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黄昏

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ギリシャ神話 サタン一族編

インキュバスの罠

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その日の晩、ホーンを加えた五人はシブナスの館の玄関の前に来ていた。
運河側からは見えなかったが、館の正面から見ると5階の右端の部屋がロウソクの光でゆらゆらと揺れていた。
誰かが住んでいるのは確かだ。
ホーンがドアに取り付けられたノッカーを2回鳴らした。
この音が5階の右端の部屋まで届くだろうか?
通常このような場合はこの館の執事か管理人が来客に応対するのだろうがこの屋敷には居ないようである。
ホーンは住人の了解を得ることもなくドアを開いて入っていった。
中は暗くてよく見えない。
「どなたか、いらっしゃいませんか?」
ホーンが大声で問いかけた。
返事がない。

「先ほど、外から見ると5階に明かりのついた部屋がありました。そちらに行ってみましょう。」
ホーンがアンドロメダに許可を求めるように言う。
「そうですね、行ってみましょう。」
「ちょっと待ってください。今ランプに火を起こします。」
マスカラムがそう言って三人の侍女全員がランプに火を灯した。
あたりは一気に明るくなり中央に階段が浮かび上がった。

一同は階段をゆっくり登っていった。
先頭にホーン、その後ろにアンドロメダを中心にマスカラム、ガネット、クリスが3角形を描くように並んでいる。
念の為各階ごとに人が居ないか確かめながら登って行く。
結局5階の例の部屋しか人の気配はしなかった。
その部屋の前まで来た一同は全員がアンドロメダに目配せした。

アンドロメダはホーンの目を見て頷く。
ホーンがドアをノックした。

トントン。
1回目は反応がない。
もう一度、トントン。
「どちら様かな?」
部屋の中からバリトンの男性の声が誰何してきた。
「夜分恐れ入ります。私はジタン商会のウィリアム・ホーンと申します。
私を含めて総勢5名でお伺いしておりますが、決して怪しいものではございません。
実は、ハイレ・アクスム様が時々このお屋敷から出てこられると言う噂を聞きまして、失礼を承知でお伺いした次第です。
ハイレ・アクスム様はこちらにいらっしゃるアンドロメダ様の従兄弟に当たる方。
もしハイレ・アクスム様の事をご存知でしたら、お話を伺いたいのですが。」

ドアの向こうで人が動く気配がした。
ドアのすぐ向こうで話す声が聞こえてきた。
「ハイレ・アクスムは私です。
アンドロメダ王女とは面識がありません。
あなた方がサラセンの追跡者でない保証がありません。」

「ホーン店長、どいて下さい。」
アンドロメダはそう言いドアの前まで来た。
左手中指の王家の指輪を外しドアの下から差し出す。

しばらくしてドアが開かれた。
「この指輪をお返しします、アンドロメダ王女。」
そう言って、部屋の男は指輪を返してきた。
「お入り下さい。」

五人は招きに応じて部屋に入った。
アンドロメダとハイレが向き合って挨拶を交わす。
「お初にお目にかかりますアンドロメダ王女。ハイレ・アクスムです。」
「初めましてハイレ様、アンドロメダです。」
アンドロメダはまだ完全に気を許したわけではなかった。
故国アクスムでレジスタンスを裏切ったという噂は本当なのか、もし、本当ならなぜ今になってこのベネチアに逃げてきたのか、明らかにしなければならない点がたくさんある。

「アクスムでのレジスタンスとの経緯をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
アンドロメダもハイレも立ったまま話を続けた。
「まずはお座り下さい。」
ハイレは部屋の片隅にある応接テーブルに五人を招いた。
ハイレが一人掛けのソファに座り、その対面の長椅子にアンドロメダが一人で座った。
アンドロメダの後ろに三人が立ったまま控える。
ホーンはハイレの横に立っていた。

「レジスタンスで私が裏切ったのは本当のことです。」
ハイレは包み隠さず話そうとしているように思えた。
「ですが、その時の私の行動を振り返って見ても、何故、そんな行動に出たのかが未だに合点出来ないでいるのです。」
「何か、夢の中で動いているような。そんな感覚でした。
そして事の良し悪しが実際と真逆な事だとの自覚があるにも拘らずそれを止める事が出来なかったのです。」
ハイレは苦悩の顔を見せてそう語った。

「何者かに操られていたとおっしゃるのですか?」
アンドロメダはまだ完全に信用して話を聞いている訳ではなかった。
「言い訳がましい事を言っていると思われるかもしれませんが、私はそれが真相だと思っております。」
ハイレはホーンにしたと同じように、意識誘導を徐々に開始していた。

「そんな事が出来るものがこの世にいるとは思えませんわ。」
アンドロメダはハイレの言う可能性を否定した。

「そうですね、あまりの罪悪感に私は狂ってしまったのかも知れません。」
巧妙に同情心を誘う。

「人は誰でも弱い心を持っています。たとえ一時その心が負けたとしても、責められるものではありませんわ。」
アンドロメダは徐々にハイレの裏切り行為を許し始めている。

「何か、人を超える力が私に働いたに違いありません。」
ハイレはアンドロメダから何かを引き出したかったのか、超常的力を連想させる言葉を会話の中に織り交ぜている。
しかし、ハイレはアンドロメダが引き込みにくいとも感じていた。
裏切り行為の原因を「超常的力」が原因と認めさせたいのに、アンドロメダは「心の弱さ」だと言い返してくる。

「そんな物はこの世に存在しませんわ。」
女神ヘラやペルセウスの力はしか知らしめていない。
この事をハイレに教えるのはまだ早い。

「そうですか? あなたは女神の奇跡を見たと聞いていますが?」
ハイレは失敗した。女神のことを彼が知っているはずは無いのだ。

アンドロメダは即座に反応した。
『何故その事を知っている。やはりこの人は信用できない。』
アンドロメダは念のためペルセウスと通信を確立しておこうと考えた。
『ペルセ・・・』

心の中でペルセウスを呼ぼうとしたその時である。
天井から何かが落ちてきた。
アンドロメダと三人の侍女たちを囲んでしまう篭のようなものである。
足元で、ガチャと言う音がし、床にも同じ網が出現し篭のようなものと一体化した。

三人の侍女たちがアンドロメダの前に飛び出す、手には何処から出したのかダガーを握っている。
「ホーン、その男を拘束しなさい。」
アンドロメダがホーンに命令した。
しかし、ホーンは動く気配がない。
「父さん! 何してるの!」
クレアが叫ぶ。

「ホーン君は私の忠実なしもべ、君の声は届かないよ。」
ハイレがうそぶく。
「やはり失敗してしまったか、警戒されているとこの術はうまく使えないのでね。」
「危なかったよ、ペルセウスを呼ばれると面倒な事になっただろうからね。」

「お前は何者。何故ペルセウスの事を知っている。」
アンドロメダは強い口調で聞いた。

「私はこの館の主人シブナス・サンタクルズ。ペルセウスの事はホーン君が詳しく教えてくれたよ。」
ハイレであった人物はアンドロメダ達の前でその姿を変えた。

『これは。この力は? ヘラ様の言っていた別の一族か?』
アンドロメダは即座に男の正体を看破した。

「姫様、ペルセウスは?」とガネット。
「さっきから呼んでいるんだけど繋がらないのよ。」

アンドロメダと侍女の会話を聞いて、シブナスが種明かしをする。
「彼とは繋がらないよ。その檻はリンドバーグ・ケージと言ってね、魔法を遮断してしまうんだよ。」
「リンドバーグ・ケージ?」
彼女たちには意味がわからない。
「そう、リンドバーグ・ケージ、ある偉い人の発明でね。君のそのペンダントは役に立たなくなっているよ。」
皮肉な事である、リンドバーグ・ケージはアビゲイルの発明であった。
それが、アビゲイルが作った通信リンクを遮断している。

「ホーン君、明日の朝までにこの四人を洗脳しなければならない。いつも通り定例会議に出てもらわないと、疑われるからね。これで、彼女たちをリラックスさせてやってくれ。」
シブナスはホーンに何か香のようなものを渡した。
「けむいから、私は隣の部屋に行くよ。香のセットが出来たら、私の部屋に来てくれ。」
そう言って、シブナスは部屋を出て行った。

「お父さん、何考えてるの? 私のことが分からないの?」
クレアが叫ぶ。
「もちろん分かってるさ、私の可愛い娘のクレアだ。」
ホーン店長が落ち着いた口調で答えながら、香を灰皿の上にセットし火を付けようとしていた。
「それなら、ここから出して。」
「それは出来ない、インキュバス様のご命令だからね。」
「彼はインキュバスなの?」
アンドロメダが驚いて聞き返した。
「そうですよ姫様、INCUBUSのアナグラムCIBUNUSですよ。」
インキュバスは人心を操る不思議な力を持っていると聞いていた、これがその力か?
「なーに、心配する事はありません。ちょっと煙たいですが、すぐに気持ちよくなりますよ。」

三人の侍女たちは思い思いにおりにダガーを切りつけていたが、乾いた金属音がしてことごとくが折れてしまった。
虚しく時がすぎていく。
香の効果が出てくれば、もう万事休すだろう。


アンドロメダは必死で打開策を考えていた。
『このケージは魔法を遮断すると言った。
だから、私たちをここに閉じ込めたのだ。
正確には私のペンダントをこのケージに閉じ込めた。
なら、ペンダントだけをケージの外へ出せば?』

アンドロメダは女神ヘラの言葉を思い出していた。

『今回は声に出して呼び出す必要はないわ。
そのペンダントを首に掛けて相手の名前を頭の中で呼ぶだけでお互いが通話できるようになるわ。
ただし、首に掛けていない時は、声を出さないとダメよ。』

首にかけていない時は声でペルセウスを呼び出せる。

『そうよ! いけるわ!』

アンドロメダはペルセウスのペンダントを首から外した。
そして、網目の間からペンダントをケージの外へ押し出した。
そして、

「ペルセウス、助けて」
アンドロメダは声を挙げて助けを呼んだ。


ヘシオドスとペルセウスはミラノまで三日の所まで来ていた。
そこでは時差の為まだ夕刻時で、二人は荷馬車を宿屋の納屋に止めロボスとパリカールに飼葉を与えて体を拭いてやっていた。

『ペルセウス、助けて』

アンドロメダの助けを呼ぶ声が聞こえた。
「アンドロメダが助けを呼んでる。」
ペルセウスは突然ヘシオドスに向かって言い
「今から助けに行く、ここを任せていいか?」
とヘシオドスに聞いた。
「当たり前だ、早く行ってやれ。後のことは気にするな。」
「分かった」
ペルセウスは跳んだ。


突然、ペンダントの側にペルセウスが実体化した。
ホーンが驚いてドアに向かって走り出すのを見て、クレアが叫んだ。
「父さんを止めて!」
ペルセウスは状況がつかめず、とにかくホーン店長の前に回り込み両手を広げた。
「お父さんはインキュバスに操られているわ!」
クレアが叫ぶ。
『インキュバス?』
ペルセウスは即座にホーンのエーテルマトリクスを視覚化した。
後頭部からエーテルリンクが伸びている、隣の部屋に続いているようだ。
「隣の部屋か」
ペルセウスはそう言いケラウノスを抜いた。
今リンクを切れば隣のインキュバスに気付かれてしまうが、
「インキュバスは後回しだ。」
ホーンは戦闘態勢でペルセウスに対している。
ケラウノスを横薙ぎに一閃した。
「ひっ!」
クレアが目をつむって小さな悲鳴をあげた。
父が切り捨てられたように見えたのであろう。
だが、ホーンは操り人形の糸が切られたように床に倒れた。
ペルセウスはホーンから出ているエーテルリンクを切断したのである。

続いて、四人を閉じ込めている檻に向かう。
ヒュン、ヒュン、ヒュン、ヒュン
鞭が風をきるような音が四回したかと思うと、檻の前面の網が外側に倒れ大きな四角い穴が出来上がっていた。
四人はそこから脱出し、クレアが父に駆け寄った。

アンドロメダは床に落ちている自分のペンダントを首にかけ直し、ペルセウスの前に立ち、
「ありがとう。助かったわ、インキュバスに洗脳されかかっていたの。」
と礼を言った。

「インキュバスには既に気付かれてしまった。もう隣の部屋には居ないだろう。」


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