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修学旅行

2.不安

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 画面に映し出されたノイズ混じりの資料、虫食いの跡がある設計図と脆い建材の一部。それら全てに小さな説明がつけられている。
 考察の結果であったり、何らかの研究の成果であったりするそれらを読み、改めて展示されている物を見ると、初見時とはまた違う印象を受けることがあるのだから不思議なものだ。

「オレ、ライトさんと同じ班で良かったよ?」
「そう?」

 のんびりとしたペースで資料館を後にし、次へ向かう道中、班員の一人がホーリーに言葉をかけた。

「他の班だったらもっと適当だったと思うし、あんなに色々考えることってなかったと思うんだ」

 説明を読み、なるほどな、と感じるだけで終わってしまいそうな時、ホーリーはいつも変わった視点を口にして他の面々の興味を惹いた。
 ただ見ているだけでは生まれなかった発想を貰うことで、彼らは新たな世界を見たような気分になれたのだ。

「私の力かどうかはわからないけど、そう言ってもらえるなら嬉しいよ」
「何言ってるのよ。ホーリーちゃんのおかげに決まってるって!」
「そうそう!」

 ホーリーを中心に四人はべったりと密着し、ケラケラと笑う。
 あくまでも勉学の一環としてこの場にいるのだが、それでも楽しいものは楽しいのだ。わざわざ仏頂面を作る必要もあるまい。

「この調子で次も行こー!」
「おーっ!」

 彼らの宣言の通り、その後も学びのペースは早まることも杜撰ずさんになることもなく、時間をかけてしっかりと学びを得て行った。結果、四人が集合場所へ戻ってきたのは日が暮れ始めてからのことで、その場にいたのは二名の教師だけ。
 予定集合時間には間に合っていたのだが、他の班は既に全員が帰還しており、残り時間まで一時の自由行動を与えられたらしい。
 ホーリー達の班は予定時間ギリギリの帰還となってしまい、散策の時間を得ることはできなかった。だが、非常に真面目かつ真摯に学習を行っていた彼らを教師達は大そう褒めてくれた。

「では、ホーリーさんはここで一時睡眠をとってください」

 移動開始時間には生徒全員が再度集まり、工場へと移動する。最新機器を見ることができる、と興奮気味の友人達を横目にホーリーはライノに連れられて別室へ誘導されていく。
 時刻は午後九時を過ぎており、いつもより多少早いが、日中の移動続きに体が疲れていたこともあって、ホーリーの足元には睡魔が漂い始めていた。

「はい」

 落ちつつある瞼を押し留め、ホーリーは床を見る。

 本当は嫌だ、と言いたかった。
 一人、生徒達の列から離されていく寂しさが胸を蝕んでやまない。
 楽しげに言葉を交わし、これから見るであろうものに心を躍らせる友人達の姿が目に焼きついて離れないのだ。

 ホーリーが再度彼らと合流するのは、全てが終わった後になる。見学をし、特別に建てられた建築物を楽しみ、意見の交換を終えて朝食を食べる段階になってからのことだ。
 きっと、皆は美味しい食事に舌鼓を打ちつつ、見たばかりのものについて楽しげに話すのだろう。
 ぽつりと会話についてゆけぬホーリーを置いて。

「……おやすみなさい」
「はい。ごゆっくり」

 バタン、と無機質な音を立てて扉が閉まる。
 無常なそれは、ホーリーを隔絶するかのようだ。

 一人きりになった室内をホーリーはさらりと見渡す。
 普段は職員の待機用として使用されているのだろう。簡素な机と椅子、ソファ。ポットに誰かが持ち込んだのであろうお菓子やお茶。
 人の気配は残っているものの、日常的な生活感があるはずもなく、一夜を過ごすにはあまりにも寂しい。

 今夜のベッドはふわりとしたソファ。掛け布団は大きめのバスタオルが数枚。自宅にあるベッドを思えば何と粗末なことだろうか。
 病院や所謂大人のホテルへ行けばベッドはあるのだが、健康体の未成年ではどちらも利用することができない。

 眠るという特殊体質を理由に修学旅行への参加を禁止されなかったことは幸運であるし、常に利用している部屋でないとはいえ、生徒一人に一室を提供してくれた工場側の温情でもある。
 人々の優しさにホーリーは感謝しなければいけない。また、彼女はしっかりとその気持ちを抱いていた。

 それでも、寂しさというものを拭いきることはできないのだ。
 ソファは体を優しく受け止めてくれる弾力を有しているものの眠るには狭く、室内の温度が暖かく保たれているとはいえバスタオルを掛け布団とするには心もとない。

 疎外感。
 ここにいるべき人間ではない、という思いがホーリーの胸を占める。
 人々は眠らず、寝具を必要としていない。彼女の人生に必要不可欠である物は、他の人類にとって不要なものであることをこの部屋は否応なしに教えてくれるのだ。

「……家に、帰りたい、なぁ」

 室内の電気を消し、ソファへ横たわり、胸元にかけたバスタオルの端を握り締めて顔を隠すようにしながらホーリーは呟く。
 ホームシックという言葉でさえ生易しい。家という、自身のテリトリーへの帰還を彼女は渇望していた。

 自宅に帰りさえすれば、広く暖かなベッドが自分を迎え入れてくれる。
 それがどれだけ恵まれていたのか。ホーリーは今になって強く実感していた。

 物心ついたときから身近にあった寝具という存在は、あって当然のものではないのだ。頭ではわかっていたが、心身に迫る形ではそのことを理解できていなかった。
 起きているときとも、ベッドに入って眠るときとも違う不安と寂しさが今のホーリーの心に到来している。抗うことのできぬ冷たい感覚に彼女は鼻をすすることしかできない。

 友人達が楽しさとほんのひと匙、人生の役に立つかどうかもわからぬ知識を得ている中、彼女だけは一生涯に渡るものを知り、その身に宿していた。

「おはよー」

 翌朝、浅い眠りから目を覚まし、身支度を済ませてから友人達と合流し、用意された朝食の前に座る。
 食べ盛りの子供達にあわせたのか、肉をメインとした食べごたえのあるメニューが並んでいた。作りたてのそれらは栄養のバランスもしっかりと考えられており、とても美味しそうだ。
 これが昼食、もしくは夕食であればホーリーも歓喜の声を上げただろう。

「大丈夫?」
「……うん」

 隣の席に座っているクラスメイトに声をかけられ、鈍く言葉を返す。
 好き嫌いはない。食事も美味しそうだ。しかし、寝起きの胃には辛い。

 周囲へ目をやれば、男女問わず重い食事を喜び、次々に口の中へと放り込んでいる。
 こんなところでも、眠る眠らないというのは影響してくるのか。ホーリーはげっそりとした気分を心の片隅に押し込め、食事に手をつけはじめた。

 睡眠時間は十分であったはずだが、慣れぬ場所、寝具といえぬベッドにより脳は上手く休むことができなかったらしい。どこか重たい体に巡りの悪い思考。目の奥はずんと重く、もう少し、あと少しだけ眠りを欲している。

「さっきの建築機すごかったな!」
「オレ達が住んでる家もあんな風にできたんだな」

 近くから、遠くから、ホーリーの耳に楽しげな会話が入り込む。
 現代の建築に人が介入することは殆どない。設計から実際の建築まで全て機械がこなしてくれる。人間が関わるところといえば、出来栄えの最終チェックと機械のメンテナンス程度のものだ。

 この工場で作られている最新機器というのは子供から見ても素晴らしいものであったらしく、生徒達の要望を大まかにまとめた小さな一軒家が数時間のうちに完成してしまったそうだ。
 工程を見終えた後は順番に室内を見て周り、自分ならばどのようなレイアウトを作るか、ということを相談していたらしい。今もその話題を引きずり、楽しげに話している声が多数見受けられた。

 もそり、とホーリーは食事を進めていく。
 建築の間、一人きりで眠っていた彼女は話に入ることができない。

 どのような光景だったのかを問えば、皆快く答えてくれるのだろうけれど、そんな気分でもなかった。むしろ、何も聞きたくない。自分が眠りに落ちていた間、他の人間がどのように生き、生活しているのかなど。
 普段であれば知的好奇心やわずかな痛みで受け流せる言葉が、事実が、鋭い刃のように感じられてならなかった。

「よっ」
「……エミリオ君」

 肩を叩かれ振り返れば、エミリオがおかわりをしたのであろう皿を片手に立っている。

「具合悪そうだけど、先生に言うか?」
「ん。大丈夫」
「そうは見えねぇけど」

 彼の言葉は正しい。
 本音を言ってしまえるのであれば、修学旅行など早々に取りやめ、家に帰ってベッドにもぐりこみたい気持ちでいっぱいだ。心も体も不調を訴えて耳障りですらある。

「後は自由行動だし、ゆっくりしてろよ」
「うん。ありがとう」

 周囲の者達が気づかぬ中、エミリオだけはホーリーの不調に気づいてくれた。
 友人よりも近い距離で短くない時間を過ごしてきたからこそ、普段と比較すると彼女の瞼が半分落ちかかっていることも、声に気だるさが混じっていることも知ることができる。

 優しい彼の言葉と行為にホーリーは心臓の辺りがきゅうきゅうと音を立てるのを感じていた。
 察しが悪く、粗野である面も多く見られるエミリオだが、長く付き合えば暖かな心配りができる人間なのだ。

「あとさ、帰ったら話があんだけど」
「うん」

 ゆえに、ホーリーは彼が何を話そうとしているのか、何となくではあるけれど予想がついていた。
 皆で楽しく過ごし、終えるはずの修学旅行中に言わぬことこそ、彼の優しさだ。
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