契約妃は隠れた魔法使い

雨足怜

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27アヴァロンとエインワーズ

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 護衛たちを入り口で控えさせ、庭園へと足を踏み入れる。
 今日も花々は美しく咲き誇り、甘い――甘すぎる香りを振りまいている。
 風が吹くたびに花々から立ち上る、むせかえりそうな匂い。
 口元に手を当て、思わず眉根に力を籠めつつ、私は庭園を眺める。

 誰かが庭園を使っている様子はなかった。
 使用しているのであれば、園の入り口に使用人を置くのが普通だからだ。

 そこまで考えて、スミレの乙女は入り口に誰も置いていなかったことを思い出し、逡巡の末に庭園の中へと一歩を踏み出した。

 朝露にきらめく青々とした葉の中、月下美人のつぼみが開こうとしていた。その高貴な姿は、どこかスミレの乙女を思わせた。

 いや、やはりスミレの乙女には、素朴な野花が似合うだろうか。スミレは、今の季節には無いか。小さくも美しく咲き誇る可憐な花。人の手によって改良されていない、無垢な、小さな花弁。

 だが、手足のように精霊を動かすあの立ち居振る舞いには、私にさえ出しえない高貴と色香があった。
 騎士たちもまたそれに飲まれていたのだから。

「……いない、か」

 庭園は静かだった。
 心地よい微風が吹き抜けるそこには、会話の音一つしない。

 ガゼボへと向かう入り組んだ道を行きながら、少しでも早く彼女がいるかと確認しようと背伸びをしてみる。だが、背の高い薔薇棚に遮られて向こうが見えない。
 庭師に棚を下げるように言っておくべきか。いや、だが人目につかないことによって落ち着いた空間が作れているということも……もどかしさを感じながら、足早にアーチをくぐり、ガゼボの方へと曲って。

 私がその道へと出ると同時に、はるか先、通路の奥を曲がる一つの影が見えた。
 直感的に、彼女だと思った。
 根拠などなく、ただ確信だけがあった。

「スミレの乙女!」

 気づけば、私は走り出していた。
 急な疾走に筋肉が悲鳴を上げる。まだ体は目覚めてないとでもいうのか、足が沼地を踏みしめているような、そんな抵抗感があった。
 それでもすぐに体は温まり、耳元で風が強く鳴る。

 これだけ全身全霊で走ったのはいつぶりのことだろう。
 戦いのときにも確かに走るが、これほど後先考えない疾走をした記憶など久しくない。

「アヴァロン!」

 どこか怒りをはらんだ声が聞こえた。それは、エインの声。
 しかもあろうことか、彼はガゼボに座っていた。彼だけが、そこにいた。

 反対のベンチを見る。そこには誰もいない。だが、誰かが居たように思われるのは、私の気のせいか?
 先ほど見た影がエインところから走り去っていったように思うのは、私の気のせいか?

 エインが、私を見る。その顔にある苦悩に、怒りに、スミレの乙女のそれが重なる。

 改めてエインの対面を見て、思う。

 もしや、そこにスミレの乙女が座っていたのか?
 お前と、密会をしていたのか?
 愛する婚約者がいるお前が?
 そもそも、お前はどうしてそんな目で私を見ている?
 私は、今はただスミレの乙女の顔を見ることができればいいのだ。
 ただ、それだけで――

 エインを横目に、庭園を走り抜ける。
 まっすぐに、彼女が消えた、薔薇棚の先へ。

 曲がり角。
 この先に、彼女はいるはずだ。

 耳の奥で激しい鼓動が聞こえていた。
 それが疾走のせいか、あるいは緊張のせいか、よくわからなくなりながら、曲がって。

 果たして、そこにスミレの乙女の姿はなかった。

「……幻覚、か?」

 ふらつきながら、数歩進む。
 その先は長い一本道。仮にスミレの乙女が健脚だったとして、私を振り切れたとは思えない。

 つまり先ほど見えた気がした白い影は、私の見間違い。幻覚。
 スミレの乙女に会いたい一心で私が作り出した、幻?

「一目、一目だけでよかったのだ。ただ、お前に会えれば、それだけで……」

 汗ばむ額をぬぐいながら、もう一度目を凝らす。
 そこにはやはり、誰の姿もありはしなかった。

 肩を叩かれる。
 気づけば隣にまで近づいてきていたエインが、鋭い目で私をにらんでいた。

「どうした?」
「どうしたはオレのセリフだろ?いきなり全力疾走して、気でも狂ったのかと思ったぞ」

 軽口は、けれど今日に限っては確かな感情が宿っていた。
 何かを隠そうとするように、エインはやや早口でまくし立てる。

 一度医師に診てもらったらどうだ。最近どうにも根を詰めすぎじゃないか――

 その声が、どこか安堵しているように聞こえるのは、私の気のせいのはずだ。

「エイン」
「……なんだ?」
「お前は、先ほどまで誰かとともにいたか?例えば、女性と」
「おいおい、マリー一筋のオレが浮気をしたと、そういいたいのか?」
「…………違うのならばいい」

 軽薄な笑みを浮かべたエインの顔からはもう、何も読み取れない。
 そこにはただ、トレイナ令嬢への愛だけがあった。

「私の、見間違いか」

 もう一度、庭園の先を見据える。
 そこにはやはり青々と茂る薔薇棚があるばかりで、白い衣も、動く人影も見えはしない。

 私の、気のせい。見間違い。
 そうであってほしい。
 もし、エインとスミレの乙女が思いを通わせていたら――私は、おかしくなってしまうだろう。

「なぁ」
「なんだ?」

 自分から話しかけてきたにも関わらず、エインは口を閉ざしたまま、じっと石畳を見つめている。
 そこに何かあるのかと思って視線を向けるも、特に何もありはしなかった。
 ただ、白い石の肌が見えるばかり。そこにスミレの乙女のローブを重ねている私は、もう重症だった。

「少し、気が変わった。オレはこれ以上応援はできない……だから、自分で動いてくれ」

 それだけ言って、エインは背を向けて歩き出した。

 その背中を見送りながら、確信した。
 やはり、エインは先ほどまで、スミレの乙女と会っていた。そしてきっと、彼女に思いを寄せてしまったのだろう。

 きっと、そうだ。

 ならば私は、どうすればいい?
 スミレの乙女の幸福を祈って身を引く――引けるのか?

 これほど、身が焼焦げそうなほどに思いは膨らむばかりなのに?
 この炎が心を焦がし続けるのに、耐えろというのか?
 なんて残酷なのだろうか。恋とは、こんなにも苦しまなければならないものなのか?

 去っていくエインワーズの背中は何も語らない。
 ただ、トレイナ令嬢への愛一筋に生きてきた男の背中は、今も変わらずにまっすぐだった。
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