ解せない。
「正直、賭けだった」
真剣な顔で答えられ、首を傾げるユニ。
「今朝話したけど、今はロットが呪力を操作してくれてる。で、呪力を操作できるって事は、外部からの侵食も防げると踏んだんだ」
「……いや、操作できると侵食を止めるは別だと思うけど」
「だから賭けなんだって」
無意識に握りしめていた右手を解き、じっと見下ろす。
「悪鬼になってる時、ぼんやりとだが意識は残ってた。それでさ、呪力を喰い止めるロットの姿が見えたんだ」
ロットとは、悠斗が愛用する騎士の駒に宿る呪力だ。睡眠時に夢の中で彼に語りかける悪鬼であり、他のに比べて温和だと悠斗自身が語っている。
「ロットが意識だけを保護してくれたが、アイツでもそれが関の山で、体の大部分は呪力に侵されるって言ってた……」
突然、悠斗は解いた右手の人差し指を左手全体で握り、第一関節から直角になるようにへし折った。
「ちょっ……⁉︎」
何の前触れもなく奇行に走った事に驚くも、すぐに目を見張る事が起きる。
折れた人差し指が勝手に動き、元の状態に戻ったのだ。
「見ての通り、俺はもう人間じゃない」
どこか遠くを見つめながら、悠斗は言った。
「これが欲望の代償だ」
悲しげな瞳を見据え、ユニは口を開いた。
しかし、続く言葉が出てこない。
悠斗が人間を辞めた理由は、私のせいだ。
私が油断せずに警戒していれば拉致される事もなかった。
私が悠斗くんに鎧騎士の力を与えなければ。
違う……。
私が、悠斗くんと出会っていなければ、こんなっ……こんなことにはっ…………。
「それは違うよ、ユニちゃん」
悠斗は、まるで心を読んだかのように言った。
「人間を辞めたのが君のせいなんて思っちゃいない。鎧騎士になってから、いつかはこうなるって思ってたんだから、気にしないで」
取り返しのつかない結果を平然と受け止める悠斗。
ユニはその姿を見て、より一層心を痛めた。
嘘だ。本当は辛いのに我慢している。
いつもそうだ。私の前で苦しい顔を絶対に見せない。見せようとしない。
どんなに辛くても、私の前では空元気を振る舞う。
だからすぐに分かる。嘘をついているのが。
ユニは、胸を締める罪悪感に苛まれながらも、勇気を振り絞って声を出した。
「強がらないでよ……」
「えっ」
驚く悠斗に、ユニは更にたたみかける。
「私、今まで悠斗くんを怒ったこと、一度もなかったよね」
いきなりなんだ? 疑問に思いながらも、悠斗は何も言わずに黙って聞いている。
「ずっとどうしたらいいか分からなかったの。悠斗くんのお陰で生きられてる私が、生意気に怒っていいのか。悠斗くんの無茶を怒らずに放置してていいのか……いや、それだけじゃない」
スカートの裾を握り、悠斗の目をまっすぐ見つめる。
「両親を亡くした悠斗くんにどう接したらいいのか、どこまで踏み込んでいいのかずっと分からなくて、少しだけ距離を置いて過ごしてた」
「そっか……だから半年間ずっと、君付けだったんだね」
ユニの話を受け流さずに、真摯に聞き入れる悠斗。
「想いを告げられた今がチャンスかもしれない。だから悠斗くん」
「なに?」
「今から、怒るね」
我ながら何の宣言か疑いたくなるが、悠斗は一切笑わずに、私の言葉を待ってくれている。
本当に優しい。だけど、その優しさに甘えて、弱いままの自分とはもう、お別れをしなければいけない。
「辛いのに大丈夫なんて言って、一人で抱え込まないでよ! あなたは無敵でもなんでもないただの学生なんだから、困ったら周りに助けを求めなさい!」
「……ッ‼︎」
最近似たような事を言われたせいか、悠斗の表情が分かりやすく曇る。
「一人で出来る事なんてたかが知れてるから、人は支え合って生きてるんだよ? 誰にも助けを求めないようじゃ、助けを求める人の手を取れる訳がない」
お人好しな所が悠斗らしいと言えるが、今は否定しなければいけない。心は痛むが、彼を愛してるからこそ、助けたいからこそ、彼の優しさを壊さねばならない。
「もっと自分に素直になりなよ。頼るのは弱さでもなんでもない。本当に弱い人は、誰にも助けを求めない人なんだから」
「頼るのは、弱さじゃない……?」
「今のあなたは優しいだけの弱い人間よ。そんなんじゃ誰も守れない。もちろん、大切な人もね」
誰も守れない。その言葉が何よりも許せなかったのだろう。悠斗の表情が一層暗くなる。
「大切な人を失う辛さを知ってる。だからあなたは鎧騎士になった。でも力だけあっても人は強くなれない。本当に強い人は、強がらずに周りを頼れる弱さを持ってる」
自分の弱さに気付き、うつ伏せる悠斗を抱きしめる。
「だから悠斗くん。これからは大丈夫なんて言わないで、私たちを頼って。そうしなきゃ、また大切な人を亡くしちゃうよ?」
悠斗は、自分を抱きしめる存在にすがるようにくっつき、すすり泣いた。
しかし、すぐにいつも通りの声で言った。
「やっぱりユニには敵わないな」
顔を上げた悠斗は、泣き顔を消し去るような笑顔を浮かべた。
「ありがとう、ユニ」
何に対してお礼を言ったのか、ユニには分からなかった。
だが、それを追求する気はない。
悠斗は分かってくれた。私の胸で泣いているのが何よりの証拠。
人前では決して泣かない悠斗が、今は私の目の前で泣いている。堂々とカッコ悪い姿を見せているが、私は笑ったりはしない。
これが当たり前なんだ。鎧騎士なんて力があっても、悠斗は私と同じ子供だ。人を辞めた重みに耐えきれず泣いたとしても、誰も責めたりはしない。
いや、責めさせない。沢山の人を助けてきた悠斗を責めさせはしない。
これからは、私も一緒に戦おう。
悠斗が誰かの為に命を賭けて戦うならば、私は悠斗の為に命を賭けて戦う。
ただ……欲を言えば、誰かじゃなく、私だけの為に戦ってもらいたい。
そう願うのは強欲かもしれない。
だから我慢しよう。彼の優しさは独占して良いものではない。
だけど、これだけは譲りたくない。
悠斗の両頬に両手を持っていき、ゆっくりと挟む。そっと顔を上げ、至近距離で見つめ合う。
「ユニ……?」
私の名を呼ぶ悠斗は、今から自分がされる事を全く予想できていないだろう。
微笑みかけ、顔を近づける。
悠斗の唇に、自分の唇が近づく。たった数センチの距離が遠く感じる。
──あなたの優しさを、私だけに向けさせるつもりはない。
でも、あなたは誰にも渡さない。私だけのものにする。
悠斗とユニの唇が重なる。驚くほど柔らかい感触に胸が高鳴り、更にその先へと行く。
腕を首にまわし、舌を差し込む。探し当てた舌を舌で絡める。
冗談でする軽い接吻ではない。愛する者にしかしない大人の接吻は、悠斗を激しく混乱させた。
突然のキスだけでも動揺するというのに、その上ディープにまで進めば誰でも混乱はする。ましてや性知識に疎く、女性への免疫がお世辞にも高くない悠斗にとって、ディープキスなど禁忌に等しい行為だった。
当然、ユニはそれを知った上でしている。半分は悠斗とのはじめてを忘れない為に、半分は悠斗を独占したいが為に。
一分と満たないキスが終わり、唇が糸を引いて離れる。
二人が無言で見つめ合う。互いに何を言えばいいのか分からずにいるのだ。
「あ、あの……ユニ、さん?」
さっきまで呼び捨てだった悠斗は、顔を恥ずかしさで真っ赤に染めている。
高校生とは思えないピュアな反応が、普段のギャップと相まって可愛らしい。もっと意地悪して反応を見たいが、それはもっと関係が進展してからでも遅くない。
ユニは舌を小出しにし、はにかみながら言った。
「ごめんね、悠斗。でも凄く可愛かったよ」
今ので更に照れてしまったのか、何も言わずに俯いてしまった。
鎧騎士でも、人間を辞めていても、根本的にはまだ子供だなぁ、と微笑みながら思う。
やはり悠斗は今の姿が一番素敵だと、改めてそう思う。彼の普通を取り戻す為にも、これからは私が頑張れなければ。
そう決意したと同時に。
ユニの背中を、大振りの片刃剣が刺し貫いた。
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