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第一部・最終章 魔術剣修道学園

第三十一話

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 異世界に転移してから、早くも一ヶ月。その一ヶ月で起きた出来事は、元の世界での十七年間の時間よりも色濃く、衝撃的なことばかりだった。
 何の前触れもなく舞い降りた、剣と魔術が常識の世界。元いた世界では決して経験出来ない、命を賭けた死闘。何度も死の危険はあったが、異世界も嫌なことばかりじゃない。
 この世界に住む、数多くの心優しき人達との出会い。素性も知らぬ輩に救いの手を差し伸べてくれたセレナやシスター、ペックに教会の子供達。
 彼等の優しさがなければ、俺は一人何も出来ず朽ちてただろう。
 サランの街で出会った、第一印象はガサツで暴力女かと思ったが、根は素直で優しく、困った時は必ず頼りになるサヤ。魔獣の時だって、絶体絶命の危機を間一髪で救い出してくれた。
 魔術の街アースリアでは、予知せぬ出来事の連続だった。
 ジュウオンジとの決闘。マガツヒと暗黒騎士との死闘。天界の騎士に起きた異変。そして、新たな友達・ワタルとの出会い。
 半分以上喜ばしくないことであったが、怪我の功名として、改めて自分を再認識することが出来た。

 コドールの村から旅立ち、自分の目で見て、手で触れ、体で感じたことで、世界が広がった。
 願わくば、この旅がもう少しだけ続いて欲しい。
 だが、それは無理だ。どんな旅にも終わりが訪れるし、進む度に終わりへと近づいていく。
 俺は違う世界の人間で、いつか帰らなければならない。それは事実上、別れを意味する。
 元の世界に戻れば、この世界で出会った人達と永遠に会えなくなる。
 一期一会。出会いの数だけ別れもある。出会った人達とは、いつか別れの時が訪れるのは、本人も理解している。それでもカズヤは、別れの時が来るのを酷く恐れていた。
 俺には、元の世界で帰りを信じて待ってくれている両親や友達がいる。その人達のためにも、一分一秒でも早く帰らなければいけない。
 しかし最近、自分の本当の目的を忘れてしまうことが度々ある。

 異世界に滞在して一ヶ月。
 元の世界では味わえない体験ということもあり、俺はこの世界に順応……いや、楽しんでいると言っていい。
 もっと剣技を上達させたい。魔術ももっと多く習得して、修練したい。元の世界で働かなかった知的欲求は、異世界では一気に解放され、この世界に一分一秒でも長く滞在したいと願っている。
 自分の中にある願いに矛盾が生じているのは百も承知。それでも、うまく制御が出来ずにいる。
 俺はきっと、元の世界よりも刺激的で驚きに満ちた異世界に長い時間滞在したせいで、好きになってしまったんだ。この、剣と魔術の世界を……。
 きっと……俺の中にある帰りたい思いは、時計の針が一秒を刻むごとに薄れていくだろう。
 自覚しているのに、何故改善しようとしないのか。それは、本人自身も答えを見出せずにいた。

 中都。人界で最大の都市であり、中央に位置することからそう名付けられた。
 直径三十キロの真円を描く城壁に囲まれている。一つの県を思わせる広大さで、人口も二万人を軽々と超えている。
 魔術、剣技、生産、技術のあらゆる面でトップを位置するだけあり、中都には人界全土から観光客が絶えず訪れている。

「ようやく到着か……長かった」
 覇気の欠片も力もない呟きをしながら、カズヤは馬車から飛び降りた。次いで、サヤとワタルも軽やかに飛び降りた。しかしその表情は、酷くやつれていた。
「本当に……長かったわね」
 カズヤ同様の声色で呟く。
 三人は中都に着くまでの間、宿泊施設付きの馬車内で、筆記試験の対策問題を三日三晩で取り組んでいた。昨晩も徹夜していたため、三人の睡眠欲求は極限にまで跳ね上がっている。
「でも、徹夜した甲斐はあるわ。対策問題もバッチリだし、筆記試験は大丈夫な気がしてきたわ。ね、カズヤ」
「そうだな。筆記も実技も、油断さえしなければ何とかなりそうだ……多分」
「不安を煽るような言葉付け足さないでよ」
「ごめんごめん。それより、早くそれ提出しに行かないと試験どころじゃなくなっちまうよ」
「そうね。これ出し忘れたら、今までの努力が全部無駄になっちゃうわね」
 手に持ったのは、魔術剣修道学園の推薦状だった。
「そっか。二人は推薦状を貰ってるのか」
 物珍しそうに観察するのは、魔術剣修道学園の姉妹校から交換生として派遣されたワタル。交換生である彼には入学試験はないのだが、俺たち二人のために徹夜で教えてくれたため、酷く疲れた顔色をしている。
「いいよなぁ。試験がないなんて……」
「今までの成績のお陰だよ」
 正論すぎて何も言い返せない。
「試験中は僕が二人の荷物を預かっとくから心配しないでいいよ。もちろん、その子もね」
 そう言うとワタルは、サヤに抱きかかえられたムーンラビットに視線を向けた。
 このムーンラビット──コドールの村から一緒のペットは、気がついたら中都まで付いてきていた。教会に置いて行こうと思っていたのだが、何故か俺から離れようとせず、常に側にいる。
 サヤからムーンラビットと荷物を受け取ったワタルは、身を翻した。
「それじゃ二人とも、試験頑張ってね。実技試験は見に行くから」
 そう言うとワタルは、試験会場とは真逆の方へ歩いて行き、姿を消した。
 見届けると推薦状をしまい、二人は周りよりも一際高い建物に続く大通りを歩いていった。

 魔術剣修道学園の試験は本校では行わず、《集会場》という施設で行われる。領主の演説や楽団・劇団の公演など、多目的に使われる広場は、今日は実技試験の擬似決闘の会場とされている。
「凄いな……ジュウオンジの時より広い」
 感嘆の声を出すと、横に立つサヤがぐいぐいと引っ張りつつ、集会場正面入り口に設けられた受験者登録窓口に向かった。仮設の長机では、口ひげを生やした初老の衛士ひとりが暇そうに待機している。
「二人分、登録お願いします」
 衛士は灰色の眉を持ち上げ、まずサヤを、次いでカズヤを胡散臭そうに見回したあと咳払いして言った。
「魔術剣修道学園の入学試験を受けるには、推薦状が必要なのだ……」
「はい、どうぞ」
 衛士の台詞を遮るように、同時に推薦状を長机に提示した。
 提示された推薦状を衛士は眉を寄せ注意深く確認する。数秒後、初老の衛士は初めてにやりと口ひげの端を持ち上げた。
「推薦状は確かに受け取った。確かにこれは学園の推薦状じゃ」
「当然じゃないですか。嘘なんてつけば、禁書目録違反ですからね」
 頷いた衛士は、卓上に置いてあった布張りの台帳を開くと、赤銅製のペンを差し出した。
「ここに名前と出身を書きなさい」
 台帳には、既に多種多様の筆跡による受験者の名が黒々と記されている。
 その末尾に、名前カズヤ、出身コドールと記し、サヤにペンを手渡す。名前を記す時、危うく学生の癖で水樹和也と書くところだった。
 カズヤに続いて記帳を終えたサヤが、ペンを衛士に返した。それをペン立てに挿し、次いで台帳をぐるりと回転させた衛士は、再び片眉を持ち上げた。
「コドールとサランから……随分と離れの土地からきたの」
「かなり時間を掛けて来ました」
 二人一斉に同じことを宣言すると、衛士は「大変じゃったな」と苦笑いしながら言い、二人に一枚ずつ銅の薄板を差し出した。カズヤが受け取った板には【86】、サヤのそれには【87】と数字が刻印されている。
「午前は筆記、午後は実技じゃ。実技は最初、クジによって二組に分けられる。二組に分かれた後、審査員が同じ組内で擬似決闘を執り行う番号を読み上げるから、それを無くすでないぞ。擬似決闘じゃから、実剣じゃなく木剣を貸与されるから、二人の剣はここに預けてゆけ」
 衛士の指示に、サヤはこくりと、カズヤはやや微妙な角度で頷き、剣を長机に横倒した。
「合否発表は明日八時に貼り出される。合否確認にもそれが必要じゃから、終わったからといって無くすでないぞ。それじゃ、頑張るんじゃぞ、二人とも」
 今度は、二人とも勢いよく頷いた。

 三十分後、二人は別々の部屋で、最後の復習をしていた。
 長い間忘れていたが、一ヶ月前まで学生だったことを思い出しながら、復習とは別のことを考えた。
 魔術剣修道学園を十二主席で卒業し、衛士隊に配属することが出来れば、創世神と会える機会が必ず生まれる。創世神ならきっと、転移させる条件を知っているはず。なんせ、世の理を超越した存在なのだから。
 俺は、旅の終着点に近づきつつある。
 今は試験だけに集中しよう。ここで落ちれば、元の世界に帰るのが絶望的になってしまう。
 だが彼は、そんなことを考えていなかった。
 落ちるわけにはいかない。力を貸してくれた人達のためにも、必ず合格してみせる。
 決意の一心を胸中に、机に置かれた試験問題を眺める。
 一分後、九時の鐘が鳴ると同時に、試験室の雰囲気が一変し、受験生たちの培ってきた知識を競う戦いが始まった。

 魔術剣修道学園の筆記試験は、三教科を三時間掛けて執り行われる。
 一教科目は『一般教養』。異世界滞在期間一ヶ月の俺に解けるのか不安であったが、意外にもすらすらと解けた。
 内容の方は、図形を使った複雑な数式や証明や確率。文章の読解力を試す問題など多岐に渡る。
 元の世界で培った基礎力の甲斐あって、難しいと思える問題は特になかった。
 次に『魔術言語』。元の世界で言い表すなら、英文の翻訳に近しい。複雑に記された魔術言語の翻訳は、英文よりも難易度が高い。
 だからといって、解けないわけではない。
 今回は、運が良かったと言ったほうがいいのかもしれない。
 最初に問題文を見た時、俺はこの文に見覚えがあるように感じた。
 問題文は、アースリアの大図書館で見た、二百年前の魔術論文【魔術転換構文】に酷似していた。
 人界の歴史に興味を持った時に読んだ構文と知った時は、出題者のミスかと疑った。
 が、改めて思い知らされた。
 魔術剣修道学園は名門校。そこの入学試験なら当然、受験者の能力を測ってるに決まっている。
 受験者の読書量や応用力を図るために、マニアックな構文を引用してくる可能性は十分にある。
 運の良さに救われたことに感謝しながら、慎重に冷静に、焦らずに一文一文時間を掛けて翻訳していった。
 最後は『魔術工学』
 これに関しては、前の二つと比べてかなり難易度が上がっている。
 素因の反属性や危機的状況を打破する適格な魔術構文を記せなどは、少ない戦闘経験から答えを導き出せているが、~の定理や法則などの記述問題は頭を悩ませられる。
 受験者の経験や理論への好奇心を測るためとはいえ、出題者の意地の悪い性格が透けて見えるかのようだ。
 ──まずいな。
 額をペンに置き、下唇を軽く噛みながら、焦っていた。
 確実に合格するためには、全教科八十点以上は獲得したい。そうしなければ、絶対の安心は得られない。
 前の二教科は心配ないが、魔術工学に関してだけは、雲行きが怪しい。
 前半は全問正解で五十点は確実だ。しかし後半の定理や法則に関連する問題は、正直な所不安でしかない。
 的を得てないが理屈が当たってる答えを記入しているため、十点の内五点は貰えると思う。それでも総合点は七十。目標の八十に一歩及ばない。
 問題は次で最後。この問題を正解させなければ、絶対の安心を持って実技試験に行けない。
 深呼吸で精神を落ち着かせ、最終問題へと執り掛かる。

 設問八。百年前の論文より出題。魔術によって生命を創造出来ないことを、下記に証明せよ。

 最後の最後にして、今までとは毛色の異なる問題が飛び出してきた。問題の難易度が以前のと比較にならないレベルにまで上がっている。
 恐らくこの問題は、受験者の満点を阻止するための目的で設置されたのだろう。
 大半の受験者はここでつまずき手を止める。百年前の古臭い論文を読むのは、かなりの物好きぐらいだ。
 そして俺は、その部類に属するのだろう。二百年前の論文も見てるし。
 生物創造の論文が最終問題なんて、俺からしたら『サービス問題』に過ぎない。
 何故突然、自信に満ち溢れた意見を思い始めたのか。
 答えは簡単。これを主体に、騎士と話し合っていたから。
 アースリアを襲撃したマガツヒが禁忌とされた生物創造で誕生した恐れがあったがために、生物創造の論文には一通り目を通している。
 簡潔で分かりやすく証明を記入し終えると同時に、筆記試験終了の鐘が鳴り響いた。

 三時間に渡る筆記試験が終わり、気分はフリーダム。教室にいた受験生達が、実技試験までの休憩時間を有効活用し始めた。
 ほとんどは昼食を食べに教室を出ていくが、数人は直接実技試験の控え室に向かっている。
 カズヤは筆記で疲弊した精神を癒したい欲望に支配されていた。そして今、その欲望を満たしている。
 二人は無事筆記試験を終えると、少し離れた広場で肉まんじゅうと串焼き半分ずつの昼食をぱくついている最中だった。
「……それでだ、サヤ。…………同じ組になったら、どうする?」
 半月型に割ったまんじゅうをあっという間に食べ終えたカズヤが訊ねると、
「…………どうしようか、カズヤ」
 一本目の串を綺麗にしたサヤが答えた。
 二人の目標は、二人揃って無事に合格することだ。そのためにはまず、筆記に続き実技でも優秀な成績を得なければならない。
 審査基準は定かではないが、勝敗が大きく作用しているのは確実。もし同じ組になってしまい、更に運悪くサヤと当たってしまったら、情けないが勝てる自信はない。
 本人に手加減してもらうという方法もあるが、審査員の目が確かなら絶対に勘付かれ、彼女に迷惑が出てしまう。
 串焼きを食べながら試行錯誤してみたが、導き出された楽観的な結論を、そのまま口にする。
「今考えても仕方ないさ。そんときはそんときだな。大丈夫、きっと別の組になるさ」
「ざ、雑な答え……」
 はぁーっ、というサヤのため息が、鮮明に耳に届いた。

 三十分後、十二時半の鐘が鳴る直前に、二人は実技控え室に入った。
 縦横二十メートルはありそうな広い部屋の西半分には頑丈そうな長椅子が五列に並べられ、受験者が東向きに座っている。対面する東の壁には、少し上等な椅子が四脚。そこはまだ空だが、受付窓口には衛士の姿がある。
 カズヤとサヤが室内に踏み込んだ途端、受験者の半分の視線がぎろりと浴びせられた。
 誰も彼もが、いかにも腕に覚えのありそうな者ばかりだ。中には恐ろしげな傷跡を誇示している者や、受験者とは思えない貫禄を持つ者もいる。
 そんな猛者たちに注視され、サヤはびくっと背筋を竦めたが、カズヤの方は平然と広い室内を見回し、ひと言呟いた。
「……良かった……」
「な、何が良かったの」 
 硬い声で囁くサヤの耳に顔を寄せ、ひそっと答える。
「お前以外に獣人族がいなくて、さ」
「……あのねぇ、カズヤ……」
「だって、普通の人族が獣人族に決闘で勝つのは難しいだろ」
「そ、それはまぁ……」
 などと、緊張感のない会話を交わす二人の男女に、猛者たちはすぐに興味を失ったようだ。どうせ落ちるだろうとばかりに顔を逸らし、貸し出された剣の点検や、保護手袋の手入れに戻る。
 カズヤとサヤは一緒に受付窓口に赴き、受験番号の銅板を見せ、全受験者共通の木剣を借りる。擬似決闘専用の木剣ではあるが、一般販売されているものよりも重く、力強く叩きつければ、他者を傷つけるには充分な威力がある。無論、《寸止め》の規則があるので、流血沙汰に発展するのは絶対にない。
 しっかりと剣を抱えた二人が、三列目の待機用長椅子に座るのと前後して、奥側の出入り口から新たに四人の衛士が入ってきた。その中には、集会場入り口で登録受付をしていた初老の衛士の姿もある。
 金色の衛士隊長肩章を飾った三十がらみの男が簡単な挨拶を終えると、若い衛士が、控え室に大きなホワイトボードと箱を運び入れた。箱をポンと叩き、体調は言った。
「今から、受験者の諸君らは一人ずつ、蓋に開いた穴から手を入れ、球を一つずつ取り出してもらう。中には赤と青の二種類の球が入っており、赤が西組、青が東組だ。質問がなければ、前に座っている者から順に球を取りに来い」
 その言葉が終わると、最前列に座っている受験者から一列に並んでいった。
 三列目に座っていた二人は丁度真ん中に位置した。着々と進む中、二人は全く同じことを考え続けていた。
 ──どうか、同じ組になりませんように。
 結局何の案も思いつかなかったのか、最後は神頼みをする他なかった。

 十三時の鐘が高らかに旋律を鳴り響かせると、観客席からひときわ大きな歓声が轟いた。
 集会場の広場は行事ごとに使用されるため、周囲を階段状の観覧席が取り巻いている。
 受験者の実技試験を見たいと思う市民は少なからずおり、見物は無料なだけあり、観客席は満席になっている。中都という絶対安全圏に身を置く市民にとって、擬似決闘の観戦は年に一度の大変な楽しみなのだ。
 拍手と爆素の破裂音が降り注ぐなか、受験者百名は二列になって控え室から試合場に出て行く。
「うまくいったな、サヤ」
 隣で歩くサヤにささやくと、苦笑しながら、
「本当、バレなくて良かったわ」
 ため息を吐きながら、小言で答えた。

 カズヤとサヤは最後、運任せでクジを引こうとした。
 だがそこで、普通では考えられない方法を思いついた男がいた。
 カズヤは箱に右手を入れると、最初に触れた球を摑み、次いで近くの球も一緒に摑んだ。二つの球を鷲摑みにすると、色が見えるギリギリの所にまで持ち上げる。
 偶然にも赤と青を摑んでおり、カズヤはにやりと笑った。
 そして青の球に、親指の爪で視認出来ないほどの傷跡を残し、跡が上になるようそっと落としてから、赤の玉だけを引き抜いた。
「86番。君は西組だ」
「分かりました」
 軽く返事をしてから、わざわざ彼女の横を通り過ぎた。一言、言い残して

「キズ……」

 誰が聞いても意味不明な単語であったが、カズヤと一緒に旅を続けたサヤには、それが別の組になるためのヒントだと察知した。
 無論、このヒントは彼女を信頼しているから伝えた。俺を最も近くで見ていた彼女だから、最低限のヒントだけで済んだ。
 案の定サヤは、ほんの数ミリの傷跡がついた青の球を取り出し、無事東の組になった。

「カズヤは本当、不思議なことを思いつくね」
「今回はそれに助けられたんだから良しにしようぜ」
 自分が行った行為は禁書目録に違反していないとはいえ、完璧な不正行為だ。
 もしこの行為が明るみになれば、推薦状は取り消されてしまう。
 今更ながら、不正行為に対する罪悪感が出てきたが、もう手遅れのため考えるのをやめた。
 サヤの並ぶ列は右に曲がって東の舞台へ、カズヤの列は左に曲がって西の舞台へ。五十人に分かれた受験者がそれぞれの舞台上で整列し、南側の貴賓席に陣取る集会場の領主にまずは一礼。
 領主の少し長めの演説を行い、じれた観客たちが少し短めの拍手を送ったところで、ようやく実技試験開始となった。
 擬似決闘の相手と順番は控え室で決まっている。俺は五番目のため、前の決闘を観戦しながら、木剣に慣れるために数回振るう。
 焔天剣に慣れているためか、木剣が枯れ枝のように軽く感じられる。
 ──魔術耐性が低いから、炎素を宿した斬撃は不可能。となれば、魔術構文を要した攻撃で隙を作り、木剣で相手の剣を弾く戦法が無難か。使用する魔術は……。
 
 などと試行錯誤している間に、カズヤの出番はやってきた。
 前の全決闘は、驚くべきことに、全て平穏な決着を迎えた。
 最初の攻め側が、三~四手からなる斬撃を繰り出し、それを受け側がコン、コン、コンとのんびりした衝突音を響かせて破綻なく受ける。次に攻守逆転すると、再びコンコンコン。魔術も初歩で基本的なものしか繰り出されておらず、ほぼ全て明後日の方へ飛んでいく。
 禁書目録違反をしないためとはいえ、本当に合格する気はあるのかと疑いたくなるものばかりだ。
 勝敗の決まり方も、先に受けに失敗した方の体にぴたりと相手の剣尖がつきつけられ──「そこまで!」となる。
 本校での稽古になれば駆け引きや速度感が違うのだろうが、試験でこれとは少し気張り過ぎてたか。決闘相手のユーグという若者の技倆ぎりょうも突出しているとは思えないし、これならば実技試験は余裕に行けそうだ。
 ほんの少し遅れて、東舞台でもサヤの名前が呼ばれたが、そちらの相手は傍目にも意気込みすぎで、決闘前にも関わらず、すでに顔中汗まみれなので問題ないだろう。──そもそも獣人族だから心配する必要は皆無だが。
 一方、西舞台でカズヤと対戦するユーグは、茶色の髪の奥から瞬き一つしない両眼でこちらを見据えてくる。
 彼は他の受験者と違い、不気味な雰囲気を漂わせている。
「47番、86番。舞台へ」
 二人の受験番号を呼ばれ、大またで階段へと向かう。砂岩ではなく大理石を切り出し、隙間なく並べて磨き上げた舞台の中央に立ち、ゆっくりと木剣を抜く。壮年の審査員が右手を高々と持ち上げ、前に振り下ろしながら叫ぶ。
「──始め!」
 瞬間、ユーグが動いた。前の決闘は全て、双方がまず構えを見せ、先攻後攻の呼吸が合ってから始めていたので、観客が小さくざわめく。
 とは言え、違反行為ではない。そんな規定はないし、これは擬似とはいえ決闘。生死を分ける戦いに開始の合図など存在しない。奇襲による寸止め決着を狙うのも、褒められはしないが立派な作戦の一つだ。
「イオオオオッ!」
 甲高い気勢とともに右上から斬り込んでくるユーグの剣は、大抵の受験者ならば受けるのは難しいだろう。
 彼、以外なら──。
 今期の受験者の中で一番戦闘経験を積んでいるカズヤは、自らも前に出て受けた。ゴォンッ! という、これまでの決闘とは異質な衝撃音が響く。
 本来は軽く跳ね返されるはずの攻め側の剣は、衝突音に留まったまま小刻みに震えている。凄まじい速度で迎撃したカズヤの剣が、遅れて動いたにもかかわらず、わずかに上から押さえ込む形になったからだ。二本の剣がギシギシと軋む音が、静まりかえった会場の西半分に響き渡る。
 その状態で、カズヤは更に身を乗り出すと、鼻筋に深いしわを刻んでいるユーグの顔に自分の顔を近づけ──低く囁いた。
「決闘が始まる前から、背後に風素を待機させてたな」
「…………それが、なんだっていうんだ」
 金属板を引っ掻くような声で囁き返すユーグに、カズヤはいっそう低めた声で、
「決闘が開始される前に策を講じるのは、禁書目録違反だろ」
「…………!」
 ユーグが両眼を一瞬見開く。
 木剣による決闘を行う場合、公平を期するために、開始の合図があるまで魔術の使用・待機は禁じられている。
「剣を構える時、お前は不自然な動作をしていた。審査員と反対方向にわざわざ背中を向けて……まるで、何かを隠すように」
「……貴様のは単なる憶測……決定打に欠けている」
 不適な笑みで答える。
「開始同時に突進してきたが、人族の速度を凌駕していた。それに、お前は合図と同時に、微かに唇を動かしていた」
 鋭い追及に、しかしユーグはにやりとしたたかな笑みを浮かべて見せた。
「貴様のような田舎者にしては大した観察眼だな。確かに、俺は開始直後に決着をつけるために、背後に風素を待機させた。だが俺は、一切禁書目録に違反なんかしてないぜ」
「なんだと?」
「魔術の使用・待機が禁じられているのは、通常時の決闘のみ。つまり、実技試験の擬似決闘には適用されない」
 馬鹿げた屁理屈に思えるが、ユーグの言葉は事実だ。擬似決闘は決闘の部類には属さず、稽古に近しい部類になる。その場合、決闘前の魔術の使用・待機させる行為そのものは、いかなる条文にも抵触しない。
 だが、ことはそれほど単純ではない。いくら擬似決闘とはいえ、魔術待機が発覚すれば実技試験は確実に落ちる。そんなリスクを背負ってまで危険な行為を及ぶ理由が、俺には理解出来ない。しかもこの男は、《法に触れなければ何をしてもいい》と取って良い言動に思える。
「……なんでだ」
 短い問い質したカズヤに、ユーグは吐き捨てるように答えた。
「決まってんだろ。田舎者如きが、高貴な学園に入ろうとするなんて、おこがましいにもほどがあるんだよ。あの学園には、俺様のような高貴な人間の方が相応しいんだよ」
「……貴族の末裔か。でもな、根性まで腐ってる奴じゃ、悪いが俺には勝てないぞ」
 相手が貴族の末裔と明らかになるも、カズヤはまるで恐れ入った様子もなくそう言い切った。斬り結ばれたままの剣を弾き、後方へ飛び退く。
 一度距離を取ると、カズヤは左手を前に突き出し、魔法陣を展開する。
 魔法陣の展開を確認したユーグは両眼を見開き、顔を歪めた。西側の観客からざわめき声が轟く。
 ──折角だ。観客に見せてやるか。俺の自作魔術を。
「見せてやるよ、ユーグ。お前と俺との、決定的な実力差を」

 カズヤの調子に乗った台詞を聞いたユーグの顔が、まず驚愕に、ついで憎悪に染まり、最後に残忍な笑みに切り替わった。
「こいつは驚きだ! 田舎者のゴミ屑の分際で、この俺様によくもそんな口が聞けるとはな!」
 甲高い笑い声を仰け反りながら上げ、殺意と憎悪に歪んだ顔を向けてきた。
 だがカズヤは、憎悪の化身と化したユーグに一切の興味を示さず、魔法陣にのみ意識を集中させていた。
 必要な魔術構文と素因の準備が完了すると、魔法陣を自らの上空に待機させる。観客や審査員、そしてユーグの視線が全て上空の魔法陣に集中したのを確認すると、両手を靴底に添える。
 試合場に漂っている空間魔素を、両手を通じて靴底に集中させる。集まった空間魔素を風素に変換、《一点解放》を書き加える。
 大理石を踏む足に力を込め、
「行くぞ!」
 叫び、大理石を強く蹴る。構文の作用で風素は下向きに吹き出し、尋常じゃない推進力を得て高度を上げていく。
 待機させていた魔法陣に接近していき、全身が魔法陣を通過した瞬間。
 西側だけでなく、東側の観客からも、激しいざわめきが響く。舞台上の審判が戸惑ったように審査員席を見るが、そちらもどうしたらいいか判らないようだ。
 それも当然。実技試験で魔法陣が展開された前例など──姿を変えた実例など、存在しないのだから。

 魔法陣を通過したカズヤの身に、大きな変化が起きた。

 両腕には鋭利な鉤爪、背中から飛竜の両翼が、それぞれ炎素で形成されているのだから。

「り……竜だ! 受験者が竜になったぞ!」
 観客席からの叫び声が響く。遠目から見れば竜と間違えるのも無理はない。
 しかし、ユーグからは別の言葉が零れた。
「お前……自作魔術オリジナルまじゅつを詠唱しやがったな」
 憎々しげに口許を歪めながら、憎悪を極限にまで研ぎ澄ました顔を向けている。
「正解だユーグ。これが、俺が一から考えた自作魔術、《炎熱竜鎧フレアアームズ》だ!」
 即席名称を大々的に宣言すると、試合場と観客席が一瞬だけ静まりかえった。
 自分のネーミングセンスの無さを痛感しながら、燃え盛る両翼よりも顔を赤らめる。

 この自作魔術を思いついたのは、試験日の直前だった。
 アースリアで、自らの力量不足を痛感したカズヤは、暗黒騎士をも倒せる自作魔術を求め、あらゆる案を試行錯誤し続けた。
 短所を補いつつ長所を伸ばすような自作魔術。その答えが、炎熱竜鎧だった。
 炎素で形成された鉤爪は万物を焼き断ち、爆素で形成された両翼によって、瞬間的な機動力を実現出来る。
 暗黒騎士に対して繰り出した最後の一撃。瞬間的な加速と爆発的な攻撃を常時使用出来る、人体強化魔術。それが、俺が思いついた自作魔術。
 ちなみに鉤爪は戴天を模している。単純に相棒という理由からきている。
 試作段階で実戦投入は大分先だと思っていたが、ユーグのやり方に腹を立ててしまい、つい使用してしまった。
 
 短い葛藤を終えユーグを見下ろすと、鋭い眼力を向けながら、
「貴様みたいな田舎者が自作魔術など、生意気だぞ!」
 子供みたいな言い草を放ってきた。
 俺は苦笑からすぐに表情を引き締め、先手を打った。
「先に言っておくが、自作魔術を擬似決闘で使用してはいけないなんて項目は、禁書目録には制定されていない」
「……ッ!」
「実技試験の規定項目にも記されていない。与えられた木剣のみで戦えなんてな!」
 反論される前に、追い討ちをかけるように言い放つ。
 ユーグは反論しようとしたが、出来ずに終わった。
 いや、元々反論は出来なかった。ここで反論すれば、彼は自身の行った行為を否定するようなものだから。
 実際、審査員たちは違反判定を下さず、審判は呆然としながら俺を見上げている。
 額に血管を浮かばせ、悔しそうに噛み締めているユーグから意識を外し、展開した両翼と鉤爪に意識を向ける。
 《形状変化・クロー》《形状変化・ウィング》は無事作用しており、背中に宿しておいた《遠隔操作》の魔術構文も正常。まるで、自分自身に羽が生えたように、思うように動く。鉤爪の方は、魔道具の甲斐あって調整がうまくいっている。
 今の所は、特に問題はない。強いて言うなら、己の意志力。
 観客やユーグ、審査員には認識出来ていないだろうが、俺は魔法陣を二つ展開していた。
 一つでも絶大な精神力を削る魔法陣を同時に二つ、更に同時進行で魔術構文を書き加えたんだ。並の魔術師ならば維持するのも困難なのを、彼は強靭な意志で維持している。
 周囲には悟られていないが、カズヤの呼吸はかなり乱れており、かなり汗をかいている。
 ──まだまだ改善点はあるし、修練も足りないな。
 顔を振り汗を払うと、自分の不甲斐なさを猛省する。
「……一撃で終わらせる」
 言うと同時に、両翼を力強く羽ばたかせ、ユーグに向かって急降下する。
「キエアアアアアア────!!」
 覚悟を決めたのか、大型の鳥類を思わせる叫び声。左足の踏み込みに続いて、右肩に担がれていた剣が、斜めの軌道を描いて斬り下ろされる。
「──ハァッ!!」
 短い気合が迸り、右腕の鉤爪が煌めく。
 木剣に炎素の鉤爪が接触すると、豆腐のように糸もたやすく食い込んでいき、難なく切断する。宙を舞う刀身は燃え盛る両翼に呑まれ、一瞬で塵と化した。

 そして、決着が着いた。

 この決闘を見ていた者は全員、一瞬だけ呼吸するのを忘れ、一人の男を見詰めていた。
 平穏な決着から一変、衝撃的な決着を目の当たりにした観客は皆、何が起きたのか分からずにいた。
 上空から降下した竜が、ユーグの木剣を容易く破損し、左腕の鉤爪を喉元に突きつける。
 それまでに及んだ時間は、僅か五秒。
「降参するか、続けるか。選ばせてやるよ」
 しばらくして、
「……こ、降参……だ」
 刀身を焼失した木剣を手放し、両手を上げ、様々な感情が喪失し血の気が消えた顔で呟いた。
「そ、そこまで!」
 衝撃が抜けた審判が、やや遅れて右手を上げ、決闘の終了を宣言する。
 カズヤは、ふぅーっ、と長いため息を吐き、身を翻し階段へ向かう。一段降りてから、炎熱竜鎧を解除する。
 途端、息を呑んで見守っていた観客が、どおっとどよめいた。
 剣と剣を交えての力比べばかりの決闘と違い、前代未聞の自作魔術からの速攻の一撃決着など、そう見られるものではない。
 待機場に戻るカズヤの背中に向けて、盛んに拍手と喝采が浴びせられてくる。
 
 その後カズヤは、サヤとワタルに質問攻め──折檻が七割──を、格安の宿で二時間ほど受けた。
 サヤの手料理を食した後、筆記と魔法陣によって過剰な精神負荷を被ったカズヤは、ベッドで横になるやすぐに意識を失い、深い眠りに落ちた。

 後日、広場の掲示板に貼られた合格番号に、二人の番号が記されていることを確認し、無事合格した。
 風の噂で聞いたのだが、ユーグは擬似決闘での不正が発覚し、不合格になったらしい。
 
 魔術剣修道学園への入学を果たしたカズヤは、光の速さで過ぎていく時間を精一杯謳歌した。学園内での出会いや、未知の知識を会得することに喜び、仲間と共に剣技、魔術を磨いていくことに熱中していた。 
 時折俺は、自分自身の本来の目的を忘れてしまい、今この瞬間を楽しんでいた。長い時間を異世界で過ごしてしまい、今では元の世界での記憶が薄れ始めていた。
 クラスメイトの顔や、先生方の名前。近所に住む人たちの素顔など、日を追うごとに薄れていく。 
 薄情かもしれないが、元の世界よりも充実した毎日の前では、退屈な日常で得た記憶など、意図もたやすく消失してしまう。

 そして俺は、魔術剣修道学園での一年を終えた。
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