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【10】責務と焦燥。

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大変お待たせいたしました。

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今は新兵達の実戦訓練の真っただ中。
大森林の縁部にある駐屯地から然程離れていない場所で小物の魔獣狩りを行っている。
訓練を前倒しにしてでも人員を追加要請しただけあって、駐屯地から一歩踏み出せば結構な頻度で遭遇した。

魔獣は小物ならば元の生き物より少しスペックが高い程度なので、新兵でも対処は可能だ。
蛇の毒が強くなったり、兎のジャンプ力が上がったり、ネズミのすばしっこさが上がったりとかその程度。
これが中級以上になると【魔法】を使ってくるので侮れない。
しかも見た目は小物と殆ど変わらないヤツもいるので注意が必要だ。

他の魔獣を喰らう事で力を増す魔獣。
小物でも放置すれば中級、上級の餌になってしまうので見つけ次第駆除するのが一般的だ。
そして、放置出来ないもう一つの理由。
魔獣は〈魔力が濁り狂った獣〉
体内に魔石が生成されるほど高濃度の魔力に晒され狂い、世界の正常な魔力の流れから零れ落ちた存在。
ヤツらはどうしてか魔力が正常な生き物を襲う。
ただ、ある程度濃い魔力に満たされた場所でしか生きていけない為、魔力濃度が薄い人里に出てくることは稀だ。

しかし放置し過ぎればお互いに食い合い、上級以上の魔獣が生まれる危険性がある。
だから我が国では軍を使い、魔力の濃い所へ定期的に出向き魔獣を間引くことになっている。
因みに、ずっと昔に魔獣を意図的に集め共食いをさせ、上級魔獣を作り操ろうとして大きな災害を起こした国がある。
それを教訓に〈意図的な共食い〉は現在、殆どの国で禁忌とされている・・・


大森林の奥へと足を勧めながら、今更な解説を新兵に語ったのは訓練初日の事。
何、軍校で机に向かいながら学んだ事の復習だ。
意外と、こうして実際に森の中で聞いた事の方が記憶に残ったりするものだ。
まぁ、これは訓練とは名ばかりの魔獣討伐の実戦である。
緊張で聞いてないヤツも居たかもしれんが・・この9日間の実体験で学んだ事だろう。

現在、兵長と一緒に10名の新兵を率いて大森林の中を進み、魔獣を探査、討伐する作戦行動中だ。
今は小休止に入ったところ。
皆で水分を補給しつつ各自携帯食をつまんだりして一息入れている。

各分隊に水属性魔法を扱える者が最低でも一人は必ずいる。
水が無くては過酷な自然環境下で生き残れないからだ。
無論、魔法が無くとも生き残れるように皆が実践で学んでいるが、普段は楽できるに越したことはない。

自分も折りたたみの携帯カップを腰のポーチから出して広げ、水属性担当の新兵に注いでもらう。

「どうぞ軍曹」
「あぁ、ありがとう。どうだ?まだ行動予定の半分程だが・・魔力は温存出来ているか?」
「はい!初日みたいに無駄打ちしていないので、飲料水の分の魔力は残っています!」
「よし、いいだろう。その調子で攻撃も合わせて配分を間違えないようにな」
「了解です!」

そう、この新兵は初日に攻撃魔法を打ち過ぎて魔力不足に陥り、飲料水を途中で生成出来なくなったのだ。
不味い初級魔力回復薬を何本も飲む羽目になり、あまりの味にのたうち回って苦しんだ。
何事も経験だが、そう何度も飲みたくないのは当たり前の話で・・以来、彼は自分の役割を全うすべく頑張っている。

水属性担当の新兵が他の者の所へ移動したタイミングで「お隣よろしいですかな?」と話しかけられた。

「あぁ、構わない。ベアド兵長も1枚どうだ?」
「いえ、結構です。自分のがありますので・・」

言いながら、兵長は倒木に座る自分から少し距離を取り同じように腰掛けた。

「なら交換しよう。そっちの味も興味がある」
「・・軍曹、相変わらず理想の干し肉探し続けてるんで?」
「・・いいだろ。私の少ない趣味の一つだ」
「構いませんがね。婚約者殿からは何か言われたりしないんで?女性らしい趣味ではないでしょうに」

腰のポーチから密封シートを取り出し、板状にスライスされた干し肉を1枚取り出して兵長の物と交換する。
早速口にし、半ば程で噛み千切って咀嚼した。
ふむ、何かの薬草に付け込んだのか・・僅かな青臭さはあるものの、塩味と共に肉の旨味が舌に心地よく広がる。
まぁまぁありだな。

「私の婚約者は、私を私以上に理解してくれる・・そんな人だからな「今のまま、変わらなくて良い」と言ってくれているぞ?」
「そりゃあ・・今時珍しい方ですなぁ・・」

兵長は交換した干し肉を口に放り込むと数度顎を動かし、手に持っていた携帯カップを口に着ける事無く傾けた。

「これ大分イケますな」
「まぁまぁ良いヤツだからな。美味いだろ?」
「ええ。酒が欲しくなります」
「それは駐屯地に帰ってから、だな」

残りの半分も口に放り込み咀嚼して飲み込むと、兵長がした様に唇に触れさせる事無くカップを傾けて水を飲む。
水滴を払うと元の形に折り畳み、ポーチの定位置へと戻した。

「どうですか?軍曹も偶には一緒に・・あ、これはうっかり。忘れてください」

しまったという顔でバリバリと後頭部を掻く兵長に「気にするな」と苦笑を向けつつ立ち上がる。

「私も殆ど実感がないからな・・」
「本当にすみません。しかしまた、どういった経緯で婚約することになったんで?なんの前触れもなく、突然婚約したと聞いてたまげましたよ」
「・・成り行き・・としか言えんな」

腕を組み、指で顎を挟むようにしてジルとの現状に思いを馳せる。
切っ掛けは衝撃的なモノだったが・・私達にとって、アレはもう大切な思い出だ。

「お幸せそうで、なによりですな」
「・・うん?すまん。何か言ったか?」

脳内でジルとの今までを反芻していて反応が遅れてしまった。
何だか生暖かい目をした兵長に「いいえ、お気になさらず」と返される。

「そういや、噂の婚約者殿は何処のどなた様なんで?」
「・・皆に聞かれるが、発表当日まで秘密だ。破れば母と姉に何と言われるか・・すまんが諦めてくれ。ところで何だ、兵長も賭け事に参加しているのか?」
「いやぁ・・まぁ、軍で今一番熱い話題ですからね・・一応聞いておこうかと」
「・・・・身を崩さん程度に楽しめ。と、上司として忠告だ。一応な」

「そうします」と素直に返す兵長。だが視線は明後日を向いている上、短い髪から出ている丸い耳はパタリと伏せられている。
部下の趣味にまで口は出したくないが・・仕事に支障がなければ放置で良いだろう。

軽く溜息を吐いて周囲を見回した。
新兵達も交代で警戒しながら休憩できたようなので号令を掛ける。

「休息は終わりだ!集合!」

直ぐに10名が集まり整列する。この行動も大分素早くなった。実戦の賜物だ。

「少し奥に進んだ後反転。駐屯地へ戻りつつ魔獣討伐を継続する!あと半分。各自気を引き締めて任務に当たれ!」
「「「「「「「「「「了解!!」」」」」」」」」」


◇・○・◇・○・◇・○・◇・○


警戒しつつ、大森林の奥へと進む中・・誰かが踏んだ枝がパキリと鳴った。
その時、異変に気付く。
すぐさま後続にハンドサインで指示を出し、その場での待機を命じる。

—空気がおかしい・・あれだけ頻繁に遭遇していた魔獣が姿を消した・・何故?—

先頭を受け持っていた兵長が後続が止まった事に気づき、振り返ったので『近くに来い』とサインを出す。
足音を忍ばせ、周囲を警戒しながら素早く戻って来た兵長に「気付いたか?」と小声で確認する。

「えぇ・・何か変です。魔獣の姿がありません・・どうします?大事を取って引き返しますか?」
「そうだな、一応本部へ連絡を入れて動こう」

近くに居た通信担当の新兵を呼び、連絡を入れるよう指示を出す。
頷いた通信担当はすぐさま精神感応能力で本部へ連絡を入れようとして・・ギクリと硬直した。

「どうしたオルカスト二等兵」

通信担当の新兵の様子がおかしい事に気付き声を掛ける。
しかし新兵は動揺からか視線を揺らし、真っ青な顔でパクパクと口を動かすばかりでなかなか言葉を発さない。
焦れて「二等兵っ!」と強めに声を掛けるとビクッと体を震わせ、やっと言葉を紡いだ。

「て、精神感応テレパシー・・繋がりませんつ、通信不能です」
「・・どういう事だ」
「わわ、解りませんっ!精神感応を飛ばしても変な雑音が響いてて・・本部に繋がらないんです!」

訊きながら目に力が籠ってしまったのだろう。声を震えさせた新兵の回答に、なんとか声量を押さえつつ、声を荒げる。

「—っ!他に精神感応を使えるものは居るか?!」
「あの、自分。通信を担う程強くはないですが・・」

近くに待機していた別の女性新兵が恐る恐る片手を上げた。

「構わん!使ってみろ!」
「はいっ!すぐに!」

片膝をつき、両手を組んだ姿勢で目を閉じた女性新兵は、直ぐに目を開いてこちらに告げる。

「駄目です。オルカストの言う通り妙な雑音が・・」

報告の途中で、周囲を警戒していた新兵の一人が「う、うわぁっ!」と声を上げた。
何事かとそちらに視線を向ければ、茂みから新兵が一人、後ろ向きに飛び出してくるところだった。
地面の窪みに足を取られ、尻もちをついたまま後ずさる新兵に気を配りながら、茂みの奥に注意を向ける。

一瞬シンと静まり返る場。異様な空気が空間に満ち、否応無しに緊張が高まる。
と、ほんの二呼吸ほどの間を置いて、鳥や虫の音すら響かぬ静寂を破り、茂みの奥から灌木を折り退け、中型の魔獣がのそりと顔を出した。

「—っ散開っ!!」

魔獣を認識した瞬間、警戒しつつ指示を出す。
急ぎ距離を取る新兵達の様子を気配で把握しながら、魔獣からは視線を逸らさずに臨戦態勢をとった。

元は狐・・だったであろう魔獣は、人の背丈と殆ど変わらない大きさへと巨大化。
毛は抜け落ちて所々残るばかりで、濁った沼のような魔獣特有の体色が忌避感を煽る。
緩慢に一歩、二歩と進み出て来た魔獣へ、新兵達が攻撃魔法を放とうとした正にその時、光を反射しない濁り切った魔獣の目がグルリと裏返った。

「っ攻撃中止!命令あるまで待機!!」

追加で指示を出した一瞬後に魔獣はぐらりと体を傾げ、そのままドウッと倒れ伏した。
上半身だけを開けた場へと投げ出し、ピクリとも動かぬ。
再びの静寂の中、臨戦態勢を維持しつつ魔獣へと近づく。

「軍曹っ!」

兵長が切羽詰まった声を上げるが、無視して『動くな』とサインを出し更に魔獣へと歩み寄る。
攻撃の間合いギリギリの所で魔獣の様子を窺い、息があるかを含め全身を注意深く観察していく・・と—

—何だ?・・植物?絡まって・・—

近づかなければ気づけなかっただろう。
魔獣の体色と同じ色の植物の根のような物が、茂みに隠れた下半身へ絡みついている。
もう少しよく見ようと、目に魔力を集中させようとした時、倒れた魔獣がビクッと全身を震わせた。

反射的に後方へ跳躍。魔獣から視線を逸らさずに距離を取り着地した場で腰を落とした。
すぐさま魔力を操作して身体を強化。
何があっても直ぐに反応出来るよう整えたところで、魔獣に更なる異変が起こる。

物凄い勢いでしぼんでいくのだ。
時が急激に進んだかのように水分が無くなり、皮が張り付き骨格が顕わになっていく。
その奇妙な現象に、皆が言葉を失った・・

—一体、何が—

思考が状況を把握しようと回転を始めた刹那、肌が粟立ち背中を冷気が駆け上がるが如くゾゾゾと不快な悪寒が走る。

—何かいるっ?!—

目の前の魔獣以外の気配を捉え、強烈な危機感に一瞬言葉が詰まる。
その間に、干物のようになった魔獣が茂みの奥へと素早く引きずり込まれた。

「—っ退避!総員退避ーっ!!」

自身も反転、駆けだしながら指示を出すと同時に、茂みから何かが幾つも飛び出してきた。
指示を受け、全員が走り出す。しかし僅か数秒後、直ぐ後ろで転ぶ気配。

「マウロリア二等!」

咄嗟に反転。目前に迫る蔦から庇い両腿の戦闘ナイフを翻す。

「ぐ、軍曹!」

ボトリ、ボトリと男性の腕程の太さの蔦が二本。断ち切られ、地面へ落ちると激しくビチビチとのたうつ。
そこへ更に無数の蔦が追加で飛びかかって来た。
応戦しようとナイフを構えた瞬間、蔦は見えない壁に弾かれ電撃を受けたように閃光を放ち煙を上げる。

—おじ上のお守りか!?—

状況を把握したところへ、後方から攻撃魔法の援護が入る。
炎の矢が幾筋も飛び、蔦に当たると爆ぜて次々に千切り飛ばして行った。

「立て二等!脚に魔力を回せ!振り返らず走る事だけを考えろ!行けっ!」
「は、はいっ!」

マウロリア二等が駆け出し、その後ろを追従する形で追いかける。
直ぐに援護してくれた兵長と他の新兵達に追いついた。

「軍曹ご無事で?!」
「あぁ!援護感謝する兵長!」
「もう無茶しないでくださいよっ?!」
「無理だ!!約束は出来ない!私はこの隊の隊長だぞ?!」

並走しながら大声で会話する。
速さ優先で駆けているので、ビシビシと枝や葉が当たって来るのが煩わしい。
腕で顔を庇いながら脚を動かす。

「それでも先程のは無茶が過ぎます!アンタ婚約したんでしょうが?!お相手が泣きますぜ?!」

兵長の怒声にぐっと言葉が詰まる。だが、隊員の危機に隊長が助けずしてどうすると言うのだ!
ただ、兵長が心配してくれているのも理解している。
だから、安心材料を提供することにした。

「心遣いには感謝するが、心配無用だ!先日、王族筆頭護衛官殿から高性能な結界魔道具を譲り受けた!簡単には死なんさ!」
「だから・・そういう事じゃねぇんですよ!やっぱ相変わらずだなアンタ!!」

本当は解っている。もっと自分を大事にしろと言っていることくらい。
だが、今はもうこれ以上会話をする余裕はない。
ギリギリ獣道と言えるような悪路を全力で走っているのだ。
そろそろ先導しなければ、隊の者達が迷ったりバラける可能性が出て来る。

兵長にアイコンタクトとハンドサインで先導を指示。
まだ言い足り無さそうにしていた兵長だが、指示に従い、スピードを上げて先頭に向かった。
自分はそのまま殿しんがりを務める。

地形により、逃走経路は限られている。
駐屯地へ向かって走り続けること十数分、他の二つの隊と合流した。
新兵たちは緊張からか息が上がっている者も居たため、小休止をとる。

「こちらは703ホーク隊だ!そちらは全員無事か?」

休憩の間も、隊長同士は集まって情報交換だ。

「405アギド隊!怪我人は居るが、何とか無事さぁ~」
「208ドレラ隊も全員無事よ。ホーク隊はどうなの?」
「うちも無事だ。そうか、一安心だな・・今のところは。・・では情報共有といこうか?こっちはポイント9―4で狐らしき魔獣に遭遇。その後、蔦らしきモノに襲われた」

腕を組み、こちらの情報を伝える。
第二部署所属の竜人、ドレラ兵長は鱗に覆われた細い尾を地面に叩きつけ、落ち葉を舞わせて鼻息も荒く答える。

「こっちも似たようなモノね。ポイントは10―2よ。魔獣に遭遇しなくなったかと思えば、いきなりキモイ植物に襲われたわ」

続いて二人の視線を受け、第四部署の猫獣人であるアギド伍長は、左目に走る傷跡を掻きながら新たな情報を開示した。

「こっちはもっと奥で遭遇したぜ?姿もばっちり拝んださぁ~」
「そうなの?!よく全員無事に離脱出来たわね。流石は第四部署」
「まぁ、ね~索敵が主な任務だぜ?隠れ潜み、気づかれずに帰還するのが俺らの仕事よぉ~」
「雑談はそこまでだ。それで、どんな魔獣だったんだ?」

少しばかり脇道に逸れた会話に少々強引に割り込み、伍長に回答を迫る。

「おうよ。あの魔獣は・・」

真剣味を帯びた伍長の眼光がギラリと光を反射した。

「—上級魔獣に違いねぇ。王都の壁を楽に越す大きさの、鹿形の魔獣だ」


△    ▽    △    ▽


「包帯!追加分ですっ!!」
「こっち!こっちにお願い!」
「い゛だい゛っいだい、いだい」
「中級体力回復薬の追加!急いでっ!」
「通して!通してください!」
「俺の、足、おれのあし、あし・・」
「重傷者通ります!鼠獣人男性!出血大!【回復魔法】お願いします!」
「頑張れっ!頑張れ!」

手伝いに来た救護所の天幕は正に地獄絵図の有様だった。
アラクネ種の兵士が自作した包帯やガーゼを運び、妖精種の人達は飛び回って魔法をあちこちで光らせ、衛生班の方々は的確に指示を出しつつ自らも治療を行っている。
血の匂いが充満した天幕に、傷ついた兵の悲鳴や呻き声がどんどん追加され・・片っ端から治療されて順次別の天幕へと移動させられていく。

手伝いに訪れた天幕で、酷い傷を負った兵が痛みに暴れるのを押さえたり、物資を運び人を誘導したりと、出来る限り動き回った。
幸いな事に死者は出ていないようで、悲壮感は無い。今のところは。

—エトラさん・・まだ動いてる。けど・・遠い・・—

手を動かしつつ婚約者の気配を探れば、依然駐屯地から遠い所を移動している。
無事なのは判るが、それだけだ。
何故、未だ駐屯地に戻らないのか、どういった状況なのか・・知る術はない。
心配で精神的苦痛ストレスが半端ない。
自身が怪我を負ったわけでも無いのに、ずっと冷や汗が止まらないでいる。

「はい終わり!傷は塞いだから、後はゆっくり休んだら大丈夫よ!歩ける?なら行った行った!ソルシオ二等!魔力回復薬を!」
「はいっ!どうぞ曹長!」

エトラさんの友人で、衛生班のセラス・アクロア曹長へ薬を運ぶ台車から中級魔力回復薬を取り出し手渡す。
「ありがと!」と礼を言って直ぐに蓋を取って煽り、ぐいと肩口で口元を拭って空になった瓶を手渡された。

「ふぅ。中級は味が大分改善されたわね!飲みやすくて助かるわ!・・・ねぇ、ちょっと。ソルシオ二等あなた酷い顔色よ?」
「えぇと・・大丈夫―」
「そうは見えないから言ってるの!・・ちょっとこっちに来なさいっ!」

天幕内を見回し、治療が終わって空いた一角を見つけると、そちらの方へぐいぐい腕を引かれ連れていかれた。

「はい座って!怪我とかはないのよね?」
「ありません。大丈夫です」

治療用の簡易寝台に腰掛けるよう促され、大人しく従うと「じゃあやっぱりあの子の事?心配なのね・・」と心情を完璧に把握されていて、情けなさに目線が下がる。

「はい・・無事なのは解っているんですけど・・どうしても不安が拭えなくて」

曹長は今、この駐屯地で自分がエトラさんの婚約者であるのを知る唯一の人だ。
他の誰にも話すことのできない、焦り交じりの不安を俯きがちに吐露する。

「運ばれてくる怪我人も落ち着いてきたし、きっとすぐエトラも戻るわよ~」
「・・・そう。ですね・・」
「まぁ。私がここで何と言おうと、安心は出来ないわよね~・・」

曹長はまた天幕内をくるりと見回して、一つ頷くとこちらに向き直った。

「ここはもう手も足りてるし、一度本部に戻ったら?あそこなら情報が真っ先に集まるでしょ?」
「でも・・いいんでしょうか?」
「問題ないわよ~でも、そうねぇ~それじゃ、本部に伝言を頼める?「救護所は落ち着いてきた。現在死亡者0」って」

ぱちりとウインクを投げられ、感謝の思いが込み上げる。

「お願いね?はい【洗浄】~」
「アクロア曹長・・・ありがとうございます!行ってきます!」

曹長はさっと魔法を使い、手や服に飛び散った血や土埃を落としてくれた。
お礼を言って直ぐに立ち上がり、近くの出入り口から飛び出すと本部まで急ぎ駆け出す。

—あ、降って来た・・―

顔に水滴が当たり、つられて空を見上げる。
どんよりと曇った空からパラパラと雨粒が降ってきていた。
まだ小雨だが、重く湿った空気にまだまだ強くなると感じる。

本部の天幕を視界に捉える頃には、軍服の上着は前面が水分を含み色を変えていた。
僅かに息を乱して天幕へ駆け寄る・・と、数メートル手前で見知った顔が先に勢いよく駆け込んで行き、視界から消えた。

—ベアド兵長?でも、エトラさんの気配は・・・ずっと遠くにあるのに?—

婚約者と一緒の隊で、行動を共にしていた筈の兵長だけがここに居る。
その事実にザッと血の気が引く。
震える脚をもつれさせながら天幕に駆け込むと、兵長が叫ぶように報告をしているところだった。

「やはり上級魔獣か?!」
「はい!全長は不明ですが、本体の大きさは15メートルはあります!座った状態でそれですから、立ち上がったら王都の壁を優に超える大きさになると思われます!」
「それで、普通の魔獣と違うというのは?!」
「はっ!魔獣の背中から植物のような蔦が生えており、その蔦に攻撃を受けました!また、周囲の魔獣も攻撃、吸収されるのを確認しています!」

ざわり。と天幕に動揺が走る。
つまり、ただでさえ厄介な上級魔獣が現在も力を増しつつあるという事だ。

「攻撃範囲が広く、視界の悪い森の中ではこちらが不利です!足止めはしてますが、直ちに応援を!」
「それが—・・」
「兵長っ!」

焦燥に駆られ、強引に会話に割り込んだ。
ただ事ではない自分の様子に、兵長が驚き目を見開く。

「ソルシオ二等?!今は—」
「エトラさんはっ!軍曹は今何処に?!」
「落ち着け二等!!」

雨で湿った上着を掴まれ、詰め寄った体を引き剥がされた。

「教えてください兵長!彼女は何処ですか?!」

自分の叫びに何かを察し、上官達の方へ目線で問う兵長。
頷きが返ってくると、こちらに向き直って言った。

「ホーク軍曹はまだ森の中だ。他の数人の隊長達と共に上級魔獣の足止めを行っている」
「そん・・な。じゃ、じゃあ直ぐに助けに行かないと!!」
「ああ、だから俺が応援要請のためにここに来たんだ」

そこでバッと上官達の集まる方へ視線を向ける。
自分に戦う力はない。情けないけれど、他の力ある人達に縋るしかないのだ。
その思いが視線に込められていたのだろう。苦しそうに顔を歪め、少佐の一人が答えた。

「精神感応による通信が不能な今。先に王都へと走らせた救援要請を待つしかないのが現状だ・・今の我々に出来る事は・・」

そんな。それでは・・魔獣と戦っているエトラさんを救う手立ては?ない・・と?
待つことしか、出来ない・・と・・そん、な。

―馬鹿な、話が—

不安と恐怖、焦燥に駆られて走り出そうとした体を、ベアド兵長が押し留めた。

「待て二等!どこへ行くつもりだ?!」
「放して、放してくださいっ!!」
「軍曹の所へ行くつもりか?!止めろ!行ってどうなる?!」

服を捕まれ、当然の如く止められ説得の言葉を投げかけられる。
でも、今はその時間が惜しい。こうしている間にも、エトラさんに何か取り返しのつかない事があったら—

「それでも、行かなきゃ!」
「だから、落ち着け!第一、どこに居るかもお前、解らないだろうがっ!!」

否。解る。自分にははっきり彼女の位置が解るのだ。ならば—

「俺には解ります!!だから―・・」
「お?そうなの?じゃあ案内頼むわジルコニアくん」

何時の間に現れたのか。
目の前。
天幕内の中心。
気が付けばそこに、煙管を燻らせる王族筆頭護衛官の姿があった。

「リア・・ム、さ・・」
「おぉ!筆頭殿!王宮は貴殿を応援に使わして下さったのか?!」

小さく零れた名前呼びは、興奮気味に話す大佐の声に遮られ周囲には聞こえなかったようだ。
ただ目の前の兵長だけは驚き、ぎょっと目を向いてこちらを凝視している。
でも、それを気にする余裕は無い。

「緊急の精神感応テレパシー連絡があったからな。雰囲気的に俺が直接動いた方が良さそうだと思ってよ。王都の方は部下達に任せて問題無いし」
「左様でしたか!では、早速現状の報告を―」
「リアムさんっ!エトラさんを助けてください!!」

「おい、バカ、止めろっ!!」と小声で腕を掴んで止めようとする兵長を振り解き、義父の傍に駆け寄る。
周囲は驚き言葉を無くした。
一介の兵士が王族の護衛官に対し直接名を呼び、話しかけるなどあってはならない事だからだ。
ましてや、上官との会話に割り込むなど―

「まだ、森にっ!魔獣と戦って!でも、俺だと助け、られな―」
「うん。わかった。この俺様に任せな!でも今は・・」

「ほいっと」と気の抜けるような掛け声と共に、額を人差し指でぴしりと弾かれた。
すると、滅茶苦茶に乱れていた感情が一瞬で凪ぎ・・それと共に揺らいでいた魔力が落ち着いていくのを自覚する。

「どうだ?一息つけそうか?」

見れば、両手で義父の胸元を握り込んでいた。
それに気づき慌てて手を開くが、硬く握り込んだローブはそこだけ皺になってしまっている。

「わわっ・・すみません!」

焦りながら謝ると、ポンと頭に手が乗せられワシャワシャと髪を乱された。

「おう。落ち着いたみたいだな」
「はい。ありがとう・・ございます」

精神を落ち着かせる魔術・・正直助かった。
婚約者の一大事とはいえ、取り乱し過ぎだ・・こういう時こそ、冷静に対処しなくてはならないのに・・

「気にしなさんな。じゃ、ちょっとだけ待っててもらえるか?」
「お気遣い感謝します。大丈夫です」

煙管を片手に掲げ、にこっと微笑むと義父は改めて上官達の方へ向き直った。
自分はというと、いつまでも天幕の中心にいるのは落ち着かないので壁際まで下がり、驚きの表情で見つめて来るベアド兵長の隣へと移動する。

義父と上官らのやりとりを視界に収めながら、この後どう動くべきか考えていると兵長がススっと近づき小声で訊ねて来た。

「な、なぁソルシオ二等。お前さん、筆頭殿と面識あったのか?どんな繋がりだよ・・」

―あ~。まぁ、気になるよね・・―

きっと天幕内の誰しもが思ったことだろう『一体どういう関係なんだ?』と。
しかし、婚約の事と合わせて養子縁組も同時に発表する予定なので、関係を訊かれても答えられないのだが・・

失礼の無いように説明するにはどうすれば・・と考えあぐねていると兵長は一転「あ、やっぱいいわ。今の質問ナシで」と引き下がった。
その顔には『触らぬ神に祟りなし』とはっきり浮かんでいる。
申し訳ないので「その内、お話し出来ると思います」とだけ伝えた。

兵長と会話した僅かな時間で、上官達とのやり取りは終わったようだ。
義父が振り返り「待たせたな」と言って手招きしている。
少々気まずいが、素直に従い義父の隣へと進み出た。

「では、このジルコニアくんが場所を把握しているようだから、一緒に連れて行くってことで~」
「なっ!いや、待たれよ筆頭殿!!その者は戦闘能力の低い通信兵!連れて行けば貴殿の足手まといにしかなりますまいっ!!」
「そうですぞ!精神感応能力が使えぬ今、連絡係としてもお役に立てるとはとても!」
「案内ならば別の者を・・現場を直接目にしている者を付けます!・・おいっ!そこの、応援要請に来た兵長!案内は可能だな!!」

突然呼ばれたベアド兵長はその場で敬礼し「はっ!勿論です!!」と答えた。
上官達の言う事は至極当然で、二等通信兵の自分が国内随一の魔術師に付いていく利点は無い・・本来ならば。

—でも、俺なら最短で案内出来る!—

理由は不明だが、彼女の血を口にする度に感知できる距離がどんどん伸び、今は方向だけなら5キロ・・いや、感覚的にもっと遠くまで感知できると確信がある。
近くに行けば、正確な位置もはっきり解る。
ぎりっと拳を握り「案内を任せて欲しい」と主張しようと口を開きかけた時、義父が上官らの言葉を一蹴した。

「いやー駄目だよ。そりゃこんだけ魔力場が乱れてたら精神感応能力は疎か、一般魔術の発動も難しいと思うぜ?個々人で使う【魔法】は問題ないけどよ」

煙管を咥え、ふぅーと紫煙を吐き出して「俺の魔術は別だけどさ」と続けた。

「おかげで俺も、ここに来るのに短距離転移を繰り返すしかなくて、ちょい面倒だったわ。そうだ。魔力場の乱れの原因は判明してるか?」
「い、いえ。今はまだ・・」
「だよなぁ?周囲に漂う魔力を利用する魔術や能力は使えないか、使えても正しく機能するか微妙だ。つまり・・」
「魔力による範囲感知も難しいと?」

大佐の言葉に「そゆこと」と懐から携帯式の受け皿を出し、煙管の灰を落とす義父。
流れるようにベルトに下げられたホルダーに煙管をしまうと、兵長へ視線を向ける。

「訊くがよ。魔獣と戦闘になっているなら移動していると考えるのが当たり前・・だよな?」
「はっ!その通りであります」
「別れた現場に戻るとして・・そこから魔力感知を使わずに痕跡だけで追うとなると、時間のロスはどれくらいになるんだ?」
「単純に計算しても、倍以上はかかるかと思われます!」

「な?だからジルコニアくんの案内が一番早い!」と肩を抱き寄せられた。
天幕内全員の視線が集まり、思わず背筋が伸びる。

「俺様も探知しようとすれば出来なくはないけどよ、早さが違う!だから一緒に行くのさ!」

上官らの視線に、懐疑的な色がありありと浮かんでいる。
伝えるなら、今だ。
下ろした両手をぎゅっと握り、力を込める。

「行かせてくださいっ!自分は、ホーク軍曹の位置だけなら正確に感知出来ます!」
「本当かね?筆頭殿の説明では魔力感知は厳しいとの事だが・・」
「何故感知出来るのかは解りません・・けど、今この場からでも軍曹の位置は解ります!!」
「・・・筆頭殿・・」

大佐から視線でも訊ねられ、義父は「憶測だけど・・」と説明を始めようとした。
でも、先に自分の自制が限界を迎える。

—こうしている間にも、エトラさんは・・っ!—

「俺はっ!!」

突然の大声に、天幕内の視線が一斉に集まる中・・心の底から叫ぶ。

「—彼女の婚約者だ!!」

見つめる全員の目が驚きに開き、天幕内がシンと静まり返った。
構わず続ける。

「俺なら、可能なんですっ!リアムさんを、誰よりも早くエトラさんの元へ案内出来るっ!!」

バッと頭を下げ、懇願する。

「お願いしますっ!行かせてくださいっ!!」

静寂の中、頭を下げ続ける・・と、上官らが声をかける前に義父が嬉しそうに笑い声を上げた。

「はははっ!よくぞ言った!!さすが俺様の義息むすこ!!」

義父の発言に天幕内に動揺が走り、驚愕の声が次々に上がる。

「「「「「む、むすこぉ?!!」」」」」
「「「「「ホーク軍曹の婚約者ぁ?!!!」」」」」

突然開示された内容に場が騒然となる中、義父は我関せず一方的に告げた。

「そんな訳だ!!愛しい者を助けに行くのに、理由はいらんよなっ!!では行ってくる!!」

制止される前に「さぁ!行くぞ!!」と義父に背中を押され、一緒に天幕の外へと飛び出した。
ざぁっと雨が降り掛かるも、義父が発動した魔術により阻まれ、肌に触れる事は無い。

「ジルコニアくん!手をっ!!」
「はいっ!!」

差し出された左手を躊躇いなく握る。すると直ぐに体がふわりと浮かんだ。

「飛べば一瞬で着く!案内は任せた!方向を示してくれ!!」
「解りました!エトラさんが居るのはあっちです!!」
「よっしゃ!飛ばすぜ?」

足元の駐屯地が一気に遠ざかり、大森林の上空を鳥よりも早く、滑るように移動する。

—エトラさん・・今行きます!!—

愛しさと焦燥を胸に、吸血鬼は願う。

—どうか無事で!!—

そして僅か数分後、視線の先・・
濃い緑の波から立ち上がるようにそびえる、岩肌の一部が爆ぜ落ちるのが見えた。


△    ▽    △    ▽


未だ動揺にさざめく天幕内。
熊獣人のベアドはバリバリと頭を掻き、混乱する感情を落ち着かせるように息を吐く。

—まじ、かぁ・・賭けも無効だなこりゃ—

最近話題のホーク軍曹の婚約者が、まさか彼とは・・全くの予想外だった。
しかも筆頭護衛官殿に「むすこ」と呼ばれていた。

—どういった経緯かは分からんが・・ま、目出度いわな—

二人が戻ったら、盛大に祝いの言葉を贈ろう。
頭を抱える上官らを余所に、そう心に決める兵長だった。







ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

えちちを書きたくて投稿してますが、ストーリー的にえちち以外を省くわけにもいかず・・
えちちが無い回はどうしても筆が遅いです。すみません・・

最後までお読みいただきありがとうございます。
ではまた、次回。

21/10/18 修正
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