混血の守護神

篠崎流

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応変

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三日後、再び呉の宮中に招かれ、閣僚一同と会合と成るが孔明の懸念と心配事は既に無かった

呉の都督で軍師でもある「周瑜公瑾」は最初から開戦論者であった為だ、彼が本国に戻り、まず呉王、孫権に会って意見を求められた時「戦うべし」としたためである。其の見解も先の孔明らと同じだった

「曹操に臣従した荊州の劉一族はどうなりました?残ったのは母堂の親族で水軍の将、蔡瑁とその手下だけです元の国の統治者一族等残しておいても、反乱の元です曹操はそういう要素は残しはしません」
「では、孫権様もそうなると?」
「彼が敵として戦い、登用し、配下に加えた者は一族とあまり関係ありません、彼が求めるのは「有益な道具」だけです、袁紹との戦いの後、息子らも残していませんし、あの呂布ですら劉備殿の進言無ければ加えようとした程です、判断基準は全て「優れて居るかどうか」だけです。彼に臣従して陛下は兎も角、その一族の御身等保たれようハズがありません」

そう示して併合、臣従論は切って捨てたのである

「だが、兵力差が比較にならない、無謀な争いだ」
「この地で戦うとなれば、手はいくらでもあります、兵は多ければ勝つという事ではありません、兵多く勝利が決まるのであれば、董卓は負けていません」

そう彼に堂々と返されると最早反戦論も無い。そもそもが戦うにしろ、従属し戦を回避するにしろ、あくまで孫権、呉王を生き残らせるか、民を守る為である

故に、そのどちらの可能性も少ないと過去事例を持って示されると温和に等とは出ない

「分った、周の言う通りだ、戦おう」と孫権自ら示し方針を決したのである

「具体的にどの様な策となりますか?」
「それを明確に今示すのは適当ではありませんが、水上戦であるのは自明、また、これを使うとあらば、その場に引き込む事、そしていたずらに時間を掛けない事でしょう」
「もう一つが、曹操軍は袁紹、烏、劉表軍を貴下に加えていますが本心から従っている訳ではありません」
「遠征、水軍の不安、内部での統率、か」
「はっ、ましてこれの主将、蔡一族身内である劉表夫人を曹操は処分しています、付け入る隙は多いにあると考えます」
「なるほど」

「兎に角、こちらは一刻も早く戦いの準備を」
「分った」

こうして「開戦」の方向には持っていくが。それで安堵出来るモノでもない、指摘された通り全体兵力差の大きさ、曹操軍は百万に迫り、この南方方面だけでも30万強とも云われ、一方で劉備、孫権、劉埼の連合軍は合わせても五万前後とされている

この会議の決定から戦の準備が行われる最中、両陣営にも動きが出、報告も届く

曹操軍は手にした荊州南、江稜から川と陸路を使い南東へ、これで戦場も略決まる事と成り孫権軍も即座に西に軍を動かし、劉備軍も夏口から西へ動く

両陣営共に、川を挟んでの布陣がとりあえずの形で整い、ここで、孔明、周瑜も互いに会わせ会談を持つ

「これで戦場は決まった」
「鳥林」
「こちらの軍が対岸に結集、船も順次到着するだろう、戦場を主導するのは上手くいった」
「ええ、では我々も」
「同感だが、戦場が決定した以上、直ぐには動かぬ相手がどれだけ数を揃えるかも重要だ」
「兵の出し惜しみはしないでしょう、とすれば荊州の各所への防備兵を残しても、二十万~二十五万は超えると考えます」
「だろうな」
「戦は兵の数で決まる訳ではない、とは云いましたが簡単ではない」

「そこで諸葛殿の見解を聞きたい」
「周殿と違いはありません、河北、荊州の将、兵を得たと云っても、まだ日が浅い、統率の問題と地理不案内の部分、これまで船戦の少なさ、戦場をこちらが選定出来た部分と戦う前の有利はかなりあります。ですが具体的な策は両者が整ってから、とも成ります」
「速攻を仕掛ける、はどう思う」
「当初、私もそう考えていましたが、ここは相手が揃うのを待った方が良いでしょう」
「ほう‥しかし、相手の整いまで待ってと成ると、兵力差が広がると思うが?」
「こちらが先に整い、相手はこれから、其の前に仕掛けるも宜しいが、先に述べた通り、曹操軍に不安要素が多い」
「遠征軍ならではの疲弊か」
「左様です、寧ろこの際、兵力差の部分が少ない今の内という王道よりじっくり、内部策を仕掛けた方が楽かもしれません」
「長期化する程、こちらの優位は増える、か」
「左様です周殿」

との両軍師の会談から、呉軍、曹操軍ともに無闇に動かず川を挟んでの睨み合いの様相を見せた、無論「内部策」の準備も成される

曹操軍は陸路での対岸布陣から周囲を簡易基地化、ここから水路での船団の到着を待つという、双方の思惑が合致した流れに成った

「さて‥ここからが問題ですね」孔明は自身の滞在テントで呟き、円が応えた

「双方の方針が合致したわね、時間はある、という事ね」
「ええ、曹操軍もじっくり構えての戦と成れば後は、この硬直を長くしたいものです」
「どうかしらねぇ‥曹操も兵法書を自ら書くような知の人物だし、こちらの思惑通りに進むとも限らないわね」
「円殿ならどうします?」
「硬直を作る、増やす、という先の二人の方針を叶えるなら何れにしろキツイ一撃は必要かしらね、相手の先鋒が蔡瑁なら尚の事有り難いわね」

円の発言の意図を即座に察した孔明も口の端に笑みを作らざる得ない

「一手当って、呉の水軍の力を見せる、そして相手の主将の信頼を落とす、ですか」
「ええ、曹操の人材の判断基準は「優劣」らしいからね。一族排除、を曲げてまで雇った蔡が呉の水軍に弄ばれたらどう思うかしら?水上戦で圧倒的差を見せる事に成功すれば、相手も迂闊には動けない」
「なるほど、確かに、それに相手の水軍の力量を測るのにも良いですね」
「ええ、となれば内部策を掛けるにしろ最初の切欠にもなるわ」
「これも周瑜殿に話してみましょう」
「ただ、あくまで孔明先生の意見としてね」
「分っています、円殿は目立つのは御嫌でしょうし」

二人の見解から孔明はこれを周瑜に進言
結果から云えば、彼も二つ返事で良を出した

これには呉側の事情もある。呉は劉備軍、先の長坂の趙雲等に代表される様に武や統率に優れた専門家が多い

歴史的には華々しい一騎当千の活躍こそ少ないがざっと将を挙げただけでも

呂蒙、陸遜、凌統
程普、黄蓋、徐盛
韓当、周泰、蒋欽、等

二代前の呉から仕える名将が多い

つまり策動の部分以前に「まず、一手当ってみよう」に賛同する、勇を誇る部分が強い為だ

中央の乱の董卓との戦いの孫堅の活躍から。息子である「小覇王」と称された孫策、弟孫権、妹で後の劉備夫人でもある、孫尚香等、姫でありながら武者な人物も居り。元々一族は多く武芸の血に寄っているとも言える

それだけに現在の呉将も新参から古参まで武に秀でた国家でもある、血気に逸る、程でもないが「主導して当る」部分にどちらかと云えば賛同しやすい傾向があった

翌日には呉は早速船を揃え川を挟んだ船戦を仕掛けた。曹操側も未だ船は全て揃っていないがこれを受ける、それでも数差は倍近いが曹操もこれを手合わせと読んで居た

これも準備不足でも受けた理由は単純だ
新たに登用した水軍の専門家、蔡帽の力量を実戦で測る為だ、だが、これはある意味、円らの狙いに乗った、乗ってしまったとも云える

これが赤壁最初の戦端と成った

鳥林、長江の赤壁は一般的な川戦という小さな物ではない、何しろ両岸に陣取った双方の軍と言っても、お互いの基地や陣が「遠くの霞の先にどうにか見える」という程の川幅である

当時は川幅五キロとも推され、略、湖か海での戦いと錯覚する程である。それが大陸の南東部広く横たわっており、此処を避けて戦う、あるいは呉を侵略するという事は出来ない、故に曹操もこの様な人事を行ったと云える

昼間の比較的快晴な時間に始まった水上戦だが
これは初めから呉側が優位である

元々の水軍の経験もそうだが、船から曹軍とはまるで違う、大中小の船と役割分担で全く違う効果を齎す、これは、陸での戦の「兵装」の豊富さと同じ物だ

曹操軍主将を任された蔡瑁は軍船での正面からの当りを展開し、双方横一線に当り、互いの船から歩兵、弓を展開するが

当った双方の主力船から呉軍は小船を小さく展開して、相手主力の船に間を縫う様に横や斜めから突撃してぶつける

歩兵等の展開はせず一撃離脱、そして其の後起こるは曹操軍の船の沈没、これは呉の小型突撃船による効果

主船でのぶつかり合いの間隙を縫って船の先端に杭を付けた高速艇で敵船の側面にぶつけ、船倉に穴を空け兵では無く船その物を沈没させる物だ

そして兵装の差以上に錬度や慣れの差も大きい。曹操軍はこれは堪らぬと主戦での当りを回避して後退するが呉軍はこれに川上からの流れを利用した移動攻撃、下がる相手を正面と側面から圧迫して本陣も崩した

丁度車の交通渋滞と同じだ、川に広く展開していた主軍が横から中央に圧迫されて船同士が接近し、転身もままならずの状況に陥る

人間同士の陸戦での混乱や密集以上に船はコレが大きい、何しろ簡単に回れ右も出来ない。半包囲から一斉射撃を受け後退離脱するまで矢雨を受け続ける事になる

前線に展開して指揮を執った呉側、周喩、程普らもこれに便乗し孔明らの狙い、進言以上の成果を狙う

曹操軍の本陣に船を当てて足止めしつつ、歩兵で乗り込み襲撃、蔡瑁を直接討ち取りに行ったのである。先にも述べた通り、呉軍には指揮、統率と同時個人武に優れた将が多く

軍や部隊を統率しつつ、自らの武力を振るえるバランスに優れた万能将が複数居る

もう一つが「船戦」である点。この場合、陸戦と違って多勢に無勢に成り難い、其々の船が一斉に密集して突撃という訳にはいかない

船をぶつけて乗り込み襲撃、船対船の局地戦の連続に成る為、歩兵に限って云えば戦力差が少ないという事だ

曹操軍主将を預かる蔡瑁は半日の劣勢乱打戦の後
自身は引く事に成功し、軍も致命的な敗戦とは成らなかったが「手合わせ」と読んで迎撃した曹操軍は予想外に被害を増やす結果とも成った

当日の戦いは、初手で有りながら楔を打ち込む戦いとなり以下長い膠着状態を齎す事に成る。ここで周喩、諸葛の狙い通りと成ったが、それは半々でもあった

初戦相手を打ち返し、動き難くしたが、曹操はこの敗戦で主将、蔡瑁の能力も知った、だがだからと言って排除はしなかった

これも台所事情であり、諸葛らの思惑通り呉水軍との差を見せる事に成功した、曹操も蔡帽の力量を測った、しかしながら、前線から外した場合、曹操側に変わって水軍指揮出来る人材が居ない事である

「蔡瑁も期待した程の力は無いな」
「如何しますか?」との参謀らの言に、こう返した

「蔡瑁を責任者から外した所で呉軍が弱くなる訳では無い。かと云って、水上戦指揮官の代わりが居ない、それにこちらの水軍の二割は奴の部下がそのまま加わっている、これを罰しても士気が下がる」
「ごもっとですが、何らかの対応策は必要でしょう」
「何れにしろ、こちらの陸本陣の強化を進めると共に残りの水軍船の到着を待つ、船自体の装備と数の強化を図る」

「腰を据えて戦う事になりますな」
「こちらに優位点が少ないなら作れば良い、要塞基地化を進め数の力と個々の力、全体規模の差を活かす」

との方針を見せた為である。これで具体的に対岸に作った陣を本格的な滞在施設化。大兵力の後の展開、それから拠点とし後方支援と全体の数を活かそうと考えた

孔明らも指摘した事だが、軍事上、曹操軍は遠征軍であり、本来長期化するほど自国との距離が長い分不利な要素が増える

であれば、遠征軍で無ければ良く。現地で生活するに近くなればその要素は減る、兵力の逐次投入は愚策、ならば「戦場への遠征で無ければ良い」と考えた

つまり川での遭遇戦に近い状況から現地に砦を造ってしまい、そこから展開すれば良いとした為である

これはかなり大胆な策で後の展開も考えた為だ。遠征軍はどこの歴戦でも不利多く負ける、どこまでも快進撃出来る訳ではない。

これは単純で攻めるにも守るにも本国から遠く、拠点が無い事である、勢いが弱まった際、戻ってやり直しが効き難い、ならば現地戦場をそのまま「自基地」に作り変えれば良い

これには先の話しだが成功例もある。
後の歴史部分での、チンギスハーンの様な元々の移動民、家ゲルという移動住居があり、家、家族、家畜つまり後方支援、市町、と生活物資が後ろから付いて来る為、生活基盤がそのまま移動し、大遠征を行いつつも大陸制覇した例もあるが「国」というベースがある他の民族である場合大抵これは失敗する

兵からすれば故郷から離れるし士気も下がる、生産物資は遠く本国から輸送する為、これを分断されれば途端に飢えるし、躓けば自領土に戻るか再編して立て直す

再遠征も難しいし、現地生活にしろ、環境も食料も変わる上に、作戦その物も、支配政策も中央の決定待ちと命令系統が弱くなり即応性が低いという事になる

曹操はこれを独自の考えと戦略からいち早く実戦で実現しようとしたとも云える、曹操自身それが出来るのは、円も云った通り、彼は「知」の人であり、戦略、戦術にも秀でた人物である

自ら「猛徳新書」或いは「魏武注孫子」という孫子の注釈書を残している程の人物で、それだけ優れた知の人であり「遠征」に対する欠点を補おうと自ら構想して此れを行った

ここで初手の戦い以降、本格的な開戦はなりを潜め川を挟んだ長期睨み合いに発展する事となる。これが、半々思惑の理由である。

呉側もこれを幸いとし、相手が動かないならこちらも待つと方針が示される

「問題はこれからねぇ‥」

円は川向こうの曹操軍を見ながら呟き、ヤオは応えた

「ま、方針は明確じゃし、ウチらがどうこう考えるもんでもない」
「道に何か兆しは?」
「ふむ、何かごちゃごちゃしたモノは残っておるが相変わらずハッキリせんな」
「そっかー」
「ただ、かなり先のようじゃな、ハッキリせんと言う事それだけ後という事になる」
「つまり、その時期が近い程明確なのね」
「そうとも云う、灯りで闇の道の先を見るのと変わらん。遠ければ光は届かぬし、見えない」
「なるほどね」
「ま、お主が何かするなら暫くは好きに動いて大丈夫じゃろう分ったら教えてやる」
「うん、そうする」

そう二人も示したが、それは意外な程長く成るのであった

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