欲望を求める騎士

小沢アキラ

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三章 二人の鎧騎士

第十七話

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「もう一人の鎧騎士アーマーナイトねぇ……」
 俺の話を聞き終えた沙耶香さやかが、面倒な事になったという顔で小さくため息をついた。

 黒の鎧騎士アーマーナイト──伊澤拓実いざわたくみ不自然ふしぜんに去ったあと、現れたのは沙耶香だった。ユニに頼まれて監視していたらしい。
 駆けつけた沙耶香は、俺の元まで駆け寄ると、「何があったの?」と訊ねてきた。
 俺はすぐには答えられなかった。
 俺にとっても突然の事があまりに多すぎた。話したくない事もある。けど、話さなきゃいけない事もある。この場から早く離れたい気持ちもあった。
 俺は、場所を変えて落ち着いて話させて欲しいと頼んだ。沙耶香の肩を借りながら病室に戻り、同じベッドに腰かけ、今に至る。

「それにしても一体どうしちゃったの、悠斗くん? 落ち込むほどやられたわけじゃないんでしょ?」
 沙耶香が再び口を開いた。
 俺は、もう一人の鎧騎士アーマーナイト西橋大学医学部せいきょうだいがくいがくぶの生徒である事、奴は冬馬を救う術を知っている事、そして、俺と互角の力を持っている事は説明したが、奴とのやりとりまでは話していなかった。
「いえ……逃したのが悔しいだけです。冬馬さんを救えたかもしれないのに……」
 額に手を置き、入れ混じった思考を、前髪と共に掻き乱す。
 俺の調子が変なのは、おそらく拓実が言った事のせいだろう。
 しかし、それを話したら、拓実が言った事を認める事になる。そしてそれは俺自身を否定する事にもなる。
 ……そんな事は絶対にしたくない。俺は心の中に浮かび上がったもう一人の鎧騎士アーマーナイトの言葉を必死で打ち消そうとした。
 沙耶香が続けて訊ねた。
「それにしても、なんでその人は冬馬さんを狙ったんだろう……?」
 俺の胸がドクンと大きくなった。その音が沙耶香に聞かれやしないかと、思わず胸を強く押さえた。
「……多分、彼女を人質に黒の僧侶ビショップを取り返そうとしたんだと思います」
 適当な言い訳で答え、行き場のない苛立ちをごまかすように、丸い月がぽっかりと浮かぶ夜空を見た。
 さっきまでは澄み渡る夜空は心地よく思えていたのに、今は無防備な俺を曝け出すように明るく輝く月が恨めしかった。
「とにかく、今は俺よりも冬馬さんの方を頼みます。自分の身は自分で守れますけど、彼女はまだ目覚めていないから危険です」
「そうだけど……私はあなたの方が心配だよ」
「俺は大丈夫です。だから冬馬さんの方を頼めますか?」
 心配してくれる沙耶香には申し訳ないけど、俺よりも今は彼女の方が優先だ。
「分かったけど、念のため言っておくわ」
 そう言うと沙耶香は、膝の上に置いた右手を摑んできた。
「一人で無理しちゃ駄目だよ」
 冷え切った右手が、細いのに大きく感じられる温もりに包まれてじんわりと温まっていく。
 真っ直ぐに俺を見つめる瞳に、思わず眼を逸らす。
 ここまで純粋に人を想える人が、まだいたとは。
 普通なら、変な力を持つ子供を不気味に思う。警察なら尚更だ。子供でも警戒すべきはずなのに、この人は俺が犯罪など犯さないと分かってる風に接してくる。
 この人はきっと、凄く優しい人なんだろう。俺の不当逮捕にも最後まで納得していなかったし、今だって俺を心配してくれている。
 俺を信じ、心配して気遣ってくれるのはとても嬉しい。でも──だからこそ、巻き込みたくない。
 俺は内なる不安を顔に出さずに、屈託くったくのない笑顔を取り繕い、言った。
「無理なんかしてませんよ」
「嘘よ」
「本当です」
「なら、なんで
 指摘され、窓に向き合う。そこに映るのは、両眼から涙を流す自分の顔だった。自分でも気付かないうちに泣いていたようだ。
 俺はすぐに拭い、何食わぬ顔で言った。
「大丈夫ですよ。ちょっと、眼にゴミが入っただけです」
「どうしてすぐ嘘つくの。本当は辛いんでしょ?」
「本当に大丈夫ですよ。心配しすぎですって」
 自分でも驚くほどの空元気だった。心の中はぐちゃぐちゃなのに、表面上だけは笑っていられる自分に、心底しんそこ嫌気いやけがさす。
 辛くて苦しいのに、周りに心配かけまいと振る舞って、作り笑顔ばかり上手くなっていく。泣きたい時に泣かずに、笑わなくていいところで笑う自分が──弱い所を無理に隠す姿が嫌いだった。
 ……でも、仕方ないじゃないか。
 俺は鎧騎士アーマーナイト……弱き者を守る騎士ナイトなんだから、情けない姿を見せちゃ駄目なんだ。辛い時だからこそ俺が頑張らきゃ、みんなを不安にさせてしまう。
 俺は強いから大丈夫。そう早く言わなきゃいけないって、頭では分かっている。
 なのに、なぜか言葉が出てこない。
 目頭と喉が熱い。風邪を引いたわけでもないのに、何も考えられない。
 視界もぼやけてきた。沙耶香の声も遠くなっていくし、指先の感覚も薄れてる気がする。
「……大丈夫ですよ。俺は、鎧騎士アーマーナイトで、強いから」
 詰まった言葉を無理やり押し出すも、自分でも聞き取れないほど不明瞭な嗄れ声だった。
 拭った涙もとめどなく流れ、抑えられない。嗚咽も止まらない。俺の体が俺のじゃないように、言う事を聞いてくれない。
 ──止まれ……止まれよ!
 早く泣き止んで、笑顔を浮かべなければ。弱い所を見せちゃ、みんなが不安になる。それだけは駄目だ。
 必死に自分に言い聞かせる。
 だが、止まろうとしない。むしろ勢いを増していく。喉を押さえても止まらない。
 俺の異変に気付いた沙耶香が、優しく背中をさすってくれている。だがその感覚も、呼びかけの声さえも遠く感じる。
 何もかもが遠のいていく。感覚も、意識も全てがゆっくりと消えていく。まるで自分自身が消えて無くなりそうな感覚に陥る寸前──。
 急に、俺の身体がふわっと暖かくなった気がした。
 同時に、鼻先にかすかにくすぐる香り。
 いつも隣から漂ってくる、俺の大好きな香り……。
 なんで今、不思議に思う一瞬の間もなく、襟元が暖かくなった。
 気がつくと、首元に優しくがふわりと回されていた。今にも消えてしまいそうだった俺を守るように、温かく包みこんでいる。
 これは、彼女の手だ。彼女の香りだ。
 両親を亡くした俺を救ってくれた。どんな時でも隣で笑って励ましてくれた存在──ユニ。
「なんで……君がここに」
 俯きながら訊くと、耳元で優しく囁いた。
「局長さんに頼んで、特別に面会を許してもらったの」
 違う。俺が聞きたいのはそこじゃない。なんでこのタイミングなのかだ。
 彼女にだけは、無様に泣く姿を見せたくなかった。男のプライドとか、そんな理由じゃない。
 俺に生きる希望を与えてくれた彼女に、見捨てられたくないからだ。
 誰よりも勇敢であり、何者にも負けない強さを持つ鎧騎士アーマーナイトだから、ユニは俺を信じ、力を貸してくれている。
 もし、自分よりも強い存在に怖気づく姿を見て失望でもされたら、俺は耐えられない。
 人々を守る為に凛々しく力を振るう俺じゃなきゃいけない。如何なる時でも希望を捨てず、最後まで立派に戦って勝たなければ、誰も俺を必要としてくれない。
 ──それだけは嫌だ。
 両親に置いていかれ、身内から疎まれ、周りからは同情され続けた人生で、唯一彼女だけは俺を求めてくれた。必要だって言ってくれた。
 俺の心を救ってくれた彼女にまで見捨てられたら、もう立ち上がれない。
 一時的に止まっていた震えが再発しそうになるも、ユニはより一層強く抱きしめ、次いで耳元で囁いた。
「言ったでしょ? 最後まで悠斗くんを見捨てないって」
 心を読まれたかのようにピクリと反応し、息を呑む。
「泣きたい時は泣いていいんだよ? 泣いてる間は、私が守ってあげるから」
 その言葉を聞いた瞬間、俺は耐えられずに咽び泣いた。
 ユニはそれを、ただ黙って見守ってくれている。
「ごめん……ユニちゃん。俺……本当は怖くて……今すぐ逃げたいんだ。でも……冬馬さんを巻き込んだのは俺だから、逃げられなくて……どうしたらいいのか分かんなくて」
「うん。分かってるよ」
 咽び泣く俺の背中が、ゆっくりとさすられていく。
「私こそごめん。悠斗くんの気持ちに気付いてあげられなくて。こんなになるまで我慢させて、本当にごめんね」
 ユニのすすり泣く声が聞こえ、俺は抱きしめられながらも頭を振って否定した。
「違うんだ……ユニちゃんも、局長も、沙耶香さんも、冬馬さんも悪くない。俺が……俺が悪いんだ。弱いくせに強がって、守れないのに、みんなを巻き込んで」
「悠斗くんは弱くなんかない。本当に弱い人は、自分を責めたりしない」
「ユニちゃん……」
「最初から完璧な人間なんて一人もいない。足りない所を補っていくのが人間だって、私は思うよ」
 俺は、ゆっくりと、涙に濡れた顔を持ち上げた。
 いつもと変わらない、柔らかな微笑みを俺に向けるユニと目が合う。
 何を言えばいいのか分からなかった。だから俺は、いつまでも、いつまでもユニの顔を見詰めた。
 開いた窓からふわりと夜風が吹き、垂れた涙が頬に広がる。
 それをユニが差し出した右手で拭ってくれた。
 触れたら、幻のように消えてしまう気がした。しかし白い掌から届いてくる仄かな温度は、俺の大切な人が、確かにそこにいることを告げていた。
 俺は震える唇を無理矢理動かし、嗄れながらいた。
「まだ、信じてくれるの? 俺なんかを……」
 ユニはたっぷりと間を空けてから、首を傾げた。
「当たり前でしょ?」
「でも……俺は弱いんだよ? 俺よりも強い敵が現れたら」
「強いだけの鎧騎士アーマーナイトに意味なんかないよ」
 人差し指を唇に押し当て、俺の言葉を遮った。
鎧騎士アーマーナイトに必要なのは力じゃない。弱き者を守ろうとする志──優しさが一番求められるんだよ」
「優しさ……」
 呟き、また俯く。
 優しさなんて、最も俺に欠如したものだ。関係ない人を巻き込む俺に、優しさなんかあるわけがない。
 またも自責の念に囚われそうになるのを、ユニの抱擁が止めてくれた。
「私はあなたにその資格があると思ったから、鎧騎士アーマーナイトを託せた」
「訳わかんないよ。俺に優しさなんかあるわけが──」
「あるよ」
 俺の言葉を、ユニは食い気味に否定した。
「悠斗くんは優しすぎるぐらい優しいよ。だって、ずっと一人で戦おうとしてたじゃん。私たちに心配をかけないように無理して、我慢し続けてきた。それを優しさって言わずになんていうの?」
 もう一度、全身が暖かくなった。
「悠斗くんは強いよ。でも、もう一人で戦おうとしないで。悠斗くんが私たちを大切に思うように、私たちも悠斗くんが大切なんだから」
 彼女の温かい言葉に胸が打たれ、俺は何も言うことが出来ずに沈黙した。
 俺は今、とても安心できる腕の中にしっかり包まれていることを知った。
 さっきまで何も考えられないほど錯乱していたのに、彼女の腕と香りに包まれた途端、どうしてこんなに安心できるんだろう?
 …………母さん。
 こんなふうに、抱きしめられるのは何年ぶりだろう。この安心感を……完全に守られて、心配事なんか一つもない。何もかも大丈夫な感じを、長いあいだ忘れていた。
「俺が馬鹿だったよ……」
 呟き、目を閉じる。
「……ありがとう、ユニちゃん」
 その一言と共に、俺の意識は途切れた。
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