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眠る赤ん坊
6.離れた暮らし
しおりを挟むホーリーを病院に預けることを決意して以来、マリーは自宅と病院、あるいは職場と病院を行き来する生活を始めた。
ボリスが家事を手伝ってくれていることや、理解ある職場が勤務時間に都合をつけてくれたおかげで、大変ながらも殆ど毎日、彼女は娘と面会することができていた。
日に数時間程度の顔合わせであるが、ホーリーは母のことを忘れることなく、面会のたびに嬉しそうな笑顔を見せてくれる。
医者や学者の人達にも良くしてもらっているようで、時には睡眠時の撮影データやマリーが持ってきた玩具で遊ぶ動画などを見せてもらえることもあった。
「あー、かー、うぅー」
「はぁい。どうしたの?」
休息の時間によって体を動かす時間が短い分、体の成長は遅れているけれど、代わりに長く生きることができるかもしれない。そんな話をマリーが聞いたのは、ホーリーを預けてから数ヶ月ほど経った日のことだった。
現在は五十を過ぎれば大往生と言われているけれど、かつては八十、九十まで生きた人間も大勢いたらしい。
眠る必要がなくなった今の人間の方が、結局のところ生きている間、長く活動できているのだが、それでも自身の娘が長い年月を生きると言われれば嬉しいものがある。
周囲が死に、自分だけが生きる悲しみもあるだろうけれど、生きていれば楽しいことも嬉しいこともたくさんあるはずなのだから。
「今日は絵本を読みましょうね」
就学前までは知能の面に関してもホーリーは遅れが出るだろうと言われている。反復と聞き取りを持って赤ん坊は物事を学習するのだ。意識のない時間を持つ彼女が他の赤ん坊達と同じように成長することは難しい。
しかし、それも小学生になれば変わってくるだろう、というのが学者達の見解だ。
成長し、短時間、複数回の眠りを必要としなくなれば、学力も充分に追いつくことが可能だと言う。そのための授業カリキュラムを考え、それにそった一日を過ごす必要はあるだろうけれど。
「か、さん」
時間は流れ、ホーリーはたどたどしいながらに言葉を覚える。
「なんで、おかあさんとわたしはいっしょのおうちにいないの?」
「……あなたのためなのよ」
絵本や外出を通し、知識を得た。
情緒が安定せず、夜中に泣き出してしまうようになったのもこの辺りのことだ。
「ねえ、私は小学校に行かなくていいの?」
「いつかきっと行く日が来るわ」
「そうかなぁ」
結局、そんな日はやってこなかった。
睡眠という枷があり、他の子供達と比べれば未成熟な体を持つホーリーを普通の小学校に通わせることはできなかったのだ。
彼女は適切に分割され、調整された授業を病院内で受けることで小学校で学ぶ全てを知った。
けれど、そこに集団生活の方法や遠足、修学旅行といった行事は含まれていない。睡眠時間や休息の時間を工面する都合により、一日における学習時間が他の子供達よりも短かったツケは大きい。
ホーリーはいつも同年代の子供達が行事に勤しんでいる間も勉強を続けていた。
「学校か」
成長し、母がおらずとも外を出歩く許可を貰えるようになったホーリーは、同年代の子供が全くいない病院の庭先でため息をつく。
本や動画では知っているけれど、実際の学校とは、行事とは、彼女にとって未知の世界だ。
同い年の子供達と同じ教室で同じ授業を受ける。
時々悪戯をしてみたり、遊んだり。
両親が傍にいないことで寂しさを強く感じていたホーリーは、友人というものへ強い憧れを抱いていた。
学校が休みの日に外へ出れば、遊び相手となってくれる子達もいるが、彼らを友達と呼ぶにはいささか関わりが少なすぎる。
来年は、来年はと期待しては学校へ行けぬまま、小学校の六年間が終わりを告げた。
「ホーリーさん。
キミは退院できます」
「え?」
父親よりもずっと長く顔を突き合わせてきた医者の言葉にホーリーは目を丸くする。今の今まで、聞いたこともなかった言葉だ。
「来月からキミはご両親と一緒に暮らせるようになりました。
中学校にも、通えます。
ただ、学校はこちらで指定させてもらうけどね」
幼い彼女へ全てが伝えられることはなかったが、ホーリーが今後、現代社会へ適応していくためにも、学校生活というものは避けて通れなかった。
眠る彼女と眠らぬ人々。
同じ空間で生活するには困難や戸惑いもあるだろう。しかし、それらを少しずつ乗り越えてゆかなければ、成人した時に困るのはホーリーだ。
幸い、彼女の学力は問題がないどころか、同世代の子供達の平均値から考えるとかなり上位に位置している。寝不足等で授業時間を減らす日が出たとしても、予習復習を行えば問題なく周囲についていけるだろう、という判断がなされていた。
「今までよく頑張ったね。
月に一度の検査は受けてもらわないといけないけど、これからは普通の子達と同じように過ごして大丈夫だから」
「本当?」
「勿論。嘘はつかないよ」
女性の成長は早く、成熟しているとは言い切れぬものの、中学生ともなれば睡眠時間にも融通が利くようになる。また、自分自身で睡眠の調整や早退などの判断もできるようになる。
周囲のサポートから徐々に自立するためにも、今が最適の時期なのだ。
彼女の睡眠時間確保のため、ライト一家には指定中学校の近くに引越しをしてもらうこととなったが、費用は国が負担してくれている。
既に教師達にも話は通しており、ホーリーを受け入れる準備は万全だ。
世界唯一の眠る子。
ホーリーにこれ以上の精神的負担を強いぬよう、医者達や国が手を回していること、両親が奔走していることは言葉として紡がれることはない。
子供は子供らしく、無邪気に喜んでいればいい。
本来ならばホーリーのような子供は、余計な苦労や悩みに囚われることなく遊ぶもの。重苦しいモノなど、周囲の大人達だけが背負えばいい話だ。
「一緒に住んだら、一緒に寝たりもできる?」
「横で寝転ぶくらいなら、ね。
でも、ホーリーさんくらいの歳だと少し恥ずかしいかもしれないよ」
「知らない! そんなの、しーらないっ!」
満面の笑みを浮かべた彼女は、胸が躍るままに体を動かす。
母とは毎日、父とも週に一度は顔を合わせ、共に暮らせる日を待ち続けていた。それが今、叶うというのだ。自身の現状を受け入れ、達観したような目をすることもあるホーリーとはいえ、この時ばかりは歳相応の子供に戻ってしまう。
ふわふわの抱き枕ではなく、暖かい母の隣で眠りたい。
休みの日に父と共にのんびりとテレビでも眺め、アイスの一つでも買いに行きたい。
望む未来も夢も山のようにある。
こうしてホーリーは念願叶い、両親と共に暮らし、学校に通えるようになったのだ。
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