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ギリシャ神話 サタン一族編
拘束
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洞窟に見えたそれは、洞窟では無かった。しばらく歩くと天井がひらけ青空が見えた。欅の群生地が岸壁上部に覆いかぶさって洞窟に見えていただけで、実は巨大な渓谷だった。足元には山頂から続く穏やかな川が流れていた。
ローレンスとピーターの姿はすでに見えない。バルハヌ達は足元を丹念にしらべ二人が通過した痕跡がないか探した。谷底は渓流が運んだ砂礫が堆積し足跡が付きにくい土壌であったが陸戦になれたバルハヌ達は難なく二人の足跡を見つけた。慎重にその後を追う。
足を運ぶごとに「ジャリ」と足音が響く。
『いかん、敵に見つかってしまう。』
「全員ここで待機、私が呼んだら岩を足場にして来い。」
バルハヌはそう言って、露出している岩の上を足場にしながら二人の足跡を追い、ある程度の距離が出来たら他の者達を呼ぶという追跡を数回繰り返した。
やがて、切り立った岩の向こうから話し声が聞こえる所まで来た。バルハヌは後ろを振り返り、口に人指し指を当て、それから来いと合図をした。一同はこれまで以上に慎重にバルハヌの後ろに集合する。
「キュプロプスが町を作る手伝いをするって言うのかい?」
耳をすますと女性の声が聞こえて来た。
『何者だ? インキュバスとベルゼブブ以外にもう一匹魔人がいるのか?』
「ヘラ様がアクスムの民の前でキュプロプスは半神だと説明していました。」
ローレンスが報告する。
「ヘラ様なんて言うんじゃないよ、にしてもキュプロプスが半神だと知っているとは。やはりゼウスの一族じゃないのか?」
最初は女性の声だったのに、途中から男性が引き継いだ。
『あの声は覚えている、あれはインキュバスだ』
アンドロメダはその声の主を小声で皆んなに伝えた。
「ヘラ様を他にどう呼べと仰るんです?」
ローレンスが論点のずれた質問をする。
「あんた達にとっては女神でも、私たちにとっちゃただの同類だよ。ちきしょう、人間の味方なんかしやがって。」
とサキュバスが口汚く罵った。
「いや、あれはあのヘラではないかもしれん、キュプロプスとの戦いを見たか? ヘラはあんな戦い方をしない。それに、ヘラとならキュプロプスは互角以上に戦えるはずなのに一方的だった。」
とベルゼブブ。
「さすがはヘラ様、頼もしい限りです。」
ピーターがローレンスと同じく、その場に相応しくない発言をした。
『何かおかしいぞ?』
バルハヌ達はローレンスとピーターの会話の中に何か異常な物を感じたがその時はそれが何なのか分からなかった。
いずれにしても支配されているのがローレンスとピーターだけである事、女性の声のもう一匹の魔人がどんな姿をしているのか、この二つを確認しようと考えた。バルハヌは慎重に岩の向こうを覗き込むため近づいた。その時である、後ろでアディスの足元の小石がカラカラと乾いた音を立ててこぼれ落ちた。
全員が硬直する。
『気づかれたか?』
息を殺して状況を静観する。会話が途切れた。これは確実に気づかれている。バルハヌは全員に「走れ!」と叫んだ。しかし、相手は魔人だ、逃げ切る事は不可能だろう。全員川下に向かって走り出した。
10メートルも走らないうちに川下に人影が現れた。ペルセウスである。
「ペルセウス! 無事だったのか?」
「心配をかけた。もう大丈夫だ。」
ペルセウスは何時もと変わらぬ様子でバルハヌに答えた。
後ろからインキュバス、ベルゼブブ、ローレンス、ピーターが迫って来た。
ペルセウスは皆の前に立ち、インキュバス達に対する。
「ほー。アンドロメダ様がいらっしゃるではないか。」
ベルゼブブはペルセウスを無視して、
「初めましてアンドロメダ王女、ベルゼブブと申します。ムスリム国の宰相を務めさせて頂いております。」
ベルゼブブは慇懃にアンドロメダに挨拶する。他のもの達は完全無視である。
「アンドロメダ様、こんな所まで来ては危険ではないですか。早く立ち去る事をお勧めします。」
ローレンスがいつものようにアンドロメダを慮って話しかける。
「ここはインキュバス様のアジト、こんな所に来てはいけません。」
ピーターが叫ぶ。
バルハヌ達は彼らの物言いに、何かぞっとする違和感を覚えた。
「かなり、困惑しているようですな、皆さん。」
インキュバスが尋ねた。
「まぁ、しかし、ピーターの言うようにこんな所へ来てしまった以上、無事で帰れるとは思って居られんでしょうな?」
インキュバスが余裕で話しかけて来た。
「ローレンスとピーターに何をした!」
バルハヌがインキュバスに向かって叫んだ。
「おや、おや、聞かずとも分ろうものを。当然彼らは私たちの味方に引き入れたのですよ。」
とインキュバスが答えたその刹那。
「偉そうに言うんじゃないよ、私の力じゃないか。」
インキュバスが突然、妖艶な女性に姿を変えて非難の声をあげた。
「なっ、なんだ?」
ペルセウスを除くバルハヌ達全員が驚愕の表情になった。
「お前は何者だ!?」思わず口にする。
「私はサキュバス、あんた達とは初めてお目にかかるね。私の術はインキュバスなんかとは物が違うよ。あいつらはもう私の言いなりさ。」
サキュバスは女神ヘラと同じような衣装を纏っていた、容姿も美しいと言って良いだろう、ただ醸し出す邪悪さは明らかにヘラとは違う種族なのだと言う事を物語っていた。
「さて、どうしたものかね?」
サキュバスが考え込む。
「アンドロメダ王女を残して全員始末してしまうのが良いんじゃないか?」
ベルセブブが軽く答える。
「それが良いね。それじゃペルセウス、アンドロメダだけ残して全員始末しちゃって。」
そのサキュバスの言葉はバルハヌ達の心の奥底で、もしかしたらと言う恐怖としてあった。
バルハヌ達はそれが現実であった事に絶望感が押し寄せてくるのを感じた。
「何を言う。彼らは俺と苦楽を共にしたかけがえのない友だ、殺せる訳がないだろう。」
ペルセウスはサキュバスの命令にそう答えた。
その答えにバルハヌ達は一瞬希望を得たように思ったが、
「でも、彼らは私を殺そうとしてるんだよ、何とかしておくれペルセウス。」
サキュバスはペルセウスの反論に慌てる様子もなく彼を諭す。
「そうなのか? なら、殺るしかない。」
この違和感はローレンスやピーターに感じたものと同じだ、間違い無く操られている。
ペルセウスはケラウノスを抜き、バルハヌらに振り返りケラウノスを上段からバルハヌ目がけて振り下ろした。
バルハヌは反射的に盾で受ける。しかし、それまでの経験から自分の真っ二つになった姿を思い浮かべた。
が、しかし、盾はペルセウスの剣を受け止めたのである。考えられる理由は二つ。バルハヌはペルセウスの振るう剣の尽くを盾で受けながら考えた。
一つはペルセウスから預かった盾がペルセウスの剣に纏う魔力を相殺している。
二つ目はペルセウスが操られたフリをして自分と戦っている。
バルハヌは後者である事を願ったが、盾でケラウノスを受けた時の彼の顔を見た時、それが前者である事を確信した。
『くそっ、ペルセウスが支配されてしまったら我々に勝ち目はない。』
バルハヌとペルセウスの攻防は予想外に長引いた。剣術ではバルハヌに一日の、いや何年もの経験の差がある。普通の剣を持ったペルセウスが相手であれば、決して遅れは取らない。しかしペルセウスは30代前半、バルハヌは50を超えている。体力差は徐々にペルセウスを有利に導いていった。
ケラウノスを盾で受けると同時にペルセウスの脇を狙って剣を突き出す、ペルセウスがそれをケラウノスで弾こうと手首をかえして切っ先を下に向けた。『あたれば俺の剣は真っ二つだ』バルハヌはケラウノスが当たる瞬間、素早く剣を引いた。ペルセウスはその剣をそのまま下段から斜め上に剣を振り抜いた、バルハヌは後ろに飛んでそれを避ける。
その場は殆どバルハヌとペルセウスの一騎打ちだった。インキュバスの面々は面白そうに、アンドロメダ達は絶望の顔で二人の戦いを見ていた。
疲れの見えて来たバルハヌを援護すべく、ヌルカンとアディスも参戦する。 川辺には岩があちこちに突き出ており自由に動ける空間がない、以前キマイラに対したような陣形は取れない。ヌルカンとアディスは一方が引く時にもう一方が攻撃する波状攻撃でバルハヌを援助しながら、アンドロメダとマスカラムに逃げろと合図した。
しかし、それを見ていたサキュバスがローレンスとピーターに指令を出す。
「あの二人を逃すんじゃないよ。」
サキュバスの乱暴な言い方に顔を顰めながらも、言う事を聞いて二人の行く手を遮る。
マスカラムが剣を抜きアンドロメダの前に出た。ローレンスがそれを見て剣を振り下ろそうと迫って来た。
「ローレンスやめなさい。!!」
アンドロメダが思わずローレンスに命令した。すると、どうだろう、ローレンスは動きを止めたのだ。
ローレンスは暫く怪訝な顔をしていたが、やがて思い出したように再びマスカラムに襲いかかる。
ローレンスやピーターの支離滅裂な言動や行動、アンドロメダはサキュバスが自分の術はインキュバスとは物が違うと言っていた事を思い出した。
彼らの操られ方は独特だ、本質は変化ないのに目的意識だけ書き換えられているような。どう、表現して良いか分からないが、とにかく本来の人格や人間関係は残っており身近な物の言葉に一旦は耳を傾ける。ここに突破口はないのか? アンドロメダはとにかく彼らに話し続けた。
「ローレンスわたしは王女アンドロメダ。言う事を聞きなさい。剣を納めるのです。」
「ピーター、じっとしていなさい。」
「ローレンス、アクスム王女が命ずる、剣を修めよ。」
「ローレンス、バルハヌを守りなさい」
思いつく限りの言葉をローレンスに掛ける。 ローレンスはその度に一瞬考え込み、また、思い直したように攻撃を開始した。
親しいものが話しかける事に効果がある事はわかった。だが、術を解くまでには至らない。相手は魔人である術を跳ね返すほどの力は彼女にはない、だが、時間を稼ぐことはできる。今にきっとヘラ様が来てくれる。アンドロメダは一縷の望みを賭けて、話しかけ続けた。
「ペルセウス、目を覚ますのです。」
「ローレンス、私に従いなさい。」
「ローレンス、バネッサは元気?」
「ペルセウス、ヘラ様の事は覚えてる?」
サキュバスはアンドロメダのその行動を見て、忌々しそうに言う。
「あの女、無駄な事を。 魅惑には魅惑で対抗しようってか? ふざけんじゃないよ、人間の分際で。」
アンドロメダの語りかけにより、ペルセウス、ローレンス、ピーター、3人とも動きが数秒間止まる。バルハヌ、ヌルカン、アディスはそれを見逃さず、動きが止まり考え込んだその時を狙って剣を振るった。
「ペルセウス、ヌルカンに攻撃してはいけません。」
「ペルセウス、アディスを守って。」
「ペルセウス、剣を納めるのです」
「『ペルセウス、お願い』元に戻って」
「ペルセウス、魔人から私たちを守って」
アンドロメダが次から次へとペルセウスを牽制するために言葉をかけた。ペルセウスの中で何かが起動した。エーテルバッファリングから正しいマトリクスが転写される。
アンドロメダが口にした言葉の中に、覚醒の合言葉が含まれていたのである。アンドロメダが初めて彼に心の内を晒した時の言葉。ペルセウスにとっても大事な言葉であった。
ペルセウスはまずケラウノスの切断能力を無効にした。バルハヌから距離を取り、ローレンスとピーターにケラウノスで当て身を入れた。二人はその場で気絶したが、バルハヌ、ヌルカン、アディスの3人はそれを見ても警戒を緩める事はなかった。
次にペルセウスがインキュバス達に向かってケラウノスを一閃すると、その先端から光の鞭のような物が2本伸びインキュバスとベルゼブブに巻きついた。
「何をするペルセウス、この変なものを外しなさい。」
インキュバスがすぐさまサキュバスに変わりペルセウスに命令した。
ペルセウスをそれを受けて、
「なかなか、面白い支配の仕方だったよ。こう言う方法もあるのかと興味深く見させてもらった。」
冷めた声でサキュバスに告げた。
「なっ、私の’魅惑’の術が解けるはずはない。」
サキュバスの疑問に答えるようにペルセウスは続けた。
「脳の松果体に細工し、性機能を異常発達させ同時にテレパシー機能を活性化させる。それでお前の欲望がそのままその人間に転移するという訳か。魅惑とはよく言ったものだ女のお前は男にしかこの技は使えないだろう? テレパシーがエーテルリンクの代わりになるので外から見ても繋がりは見えない。確かにインキュバスより出来が良さそうだな。」
「きさま、やっぱりエーテルマスターだな?」
ペルセウスの高度な分析にインキュバスが現れて言った。
「どうでも良いだろう。今重要なことは、お前達を私が拘束したと言う事実だ。支配されている人間も、少なくともこの島内にはローレンスとピーターだけのようだしな。」
「俺たちをどうするつもりだ?」
ベルゼブブが問う。
「気の毒だがこの世界から消えてもらう。殺しはしない。元いた所に戻ってもらうだけだ。その世界にはエーテルマスターがウジャウジャ居るんでね。しっかり逃げろよ。」
そう言ってケラウノスから伸びる光のロープを刃先から切り離した。光のロープは彼らに巻きついたままだ。
「あそこに送るのは、さすがに私でもすぐには出来ない。暫く、牢屋に入ってもらうぞ。」
キルケゴールは今すぐにでも転移魔法で彼らをあちらの世界に送る事ができる。しかし問題はどの時期のどの場所に送るのかと言う事である、これは魔法陣に書き込んで実行する方が正確性を増す。間違って下手な所に送ってしまい、先方に迷惑をかけないための配慮だった。
一連の会話を後ろで聞いていたバルハヌ一行は『あれは、ペルセウスではないのでは?』と訝っていた。
「貴方は、何者なの? ペルセウスではないわね? ペルセウスはどうなったの?」
アンドロメダがペルセウスの前に駆け寄り聞いた。
キルケゴールはインキュバス達と話をする時に彼らに気を使っていなかった事を思い出した。『しまったな。これまでの芝居が全部無駄になってしまう。』ペルセウスはやはりペルセウスでなければならない。『ここは、一つ芝居をうつか。』そう考えて念話でヘラを呼んだ。『ヘラ、またヘマをした、手を貸してくれ。』
ローレンスとピーターの姿はすでに見えない。バルハヌ達は足元を丹念にしらべ二人が通過した痕跡がないか探した。谷底は渓流が運んだ砂礫が堆積し足跡が付きにくい土壌であったが陸戦になれたバルハヌ達は難なく二人の足跡を見つけた。慎重にその後を追う。
足を運ぶごとに「ジャリ」と足音が響く。
『いかん、敵に見つかってしまう。』
「全員ここで待機、私が呼んだら岩を足場にして来い。」
バルハヌはそう言って、露出している岩の上を足場にしながら二人の足跡を追い、ある程度の距離が出来たら他の者達を呼ぶという追跡を数回繰り返した。
やがて、切り立った岩の向こうから話し声が聞こえる所まで来た。バルハヌは後ろを振り返り、口に人指し指を当て、それから来いと合図をした。一同はこれまで以上に慎重にバルハヌの後ろに集合する。
「キュプロプスが町を作る手伝いをするって言うのかい?」
耳をすますと女性の声が聞こえて来た。
『何者だ? インキュバスとベルゼブブ以外にもう一匹魔人がいるのか?』
「ヘラ様がアクスムの民の前でキュプロプスは半神だと説明していました。」
ローレンスが報告する。
「ヘラ様なんて言うんじゃないよ、にしてもキュプロプスが半神だと知っているとは。やはりゼウスの一族じゃないのか?」
最初は女性の声だったのに、途中から男性が引き継いだ。
『あの声は覚えている、あれはインキュバスだ』
アンドロメダはその声の主を小声で皆んなに伝えた。
「ヘラ様を他にどう呼べと仰るんです?」
ローレンスが論点のずれた質問をする。
「あんた達にとっては女神でも、私たちにとっちゃただの同類だよ。ちきしょう、人間の味方なんかしやがって。」
とサキュバスが口汚く罵った。
「いや、あれはあのヘラではないかもしれん、キュプロプスとの戦いを見たか? ヘラはあんな戦い方をしない。それに、ヘラとならキュプロプスは互角以上に戦えるはずなのに一方的だった。」
とベルゼブブ。
「さすがはヘラ様、頼もしい限りです。」
ピーターがローレンスと同じく、その場に相応しくない発言をした。
『何かおかしいぞ?』
バルハヌ達はローレンスとピーターの会話の中に何か異常な物を感じたがその時はそれが何なのか分からなかった。
いずれにしても支配されているのがローレンスとピーターだけである事、女性の声のもう一匹の魔人がどんな姿をしているのか、この二つを確認しようと考えた。バルハヌは慎重に岩の向こうを覗き込むため近づいた。その時である、後ろでアディスの足元の小石がカラカラと乾いた音を立ててこぼれ落ちた。
全員が硬直する。
『気づかれたか?』
息を殺して状況を静観する。会話が途切れた。これは確実に気づかれている。バルハヌは全員に「走れ!」と叫んだ。しかし、相手は魔人だ、逃げ切る事は不可能だろう。全員川下に向かって走り出した。
10メートルも走らないうちに川下に人影が現れた。ペルセウスである。
「ペルセウス! 無事だったのか?」
「心配をかけた。もう大丈夫だ。」
ペルセウスは何時もと変わらぬ様子でバルハヌに答えた。
後ろからインキュバス、ベルゼブブ、ローレンス、ピーターが迫って来た。
ペルセウスは皆の前に立ち、インキュバス達に対する。
「ほー。アンドロメダ様がいらっしゃるではないか。」
ベルゼブブはペルセウスを無視して、
「初めましてアンドロメダ王女、ベルゼブブと申します。ムスリム国の宰相を務めさせて頂いております。」
ベルゼブブは慇懃にアンドロメダに挨拶する。他のもの達は完全無視である。
「アンドロメダ様、こんな所まで来ては危険ではないですか。早く立ち去る事をお勧めします。」
ローレンスがいつものようにアンドロメダを慮って話しかける。
「ここはインキュバス様のアジト、こんな所に来てはいけません。」
ピーターが叫ぶ。
バルハヌ達は彼らの物言いに、何かぞっとする違和感を覚えた。
「かなり、困惑しているようですな、皆さん。」
インキュバスが尋ねた。
「まぁ、しかし、ピーターの言うようにこんな所へ来てしまった以上、無事で帰れるとは思って居られんでしょうな?」
インキュバスが余裕で話しかけて来た。
「ローレンスとピーターに何をした!」
バルハヌがインキュバスに向かって叫んだ。
「おや、おや、聞かずとも分ろうものを。当然彼らは私たちの味方に引き入れたのですよ。」
とインキュバスが答えたその刹那。
「偉そうに言うんじゃないよ、私の力じゃないか。」
インキュバスが突然、妖艶な女性に姿を変えて非難の声をあげた。
「なっ、なんだ?」
ペルセウスを除くバルハヌ達全員が驚愕の表情になった。
「お前は何者だ!?」思わず口にする。
「私はサキュバス、あんた達とは初めてお目にかかるね。私の術はインキュバスなんかとは物が違うよ。あいつらはもう私の言いなりさ。」
サキュバスは女神ヘラと同じような衣装を纏っていた、容姿も美しいと言って良いだろう、ただ醸し出す邪悪さは明らかにヘラとは違う種族なのだと言う事を物語っていた。
「さて、どうしたものかね?」
サキュバスが考え込む。
「アンドロメダ王女を残して全員始末してしまうのが良いんじゃないか?」
ベルセブブが軽く答える。
「それが良いね。それじゃペルセウス、アンドロメダだけ残して全員始末しちゃって。」
そのサキュバスの言葉はバルハヌ達の心の奥底で、もしかしたらと言う恐怖としてあった。
バルハヌ達はそれが現実であった事に絶望感が押し寄せてくるのを感じた。
「何を言う。彼らは俺と苦楽を共にしたかけがえのない友だ、殺せる訳がないだろう。」
ペルセウスはサキュバスの命令にそう答えた。
その答えにバルハヌ達は一瞬希望を得たように思ったが、
「でも、彼らは私を殺そうとしてるんだよ、何とかしておくれペルセウス。」
サキュバスはペルセウスの反論に慌てる様子もなく彼を諭す。
「そうなのか? なら、殺るしかない。」
この違和感はローレンスやピーターに感じたものと同じだ、間違い無く操られている。
ペルセウスはケラウノスを抜き、バルハヌらに振り返りケラウノスを上段からバルハヌ目がけて振り下ろした。
バルハヌは反射的に盾で受ける。しかし、それまでの経験から自分の真っ二つになった姿を思い浮かべた。
が、しかし、盾はペルセウスの剣を受け止めたのである。考えられる理由は二つ。バルハヌはペルセウスの振るう剣の尽くを盾で受けながら考えた。
一つはペルセウスから預かった盾がペルセウスの剣に纏う魔力を相殺している。
二つ目はペルセウスが操られたフリをして自分と戦っている。
バルハヌは後者である事を願ったが、盾でケラウノスを受けた時の彼の顔を見た時、それが前者である事を確信した。
『くそっ、ペルセウスが支配されてしまったら我々に勝ち目はない。』
バルハヌとペルセウスの攻防は予想外に長引いた。剣術ではバルハヌに一日の、いや何年もの経験の差がある。普通の剣を持ったペルセウスが相手であれば、決して遅れは取らない。しかしペルセウスは30代前半、バルハヌは50を超えている。体力差は徐々にペルセウスを有利に導いていった。
ケラウノスを盾で受けると同時にペルセウスの脇を狙って剣を突き出す、ペルセウスがそれをケラウノスで弾こうと手首をかえして切っ先を下に向けた。『あたれば俺の剣は真っ二つだ』バルハヌはケラウノスが当たる瞬間、素早く剣を引いた。ペルセウスはその剣をそのまま下段から斜め上に剣を振り抜いた、バルハヌは後ろに飛んでそれを避ける。
その場は殆どバルハヌとペルセウスの一騎打ちだった。インキュバスの面々は面白そうに、アンドロメダ達は絶望の顔で二人の戦いを見ていた。
疲れの見えて来たバルハヌを援護すべく、ヌルカンとアディスも参戦する。 川辺には岩があちこちに突き出ており自由に動ける空間がない、以前キマイラに対したような陣形は取れない。ヌルカンとアディスは一方が引く時にもう一方が攻撃する波状攻撃でバルハヌを援助しながら、アンドロメダとマスカラムに逃げろと合図した。
しかし、それを見ていたサキュバスがローレンスとピーターに指令を出す。
「あの二人を逃すんじゃないよ。」
サキュバスの乱暴な言い方に顔を顰めながらも、言う事を聞いて二人の行く手を遮る。
マスカラムが剣を抜きアンドロメダの前に出た。ローレンスがそれを見て剣を振り下ろそうと迫って来た。
「ローレンスやめなさい。!!」
アンドロメダが思わずローレンスに命令した。すると、どうだろう、ローレンスは動きを止めたのだ。
ローレンスは暫く怪訝な顔をしていたが、やがて思い出したように再びマスカラムに襲いかかる。
ローレンスやピーターの支離滅裂な言動や行動、アンドロメダはサキュバスが自分の術はインキュバスとは物が違うと言っていた事を思い出した。
彼らの操られ方は独特だ、本質は変化ないのに目的意識だけ書き換えられているような。どう、表現して良いか分からないが、とにかく本来の人格や人間関係は残っており身近な物の言葉に一旦は耳を傾ける。ここに突破口はないのか? アンドロメダはとにかく彼らに話し続けた。
「ローレンスわたしは王女アンドロメダ。言う事を聞きなさい。剣を納めるのです。」
「ピーター、じっとしていなさい。」
「ローレンス、アクスム王女が命ずる、剣を修めよ。」
「ローレンス、バルハヌを守りなさい」
思いつく限りの言葉をローレンスに掛ける。 ローレンスはその度に一瞬考え込み、また、思い直したように攻撃を開始した。
親しいものが話しかける事に効果がある事はわかった。だが、術を解くまでには至らない。相手は魔人である術を跳ね返すほどの力は彼女にはない、だが、時間を稼ぐことはできる。今にきっとヘラ様が来てくれる。アンドロメダは一縷の望みを賭けて、話しかけ続けた。
「ペルセウス、目を覚ますのです。」
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「ペルセウス、ヘラ様の事は覚えてる?」
サキュバスはアンドロメダのその行動を見て、忌々しそうに言う。
「あの女、無駄な事を。 魅惑には魅惑で対抗しようってか? ふざけんじゃないよ、人間の分際で。」
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「ペルセウス、ヌルカンに攻撃してはいけません。」
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「ペルセウス、剣を納めるのです」
「『ペルセウス、お願い』元に戻って」
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アンドロメダが次から次へとペルセウスを牽制するために言葉をかけた。ペルセウスの中で何かが起動した。エーテルバッファリングから正しいマトリクスが転写される。
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ペルセウスはまずケラウノスの切断能力を無効にした。バルハヌから距離を取り、ローレンスとピーターにケラウノスで当て身を入れた。二人はその場で気絶したが、バルハヌ、ヌルカン、アディスの3人はそれを見ても警戒を緩める事はなかった。
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ペルセウスをそれを受けて、
「なかなか、面白い支配の仕方だったよ。こう言う方法もあるのかと興味深く見させてもらった。」
冷めた声でサキュバスに告げた。
「なっ、私の’魅惑’の術が解けるはずはない。」
サキュバスの疑問に答えるようにペルセウスは続けた。
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「きさま、やっぱりエーテルマスターだな?」
ペルセウスの高度な分析にインキュバスが現れて言った。
「どうでも良いだろう。今重要なことは、お前達を私が拘束したと言う事実だ。支配されている人間も、少なくともこの島内にはローレンスとピーターだけのようだしな。」
「俺たちをどうするつもりだ?」
ベルゼブブが問う。
「気の毒だがこの世界から消えてもらう。殺しはしない。元いた所に戻ってもらうだけだ。その世界にはエーテルマスターがウジャウジャ居るんでね。しっかり逃げろよ。」
そう言ってケラウノスから伸びる光のロープを刃先から切り離した。光のロープは彼らに巻きついたままだ。
「あそこに送るのは、さすがに私でもすぐには出来ない。暫く、牢屋に入ってもらうぞ。」
キルケゴールは今すぐにでも転移魔法で彼らをあちらの世界に送る事ができる。しかし問題はどの時期のどの場所に送るのかと言う事である、これは魔法陣に書き込んで実行する方が正確性を増す。間違って下手な所に送ってしまい、先方に迷惑をかけないための配慮だった。
一連の会話を後ろで聞いていたバルハヌ一行は『あれは、ペルセウスではないのでは?』と訝っていた。
「貴方は、何者なの? ペルセウスではないわね? ペルセウスはどうなったの?」
アンドロメダがペルセウスの前に駆け寄り聞いた。
キルケゴールはインキュバス達と話をする時に彼らに気を使っていなかった事を思い出した。『しまったな。これまでの芝居が全部無駄になってしまう。』ペルセウスはやはりペルセウスでなければならない。『ここは、一つ芝居をうつか。』そう考えて念話でヘラを呼んだ。『ヘラ、またヘマをした、手を貸してくれ。』
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クリスは知っていた。
騎士ローウェルは裏切ると。
だから逆に『さようなら』を言い渡した。倍返しで。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
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【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
転生令嬢の食いしん坊万罪!
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訳も分からないまま命を落とし、訳の分からない神様の手によって、別の世界の公爵令嬢・プリムローズとして転生した、美味しい物好きな元ヤンアラサー女は、自分に無関心なバカ父が後妻に迎えた、典型的なシンデレラ系継母と、我が儘で性格の悪い妹にイビられたり、事故物件王太子の中継ぎ婚約者にされたりつつも、しぶとく図太く生きていた。
そんなある日、プリムローズは王侯貴族の子女が6~10歳の間に受ける『スキル鑑定の儀』の際、邪悪とされる大罪系スキルの所有者であると判定されてしまう。
プリムローズはその日のうちに、同じ判定を受けた唯一の友人、美少女と見まごうばかりの気弱な第二王子・リトス共々捕えられた挙句、国境近くの山中に捨てられてしまうのだった。
しかし、中身が元ヤンアラサー女の図太い少女は諦めない。
プリムローズは時に気弱な友の手を引き、時に引いたその手を勢い余ってブン回しながらも、邪悪と断じられたスキルを駆使して生き残りを図っていく。
これは、図太くて口の悪い、ちょっと(?)食いしん坊な転生令嬢が、自分なりの幸せを自分の力で掴み取るまでの物語。
こちらの作品は、2023年12月28日から、カクヨム様でも掲載を開始しました。
今後、カクヨム様掲載用にほんのちょっとだけ内容を手直しし、1話ごとの文章量を増やす事でトータルの話数を減らした改訂版を、1日に2回のペースで投稿していく予定です。多量の加筆修正はしておりませんが、もしよろしければ、カクヨム版の方もご笑覧下さい。
※作者が適当にでっち上げた、完全ご都合主義的世界です。細かいツッコミはご遠慮頂ければ幸いです。もし、目に余るような誤字脱字を発見された際には、コメント欄などで優しく教えてやって下さい。
※検討の結果、「ざまぁ要素あり」タグを追加しました。
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前の話はテンポが悪かったので、全文書き直しました。
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