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仙術
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円は暫く、というレベルで無い期間だが同じ様にまだ見ぬ国と地域を、新しい所へ転居しながら見ながら回った、ゆっくりと、噛締めて
紀元前から紀元後に成った頃には現在で言うドイツ、ロシア方面から陸のある面に沿って野宿や山篭りしながら修練に励み、海沿いから時計回りに「世界」を渡り歩く
ここで再び、意図せずだが、モンゴル方面から中国へ戻る
もう、誰も円の事など知りはしない、既に二世紀近くには成っているから当然だ、それだけに個人としてならなんら不自由も無く行き来出来る
「意図せず」の部分も北極海に沿って陸続きで渡り歩いたら結局時計回りで戻ってきただけの事で別に目的があった訳ではない。早い話、彼女にとっての世界は「それほどデカク無かった」という程度の事だ
円は構わず、そのまま都に入り
離れの適当な粗末過ぎない家を買う
どうせ一人だし、これまでの蓄えも蓄えというレベルで無い程ある、ただ、荷物だけ多いのでこれを置いておく場所も要るというだけではあるが
これは一部家に置き、過去、山に篭っていた際に封印した隠れ家に赴き、禁書抗儒の事件の際、保護した書簡や木簡を解いて
「もう大丈夫だろう」と街の古物屋に解放した
ただ、木簡は無事なのだが書は半数は形を留めなかったが
一応、現在の情勢も調べたが、時は既に光武帝の時代から後漢である
この帝は中国史史上最高の名君とされる秀でた皇帝とも言えた、その為、円もこの様な措置を取って、後は文を自然の流れの中に解放する、以前の様な文、教の弾圧はすまいと考えての事である
ある意味、「良いタイミングで戻った」という状況である。何しろ帝の政策の一端を見るだけでもそれは明確
まず、秦・前漢での乱から疲弊が進み、人口も半数以下に減る、これを具体的な決まりを適切に当て嵌め、改善する
六千万から半数まで減ったとされる「人」を回復させる為に自由民の獲得を行い、人身売買の禁止、徴兵制を停止し、屯田を行い、食糧生産と農地の復興を果す
軍事財政の為重かった税、10分の1だった税を改め、30分の1と大胆な減税を行い、現在で言う社会保障、所得に応じて米の配布補助するなど、民、国の疲弊の回復を図る
戸籍と農地の調査の後、学制・礼制を整備、儒教の受け入れ、異民族との和解、半島の自治を認める等
ざっと代表的なモノを挙げただけでこれ程の治世、無論、まるで問題なしではないが、円が居た頃から比べれば神がかり的な政治だろう
「物の道理を分った帝だなぁ」と感嘆の溜息が出るくらいだ
この政権は二代までに30年程続くが、乱れ少なく「中興」したと評される帝だけにその場での生活も安定していた
これも偶然だが都は相変わらず西安だと思って入ったのだが、入った先、洛陽に既に遷都されており、そこは驚きではある
と言っても、この状況にあってどこに入ったからと言うのも無い、別に何か中央に関わってやる訳でもなし何かあっても無視すればよかろう、くらいにしか思わなかった
こういう安定治世だとそもそも、円の現在の能力の云々に関わらず、求められる事も、目立つ事もそうない、平和とは英傑を必要としない時代でもある
ここで円は「どうせ安定治世ならアチコチ行けるな」と考え、その場で別な取り組みを始める、これは「暇」「裕福」だから出来るとも云う
都で書を集め、読み耽、かねてから頭の隅にあった事例の研究を始める、凡そ、半年した所で一定の区切りから動き出す
自身の生活環境の改善と、ある手法。歩き方、呼吸の仕方、食事の変更、武芸で言う型、自然からエネルギーの徴集等、つまり気功「仙術」の研究である
別に今更「生きたまま神になる逸話、伝説」等とは考えていないのだが(そもそも自分が既に人とは言い難いし)
元々有る技術で仙術、あるいはそれに類するモノがあるなら自身の武の強化にも成ると考えた。そしてここは「それの本場」中国である
別に馬鹿馬鹿しい事でもなく、現代でも「武芸」と「気功」は全く違うベクトルのモノではないし、セットにされる事も多い、これは中国拳法がそうだ
「役に立つか立たぬか分らんが、武に結びつくかもしれない」という考えだけである
そもそも自分は元々が使徒である訳で(自称神様の言う事を信じれば)だが、厳しい修行に寄って、生きたまま神に近づく方法があるなら、相乗効果になるかもしれない、そういう事だ
もう一つが、円はこの時点でも「技」が少ない、何しろ、未だに「突き、払い、受け」しかやってない、武器でも徒手でもだ
壁にぶつかったのも事実で学は頭の話しで収束すれば増えるし、限界は無いが、事、武に関しては「深まる」だけでは限界が出来ていた
ようするに「思考、知識に限度は無いが、肉体は限度がある」部分である。故に「暇、時間はある、平和な土地、仙人伝説の国」との合わせ、こういう行動に移った
ただ、実際の修行は元々ある「行われている」モノをあわせて全て合致させ、同時に始めた。ここは自己調査と解釈、アドリブの要素「どうせなら自分流の解釈でやってみよう」とした事
勿論、この時代でも気功士や導師は居るのでそれらにも基礎を習いつつ、となった
街に住みながらそれを行い、基礎を覚えた所で再び山篭りである、これは元々気功術の一つに
「樹木自然寄り気を集める取り込む」
「霞を食う」
の修行に実際ある為だ
それを更に3年続けた後、いつの間にか本家には戻らなくなった、それも元々にある「俗世からの関わりを絶つ」という修行
二つに「なるべく人に会わん方がいい」つまり、元々の「多くの人の記憶に残る事は避ける」面の両方である
不器用な彼女だけに、一つの事に只管取り組み、半ば当人も「そんなモン無いだろう」と考えてやっていたのだが
8年越えて、合計10年超え。下界に下りた時には自身もそれすらも掴み取った
そして適当に思っていた「武」との繋がりも、かなり合致する
代表的な発勁。気と打撃を合わせて出し、相手の筋力的防御力を意に介さない技、逆に自己の肉体にめぐらせ、鉄の如き防御を出す技
軽身功。自身の体の重量を意図して増やしたり軽くする、察知。勁力を巡らせ見えない方向や相手の動きを流れから掴む、など、やってみると意外に多い
「仙人の領域、かは分らんが、それなりのモノは掴めただろう」と軽く考えて、一先ず家に戻った
正直自分では「別にそんなに強くなった気はしないな」だった
何しろ、試す訳にも行かないし、そもそも真面目に本当に効果があるなら一撃で殺しかねないだろう
これら成果を見ても、彼女は気功、内功術には適正があったと云える 仙術かどうかは別にして、だが
これは本来、生きとし生ける者なら誰でもある力であるので、そこは得手、不得手と言うのは無いが
紀元前から紀元後に成った頃には現在で言うドイツ、ロシア方面から陸のある面に沿って野宿や山篭りしながら修練に励み、海沿いから時計回りに「世界」を渡り歩く
ここで再び、意図せずだが、モンゴル方面から中国へ戻る
もう、誰も円の事など知りはしない、既に二世紀近くには成っているから当然だ、それだけに個人としてならなんら不自由も無く行き来出来る
「意図せず」の部分も北極海に沿って陸続きで渡り歩いたら結局時計回りで戻ってきただけの事で別に目的があった訳ではない。早い話、彼女にとっての世界は「それほどデカク無かった」という程度の事だ
円は構わず、そのまま都に入り
離れの適当な粗末過ぎない家を買う
どうせ一人だし、これまでの蓄えも蓄えというレベルで無い程ある、ただ、荷物だけ多いのでこれを置いておく場所も要るというだけではあるが
これは一部家に置き、過去、山に篭っていた際に封印した隠れ家に赴き、禁書抗儒の事件の際、保護した書簡や木簡を解いて
「もう大丈夫だろう」と街の古物屋に解放した
ただ、木簡は無事なのだが書は半数は形を留めなかったが
一応、現在の情勢も調べたが、時は既に光武帝の時代から後漢である
この帝は中国史史上最高の名君とされる秀でた皇帝とも言えた、その為、円もこの様な措置を取って、後は文を自然の流れの中に解放する、以前の様な文、教の弾圧はすまいと考えての事である
ある意味、「良いタイミングで戻った」という状況である。何しろ帝の政策の一端を見るだけでもそれは明確
まず、秦・前漢での乱から疲弊が進み、人口も半数以下に減る、これを具体的な決まりを適切に当て嵌め、改善する
六千万から半数まで減ったとされる「人」を回復させる為に自由民の獲得を行い、人身売買の禁止、徴兵制を停止し、屯田を行い、食糧生産と農地の復興を果す
軍事財政の為重かった税、10分の1だった税を改め、30分の1と大胆な減税を行い、現在で言う社会保障、所得に応じて米の配布補助するなど、民、国の疲弊の回復を図る
戸籍と農地の調査の後、学制・礼制を整備、儒教の受け入れ、異民族との和解、半島の自治を認める等
ざっと代表的なモノを挙げただけでこれ程の治世、無論、まるで問題なしではないが、円が居た頃から比べれば神がかり的な政治だろう
「物の道理を分った帝だなぁ」と感嘆の溜息が出るくらいだ
この政権は二代までに30年程続くが、乱れ少なく「中興」したと評される帝だけにその場での生活も安定していた
これも偶然だが都は相変わらず西安だと思って入ったのだが、入った先、洛陽に既に遷都されており、そこは驚きではある
と言っても、この状況にあってどこに入ったからと言うのも無い、別に何か中央に関わってやる訳でもなし何かあっても無視すればよかろう、くらいにしか思わなかった
こういう安定治世だとそもそも、円の現在の能力の云々に関わらず、求められる事も、目立つ事もそうない、平和とは英傑を必要としない時代でもある
ここで円は「どうせ安定治世ならアチコチ行けるな」と考え、その場で別な取り組みを始める、これは「暇」「裕福」だから出来るとも云う
都で書を集め、読み耽、かねてから頭の隅にあった事例の研究を始める、凡そ、半年した所で一定の区切りから動き出す
自身の生活環境の改善と、ある手法。歩き方、呼吸の仕方、食事の変更、武芸で言う型、自然からエネルギーの徴集等、つまり気功「仙術」の研究である
別に今更「生きたまま神になる逸話、伝説」等とは考えていないのだが(そもそも自分が既に人とは言い難いし)
元々有る技術で仙術、あるいはそれに類するモノがあるなら自身の武の強化にも成ると考えた。そしてここは「それの本場」中国である
別に馬鹿馬鹿しい事でもなく、現代でも「武芸」と「気功」は全く違うベクトルのモノではないし、セットにされる事も多い、これは中国拳法がそうだ
「役に立つか立たぬか分らんが、武に結びつくかもしれない」という考えだけである
そもそも自分は元々が使徒である訳で(自称神様の言う事を信じれば)だが、厳しい修行に寄って、生きたまま神に近づく方法があるなら、相乗効果になるかもしれない、そういう事だ
もう一つが、円はこの時点でも「技」が少ない、何しろ、未だに「突き、払い、受け」しかやってない、武器でも徒手でもだ
壁にぶつかったのも事実で学は頭の話しで収束すれば増えるし、限界は無いが、事、武に関しては「深まる」だけでは限界が出来ていた
ようするに「思考、知識に限度は無いが、肉体は限度がある」部分である。故に「暇、時間はある、平和な土地、仙人伝説の国」との合わせ、こういう行動に移った
ただ、実際の修行は元々ある「行われている」モノをあわせて全て合致させ、同時に始めた。ここは自己調査と解釈、アドリブの要素「どうせなら自分流の解釈でやってみよう」とした事
勿論、この時代でも気功士や導師は居るのでそれらにも基礎を習いつつ、となった
街に住みながらそれを行い、基礎を覚えた所で再び山篭りである、これは元々気功術の一つに
「樹木自然寄り気を集める取り込む」
「霞を食う」
の修行に実際ある為だ
それを更に3年続けた後、いつの間にか本家には戻らなくなった、それも元々にある「俗世からの関わりを絶つ」という修行
二つに「なるべく人に会わん方がいい」つまり、元々の「多くの人の記憶に残る事は避ける」面の両方である
不器用な彼女だけに、一つの事に只管取り組み、半ば当人も「そんなモン無いだろう」と考えてやっていたのだが
8年越えて、合計10年超え。下界に下りた時には自身もそれすらも掴み取った
そして適当に思っていた「武」との繋がりも、かなり合致する
代表的な発勁。気と打撃を合わせて出し、相手の筋力的防御力を意に介さない技、逆に自己の肉体にめぐらせ、鉄の如き防御を出す技
軽身功。自身の体の重量を意図して増やしたり軽くする、察知。勁力を巡らせ見えない方向や相手の動きを流れから掴む、など、やってみると意外に多い
「仙人の領域、かは分らんが、それなりのモノは掴めただろう」と軽く考えて、一先ず家に戻った
正直自分では「別にそんなに強くなった気はしないな」だった
何しろ、試す訳にも行かないし、そもそも真面目に本当に効果があるなら一撃で殺しかねないだろう
これら成果を見ても、彼女は気功、内功術には適正があったと云える 仙術かどうかは別にして、だが
これは本来、生きとし生ける者なら誰でもある力であるので、そこは得手、不得手と言うのは無いが
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