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それぞれの道
13.揺れる二人
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ホーリーが最期に残したメッセージ。
そこから数十日分ほど彼女の日常は続き、終わりを迎える。
白紙のページはまだ残っている。
エミリオは一定の速度で何も書かれていない紙面をめくり続けた。
乾いた音が響く。
そうして、全てが無くなったところで裏表紙が中を隠すようにして日記が閉じられた。
残されたのは耳を刺すような静けさ。
日記に書かれた全てを読むためにかかった時間は短くなく、室内は自動灯によって照らされている。相も変わらず開けられたままのカーテンが見せるのは、きらめく町並みと通り過ぎるまばらな人影。
誰も、顔を上げようとしない。
彼らの中には今までに感じたことがないほどに複雑で、吐き気をもよおすような感情が渦巻いている。己以外の人間と目を合わせたとして、何か語ることができるとは思えなかった。
それどころか、混乱のあまり、わけのわからぬことを口走りながらこの家を出て行ってしまうかもしれない。
大切な友人が残した、大切な日記に書かれていたことは、あまりにも衝撃的だった。
冗談として扱うことを許さぬほど真っ直ぐな言葉と、遺書という故人が残した意志という存在。今を生きる人間が背負うには重すぎる。
情報としての重さだけではない。
全てを委ねられた重さ。
自分達の行動一つで、世界が変わってしまうかもしれない。
「……どうする」
目も顔も動かさず、閉じられた日記を見つめたままシオンが問うた。
じっと時が過ぎるのを待てば解決するような問題でもない。必死になって脳を働かせてみたところで、どうにもできないだろう。ホーリーの言葉は信用に足るものだった。何せ、シオンもエミリオもマリユスも、誰も彼もがホーリーの優秀さを知っていた。彼女が人一倍繊細で、感情が豊かであることもよくよく見てきたのだ。
己の頭が足りぬというのであれば、数を増やすしかあるまい。
いくら阿呆でも視点と思考を増やせばアイディアの一つくらいは生まれてくれるだろう。
「どう、って」
マリユスは声を震わせた。彼もやはり顔を動かそうとはしない。
ホーリーの文字が記憶の中をぐるぐると回っている。
意味を噛み砕き、飲み込み、次を考えようとしては思考が止まる。そうして、また一から始まるのだ。混乱のためか、それともホーリーの書いた通り、自身の脳の欠陥か。
現代人であり科学者でしかないマリユスに出せる答えではない。
「選ぶのは、私達だ」
告げたシオンは日記の背をなぞる。
集められた紙束に宿ったホーリーの想い。公表するも破棄するも、託された三人次第。
「世界中に知らせるというのなら、私がしよう。
ツテはいくらでもある」
「ま、待ってよ!」
小難しいことはわからないでも、あるがままを伝えることならばできる。幸いにしてシオンの仕事は人々へ広く情報を伝えることに特化したものだ。
ネットワークが普及しきったこの時代。ホーリーの描いた残酷な真実を世界中が知るのに数時間もかかるまい。
しかし、マリユスはその思考に待ったをかけた。
「これ、これを、皆に伝えて、信じてもらえると、思う?
ううん。たとえ信じたとして、それで、この世界はどうなるの?」
細かな作業ばかりこなしてきた指が力強い拳を握る。葛藤や不安の全てを手に込め、微弱に震わせながら彼は言葉を吐き出す。
ホーリーのことは信頼している。マリユスも自身の体や脳が彼女より劣っていることを認めていた。
だが、全世界に住む何十億人もの人々のうち、何人がホーリーの言葉を信じ、すんなりと受け止めてくれるだろうか。
いくら情緒面が鈍いとは言っても、今の自分達が過去の人類よりも遥かに劣っている、と告げられれば怒りも湧く。既に死したホーリーの身に何か起こることはなくとも、彼女の名誉は大いに傷つけられることだろう。
「信じてもらえるか、なんて、私にはわからない。世界がどうなるのか、も」
俯けていた顔を上げ、シオンは未だ下を向いたままの二人を見る。
「それでも、人類にはまだ成長の余地がある。私達は今からでも変わることができる。
ホーリーが気づいていたかどうかはわからないが、私は、私達は、ホーリーによって変化を得た人間だ」
演説をするかのように胸に拳を当てては手のひらを横に振るう。
何故、ホーリーはシオン達へ意志を託したのか。
付き合いがもっとも長かったから。誰よりも信頼していたから。それも間違いではないだろう。彼女自身、そう思い、日記を残したのかもしれない。
しかし、心の奥底、意識の果て、深層心理の彼方で、一つ、気づいていた、という可能性もある。
シオンを含めた三人は、人生の最も多感な時期をホーリーのすぐ傍で過ごし、影響を受け続けてきた。その結果、彼女達は現代人の特徴から外れたものを持ち始めていた。
他者の気持ちをいわゆる普通の人間よりも強く慮り、子供や取材相手へ対応してみせ、突拍子もないアイディアも柔軟に受け止めて次の工程へと移した。一定幅でしか揺れ動かぬはずの感情はホーリーの不調や死によって限界を超えた場所まで振れる。
どれも周囲の人間とは少しだけ違う。言われなければ気づかぬまま一生涯を終えていたであろう些細な変化ではあったが、三人は人類が今すぐにでも成長することができることを体言していたのだ。
「私達は彼女一人の手によってどれだけ世界の前進を見た?
世界中の人間がホーリーになった時、世界はどこまで行けるのか、私は知りたい」
無意識下での影響がシオン達を変えた。
全てを知り、意識した上での成長であれば、世界を一足飛びに変化させてしまうことだってできるかもしれない。シオンの目には未だ目にしたことのない夢が映っていた。
手を伸ばさずにはいられない。そんな衝動を伴った思いを、かつての人々はロマン、と読んだのだろう。
「でも所詮はホーリーさんの憶測に過ぎない。
たった一人の、何の検証もされてない情報で多くの人を混乱に陥れるなんて!」
マリユスはさらに沈む。
背を丸め、腹に頭を押し込めるようにして蹲る。
そこから数十日分ほど彼女の日常は続き、終わりを迎える。
白紙のページはまだ残っている。
エミリオは一定の速度で何も書かれていない紙面をめくり続けた。
乾いた音が響く。
そうして、全てが無くなったところで裏表紙が中を隠すようにして日記が閉じられた。
残されたのは耳を刺すような静けさ。
日記に書かれた全てを読むためにかかった時間は短くなく、室内は自動灯によって照らされている。相も変わらず開けられたままのカーテンが見せるのは、きらめく町並みと通り過ぎるまばらな人影。
誰も、顔を上げようとしない。
彼らの中には今までに感じたことがないほどに複雑で、吐き気をもよおすような感情が渦巻いている。己以外の人間と目を合わせたとして、何か語ることができるとは思えなかった。
それどころか、混乱のあまり、わけのわからぬことを口走りながらこの家を出て行ってしまうかもしれない。
大切な友人が残した、大切な日記に書かれていたことは、あまりにも衝撃的だった。
冗談として扱うことを許さぬほど真っ直ぐな言葉と、遺書という故人が残した意志という存在。今を生きる人間が背負うには重すぎる。
情報としての重さだけではない。
全てを委ねられた重さ。
自分達の行動一つで、世界が変わってしまうかもしれない。
「……どうする」
目も顔も動かさず、閉じられた日記を見つめたままシオンが問うた。
じっと時が過ぎるのを待てば解決するような問題でもない。必死になって脳を働かせてみたところで、どうにもできないだろう。ホーリーの言葉は信用に足るものだった。何せ、シオンもエミリオもマリユスも、誰も彼もがホーリーの優秀さを知っていた。彼女が人一倍繊細で、感情が豊かであることもよくよく見てきたのだ。
己の頭が足りぬというのであれば、数を増やすしかあるまい。
いくら阿呆でも視点と思考を増やせばアイディアの一つくらいは生まれてくれるだろう。
「どう、って」
マリユスは声を震わせた。彼もやはり顔を動かそうとはしない。
ホーリーの文字が記憶の中をぐるぐると回っている。
意味を噛み砕き、飲み込み、次を考えようとしては思考が止まる。そうして、また一から始まるのだ。混乱のためか、それともホーリーの書いた通り、自身の脳の欠陥か。
現代人であり科学者でしかないマリユスに出せる答えではない。
「選ぶのは、私達だ」
告げたシオンは日記の背をなぞる。
集められた紙束に宿ったホーリーの想い。公表するも破棄するも、託された三人次第。
「世界中に知らせるというのなら、私がしよう。
ツテはいくらでもある」
「ま、待ってよ!」
小難しいことはわからないでも、あるがままを伝えることならばできる。幸いにしてシオンの仕事は人々へ広く情報を伝えることに特化したものだ。
ネットワークが普及しきったこの時代。ホーリーの描いた残酷な真実を世界中が知るのに数時間もかかるまい。
しかし、マリユスはその思考に待ったをかけた。
「これ、これを、皆に伝えて、信じてもらえると、思う?
ううん。たとえ信じたとして、それで、この世界はどうなるの?」
細かな作業ばかりこなしてきた指が力強い拳を握る。葛藤や不安の全てを手に込め、微弱に震わせながら彼は言葉を吐き出す。
ホーリーのことは信頼している。マリユスも自身の体や脳が彼女より劣っていることを認めていた。
だが、全世界に住む何十億人もの人々のうち、何人がホーリーの言葉を信じ、すんなりと受け止めてくれるだろうか。
いくら情緒面が鈍いとは言っても、今の自分達が過去の人類よりも遥かに劣っている、と告げられれば怒りも湧く。既に死したホーリーの身に何か起こることはなくとも、彼女の名誉は大いに傷つけられることだろう。
「信じてもらえるか、なんて、私にはわからない。世界がどうなるのか、も」
俯けていた顔を上げ、シオンは未だ下を向いたままの二人を見る。
「それでも、人類にはまだ成長の余地がある。私達は今からでも変わることができる。
ホーリーが気づいていたかどうかはわからないが、私は、私達は、ホーリーによって変化を得た人間だ」
演説をするかのように胸に拳を当てては手のひらを横に振るう。
何故、ホーリーはシオン達へ意志を託したのか。
付き合いがもっとも長かったから。誰よりも信頼していたから。それも間違いではないだろう。彼女自身、そう思い、日記を残したのかもしれない。
しかし、心の奥底、意識の果て、深層心理の彼方で、一つ、気づいていた、という可能性もある。
シオンを含めた三人は、人生の最も多感な時期をホーリーのすぐ傍で過ごし、影響を受け続けてきた。その結果、彼女達は現代人の特徴から外れたものを持ち始めていた。
他者の気持ちをいわゆる普通の人間よりも強く慮り、子供や取材相手へ対応してみせ、突拍子もないアイディアも柔軟に受け止めて次の工程へと移した。一定幅でしか揺れ動かぬはずの感情はホーリーの不調や死によって限界を超えた場所まで振れる。
どれも周囲の人間とは少しだけ違う。言われなければ気づかぬまま一生涯を終えていたであろう些細な変化ではあったが、三人は人類が今すぐにでも成長することができることを体言していたのだ。
「私達は彼女一人の手によってどれだけ世界の前進を見た?
世界中の人間がホーリーになった時、世界はどこまで行けるのか、私は知りたい」
無意識下での影響がシオン達を変えた。
全てを知り、意識した上での成長であれば、世界を一足飛びに変化させてしまうことだってできるかもしれない。シオンの目には未だ目にしたことのない夢が映っていた。
手を伸ばさずにはいられない。そんな衝動を伴った思いを、かつての人々はロマン、と読んだのだろう。
「でも所詮はホーリーさんの憶測に過ぎない。
たった一人の、何の検証もされてない情報で多くの人を混乱に陥れるなんて!」
マリユスはさらに沈む。
背を丸め、腹に頭を押し込めるようにして蹲る。
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