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6 勝者と敗者
39 スペシャル
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「――じゃあ、気をつけてな」
準備をすませて、店を飛び出す僕にイチゴは優しくそう言った。
それは取り留めない言葉だろう。しかし僕にとってはかなり珍しい言葉だ。
唯一の家族とも呼べる妹、メリーに何度も言われてきた言葉だが、メリー以外に言われたことは一度もなかった。この世界における父も、母も、仲間と呼ばれる男たちも誰ひとり、『気を付けて』なんていわなかった。いや、一つだけ訂正しておくが、別に僕が嫌われていたから言われたことがないというわけではない。その言葉が重荷になるからだ。
家族としてのメリーにとっては、家族である僕に気をつけてほしいと思うのは当たり前のことだ。
だが、それは同時に恐ろしい言葉でもある。
「気を付けてか……この世界でそれを口にできるのは勝者だけですよ」
世界は残酷だ。
下民は様々なイベントにおいて、どれだけ気をつけようが避けられない惨事が多すぎる。差別による殺人、魔物による惨殺、仕事中の事故死……たったそれだけの出来事で、いったい何人の下民が死んでいることだろう。
僕の仲間たちも、メリー以外の家族もそういう気をつけていても起きてしまったイベントによって殺された。――だからこそ、メリーは『気をつけて』と僕に言う。彼女にとっては僕が最後の家族だからだ。しかしイチゴは違う。現実の厳しさも、運命の残酷さも知っているはずだ。それなのに、彼女は僕に『気をつけて』と言った。
それはすなわち、僕を信頼しているからだ。
お前なら、苦難も乗り越えられるとイチゴはそう言ったのだ。
「僕も勝者になれってことか……」
イチゴの言葉を心に留め、僕は裏通りから役所へと向かう。
むろん裏通りに入ったのは、表通りで頻発する差別を避けるためだ。たったそれだけのことで、生存確率は数パーセント上がるだろう。だが、全く安全かと言われるとそうでもない。
裏通りには裏通りの危険がある。
ここは殺人の現場だ。月に何人もの犠牲者を出すシリアルキラーの吹き溜まりだ。だがそれでも、犬種が表通りを歩くよりははるかに安全な場所だともいえる。なぜなら、こんな場所を通る上流階級はそうはいないからだ。よっぽどのやむなき理由がなければ通るはずがない。
誰だって死にたくはない。それは上流階級の獣人たちだって同じだ。
「さて、殺人者に出会わないことを祈って……」
僕は駆け足で裏通りを行く。もちろん生存確率を上げるためだ。僕は建物の影や、物陰に目をやりながら一気に駆け抜けた。
「――ふう……何事もなくよかった。こんなところで死にたくないしなあ」
裏通りからそのまま役所の裏手までやって来た。
僕は息を整えて、そのまま裏口から役所に入る。
思えば裏口から入るのは初めてだ。というか、裏口から入っていいものだろうか……一瞬だけそう悩んだが、そんなことで悩んでいて誰かに襲われては無様だと思い、堂々と中へと入っていくことにした。
「今日はそっちから来たの?」
役所に入るなり、聞きなれた声が僕の耳に入る。
「アニーさん……そうなんですよ。僕も少しは自衛した方がいいかなって」
「自衛……ケンの場合はそうなのかな。私だったら自衛のためにそっちの扉は使わないけど」
「そうですよね。でも表通りから来ると、必ずレーヴェ組の肩に絡まれるんですよ」
ここに通うようになってからは100パーセント絡まれている。これはもはや偶然ではないだろう。もしかしたら、レーヴェ組に睨まれているのかもしれない。
「――へえ、そうなんですね?」
そんな声とともに、奥からもう一人女性がやってくる。受付のお姉さんで、アニーのお姉さんだ。
「でもまあ、最近のレーヴェ組は犬種共生派と否定派に分かれているらしいですから、不用意に一目の多い場所を歩くのはやめた方がいいでしょうね」
派閥争いか……ヤクザ者も大変なんだな。
僕としては共生派が勝手ほしいけど、関わっても碌なことにならないだろうしヤクザと共生していくなんて危険なことはしたくない。
「そうなんですか」
僕は適当に相槌を打つ。
「そうなのよ」
自分から話をふっておいてどうでもよくなったのか、お姉さんも面倒くさそうにそう言った。
僕はちらりとアニーの方に目をやった。彼女はいつもこうなのかと尋ねるために。
それに気がついたアニーは僕のほうに少しだけ目をやると、やれやれと首を横に数度振った。
「お姉ちゃん、そんなことより――」
「――そうそう、ケンさんにスペシャルな依頼者が来てますよ!」
せっかくアニーが機転を利かして声をかけようとしてくれたのに、お姉さんはそれをかき消すぐらいに大きな声で言う。
「スペシャル?」
「はい、スペシャルもスペシャルですよ。ケンさんにとっては悪い意味でスペシャルってことですけど」
僕は首をかしげる。
悪い意味でスペシャル? 余計に意味が分からない。
「それはどういう……」
「まま、いいからついてきてください。きっと後悔することでしょうけど、報酬金は結構高い上に、依頼内容もそれほど難しいものではありません。ボアを倒すよりははるかに簡単だと思いますよ」
「そんな依頼が!?」
本当にそんな依頼が来たのなら棚から牡丹餅だが、やはり気になるのは『悪い意味でのスペシャル』だ。もはや嫌な予感しかしていない。
そう思いながらも、僕はお姉さんとアニーに連れられて、以前入ったことのある個室へ入った。
「――やあ、犬種……実に一日ぶりの再会だね」
その部屋で待っていたのは、下民の僕が見てもわかるほど高級そうなコートを羽織って、ソファーにふんぞり返ったリグダミス・ロットワイラーだった。
準備をすませて、店を飛び出す僕にイチゴは優しくそう言った。
それは取り留めない言葉だろう。しかし僕にとってはかなり珍しい言葉だ。
唯一の家族とも呼べる妹、メリーに何度も言われてきた言葉だが、メリー以外に言われたことは一度もなかった。この世界における父も、母も、仲間と呼ばれる男たちも誰ひとり、『気を付けて』なんていわなかった。いや、一つだけ訂正しておくが、別に僕が嫌われていたから言われたことがないというわけではない。その言葉が重荷になるからだ。
家族としてのメリーにとっては、家族である僕に気をつけてほしいと思うのは当たり前のことだ。
だが、それは同時に恐ろしい言葉でもある。
「気を付けてか……この世界でそれを口にできるのは勝者だけですよ」
世界は残酷だ。
下民は様々なイベントにおいて、どれだけ気をつけようが避けられない惨事が多すぎる。差別による殺人、魔物による惨殺、仕事中の事故死……たったそれだけの出来事で、いったい何人の下民が死んでいることだろう。
僕の仲間たちも、メリー以外の家族もそういう気をつけていても起きてしまったイベントによって殺された。――だからこそ、メリーは『気をつけて』と僕に言う。彼女にとっては僕が最後の家族だからだ。しかしイチゴは違う。現実の厳しさも、運命の残酷さも知っているはずだ。それなのに、彼女は僕に『気をつけて』と言った。
それはすなわち、僕を信頼しているからだ。
お前なら、苦難も乗り越えられるとイチゴはそう言ったのだ。
「僕も勝者になれってことか……」
イチゴの言葉を心に留め、僕は裏通りから役所へと向かう。
むろん裏通りに入ったのは、表通りで頻発する差別を避けるためだ。たったそれだけのことで、生存確率は数パーセント上がるだろう。だが、全く安全かと言われるとそうでもない。
裏通りには裏通りの危険がある。
ここは殺人の現場だ。月に何人もの犠牲者を出すシリアルキラーの吹き溜まりだ。だがそれでも、犬種が表通りを歩くよりははるかに安全な場所だともいえる。なぜなら、こんな場所を通る上流階級はそうはいないからだ。よっぽどのやむなき理由がなければ通るはずがない。
誰だって死にたくはない。それは上流階級の獣人たちだって同じだ。
「さて、殺人者に出会わないことを祈って……」
僕は駆け足で裏通りを行く。もちろん生存確率を上げるためだ。僕は建物の影や、物陰に目をやりながら一気に駆け抜けた。
「――ふう……何事もなくよかった。こんなところで死にたくないしなあ」
裏通りからそのまま役所の裏手までやって来た。
僕は息を整えて、そのまま裏口から役所に入る。
思えば裏口から入るのは初めてだ。というか、裏口から入っていいものだろうか……一瞬だけそう悩んだが、そんなことで悩んでいて誰かに襲われては無様だと思い、堂々と中へと入っていくことにした。
「今日はそっちから来たの?」
役所に入るなり、聞きなれた声が僕の耳に入る。
「アニーさん……そうなんですよ。僕も少しは自衛した方がいいかなって」
「自衛……ケンの場合はそうなのかな。私だったら自衛のためにそっちの扉は使わないけど」
「そうですよね。でも表通りから来ると、必ずレーヴェ組の肩に絡まれるんですよ」
ここに通うようになってからは100パーセント絡まれている。これはもはや偶然ではないだろう。もしかしたら、レーヴェ組に睨まれているのかもしれない。
「――へえ、そうなんですね?」
そんな声とともに、奥からもう一人女性がやってくる。受付のお姉さんで、アニーのお姉さんだ。
「でもまあ、最近のレーヴェ組は犬種共生派と否定派に分かれているらしいですから、不用意に一目の多い場所を歩くのはやめた方がいいでしょうね」
派閥争いか……ヤクザ者も大変なんだな。
僕としては共生派が勝手ほしいけど、関わっても碌なことにならないだろうしヤクザと共生していくなんて危険なことはしたくない。
「そうなんですか」
僕は適当に相槌を打つ。
「そうなのよ」
自分から話をふっておいてどうでもよくなったのか、お姉さんも面倒くさそうにそう言った。
僕はちらりとアニーの方に目をやった。彼女はいつもこうなのかと尋ねるために。
それに気がついたアニーは僕のほうに少しだけ目をやると、やれやれと首を横に数度振った。
「お姉ちゃん、そんなことより――」
「――そうそう、ケンさんにスペシャルな依頼者が来てますよ!」
せっかくアニーが機転を利かして声をかけようとしてくれたのに、お姉さんはそれをかき消すぐらいに大きな声で言う。
「スペシャル?」
「はい、スペシャルもスペシャルですよ。ケンさんにとっては悪い意味でスペシャルってことですけど」
僕は首をかしげる。
悪い意味でスペシャル? 余計に意味が分からない。
「それはどういう……」
「まま、いいからついてきてください。きっと後悔することでしょうけど、報酬金は結構高い上に、依頼内容もそれほど難しいものではありません。ボアを倒すよりははるかに簡単だと思いますよ」
「そんな依頼が!?」
本当にそんな依頼が来たのなら棚から牡丹餅だが、やはり気になるのは『悪い意味でのスペシャル』だ。もはや嫌な予感しかしていない。
そう思いながらも、僕はお姉さんとアニーに連れられて、以前入ったことのある個室へ入った。
「――やあ、犬種……実に一日ぶりの再会だね」
その部屋で待っていたのは、下民の僕が見てもわかるほど高級そうなコートを羽織って、ソファーにふんぞり返ったリグダミス・ロットワイラーだった。
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