部下と上司の素敵で不純な恋愛交流(旧題:染めて、染められて)

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【5】デート。【R15】

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ガラガラと石畳を進む馬車の中、部下と向かい合って座る。
互いに無言ではあるものの、嫌な沈黙ではなかった。
窓に掛かる日よけの隙間から外の様子を何とはなしに眺めていると、部下が謝ってきた。

「すみませんでした軍曹・・」
「ん?何がだ二等」
「いえ、ちょっと暴走したかな~って・・」
「もしかして、先ほどの口づけか?・・まぁ確かに、身内しか居なかったとはいえ急に人前でされたから少し驚いた・・唯の挨拶なのにな・・二等にされると私は平常心で居る事が出来ないようだ」
「それって・・えぇと嫌だった・・とか?」
「ばかもの逆だ!・・・嬉しくて舞い上がったんだよ。言わせないでくれ・・」
「軍曹・・」

二人して頬を染め、照れ合って視線を逸らす。
浮ついた空気が満ちる車内に耐え切れなくなって、咳払いをして話題を変えた。

「と、ところで二等!少々気になっていたのだが・・」
「はい、なんでしょう?」
「我々の互いの呼び方なんだが・・軍の敷地外では変えないか?今日のように私服で外に居るのに〈軍曹〉、〈二等〉では違和感しかないだろう?」
「確かに!そうですね・・ずっと〈軍曹〉としか呼んでいなかったので変な感じは無かったですけど・・私服だと階級呼びはおかしいですよね・・」
「だろう?だからこれからは軍と関係ないところでは〈エトラ〉と呼んでくれ」

胸元に手を添えて言えば、部下は嬉しそうに言った。

「わかりました!でも、呼び捨ては難しいので・・〈エトラさん〉でも良いですか?」
「それで構わない。君のことは〈ジルコニア〉で良いか?」
「う~ん・・出来れば〈ジル〉でお願いしたいです」
「わかった。そう呼ばせてもらう」
「ありがとうございます・・〈エトラさん〉」
「どういたしましてだ・・〈ジル〉」

互いに名を呼び合うと、じわじわと照れが身体を侵食していく。

「な、何だか照れちゃいますね・・」
「確かに・・実際に呼ぶと・・恥ずかしいものだな・・だが、互いに呼び合っていれば直に慣れるだろう」
「そうです・・ね。・・・俺、沢山呼びます・・早く慣れたいので」
「私もだ〈ジル〉。沢山・・沢山君の名を呼ぶよ」
「ふふっ・・間違うことなく照れずに呼べるようになるのはどっちが先でしょうね?勝負しますか?〈エトラさん〉」
「その勝負乗った。負けないぞ〈ジル〉」
「俺も、負けませんよ〈エトラさん〉」

照れを含みながら、互いの名を呼び合っている内に目的地に着いたのだろう。馬車が止まった。

ブロンズ色のハンドバッグを腕に掛けて降りる準備。
中折れ帽を被って先に降りたジルの手を取り石畳に降り立つ。
目の前には飲食関係の店が軒を連ねる通りへの入り口があった。
友人と何度か飲みに来たことがあるので、知らない場所ではない。
差し出されたジルの左肘に手を掛け、軽くつかまったところで高い位置の御者席から、執事が声をかけた。

「ではお嬢様、わたくし共は屋敷に戻ります。お迎えは3時間後でよろしいでしょうか?」

「あぁ、そうだな・・」と隣にちらと視線を向ければ、ジルが「はい、3時間後でお願いします」と代わりに答えてくれた。

「かしこまりました。ソルシオ様、お嬢様をよろしくお願いいたします・・・出してください」

執事の指示で御者が馬へ合図を出し、馬車はガラガラと音を立てて走って行った。

「ではエトラさん。行きましょう・・目的のお店までは少し歩きますが、ここの通りは色んなお店があるので、眺めるだけでも楽しめると思いますよ?」

ゆっくりと歩きながら、ジルの言葉に促されて通りを見渡す。
大通りへの出入り口近くになるこの辺りは屋台の店が多いようで飲み物や軽食、子供向けの菓子など様々な食品が売られていた。

「確かに、色々あるな・・この辺りには夜にしか来た事が無かったんだが・・雰囲気が全く違って、まるで別の場所みたいだ」

すぐ近くを親の手を引いて、菓子の屋台へと突撃していく猫獣人の子が通り過ぎた。
その後ろ姿を微笑ましく思いながら目で追う。
ジルも同じ方向を見ながら答えた。

「ですね。夜開いてるのは飲み屋が殆どですから・・客層で大分印象変わりますよね」
「ジルも飲みに出たりするのか?」
「えぇ、まぁ・・あまり強くないんですけどね・・夜行性の友人とかと、たまに来たりしますよ」
「そうなのか・・私は酒の味は分からんが、セラスが言うには強いらしいぞ?一緒に飲みに行くと、私につられて飲み過ぎたとよく言っている」
「いいなぁ。お酒に強いのは純粋に羨ましいです」

「俺も強かったら、夜会の時迷惑かけないで済んだのに・・」とシュンと肩を落とす。
ジルのその様子に苦笑しながら「でも、その体質のお蔭で今の私たちがあるのではないか?」と言うと、俯いていた顔をパッと上げた。

「あ・・確かに!・・・俺、初めて自分の体質に感謝します。お酒に弱くて良かった!」
「ははっ。面白い言い回しだ!・・私も、ジルの体質に感謝するとしよう!・・・しかし、人と人との関わり合いというのは本当に不思議な物だな・・二月前には、君とこのような関係になるとは思ってもいなかったよ・・」

恋人関係へと至る切っ掛けを思い起こし、感慨深くなって組んだ腕に少しだけ力を込める。
今感じている嬉しい気持ちが伝わればいいなと思いながらも、恥ずかしいので横は見ない。視線は真っ直ぐ前に向けたままだ。

「軍曹・・」

感極まった様子で零れた言葉に「駄目だよジル」と注意する。

「今は名前で呼んでくれなくては・・ふふ、間違いも含むのだろう?勝負は私の勝ちかな?」
「うー・・すみません。つい・・でも、決着にはまだ早いですよ。始めたばかりじゃないですか!」
「そうだな。もう少し時間を掛けるとしようか」
「そうしましょう、そうしましょう!・・あっ!ぐんっ・・エトラさん。あの角のお店が茶葉のお店ですよ!」

言った傍からまた間違いかけた恋人に苦笑するも、今回は聞かなかった事にして流し、指さす先に視線を向けた。
通りの交差する角には大きな日よけが掛けられていて、葉とカップの絵が描かれていた。

「先に茶葉の方を見て、その後に隣で軽食を食べようと思いますが・・」
「あぁ、それで問題ない」
「わかりました。では行きましょう」

立ち止まり、店の前で簡単な段取りをしてから店内へと足を踏み入れた。
日よけの隙間から入った店内は表より大分涼しい。
店の中を見回すが茶葉らしき物は見当たらない。大きなカウンターの背後の壁に箱が沢山並んでいて、湿気を避ける為に茶葉は全てそこに収められているようだ。

「いらっしゃいませ」
「こんにちは、すみません・・リラックス効果のある茶葉のお勧めってありますか?」
「はい、ございます。お好きな系統はございますか?」
「エトラさん・・好きな香りってあります?」

早速カウンターに居た店員と話し始めたジルに訊ねられるが、正直良く分からないので「幾つか出してもらえれば選ぶよ」と返した。

結局、系統別に出された茶葉の香りを確認して、好みの物を選んだ。実際に飲むのが楽しみだ。
ジルも何種類か茶葉を選んでいた。一緒に会計を済ませると、そのまま隣のカフェへと移動する。

「いらっしゃいませ!ご来店ありがとうございます!」
「二人ですが、席は空いてますか?」

ジルの確認に「空いております、こちらへどうぞ!」と女性店員が自分たちを奥の席へ案内してくれた。
カフェの店内はさわさわと人の静かな話し声に満ちていた。
殆どが女性客のようだが、男性客も数人見受けられる。
店員とのやり取りに幾人かの客から視線が向けられたが、どれも直ぐに離れていく。
注目して見ている者は居ない。
知らず緊張していたらしい、視線が離れるとそっと肩の力を抜いた。

昼間あまり外出することが無いので気にしたことが無かったが、ここに来るまでに顔を隠して出歩く者をちらほらと見かけた。
種族の特性で陽の光が苦手だったり、お忍びだったり・・理由は様々らしいが、成程。
これならば自分たちも変に目立つことはあるまいと、安心していたがその通りのようだ。

「こちらの席をどうぞ!すぐにメニューをお持ちしますので、少々お待ちください」

席に案内してくれた店員はそれだけ言うと、忙しそうに離れて行った。
店員を見送ると、ジルが「どうぞ」と椅子を引いてくれたので「ありがとう」と礼を言いながら着席。
ジルもテーブルを挟んだ向かいに座り、帽子を取って壁のフックへ掛けた。

有難いことに一番奥の席へ案内してもらえた。
隣とも天井から吊り下げられた粗目の布で仕切られている。
他の客の視界が遮られているので、周囲を気にすることなくお茶を楽しめそうだ。

目元を覆うレース越しに周囲を観察していたが、すぐに先ほどの店員がやって来てメニュー表をそれぞれに渡し「お決まりになりましたらお声がけください」と言うと、他の客に呼ばれて行った。

「エトラさんは甘いの苦手でしたよね?」

薄い木の板に張り付けられたメニューは表と裏にそれぞれ飲み物と軽食とが書かれており、ジルは軽食の面を見ながら言った。

「あぁ、そうなんだ・・少しくらいなら平気なんだが・・砂糖が多く使われている物や、油っこい物もあまり得意ではないな・・」
「なるほど・・ではコーヒーなんかは平気ですか?」
「そうだな。特別に好きという訳ではないが・・あぁ。軽食にコーヒーを使った菓子があるな」
「えぇ。これならエトラさんも美味しく食べられるんじゃないかと・・」
「そうだな。では私はこの〈コーヒーのムース〉と・・飲み物は〈本日のおすすめ紅茶〉で」
「俺は・・うーん・・〈キャラメルナッツのタルト〉と〈ダージリン〉にします・・すみませーん!」

互いの注文が決まり、ジルが店員に声を掛けると気づいた店員が直ぐにやって来た。
注文を伝え、メモを取った店員が下がると、それほど待つ事なく注文した品が運ばれてきて「お好みの濃さでお召し上がりください」とカップとティーポット、茶こしなどのティーセットが置かれる。
そこに二人分の菓子が乗るとテーブルは少々手狭になってしまった。

「何だか沢山来たな・・」
「茶葉のお店が出店したカフェですから・・結構本格的ですね」

普段は食堂で食事をすることが多く、自室ではお茶を入れる事も無いので目の前の茶器に困惑していると、ジルが「もう少し待ってから少しだけカップに注いで、味を見てみましょう・・置きすぎると渋くなっちゃいますけどね」と慣れた様子で二人分の茶器をセットしていく。

説明を受けながら自分で淹れた紅茶は、香りの優しい飲みやすいブレンドティーだった。
成程確かに。時間が経てばその分茶葉の味が濃くなり、最後には渋みも感じた。

ジルの頼んだタルトはナッツがぎっしり詰まったもので、見ているだけで甘みを感じそうなくらい表面がキャラメルの照りで輝いていた。
いそいそと色眼鏡を外し、つるに掛けたチェーンで首から下げると、ナプキンをシャツの襟口に差し込んで準備は万端。
フォークを手にタルトに取り掛かろうとした時、こちらの視線に気づかれた。

「えっと・・俺、何か変ですか?」

変なところなど無い。ただ・・帽子や色眼鏡を外し、素顔を顕わにした恋人に胸がかき乱されているだけだ。

「いや・・何も。いつもとは異なる雰囲気を纏う君を・・眺めているだけだよ」

夜会の時のように前髪を上げ、額を出しているお蔭で、普段は前髪の奥に隠されている目を見ながら話すことが出来る喜びのままに微笑む。
じわじわと顔を赤らめていく恋人に視線を注ぎつつカップを傾けた。

じっと視線を向けられて、若干挙動をぎこちなくしながら「そ、そうですか?ありがとうございま・・す?」と首を傾げて礼を言い、タルトにフォークを伸ばす恋人。

彼の瞳に視線が惹きつけられて離せない。どうやら自分は恋人の目がとても好きなのだと今更ながら自覚する。
レース越しに視線を向け続けていると「そんなに見つめられたら、食べにくいです・・」と言われてしまい『それもそうだな』と直ぐに「すまない」と謝罪を口にした。

視線を合わせたい衝動を抑えて、自分の菓子に取り掛かる。
上下二層に別れたコーヒーのムースは、甘さは感じるものの美味しく頂くことが出来た。


△    ▽    △    ▽


—し、心臓が持たない・・—

馬車の中で互いの呼び方を切り替えようと話をして、ぎこちないながらも名前を呼び合うことになり・・盛大に照れた。
いや、だって仕方ないよねっ!ずっと階級でしか呼んでこなかったし・・
家名で呼ぶことはあっても、名前なんてよっぽど親しくないと呼ばないよ?!

早く、自然に呼べるようになりたいな・・名前で呼び合うのが当たり前になるくらい、この先一緒に居られるといいな・・

その後、茶葉のお店を経由してカフェまで順調にエスコートする事が出来、ホッとして大好きな甘味を前に気が緩んだところに、とんでもない爆弾を落とされた・・

視線を感じて「何か?」と聞けば「眺めているだけだよ」と返される。
けれどもレース越しに熱を感じる程に視線を注がれて、顔が火照った。
なんとなく「ありがとう」と礼を伝えて目の前のタルトに集中しようとしたけれど、じりじりと視線に炙られて叶いそうにない・・

一口食べてみたけれど然程甘みを感じない・・仕方ないよね。落ち着かないもの・・
こちらからの視線はレースに遮られているのを、少し狡いと思いながら「食べにくい」と伝えると、直ぐに謝られ視線も外してくれた。

少しだけ申し訳なく思うものの、ようやく落ち着いてタルトを美味しく口にできた。
時折視線が向けられていたが、食べ終わる頃には慣れてこちらも微笑みを返す事が出来た。

席に着いて40分程経っただろうか。
お客が増え、混雑し始めたのでカフェを出る事にする。
それぞれ会計を済ませ(ご馳走したかったのにキッパリと断られてしまった)迎えの時間まで近くを散策することになった。

カフェの感想を語り合いながら、ふらりとあちこちの店を覘く。
初めて一緒に出歩いたので、どんな品物に興味があるのかエトラさんの好みを把握するべく気を付ける。
いつ何時プレゼントを贈る機会が巡って来ても良いように!

気合を入れたものの、やっぱり甘すぎる食品は苦手なようで、エトラさんの目に留まる物といえば酸味のある果物や、辛い物など刺激物ばかりだった。

日持ちする携帯食料を扱う店では仕事の話になりそうだったので、これはまずいと直ぐに移動してしまい、お互い顔を見合わせて苦笑いした。
結局買ったのは乾物や木の実を扱うお店で見つけた酒のつまみにもなるナッツ類のセット。
色気の欠片も無いけど、すごくエトラさんらしくてほっこりする。

自分は菓子屋で飴を幾つか購入。自室に甘味があると落ち着くので、常備用だ。
楽しい時間はあっという間に過ぎて、そろそろ時間だと馬車を降りたところに足を向ける。

「荷物を持たせてしまって、すまないなジル」
「いえいえ~エトラさんのハンドバッグに入れるには大きいですからね。手で持つより、俺の予備バッグに入れた方が効率的ですよ!」

腰のベルトに通したウエストバッグから、こんな事もあろうかと折りたたんだ布バッグを取り出し、エトラさんと自分の荷物を入れて腕に掛けていた。
もちろん、反対の腕にはエトラさんの手が回されている・・

向かう時にギュッとしてくれて、ほんのり胸の感触が腕に伝わったのを思い出していると「なら、そのバッグを私が・・」などと言うものだから、会話に集中するべく邪な気持ちを振り払った。

「だーめーでーすー!折角素敵な格好をしてるんですから!コーディネートを崩したら勿体ないですよ?それに、ちょっと憧れてたんです・・代わりに荷物を持ってあげること」

「すごく恋人っぽいでしょ?」と続けると、エトラさんは一瞬きょとんとしたけど、直ぐに「確かに、ぽいな」と笑ってくれた。

たわいの無い会話をしている内に、大通りへと着いてしまう。
店の軒を借りて日陰に入り、馬車を待つこと数分。右手からやって来た馬車の御者席に執事のスミスさんを発見した。

—楽しい時間は本当にあっという間だな・・—とエトラさんと離れる時が近づいてきたのを実感して、じわりと寂しさが心に染みを作る。

—でも、とても楽しかった。また近いうちに誘ってみよう―

次のデートに思いを馳せ、目の前に停まった馬車に乗り込んだ。


△    ▽    △    ▽


楽しい外出だったものの・・どこか物足りなかった。
僅か数時間しか一緒に居られなかったのもあるが、やはり触れ合いが足りない。
腕を組んだだけでは満たされない、飢える熱が体内で渦巻いている。

—どうにかして・・もっと触れ合えないものか・・—

茶色のレース越しに、向かいに座る恋人を見やる。
半そでのシャツから覗く腕は白く、殆ど日に焼けていない。彼の種族特性なのかもしれない。
目線で辿ると、その手首には小指の幅ほどの深い緑と茶色の二色の革がゆるく、幾重にも巻かれていて男性にしては細めの印象を抱かせた。

レースで隠されているのを良い事に、先程から剥き出しの肌にばかり目線が行ってしまっている・・

—やはり、私は変態なのでは?・・腕を組むだけでは、とても足りない。もっと・・広く、直接肌と肌を重ねたい、などと・・—

申し訳なくも背徳的な思いを巡らせていると「どうぞ、エトラさんの荷物です」と紙袋を手渡された。
何食わぬ顔で「ありがとう」と受け取り、念のため中身を確認しようと織り込まれた口を広げた時、指にピリッとした痛みが走った。

「―っつ!」

反射的に指を引っ込め視線を向けると、どうやら紙袋の縁で切ってしまったらしい。
右手中指の側面に一筋の線がじわりと浮かび上がる。

「血の匂い・・エトラさん!怪我しました?!見せてください!」

布バッグの中を覗いていたジルが此方の事態に気づき、慌てて声を掛けて来た。

「あぁ、ちょっと切ってしまったみたいだ。だが大した事は―・・」

―ない。と続けようとしたが、ヒュッと飲んだ息と共に言葉は空間に響くこと無く消える。
すっと跪いたジルが私の右手を取り、日よけのレースのなかに導いて傷に舌を伸ばしたからだ。

帽子を取った顔を見下ろせば、色眼鏡の内側で伏せられた睫毛がきれいに揃い広がるのが見え、その美しさにドキリとする。
レースの内側に隠された自らの手は、見えないからこそ這う舌の感触を鮮明に伝えてきて、腕を駆け上がるゾクゾクとした痺れを増幅させる。
声を噛み殺し、甘い痺れを享受していると熱の籠った上目遣いの視線とぶつかった。

途端に、ジルは体ごと引いて元の座席に収まる。

「す、すみません軍曹!つい、思わずっ!あの・・申し訳ありません!」

振り撒いていた色気は霧散して、握り込んだ両手を膝に乗せて背筋を伸ばすジル。
慌てて謝る様子に、思わず伸ばしかけていた手を引き、胸元で握り込んだ。

「いや・・気にしないでくれ。大丈夫だから」
「本当に、すみません・・血の匂いにつられてしまいました・・」

俯くジルに、興味からつい質問を投げかけた。

「私の事は本当に気にしなくて大丈夫だ。それより・・他の者の傷も・・目の前にあったら今みたいにするのか?」

言いながら、そうだったら嫌だなと思う。
想像すると<もやもや>とした黒い感情が鎌首をもたげた。
他人の血がジルによってその体内に取り込まれるなど・・許したくない。

「いえ、それは無いですね。直接舐めたいと思うのは軍曹だけ・・エトラさんだけですよ」

顔を上げ、真剣な声で否定したその言葉に、一瞬で<もやもや>は引っ込んだ。
けれども、気になったので続けて訊いてしまう。

「・・直接でなければ口にする事があるのか?」
「・・・・えぇと。今までは、ですね」

「俺、吸血鬼なので」と困ったように髪を後頭部へと撫で押さえながら続けた。

「嗜好品として、購入した血液を混ぜた酒などを飲むことはありましたけど・・エトラさんの血を飲んでからは、それもなくなりました」
「何故?・・と訊いても?」

心臓が、期待に強くリズムを刻み始める。

「俺が・・嫌だからです。軍曹・・あなたの血を口にしたあの日から・・俺を満たすのはあなたの血以外、在り得ない」

はっきりと告げる言葉に、歓喜で胸がきゅうと絞られたように感じた。
じわりと満たされたのは独占欲なのだと今、自覚する。
となれば成程、最近感じる事のあった<もやっ>とした感情は[嫉妬]であったか。
一人納得したところで、はたと気づいた。

「ならば、最近は血を口にしていないのではないか?それは・・平気なのか?」
「確かに口にしてませんが・・そんな心配することではないですよ。俺にとって、他人の血は栄養補給というより嗜好品でしかありません」

「お菓子と一緒です」と布バッグから飴の入った紙袋を掲げて見せる。

「生きていく上で必要不可欠な物ではないです。〈俺は〉ですけどね・・吸血鬼それぞれなんで」
「そうか・・」
「安心しましたか?」
「あぁ。君が辛い思いをしたのではと心配したが、違うのなら良かった」

今までよく知りもせず、漠然と吸血鬼とは血を飲まねば生きられない種なのだと思っていたから・・恋人はそうではないと解って心底ほっとした。

「軍曹・・安心したのは俺が辛くないから・・ですか?」
「そうだが・・ジル。先ほどから呼び方が〈軍曹〉に戻っているぞ?」
「あ。すみません・・呼び慣れてるので、つい口から・・呼び方。もうちょっと頑張らないと駄目ですね」
「あぁ。勝負の事は忘れて良いから、馴染むようにお互い努力しよう」
「分かりました・・―って。それは横に一旦置いといてですね」

ジルは口元に手を当て、咳払いをしてから改まった感じで続けた。

「エトラさんが安心したのは俺が心配だからであって・・自分が血を吸われずに済むと思ったからでは・・」
「・・うん?・・何だ。私が血を吸われるのを嫌がると思ったのか?」
「・・・・えぇまぁ。それが普通の人の反応なんで・・それに。あの時は無理やりだったから・・嫌悪感があるかと・・」
「この際だ、はっきり言っておこう。夜会での事は・・まぁ突発的な事ではあったが・・不思議と嫌では無かったんだ」
「・・―――えっ?」

信じられない事を聞いたように、驚きに零れた声。
その声に躊躇いながらも、正直な気持ちを吐露する。

「嫌などころか・・その。き、気持ち良かったからな。今思えば何処かで〈次〉の期待もあったのだと思う。何度か夢にも見たしな」

流石に恥ずかしくなり、視線を逸らして外を眺める。
暫く馬車の中にはガラガラと車輪が奏でる音だけが響いていたが、あまりに反応がないので気になり、ちらりと視線を戻す。
するとそこには両手で顔を覆い、上半身を伏せるように倒した恋人の姿があった。

驚いて声を掛けようとしたが、先に話し掛けられる。

「エトラさんっ!」
「な、なんだ?」
「可愛すぎますっ!」

突然の思いもよらぬ誉め言葉に、喉の奥で変にくぐもった音が出た。
目の前に晒されたジルの後頭部を反射的にパシリと叩く。

「いてっ!」
「は、恥ずかしい事を言うな!!私はもうすぐ30だ!」
「恥ずかしくなんかないです!本当の事ですからっ!!エトラさんは可愛く、素敵で、最高の恋人ですっ!!!」

がばりと上体を起こし、こちらの手を両手で包み力説する恋人。
羞恥で体が熱くなる。でも、確かに嬉しさもあって・・・

―今だったら・・―

もう少し勇気を出そうと決めた。

「私の血は・・ジルの好みに合っているか?」
「それはもう最高に美味しいです」

即答する恋人の言葉に後押しされて、もう一歩踏み出す。

「なら・・飲んでみるか?」
「―――え?」

固まる恋人の手をそっと外し、羞恥に震える指で首まで覆うブラウスのボタンを一つ一つ解放していく。
胸元まで外し、ぐいとブラウスを開いて首筋を晒した。

「ジルに・・飲んで欲しいんだ」
「ぐんそう・・」
「すまない、こんな・・はしたなくて。嫌いになったか?」

視線を斜めに下げて不安を零すと、そっと抱きしめられた。

「嫌いになるわけ、ないじゃないですか。こんなにいじらしく可愛くて、素敵な俺の恋人なんですから・・」
「二等・・」

嬉しくて、涙が零れそうになる。
こちらからも、そっと背中に腕を回して抱きしめた。

「ふふっ。エトラさんも〈二等〉って」
「・・今は大目に見てくれ」
「はい、もちろん。――――――ねぇエトラさん」

ジルは身体を離すと、色眼鏡をチェーンごと外して後ろの席に放り、首のループタイを緩めながら続けて言う。

「もう、今更「嫌」だなんて、言わないでくださいね?」

「止まれそうに、無いので」と一つ目のシャツのボタンを外した。

色の乗った熱を込めて見つめて来る瞳は、優しいヘーゼルからじわりと紅く変わり始める。
注がれる熱い視線に炙られ、ゾクゾクと恍惚の予感に震えながら、しっかりと頷いた。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

えちち・・ちょっとしか入りませんでした・・申し訳ない・・

次こそはガッツリR18です!
主人公二人、それぞれの視点でえちちをお送りする予定ですのでお楽しみに!!

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