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初めての学校生活
4.自宅にて
しおりを挟む「ただいま!」
「おかえりなさい」
昼を過ぎる前に帰宅したホーリーを迎えてくれたのは、彼女の初登校に合わせて休みをとって家で待っていてくれた母だった。
ホーリーにとっては生まれて始めての学校だ。何も起こらないとは思いつつ、不測の事態に備えておくにこしたことはないだろう、と夫婦、医者、学者の意見は一致していた。
「学校はどうだった?」
家を出た時よりも明るい声色を聞けば答えは明白であるが、マリーはあえて問いかけた。きっと、ホーリーはこの質問を待ち、答えを言いたくてうずうずしているはずだ。
「楽しかった!」
制服を脱ぎながら彼女は答える。
この場に父がいれば部屋で着替えを行っただろうけれど、今は母がいるだけ。一分一秒という時間が惜しい今、わざわざ自室へ移動する選択肢は無いも同然であった。
「みんなと友達になってね、色んな話をしたの。
カラオケとか、テーマパークとか、近くでオススメのお菓子屋さんとか!」
病院の中で育ってきたとはいえ、軟禁されていたわけではなく、父や母と娯楽施設へ赴いたことは何度もある。ただ、共に楽しみ、思い出を共有する友達がいなかっただけだ。
両親と食べたクレープが不味かったとは言わない。ジェットコースターがつまらなかったとは言わない。
しかし、友人と食べる下校時のクレープの味は格別だろうし、同じ熱量で園内を走り回れる友人がいれば遊園地はもっともっと楽しいものになるはずだ。
「今度、一緒にカラオケに行こうって約束もしたの!」
「あらあら。さっそく遊びの約束?」
「ちゃんと寝る時間には帰ってくるよ」
「当然でしょ」
睡眠の必要がなく、学校や門限というものを加味しなければ延々と遊び続けることができる友人達と違い、ホーリーは休息の時間が必要不可欠となっていた。
ある程度であれば我慢も利くが、一定時間を越えれば強制的に眠りに落ちてしまうし、そうでなくとも体にあらゆる不調が出てくる。
そうなった場合、困るのはホーリー自身だ。
睡眠に入った場所によっては風邪をひいたり、体を痛めたりすることもある。寝不足からの不調で重篤な病気にかかってしまう事だってありうるのだ。いくら周りと遊びたいからといって、自身の体を蔑ろにすることは許されない。
「ちゃんと帰ってくる時間が守れるなら、お母さんは何も言わないわよ」
「やった!」
ホーリーは軽くその場で跳ね、ウサギのように喜びを表現する。
「こら。跳ね回る前に制服、ちゃんと干しなさい」
「はぁい」
母からのお叱りにホーリーは跳ねさせていた足を止め、椅子にかけていた制服をハンガーへかけ、下着姿のままで自室へと戻っていった。
脱いだ制服の代わりに彼女が着たのは、肌触りのいい薄黄色のシャツと青いズボンだ。病院から家へ住み替えるにあたり、彼女はかつての服を全て処分していた。
嫌な思い出があるというわけではないのだが、ようやく家族で暮らすことができるようになったというのに、それ以前の、少し寂しいあの時間を過ごしてきた服を持ち込むのは何となく嫌だったのだ。
「みんな良い人ばっかりでさ」
私服に着替えたホーリーは改めてリビングに戻り、母の座るソファへと腰掛ける。
「私のことも受け入れてくれて、友達だって言ってくれたの」
座った人間にあわせ、最も快適な形と硬さに変化する昔ながらのソファは二人を優しく包み込む。
「すっごい質問攻めはちょっと疲れちゃったけどね」
ふぅ、と息を吐いてみせるが、出された空気に疲労の色は見えない。
どちらかといえば、自慢げな様子で、マリーは小さく噴出してしまう。
育った環境のためか、眠りのためか、歳不相応な成熟さを持っているとばかり思っていた我が子が見せる子供らしさに優しげな笑みだけを保つことなどできるはずがなかった。
「あ! 何で笑うの!」
「ううん。いいの、いいの。
ほら、続けて?」
「私が良くないの!」
頬を軽く膨らませ、不満を露にする顔もまた可愛らしく、とうとうマリーは声を出して笑ってしまう。
「お母さん!」
「ごめんごめん」
眉を上げて怒りを見せるホーリーに謝罪をいれ、再度、話の続きを促す。
顔から笑みが消えていないマリーへ何か言いたげな顔をした彼女であったが、今日のことを話したい気持ちが勝ったらしく、文句はひとまず喉の奥へと飲み込まれていった。
「みんな一斉に色々聞いてくるから、何を言ってるのかぜーんぜんわかんなかったの。
でも、マリユス君って子がみんなにダメだよ、って。一気に話したって答えられないよ、ってみんなを止めてくれたの」
快晴の瞳にうっすらと靄がかかる。
今にも目元に赤みを浮かべそうなホーリーへ、母は意地悪気な声で問いかけを投げた。
「マリユス君はイケメンだった?」
「うん! 格好良い人だよ!」
「良かったじゃない。
ちゃんとゲットするのよ」
「お母さん!」
ホーリーはやや声を荒げて母へ抗議の思いをぶつける。
確かにマリユスは端整な顔をしており、困っているところを颯爽と助けにくるという、童話の中の王子様のようなシチュエーションを思い返せば惚れ惚れしてしまっていたが、そんなつもりで話に出したわけではないのだ。
他者の恋を突きたいという気持ちがわからないホーリーではないけれど、自分が対象になるというのならば話はまた変わってくる。
まして、助けてくれた心優しい男を、彼にここでの話が伝わるわけではないのとしても、勝手な妄想に巻き込み、揶揄されるのは申し訳がたたない。
「マリユス君は私のことそんな目で見てないよ」
彼の人となりをよく知っているわけではないけれど、あの性格と容姿だ。女の子の方が放っておかないだろう。
今日だけでも何人の女の子からハートが浮かんでいたことか。
選ぶことのできる立場にあるマリユスが、わざわざホーリーを選ぶ理由はない。
より可愛らしく、頭もよく、普通の、眠らぬ子を彼は恋人にすることができるのだ。
「馬鹿ねぇ。今は見てなくても、将来はわからないでしょ?
良い男は早めに捕まえておかないと他の子に取られちゃうんだから、チャンスがあればいきなさい」
「もー、マリユス君は私の所有物じゃないんだよ!」
ホーリーは軽く母の肩を平手で叩く。
大した痛みも衝撃もない戯れに、マリーは微笑みを浮かべながら話の続きを促した。
このままマリユス君とやらの話で盛り上がるのも悪くはないのだけれど、娘のことをまだ恋も愛も知らぬ歳の幼子だと思っている夫がふと脳裏を過ぎる。
マリーは娘が彼氏を連れてくる日を楽しみにしているのだが、今はまだ、家族団欒を満喫するのも悪くない。
早速、学校で友達もでき、遊びに行く約束もしているのだ。ここに恋人との時間が加わり、家族の時間が減ってしまうのは惜しいものがある。
「何の話からマリユス君の話になったんだっけ」
「質問攻めされたって話よ」
「そうそう!」
ころりと怒りの表情を笑みに変え、ホーリーは話したいと考えていた事柄を口にしていく。
「私への質問は休憩時間ごとに一つ、順番にしようってことになったの」
順番はランダムで数を振り分けてくれるアプリを利用した。
学校は八時間授業だ。休み時間は七回。一週間もしないうちにクラス全員の質問に答えることができる。
聞いてみたかったことを別の誰かが先に聞いてしまっており、特に質問がなくなってしまった場合はパスの使用も可能、との決まりごともあるのだが、果たしてその権利を行使する者が現れるのだろうか。
二週目、三週目も同じ順番で回すという約束事が成立していることに彼女は気づいていない。
「嬉しいな。みんなが私と話したい、って思ってくれてるなんて」
唯一の、という言葉が悪い方向に流れなくて良かった。
社会というものとの関わりが薄かったとはいえ、外へ出たときの風景や本を通し、ホーリーは人間関係というものの大切さをよく知っていた。
時として、人は人を脅かす。
「怖いって気持ちが吹き飛んじゃったの!」
両手を挙げ、悪い気持ちが全て吹き飛んだことを体全体でホーリーはアピールする。
「あなたは繊細な子だから、私もお父さんも心配してたの」
柔らかな金の髪を撫でる母の瞳は慈愛の色で満ちていた。
話の内容も、それを表現する子供っぽい仕草も、全てが愛おしい。ホーリーが自らの傍に在り、この世界に溶け込んでいっている証拠だ。
「もう学校なんて行かない! なんて言い出したらどうしようかと」
「言わないよ! 駄々をこねるような歳じゃないし!」
口をへの字にしてホーリーは反論する。
すぐムキになってそのような顔をしてしまうところが子供なのだ、という思いはマリーの胸の内側にそっと沈められた。
代わりに指で軽くホーリーの額を突いてやる。
嗜めるようなその行動に、彼女はさらに顔をむくれさせた。
「もぉ……」
「私の可愛い可愛い子供だから心配してるのよ」
「可愛い可愛いお母さんの子だから、学校が嫌になったりしないよ」
「それもそうね」
二人は顔を見合わせ、額をつけて小さく笑いあう。
カーテンが開けられた窓からは暖かな日差しが入り込んでおり、家族の空間を静かに包み込んでくれている。
ここは彼女達の家だ。帰る時間を気にかけることなく、意味のない話をだらだらと続けながら父の帰りを待つことを許された幸せで、求め続けた居場所だ。
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