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三章 二人の鎧騎士
第十六話
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誰もいない夜の庭園に立ち寄り、長椅子に腰を下ろす。顔を上げると、無数のきらめく光が──まるで空にもう一つ都市が覆いかぶさるような景色が、そこにはあった。
青から藍に変わって行きつつある初夏の夜空。あと一ヶ月も経てばベガ・アルタイル・デネブを結んでできる『夏の大三角』が見れるんだと考えるも、気分は全く晴れない。
あと一ヶ月もすれば、冬馬は亡くなるからだ。
俺は込み上げるものを必死にこらえようとしたが、こらえようとすればするほど、胸の奥から熱いものが込み上げ、それは俺の意志とは関係なく、目からポタッとこぼれ落ちた。
止めたくても、もうどうにもならなかった。秘めていた想いが滝のように溢れ出し、ポタポタポタポタと止めどなく流れ落ちた。
「俺は……」
ユニと局長の前では我慢できたが、誰もいない場所に来た瞬間に限界が来て、俺は子供のように声をあげて泣き、その場で跪いた。
今まで抑え込んでいたもう一人の俺が、悲しみの涙とともに姿を現した……。
彼女を救えず、黒の鎧騎士に恐怖した自分に腹が立つ。何もできずに泣くだけの自分が憎い。
「……よければ、話を聞かせてくれないか?」
何もできない自分に嘆いていた時、突然背後から慈悲深い声が耳に届いた。
涙を引っ込めずにゆっくり振り返ると、白衣を着用した一人の男性が立っていた。
色白な肌と綺麗に束ねられた黒髪が月の明かりを受けて煌びやかに輝いている。中性的な顔立ちでやや童顔な男性は、跪く俺を見下ろしている。
「あなたは……?」
嗚咽を押し殺して訊ねると、男性は白衣から紙を取り出し、差し出してきた。
見ると、それは学生証だった。
「西橋大学医学部三年の伊澤拓実と申します。以後、お見知り置きを」
そう名乗る男性は、左手を腹部の前に当て、右手を後ろに回した会釈──まるで執事のような挨拶をしてきた。
「ご丁寧にどうも。自分は柏木悠斗と申します。西橋都立赤羽高校に通ってます」
「赤羽高校の学生か。中々優秀じゃないか」
「ありがとうございます。これ、お返しします」
胸に手を当てるのは敬意を意味している。まだ出会って間もない俺に表す必要はないはずでは……と疑問に思いながら学生証を返すと、拓実はニコッと笑いながら受け取った。
「それで、なんで泣いていたのかな? よければ話してみないか? 少しはスッキリするかもしれないよ」
長椅子に腰を下ろしながら訊ねられ、俺は一瞬だけ言葉に詰まった。
正直、今すぐ誰かに心の内を明かしたい。俺のせいで友人が亡くなるかもしれない。助けたいけど俺にはどうすることもできないのが悔しくて、何もできない自分が嫌で泣いていたことを……。
だが、それを見ず知らずの他人に話せるわけがない。関係ない人間を巻き込んだら、また苦しい思いをするだけだ。
また込み上げてきた涙を懸命にこらえるも、油断するとすぐに溢れようとしてくる。
立ち上がりたいが、今は涙と嗚咽を抑えるのに必死で脚に力が入らない。
「すいません。お気持ちは嬉しいですが、教えられません……」
絞り出した嗄れ声を聞いた拓実は、ふっと鼻で笑って返した。
「我慢しなくてもいいんじゃない? 一人で抱えると余計辛くなるよ」
「それでも、巻き込むわけにはいかないんです。これ以上、誰も苦しめたくないから」
拓実の言う通り、無理に抱えても苦しいだけなのは百も承知だ。でも、俺に関わったせいで苦しむ人が増えるぐらいなら、俺だけが苦しんだ方がマシだ。
助けてもらいたい。けど、助けを求められない。矛盾した願いの板挟みでどうすればいいのか分からない中、それは突然現れた。
「なるほど……良い判断だ」
瞬間、息が喉に詰まる。
聞いたことがある声質。氷のように冷たく、生物とは思えない無機質な響き。そして、微かに潜む殺気。
俺は知っている。この声の持ち主を。忘れたくても忘れられない程の存在感と敗北を刻みつけた奴を。
「安易に情報を漏らさない警戒心。惜しむならば、私の接近を許した甘さだな」
背後から迫る殺気に気付き、横に転がって避ける。錫杖の穂先がコンクリートの床を抉り、破片が飛び散る。
転がりながら距離を取り、フェンスと背中が接触してから立ち上がる。
「よく避けたと、褒めておこうか」
錫杖を肩に担ぐ拓実が、不敵に笑っている。
涙と冷や汗を一緒に拭い、懐に右手を忍ばせ、騎士の駒を握りしめる。
「こんな早く来るとは、予想外だよ」
「実戦に予兆はない。今までもそうだったはずだ」
今まで悪鬼は突然現れてきた。敵はこっちの事情などお構いなしに現れるのだから、いつ現れてもおかしくはない。
「しかし、俺に正体を明かしたのは甘いんじゃないのか?」
「私だけが知っているのは不公平であり、私が捧げる騎士道に反する。対等になる為に正体を明かしたまで」
「俺が入院してる時に襲わなかったのは、騎士道に反するからか?」
「想像に任せる」
短く答えると、錫杖を床に突き刺す。左腕の白衣の裾をまくり、黒色のブレスレットを露わにする。
「脅威は早めに排除するに限る。悪いが、死んでもらう」
懐から黒の騎士を取り出すと、無造作にブレスレットに押し込む。
黒色の魔法陣が床に現れると、中から黒の馬鎧で全身を覆った馬が出てきた。
「変身……」
静かに囁き、駒を回転させる。拓実の頭上に禍々しい魔法陣が現れると、馬は赤く吹き上がる血のような炎の列を伴って拓実の周囲を走り回る。
魔法陣が一瞬で通過すると、拓実は青黒いパワードスーツを装着、同時に馬と炎の列が鎧となって装着され、変身が完了する。
最後に馬が残した額の角から柄が伸び、それを空いた右手で握った。
黒を基調とする全身の雰囲気は変わらないが、体の各所や頭部を覆う甲冑の複眼は不気味な青色をしている。全てが黒……漆黒の騎士とでもいうべき様相を呈していた。
奴は慣れた手つきで槍を掲げ、構えをとった。
「さあ……断罪の刻だ」
俺の決め台詞で宣戦布告した漆黒の騎士──黒の鎧騎士が、槍を構えて一直線に突っ込んできた。
俺は我に返り、素早くブレスレットに駒を押し込んだ。
「……変身!」
俺の体を白い魔法陣が包み込んだ。
魔法陣が放つ雷が奴に対する壁になった。が、迷わず突っ込んでくる奴の槍が雷の壁を貫いた。間一髪、変身を終えた俺は、構えた槍で奴の槍を受け止める。
「そうでなくては、倒し甲斐がないな!」
黒の鎧騎士が乱暴に槍を払う。
俺は払われた勢いを利用して素早く体を反転させ、槍を奴の脇腹に突きさす。が、それを読んでいたかの如き早業で、難なく受け止める。
俺たちは同時に剣を払うとトリッキーに体をひねり、互いにキックを繰り出した。互いのキックを互いの腕で受け止め、互いの槍を同時に突き出す。奴の動きは驚くほど俺と同じだ。
俺は奴を大きく突き放して間合いをとり、柄頭に騎士の駒を嵌め込んでから振り下ろす。
雷が馬となって奴に襲い掛かるが、奴もやはり同じく槍を振り下ろし──こちらは紅蓮の炎が馬となって放たれた。2匹の馬は真っ向から激しくぶつかり合い、互いの呪力に弾き飛ばされ四散する。
「実力は互角、ということか」
黒の鎧騎士が不敵に笑うかの如く、黒い甲冑が月明かりに妖しく光る。
どうやら奴は俺と同じ技まで使いこなすらしい。同じ姿で同じ技を繰り出してくる奴の力は完全に俺と互角だ。
次の攻撃を警戒しジリジリと間合いをとる俺に奴が言った。
「もう降参か? この程度で逃げるようでは、あの少女を救うなど夢物語だぞ」
その言葉が俺の心に火をつけた。
──俺に後退なんて選択肢はない! 奴を倒して、冬馬を助ける方法を聞き出さなくては!
俺は湧き上がった怒りに身を任せ、猛然と奴に突っ込んだ。
それを躱しながら槍を叩き込んできた奴と俺とが鍔迫り合いになる。
「少女を口にした途端に冷静さを欠くとは、未熟だな」
「黙れ! お前を倒して、冬馬さんを救う!」
「私ならばあの少女を助ける術を知っている。だが、君にはできんよ」
「何……?」
重なる槍の向こうから奴の顔がグッと近づいた。
「互角だが、君は勝てない」
奴の言葉が鋭い棘となって俺の胸をついた。
それはほんの小さな痛みだったが、その衝撃はまわりの早い毒のように一瞬のうちに体中を駆け巡り、槍を握る手が思わず緩んだ。
奴はその隙を逃さず、俺の槍を払って大きく叩きつけた。
「ぐあッ!」
熱い痛みが肩口から腰に走る。
ダメージをまともに食らった俺は体勢を崩して膝をついた。痛みをこらえすぐに起き上がろうとしたが、それより早く奴の槍先が左肩を貫いた。
燃えるような痛みが左肩を支配する。奴は槍を引き抜くと、槍先を俺の喉元に突きつけた。
「私にあって君にないもの。それは覚悟だ」
「覚悟……だと」
奴は、俺を冷ややかに見下ろした。
「私には果たさねばならぬ大義がある。その為ならば人道を外れる覚悟がある。だが君はどうだ? 知人を前に引き金を引けぬ生半可な覚悟では、私を倒すことなどできん」
「……分かったような事を言うな! 俺にだって覚悟は出来てる! 冬馬さんを救う為ならば、俺はなんだって──」
「少女一人に固執する者の覚悟などたかが知れている。どのみち私には勝てんよ」
奴に全てを否定された瞬間、俺はなんとも言えない気分になり、体中から嫌な汗が吹き出した。
否定したい。だが、奴の言葉に明らかに動揺した今の俺には、完全に否定することは出来なかった。
奴はそんな俺の様子を楽しむように言った。
「誰かの為に戦うと言ってるけど、結局は自分じゃ戦う理由を見つけられないから逃げているだけだろ? 周りから認められて、必要とされたいから……」
「ウオ──ッ!」
奴の言葉をかき消すように声をあげた。目の前に突き出された槍を払いのけ、やり場のない気持ちをぶつけるように摑みかかる。
奴は予想どおりとばかりに躱すと、振り向きざまに衝撃波を繰り出した。高く舞い上がった俺の体は大きくバランスを崩し、遥か後方にある壁に強く叩きつけられる。
「いい加減認めたらどうだ。結局は自分のために戦っていることを。そうすれば少しは気が晴れるかもしれないぞ」
「違う……。俺は、本当に」
「ふんっ。頑なだな。ならば──」
奴はそう言うと、槍を特別病棟に向けた。
「悩みの種を排除してやろう。そうすれば、少しは楽になるぞ」
「……待てッ」
起き上がろうとしたが、二度のダメージで体が言う事を聞かない。力の入らぬ足が不様によろけ、庭園に倒れ込む。
槍の先端にエネルギーが溜まっていき、照準が定まる。
「やめろ──ッ!」
俺は力の限りに叫んだ。
奴は立ち上がれぬ俺を見て言った。
「そこで己の無力さを嘆いていろ」
黒の鎧騎士が乱暴に槍を持ち上げる。
その時、持ち上げた槍の柄頭にある黒の騎士が光った。
駒の光は不安定に揺らいでいる。
「……時間切れか」
奴は舌打ちしながら変身を解き、俺の方を苦々しく見た。
「明日、ここに来い。それまでは少女と君の命はお預けだ」
場所を記した紙を放り投げると、錫杖で切り裂いた空間に生まれた闇の中へと去って行った。
どのくらいの時間が経ったか分からない。おそらく本当に数秒にも満たなかっただろう。だが、俺にはその時間がとてつもなく長い時間に思えた。
変身を解くと、張り詰めていた力が緩む。
俺は動く事ができなかった。
それは体に受けたダメージのせいではない。奴が俺の心に与えたダメージはそれよりも遥かに大きく、立ち上がる気力を完全に失っていた。
床に両手をつき、深く頭を垂れた。
そんな俺を明るくなった月の光が容赦なく照らし出し、耳には虫が鳴く声だけが小さく聞こえていた……。
青から藍に変わって行きつつある初夏の夜空。あと一ヶ月も経てばベガ・アルタイル・デネブを結んでできる『夏の大三角』が見れるんだと考えるも、気分は全く晴れない。
あと一ヶ月もすれば、冬馬は亡くなるからだ。
俺は込み上げるものを必死にこらえようとしたが、こらえようとすればするほど、胸の奥から熱いものが込み上げ、それは俺の意志とは関係なく、目からポタッとこぼれ落ちた。
止めたくても、もうどうにもならなかった。秘めていた想いが滝のように溢れ出し、ポタポタポタポタと止めどなく流れ落ちた。
「俺は……」
ユニと局長の前では我慢できたが、誰もいない場所に来た瞬間に限界が来て、俺は子供のように声をあげて泣き、その場で跪いた。
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「……よければ、話を聞かせてくれないか?」
何もできない自分に嘆いていた時、突然背後から慈悲深い声が耳に届いた。
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色白な肌と綺麗に束ねられた黒髪が月の明かりを受けて煌びやかに輝いている。中性的な顔立ちでやや童顔な男性は、跪く俺を見下ろしている。
「あなたは……?」
嗚咽を押し殺して訊ねると、男性は白衣から紙を取り出し、差し出してきた。
見ると、それは学生証だった。
「西橋大学医学部三年の伊澤拓実と申します。以後、お見知り置きを」
そう名乗る男性は、左手を腹部の前に当て、右手を後ろに回した会釈──まるで執事のような挨拶をしてきた。
「ご丁寧にどうも。自分は柏木悠斗と申します。西橋都立赤羽高校に通ってます」
「赤羽高校の学生か。中々優秀じゃないか」
「ありがとうございます。これ、お返しします」
胸に手を当てるのは敬意を意味している。まだ出会って間もない俺に表す必要はないはずでは……と疑問に思いながら学生証を返すと、拓実はニコッと笑いながら受け取った。
「それで、なんで泣いていたのかな? よければ話してみないか? 少しはスッキリするかもしれないよ」
長椅子に腰を下ろしながら訊ねられ、俺は一瞬だけ言葉に詰まった。
正直、今すぐ誰かに心の内を明かしたい。俺のせいで友人が亡くなるかもしれない。助けたいけど俺にはどうすることもできないのが悔しくて、何もできない自分が嫌で泣いていたことを……。
だが、それを見ず知らずの他人に話せるわけがない。関係ない人間を巻き込んだら、また苦しい思いをするだけだ。
また込み上げてきた涙を懸命にこらえるも、油断するとすぐに溢れようとしてくる。
立ち上がりたいが、今は涙と嗚咽を抑えるのに必死で脚に力が入らない。
「すいません。お気持ちは嬉しいですが、教えられません……」
絞り出した嗄れ声を聞いた拓実は、ふっと鼻で笑って返した。
「我慢しなくてもいいんじゃない? 一人で抱えると余計辛くなるよ」
「それでも、巻き込むわけにはいかないんです。これ以上、誰も苦しめたくないから」
拓実の言う通り、無理に抱えても苦しいだけなのは百も承知だ。でも、俺に関わったせいで苦しむ人が増えるぐらいなら、俺だけが苦しんだ方がマシだ。
助けてもらいたい。けど、助けを求められない。矛盾した願いの板挟みでどうすればいいのか分からない中、それは突然現れた。
「なるほど……良い判断だ」
瞬間、息が喉に詰まる。
聞いたことがある声質。氷のように冷たく、生物とは思えない無機質な響き。そして、微かに潜む殺気。
俺は知っている。この声の持ち主を。忘れたくても忘れられない程の存在感と敗北を刻みつけた奴を。
「安易に情報を漏らさない警戒心。惜しむならば、私の接近を許した甘さだな」
背後から迫る殺気に気付き、横に転がって避ける。錫杖の穂先がコンクリートの床を抉り、破片が飛び散る。
転がりながら距離を取り、フェンスと背中が接触してから立ち上がる。
「よく避けたと、褒めておこうか」
錫杖を肩に担ぐ拓実が、不敵に笑っている。
涙と冷や汗を一緒に拭い、懐に右手を忍ばせ、騎士の駒を握りしめる。
「こんな早く来るとは、予想外だよ」
「実戦に予兆はない。今までもそうだったはずだ」
今まで悪鬼は突然現れてきた。敵はこっちの事情などお構いなしに現れるのだから、いつ現れてもおかしくはない。
「しかし、俺に正体を明かしたのは甘いんじゃないのか?」
「私だけが知っているのは不公平であり、私が捧げる騎士道に反する。対等になる為に正体を明かしたまで」
「俺が入院してる時に襲わなかったのは、騎士道に反するからか?」
「想像に任せる」
短く答えると、錫杖を床に突き刺す。左腕の白衣の裾をまくり、黒色のブレスレットを露わにする。
「脅威は早めに排除するに限る。悪いが、死んでもらう」
懐から黒の騎士を取り出すと、無造作にブレスレットに押し込む。
黒色の魔法陣が床に現れると、中から黒の馬鎧で全身を覆った馬が出てきた。
「変身……」
静かに囁き、駒を回転させる。拓実の頭上に禍々しい魔法陣が現れると、馬は赤く吹き上がる血のような炎の列を伴って拓実の周囲を走り回る。
魔法陣が一瞬で通過すると、拓実は青黒いパワードスーツを装着、同時に馬と炎の列が鎧となって装着され、変身が完了する。
最後に馬が残した額の角から柄が伸び、それを空いた右手で握った。
黒を基調とする全身の雰囲気は変わらないが、体の各所や頭部を覆う甲冑の複眼は不気味な青色をしている。全てが黒……漆黒の騎士とでもいうべき様相を呈していた。
奴は慣れた手つきで槍を掲げ、構えをとった。
「さあ……断罪の刻だ」
俺の決め台詞で宣戦布告した漆黒の騎士──黒の鎧騎士が、槍を構えて一直線に突っ込んできた。
俺は我に返り、素早くブレスレットに駒を押し込んだ。
「……変身!」
俺の体を白い魔法陣が包み込んだ。
魔法陣が放つ雷が奴に対する壁になった。が、迷わず突っ込んでくる奴の槍が雷の壁を貫いた。間一髪、変身を終えた俺は、構えた槍で奴の槍を受け止める。
「そうでなくては、倒し甲斐がないな!」
黒の鎧騎士が乱暴に槍を払う。
俺は払われた勢いを利用して素早く体を反転させ、槍を奴の脇腹に突きさす。が、それを読んでいたかの如き早業で、難なく受け止める。
俺たちは同時に剣を払うとトリッキーに体をひねり、互いにキックを繰り出した。互いのキックを互いの腕で受け止め、互いの槍を同時に突き出す。奴の動きは驚くほど俺と同じだ。
俺は奴を大きく突き放して間合いをとり、柄頭に騎士の駒を嵌め込んでから振り下ろす。
雷が馬となって奴に襲い掛かるが、奴もやはり同じく槍を振り下ろし──こちらは紅蓮の炎が馬となって放たれた。2匹の馬は真っ向から激しくぶつかり合い、互いの呪力に弾き飛ばされ四散する。
「実力は互角、ということか」
黒の鎧騎士が不敵に笑うかの如く、黒い甲冑が月明かりに妖しく光る。
どうやら奴は俺と同じ技まで使いこなすらしい。同じ姿で同じ技を繰り出してくる奴の力は完全に俺と互角だ。
次の攻撃を警戒しジリジリと間合いをとる俺に奴が言った。
「もう降参か? この程度で逃げるようでは、あの少女を救うなど夢物語だぞ」
その言葉が俺の心に火をつけた。
──俺に後退なんて選択肢はない! 奴を倒して、冬馬を助ける方法を聞き出さなくては!
俺は湧き上がった怒りに身を任せ、猛然と奴に突っ込んだ。
それを躱しながら槍を叩き込んできた奴と俺とが鍔迫り合いになる。
「少女を口にした途端に冷静さを欠くとは、未熟だな」
「黙れ! お前を倒して、冬馬さんを救う!」
「私ならばあの少女を助ける術を知っている。だが、君にはできんよ」
「何……?」
重なる槍の向こうから奴の顔がグッと近づいた。
「互角だが、君は勝てない」
奴の言葉が鋭い棘となって俺の胸をついた。
それはほんの小さな痛みだったが、その衝撃はまわりの早い毒のように一瞬のうちに体中を駆け巡り、槍を握る手が思わず緩んだ。
奴はその隙を逃さず、俺の槍を払って大きく叩きつけた。
「ぐあッ!」
熱い痛みが肩口から腰に走る。
ダメージをまともに食らった俺は体勢を崩して膝をついた。痛みをこらえすぐに起き上がろうとしたが、それより早く奴の槍先が左肩を貫いた。
燃えるような痛みが左肩を支配する。奴は槍を引き抜くと、槍先を俺の喉元に突きつけた。
「私にあって君にないもの。それは覚悟だ」
「覚悟……だと」
奴は、俺を冷ややかに見下ろした。
「私には果たさねばならぬ大義がある。その為ならば人道を外れる覚悟がある。だが君はどうだ? 知人を前に引き金を引けぬ生半可な覚悟では、私を倒すことなどできん」
「……分かったような事を言うな! 俺にだって覚悟は出来てる! 冬馬さんを救う為ならば、俺はなんだって──」
「少女一人に固執する者の覚悟などたかが知れている。どのみち私には勝てんよ」
奴に全てを否定された瞬間、俺はなんとも言えない気分になり、体中から嫌な汗が吹き出した。
否定したい。だが、奴の言葉に明らかに動揺した今の俺には、完全に否定することは出来なかった。
奴はそんな俺の様子を楽しむように言った。
「誰かの為に戦うと言ってるけど、結局は自分じゃ戦う理由を見つけられないから逃げているだけだろ? 周りから認められて、必要とされたいから……」
「ウオ──ッ!」
奴の言葉をかき消すように声をあげた。目の前に突き出された槍を払いのけ、やり場のない気持ちをぶつけるように摑みかかる。
奴は予想どおりとばかりに躱すと、振り向きざまに衝撃波を繰り出した。高く舞い上がった俺の体は大きくバランスを崩し、遥か後方にある壁に強く叩きつけられる。
「いい加減認めたらどうだ。結局は自分のために戦っていることを。そうすれば少しは気が晴れるかもしれないぞ」
「違う……。俺は、本当に」
「ふんっ。頑なだな。ならば──」
奴はそう言うと、槍を特別病棟に向けた。
「悩みの種を排除してやろう。そうすれば、少しは楽になるぞ」
「……待てッ」
起き上がろうとしたが、二度のダメージで体が言う事を聞かない。力の入らぬ足が不様によろけ、庭園に倒れ込む。
槍の先端にエネルギーが溜まっていき、照準が定まる。
「やめろ──ッ!」
俺は力の限りに叫んだ。
奴は立ち上がれぬ俺を見て言った。
「そこで己の無力さを嘆いていろ」
黒の鎧騎士が乱暴に槍を持ち上げる。
その時、持ち上げた槍の柄頭にある黒の騎士が光った。
駒の光は不安定に揺らいでいる。
「……時間切れか」
奴は舌打ちしながら変身を解き、俺の方を苦々しく見た。
「明日、ここに来い。それまでは少女と君の命はお預けだ」
場所を記した紙を放り投げると、錫杖で切り裂いた空間に生まれた闇の中へと去って行った。
どのくらいの時間が経ったか分からない。おそらく本当に数秒にも満たなかっただろう。だが、俺にはその時間がとてつもなく長い時間に思えた。
変身を解くと、張り詰めていた力が緩む。
俺は動く事ができなかった。
それは体に受けたダメージのせいではない。奴が俺の心に与えたダメージはそれよりも遥かに大きく、立ち上がる気力を完全に失っていた。
床に両手をつき、深く頭を垂れた。
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