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ギリシャ神話編
使い魔の復習
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移住希望者はバラシオンの搭乗者の40%に登った。
総数148名のうち60名が一時移住者に応募したのだ。
修理の完了したバラシオンは島を半周し砂浜沖に停泊した。
仮設住居の資材がカッター船の一台を占拠してピストン運転しだした。
この段になって問題が発生した。
バラシオンの他の乗客が騒ぎだしたのだ。
「あなた達は税制の施行まえに島に上陸しかなりの数の宝石を自分の懐にしまったくせに、我々には国有資産だから採るなと言うのか?」
「移住しても安全だと言うなら我々が上陸しても何の問題も無いはずではないか?」
「この税制施行のタイミングは明らかに意図的だ、ドージェ執政官の不信任案を元老院に提出してもいいんだぞ!」
ドージェは考えた末、税制施行日を一週間延期した。
搭乗者全員が一度は島に上陸するとして一週間程度必要だと思われたからだ。
しかし、これもドージェの思惑通りには行かなかった。
一旦島に移った乗客はギリギリまでバラシオンに戻ろうとはしなかったのである。
結果として、バラシオンの全搭乗者の実に90%の人たちが一度にこの島に滞在することになったのである。
これは人数で言えばおよそ130人である。
「収拾がつかなくなりましたな。」ローレンスが困り顔で口にした。
「ほぼ、全員が島に上陸してしまった。ドージェ殿が言う様に何事もなければいいんだが。」バルハヌが受けて続ける。
「何事もないことはあり得ません。」とペルセウス。
ペルセウスは船が砂浜沖に移動してからずっと丘を観察していた。
丘の上は相変わらず何も見えなかったが、三つのエーテルリンクははっきりとそこに集中しているのが分かった。
さらにもう一つ分かった事がある。
上陸した人達は思い思いに島を散策していたが不思議な事に丘のある高さの所まで行くと、何かを思い出した様に引き返していくのである。
そのため、丘の上の例の地点から50メートル下までは誰一人居ないのである。
『おそらく、何らかの結界が張ってあるな』ペルセウスはそう判断して丘のその辺りを凝視した。
日中は太陽の光が邪魔をしてよく見えなかったが夜になるとやはりそこには薄く光るドームの様な障壁がある事が分かったのである。
「島の三方から通信ラインが設置されています。それに丘の頂上のおそらく黒幕の拠点から下方50メートルの所に結界らしきものが張ってあります。」
「なぜ、そんな事がわかるんだ? ドージェも証拠がないと言って貴殿の言うことは信用ならんと言っていたが。」
とクラディウスが問いかける。
「ゼウスのケラウノスの力よ。あなたはケラウノスで戦うペルセウスを見ていない。あれを見たら何でも信じてしまうわ。」
「アンドロメダ様が信じるのであれば、私も信じざるを得ませんな。」
ローレンスが口を挟んだ。
「信じる、信じないはあんたらの勝手だ、俺は今すべきことをするだけだ。」
とペルセウス。
「手分けして警戒態勢を整えるのが今必要なことだ。」バルハヌは続けた。
「ペルセウスは引き続き丘の拠点を監視してくれないか。奴らはお前が気がついていることを知っているかもしれない。下手に動くと相手を刺激してしまう。」
「俺とムルカン、アディスは北の例の川にもう一度行ってくる。例の猿が臆病で弱いと言う話がどうしても信じられんのだ。ひょっとして一芝居打たれたのかもしれん。」
「ローレンス、部下達を仮設住居の周辺で警戒に当たらせてくれ。あそこは民間人が一番多い所になる。」
バルハヌの指示に従って全員それぞれ散っていった。
ドージェの親衛隊隊長のフランコは再び宝石の川に来ていた、ドージェが税制施行を一週間延期したことにより、現時点で採集した宝石は全て自分のものになる。
こんな美味しい話はない。フランコは探検隊の部下達と再び川を浚いに来たのだ。
どんどん採って行け、いくら採っても無くなる様子のない川底の宝石。
フランコは鷹揚にも部下にどんどん採る様に薦めた。
改めて川の上・下流を眺めてみると、パラシオンの乗客が屈んでいるのがちらほら見える。
「そろそろ潮時かね」
ステンノーがフランコ達の動きを眺めながら言う。
「今、島には100人以上が上陸しているわ、選り取り見取りって感じよね。」
「まずはあの間抜けな調査隊の連中からよ、使い魔にうっぷんを晴らさせてやりましょう。好きにいたぶって殺してしまってもいいって伝えて。」
フランコも前回の経験からすくい籠を持参していた。
夢中で川底を浚うこと3時間。
『こんなもんかな?』
フランコは屈んだ姿勢を続けたので曲がったまま戻ろうとしない腰をゆっくり立ち上がりながら伸ばす。
ふと見ると川と平行に走る茂みの下に胡座をかいている例の大猿が居た。
俺の部下達はどこに行った?
周りを見渡すと部下達が夢中で川底を浚っているのが見えた。
バラシオンの乗客も同じだ。
もう一度大猿に視線を戻す。
消えている。
『あれ? どこ行きやがった?』
生暖かい空気の流れを感じてそちらを見ると、至近距離にその大猿の顔があった。
『うわっ』
必死で距離をとる。
大猿の顔がニヤッと笑った。
『この、見掛け倒しの臆病猿が!』
フランコは剣を引き抜き正眼に構える。
あちこちで悲鳴とも怒声ともつかない声が上がっていた。
一瞬だが大猿から目を離し再度周囲の様子を伺う。
川の周りのあちこちで大猿が部下達と対峙していた。
少なくとも五匹はいる。
『まぁいい、どうせ剣を見たら逃げ回る臆病で脆弱な生き物だ、すべてなぎ倒せばいい。』
そんなことを考えながら大猿に視線を戻したがすでにその姿は消えていた。
『こんなに、素早い奴だったか?』
そう思った瞬間後ろから首筋を捕まれ抗う事ができない強い力で引きずり回された。
フランコは必死で剣を背後に薙ぐ。
何か固いものに当たる感覚はあるが切れたと言う手応えはない。
そうこうしている間にフランコは切り立った岩に叩きつけられてその場に昏倒する。
ほんの僅かな時間目を回していたフランコは自分が部下達と一緒に岩壁を背に集められている事に気がついた。
そこにはバラシオンの乗客も数名居る。
大猿は全部で五匹だった。
一匹が彼らの正面に立ち、他の四匹はフランコ達が逃げられないよう周りを囲んでいた。
「これはどう言う事なんだ! この島に生息する猿は臆病で人を見たら逃げ出すと言っていたんじゃないのか!」
バラシオンの乗客の一人が親衛隊員に向かって抗議する。
「そうだ。戦っても簡単に撃退できると言うから安心していたのに。こいつらやたら力が強いぞ!」と別の乗客。
「大丈夫だ!俺たちは彼奴らの仲間と一度戦っている。奴らは見掛け倒しで簡単に切り裂く事ができる。俺たちは十人奴らは五匹だ、数でも優っている。負けるわけがない。」
親衛隊の一人が安心させようと乗客達にそう告げた。
すでに自分が馬鹿力でここに集められた事は忘れている。
「親衛隊! 乗客を守って円形陣形、1対2で対峙しろ!」フランコが指示を出す。
親衛隊員は余裕綽々で剣を構え大猿に対する。
陣形の右端で大猿に対峙していた二人の親衛隊員が同時に大猿に切りかかった。
大猿は右手で親衛隊の剣の柄を手の上から掴み、左手はもう一人の隊員の剣の切っ先を直接掴む。
この世のものとも思えぬ断末魔の悲鳴が右手の親衛隊員からあがる。
親衛隊の右手が剣の柄ごと握りつぶされている。
その手から血が滴り落ち、親衛隊員は激痛に耐え切れず白目を向いて気絶していた。
左手の親衛隊は大猿が剣の切っ先を掴んだ手で粉々に粉砕するのを見た。
『あの時はあんなに簡単に切り裂けたのに』
大猿の手が無造作に親衛隊員の頭を兜ごと掴む。
親衛隊員は両手両足で大猿に打突攻撃を加えるが効果がある訳が無い。
大猿は頭を掴んだまま親衛隊員を釣り上げその悲鳴を乗客達に聞かせるために暫く時間を置いてから手首を捻って首を引きちぎった。
「ひぇー」間抜けな悲鳴が乗客達からあがる。
乗客達はもとより親衛隊員も、こんな殺し方は想像する事も出来なかった。
親衛隊員達は今ようやく自分たちの置かれた状況を理解した。
フランコはそれを見て会議を思い出した。
『我々の戦闘能力が高いというのが理由ではなく、危険を嗅ぎ分ける鼻が効くからに他なりません。』
バルハヌの言葉が蘇る。
隊員達は先ほどと違って明らかに屁っ放り腰に代わり乗客達の方に後退していった。
今度は左側の隊員が大猿に捕まった。
剣を持つ手を肩口から無造作に引きちぎり後ろに放り投げる。
「わー、わー、きゃー」
耳を覆いたくなるような悲鳴を上げる隊員は口から泡を吹きながらも生きていた。
この場合、あっさりと死んでしまっていた方が良かったかもしれない。
大猿は今度は指を軽く隊員の目に当てサクと差し込み目玉を繰り出した。
もう一方の目は親指で押しつぶす。
この時隊員はすでに絶命していたのか、今度は悲鳴を上げる事がなかった。
大猿はその隊員に興味を失い、放り出して次の獲物に目をやる。
その視線を感じた隊員は「うきゃー」と声を張り上げ、守るべき乗員を放っておいて、大猿の包囲をすり抜けて逃げようとした。
逃げられるわけはなく、簡単に捕まってしまい、今度は両足を鷲掴みにされる。
隊員の両足の筋肉と腱がズタズタに切り裂かれ、ただの肉の塊と化していた。
大猿はその隊員を乗客の集団に向けて放り投げた。
乗客達はそれを思わず受け止め、慌てて投げ返す。
失神する者、口を開けたまま固まってしまう者、失禁する者など様々な反応だが、運命はただ一つ死のみであった。
残る親衛隊員はフランコを含めて6人となってしまった。
バルハヌ、ムルカン、アディスの3名がその様子に遭遇したのは丁度その頃であった。
「いかん、一方的だ」とバルハヌ。
「どうします、我々とてあの化け物には勝てませんよ」ムルカンが予測する。
「とにかく、何とかして乗客だけでも助けるんだ。」バルハヌは言う。
「でも、どうやって? 私には、相手が一匹でも勝てる気がしません。」とアディス。
バルハヌは背負ってきたバックパックからソフトボール大の丸い玉を6個取り出し、二つずつ部下に手渡す。
「これは何です?」とアディス。
「粘着発泡弾だ」とバルハヌ。
「粘着?? なに?」ムルカンとアディスは何のことか分からず聞き返す。
「俺はあのキマイラとの戦いで、この世には我々の手に負えない怪物がいる事を痛感した。特に剣が全く通用しない。ペルセウスでなければあんな物傷一つ付けられないだろう。」
「そこで考えたのがその玉だ。」
剛で対抗出来ないのなら柔で対抗すればいい。
バルハヌは化け物に投げかけ一時的にでも動きを止める方法は無いかと考えた。
試行錯誤の末液状の松ヤニのりと重曹で作った発泡剤を攻撃時に混ざるように丸い容器に入れた投擲弾を作ったのだ。
「この玉を相手に投げつけて割れると粘着性の泡になる。空気に触れると徐々に固まって行き暫くは動けなくなる。これを試してみよう。」
「ムルカンは左の二匹、俺は中央の二匹、アディスは右の一匹にこれを投げつけろ。相手の関節周辺に投げつけるのが効果的だが、頭から肩口にかけて目を見えないようにするのもいいぞ」
「相手を拘束できるのはおよそ10分、それを過ぎると固まってしまい、あの化け物なら簡単に潰せるだろう。」
「素早く行動するんだ、五匹を行動不能にしたら乗客を連れてその場から逃げる。他の大猿に出くわす可能性があるが、それは賭けだ。とにかく砂浜まで逃げるぞ。」
「できる限り乗客からあの化け物を引き離せ。三つ数えたら飛び出す。いいな?」
「1、2、3!」
三人は虐殺が行われている現場に向かって駆け出した。
「うぉー!」
五匹の大猿は三人に気づき振り返る。
そこに一匹だけ残して四匹が三人を捕まえるために彼らに向かって行った。
バルハヌとヌルカンはその四匹に対する。
アディスは四匹を避け乗客が囚われている場所まで素早く移動する。
「喰らえ!」アディスが見張り役の大猿の顔めがけて粘着弾を投げた。
大猿は自分の頑丈さに自信が有ったのだろう、避けようともせずにそれを顔で受け止めた。
粘着弾が割れ、中の薬剤が混ざり合った。
大猿の頭から肩口にかけて薬剤のかかった所から泡が出来ていく、最初は気になるほどではないが時間が経つにしたがって段々粘ったくなって行き、大猿は閉じた目を開くことが出来なくなった。
目を擦ろうと手を顔にやると今度は手が取れなくなる。
何も見えず、手も動かせなくなり大猿はウロウロとその場から歩き出した。
「今の内だ! 逃げるぞ!」
アディスは乗客と親衛隊の生き残りに向かって叫んだ。
「親衛隊! 乗客を守って砂浜まで走れ! 逃げ遅れた乗客を放っておくなよ!」
「10分したら奴らは動けるようになる。それまでに出来るだけ遠くまで逃げるんだ。」
アディスの頼もしい声に親衛隊はなけなしの勇気を取り戻した。
砂浜へ続く道に乗客を誘導しながら可能な限り走る。
アディスはバルハヌとムルカンの戦いを確認するため振り返った。
バルハヌが対する二匹の大猿は足の周りを泡まみれにし動けなくなっていた。
ムルカンは一匹に対しては頭から粘着発泡材をかける事に成功していたが、もう一匹に対しては失敗したようで、大猿の横に泡が立っているのが見えた。
アディスはムルカンに向かって走った。
ムルカンは抜き放った剣を大猿に向かって振り下ろすが切っ先を掴まれそうになったので勢いをそらし後退する。
危うく切っ先を握りつぶされる所だった。
こうなったら、ムルカンに殆ど勝ち目はない。
その時、アディスが近くまで走り寄り、その大猿に予備の発泡粘着弾を後ろから投げつける。
粘着弾は大猿の後頭部にあたり派手に砕けた。
大猿の頭から粘着剤が徐々に広がりやがて泡となっていく。
「アディス、助かったぞ!」ムルカンがアディスに礼を言う。
「みんな、逃げるぞ!」バルハヌが叫ぶ。
三人は乗客と親衛隊を追って走り出した。
猶予は10分、あの猿どもの移動速度から考えて追いつかれる可能性は高い。
バルハヌは一抹の不安を覚えた。
「アディス、ムルカン! 火矢を起こせるか?」
「はい、2分ほどかかります。」
「時間が惜しいが火矢を起こし、天空に向かって放て!」
「応援を呼ぶ。ペルセウスが帆船から島全体を監視しているはずだ。ペルセウスの目に入れば、ここへ駆けつけてくれるはずだ。」
バルハヌは親衛隊の隊長フランコに向かって
「俺たち三人はここで応援を呼ぶために火矢を放つ。お前たちは砂浜まで死んだ気で走れ! いいな!」
「わ、わかった」とフランコ
バルハヌ、ヌルカン、アディスの三人はそこに立ち止まり火を起こし始めた。
「俺がやります。お二人は逃げてください。」アディスが言う。
「アホが、残り少ない部下を置いて逃げられるか! とにかく急げ。」とバルハヌ。
この島の森は生気が多く、枯れ草が少ないため火を起こすのに時間がかかった。
ヌルカンは矢に布を巻きつけ、常備している油壺からその布に油をかけていた。
ようやく火が起こった時にはタイムリミットはすでに過ぎていた。
ヌルカンがその火に矢をかざし火を付ける。
「天空に向かって放て」とバルハヌ。
火矢は天高く飛び立った。
彼らは、乗客達を追って全速で駆け出した。
総数148名のうち60名が一時移住者に応募したのだ。
修理の完了したバラシオンは島を半周し砂浜沖に停泊した。
仮設住居の資材がカッター船の一台を占拠してピストン運転しだした。
この段になって問題が発生した。
バラシオンの他の乗客が騒ぎだしたのだ。
「あなた達は税制の施行まえに島に上陸しかなりの数の宝石を自分の懐にしまったくせに、我々には国有資産だから採るなと言うのか?」
「移住しても安全だと言うなら我々が上陸しても何の問題も無いはずではないか?」
「この税制施行のタイミングは明らかに意図的だ、ドージェ執政官の不信任案を元老院に提出してもいいんだぞ!」
ドージェは考えた末、税制施行日を一週間延期した。
搭乗者全員が一度は島に上陸するとして一週間程度必要だと思われたからだ。
しかし、これもドージェの思惑通りには行かなかった。
一旦島に移った乗客はギリギリまでバラシオンに戻ろうとはしなかったのである。
結果として、バラシオンの全搭乗者の実に90%の人たちが一度にこの島に滞在することになったのである。
これは人数で言えばおよそ130人である。
「収拾がつかなくなりましたな。」ローレンスが困り顔で口にした。
「ほぼ、全員が島に上陸してしまった。ドージェ殿が言う様に何事もなければいいんだが。」バルハヌが受けて続ける。
「何事もないことはあり得ません。」とペルセウス。
ペルセウスは船が砂浜沖に移動してからずっと丘を観察していた。
丘の上は相変わらず何も見えなかったが、三つのエーテルリンクははっきりとそこに集中しているのが分かった。
さらにもう一つ分かった事がある。
上陸した人達は思い思いに島を散策していたが不思議な事に丘のある高さの所まで行くと、何かを思い出した様に引き返していくのである。
そのため、丘の上の例の地点から50メートル下までは誰一人居ないのである。
『おそらく、何らかの結界が張ってあるな』ペルセウスはそう判断して丘のその辺りを凝視した。
日中は太陽の光が邪魔をしてよく見えなかったが夜になるとやはりそこには薄く光るドームの様な障壁がある事が分かったのである。
「島の三方から通信ラインが設置されています。それに丘の頂上のおそらく黒幕の拠点から下方50メートルの所に結界らしきものが張ってあります。」
「なぜ、そんな事がわかるんだ? ドージェも証拠がないと言って貴殿の言うことは信用ならんと言っていたが。」
とクラディウスが問いかける。
「ゼウスのケラウノスの力よ。あなたはケラウノスで戦うペルセウスを見ていない。あれを見たら何でも信じてしまうわ。」
「アンドロメダ様が信じるのであれば、私も信じざるを得ませんな。」
ローレンスが口を挟んだ。
「信じる、信じないはあんたらの勝手だ、俺は今すべきことをするだけだ。」
とペルセウス。
「手分けして警戒態勢を整えるのが今必要なことだ。」バルハヌは続けた。
「ペルセウスは引き続き丘の拠点を監視してくれないか。奴らはお前が気がついていることを知っているかもしれない。下手に動くと相手を刺激してしまう。」
「俺とムルカン、アディスは北の例の川にもう一度行ってくる。例の猿が臆病で弱いと言う話がどうしても信じられんのだ。ひょっとして一芝居打たれたのかもしれん。」
「ローレンス、部下達を仮設住居の周辺で警戒に当たらせてくれ。あそこは民間人が一番多い所になる。」
バルハヌの指示に従って全員それぞれ散っていった。
ドージェの親衛隊隊長のフランコは再び宝石の川に来ていた、ドージェが税制施行を一週間延期したことにより、現時点で採集した宝石は全て自分のものになる。
こんな美味しい話はない。フランコは探検隊の部下達と再び川を浚いに来たのだ。
どんどん採って行け、いくら採っても無くなる様子のない川底の宝石。
フランコは鷹揚にも部下にどんどん採る様に薦めた。
改めて川の上・下流を眺めてみると、パラシオンの乗客が屈んでいるのがちらほら見える。
「そろそろ潮時かね」
ステンノーがフランコ達の動きを眺めながら言う。
「今、島には100人以上が上陸しているわ、選り取り見取りって感じよね。」
「まずはあの間抜けな調査隊の連中からよ、使い魔にうっぷんを晴らさせてやりましょう。好きにいたぶって殺してしまってもいいって伝えて。」
フランコも前回の経験からすくい籠を持参していた。
夢中で川底を浚うこと3時間。
『こんなもんかな?』
フランコは屈んだ姿勢を続けたので曲がったまま戻ろうとしない腰をゆっくり立ち上がりながら伸ばす。
ふと見ると川と平行に走る茂みの下に胡座をかいている例の大猿が居た。
俺の部下達はどこに行った?
周りを見渡すと部下達が夢中で川底を浚っているのが見えた。
バラシオンの乗客も同じだ。
もう一度大猿に視線を戻す。
消えている。
『あれ? どこ行きやがった?』
生暖かい空気の流れを感じてそちらを見ると、至近距離にその大猿の顔があった。
『うわっ』
必死で距離をとる。
大猿の顔がニヤッと笑った。
『この、見掛け倒しの臆病猿が!』
フランコは剣を引き抜き正眼に構える。
あちこちで悲鳴とも怒声ともつかない声が上がっていた。
一瞬だが大猿から目を離し再度周囲の様子を伺う。
川の周りのあちこちで大猿が部下達と対峙していた。
少なくとも五匹はいる。
『まぁいい、どうせ剣を見たら逃げ回る臆病で脆弱な生き物だ、すべてなぎ倒せばいい。』
そんなことを考えながら大猿に視線を戻したがすでにその姿は消えていた。
『こんなに、素早い奴だったか?』
そう思った瞬間後ろから首筋を捕まれ抗う事ができない強い力で引きずり回された。
フランコは必死で剣を背後に薙ぐ。
何か固いものに当たる感覚はあるが切れたと言う手応えはない。
そうこうしている間にフランコは切り立った岩に叩きつけられてその場に昏倒する。
ほんの僅かな時間目を回していたフランコは自分が部下達と一緒に岩壁を背に集められている事に気がついた。
そこにはバラシオンの乗客も数名居る。
大猿は全部で五匹だった。
一匹が彼らの正面に立ち、他の四匹はフランコ達が逃げられないよう周りを囲んでいた。
「これはどう言う事なんだ! この島に生息する猿は臆病で人を見たら逃げ出すと言っていたんじゃないのか!」
バラシオンの乗客の一人が親衛隊員に向かって抗議する。
「そうだ。戦っても簡単に撃退できると言うから安心していたのに。こいつらやたら力が強いぞ!」と別の乗客。
「大丈夫だ!俺たちは彼奴らの仲間と一度戦っている。奴らは見掛け倒しで簡単に切り裂く事ができる。俺たちは十人奴らは五匹だ、数でも優っている。負けるわけがない。」
親衛隊の一人が安心させようと乗客達にそう告げた。
すでに自分が馬鹿力でここに集められた事は忘れている。
「親衛隊! 乗客を守って円形陣形、1対2で対峙しろ!」フランコが指示を出す。
親衛隊員は余裕綽々で剣を構え大猿に対する。
陣形の右端で大猿に対峙していた二人の親衛隊員が同時に大猿に切りかかった。
大猿は右手で親衛隊の剣の柄を手の上から掴み、左手はもう一人の隊員の剣の切っ先を直接掴む。
この世のものとも思えぬ断末魔の悲鳴が右手の親衛隊員からあがる。
親衛隊の右手が剣の柄ごと握りつぶされている。
その手から血が滴り落ち、親衛隊員は激痛に耐え切れず白目を向いて気絶していた。
左手の親衛隊は大猿が剣の切っ先を掴んだ手で粉々に粉砕するのを見た。
『あの時はあんなに簡単に切り裂けたのに』
大猿の手が無造作に親衛隊員の頭を兜ごと掴む。
親衛隊員は両手両足で大猿に打突攻撃を加えるが効果がある訳が無い。
大猿は頭を掴んだまま親衛隊員を釣り上げその悲鳴を乗客達に聞かせるために暫く時間を置いてから手首を捻って首を引きちぎった。
「ひぇー」間抜けな悲鳴が乗客達からあがる。
乗客達はもとより親衛隊員も、こんな殺し方は想像する事も出来なかった。
親衛隊員達は今ようやく自分たちの置かれた状況を理解した。
フランコはそれを見て会議を思い出した。
『我々の戦闘能力が高いというのが理由ではなく、危険を嗅ぎ分ける鼻が効くからに他なりません。』
バルハヌの言葉が蘇る。
隊員達は先ほどと違って明らかに屁っ放り腰に代わり乗客達の方に後退していった。
今度は左側の隊員が大猿に捕まった。
剣を持つ手を肩口から無造作に引きちぎり後ろに放り投げる。
「わー、わー、きゃー」
耳を覆いたくなるような悲鳴を上げる隊員は口から泡を吹きながらも生きていた。
この場合、あっさりと死んでしまっていた方が良かったかもしれない。
大猿は今度は指を軽く隊員の目に当てサクと差し込み目玉を繰り出した。
もう一方の目は親指で押しつぶす。
この時隊員はすでに絶命していたのか、今度は悲鳴を上げる事がなかった。
大猿はその隊員に興味を失い、放り出して次の獲物に目をやる。
その視線を感じた隊員は「うきゃー」と声を張り上げ、守るべき乗員を放っておいて、大猿の包囲をすり抜けて逃げようとした。
逃げられるわけはなく、簡単に捕まってしまい、今度は両足を鷲掴みにされる。
隊員の両足の筋肉と腱がズタズタに切り裂かれ、ただの肉の塊と化していた。
大猿はその隊員を乗客の集団に向けて放り投げた。
乗客達はそれを思わず受け止め、慌てて投げ返す。
失神する者、口を開けたまま固まってしまう者、失禁する者など様々な反応だが、運命はただ一つ死のみであった。
残る親衛隊員はフランコを含めて6人となってしまった。
バルハヌ、ムルカン、アディスの3名がその様子に遭遇したのは丁度その頃であった。
「いかん、一方的だ」とバルハヌ。
「どうします、我々とてあの化け物には勝てませんよ」ムルカンが予測する。
「とにかく、何とかして乗客だけでも助けるんだ。」バルハヌは言う。
「でも、どうやって? 私には、相手が一匹でも勝てる気がしません。」とアディス。
バルハヌは背負ってきたバックパックからソフトボール大の丸い玉を6個取り出し、二つずつ部下に手渡す。
「これは何です?」とアディス。
「粘着発泡弾だ」とバルハヌ。
「粘着?? なに?」ムルカンとアディスは何のことか分からず聞き返す。
「俺はあのキマイラとの戦いで、この世には我々の手に負えない怪物がいる事を痛感した。特に剣が全く通用しない。ペルセウスでなければあんな物傷一つ付けられないだろう。」
「そこで考えたのがその玉だ。」
剛で対抗出来ないのなら柔で対抗すればいい。
バルハヌは化け物に投げかけ一時的にでも動きを止める方法は無いかと考えた。
試行錯誤の末液状の松ヤニのりと重曹で作った発泡剤を攻撃時に混ざるように丸い容器に入れた投擲弾を作ったのだ。
「この玉を相手に投げつけて割れると粘着性の泡になる。空気に触れると徐々に固まって行き暫くは動けなくなる。これを試してみよう。」
「ムルカンは左の二匹、俺は中央の二匹、アディスは右の一匹にこれを投げつけろ。相手の関節周辺に投げつけるのが効果的だが、頭から肩口にかけて目を見えないようにするのもいいぞ」
「相手を拘束できるのはおよそ10分、それを過ぎると固まってしまい、あの化け物なら簡単に潰せるだろう。」
「素早く行動するんだ、五匹を行動不能にしたら乗客を連れてその場から逃げる。他の大猿に出くわす可能性があるが、それは賭けだ。とにかく砂浜まで逃げるぞ。」
「できる限り乗客からあの化け物を引き離せ。三つ数えたら飛び出す。いいな?」
「1、2、3!」
三人は虐殺が行われている現場に向かって駆け出した。
「うぉー!」
五匹の大猿は三人に気づき振り返る。
そこに一匹だけ残して四匹が三人を捕まえるために彼らに向かって行った。
バルハヌとヌルカンはその四匹に対する。
アディスは四匹を避け乗客が囚われている場所まで素早く移動する。
「喰らえ!」アディスが見張り役の大猿の顔めがけて粘着弾を投げた。
大猿は自分の頑丈さに自信が有ったのだろう、避けようともせずにそれを顔で受け止めた。
粘着弾が割れ、中の薬剤が混ざり合った。
大猿の頭から肩口にかけて薬剤のかかった所から泡が出来ていく、最初は気になるほどではないが時間が経つにしたがって段々粘ったくなって行き、大猿は閉じた目を開くことが出来なくなった。
目を擦ろうと手を顔にやると今度は手が取れなくなる。
何も見えず、手も動かせなくなり大猿はウロウロとその場から歩き出した。
「今の内だ! 逃げるぞ!」
アディスは乗客と親衛隊の生き残りに向かって叫んだ。
「親衛隊! 乗客を守って砂浜まで走れ! 逃げ遅れた乗客を放っておくなよ!」
「10分したら奴らは動けるようになる。それまでに出来るだけ遠くまで逃げるんだ。」
アディスの頼もしい声に親衛隊はなけなしの勇気を取り戻した。
砂浜へ続く道に乗客を誘導しながら可能な限り走る。
アディスはバルハヌとムルカンの戦いを確認するため振り返った。
バルハヌが対する二匹の大猿は足の周りを泡まみれにし動けなくなっていた。
ムルカンは一匹に対しては頭から粘着発泡材をかける事に成功していたが、もう一匹に対しては失敗したようで、大猿の横に泡が立っているのが見えた。
アディスはムルカンに向かって走った。
ムルカンは抜き放った剣を大猿に向かって振り下ろすが切っ先を掴まれそうになったので勢いをそらし後退する。
危うく切っ先を握りつぶされる所だった。
こうなったら、ムルカンに殆ど勝ち目はない。
その時、アディスが近くまで走り寄り、その大猿に予備の発泡粘着弾を後ろから投げつける。
粘着弾は大猿の後頭部にあたり派手に砕けた。
大猿の頭から粘着剤が徐々に広がりやがて泡となっていく。
「アディス、助かったぞ!」ムルカンがアディスに礼を言う。
「みんな、逃げるぞ!」バルハヌが叫ぶ。
三人は乗客と親衛隊を追って走り出した。
猶予は10分、あの猿どもの移動速度から考えて追いつかれる可能性は高い。
バルハヌは一抹の不安を覚えた。
「アディス、ムルカン! 火矢を起こせるか?」
「はい、2分ほどかかります。」
「時間が惜しいが火矢を起こし、天空に向かって放て!」
「応援を呼ぶ。ペルセウスが帆船から島全体を監視しているはずだ。ペルセウスの目に入れば、ここへ駆けつけてくれるはずだ。」
バルハヌは親衛隊の隊長フランコに向かって
「俺たち三人はここで応援を呼ぶために火矢を放つ。お前たちは砂浜まで死んだ気で走れ! いいな!」
「わ、わかった」とフランコ
バルハヌ、ヌルカン、アディスの三人はそこに立ち止まり火を起こし始めた。
「俺がやります。お二人は逃げてください。」アディスが言う。
「アホが、残り少ない部下を置いて逃げられるか! とにかく急げ。」とバルハヌ。
この島の森は生気が多く、枯れ草が少ないため火を起こすのに時間がかかった。
ヌルカンは矢に布を巻きつけ、常備している油壺からその布に油をかけていた。
ようやく火が起こった時にはタイムリミットはすでに過ぎていた。
ヌルカンがその火に矢をかざし火を付ける。
「天空に向かって放て」とバルハヌ。
火矢は天高く飛び立った。
彼らは、乗客達を追って全速で駆け出した。
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