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三章 二人の鎧騎士
第十九話
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二〇六七年五月三十一日火曜日──。
「お世話になりました」
病室にまで見送りに来てくれた看護師と医者に頭を下げてから扉を開け、足早に一階へと移動し、ロビーを横切って外へ。するとエントランスの正面に一台の車が停まっていた。
随分と派手な──スタイル重視のセダンタイプだ。重厚なグリルを備えたノーズからボンネットが長く伸び、屋根の低いキャビンに繋がっている。車体の色は艶やかな黒で、側面に文字は見当たらないが、鼻先から十字円の銀製エンブレムが誇らしげに突き出す。
助手席の前には局長が笑いながら立っており、俺の姿を確認するや後席左側のドアを開けてきた。
絶対にあの人が寄越したな、と考えながら、おとなしく乗り込む。老人がドアを閉めると、バムっと高級感のある音が響く。
肉厚のシートはクッションが効いていて、逮捕された時に乗ったパトカーと比べると雲泥の座り心地だった。全体重を預け、長く息を吐いてから、ふと右を見る。
するとそこには先客の姿があり、俺はびくっと体を左に引いてしまった。
局長や沙耶香と同じ制服の上に、茶色のロングコートを羽織っている。コートの襟を立てており、鍔が筒状に折り返された水平みたいな帽子を目深に被っているせいで顔は見えないが、体格からして男だと思われる。ぴかぴかのブーツを履いた足を組み、その上で両手の指を絡ませたまま身じろぎひとつしない謎の人物をしばし凝視してから、俺は助手席に顔を近づけて小声で問いかけた。
「局長……隣の人は?」
「警視総監だよ」
「総監……⁉︎」
俺の素っ頓狂な声に、助手席のドアが閉まる音が重なった。
運転手がアクセルを踏むと、ボンネットの奥でエンジンが低く唸り、巨大な車は滑らかに走り始める。パトカーも乗り心地は悪くないと思ったが、このセダンは比べものにならない。少しでも気を緩めれば寝ちゃいそうなほどの安定感。いったいどんな素材を使えばこの衝撃吸収力を実現できるのだろうか。
いや、車の事はどうでもいい。今は右隣の人物が気になる。
総監といえば日本警察のトップ。国家公安委員会が西橋都公安委員会の同意を得て、次に内閣総理大臣の承認を得て任命される、一つしか用意されない地位。
つまりいま俺の隣に座っているのは、日本警察の全権力を掌握する人物だということだ。
そんなVIP中のVIPが、なぜ俺を迎えに来るだけの車に乗っているのか。そしてなぜこちらを見ようともせず、シートに沈み込んだまま沈黙し続けているのか。
ちらちらと右を盗み見ながら、俺はこの状況にどう対応したものか懸命に考えた。だいたい、局長まで口を閉ざしている理由が解らない。紹介するなり説明するなりしてくれてもいいではないか。
誰も喋ろうとしない、重苦しい空気が車内に広がる。
あまりにも息苦しいせいで息が詰まりそうなので、こうなったらポーズを真似してやるもんね、と総監相手に大胆な行動を取る。座席にふんぞり返って足を組み、膝の上で両手の指を交差させる。これで総監が何か反応を見せるか……と横目で右を見た、その時だった。
南進していた車が交差点を左に曲がった遠心力のせいで、胸ポケットに入れていた騎士の駒が総監の足下に落ちてしまった。
「やっべぇ……」
思わず小声で呟き、そーっと右手を伸ばし、指先が接触しかけた、その瞬間。
しなやかな指先が先に駒を捕らえ、そのまま掴み上げた。
「あ……それ、俺の」
咄嗟にそう口走りかけた俺の言葉を、呟くようなひと言が遮った。
「なるほどね」
いままで身じろぎひとつしなかった総監が、左手をゆっくりとポケットから抜く。
「……流石は鎧騎士。全然隙を見せないな」
耳障りな成分の一切ない、絹のようにスムーズに聞こえてくる声。
総監が左手を持ち上げ、帽子の鍔を指先で摘まみ、ゆっくりと持ち上げた。結ばれた栗色の長髪が零れ、朝日を受けて美しく煌めいた。
助手席の局長が勢いよく振り向き、いままで我慢していたかのように叫んだ。
「ほら、総監殿、凄いでしょう?」
「高校生にしては凄いよ。でも過剰に期待するにはまだ未熟かな」
「相変わらず厳しいですなー総監殿は」
もどかしそうに胸元で両手を握り締め、局長は早口に言い募る。
「悠斗ちゃんは半年間も悪鬼と戦った経験があるんですから、彼以外に適任者はいませんよ」
「まあ、判断を急ぐのはやめようよ」
日本警察のトップであるはずの男は、偉ぶったところのまったくない口調でそう言うと軽く咳払いして付け加えた。
「悪いけど、いつもの喫茶店に寄ってくれないかな」
「駄目ですよ。紅茶のストックなら署内にありますから」
「茶葉は採れたてがいちばん美味しいんだよ」
「何だってそうです」
そんな会話を続ける総監の横顔を、俺はひたすら凝視することしかできなかった。
容貌は識別できない。朝日が逆光になっているだけでなく、顔の上半分を覆う鉄製のマスクを装着しているからだ。
「仕方ない。じゃあまっすぐ署に戻っていいよ」
ため息混じりにそう言った総監が、何げない動作でこちらに向き直った。
柔らかそうに揺れる前髪の生え際から鼻までは鉄のマスクに覆われているが、薄いレンズが嵌め込まれた覗き穴の奥で、焦茶色の瞳が強い光を放った。
「覆面を着けたままで失礼するよ。怪我の後遺症で両眼と肌が弱いものでね。私は警察総監滝口裕貴という。よろしく、悠斗君」
「滝口裕貴……」
初めて耳にする名前を、俺は呆然と繰り返した。
不思議な感覚だった。初対面な筈なのに、昔何度も会ったような懐かしさがある。
大きく息を吸い、深々と吐いてから、俺は総監が辛抱強く伸ばし続けている右手を握った。
「ふっ……しかし、大きくなったもんだな、悠君」
不意に名を呼ばれ、自分の中にある奇妙な感覚の正体に気付き、バッと手を離して距離を取る。
「その反応、思い出したみたいだね」
俺は淡い微笑みを浮かべる総監を指差しながら、わななく唇を動かしながら言った。
「まさか、日浦さん?」
総監──日浦は、温かくて穏やかな微笑のまま頷き、膝の上に両手を置いた。
「どした悠斗ちゃん。急に暴れて」
こちらの騒動を不審に思った局長が振り向くのを、総監が片手で制した。
「気にしないでくれ」
あまりにも衝撃的すぎる再会に唖然とする俺を無視して、総監は笑いながら言った。
「久しぶりだね、悠君。立派に成長してて嬉しいよ」
「……あんた、いつの間に総監になってたんですか」
緊張が解けた代わりに驚きで強張った喉を震わせながら訊くと、総監は大袈裟に肩をすくめた。
「まぁね。色々と頑張ったから」
頑張ればなれるものじゃないだろ総監は。相変わらずこの人は奇想天外というかなんというか……。
心の中でツッコミながら顔を窓へ向け、遠くを眺める。今は学生たちの登校してる最中なので、歩道には何人もの学生が歩いている。
「今は赤羽高校に通ってるんだっけ?」
「はい」
「そうか……。高校生活は楽しい会?」
「楽しいです」
極力会話をしたくないので、短い返事だけで済ませる。
だが、総監は構わずに話し続ける。
「本当に懐かしいね。八年前の事件以降、連絡が途絶えていたからさ」
「……そうですね」
八年前の事件……両親を無くした日の事を言っているんだろう。
「報告を受けた時は驚いたよ。まさか渡の息子が鎧騎士なんて、夢でも見てる気分だ」
感慨深く言っている総監を無視しながら、なおも外を眺め続ける。
日浦──今は滝口を名乗るこの男は、警官だった父さんの先輩だ。母さんと一緒に父さんを迎えに行った時に何度か会っているが、正直良い思い出はない。
平気で嘘を教えたり、笑いながら俺を騙してきた。両親を無くしてからは頻繁に電話を寄越してきたが、嫌いだったので一度も出なかった。
しかし、俺が覚えてる限りだとこの人は警部補だったはず。わずか八年の間で総監にまで昇進するのはかなり怪しい……が、この人のことは深く考えるだけ無駄なので考えないようにする。
「それで、総監殿は何用に私目のような子供の送迎車にご同席なさったんですか?」
はちゃめちゃな言葉で訊くと、総監は怪訝そうに口元を引き締めてから言った。
「特殊部隊長に興味はあるかい?」
「ありません」
よく分からないが即答すると、助手席からブフッと吹き出す笑い声が聞こえた。だが総監は一切笑わずに続けた。
「話は最後まで聞いてくれ」
「話しても無駄ですけど、一応は聞いておきます」
「ありがとう。まず、特殊部隊長っていうのは対悪鬼殲滅部隊を率いる隊長のことなんだが、この席には最も悪鬼との戦闘経験が豊富な者が着くべきだ」
妥当な判断ではある。悪鬼を人間の常識に当てはめて戦えば全滅は目に見えているのだから、ある程度経験を積んだ者が隊長を務めた方が、隊の生存率は格段に上がる。不測の事態にも柔軟に対応できるし、メリットしかない。
「君を推す理由は他にもある」
「……なんですか?」
「君は優しいから、隊員に無茶な命令はしないと踏んでいる」
マスク越しに伝わる彼の本音に、一瞬だけ胸が締め付けられる。
──俺はそんな立派な人間じゃない。
その言葉を、どうにか胸の奥にしまいこむ。
人を助ける為に使っているのは、周囲に自分が良い奴だと思わせるための演技だ。
本当は、周りから認められたい、必要とされたい思い──承認欲求で戦っていたに過ぎない。
昨日までの俺は、まさにそれだった。
浅い呼吸を強引に止め、鼻で笑いながら言った。
「買い被りすぎですよ。滝口さん」
言い終わると同時に車が赤信号で止まったので、俺はシートベルトを外してドアを開けた。総監の手から駒を奪い、ドアの向こう側へ足を出す。
「ここで結構です。送迎、ありがとうございました」
返答を待たずにドアを閉め、駅前の人混みに紛れて姿をくらます。
「……だから嫌いなんだよ」
前髪をかき上げながらぼやく。
あの人は昔から俺の事を知ったような口調で話し、勝手に期待してくる。
今だってそうだ。俺がどんな思いで戦っているのかも知らないくせに知った被って、責任ある立場に置こうとしてくる。
俺は優しくなんかないし、部隊を率いる器でもない。俺の命令一つで部隊の生死が決まるくらいなら、一人で戦ってる方がいいに決まってる。
今度局長に会ったら特殊部隊の件は無かった事にしてもらおう、と決心しながら腕時計を見ると、時刻は十一時半を過ぎようとしていた。
奴との約束は十二時。約束の場所もここからだと走っては間に合わないが、ロットを召喚すれば間に合う。周囲の目が気になるが、どうせ世間にはもう鎧騎士は浸透している。
人気のない広場で立ち止まり、腕時計のベゼルに駒を押し込んでから、地面に浮き出た白の魔法陣に駒を押し込む。ロットがけたたましい唸り声を上げながら出現し、両前足を激しく動かした。
「よしよしよーし、いい子だから落ち着こうなぁ」
荒ぶる愛馬をなだめながら背中に飛び乗り、手綱をしっかりと握る。
すると周囲の人たちが俺を指差し、湧き上がる興奮を収めようとせずに群がってきた。
「お、おい! 君まさか!」
「鎧騎士⁉︎ なんでこんなところに⁉︎」
群がる野次馬がロットの進行方向を妨げてくる。
邪魔だから退けたいが、乱暴な真似で退かしたら世間からの評判が悪くなる。かと言って全員の相手をするほど暇じゃない。
「はぁ……、ロットお願い」
愛馬の頭を撫で、手綱を鳴らす。
ロットはもう一度けたたましく鳴き、両前足を大きく持ち上げた。それを勢いよく振り下ろすと、民衆の上を大きく弧の字を描くように飛び立った。
実際は蹄鉄に埋め込まれた小型スラスターを噴かしているだけだが、原理を知らない一般人からすれば助走なしで人を飛び越える跳躍力に驚き、そして歓喜するだろう。
現に後ろから「すげぇ!」「カッコいい!」と派手に騒いでいる。
「能天気な連中だなぁ……」
呆れながら呟き、身を低くする。スラスターの推進力で加速されたロットは時速六十に匹敵する。乗馬みたいに背筋を伸ばしていたら空気抵抗に晒されて大変なことになる。
時間を鑑みてもそこまでの速度はいらないが、早いに越したことはないので今は時速四十を出している。多分大丈夫だが、大事な戦いを前に余計な不調は避けたい。
手綱を握る手が強まる。
振り落とされないためではない。拓実との再戦を意識した途端、無意識に力みだしたんだ。
──大丈夫だ。
自分に言い聞かせ、両手の力をほんのわずか緩める。
俺は一人じゃない。今までの弱い自分とはお別れをした。
「……待ってろよ、拓実」
「お世話になりました」
病室にまで見送りに来てくれた看護師と医者に頭を下げてから扉を開け、足早に一階へと移動し、ロビーを横切って外へ。するとエントランスの正面に一台の車が停まっていた。
随分と派手な──スタイル重視のセダンタイプだ。重厚なグリルを備えたノーズからボンネットが長く伸び、屋根の低いキャビンに繋がっている。車体の色は艶やかな黒で、側面に文字は見当たらないが、鼻先から十字円の銀製エンブレムが誇らしげに突き出す。
助手席の前には局長が笑いながら立っており、俺の姿を確認するや後席左側のドアを開けてきた。
絶対にあの人が寄越したな、と考えながら、おとなしく乗り込む。老人がドアを閉めると、バムっと高級感のある音が響く。
肉厚のシートはクッションが効いていて、逮捕された時に乗ったパトカーと比べると雲泥の座り心地だった。全体重を預け、長く息を吐いてから、ふと右を見る。
するとそこには先客の姿があり、俺はびくっと体を左に引いてしまった。
局長や沙耶香と同じ制服の上に、茶色のロングコートを羽織っている。コートの襟を立てており、鍔が筒状に折り返された水平みたいな帽子を目深に被っているせいで顔は見えないが、体格からして男だと思われる。ぴかぴかのブーツを履いた足を組み、その上で両手の指を絡ませたまま身じろぎひとつしない謎の人物をしばし凝視してから、俺は助手席に顔を近づけて小声で問いかけた。
「局長……隣の人は?」
「警視総監だよ」
「総監……⁉︎」
俺の素っ頓狂な声に、助手席のドアが閉まる音が重なった。
運転手がアクセルを踏むと、ボンネットの奥でエンジンが低く唸り、巨大な車は滑らかに走り始める。パトカーも乗り心地は悪くないと思ったが、このセダンは比べものにならない。少しでも気を緩めれば寝ちゃいそうなほどの安定感。いったいどんな素材を使えばこの衝撃吸収力を実現できるのだろうか。
いや、車の事はどうでもいい。今は右隣の人物が気になる。
総監といえば日本警察のトップ。国家公安委員会が西橋都公安委員会の同意を得て、次に内閣総理大臣の承認を得て任命される、一つしか用意されない地位。
つまりいま俺の隣に座っているのは、日本警察の全権力を掌握する人物だということだ。
そんなVIP中のVIPが、なぜ俺を迎えに来るだけの車に乗っているのか。そしてなぜこちらを見ようともせず、シートに沈み込んだまま沈黙し続けているのか。
ちらちらと右を盗み見ながら、俺はこの状況にどう対応したものか懸命に考えた。だいたい、局長まで口を閉ざしている理由が解らない。紹介するなり説明するなりしてくれてもいいではないか。
誰も喋ろうとしない、重苦しい空気が車内に広がる。
あまりにも息苦しいせいで息が詰まりそうなので、こうなったらポーズを真似してやるもんね、と総監相手に大胆な行動を取る。座席にふんぞり返って足を組み、膝の上で両手の指を交差させる。これで総監が何か反応を見せるか……と横目で右を見た、その時だった。
南進していた車が交差点を左に曲がった遠心力のせいで、胸ポケットに入れていた騎士の駒が総監の足下に落ちてしまった。
「やっべぇ……」
思わず小声で呟き、そーっと右手を伸ばし、指先が接触しかけた、その瞬間。
しなやかな指先が先に駒を捕らえ、そのまま掴み上げた。
「あ……それ、俺の」
咄嗟にそう口走りかけた俺の言葉を、呟くようなひと言が遮った。
「なるほどね」
いままで身じろぎひとつしなかった総監が、左手をゆっくりとポケットから抜く。
「……流石は鎧騎士。全然隙を見せないな」
耳障りな成分の一切ない、絹のようにスムーズに聞こえてくる声。
総監が左手を持ち上げ、帽子の鍔を指先で摘まみ、ゆっくりと持ち上げた。結ばれた栗色の長髪が零れ、朝日を受けて美しく煌めいた。
助手席の局長が勢いよく振り向き、いままで我慢していたかのように叫んだ。
「ほら、総監殿、凄いでしょう?」
「高校生にしては凄いよ。でも過剰に期待するにはまだ未熟かな」
「相変わらず厳しいですなー総監殿は」
もどかしそうに胸元で両手を握り締め、局長は早口に言い募る。
「悠斗ちゃんは半年間も悪鬼と戦った経験があるんですから、彼以外に適任者はいませんよ」
「まあ、判断を急ぐのはやめようよ」
日本警察のトップであるはずの男は、偉ぶったところのまったくない口調でそう言うと軽く咳払いして付け加えた。
「悪いけど、いつもの喫茶店に寄ってくれないかな」
「駄目ですよ。紅茶のストックなら署内にありますから」
「茶葉は採れたてがいちばん美味しいんだよ」
「何だってそうです」
そんな会話を続ける総監の横顔を、俺はひたすら凝視することしかできなかった。
容貌は識別できない。朝日が逆光になっているだけでなく、顔の上半分を覆う鉄製のマスクを装着しているからだ。
「仕方ない。じゃあまっすぐ署に戻っていいよ」
ため息混じりにそう言った総監が、何げない動作でこちらに向き直った。
柔らかそうに揺れる前髪の生え際から鼻までは鉄のマスクに覆われているが、薄いレンズが嵌め込まれた覗き穴の奥で、焦茶色の瞳が強い光を放った。
「覆面を着けたままで失礼するよ。怪我の後遺症で両眼と肌が弱いものでね。私は警察総監滝口裕貴という。よろしく、悠斗君」
「滝口裕貴……」
初めて耳にする名前を、俺は呆然と繰り返した。
不思議な感覚だった。初対面な筈なのに、昔何度も会ったような懐かしさがある。
大きく息を吸い、深々と吐いてから、俺は総監が辛抱強く伸ばし続けている右手を握った。
「ふっ……しかし、大きくなったもんだな、悠君」
不意に名を呼ばれ、自分の中にある奇妙な感覚の正体に気付き、バッと手を離して距離を取る。
「その反応、思い出したみたいだね」
俺は淡い微笑みを浮かべる総監を指差しながら、わななく唇を動かしながら言った。
「まさか、日浦さん?」
総監──日浦は、温かくて穏やかな微笑のまま頷き、膝の上に両手を置いた。
「どした悠斗ちゃん。急に暴れて」
こちらの騒動を不審に思った局長が振り向くのを、総監が片手で制した。
「気にしないでくれ」
あまりにも衝撃的すぎる再会に唖然とする俺を無視して、総監は笑いながら言った。
「久しぶりだね、悠君。立派に成長してて嬉しいよ」
「……あんた、いつの間に総監になってたんですか」
緊張が解けた代わりに驚きで強張った喉を震わせながら訊くと、総監は大袈裟に肩をすくめた。
「まぁね。色々と頑張ったから」
頑張ればなれるものじゃないだろ総監は。相変わらずこの人は奇想天外というかなんというか……。
心の中でツッコミながら顔を窓へ向け、遠くを眺める。今は学生たちの登校してる最中なので、歩道には何人もの学生が歩いている。
「今は赤羽高校に通ってるんだっけ?」
「はい」
「そうか……。高校生活は楽しい会?」
「楽しいです」
極力会話をしたくないので、短い返事だけで済ませる。
だが、総監は構わずに話し続ける。
「本当に懐かしいね。八年前の事件以降、連絡が途絶えていたからさ」
「……そうですね」
八年前の事件……両親を無くした日の事を言っているんだろう。
「報告を受けた時は驚いたよ。まさか渡の息子が鎧騎士なんて、夢でも見てる気分だ」
感慨深く言っている総監を無視しながら、なおも外を眺め続ける。
日浦──今は滝口を名乗るこの男は、警官だった父さんの先輩だ。母さんと一緒に父さんを迎えに行った時に何度か会っているが、正直良い思い出はない。
平気で嘘を教えたり、笑いながら俺を騙してきた。両親を無くしてからは頻繁に電話を寄越してきたが、嫌いだったので一度も出なかった。
しかし、俺が覚えてる限りだとこの人は警部補だったはず。わずか八年の間で総監にまで昇進するのはかなり怪しい……が、この人のことは深く考えるだけ無駄なので考えないようにする。
「それで、総監殿は何用に私目のような子供の送迎車にご同席なさったんですか?」
はちゃめちゃな言葉で訊くと、総監は怪訝そうに口元を引き締めてから言った。
「特殊部隊長に興味はあるかい?」
「ありません」
よく分からないが即答すると、助手席からブフッと吹き出す笑い声が聞こえた。だが総監は一切笑わずに続けた。
「話は最後まで聞いてくれ」
「話しても無駄ですけど、一応は聞いておきます」
「ありがとう。まず、特殊部隊長っていうのは対悪鬼殲滅部隊を率いる隊長のことなんだが、この席には最も悪鬼との戦闘経験が豊富な者が着くべきだ」
妥当な判断ではある。悪鬼を人間の常識に当てはめて戦えば全滅は目に見えているのだから、ある程度経験を積んだ者が隊長を務めた方が、隊の生存率は格段に上がる。不測の事態にも柔軟に対応できるし、メリットしかない。
「君を推す理由は他にもある」
「……なんですか?」
「君は優しいから、隊員に無茶な命令はしないと踏んでいる」
マスク越しに伝わる彼の本音に、一瞬だけ胸が締め付けられる。
──俺はそんな立派な人間じゃない。
その言葉を、どうにか胸の奥にしまいこむ。
人を助ける為に使っているのは、周囲に自分が良い奴だと思わせるための演技だ。
本当は、周りから認められたい、必要とされたい思い──承認欲求で戦っていたに過ぎない。
昨日までの俺は、まさにそれだった。
浅い呼吸を強引に止め、鼻で笑いながら言った。
「買い被りすぎですよ。滝口さん」
言い終わると同時に車が赤信号で止まったので、俺はシートベルトを外してドアを開けた。総監の手から駒を奪い、ドアの向こう側へ足を出す。
「ここで結構です。送迎、ありがとうございました」
返答を待たずにドアを閉め、駅前の人混みに紛れて姿をくらます。
「……だから嫌いなんだよ」
前髪をかき上げながらぼやく。
あの人は昔から俺の事を知ったような口調で話し、勝手に期待してくる。
今だってそうだ。俺がどんな思いで戦っているのかも知らないくせに知った被って、責任ある立場に置こうとしてくる。
俺は優しくなんかないし、部隊を率いる器でもない。俺の命令一つで部隊の生死が決まるくらいなら、一人で戦ってる方がいいに決まってる。
今度局長に会ったら特殊部隊の件は無かった事にしてもらおう、と決心しながら腕時計を見ると、時刻は十一時半を過ぎようとしていた。
奴との約束は十二時。約束の場所もここからだと走っては間に合わないが、ロットを召喚すれば間に合う。周囲の目が気になるが、どうせ世間にはもう鎧騎士は浸透している。
人気のない広場で立ち止まり、腕時計のベゼルに駒を押し込んでから、地面に浮き出た白の魔法陣に駒を押し込む。ロットがけたたましい唸り声を上げながら出現し、両前足を激しく動かした。
「よしよしよーし、いい子だから落ち着こうなぁ」
荒ぶる愛馬をなだめながら背中に飛び乗り、手綱をしっかりと握る。
すると周囲の人たちが俺を指差し、湧き上がる興奮を収めようとせずに群がってきた。
「お、おい! 君まさか!」
「鎧騎士⁉︎ なんでこんなところに⁉︎」
群がる野次馬がロットの進行方向を妨げてくる。
邪魔だから退けたいが、乱暴な真似で退かしたら世間からの評判が悪くなる。かと言って全員の相手をするほど暇じゃない。
「はぁ……、ロットお願い」
愛馬の頭を撫で、手綱を鳴らす。
ロットはもう一度けたたましく鳴き、両前足を大きく持ち上げた。それを勢いよく振り下ろすと、民衆の上を大きく弧の字を描くように飛び立った。
実際は蹄鉄に埋め込まれた小型スラスターを噴かしているだけだが、原理を知らない一般人からすれば助走なしで人を飛び越える跳躍力に驚き、そして歓喜するだろう。
現に後ろから「すげぇ!」「カッコいい!」と派手に騒いでいる。
「能天気な連中だなぁ……」
呆れながら呟き、身を低くする。スラスターの推進力で加速されたロットは時速六十に匹敵する。乗馬みたいに背筋を伸ばしていたら空気抵抗に晒されて大変なことになる。
時間を鑑みてもそこまでの速度はいらないが、早いに越したことはないので今は時速四十を出している。多分大丈夫だが、大事な戦いを前に余計な不調は避けたい。
手綱を握る手が強まる。
振り落とされないためではない。拓実との再戦を意識した途端、無意識に力みだしたんだ。
──大丈夫だ。
自分に言い聞かせ、両手の力をほんのわずか緩める。
俺は一人じゃない。今までの弱い自分とはお別れをした。
「……待ってろよ、拓実」
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