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第6話 死と共に生きる
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僕と睡蓮は同い年。
そして、中学、高校、大学と共に過ごした。
大学時代、わかっていた母の死に少なからず動揺する僕を、睡蓮はそっと支えてくれた。
睡蓮が苦しい時には、僕が支えた。
そうやって、互いに少しだけ手を貸しながら、僕たちは寄り添ってこの世界を生きていった。
46年。
それは睡蓮と知り合ってから、僕たちが死ぬまでの年月。
――そして、僕たちが共に生きて来た年月でもあった。
まだ老いを感じるほどじゃない。
発達した医療は体の衰えを忘れかけてしまうほどで、今日だって軽く街を数キロほど走って来たくらいだった。
体には活力が見ている。それとは反比例的に、家の中は整っていた。
まるで旅立ちの支度をするように、僕たちが連れ立った家からは物が減っていた。
いつの間にか冬物の衣服は姿を消し、最後にもう一度読むかもしれないなんて考えていた大量の本もその大部分が消えていた。
それは、寿命が見える僕だからこその準備。
そして準備をしているのは、睡蓮も同じだった。
……彼女もまた、死期を悟っているとでも言うのだろうか。
物が少なくて寂しい部屋。
ソファに座ってテレビを見ている睡蓮には、少しだけ老いが感じられた。
艶めく黒髪は白髪交じりの灰色になり、手足は少しばかり節くれだち、笑えば目尻にしわができる。積み重ねて来た年月によって、独特の雰囲気は貫禄へと昇華している。
最近では、生まれた孫に怖がられるというのが睡蓮の不満の種だった。
あるいは、初孫が特殊な力――異能を持っていて、睡蓮や僕に何かを感じているのかもしれない。
そんな彼女の隣に腰を下ろし、横目でその顔を見る。
テレビを見続けている彼女は、ひどく落ちついている。顔色だって悪くないし、あと少しで死んでしまうようには見えない。
ましてや、死んでしまうと理解して身の回りの整理を始めた人だと気づく者は誰もいないだろう。
だとしたら、僕の言動から己の死期を推測したとでもいうのだろうか。
なんとなく、睡蓮だけは僕の言葉を笑わない気がした。
否定しない気がした。
墓の下までも持っていくはずだった僕の秘密、死を見る異能のことを話さなければならない――そんな気がした。
以前、こうした直感を覚えたのはいつのことだっただろうか。
思いながら、僕は真っすぐ睡蓮を見る。
睡蓮もまた、テレビを消して僕を見る。
その目に浮かぶ優し気な光が、僕の中にあった最後の葛藤をかき消した。
「隠していたことがあるんだ。……僕には、異能がある。死が、見えるんだ」
「……はい」
落ち着いた、静かな相槌。それが、僕の重たい舌の動きをよくする。
「正確には、寿命が見える。こう、頭の上に数字が見えるんだ。残りの年数と、日数。……そして、僕の寿命は、後7日をさしている」
「だから、身の回りの整理をしていたのしょう?」
「っ! ああ、そうだ。……悲しまないでほしい。今日という日を、僕はずいぶん前から知っていた。だから、死を怖いとは思わない。母の死も父の死も、友人の死も、先生の死も、僕は全てを知っていた。それが、僕の異能だった」
彼女は、否定などしなかった。驚きもしなかった。
ただ、僕の言葉の全てを、疑うことなく受け入れた。
それは、長い人生の間に、僕たちが互いに信頼関係を積み重ねて来たから。あるいは、彼女がもともとそうした人だったということなのかもしれない。
噂など気にせず、ただ、自分が見聞きした情報を、自分がかかわった相手本人を見る人。
そんな人だから、僕は同じ日に死ぬ彼女と、こうして一緒に最後まで生き続けることができた。
そう。僕があと一週間で死ぬように、彼女の寿命もまた1週間。
それはもう、50年近く前からわかっていたことだった。
「それと、落ちついて聞いてほしいんだが……君の人生も、あと一週間だ」
「ええ、わかっていますよ」
「…………わかっている?」
はい、と睡蓮が静かに頷く。その理由が、落ち着きが、僕には理解できない。
それほど、僕が分かりやすい人だったということか。
現代社会において、今や異能は当たり前のものになっている。人の脳機能が解明される中、絶対にわからないブラックボックスの存在が見出された。
その部位が司る力こそが、異能。
異能は万人が持っているわけではないし、異能を持っていることに気づかずに人生を終えるような、些細な力のこともある。
僕の場合、それは目に見える形ではっきりと表れた。それだけだった。
彼女が、僕の手を取る。これまでの苦労が刻まれた手。その手のひらが、僕の手を優しく包み込む。
慈愛に満ちた笑みが、真っすぐ、僕一人に向けられていた。
「……あなたが異能のことを黙っていたように、私も、異能を持っていることを黙っていたのですよ。異能の存在を知ったのは、最近検査を受けたからですけれど」
「君が、異能を?」
「はい。私の異能は調べた結果『死は二人を分かたない』というそうです。異能の内容は、この人と決めた連れ合いと、自分の死を合わせること。私は、どこまでもあなたと歩いていきますよ」
しびれるような電撃が脳を走った。彼女の愛で、心が埋め尽くされるのと同時に。
もう、遥か昔。彼女の余命を見た際の違和感の理由に、今更ながら思い至った。
入学当初に見た彼女の寿命と、あの日図書館で見た寿命とでは、日数があわなかったのだ。自分と全く同じ日に死ぬ相手なんて早々見つかるはずがないし、一度見れば気づいたはずだ。
それでも、僕はあの日初めて、睡蓮が僕と同じ寿命であることに気づいた。
それはつまり、僕たちの出会いは運命などではなく、僕が、そして睡蓮が選んだものであるということで。
あの日にはすでに、睡蓮は僕と共に生きると決めていたという事実を、僕は知った。
何が彼女にその決断をさせたのかはわからない。ただ、聞かずともよかった。
確かに彼女は僕を愛していて、僕は彼女を愛していた。
そして、彼女の言葉は、化け物である僕の心を、完全に救って見せた。
「……そう、か」
それ以上は出てこなかった。
ずっと、僕はこの力が嫌いだった。
寿命を見せるだけで見せて、僕に絶望を与える力。
こんな力には、何の意味もないと思っていた。
けれど今この時、僕は救われた気持ちになっていた。これまでの全ての苦悩が許せる気がした。
睡蓮を始めて見た日、彼女の寿命は、20年かそこらだったはずで。
それなのに彼女は僕と46年を共に生きた。
それは彼女の異能のお陰。そして、僕の需要が彼女の人生を伸ばしたのだと知れたことで、僕はこの異能を持っていた本当の意味を理解した気がした。
反対の手で、僕の手を包み込む睡蓮の手を包む。
二人、支え合って生きて来た。
睡蓮と、僕。あの日、僕たちはあるべくして、共に生きることを選んだ。
そして、今日まで必死に生きて来た。
それはきっと、僕たちが死を知っていたからできたこと。
生の裏には、生の隣には死があって、僕たちは死と共に生きて来た。
だからこそ、今思う。
死が目前に迫ってもなお、僕たちは今日という大切な一日を、これまで以上に幸福な日として過ごせると。
今日も、明日も、明後日も。僕たちは死を頂きながら、死に向かって生きていく。
そして、中学、高校、大学と共に過ごした。
大学時代、わかっていた母の死に少なからず動揺する僕を、睡蓮はそっと支えてくれた。
睡蓮が苦しい時には、僕が支えた。
そうやって、互いに少しだけ手を貸しながら、僕たちは寄り添ってこの世界を生きていった。
46年。
それは睡蓮と知り合ってから、僕たちが死ぬまでの年月。
――そして、僕たちが共に生きて来た年月でもあった。
まだ老いを感じるほどじゃない。
発達した医療は体の衰えを忘れかけてしまうほどで、今日だって軽く街を数キロほど走って来たくらいだった。
体には活力が見ている。それとは反比例的に、家の中は整っていた。
まるで旅立ちの支度をするように、僕たちが連れ立った家からは物が減っていた。
いつの間にか冬物の衣服は姿を消し、最後にもう一度読むかもしれないなんて考えていた大量の本もその大部分が消えていた。
それは、寿命が見える僕だからこその準備。
そして準備をしているのは、睡蓮も同じだった。
……彼女もまた、死期を悟っているとでも言うのだろうか。
物が少なくて寂しい部屋。
ソファに座ってテレビを見ている睡蓮には、少しだけ老いが感じられた。
艶めく黒髪は白髪交じりの灰色になり、手足は少しばかり節くれだち、笑えば目尻にしわができる。積み重ねて来た年月によって、独特の雰囲気は貫禄へと昇華している。
最近では、生まれた孫に怖がられるというのが睡蓮の不満の種だった。
あるいは、初孫が特殊な力――異能を持っていて、睡蓮や僕に何かを感じているのかもしれない。
そんな彼女の隣に腰を下ろし、横目でその顔を見る。
テレビを見続けている彼女は、ひどく落ちついている。顔色だって悪くないし、あと少しで死んでしまうようには見えない。
ましてや、死んでしまうと理解して身の回りの整理を始めた人だと気づく者は誰もいないだろう。
だとしたら、僕の言動から己の死期を推測したとでもいうのだろうか。
なんとなく、睡蓮だけは僕の言葉を笑わない気がした。
否定しない気がした。
墓の下までも持っていくはずだった僕の秘密、死を見る異能のことを話さなければならない――そんな気がした。
以前、こうした直感を覚えたのはいつのことだっただろうか。
思いながら、僕は真っすぐ睡蓮を見る。
睡蓮もまた、テレビを消して僕を見る。
その目に浮かぶ優し気な光が、僕の中にあった最後の葛藤をかき消した。
「隠していたことがあるんだ。……僕には、異能がある。死が、見えるんだ」
「……はい」
落ち着いた、静かな相槌。それが、僕の重たい舌の動きをよくする。
「正確には、寿命が見える。こう、頭の上に数字が見えるんだ。残りの年数と、日数。……そして、僕の寿命は、後7日をさしている」
「だから、身の回りの整理をしていたのしょう?」
「っ! ああ、そうだ。……悲しまないでほしい。今日という日を、僕はずいぶん前から知っていた。だから、死を怖いとは思わない。母の死も父の死も、友人の死も、先生の死も、僕は全てを知っていた。それが、僕の異能だった」
彼女は、否定などしなかった。驚きもしなかった。
ただ、僕の言葉の全てを、疑うことなく受け入れた。
それは、長い人生の間に、僕たちが互いに信頼関係を積み重ねて来たから。あるいは、彼女がもともとそうした人だったということなのかもしれない。
噂など気にせず、ただ、自分が見聞きした情報を、自分がかかわった相手本人を見る人。
そんな人だから、僕は同じ日に死ぬ彼女と、こうして一緒に最後まで生き続けることができた。
そう。僕があと一週間で死ぬように、彼女の寿命もまた1週間。
それはもう、50年近く前からわかっていたことだった。
「それと、落ちついて聞いてほしいんだが……君の人生も、あと一週間だ」
「ええ、わかっていますよ」
「…………わかっている?」
はい、と睡蓮が静かに頷く。その理由が、落ち着きが、僕には理解できない。
それほど、僕が分かりやすい人だったということか。
現代社会において、今や異能は当たり前のものになっている。人の脳機能が解明される中、絶対にわからないブラックボックスの存在が見出された。
その部位が司る力こそが、異能。
異能は万人が持っているわけではないし、異能を持っていることに気づかずに人生を終えるような、些細な力のこともある。
僕の場合、それは目に見える形ではっきりと表れた。それだけだった。
彼女が、僕の手を取る。これまでの苦労が刻まれた手。その手のひらが、僕の手を優しく包み込む。
慈愛に満ちた笑みが、真っすぐ、僕一人に向けられていた。
「……あなたが異能のことを黙っていたように、私も、異能を持っていることを黙っていたのですよ。異能の存在を知ったのは、最近検査を受けたからですけれど」
「君が、異能を?」
「はい。私の異能は調べた結果『死は二人を分かたない』というそうです。異能の内容は、この人と決めた連れ合いと、自分の死を合わせること。私は、どこまでもあなたと歩いていきますよ」
しびれるような電撃が脳を走った。彼女の愛で、心が埋め尽くされるのと同時に。
もう、遥か昔。彼女の余命を見た際の違和感の理由に、今更ながら思い至った。
入学当初に見た彼女の寿命と、あの日図書館で見た寿命とでは、日数があわなかったのだ。自分と全く同じ日に死ぬ相手なんて早々見つかるはずがないし、一度見れば気づいたはずだ。
それでも、僕はあの日初めて、睡蓮が僕と同じ寿命であることに気づいた。
それはつまり、僕たちの出会いは運命などではなく、僕が、そして睡蓮が選んだものであるということで。
あの日にはすでに、睡蓮は僕と共に生きると決めていたという事実を、僕は知った。
何が彼女にその決断をさせたのかはわからない。ただ、聞かずともよかった。
確かに彼女は僕を愛していて、僕は彼女を愛していた。
そして、彼女の言葉は、化け物である僕の心を、完全に救って見せた。
「……そう、か」
それ以上は出てこなかった。
ずっと、僕はこの力が嫌いだった。
寿命を見せるだけで見せて、僕に絶望を与える力。
こんな力には、何の意味もないと思っていた。
けれど今この時、僕は救われた気持ちになっていた。これまでの全ての苦悩が許せる気がした。
睡蓮を始めて見た日、彼女の寿命は、20年かそこらだったはずで。
それなのに彼女は僕と46年を共に生きた。
それは彼女の異能のお陰。そして、僕の需要が彼女の人生を伸ばしたのだと知れたことで、僕はこの異能を持っていた本当の意味を理解した気がした。
反対の手で、僕の手を包み込む睡蓮の手を包む。
二人、支え合って生きて来た。
睡蓮と、僕。あの日、僕たちはあるべくして、共に生きることを選んだ。
そして、今日まで必死に生きて来た。
それはきっと、僕たちが死を知っていたからできたこと。
生の裏には、生の隣には死があって、僕たちは死と共に生きて来た。
だからこそ、今思う。
死が目前に迫ってもなお、僕たちは今日という大切な一日を、これまで以上に幸福な日として過ごせると。
今日も、明日も、明後日も。僕たちは死を頂きながら、死に向かって生きていく。
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