7 / 8
7 学びのために、それを手に
しおりを挟む
「……江崎さんとはいとこなんだ。でもそういう関係を学校で持ち出すのは不味くて、とはいえ教師を有効に使うのが生徒ってものでしょ? だからひそかに生徒の間で噂になっていたヤマびこ教科書を見つけだして、勉強を教えてもらうのに使っていたんだ」
北館四階――四階半。
屋上に続く扉前の小さなスペースには机と椅子の一式とそこに座る男子生徒。
加瀬は、入れ替えた俺の教科書をぺらぺらとめくりながら語る。
「ヤマを教えてくれる教科書なんてのは眉唾だったよ。やまびこのように、二つで一組の教科書の間で互いの言葉を運んでくれるだけ。しかも会話可能な距離は短くて、学校内くらいじゃないと使えない。糸電話みたいな教科書で、電話の劣化版でしかなかったんだ……どういう仕組みかは知らないけどね」
親戚。教師の有効利用。
おかしな噂が立たないように指導を受けていた彼はつまるところ、教科書が消えた時点ですべてを予想していたらしい。
こうして、犯人が教科書を手に戻ってくるところまで。
「江崎さんは生徒を先導して教え導くタイプじゃない。淡々と、けれどいざという時に生徒を拾い上げる支え、セーフティーネットみたいな在り方をしてる教師なんだ。だから、突っ張った生徒ほど救われる。心の中にいろんなもんを抱えた、失敗した生徒が相手であるほど言葉が届く。例えば、いじめにあって、先生に守ってもらえなかった生徒とか」
「実感がこもってないか?」
声音ににじむものを覆い隠すように鼻で笑えば、加瀬は苛立つほどに大仰に肩をすくめてみせた。
「まさか。僕はいじめられないよ。いじめは当人がいじめと思った瞬間に定義される。つまり、やられたらやり返すことを主義としている僕は、いじめっていう一方的な関係にはなりえないんだよ」
「そういうのを突っ張ってるっていうんじゃないか?」
「さてね。少なくとも僕は彼女に救われはしない。けれど確かに救われる生徒もいるってだけの話だよ。……いい教師なんだろうね」
その言葉を紡ぐ口をふさぐように教科書を返そうとして、けれど加瀬は路傍の石でも見るような目を向けるばかりで一向に手を伸ばしてこない。
「何してるんだよ」
「君が持っておけばいい」
「……何を言ってるんだ」
ただ、相手のものを返すだけ。
それなのに気づけば押し付け合いのようになっていて、教科書を中心に押し合いへし合いが展開する。
「僕にはさほど価値はないんだよ。言ったでしょ、それは電話の劣化品なんだって。教師の手持ちの教科書とつながっているだけの物でしかないよ」
「そのつながりで教師を有効に使うためにわざわざどっかから見つけ出してきたんじゃないのかよ」
それに、価値が無いなんて大嘘だ。この教科書には確かな価値がある。それは乾いた土地に降る慈雨であり、都会の夜空にひっそりと輝く星のように見つけにくいものだ。
ぐい、と思ったよりもずっと強い力で押し付けられる。
帰宅部だという話だったはずなのに、バスケ部の俺よりも力があるってどういうことなのか。
鋭い目。そこには怒りはなく、蔑みはなく、哀れみはなく。
ただ事実だけを見据える冷静な瞳が俺を映していた。
「君が持っておきなよ。……何しろ僕は、失敗なんてしないし、今後するつもりもないからね」
「俺だって失敗する予定なんてねぇよ」
「物理、不味いんでしょ?」
ぐ。
それを言われると言い返しにくい。
ここ二日ほど全くと言っていいほど勉強に身が入っていなくて、おかげで試験勉強が進んでいない。
そして、この教科書があれば江崎先生から個別指導が受けられる。授業中には眠くて仕方なかった淡々とした声音で、けれどおそらくはもう二度と眠くはならないだろう彼女に特別に教えてもらえる。
いや、いつだって学ぶのは俺自身で、彼女は補助、自分は支えでしかないと言い張るのだろうけれど。
強固な姿勢に折れて見せたように肩をすくめながら教科書を片腕に抱く。
やけに固く抱え込んだ手は、もう二度と離さないと言いたげで。
何より、そうあるべきとでもいうように、パズルのピースがはまるような感覚があった。
「さっさと勉強に戻ったら? あと一日、まずは頑張ってみなよ」
「言われなくてもやってやるさ……悪かったな」
背を向けたまま、言い捨てるようにぼそりと告げて階段を下りる。
「やっぱり突っ張ってるなぁ」
チッ、いけ好かない奴だ。
呆れた声音が聞こえてきた気がしたけれどぐっと我慢して、勉強スペースを探しに廊下を歩き出す。
――あと一日でどこまで足掻けるか。
北館四階――四階半。
屋上に続く扉前の小さなスペースには机と椅子の一式とそこに座る男子生徒。
加瀬は、入れ替えた俺の教科書をぺらぺらとめくりながら語る。
「ヤマを教えてくれる教科書なんてのは眉唾だったよ。やまびこのように、二つで一組の教科書の間で互いの言葉を運んでくれるだけ。しかも会話可能な距離は短くて、学校内くらいじゃないと使えない。糸電話みたいな教科書で、電話の劣化版でしかなかったんだ……どういう仕組みかは知らないけどね」
親戚。教師の有効利用。
おかしな噂が立たないように指導を受けていた彼はつまるところ、教科書が消えた時点ですべてを予想していたらしい。
こうして、犯人が教科書を手に戻ってくるところまで。
「江崎さんは生徒を先導して教え導くタイプじゃない。淡々と、けれどいざという時に生徒を拾い上げる支え、セーフティーネットみたいな在り方をしてる教師なんだ。だから、突っ張った生徒ほど救われる。心の中にいろんなもんを抱えた、失敗した生徒が相手であるほど言葉が届く。例えば、いじめにあって、先生に守ってもらえなかった生徒とか」
「実感がこもってないか?」
声音ににじむものを覆い隠すように鼻で笑えば、加瀬は苛立つほどに大仰に肩をすくめてみせた。
「まさか。僕はいじめられないよ。いじめは当人がいじめと思った瞬間に定義される。つまり、やられたらやり返すことを主義としている僕は、いじめっていう一方的な関係にはなりえないんだよ」
「そういうのを突っ張ってるっていうんじゃないか?」
「さてね。少なくとも僕は彼女に救われはしない。けれど確かに救われる生徒もいるってだけの話だよ。……いい教師なんだろうね」
その言葉を紡ぐ口をふさぐように教科書を返そうとして、けれど加瀬は路傍の石でも見るような目を向けるばかりで一向に手を伸ばしてこない。
「何してるんだよ」
「君が持っておけばいい」
「……何を言ってるんだ」
ただ、相手のものを返すだけ。
それなのに気づけば押し付け合いのようになっていて、教科書を中心に押し合いへし合いが展開する。
「僕にはさほど価値はないんだよ。言ったでしょ、それは電話の劣化品なんだって。教師の手持ちの教科書とつながっているだけの物でしかないよ」
「そのつながりで教師を有効に使うためにわざわざどっかから見つけ出してきたんじゃないのかよ」
それに、価値が無いなんて大嘘だ。この教科書には確かな価値がある。それは乾いた土地に降る慈雨であり、都会の夜空にひっそりと輝く星のように見つけにくいものだ。
ぐい、と思ったよりもずっと強い力で押し付けられる。
帰宅部だという話だったはずなのに、バスケ部の俺よりも力があるってどういうことなのか。
鋭い目。そこには怒りはなく、蔑みはなく、哀れみはなく。
ただ事実だけを見据える冷静な瞳が俺を映していた。
「君が持っておきなよ。……何しろ僕は、失敗なんてしないし、今後するつもりもないからね」
「俺だって失敗する予定なんてねぇよ」
「物理、不味いんでしょ?」
ぐ。
それを言われると言い返しにくい。
ここ二日ほど全くと言っていいほど勉強に身が入っていなくて、おかげで試験勉強が進んでいない。
そして、この教科書があれば江崎先生から個別指導が受けられる。授業中には眠くて仕方なかった淡々とした声音で、けれどおそらくはもう二度と眠くはならないだろう彼女に特別に教えてもらえる。
いや、いつだって学ぶのは俺自身で、彼女は補助、自分は支えでしかないと言い張るのだろうけれど。
強固な姿勢に折れて見せたように肩をすくめながら教科書を片腕に抱く。
やけに固く抱え込んだ手は、もう二度と離さないと言いたげで。
何より、そうあるべきとでもいうように、パズルのピースがはまるような感覚があった。
「さっさと勉強に戻ったら? あと一日、まずは頑張ってみなよ」
「言われなくてもやってやるさ……悪かったな」
背を向けたまま、言い捨てるようにぼそりと告げて階段を下りる。
「やっぱり突っ張ってるなぁ」
チッ、いけ好かない奴だ。
呆れた声音が聞こえてきた気がしたけれどぐっと我慢して、勉強スペースを探しに廊下を歩き出す。
――あと一日でどこまで足掻けるか。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
星空マーチ
こががが
青春
夏の夕暮れ、花火大会の会場で偶然再会した二人。
久しぶりに会った同級生・草間悠馬と、桜雫(さくらな)愛――通称「いあ」。
人混み、少し歩きにくいサンダル、夜空に広がるドローンショーの噂。
懐かしい会話を交わしながら、二人は花火が始まるのを待っていた。
恋の話、音楽の話、部活の話。
全てが何気ない日常。
誰かを想う気持ちと、前に進む勇気が交差する、夏の一日。
花火が打ち上がる前、
彼女はひとつの決断を胸に抱く――。
音楽と友情、そして少しだけ大人になる瞬間を描いた、ひと夏の青春ストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる