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動かした者、動かざる者
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赤壁の後、敗退した曹操は荊州南部を放棄して撤退。劉備軍は孫と曹を争わせて、これを漁夫の利で取る事になる
撤退した曹操は孔明の策で本国側に逃れるまで三度の待ち伏せに合いながらもどうにか逃れ。保持した荊州南郡を放棄せざる得なかった
これにより、劉備軍は三分の計に置ける橋頭堡と重要な地盤を確保するに至る
円らも云った通り「借刀殺人」の計に使われた呉側と、関係も悪化して行く事になる。だが、円らの関わりもその後無かった「道」の部分での干渉が無かった為である
一旦元の住家、長安の外れに戻った円らも実際動く事は無かった。が、懸念は多い、円の個人的な拘りに近いが
「今後なんだけど」
「今の所干渉の類は見えぬな、また自由行動でよかろう」
「うん、で~歴史の方なんだけど‥」
「ん?、曹操や孔明殿の事か?」
「ええ」
「気に成るなら此処に留まって見ておけばいい、お勧めはしないがな」
「?」
「英傑とは一代の事である、じゃよ」
そうヤオに云われて、しばし中国に留まって情勢を見守ったが。それもヤオの云う通りである
劉備はその後、西の地、成都、蜀を得る事になり天下三分の計は一応成るが荊州の所有を巡って呉とも争う様に成る。三分と言っても領土、戦力差は多く。魏、呉、蜀の戦力差は6,3,1と言う所
特に荊州の争いから蜀は崩れる事に成る。国力、軍事、道、共に重要だった荊州を維持出来なかった事が大きく響き、こういう国力差と成ってしまう
荊州守備の関羽を曹魏、孫呉に討たれ、劉備は義弟の仇討ちに出兵、これも呉の陸遜に火責めで敗れ、自身も矢傷、病身から没する
後事を託された諸葛亮は劉備の子、禅を補佐し、国の維持をよく続けるが、元々の国力の差は大きい
それでも「維持」だけ考えれば地勢的に出来なくは無いが、諸葛は嘗ての主、劉備の悲願の為に魏との争いにも向かう事となり次第に崩れる事と成る
曹操も病死から、子、曹丕が後を取るが長く続かず病没、続けてその子らが皇帝に付くが、これも内部反乱から座位を奪われ最終的には曹魏、という形すら残らず
孫呉も何れ後継者争いから内部から衰え、多く活躍した陸遜等も軽視して外す等、自らの足を挫き国を損なっていった
そう「戦に寄る結果以外」の部分でまたも国は決まる、つまり内部分裂や、反乱によって
そしてヤオの言った事の意味「英傑の子が英傑である理由もない」のであった
曹魏にしても劉蜀にしても、彼ら、英傑あっての国でもある、それが失われた時、同時、世が動く理由も少なくなる。故、英傑の時代から英傑を必要としない時代に移って行く
円にもその事は分っていた「だって世は人が動かすのだから」
ただ、一度だけ、直接会う事はしなかったが。魏との戦いの中途で病没する諸葛亮には会った
「なんとかならないのかぁ、と、また思っているのか?」
そう遠くから見届ける円にヤオは声を掛けた
「いいえ、それを越えては成らないのは知っている、でも、もう結果は変わらないわ、私が何をしても」
「そうじゃな、仮に何とかしても同じじゃろう」
「それは孔明殿の寿命?」
「それもあるが、孔明殿の力を持ってしても大きく結果を変える事は出来ない、ウチやお主が助けた、仮に治療し天寿を全うさせたとしても、直ぐにまた崩れる。国も彼も、どちらも余りにも無理をし過ぎた」
実際、孔明は没年が五十三で早世とも云える、理由はヤオが述べた通り、余りにも激務であった為とも云われている
蜀の地を入手し劉備が漢中の初代皇帝になると、孔明は劉備に丞相と禄尚書事、仮節の任を与えられ、後、司隷校尉も兼任
これを現在の近い職を充てると、総理大臣、尚書管理官、軍令裁判官、首都警備責任者、行政管理となる、これら重職を全て兼任して乱れを出さなかったのである
そして、彼は全ての事案、検案を自身で行った
「丞相は管理帳簿を読んで、武器の管理に怒っていた」
「刑罰の類も自ら裁定に出て、鞭打ち等も自身でやった」
と書かれる程「他人に任せる」という事をしなかった
更に、北伐軍を司令官として指揮し現地で倒れる、つまり過労死に近い
それだけ、彼の手腕に頼っていたとも云えるし、蜀の国内情勢からしても、国力に差が大きく、北伐は孔明の手腕あっても難しかったろう
仮にここで情から助けてもそれが大幅に長く成る事も無い、円にもヤオにもそれは分っていた
「そっか、そうだね」と
円もそれに拘らなかった。
ただ見て、防ぎ、通り過ぎる、大きく関わって動かす事はない、寂しくはあるが、それに干渉するのは其の時代を全力で生きた彼らを寧ろ軽視する事だろう。だから感情はあっても、割り切って終えたのである
264年には蜀の劉禅は降伏、魏の権力争いを制した曹操軍の軍師、将軍、司馬懿から子孫、昭、炎に引き継がれ、魏から禅譲を受けて晋を建て、さらに呉を滅ぼして、分裂状態が続いていた中国をおよそ100年ぶりに統一する
そしてそれも安定的な長い統一とも成らなかった。司馬炎は嘗ての蜀、呉の一族、子孫に寛大な処置を行い
内政面では疲弊した国の建て直しに減税、徴兵を減らし農地開拓等で回復させたが、統一後次第に政治に興味を失い、女色に耽り、女子の婚姻を禁止して自身の皇宮に五千人を集めるなどし疎かにしていった
皇族、司馬一族を各地の王に封じた上で軍権をも与えたことで、後、八王の乱に発展、その後司馬一族の各州の王らが国内の大内乱の権力闘争を行い、大きく疲弊した後、異民族に侵略を受け大きく領土を失い、各地を内外の民族が大小国を興しまたも戦乱となっていった、いわゆる十六国時代に突入する
そう、ここも「人間の歴史は繰り返し」なのであった
円は、この三国時代の終わりからの前後事情を知ったのは後の事である、というのも、蜀の崩壊を見届けて後、既にこの国に居なかった故でもあり。さして興味も無かった
もう一つが、円のお役目も無かった事で積極的に関わる理由も、見ておきたいと思う人物も居なかった
「分岐が無く、自由行動なら一旦戻るか~」として。海を越えた、そう、故郷へ戻ったのである
言っても既に船すら必要なく飛べるのだが。敢えて、船旅を楽しんで
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一旦元の住家、長安の外れに戻った円らも実際動く事は無かった。が、懸念は多い、円の個人的な拘りに近いが
「今後なんだけど」
「今の所干渉の類は見えぬな、また自由行動でよかろう」
「うん、で~歴史の方なんだけど‥」
「ん?、曹操や孔明殿の事か?」
「ええ」
「気に成るなら此処に留まって見ておけばいい、お勧めはしないがな」
「?」
「英傑とは一代の事である、じゃよ」
そうヤオに云われて、しばし中国に留まって情勢を見守ったが。それもヤオの云う通りである
劉備はその後、西の地、成都、蜀を得る事になり天下三分の計は一応成るが荊州の所有を巡って呉とも争う様に成る。三分と言っても領土、戦力差は多く。魏、呉、蜀の戦力差は6,3,1と言う所
特に荊州の争いから蜀は崩れる事に成る。国力、軍事、道、共に重要だった荊州を維持出来なかった事が大きく響き、こういう国力差と成ってしまう
荊州守備の関羽を曹魏、孫呉に討たれ、劉備は義弟の仇討ちに出兵、これも呉の陸遜に火責めで敗れ、自身も矢傷、病身から没する
後事を託された諸葛亮は劉備の子、禅を補佐し、国の維持をよく続けるが、元々の国力の差は大きい
それでも「維持」だけ考えれば地勢的に出来なくは無いが、諸葛は嘗ての主、劉備の悲願の為に魏との争いにも向かう事となり次第に崩れる事と成る
曹操も病死から、子、曹丕が後を取るが長く続かず病没、続けてその子らが皇帝に付くが、これも内部反乱から座位を奪われ最終的には曹魏、という形すら残らず
孫呉も何れ後継者争いから内部から衰え、多く活躍した陸遜等も軽視して外す等、自らの足を挫き国を損なっていった
そう「戦に寄る結果以外」の部分でまたも国は決まる、つまり内部分裂や、反乱によって
そしてヤオの言った事の意味「英傑の子が英傑である理由もない」のであった
曹魏にしても劉蜀にしても、彼ら、英傑あっての国でもある、それが失われた時、同時、世が動く理由も少なくなる。故、英傑の時代から英傑を必要としない時代に移って行く
円にもその事は分っていた「だって世は人が動かすのだから」
ただ、一度だけ、直接会う事はしなかったが。魏との戦いの中途で病没する諸葛亮には会った
「なんとかならないのかぁ、と、また思っているのか?」
そう遠くから見届ける円にヤオは声を掛けた
「いいえ、それを越えては成らないのは知っている、でも、もう結果は変わらないわ、私が何をしても」
「そうじゃな、仮に何とかしても同じじゃろう」
「それは孔明殿の寿命?」
「それもあるが、孔明殿の力を持ってしても大きく結果を変える事は出来ない、ウチやお主が助けた、仮に治療し天寿を全うさせたとしても、直ぐにまた崩れる。国も彼も、どちらも余りにも無理をし過ぎた」
実際、孔明は没年が五十三で早世とも云える、理由はヤオが述べた通り、余りにも激務であった為とも云われている
蜀の地を入手し劉備が漢中の初代皇帝になると、孔明は劉備に丞相と禄尚書事、仮節の任を与えられ、後、司隷校尉も兼任
これを現在の近い職を充てると、総理大臣、尚書管理官、軍令裁判官、首都警備責任者、行政管理となる、これら重職を全て兼任して乱れを出さなかったのである
そして、彼は全ての事案、検案を自身で行った
「丞相は管理帳簿を読んで、武器の管理に怒っていた」
「刑罰の類も自ら裁定に出て、鞭打ち等も自身でやった」
と書かれる程「他人に任せる」という事をしなかった
更に、北伐軍を司令官として指揮し現地で倒れる、つまり過労死に近い
それだけ、彼の手腕に頼っていたとも云えるし、蜀の国内情勢からしても、国力に差が大きく、北伐は孔明の手腕あっても難しかったろう
仮にここで情から助けてもそれが大幅に長く成る事も無い、円にもヤオにもそれは分っていた
「そっか、そうだね」と
円もそれに拘らなかった。
ただ見て、防ぎ、通り過ぎる、大きく関わって動かす事はない、寂しくはあるが、それに干渉するのは其の時代を全力で生きた彼らを寧ろ軽視する事だろう。だから感情はあっても、割り切って終えたのである
264年には蜀の劉禅は降伏、魏の権力争いを制した曹操軍の軍師、将軍、司馬懿から子孫、昭、炎に引き継がれ、魏から禅譲を受けて晋を建て、さらに呉を滅ぼして、分裂状態が続いていた中国をおよそ100年ぶりに統一する
そしてそれも安定的な長い統一とも成らなかった。司馬炎は嘗ての蜀、呉の一族、子孫に寛大な処置を行い
内政面では疲弊した国の建て直しに減税、徴兵を減らし農地開拓等で回復させたが、統一後次第に政治に興味を失い、女色に耽り、女子の婚姻を禁止して自身の皇宮に五千人を集めるなどし疎かにしていった
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円は、この三国時代の終わりからの前後事情を知ったのは後の事である、というのも、蜀の崩壊を見届けて後、既にこの国に居なかった故でもあり。さして興味も無かった
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