エーテルマスター

黄昏

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ギリシャ神話 サタン一族編

告白

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次元転移によるタイムライン上の誤差は±10年を見込む必要があるが、予めポータルをセットしていた場合は最大±1ヶ月ほどに高精度化できる。
ヘラはアトラに次元転移するにあたって目標を『賢者の秘法』を発動してから2ヶ月後とした。タイムライン上に同一人物が同時存在したらタイムパラドックスが発生してタイムラインが崩壊する危険性があるためだ。
仮に到達時間が目標点から1ヶ月前であっても秘法発動と同時である。
依代となったヘラはその時点では絶命しているためパラドックス発生の危険性は無いと計算したのだ。

・・・・・

魔人一斉攻撃事件から3週間、オリビアはまだ昏睡状態から抜け出せずにいた。
「精神的なものと言うが、そんなおざなりな診断で私が納得すると思うのか?」
パトリックは国内有数の名医と呼ばれたDr.ローゼンベルグに怒りをぶつけた。
「しかし、脳のMRIにも異常が見られません。循環器系はこの年にしては非常に綺麗だし、心筋も正常です。悪いところが全く見当たらないのです。おざなりと誹謗されても私にはそう診断結果を出すしかありません。」
Dr.ローゼンベルグは自身の誇りにかけてこの診断結果を出した。
起きることのないオリビアの眼球が時々忙しなく動くのを見て、彼女は何か夢を見ていると直感した。
以前、よく似た症状を示す少女を治療した事があるが、その少女は生まれつきの低血圧により自律神経に異常が発生した、しかし、今回のリンドバーグ夫人のそれとは違うと感じていた。
「よく似た病気に、起立性調節障害と言う物が有りますが、微妙に症状が違います。一番の違いはその障害の場合は本人は時々目をさまし意思疎通ができるのですが、奥様の場合は全く目を覚ます気配がありません。明らかに、ただの自律神経失調とは異なります。」
Dr.ローゼンベルグはさらに詳しく説明した。
「命に別状はないのか?」
「はい、このまま生命維持はできます。しかし、目を覚まして歩き回る場合とは違います。やがて全身の筋肉が退化して生気が失われて行くでしょう。再び目を覚ます時期にもよりますが、目が覚めたときのリハビリが大変でしょうな。」
パトリックはその言葉に絶望感が込み上げてくるのを自覚した。
このまま、生命維持し続けるのが良いのか、本人の尊厳の為に・・・・・。
『だめだ! そんな事できる訳がない。あと一月ひとつき、いやあと一年このまま様子を見よう。」

『心的要因が原因だと言うなら、その原因を見つけて見せる。』
パトリックは彼女が心神喪失で倒れる直前までの記録をリンドバーグハウスに再生させた。
「コンシェル、彼女の見ていたニュースを再生してくれ。」
リビングに現れた巨大スクリーンにヘブンズガーデンへの魔人襲撃事件のニュースが再生された。
特に彼女を刺激したような所は無い。魔人達がヘブンズガーデンが放出した黒い球体に飲み込まれ跡形もなく消えてしまう映像が映っていた。
『また、新兵器を開発したのか? すごい威力だ。 だが、これがオリビアに何か影響を与えたとは思えない。』
「コンシェル、ニュースとオリビアの映像をシンクロして表示してくれ。」
リビングの巨大スクリーンの隣に同じサイズのスクリーンが現れ、オリビアを斜め上から撮影した動画と一緒にニュースが再生された。
オリビアはソワソワとはしていたが昏倒する前触れのような仕草はなかった。
ニュースが終わった直後、突然両腕で体を抱くような仕草をし、その後胸を抑えて床に倒れ伏した。
「コンシェル、オリビアの心拍情報を動画にシンクロ表示できるか?」
「可能です。」
「やってくれ。」
再度ニュースとオリビアの映像が再生され、オリビアのスクリーンの下にオリビアの心拍波形が表示された。
「大賢者キルケゴールに連絡を取ろうと試みましたが現在に至っても応答はありません。」
ニュースがこうアナウンスした数秒後、オリビアの心拍波形が急激に変化した。明らかに心室細動の兆候がある。
『この時か?』
キルケゴールと連絡が取れないと聞いた途端に心臓発作を起こしたように見えた。
「コンシェル、大賢者様を探す手配をしてくれ。私が経営している全財団を使ってもいい。必ず見つけ出せ。」
「終了する、スクリーンを片付けてくれ。」
そう言って、パトリックはリビングを出て行った。

パトリックは廊下を歩きながら、気になっていた事をリンドバーグハウスに聞いた。
「コンシェル アビゲイルには連絡がついたのか?」
「いいえ、すでに3週間音信不通です。」
「何処にいるか推定しろ。」
「アビゲイル・リンドバーグがフリートウッド・マーリン・キルケゴールと行動を共にしている確率が92%です。」
『そう言うことか! アビーの不在が何か関係している。そう言えば、アビゲイルが家を出てからオリビアの様子がおかしかった。一体、何が起こっているんだ?』
「大賢者探索に加えてアビゲイルの探索を至急頼む。最優先事項だ。」
「了解しました。」
リンドバーグハウスが「紅茶を用意しろ」と言われた時と同じ抑揚で答えた。

・・・・・

ヘラことアビゲイルはパトリックが大賢者とアビーの探索をリンドバーグハウスに指令した3日後にアビゲイルの部屋に実体化した。
リンドバーグハウスはパトリックの指令に従い最優先で大賢者とアビゲイルの探索を実行していた。
その中にはアビゲイルが転移で帰宅する事を想定して、彼女の私室を監視することも当然含まれていた。
「アビゲイル・リンドバーグの私室に生命反応が発生しました。生命体がアビゲイル・リンドバーグである可能性は75%。」
リビングに集まっていたパトリックとその家族全員がリンドバーグハウスの報告を聞き、全員が駆け出した。長女のキャサリンも海外留学から帰ってきている。
家族の中で最も足の速いチャールズが真っ先にアビゲイルの部屋に駆け込んだ。
チャールズはそこに一人の女性がこちらを振り返っているのを目撃した、少し驚いた表情をしている。
『アビー? ・・・ いや、違う。 誰だ?』
チャールズは家族の到着はまだかと一瞬ヘラから目を離した。
再び、視線を戻した時、そこにはもう誰も居なかった。

「アビゲイル・リンドバーグの私室から生命体が一体消失しました。何処かに転移したと思われます。転移先はヘブンズガーデンである確率が95%」

家族がアビゲイルの部屋に到着した時には、チャールズが茫然とヘラがいた場所を見ている姿だけが有った。
「アビー!」
「チャールズ! アビーはどうなった?」
パトリックが部屋に到着するなり聞く。
リンドバーグハウスの報告は耳に入らなかったらしい。
「アビーじゃありませんでした。見たこともない女性がそこに立っていたんです。だが、ちょっと目を離した隙に消えてしまった。」
「コンシェル! ここに居た人物を特定せよ。いま、何処にいる?」
「この部屋にいた人物を特定できません。転移先はヘブンズガーデンの可能性が95%。」
「さっきはアビゲイルらしいと言っていただろう?」
「本人である確率75%のため、確定できません。」
「どう言うことだ?」
「転移先がヘブンズガーデンだって? あそこは大賢者しか転移できないはずだ。」
「侵入者がアビゲイルである確率が75%というのはどう言う意味だ?」
パトリックが立て続けに質問するのでリンドバーグハウスの回答が質問と一致しない。
「転移先残り5%は追跡不可能です。」
「侵入者の生命マトリクスはアビゲイル・リンドバーグ本人のものです。しかし、形体マトリクスが本人のものと一致しません。」

「全く、訳がわからん。大賢者様は見つからないし、アビーも見つからない。ここに転移してきたのがアビーだと思ったがコンシェルは違うと言う。しかもその人物は大賢者か大賢者が許可した者しか転移できないヘブンズガーデンへ転移した。」

「アビーは何か理由があって誰かに変装しているのじゃないかな? そして、大賢者の指示で動いているのでヘブンズガーデンへ出入りする許可をもらっているのでは?」
チャールズが推理する。

「何かの理由とはなんだ? それに、それなら何故アビーの部屋にいた?」
「このままでは、埒が開かん。ヘブンズガーデンへ乗り込むぞ。」

・・・・・

一方、ヘラはチャールズに姿を見られて、慌ててヘブンズガーデンに転移して来た。
いつも、彼女がお茶をするテラスのある部屋だ。
彼女がずしたことは、クローゼットに向かい、服を着替えることだった。
次元転移してきた直後はあのギリシャ風キトンのままだったのだ。
服を着替えて姿見で自分の容姿を確認する。
『うーん、似てるとは言えアビゲイルですと言い張るには無理があるわね。』
母と会うには今のままキトンを着て会う方が良いと考えていたのだが、なぜか、自分の部屋に監視プローブがセットされていた。
『私を探している? 帰る時間が早すぎたかしら? それとも、何か異常事態が起こっているのかしら?』

なんとか、監視プローブを騙さなければ。
アビゲイルは監視プローブを騙し切れるとは思わないが、とりあえず形体マトリクスをアビゲイルの物に模倣した。
次に、アビゲイルが自室に戻ると家族全員に連絡が行くらしい。
これを、どうにかしないと。

そうこう考えているうちに、侵入者警報をハウスが伝えた。
「ガーデン東に侵入者5名。中央に向かっています。排除開始します。」
ヘラはちょっと気になったのでハウスに、
「侵入者の映像を見せて頂戴。」
と指令した。
アビゲイルの前にガーデンのホログラムが表示される。
「やっぱり、追いかけてきたわね。」
ホログラムにはパトリック、チャールズ、ジョージ、ドナルド、キャサリンの5名が映っていた。
全員腕輪のようなパーソナル・プロテクターを装着している。
これは、物理的な攻撃と軽度の魔法攻撃が有った場合その個人の周りにシールドを貼る機能を持っている。
しかし、所詮は個人用護身グッズである、ガーディアンには手も足も出ないだろう。
「無茶な事を、あの子達に外へ放り出されてしまうわよ。」
五人の周りに小鳥が群がってきた、ガーディアンだ。
五人は程なく小鳥のホムンクルスに首根っこを掴まれて空中に浮いていた。
必死でばたついている。
「侵入者排除中止! 全員ハウスへ案内してあげて。」
アビゲイルは家族をハウスに招くことに決めた。
どう説明するかはまだ纏まっていないが、まあ、成り行き次第だ。
小鳥達は五人をゆっくりと地面に下ろして何処かに去って行った。
代わりに、体長1メートルほどのキツネに似た生き物が五人の前に現れ『ついて来い』と言うように時々振り返りながら彼らの前を歩いて行った。

・・・・・

やがて、五人の前に小さな丘陵が見えてきた。
その頂上に白い家が建っている。
いつもニュースで見るヘブンズガーデンの片隅に写っていた建物だ。
五人は余裕が出てきたのか、白い家から降りてくる石畳の歩道を進みながら周りを鑑賞する。
「綺麗だわ、まるで天国ね。」キャサリンが呟く。
「ヘブンズガーデンとはよく言った物だ。」チャールズがそれに答えた。
丘陵を3分の2ほど登ったところで白い家の全体が見えてきた、正面の入り口の2つの柱の横に誰か人が立っているのが見える。
いつの間にかあのキツネは居なくなっていた。
白い家に近づくにつれその人影がアビーである事がはっきりして来た。


・・・・・

「アビー、やっと見つけたぞ。今まで何処にいたんだ」とパトリック。
「さっき部屋にいた白い女性はお前だったのかアビー」チャールズが問う。
「なんで緊急連絡に答えないの? 母さんが大変なんだから!」キャサリンが猛烈に非難する。
「アビー、大賢者様は何処だ?」
五人が一斉にアビーに話しかけた。
ヘラは母さんが大変と言う言葉に敏感に反応したが、取り敢えずこの場を収拾するため
「そんな、いっぺんに喋られても答えられないわ。まずは落ち着きましょう。」
そう言って一同をハウスに招き入れた。
テラスに案内しハウスに丸テーブルを用意させる。
「お茶でいいわね。六人分のお茶をここに持って来て。何かつまむものがあれば、それもね。」
「さあ、みんな座って」
一同は気も漫ろそぞろであったが、気を取り直して勧めに従った。
落ち着いたところを見計らってアビゲイルが口を開く。
「姉さん、お母さんが大変なことになってるってどう言う事?」
「母さんが昏睡状態に陥ったのよ、もう3週間以上になるわ。私も緊急連絡を受けて留学先から飛んで帰って来たのよ。あなた、なんで緊急連絡を無視したの?」
給仕がお茶を其々の前に置いていくのを横目で見ながらキャサリンが答えた。

母が昏睡状態、それも、3週間前から。
『間違いない、私の秘法発動を知ったのだわ。』
母は全貌をほぼ全て知っている。でも、家族は何も知らないと言ってもいい。何処まで説明すべきか。
ヘラは全て包み隠さず打ち明ける事を躊躇った。
とりあえず、尤もらしい理由を示さなければこの場は収まらない。
「ゴーシュ、・・・ 大賢者様と新しい時空の研究をしているのよ。多元宇宙をまたいで転移する技術を研究しているの。」
次元転移はゴーシュが前世から持って来た技術。
この世界ではまだ可能性としてしか知られていない。
「人魔大戦である種族が次元転移に関する古文書を持っていたのよ。」
これは事実である、ゼウス一族には次元転移の言い伝えがある、しかし無生物しか転移できない上に膨大な魔力(魂)を必要とするので何千年も実行されていない。

「緊急連絡を受け取れなかったのは、多分、実験で異次元へ転移していたからよ。」
 実験はほぼ成功していると伝える。
「お前の部屋にいた女性は誰なんだ?」
チャールズが改めて聞いた。
「あれは私よ、今実験している異次元での標準的衣装なの。向こうの住人にいらぬ疑いを与えないために変装しているのよ。」
「なぜ、あの時消えてしまったんだ?」
「やっぱり同じ理由よ。兄さん驚いたでしょ? ややこしいことになるのを避けようとしたの。」

「母さんの事が心配だわ、すぐに帰りましょう。」
アビゲイルはお茶もそこそこに立ち上がった。
「その前に聞きたい事がある。」
パトリックが制止する。
「母さんは3週間前大賢者に連絡が付かないと言うニュースを聞いて発作を起こしたのだ。
最初は大賢者に関係する事だと思ったのだが、アビー、お前もその時音信不通だった。
分かるか? 母さんが発作を起こしたのはお前に何か関係があると私は考えている。
一体、母さんとの間に何が有ったんだ?」
流石は世界有数の資産家、逃げようのない質問をしてくる。
「母さんが昏睡から覚めたら話すわ。」
「こっちへ来て、私の部屋へのポータルがあるから、そこから全員家に帰れるわ。」
アビゲイルは家族全員を早々に帰るように促した。
「お前の部屋へのポータルって、なんでそんな物がここにあるんだ?」
「それも、あとで話すわ。兎に角、今は家に急ぎましょうよ。」

・・・・・

アビゲイルを始め、家族全員がオリビアの寝室に集まっていた。
アビゲイルはベットの横に座り、母の手を両の手で握る。
「母さん、心配かけてごめんね。」
アビゲイルはオリビアの大脳辺縁にエーテルリンクを張り自身の明晰夢をオリビアの夢に接続した。


アビーが一歳半の時
パトリックが怒ったように「まだ一言も喋らないのか?」とオリビアに聞いた。
一歳半だと言うのに伝い歩きもできない。

『私がまだ2歳にもなっていない時のことね。あの時はまだ歩くことも喋ることも、その必要性を感じていなかったのよ。』
アビゲイルはオリビアのトラウマを解消する必要を感じた。

オリビアは『絶対に見捨てはしない。だけど・・・・』
この子の将来が心配で途方に暮れてしまっていた。
その時、
「母さん、私は大丈夫だよ。2歳になるまでには普通に歩けるようになるよ。」
「だって今は私が行きたいと思ったところへ直ぐに母さんが連れて行ってくれるんだもの。」
一歳半のアビーが知性をたたえた目でオリビアに語りかけて来た。
「言葉だって、本当はなんでも喋れるんだけど、母さんに言いたい事を思うだけで、母さんその通りの事してくれるんだもの、必要ないじゃない。でも、喋って欲しいんなら喋るよ。」
オリビアは慌てて答えた。
「いいえ、今のままでいいわ。2歳になるまで私のアビーでいて頂戴。」


アビーが7歳の時

ある日、アビーが帰ってくるなり
「母さん! 今度の日曜日、お友達、家に呼んでいい?」
と楽しそうに母に告げた。
「勿論よ! で、何人来るの? お菓子と飲み物用意しなくちゃ。」

その時アビーの瞳に年齢不相応の知性が宿った。
「母さん、あの時ゴーシュ・・・大賢者様の提案を受け入れてくれて有難う。あの時、私の心は壊れかけていた。母さん、どれほど私が救われたか、どれほど感謝していたか、とても口では伝えられない。本当に有難うございました。」

アビー13歳

「もういいわ、そんなに私と一緒にいるのが嫌なんだったら、もう会ってやんない!」
アビゲイルはとうとう拗ねて本末転倒な事を言い出した。40以上も年上のキルケゴールとまるで友達同士のように話す。
「アビー!、そんな事言うもんじゃありません。先生はこれからも何かあったら相談しても良いって仰って下さってるのよ。それだけでも、世界中のだれよりも幸せな事なのよ。」

『母さんはこの時、あの日ゴーシュを私の家庭教師にした事を少し後悔している。私が普通に育った事には満足しているのだけれど、私が大賢者に異常なほど懐いていることに一抹の不安を持っていたのね。』

13歳のアビーが大人の口調で母に語りかけた。
「母さん、私がフリートウッド・マーリン・キルケゴールに出会うのは必然だったの、遅かれ早かれ私たちは出会っていた。母さんからしたら、大賢者に私を取られたように感じたんだろうけど、私の母さんに対する愛は変わらないわ。生まれた直後から私を愛してくれたこと決して忘れていないわ。」
「だったら、なぜ私を置いて逝ってしまったの?」
オリビアは初めて夢の中のアビーに夢ではない自分の心を語りかけた。
「御免なさい母さん。母さんは私が普通の人間ではない事を知っていたわね? その私の中の人間を超えた部分があらがいようもなく私をき立てたの。本当に御免なさい。・・・・ でも、私は行かなければならなかった。」

13歳のアビーがこの時32歳のアビーになった。
「母さん、私は何処へ行こうと母さんを忘れない。・・・・ 約束したよね、別の人間になっていても必ず母さんの所へ帰ってくると。合言葉覚えてる? 
『私の研究ノート見たわね』 ・・・ さぁ、目を開けて。」
オリビアには、それが帰って来たアビーの言葉だと分かった。

・・・・・

昏睡状態だったオリビアがうっすらと目を開けた。
ゆっくりと、アビーの方に首を傾け、微笑んだ。
「帰って来たのね?」
「ただいま、母さん」
後ろで心配そうに見ていた家族が口々に
「目が覚めたのか?」
「母さん、なんで?」
男達はオリビアが目を覚ましたことに驚きの声を上げた。
「うぅぅぅぅぅうぇぇぇん」
キャサリンが意味不明の叫び声をあげ目に涙を溢れさせている。

「心配かけてごめんね。私はこの通りよ。だから早く元気になって。」
「アビー・・・ あなたアビーのままだわ、まだ行ってなかったの?」
「いいえ、行ったわ。この姿は家族を心配させないためよ。でも、母さんがこんなふうになっちゃうんだったら、家族にだけは本当の事を言っておかなければならないかもね。」
アビゲイルは実際の所、家族だけでなく母にも秘密にしておきたかった。
しかし、母が昏睡状態に落ちてしまうほど大ごとになるとは彼女も予想外だったのだ。
『考えを改めなければならないかしら?』
「今は元気を取り戻す事が先決よ。」
そう言ってアビーは母の頭に手を添えた。
痩けて頬ぼねが浮き出ていたオリビアの顔が元気だった頃のそれに戻っていく。
白髪が混ざったボサボサの髪が艶を取り戻していく。
青白い顔色に赤みが刺し健康的なピンク色に変わる。
オリビアは体を起こした。
「もう歩けるでしょう? お医者様には帰ってもらって。私たち家族だけで話しましょう。」


1時間後、家族全員がリンドバーグハウスのリビングに居た。
当主のパトリック、長兄のリチャード、次男ジョージ、三男ドナルド、長女キャサリン、三女キャロリーナ。
母オリビア、そして次女アビゲイル。
8人が一同に会することは一年を通じてそう何度も有る事ではない。
リンドバーグ家のリビングは20人以上の来客が一度に押し寄せても大丈夫なほど広く、豪華なものだ。
部屋の二面は全てガラス張りでその内一面はバルコニーへの出入り口にもなっている。
もう一面と並行して15人掛けの長いソファーが置かれ、それと直角に4人がけのソファが置かれていた。勿論テーブルもそれに合わせて中央に設置されている。
他の一面にはこれもガラスで区切られたキッチンとその横にドリンクバーがあり、一人掛けの椅子が十脚並んでいる。
8人はしかし、キッチンの横にあるこじんまりとした応接セットに全員が座っていた。
テーブルには其々の好みの飲み物が置かれている。


「母さん、本当に大丈夫なのか?」
パトリックがオリビアに念を押す。
「もう、大丈夫よ。アビーは世界有数のエーテル使いだもの、私の体調なんか直ぐに治せるわ。」
「そうか、ならアビー、説明してくれるか?」
「何から話せばいいかしらね。母さんが昏睡状態に陥るなんて私も思いもよらなかったの。」
「やっぱり、お前が原因なのか?」
パトリックが非難するようにアビーに問いかけた。
「否定はしないわ。」
「これから話すことは家族だけの秘密にしてくれると誓って頂戴。でなければ何も話すつもりはないわ。」
「何を、大袈裟な事を。秘密にすべきかどうかは私が決める。」
パトリックが家長としての威厳を示そうと強気な発言をした。
「あなた、アビーの話は誰にも話さないであげて。」
オリビアだけは事の重大さを知っている。
「オリー、なぜだ? お前はアビーのせいであんな事になってしまったんじゃないのか?
それでもアビーを庇うのか?」
「庇うとか、庇わないとかの話じゃないの。アビーの話は多分、世界を変えてしまう。それほど信じられない話なのよ。」
「母さん、いいの? そんな風に言っても。また気分が悪くなったりしない?」
「大丈夫よアビー、あなたが夢の中で私の弱い心を一つ一つの取り除いて行ってくれた。今はもう大丈夫。あなたのしたいようにしても私はもう大丈夫よ。」
「母さん、アビー。話が全然見えてこない。この話は長くなりそうなのか?」
リチャードが痺れを切らしたように問いかけた。
「ちょっと待ってて。コンシェル、私の部屋の監視プローブを解除して。」
そう言って、アビーはその場から消えた。
ヘブンズガーデンに転移しヘラの姿に戻る。
服をキトンに着替えてアビーの部屋に転移しリビングへ移動した。

・・・・・

リビングのドアが開きリチャードが目撃した謎の女性が入って来た。
「父さん! アビーの部屋に居た女の人だ。」
リチャードが驚いた口調でみんなに告げた。
「始めまして、Mr.リンドバーグ。私の名はヘラ。そしてアビゲイル・リンドバーグでも有るわ。」
この女性は一体?
ヘラと名乗り、アビゲイルでも有ると言う。
アビーも衆目を集める美女であったが、この女性は単なる造形の美しさだけではない、なんといえば良いのか、・・・ 人間離れしている。
身長もアビゲイルより頭ひとつ高いように思える。
「あなたは、・・・・」
パトリックでさえ次の言葉が出てこない。
「驚かせてしまって御免なさい。口で説明するより、今の私を見てもらう方が早いと思ったの。これが、アビゲイルの今の姿よ。」
「母さん、約束通り帰って来たわ。その時は別人になっていても必ず母さんの所へ戻ると言ったわね。合言葉は母さんの夢の中で言ったわ。」
オリビアはヘラの姿を見つめながら目を潤ませていた。
「やっぱり、逝ってしまったのね。でも、あなたの中に私のアビーは居るのね?」
「そうよ。みんなにも説明してあげないとね。」

アビゲイルは世間で取り沙汰されている『賢者の秘法』が単なる噂話ではなく、本当に存在する所から話を始めた。
魂の存在、転生の存在、人間の魂とは自我を持つエーテルの存在形態で有る事。大賢者は前世の記憶を維持しながら転生を実現する手法を編み出した事。それが『賢者の秘法』の真実で有る事。
ヘラはひとつひとつ丁寧に家族に説明して行った。
「だから、『賢者の秘法』は人類をより高い存在に引き上げるための手法なの。母さんは私が死んでしまうと勘違いし昏睡状態に陥ってしまった。でもご覧のように姿は変わっても、私は私よ、新たな生命を得て新たな生を生きるのよ。」
ヘラの説明が終わっても、しばらくの間は誰も口を開かなかった。
あまりにも衝撃的な内容のため自分の中で消化する事ができなかったのであろう。
ヘラは根気強く元家族の反応を待った。

「その秘法は公開するつもりはないんだな?」
「隠すつもりはないわ、でも実現できる人は限られている。その点が『賢者の石』とは違う所よ。何か道具があればできると言うものではないの。」
「論文はどこに有る?」
「ヘブンズガーデン」
「それは、公開しないと同意ではないか。」
「ヘブンズガーデンに侵入もできない者に『賢者の秘法』を実現できるわけないわ。
ヘブンズガーデンで、なぜ私の部屋へのポータルがあるんだと聞いたわね?
私が、キルケゴールを追ってヘブンズガーデンに侵入するのに成功したからよ。」












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