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ギリシャ神話 サタン一族編
巨大地震
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ペルセウスは地面が陥没する感覚に襲われた時それが地震の初動波だとすぐに気が付いた。
『直ぐに本格波がやってくる。』
ペルセウスは咄嗟に自分の周囲50メートルの範囲の地盤を大陸の地盤と独立したエーテルマトリクスにオーバライドした。
つまり、彼の周囲の地盤を大陸から切り離した。
そこから見える景色はこの世の終わりかと思えるほど異様な物だった。
ペルセウスの機転により地震の脅威から解放されているメルクーリ隊は自分から百メートルほど先の地面がまるで大海原の波のようにうねりながら走っていくのを目撃した。
その波が通過するたびに、その地面は隆起、陥没を繰り返し、亀裂が走ったかと思うとその亀裂が閉じて盛り上がる。高さ三十メートルもある巨大樹木がまるで庭に茂った雑草のようにもがれて行く。
ペルセウスはすぐさま上空三千メートルまで上昇し大陸全体を俯瞰した。
東アクスムはほぼ壊滅状態であった、ナビー・シュアイブ山の南からアデン海までの地盤が崩壊していた。
震源地はナビー・シュアイブ山南500キロの地点だ、まるで東アクスムをピンポイントで狙ったようにも見える。
『この地域の地盤は大陸の一部だけあって安定している、普通なら地震など起こらないだろう。
これはベルゼブブの仕業に違いない。
ベルゼブブは自然災害を起こす事が得意な魔人だと聞いていたが、まさか、ここまで強大な地震を起こすことが出来るとは。
ペルゼブブを少し甘く見ていたかもしれない。』
ペルセウスはこれがペルゼブブの仕業だとしたら、犠牲となった人たちの魂の行方を追えば奴の居場所がわかるはずと考え、下界全てのエーテルマトリクスの視覚化を行った。
魂は自我を持つエーテルの存在形態。
大賢者にとってその痕跡を追うことなど容易いことであった。
『やはりムスリム国か』
彼は、一旦メルクーリの元へ戻り、事情を説明して別行動をとることを告げた。
「信じられないだろうが、この地震はベルゼブブが起こした物だ。」
メルクーリ隊長の反応を無視してペルセウスは続けた。
「東アクスムは壊滅状態だ、アクスム市民の大部分があちこちで瀕死の状態になっている。
第4国防軍も生き残っているのは2割程度、ここから領事館へ急ぎ出来るだけ多くの人を救出するんだ。
俺は、アンドロメダに連絡して救援隊を組織し送ってもらうよう要請する。
君たちは領事館へ急いでくれ。」
「お主は領事館へは行かんのか?」
メルクーリが問いかけた。
「おれは、救援隊を要請したら、ペルゼブブとケリを付けに行く。
あいつがこんな大災厄をもたらしたとしたら、放っておけん。」
ジャバルズカルのアクスム離宮ではアンドロメダがマスカラム、ガネット、クリスの三人を率い、東アクスムの様子を眺めていた。
その時、何か微弱な振動を感じたような気がした。
ベルゼブブが引き起こした大地震の震源地はアラビア半島であったため、アフリカ大陸は勿論のことハニッシュ諸島にも影響がなかった。
ただハニッシュ諸島へは僅かながら振動が伝わり、アンドロメダ達はそれを感じたのである。
アンドロメダは湧き出る嫌な予感の正体は何なのかを見極めようとするように東アクスムの稜線を見つめていた。
やがて、東アクスムの海岸線に白い縁取りが現れた。
凝視していると、その縁取りが少しずつ太く、高くなって行くのが分かった。
「あれは、なに?」
アンドロメダが誰ともなく訪ねた。
三人の侍女、後ろに控えていたバルハヌらがアンドロメダの視線の先を追う。
「津波だ!」
ローレンスが叫んだ。
「津波?」
全員がローレンスに向かって訪ねた。
ここにいる殆どの者が大陸で生まれ育っており、津波などと言う現象を見たことがなかった。
通常、津波は地震の震源が海の中にある場合に発生しやすいが、今回の津波はアラビア半島の西側の地盤が海を煽るような形で津波を発生させた。
「大きいぞ、早急に高い場所に避難しなければ。」
ローレンスが口早に部下達に指令を出した。
ローレンスにしてもその津波の規模を推し量ることが出来なかった。
『あの距離で、あの大きさ。 一体どれほどの規模なのだ?』
「アンドロメダ王女殿下、一刻も早くこの場から高地へ移動しなければなりません。」
ローレンスが叫ぶ。
「まだ、あんなに遠いのに何をそんなに急ぐのだ?」
バルハヌが不思議そうに訪ねた。
「津波を甘く見てはいけません。あの距離であの大きさ、10分もしないうちにここにやってきます。急がなければ。」
その時、アンドロメダにペルセウスから連絡があった。
『アンディ、地震が発生して東アクスムは壊滅状態だ。救助隊を組織して早急に東アクスムに送ってくれ。』
『ペルセウス、こちらも大変な事になってるの。東アクスムから津波が押し寄せてきているの。ローレンス提督が大きい、10分もしないうちにここを襲うと言ってるわ。』
『津波だと?』
ペルセウスは再度上空に駆け上がり海岸線を眺望した。
確かに津波が西に向かって進んでいる。
ハニッシュ諸島に到達するまでに10分もかからないだろう。
『どうする? 今ベルゼブブを逃したら当面は捉えることが出来なくなる。
しかし、あの津波は放っておけない。』
『ヘラ、緊急事態だ。手を貸してくれ。』
ペルセウスはヘラことアビゲイルに手助けを求めた。
『何事? ゴーシュ?』
『ベルゼブブは東アクスムを地震で攻撃した。それが原因で津波が発生しハニッシュ諸島に向かっている。ジャバルズカルのアクスム離宮が危ない。』
これだけでヘラはペルセウスが何を望んでいるか理解した。
『分かったわ、至急アクスム離宮に向かうから、ベルゼブブをお願い。』
突然、アンドロメダの前に女神ヘラが現れた。
『ペルセウス、ヘラ様が来られたわ。』
『分かった、そちらはお任せする。俺は、ベルゼブブを追わねばならない。』
そう言って通信を終えた。
「ヘラ様、津波が。」
「分かっているわ、アンディ。貴方は東アクスムに送る救助隊を組織して派遣する準備をなさい。津波は私が食い止めるわ。」
「はい、・・・ バルハヌ!」
とアンドロメダ。
アンドロメダと女神ヘラの会話を聞いていたバルハヌは直ぐさま行動した。
「御意! 第二防衛軍ミルザ中将、医療関係者と物資を搭載して直ちに出港準備。完了次第報告せよ。」
第2防衛軍は第4防衛軍と同行しジャバルズカルに移動していた。
ヘラの登場で思考停止に陥っていた第2防衛軍司令官ミルザ中将はバルハヌの一括で目が覚めたように直ちに必要物資の準備を指令した。
「バルハヌ大臣、あの津波を避けて出港はできません。艦隊を津波から守ることが先ではありませんか?」
第1国防軍司令官のアシュカーン大将がバルハヌに進言した。
「心配いらん、ヘラ様が来てくださった、津波の心配は無用だ。東アクスムの救助の準備を最優先しろ。」
この言葉からバルハヌの女神ヘラに対する絶対的信頼を感じ取れる。
ヘラはアクスム離宮司令室のバルコニーから東アクスムを眺めていた。
津波は既にその威容を露わにし、アクスム離宮に襲いかかろうとしていた。
『あと、5分もすればここを飲み込むわね。』
ヘラは両手を軽く前に掲げ、何かに集中していた。
しらばくすると、津波の前兆として知られる引き波が止まり、まだ穏やかなその波間から目に見えない何かがせり上がってくるのをその場にいた誰もが目にした。
それは完全な透明ではなかった、太陽の光を分断し美しい虹がその壁に沿って走る。
その半透明の壁が南北に何百キロにも広がっている。
ヘラはこの津波を避けるだけでは西アクスムを襲ってしまうと即座に判断し津波のエネルギーを位置エネルギーに変換することを選んだ。
「水に油を垂らした時のような景色ね。」
マスカラムが最も事実に近い感想を口にした。
ヘラは巨大な壁をハニッシュ諸島の東側に張り巡らした。
津波の第1波がその壁を襲った。
高台にあるアクスム離宮からでも見上げる程の高さの水の壁が南北に何百キロも広がってハニッシュ諸島を飲み込もうと襲ってきた。
しかし、その津波は見えない壁に激突しその壁をよじ登るかのように白い飛沫を撒き散らしながら天に駆け上った。
やがて力尽きたかのように壁に沿って落下していく。
第2波、第3波と徐々にその規模は小さくなっていく。
ヘラの壁はそのことごとくの運動エネルギーを削っていった。
「もう大丈夫よ、アンディ。救助隊の準備は良いかしら?」
ヘラがアンドロメダに問いかける。
側に控えていたミルザ中将が思い切ってヘラに話しかけた。
「食料、衣類、毛布などの救援物資の搬入は完了しております。ただ、ジャバルズカルでは医師の数が不足しており、医療関係者の招集状況が思わしくありません。」
ヘラがミルザ中将を直視した。
途端、ミルザ中将の体が硬直し言語中枢が麻痺する。
「医師が足りないのなら、私が手伝ってあげても良いわよ。」
ヘラが鷹揚に答えた。
「あわゎゎ。ありゃがとうございます。」
ミルザ中将は恥ずかしさで顔が見る見る赤く変色し自分の舌を呪った。
「アンディ、あなたも同行して手伝ってちょうだい。キュプロプスも連れていくから呼んで来て。」
ヘラはミルザ中将の醜態など気にする様子もなく、アンドロメダとバルハヌに指示をだした。
「王女殿下をそのような所へやる訳には。」
スライマン宰相が異議を唱えたがヘラが一瞥しただけで、
「王女殿下の御意であれば致し方ありません。」
あっさりと引き下がった。
「私たちもお伴します。」
マスカラム、ガネット、クリスの3侍女が名乗りをあげた。
「勿論よ、アンディをしっかり守るのよ。」
ヘラのこの一言で3侍女は湧き上がる高揚感で恍惚となった。
やがてキュプロプスも合流して、ローレンス提督率いるアクスム海軍の旗艦レジガードに搭乗した。
津波の影響で海はまだうねりが大きく、当時としては最大規模のレジガードでさえ航行に支障をきたしていた。
レジガードの艦橋にヘラ、アンドロメダと3侍女、バルハヌ、スライマン、ローレンス提督、ミルザ中将らが居た。
「津波の影響で海が荒れてるわね。」
とヘラ。
「その上、風が良くありません。この風ではクローズド航行で何度もタックする必要があります。」
ローレンス提督が専門用語を多用して説明した。
ヘラはそのような事は意に介さず。
「少し、急ぐ必要があるわ。地震発生後72時間がタイムリミットよ。それより遅くなると致死率が急激に上昇するわ。」
ヘラは誰にともなく説明した。
「このままだと東アクスムの港湾に到着するのに24時間はかかってしまいます。」
ローレンスが3日の内の1日を浪費してしまうと言ったのである。
「私が先に飛んでも良いんだけど、それではせいぜい数名の違いしか出ないわ。」
「仕方がない。」
ヘラは艦橋から東アクスムに視線を向けた。
艦隊から東アクスムに向かって白い軌跡が高速で描かれていった。
まるで何か高速に移動する生き物が軌跡を残しながら東アクスムに向かっているような光景であった。
白い軌跡はそのまま消えることもなく海を押し開くように左右に広がっていった。
誰もがモーセの奇跡を連想した。
『海が割れる !』
左右に見えない壁が出現し海水がそれに遮られた。
壁に挟まれたそこには穏やかな海路が東アクスムまで伸びていた。
「ウィンドアビームだったかしら?」
ヘラがローレンスに向かってウィンクしながら告げた。
精密機械の異名を持つローレンスの歯車が油ぎれのように軋んだ。
ヘラのその言葉を契機に両側を壁で挟まれている海路にどこからか風が吹き込んで来た。
「全艦ウィンドアビーム! センターボード2分の1、ブーム右舷へ!。 レジガードに続け!」
ローレンスの代わりにクラディウスが全艦に指令を出した。
艦隊は5ノット、10ノット、20ノット、40ノットと見る見るその速度を上げていった。
予定到着時間はわずか3時間。
ローレンスがやっと自分を取り戻した時には既に東アクスムに到着していた。
・・・・・
「アンドロメダ、マスカラム、ガネット、クリス。 ちょっとこっちに来なさい。」
ヘラがアンドロメダと三人の侍女に近くに来るように呼んだ。
「手を出しなさい。」
アンドロメダが最初にヘラに右手を差し出した。
ヘラはその手首を両手で包むように掴むと、白い光が包み込んだ両手から漏れ出た。
ヘラが手を開くと、アンドロメダの右手に白色透明の玉が埋め込まれたブレスレットが嵌められていた。
マスカラムがアンドロメダに倣って右手を差し出す。
こうやってアンドロメダと三人の侍女たちの手首にヘラのブレスレットが嵌められた。
「これは、癒しのブレスレット。私が作ったの。この腕輪をはめた手を患者に差し出し治るように祈りなさい。そうすればその傷は癒されるわ。ただし、死んでしまった人には効果がないからそのつもりでね。」
ヘラは、こう言う風に手をかざすのよ、と言いながら四人に実演して見せた。
東アクスム港湾に待機していた第2国防軍が出発する前にヘラは瓦礫の撤去を担当するグループのリーダー格20名を呼び出した。
「出発前にあなた達に渡しておきたい物があるの。キュプロプス、いいかしら?」
一つ目の巨人キュプロプスが小ぶりの荷馬車を引いて仮設工房から出てきた。
「時間がなくて、さすがのキュプロプスでも40機しか作れなかったのだけど、各グループに2機づつあなた達に預けておくわ。」
キュプロプスが荷馬車から取り出したものは革製のバックパックのように見えた。
そのバックパックから先端に手袋が付いたベルト2つと同じく先端にサンダルが付いたベルト2つ、合計4つのベルトが伸びていた。
「アディス、どう使うか見せてあげて。」
「お任せを!」
アディスは40個のバックパックの一つを取り上げ背中に背負った。
手袋を装着しサンダルに靴を履いたまま足を差し込んだ。
その途端、手袋から伸びるベルトがアディスの腕に密着し、腕全体を包む様に変形した。
サンダルも同じで、サンダルとベルトがアディスの足に合わせて変形し全体を包んだ。
装着が完了するとアディスはおもむろに側に置いてあった1トンはありそうな岩石を少し腰を落として両手で掴み、そのまま持ち上げゆっくりと立ち上がった。
「見た通り、この道具はあなた達の力を何倍にも増幅してくれるの。サイズはあなた達に合わせて自動的に変形するから心配いらないわ。」
「瓦礫を取り除く時に使ってちょうだい。大きな石を取り除く時は気をつけてね。その石を取り除くことで、別の岩盤が落下してくると言うこともある。十分気をつけて使ってちょうだい。」
ヘラは一通り説明した。
「これは、戦いの時に使うと我が軍がかなり有利になりますな。」
リーダーの中の一人が別の使用方法を示唆した。
その言葉を聞くなりヘラの雰囲気が一変した。
「あなた達の中で一人でもそんな事のためにこの道具を使ったら、私があなた達を滅ぼしてやるわ。覚えておきなさい。」
ヘラはそのリーダーを睨んで冷たく言い放った。
ヘラの警告はある意味矛盾している。
彼女に限らず、ペルセウスもこの世界の人間に干渉し、すでに死すべき人々をその運命から救い上げている。
死すべき人を救うのも、生きるべき人を殺すのも、この世界への干渉という点では同じなのではないか。
それでもなお、ヘラは自分が与えた道具を人殺しの道具にされる事には我慢がならなかった。
ヘラのその言葉にその場にいたリーダー達は強烈な畏怖の感情に凍りついてしまった。
静寂が流れる。
『この方は、モーセの奇跡をいとも簡単に再現してのける女神なのだ。モーセに力を貸したイスラエルの神に匹敵する存在なのだ』
アンドロメダやマスカラム達でさえヘラの静かな怒りの言葉に畏怖の念を感じずにはいられなかった。
『あの、気さくで優しいヘラ様が初めて怒りを表に出した。私たちにはヘラ様の慈愛の心を実践する義務があるのだわ。』
アンドロメダは今日のこの出来事を一生忘れないだろうと思った。
その後、救助隊は領事館周辺、ムスリム国境、サラセン国境のそれぞれに向かって出発して行った。
ヘラは救助隊の出発を見届けると
「少し、ここで待っていなさい。」
そう言って両手を広げた。
ヘラの着ていたキトンがフワっと重力から解放され、続けてヘラの体が中空に浮き上がった。
ヘラはそのまま300メートルほど上空に移動し、周辺のエーテルマトリクスの視覚化を行なった。
生存者がいればエーテルマトリクスに特徴が出る。
自我を持つエーテルマトリクスの存在形態、これはすなわち人の魂であり、生存していれば遠方からでもその存在を視認することが出来るのである。
上空から見下ろすと領事館へ向かう集団、各国境へ向かう集団が移動しているのが見て取れた。その集団を構成する一人一人のマトリクスが仄かに赤く輝いている。
それが紛れもない魂の輝きなのである。
ヘラはその場所から周辺を見回した、港湾から領事館に向かう街道沿いに点々とその輝きが見えた。
少なくない人々が生き残っていた。
ヘラはアンドロメダ達の前に降り立ち、
「街道沿いの民家にまだ生き残っている人が沢山いる。
私に付いてきなさい。」
アンドロメダ、マスカラム、ガネット、クリス、キュプロプスが歩き出したヘラの後に続いた。
アンドロメダ達はその行路で何か違和感を感じた。
あたりが異様に静かで、風に揺れる木々の葉が妙にゆっくりと揺れている。
ヘラもキュプロプスも意に介する事なく歩いていく。
「ヘラ様、あたりの様子が何か変なのですが。」
マスカラムがヘラに問いかけた。
ヘラはニヤっと笑って。
「気がついた? 私たちの周りだけ時間を早めているの。普通に歩いても馬車よりも早く移動しているのよ。」
「なっ、なるほど。」
マスカラムは取り敢えず納得の返事をした。
やがて、ヘラが立ち止まってアンドロメダ達を振り返った。
「マスカラム、あの青い屋根の家の中に一人閉じ込められているわ。助けてあげて。」
「ガネット、あなたはあそこの屋根がなくなっている白い壁の家に行ってちょうだい。」
「クリス、あなたはその隣のレンガ作りのお家よ。」
「キュプロプス、あの石造りの、多分集会所ね、あそこの瓦礫の下に五人ほどいるわ。瓦礫を取り除くのを手伝ってちょうだい。 アンディ、私と一緒にあそこへ行くわよ。」
一同はヘラの指示でそれぞれに散っていった。
村の集会場だったと思われる石造りの建物は完全に倒壊してしまっており、生存者が居るとは思えなかった。
「キュプロプス、崩れ落ちない様に慎重に石をどけて。」
「まかせろ。」
キュプロプスは創造の神、倒壊している石材の配置を瞬時に把握し躊躇なく石材を取り除いていった。
全ての瓦礫を取り除くと、地下に続いていると思われる開き戸が床に張り付いていた。
ヘラ達はそれを開き、階段を降りていった。
ヘラの言った通り五人の村人が倒れていた。
「密閉空間で火を焚いたわね。一酸化炭素中毒だわ。」
アンドロメダには理解不能な事をヘラが口にしたかと思うと、ヘラはそのうちの二人を軽々持ち上げた。
キュプロプスも二人を抱える。
「アンディ、その人をお願い。」
残った一人をアンドロメダに任せ、階段を上がって行った。
アンドロメダが担当したのは小さな女の子だ、アンドロメダはヘラの心遣いに深く感謝した。
五人は倒壊した集会所から少し離れた場所に寝かされていた。
「アンディ、出番よブレスレットで癒して見て。
症状はわからなくても、良くなってと祈るだけで癒せるはずよ。」
「キュプロプス、簡易的な休憩所を作れたらお願いするわ。」
「たやすい事だ。」
そう言うとキュプロプスは集会所に戻り、瓦礫に軽く触れた。
その度にその瓦礫が元あった場所に移動していく、倒壊で出来たひび割れも消えていく。
瞬く間に集会所が再建されていった。
「さすがね、キュプロプス。あなたが居てくれて本当に助かるわ。」
ヘラが絶賛した。
一方アンドロメダは先ず自分が運んできた小さな女の子に手をかざし『よくなって』と祈った。
真っ青だった顔色がいつしか白く、小さな女の子特有の赤いほっぺたが浮き上がってきた。
やがて大きく息をすい目を覚ます。
「お姉ちゃん、だあれ?」
女の子が口を開いた。
「もう大丈夫よ、しばらくそこで横になっていなさい。他の人達も助けなきゃね。」
そう言って、コツが分かったのか、残った人たちを次々と癒していった。
5人全員が目を覚ました頃、マスカラムが助けた村人と一緒に集会所にやってきた。
その村人は誰かを抱えている。
おそらく、命を落とした彼の妻なのであろう。
集会場に到着するとそのまま膝を折って座ってしまった。
それを見ていたヘラは
「キュプロプス、簡単な霊安所を作って。」
「よかろう!」
キュプロプスは集会所の庭を復旧しそこにテントを張った。
「取り敢えずはここに眠らせてやれ。」
キュプロプスがその村人に言った。
キュプロプスを見た村人は一瞬硬直し驚いた様に見えたが、彼がしてくれている事を理解し頷いてそのテントの中に妻を寝かせた。
ガネット、クリスが集会場に村人を連れてきて言う。
「あの家にもなくなった方が大勢いました。私一人では手に負えなくて。」
クリスも同じ様な事を言った。
アンドロメダは生き残った村人たちの中で屈強な男性達に
「お亡くなりになった方々が沢山いらっしゃいます。
私たちは次の村に救助に行かなければなりません。
あとはお任せできますでしょうか?」
村人達に告げる。
「あ、あなたは。ひょっとしてアンドロメダ王女殿下?」
「それは、この際重要ではありません。お願いできますか?」
「勿論です。有難うございます。このご恩決して忘れるものではございません。」
「集会所に簡易ベッドと水と食料を用意しておいたわ、これで暫く凌げるはずよ。
私たちは行くけど、あとはお願いするわ。」
ヘラはそう言ってアンドロメダ達に出発を指示した。
この様な事を繰り返しながらヘラ達は街道を北上し、やがて領事館にやってきた。
・・・・・
領事館の手前で第1国防軍が主導する救助隊が忙しく動いているのが見えてきた。
救助隊は領事館前の広場に医療専用テントを張りそこに負傷者を運び込んでいたが、ミルザ中将が言っていた様に医療の心得のある人間が圧倒的に不足しておりテントの中は阿鼻叫喚を極めていた。
領事館確保のため先行していた第4国防軍はその8割が領事館前の断層に飲み込まれていた。残りの2割も地面の陥没時に激しく地面に叩きつけられ瀕死の状態にあり領事館前のテントに運び込まれた。
キュプロプスは被害者の出た断層に行き瓦礫の撤去を手伝っていた。
アンドロメダ、マスカラム、ガネット、クリスの四人はテントの中を駆け回り、手分けして負傷者の傷を癒して行った。
ヘラは四肢が切断されている者や下半身が無くなっている者など、癒しのブレスレットでは修復しきれない重症者を中心に治療して行ったが、残りはアンドロメダ達に任せても良いと判断するとテントを離れ、キュプロプスに合流すべく断層に赴いた。
ヘラは辺りのエーテルマトリクスの視覚化を行い赤く光るエーテルマトリクスを探した。
まだ、息のある人たちがいるはずだ、注意深くあたりを見回す。
「捜索担当のリーダーはいる?」
ヘラが周囲に問いかける。
「はい!、こちらに!」
例の体力強化バックパックを身につけた少年の様な小隊長が返事をした。
「あなたの名前は?」
「シャーリア、ボルナ・シャーリアと申します。」
「では、シャーリア小隊長、そのバックパックを装着している者を集めて特殊部隊を作りなさい。この方面の救助隊には10機ほどを貸し与えているはずです。悪いけど、急いでちょうだい。」
彼らを待つ間、ヘラはキュプロプスに瓦礫撤去を依頼した。
「この奥に生命反応が有るわ。キュプロプス瓦礫の撤去をお願い。」
「了解」
キュプロプスは土砂や岩石を軽々と撤去して行った。
「いたぞ! まだ息がある。」
キュプロプスがヘラに告げる。
「こちらへ。」
ヘラが示した場所に被害者を静かに横たえた。
ヘラはその被害者を瞬時に癒した。
だが、生き埋めになって相当体力を消耗したのだろう呼吸は安定しているが起きる気配はなかった。
やがて、シャーリア小隊長が強化バックパックを装着した工兵を率いて帰ってきた。
「キュプロプス、生存者の探索は彼らにさせるから、あなたはここに彼らが休める場所を作ってちょうだいな。」
「分かった、任せておけ。」
キュプロプスは早速周辺の整地を始めた。
「では、皆さん。私に付いてきなさい。」
そう言って歩き出したヘラを強化バックパックを装着した工兵達がぞろぞろと付いて行った。
「この下に一人埋まっています。まだ息があるので助かる可能性が高いわ。シャーリア小隊長、人選してここに担当一人を充てなさい。助け出したら直ぐに私の所に連れてくる様に。」
「はっ、了解しました。」
ヘラのその言葉に彼女の意図を理解した工兵達は背筋をのばして指名を待った。
「次はここよ、大きな石だけどその下に空洞がある。そこに3名埋まっているわ。」
「この倒木の下に居るわ。」
次々と生き埋めになっている人たちを指し示す。
掘り出された犠牲者は瀕死の状態だったが、言われた通りヘラの前に連れて行くとあっという間に癒され安らかな寝息を立て始めた。
「この人はもう大丈夫だから、キュプロプスの作っているテントで休ませなさい。終わったらまたこちらに来るように。」
ヘラは生き埋めになっている人を次々と見つけ出し、工兵に救出を指示して行った。
結局、ここで死ぬべき運命にあった数十名が神の加護により生還した。
・・・・・
メルクーリ隊はサラセン国境手前から西に引き返し東アクスム領事館を目指していた。
領事館を確保するため向かっていた第4国防軍が先ほどの大地震で8割が壊滅したとペルセウスから聞き、救援のため向かっているのだ。
この地震では国境のサラセン軍もアッシリア軍もただでは済まないだろうから、和睦交渉は中止した。
彼女達の居る山脈の麓からアクスム領事館までは徒歩で3時間ほどの距離だったが、地震で街道が崩壊しており、思う様に進めなかった。
亀裂に丸太橋を掛け、隆起を迂回しやっとの想いで領事館に到着したのはまるまる1日後だった。
メルクーリ達が領事館に到着した頃には、第4国防軍の混乱はほぼ沈静化していた。
領事館前にある医療専用テント内は通常被害者のうめき声が絶えないはずだが、今はひっそりと静まり返っている。
キュプロプスが断層地域で作った被害者収容テントは役目を終え、領事館前に移設されている。
救助に召集された第2国防軍の兵士たちも、思い思いにキャンプを張り休んでいた。
メルクーリ達は取り敢えず東アクスム領事館が有った場所へ向かった。
領事館の正門まで来た所で倒壊した領事館の周辺に複数の人達が集まっているのが目に入った。
「アナスタシア、ソフィア、アマリア、部下達はここに残して私たち4人であそこに行ってみましょう。」
「各小隊はここで待機、ラモン小隊長、マイヤー小隊長、クセナキス小隊長で様子を見てきます。私たちが呼ぶまでここで待っていなさい。」
メルクーリ達はゆっくりとその集団を目指して歩いて行った。
一人一人の顔が識別できる所まで来た所でマスカラム・アンドレアの姿を見つけた。
メルクーリはホッとして声を掛けようとしたその時、マスカラムの横にアンドロメダ王女がいることに気が付いた。
『まさか、こんな所に王女が』
「アンドロメダ様!」
メルクーリは思わず声を掛けてしまった。
アンドロメダ達が一斉にメルクーリに振り返る。
「メルクーリ中隊長! よくご無事で!」
アンドロメダも意外な人物を目にして思わずメルクーリ達の無事を喜んだが、ふと気がついて言葉をつなぐ。
「あぁ、そうですね、あなた方はペルセウスと行動を共にしていたんでしたね。地震などに遅れを取る訳もないですね。」
「そのペルセウス殿ですがベルゼブブを追うために私たちと別れて行動しているのです。」
「存じてます。とにかく、再会できてよかった。部下達はどうしました?」
それを聞いて、メルクーリは思い出した様に待機している部下に合図を送った。
ラモン小隊、マイヤー小隊、クセナキス小隊、それぞれの部下総勢25名が後を追ってこちらに移動してきた。
「それで、今はどの様な状況になっているのでしょうか?」
「ヘラ様がこの瓦礫の下にまだ50人の人たちが閉じ込められているとおっしゃるのよ。」
マスカラムが答えた。
「それでキュプロプス様に50人を収容できる医療テントを作っていただいて。」
ガネットが引き継ぐ。
「強化バックパックチームに地下通路を塞いでいる瓦礫を撤去してもらっているところよ」
クリスが締めくくった。
「ヘラ様?、強化バックパックチーム?」
メルクーリが理解できたのはキュプロプスが医療テントを作っていると言う所だけだった。
メルクーリがアクスム離宮に到着した時その荘厳さに度肝を抜かれた。
詳しく話を聞くとこの島の守護神のキュプロプス様がたった1週間でこの街を作ったと聞かされた。
最初は半信半疑であったが、キュプロプス本人を見て納得した。
「ヘラ様とはペルセウスに加護を与えたと言う。オリュンポスの?」
「そう、そのヘラ様よ。アンドロメダ様もご寵愛されているようで、今回の大地震の危機に降臨してくださったのよ。」
ガネットが興奮して説明した。
「アンドロメダ様をご寵愛?」
「そう、アンドロメダ様の事をアンディてお呼びになるのよ。初めて聞いた時は背筋が寒くなったわ。」
だいたい飲み込めてきた。
「それで、強化バックパックチームと言うのは?」
「ヘラ様がキュプロプス様に作らせた、身体機能を強化する魔法道具よ。あれを装着すると通常の5倍以上の力が出るんですって。領事館方面の救助隊には10機あるので、10人で強化バックパックチームと呼んでるの。」
やがて、地下への入り口が見つかり強化バックパックチームは地下に降りて行った。
その他にも十数名の救助隊員たちが担架を持って地下に降りて行った。
「キュプロプス、準備はいいかしら?」
「OKだ。」
領事館の地下から次々と被災者が連れ出され医療テントに運ばれて行った。
「アンディ、もう直ぐ出番よ。こっちに・・・・」
「あら? あなた達は?」
ヘラがメルクーリ達に気がついて誰かと尋ねた。
「私は西部方面近衛中隊隊長 アレクシア・メルクーリと申します。どうかお見知り置きを」
メルクーリは軍人然として答えた。
「ペルセウスと一緒にアッシリアとの和睦交渉に出かけていた人達ね?」
とヘラ。
「はい、国境でも今回の大地震の被害が大きく、アッシリアもサラセンも和睦どころではなくなってしまい、ペルセウス殿の指示もありこちらに参りました。」
「そう、それは良かった。あなた達も手伝ってちょうだい。」
「アンディ、医療テントに案内してあげて。」
「25名の部下達は如何いたしましょう?」
「今はゆっくりしていなさい。ここへ来るの大変だったでしょう?」
「有難うございます、実は24時間不眠不休でやってまいりまして。」
「えぇ! それは大変だったわね。それじゃ、ご褒美をあげるわ。」
そう行ってヘラはメルクーリの後ろに控えている歩兵全員に手をかざした。
徹夜でここまで来ていたメルクーリ隊であったが、ヘラが手をかざした次の瞬間、徹夜明け独特のあの気だるさが消えてしまった。
「これで、少しは楽になったでしょう? 領事館の裏手で炊き出しをしているのでそこで何か食べなさい。医療テントを手伝うのはいいわ、あなた達も休みなさいな。」
そう行ってヘラは医療テントの方に歩いて行ってしまった。
2週間後キュプロプスの力もあり東アクスム領事館は以前にもまして美しい姿を市民に見せる事になった。
アッシリア軍はあの地震で大打撃を受け、生き残りは三桁に届かず、這々の体で撤退して行った。
サラセン国境の渓谷門は地震で倒壊してしまいサラセン国土を無防備に晒す事になった。
大渓谷はその後2年にわたって腐敗臭が漂い誰も入り込もうとしなくなった。
『直ぐに本格波がやってくる。』
ペルセウスは咄嗟に自分の周囲50メートルの範囲の地盤を大陸の地盤と独立したエーテルマトリクスにオーバライドした。
つまり、彼の周囲の地盤を大陸から切り離した。
そこから見える景色はこの世の終わりかと思えるほど異様な物だった。
ペルセウスの機転により地震の脅威から解放されているメルクーリ隊は自分から百メートルほど先の地面がまるで大海原の波のようにうねりながら走っていくのを目撃した。
その波が通過するたびに、その地面は隆起、陥没を繰り返し、亀裂が走ったかと思うとその亀裂が閉じて盛り上がる。高さ三十メートルもある巨大樹木がまるで庭に茂った雑草のようにもがれて行く。
ペルセウスはすぐさま上空三千メートルまで上昇し大陸全体を俯瞰した。
東アクスムはほぼ壊滅状態であった、ナビー・シュアイブ山の南からアデン海までの地盤が崩壊していた。
震源地はナビー・シュアイブ山南500キロの地点だ、まるで東アクスムをピンポイントで狙ったようにも見える。
『この地域の地盤は大陸の一部だけあって安定している、普通なら地震など起こらないだろう。
これはベルゼブブの仕業に違いない。
ベルゼブブは自然災害を起こす事が得意な魔人だと聞いていたが、まさか、ここまで強大な地震を起こすことが出来るとは。
ペルゼブブを少し甘く見ていたかもしれない。』
ペルセウスはこれがペルゼブブの仕業だとしたら、犠牲となった人たちの魂の行方を追えば奴の居場所がわかるはずと考え、下界全てのエーテルマトリクスの視覚化を行った。
魂は自我を持つエーテルの存在形態。
大賢者にとってその痕跡を追うことなど容易いことであった。
『やはりムスリム国か』
彼は、一旦メルクーリの元へ戻り、事情を説明して別行動をとることを告げた。
「信じられないだろうが、この地震はベルゼブブが起こした物だ。」
メルクーリ隊長の反応を無視してペルセウスは続けた。
「東アクスムは壊滅状態だ、アクスム市民の大部分があちこちで瀕死の状態になっている。
第4国防軍も生き残っているのは2割程度、ここから領事館へ急ぎ出来るだけ多くの人を救出するんだ。
俺は、アンドロメダに連絡して救援隊を組織し送ってもらうよう要請する。
君たちは領事館へ急いでくれ。」
「お主は領事館へは行かんのか?」
メルクーリが問いかけた。
「おれは、救援隊を要請したら、ペルゼブブとケリを付けに行く。
あいつがこんな大災厄をもたらしたとしたら、放っておけん。」
ジャバルズカルのアクスム離宮ではアンドロメダがマスカラム、ガネット、クリスの三人を率い、東アクスムの様子を眺めていた。
その時、何か微弱な振動を感じたような気がした。
ベルゼブブが引き起こした大地震の震源地はアラビア半島であったため、アフリカ大陸は勿論のことハニッシュ諸島にも影響がなかった。
ただハニッシュ諸島へは僅かながら振動が伝わり、アンドロメダ達はそれを感じたのである。
アンドロメダは湧き出る嫌な予感の正体は何なのかを見極めようとするように東アクスムの稜線を見つめていた。
やがて、東アクスムの海岸線に白い縁取りが現れた。
凝視していると、その縁取りが少しずつ太く、高くなって行くのが分かった。
「あれは、なに?」
アンドロメダが誰ともなく訪ねた。
三人の侍女、後ろに控えていたバルハヌらがアンドロメダの視線の先を追う。
「津波だ!」
ローレンスが叫んだ。
「津波?」
全員がローレンスに向かって訪ねた。
ここにいる殆どの者が大陸で生まれ育っており、津波などと言う現象を見たことがなかった。
通常、津波は地震の震源が海の中にある場合に発生しやすいが、今回の津波はアラビア半島の西側の地盤が海を煽るような形で津波を発生させた。
「大きいぞ、早急に高い場所に避難しなければ。」
ローレンスが口早に部下達に指令を出した。
ローレンスにしてもその津波の規模を推し量ることが出来なかった。
『あの距離で、あの大きさ。 一体どれほどの規模なのだ?』
「アンドロメダ王女殿下、一刻も早くこの場から高地へ移動しなければなりません。」
ローレンスが叫ぶ。
「まだ、あんなに遠いのに何をそんなに急ぐのだ?」
バルハヌが不思議そうに訪ねた。
「津波を甘く見てはいけません。あの距離であの大きさ、10分もしないうちにここにやってきます。急がなければ。」
その時、アンドロメダにペルセウスから連絡があった。
『アンディ、地震が発生して東アクスムは壊滅状態だ。救助隊を組織して早急に東アクスムに送ってくれ。』
『ペルセウス、こちらも大変な事になってるの。東アクスムから津波が押し寄せてきているの。ローレンス提督が大きい、10分もしないうちにここを襲うと言ってるわ。』
『津波だと?』
ペルセウスは再度上空に駆け上がり海岸線を眺望した。
確かに津波が西に向かって進んでいる。
ハニッシュ諸島に到達するまでに10分もかからないだろう。
『どうする? 今ベルゼブブを逃したら当面は捉えることが出来なくなる。
しかし、あの津波は放っておけない。』
『ヘラ、緊急事態だ。手を貸してくれ。』
ペルセウスはヘラことアビゲイルに手助けを求めた。
『何事? ゴーシュ?』
『ベルゼブブは東アクスムを地震で攻撃した。それが原因で津波が発生しハニッシュ諸島に向かっている。ジャバルズカルのアクスム離宮が危ない。』
これだけでヘラはペルセウスが何を望んでいるか理解した。
『分かったわ、至急アクスム離宮に向かうから、ベルゼブブをお願い。』
突然、アンドロメダの前に女神ヘラが現れた。
『ペルセウス、ヘラ様が来られたわ。』
『分かった、そちらはお任せする。俺は、ベルゼブブを追わねばならない。』
そう言って通信を終えた。
「ヘラ様、津波が。」
「分かっているわ、アンディ。貴方は東アクスムに送る救助隊を組織して派遣する準備をなさい。津波は私が食い止めるわ。」
「はい、・・・ バルハヌ!」
とアンドロメダ。
アンドロメダと女神ヘラの会話を聞いていたバルハヌは直ぐさま行動した。
「御意! 第二防衛軍ミルザ中将、医療関係者と物資を搭載して直ちに出港準備。完了次第報告せよ。」
第2防衛軍は第4防衛軍と同行しジャバルズカルに移動していた。
ヘラの登場で思考停止に陥っていた第2防衛軍司令官ミルザ中将はバルハヌの一括で目が覚めたように直ちに必要物資の準備を指令した。
「バルハヌ大臣、あの津波を避けて出港はできません。艦隊を津波から守ることが先ではありませんか?」
第1国防軍司令官のアシュカーン大将がバルハヌに進言した。
「心配いらん、ヘラ様が来てくださった、津波の心配は無用だ。東アクスムの救助の準備を最優先しろ。」
この言葉からバルハヌの女神ヘラに対する絶対的信頼を感じ取れる。
ヘラはアクスム離宮司令室のバルコニーから東アクスムを眺めていた。
津波は既にその威容を露わにし、アクスム離宮に襲いかかろうとしていた。
『あと、5分もすればここを飲み込むわね。』
ヘラは両手を軽く前に掲げ、何かに集中していた。
しらばくすると、津波の前兆として知られる引き波が止まり、まだ穏やかなその波間から目に見えない何かがせり上がってくるのをその場にいた誰もが目にした。
それは完全な透明ではなかった、太陽の光を分断し美しい虹がその壁に沿って走る。
その半透明の壁が南北に何百キロにも広がっている。
ヘラはこの津波を避けるだけでは西アクスムを襲ってしまうと即座に判断し津波のエネルギーを位置エネルギーに変換することを選んだ。
「水に油を垂らした時のような景色ね。」
マスカラムが最も事実に近い感想を口にした。
ヘラは巨大な壁をハニッシュ諸島の東側に張り巡らした。
津波の第1波がその壁を襲った。
高台にあるアクスム離宮からでも見上げる程の高さの水の壁が南北に何百キロも広がってハニッシュ諸島を飲み込もうと襲ってきた。
しかし、その津波は見えない壁に激突しその壁をよじ登るかのように白い飛沫を撒き散らしながら天に駆け上った。
やがて力尽きたかのように壁に沿って落下していく。
第2波、第3波と徐々にその規模は小さくなっていく。
ヘラの壁はそのことごとくの運動エネルギーを削っていった。
「もう大丈夫よ、アンディ。救助隊の準備は良いかしら?」
ヘラがアンドロメダに問いかける。
側に控えていたミルザ中将が思い切ってヘラに話しかけた。
「食料、衣類、毛布などの救援物資の搬入は完了しております。ただ、ジャバルズカルでは医師の数が不足しており、医療関係者の招集状況が思わしくありません。」
ヘラがミルザ中将を直視した。
途端、ミルザ中将の体が硬直し言語中枢が麻痺する。
「医師が足りないのなら、私が手伝ってあげても良いわよ。」
ヘラが鷹揚に答えた。
「あわゎゎ。ありゃがとうございます。」
ミルザ中将は恥ずかしさで顔が見る見る赤く変色し自分の舌を呪った。
「アンディ、あなたも同行して手伝ってちょうだい。キュプロプスも連れていくから呼んで来て。」
ヘラはミルザ中将の醜態など気にする様子もなく、アンドロメダとバルハヌに指示をだした。
「王女殿下をそのような所へやる訳には。」
スライマン宰相が異議を唱えたがヘラが一瞥しただけで、
「王女殿下の御意であれば致し方ありません。」
あっさりと引き下がった。
「私たちもお伴します。」
マスカラム、ガネット、クリスの3侍女が名乗りをあげた。
「勿論よ、アンディをしっかり守るのよ。」
ヘラのこの一言で3侍女は湧き上がる高揚感で恍惚となった。
やがてキュプロプスも合流して、ローレンス提督率いるアクスム海軍の旗艦レジガードに搭乗した。
津波の影響で海はまだうねりが大きく、当時としては最大規模のレジガードでさえ航行に支障をきたしていた。
レジガードの艦橋にヘラ、アンドロメダと3侍女、バルハヌ、スライマン、ローレンス提督、ミルザ中将らが居た。
「津波の影響で海が荒れてるわね。」
とヘラ。
「その上、風が良くありません。この風ではクローズド航行で何度もタックする必要があります。」
ローレンス提督が専門用語を多用して説明した。
ヘラはそのような事は意に介さず。
「少し、急ぐ必要があるわ。地震発生後72時間がタイムリミットよ。それより遅くなると致死率が急激に上昇するわ。」
ヘラは誰にともなく説明した。
「このままだと東アクスムの港湾に到着するのに24時間はかかってしまいます。」
ローレンスが3日の内の1日を浪費してしまうと言ったのである。
「私が先に飛んでも良いんだけど、それではせいぜい数名の違いしか出ないわ。」
「仕方がない。」
ヘラは艦橋から東アクスムに視線を向けた。
艦隊から東アクスムに向かって白い軌跡が高速で描かれていった。
まるで何か高速に移動する生き物が軌跡を残しながら東アクスムに向かっているような光景であった。
白い軌跡はそのまま消えることもなく海を押し開くように左右に広がっていった。
誰もがモーセの奇跡を連想した。
『海が割れる !』
左右に見えない壁が出現し海水がそれに遮られた。
壁に挟まれたそこには穏やかな海路が東アクスムまで伸びていた。
「ウィンドアビームだったかしら?」
ヘラがローレンスに向かってウィンクしながら告げた。
精密機械の異名を持つローレンスの歯車が油ぎれのように軋んだ。
ヘラのその言葉を契機に両側を壁で挟まれている海路にどこからか風が吹き込んで来た。
「全艦ウィンドアビーム! センターボード2分の1、ブーム右舷へ!。 レジガードに続け!」
ローレンスの代わりにクラディウスが全艦に指令を出した。
艦隊は5ノット、10ノット、20ノット、40ノットと見る見るその速度を上げていった。
予定到着時間はわずか3時間。
ローレンスがやっと自分を取り戻した時には既に東アクスムに到着していた。
・・・・・
「アンドロメダ、マスカラム、ガネット、クリス。 ちょっとこっちに来なさい。」
ヘラがアンドロメダと三人の侍女に近くに来るように呼んだ。
「手を出しなさい。」
アンドロメダが最初にヘラに右手を差し出した。
ヘラはその手首を両手で包むように掴むと、白い光が包み込んだ両手から漏れ出た。
ヘラが手を開くと、アンドロメダの右手に白色透明の玉が埋め込まれたブレスレットが嵌められていた。
マスカラムがアンドロメダに倣って右手を差し出す。
こうやってアンドロメダと三人の侍女たちの手首にヘラのブレスレットが嵌められた。
「これは、癒しのブレスレット。私が作ったの。この腕輪をはめた手を患者に差し出し治るように祈りなさい。そうすればその傷は癒されるわ。ただし、死んでしまった人には効果がないからそのつもりでね。」
ヘラは、こう言う風に手をかざすのよ、と言いながら四人に実演して見せた。
東アクスム港湾に待機していた第2国防軍が出発する前にヘラは瓦礫の撤去を担当するグループのリーダー格20名を呼び出した。
「出発前にあなた達に渡しておきたい物があるの。キュプロプス、いいかしら?」
一つ目の巨人キュプロプスが小ぶりの荷馬車を引いて仮設工房から出てきた。
「時間がなくて、さすがのキュプロプスでも40機しか作れなかったのだけど、各グループに2機づつあなた達に預けておくわ。」
キュプロプスが荷馬車から取り出したものは革製のバックパックのように見えた。
そのバックパックから先端に手袋が付いたベルト2つと同じく先端にサンダルが付いたベルト2つ、合計4つのベルトが伸びていた。
「アディス、どう使うか見せてあげて。」
「お任せを!」
アディスは40個のバックパックの一つを取り上げ背中に背負った。
手袋を装着しサンダルに靴を履いたまま足を差し込んだ。
その途端、手袋から伸びるベルトがアディスの腕に密着し、腕全体を包む様に変形した。
サンダルも同じで、サンダルとベルトがアディスの足に合わせて変形し全体を包んだ。
装着が完了するとアディスはおもむろに側に置いてあった1トンはありそうな岩石を少し腰を落として両手で掴み、そのまま持ち上げゆっくりと立ち上がった。
「見た通り、この道具はあなた達の力を何倍にも増幅してくれるの。サイズはあなた達に合わせて自動的に変形するから心配いらないわ。」
「瓦礫を取り除く時に使ってちょうだい。大きな石を取り除く時は気をつけてね。その石を取り除くことで、別の岩盤が落下してくると言うこともある。十分気をつけて使ってちょうだい。」
ヘラは一通り説明した。
「これは、戦いの時に使うと我が軍がかなり有利になりますな。」
リーダーの中の一人が別の使用方法を示唆した。
その言葉を聞くなりヘラの雰囲気が一変した。
「あなた達の中で一人でもそんな事のためにこの道具を使ったら、私があなた達を滅ぼしてやるわ。覚えておきなさい。」
ヘラはそのリーダーを睨んで冷たく言い放った。
ヘラの警告はある意味矛盾している。
彼女に限らず、ペルセウスもこの世界の人間に干渉し、すでに死すべき人々をその運命から救い上げている。
死すべき人を救うのも、生きるべき人を殺すのも、この世界への干渉という点では同じなのではないか。
それでもなお、ヘラは自分が与えた道具を人殺しの道具にされる事には我慢がならなかった。
ヘラのその言葉にその場にいたリーダー達は強烈な畏怖の感情に凍りついてしまった。
静寂が流れる。
『この方は、モーセの奇跡をいとも簡単に再現してのける女神なのだ。モーセに力を貸したイスラエルの神に匹敵する存在なのだ』
アンドロメダやマスカラム達でさえヘラの静かな怒りの言葉に畏怖の念を感じずにはいられなかった。
『あの、気さくで優しいヘラ様が初めて怒りを表に出した。私たちにはヘラ様の慈愛の心を実践する義務があるのだわ。』
アンドロメダは今日のこの出来事を一生忘れないだろうと思った。
その後、救助隊は領事館周辺、ムスリム国境、サラセン国境のそれぞれに向かって出発して行った。
ヘラは救助隊の出発を見届けると
「少し、ここで待っていなさい。」
そう言って両手を広げた。
ヘラの着ていたキトンがフワっと重力から解放され、続けてヘラの体が中空に浮き上がった。
ヘラはそのまま300メートルほど上空に移動し、周辺のエーテルマトリクスの視覚化を行なった。
生存者がいればエーテルマトリクスに特徴が出る。
自我を持つエーテルマトリクスの存在形態、これはすなわち人の魂であり、生存していれば遠方からでもその存在を視認することが出来るのである。
上空から見下ろすと領事館へ向かう集団、各国境へ向かう集団が移動しているのが見て取れた。その集団を構成する一人一人のマトリクスが仄かに赤く輝いている。
それが紛れもない魂の輝きなのである。
ヘラはその場所から周辺を見回した、港湾から領事館に向かう街道沿いに点々とその輝きが見えた。
少なくない人々が生き残っていた。
ヘラはアンドロメダ達の前に降り立ち、
「街道沿いの民家にまだ生き残っている人が沢山いる。
私に付いてきなさい。」
アンドロメダ、マスカラム、ガネット、クリス、キュプロプスが歩き出したヘラの後に続いた。
アンドロメダ達はその行路で何か違和感を感じた。
あたりが異様に静かで、風に揺れる木々の葉が妙にゆっくりと揺れている。
ヘラもキュプロプスも意に介する事なく歩いていく。
「ヘラ様、あたりの様子が何か変なのですが。」
マスカラムがヘラに問いかけた。
ヘラはニヤっと笑って。
「気がついた? 私たちの周りだけ時間を早めているの。普通に歩いても馬車よりも早く移動しているのよ。」
「なっ、なるほど。」
マスカラムは取り敢えず納得の返事をした。
やがて、ヘラが立ち止まってアンドロメダ達を振り返った。
「マスカラム、あの青い屋根の家の中に一人閉じ込められているわ。助けてあげて。」
「ガネット、あなたはあそこの屋根がなくなっている白い壁の家に行ってちょうだい。」
「クリス、あなたはその隣のレンガ作りのお家よ。」
「キュプロプス、あの石造りの、多分集会所ね、あそこの瓦礫の下に五人ほどいるわ。瓦礫を取り除くのを手伝ってちょうだい。 アンディ、私と一緒にあそこへ行くわよ。」
一同はヘラの指示でそれぞれに散っていった。
村の集会場だったと思われる石造りの建物は完全に倒壊してしまっており、生存者が居るとは思えなかった。
「キュプロプス、崩れ落ちない様に慎重に石をどけて。」
「まかせろ。」
キュプロプスは創造の神、倒壊している石材の配置を瞬時に把握し躊躇なく石材を取り除いていった。
全ての瓦礫を取り除くと、地下に続いていると思われる開き戸が床に張り付いていた。
ヘラ達はそれを開き、階段を降りていった。
ヘラの言った通り五人の村人が倒れていた。
「密閉空間で火を焚いたわね。一酸化炭素中毒だわ。」
アンドロメダには理解不能な事をヘラが口にしたかと思うと、ヘラはそのうちの二人を軽々持ち上げた。
キュプロプスも二人を抱える。
「アンディ、その人をお願い。」
残った一人をアンドロメダに任せ、階段を上がって行った。
アンドロメダが担当したのは小さな女の子だ、アンドロメダはヘラの心遣いに深く感謝した。
五人は倒壊した集会所から少し離れた場所に寝かされていた。
「アンディ、出番よブレスレットで癒して見て。
症状はわからなくても、良くなってと祈るだけで癒せるはずよ。」
「キュプロプス、簡易的な休憩所を作れたらお願いするわ。」
「たやすい事だ。」
そう言うとキュプロプスは集会所に戻り、瓦礫に軽く触れた。
その度にその瓦礫が元あった場所に移動していく、倒壊で出来たひび割れも消えていく。
瞬く間に集会所が再建されていった。
「さすがね、キュプロプス。あなたが居てくれて本当に助かるわ。」
ヘラが絶賛した。
一方アンドロメダは先ず自分が運んできた小さな女の子に手をかざし『よくなって』と祈った。
真っ青だった顔色がいつしか白く、小さな女の子特有の赤いほっぺたが浮き上がってきた。
やがて大きく息をすい目を覚ます。
「お姉ちゃん、だあれ?」
女の子が口を開いた。
「もう大丈夫よ、しばらくそこで横になっていなさい。他の人達も助けなきゃね。」
そう言って、コツが分かったのか、残った人たちを次々と癒していった。
5人全員が目を覚ました頃、マスカラムが助けた村人と一緒に集会所にやってきた。
その村人は誰かを抱えている。
おそらく、命を落とした彼の妻なのであろう。
集会場に到着するとそのまま膝を折って座ってしまった。
それを見ていたヘラは
「キュプロプス、簡単な霊安所を作って。」
「よかろう!」
キュプロプスは集会所の庭を復旧しそこにテントを張った。
「取り敢えずはここに眠らせてやれ。」
キュプロプスがその村人に言った。
キュプロプスを見た村人は一瞬硬直し驚いた様に見えたが、彼がしてくれている事を理解し頷いてそのテントの中に妻を寝かせた。
ガネット、クリスが集会場に村人を連れてきて言う。
「あの家にもなくなった方が大勢いました。私一人では手に負えなくて。」
クリスも同じ様な事を言った。
アンドロメダは生き残った村人たちの中で屈強な男性達に
「お亡くなりになった方々が沢山いらっしゃいます。
私たちは次の村に救助に行かなければなりません。
あとはお任せできますでしょうか?」
村人達に告げる。
「あ、あなたは。ひょっとしてアンドロメダ王女殿下?」
「それは、この際重要ではありません。お願いできますか?」
「勿論です。有難うございます。このご恩決して忘れるものではございません。」
「集会所に簡易ベッドと水と食料を用意しておいたわ、これで暫く凌げるはずよ。
私たちは行くけど、あとはお願いするわ。」
ヘラはそう言ってアンドロメダ達に出発を指示した。
この様な事を繰り返しながらヘラ達は街道を北上し、やがて領事館にやってきた。
・・・・・
領事館の手前で第1国防軍が主導する救助隊が忙しく動いているのが見えてきた。
救助隊は領事館前の広場に医療専用テントを張りそこに負傷者を運び込んでいたが、ミルザ中将が言っていた様に医療の心得のある人間が圧倒的に不足しておりテントの中は阿鼻叫喚を極めていた。
領事館確保のため先行していた第4国防軍はその8割が領事館前の断層に飲み込まれていた。残りの2割も地面の陥没時に激しく地面に叩きつけられ瀕死の状態にあり領事館前のテントに運び込まれた。
キュプロプスは被害者の出た断層に行き瓦礫の撤去を手伝っていた。
アンドロメダ、マスカラム、ガネット、クリスの四人はテントの中を駆け回り、手分けして負傷者の傷を癒して行った。
ヘラは四肢が切断されている者や下半身が無くなっている者など、癒しのブレスレットでは修復しきれない重症者を中心に治療して行ったが、残りはアンドロメダ達に任せても良いと判断するとテントを離れ、キュプロプスに合流すべく断層に赴いた。
ヘラは辺りのエーテルマトリクスの視覚化を行い赤く光るエーテルマトリクスを探した。
まだ、息のある人たちがいるはずだ、注意深くあたりを見回す。
「捜索担当のリーダーはいる?」
ヘラが周囲に問いかける。
「はい!、こちらに!」
例の体力強化バックパックを身につけた少年の様な小隊長が返事をした。
「あなたの名前は?」
「シャーリア、ボルナ・シャーリアと申します。」
「では、シャーリア小隊長、そのバックパックを装着している者を集めて特殊部隊を作りなさい。この方面の救助隊には10機ほどを貸し与えているはずです。悪いけど、急いでちょうだい。」
彼らを待つ間、ヘラはキュプロプスに瓦礫撤去を依頼した。
「この奥に生命反応が有るわ。キュプロプス瓦礫の撤去をお願い。」
「了解」
キュプロプスは土砂や岩石を軽々と撤去して行った。
「いたぞ! まだ息がある。」
キュプロプスがヘラに告げる。
「こちらへ。」
ヘラが示した場所に被害者を静かに横たえた。
ヘラはその被害者を瞬時に癒した。
だが、生き埋めになって相当体力を消耗したのだろう呼吸は安定しているが起きる気配はなかった。
やがて、シャーリア小隊長が強化バックパックを装着した工兵を率いて帰ってきた。
「キュプロプス、生存者の探索は彼らにさせるから、あなたはここに彼らが休める場所を作ってちょうだいな。」
「分かった、任せておけ。」
キュプロプスは早速周辺の整地を始めた。
「では、皆さん。私に付いてきなさい。」
そう言って歩き出したヘラを強化バックパックを装着した工兵達がぞろぞろと付いて行った。
「この下に一人埋まっています。まだ息があるので助かる可能性が高いわ。シャーリア小隊長、人選してここに担当一人を充てなさい。助け出したら直ぐに私の所に連れてくる様に。」
「はっ、了解しました。」
ヘラのその言葉に彼女の意図を理解した工兵達は背筋をのばして指名を待った。
「次はここよ、大きな石だけどその下に空洞がある。そこに3名埋まっているわ。」
「この倒木の下に居るわ。」
次々と生き埋めになっている人たちを指し示す。
掘り出された犠牲者は瀕死の状態だったが、言われた通りヘラの前に連れて行くとあっという間に癒され安らかな寝息を立て始めた。
「この人はもう大丈夫だから、キュプロプスの作っているテントで休ませなさい。終わったらまたこちらに来るように。」
ヘラは生き埋めになっている人を次々と見つけ出し、工兵に救出を指示して行った。
結局、ここで死ぬべき運命にあった数十名が神の加護により生還した。
・・・・・
メルクーリ隊はサラセン国境手前から西に引き返し東アクスム領事館を目指していた。
領事館を確保するため向かっていた第4国防軍が先ほどの大地震で8割が壊滅したとペルセウスから聞き、救援のため向かっているのだ。
この地震では国境のサラセン軍もアッシリア軍もただでは済まないだろうから、和睦交渉は中止した。
彼女達の居る山脈の麓からアクスム領事館までは徒歩で3時間ほどの距離だったが、地震で街道が崩壊しており、思う様に進めなかった。
亀裂に丸太橋を掛け、隆起を迂回しやっとの想いで領事館に到着したのはまるまる1日後だった。
メルクーリ達が領事館に到着した頃には、第4国防軍の混乱はほぼ沈静化していた。
領事館前にある医療専用テント内は通常被害者のうめき声が絶えないはずだが、今はひっそりと静まり返っている。
キュプロプスが断層地域で作った被害者収容テントは役目を終え、領事館前に移設されている。
救助に召集された第2国防軍の兵士たちも、思い思いにキャンプを張り休んでいた。
メルクーリ達は取り敢えず東アクスム領事館が有った場所へ向かった。
領事館の正門まで来た所で倒壊した領事館の周辺に複数の人達が集まっているのが目に入った。
「アナスタシア、ソフィア、アマリア、部下達はここに残して私たち4人であそこに行ってみましょう。」
「各小隊はここで待機、ラモン小隊長、マイヤー小隊長、クセナキス小隊長で様子を見てきます。私たちが呼ぶまでここで待っていなさい。」
メルクーリ達はゆっくりとその集団を目指して歩いて行った。
一人一人の顔が識別できる所まで来た所でマスカラム・アンドレアの姿を見つけた。
メルクーリはホッとして声を掛けようとしたその時、マスカラムの横にアンドロメダ王女がいることに気が付いた。
『まさか、こんな所に王女が』
「アンドロメダ様!」
メルクーリは思わず声を掛けてしまった。
アンドロメダ達が一斉にメルクーリに振り返る。
「メルクーリ中隊長! よくご無事で!」
アンドロメダも意外な人物を目にして思わずメルクーリ達の無事を喜んだが、ふと気がついて言葉をつなぐ。
「あぁ、そうですね、あなた方はペルセウスと行動を共にしていたんでしたね。地震などに遅れを取る訳もないですね。」
「そのペルセウス殿ですがベルゼブブを追うために私たちと別れて行動しているのです。」
「存じてます。とにかく、再会できてよかった。部下達はどうしました?」
それを聞いて、メルクーリは思い出した様に待機している部下に合図を送った。
ラモン小隊、マイヤー小隊、クセナキス小隊、それぞれの部下総勢25名が後を追ってこちらに移動してきた。
「それで、今はどの様な状況になっているのでしょうか?」
「ヘラ様がこの瓦礫の下にまだ50人の人たちが閉じ込められているとおっしゃるのよ。」
マスカラムが答えた。
「それでキュプロプス様に50人を収容できる医療テントを作っていただいて。」
ガネットが引き継ぐ。
「強化バックパックチームに地下通路を塞いでいる瓦礫を撤去してもらっているところよ」
クリスが締めくくった。
「ヘラ様?、強化バックパックチーム?」
メルクーリが理解できたのはキュプロプスが医療テントを作っていると言う所だけだった。
メルクーリがアクスム離宮に到着した時その荘厳さに度肝を抜かれた。
詳しく話を聞くとこの島の守護神のキュプロプス様がたった1週間でこの街を作ったと聞かされた。
最初は半信半疑であったが、キュプロプス本人を見て納得した。
「ヘラ様とはペルセウスに加護を与えたと言う。オリュンポスの?」
「そう、そのヘラ様よ。アンドロメダ様もご寵愛されているようで、今回の大地震の危機に降臨してくださったのよ。」
ガネットが興奮して説明した。
「アンドロメダ様をご寵愛?」
「そう、アンドロメダ様の事をアンディてお呼びになるのよ。初めて聞いた時は背筋が寒くなったわ。」
だいたい飲み込めてきた。
「それで、強化バックパックチームと言うのは?」
「ヘラ様がキュプロプス様に作らせた、身体機能を強化する魔法道具よ。あれを装着すると通常の5倍以上の力が出るんですって。領事館方面の救助隊には10機あるので、10人で強化バックパックチームと呼んでるの。」
やがて、地下への入り口が見つかり強化バックパックチームは地下に降りて行った。
その他にも十数名の救助隊員たちが担架を持って地下に降りて行った。
「キュプロプス、準備はいいかしら?」
「OKだ。」
領事館の地下から次々と被災者が連れ出され医療テントに運ばれて行った。
「アンディ、もう直ぐ出番よ。こっちに・・・・」
「あら? あなた達は?」
ヘラがメルクーリ達に気がついて誰かと尋ねた。
「私は西部方面近衛中隊隊長 アレクシア・メルクーリと申します。どうかお見知り置きを」
メルクーリは軍人然として答えた。
「ペルセウスと一緒にアッシリアとの和睦交渉に出かけていた人達ね?」
とヘラ。
「はい、国境でも今回の大地震の被害が大きく、アッシリアもサラセンも和睦どころではなくなってしまい、ペルセウス殿の指示もありこちらに参りました。」
「そう、それは良かった。あなた達も手伝ってちょうだい。」
「アンディ、医療テントに案内してあげて。」
「25名の部下達は如何いたしましょう?」
「今はゆっくりしていなさい。ここへ来るの大変だったでしょう?」
「有難うございます、実は24時間不眠不休でやってまいりまして。」
「えぇ! それは大変だったわね。それじゃ、ご褒美をあげるわ。」
そう行ってヘラはメルクーリの後ろに控えている歩兵全員に手をかざした。
徹夜でここまで来ていたメルクーリ隊であったが、ヘラが手をかざした次の瞬間、徹夜明け独特のあの気だるさが消えてしまった。
「これで、少しは楽になったでしょう? 領事館の裏手で炊き出しをしているのでそこで何か食べなさい。医療テントを手伝うのはいいわ、あなた達も休みなさいな。」
そう行ってヘラは医療テントの方に歩いて行ってしまった。
2週間後キュプロプスの力もあり東アクスム領事館は以前にもまして美しい姿を市民に見せる事になった。
アッシリア軍はあの地震で大打撃を受け、生き残りは三桁に届かず、這々の体で撤退して行った。
サラセン国境の渓谷門は地震で倒壊してしまいサラセン国土を無防備に晒す事になった。
大渓谷はその後2年にわたって腐敗臭が漂い誰も入り込もうとしなくなった。
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