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4 勇者が生まれる

22 イザベラともう一人 1

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――大人気ない。

 そんなことは誰に言われるまでもなく、私自身が一番よく理解していることだ。
 ケンが喫茶店を出てからというもの、私ことイチゴはずっと同じことばかり考えている。
「子供にも意地はあるのにな」
 汚れたコーヒーカップを洗いながら、今朝のことを反省する。
 ケンは知り合ったばかりの犬種の子供だ。この街で犬種の子供が生きていくためには、汚いことも、面倒くさいこともしていかなければならない。私がこの街に来たころには、同胞と呼べるものは奴隷ぐらいしかいなかった。だからなおさら汚い仕事をたくさん請け負ったもんだ。
 冒険者としては逸脱した非合法な仕事も沢山した。そうしなければ、生きていけなかったからだ。
 ケンは犬種に対する差別を甘く見過ぎている。一人で生きて行くにしても、先行投資がいる世界だ。お金が貯まるまでは、私に頼ればいいものを……

「冷たっ!」
 私の足を水が濡らす。
 考えごとをしているうちに、水が流し台からあふれて少しだけ床に流れてしまったらしい。私は正気を取り戻して水を止める。
 しまったな……収入はそれほど多くないというのに、水を無駄にしてしまった。二人を養うために、少しでも切りつめないといけないというのに。
 私は反省して洗い物に集中するべく、両頬を濡れた手でたたく。
 思いのほかいい音が鳴った。おそらく、その音の正体が気になったのだろう、メリーがいそいそと駆け寄ってくる。
「どうしたんですか? ってイチゴさん大丈夫ですか?」
 メリーはきょとんとした表情で、赤くなったであろう私の頬を撫でてくれる。

 暗い過去を思い出していたなんてことを無垢な少女に言えるはずもなく、適当に誤魔化すために彼女の兄を話題に引き出した。
「ああ、大丈夫だメリー……君の兄ついて考えていたら水が溢れてしまってな」
「ケン兄ちゃん?」
「そうだ。今頃、無事に仕事しているかなってな」
 なんて言ってみたが、実のところそれほど心配はしていない。
 彼の請け負った厄介ごとを考えれば、むしろに関しては安全だ。役所が抱える厄介ごと、それは『弱い灰色ウィーク・グレイ』以外に思い当たる節がない。ケンには彼女に関わって欲しくなかったのは事実だふが、それでも戦力としては十分――彼女は強い。ちょっとぐらい強力な魔物が出たとしても、ケンを死なせるようなことはないだろう。

 しかし、メリーがそんなを知っているはずもなく、昨日の今日で心配しているに違いない。
「大丈夫です。ケン兄ちゃんは悪運だけは強いですから」
 メリーは大きくかわいい瞳をこれでもかってぐらいに見開いて、私の瞳を覗き込む。彼女の目からはケンに対する絶対的な信頼と、あとほかに何かよくわからない感情が含まれているような気がする。それがいい感情なのかはわからないが、ケンが死ぬなんてことはこれっぽっちも考えていないようだ。
「そうだとも、ケンは死なない。少なくとも私と仲直りするまではな」
 不気味な信頼関係だが、それが兄妹というものなのだろう。私には兄弟というものがいないのでよくわからないが、彼女の不安を取り除く役目は、どうやら私の役目ではなかったようだ。
 ならば、私は彼ら兄弟の帰る場所を作ろう。
 だから帰って来ないなんてことがあったら、一生謝らないでおいてやる。

「――そういえば、イチゴさん。本名はイザベラ・チリィ・ゴズワールっていうんですよね?」
 突然、私の本名を口にするメリーだ。だが別段、驚くことでもない。
 私が渡した身分証には、私の本名が書いてあるのだから。
「ああ、変な名前だろ? だからイチゴって名前で通してもらっている」
「それで……ずっと気になっていたんですけど、ゴズワールって貴族の名前ですよね?」
 
「……っ!?」
 突然のことに、私は洗っていたコーヒーカップを床に落とした。
 メリーの言ったことはおおむね当たっている。ゴズワール家は元貴族だ。メリーはさも当然のように言い当ててたが、ゴズワール元侯爵家はずいぶん前に滅びた。ゆえにその名を知るものは現在では数えるほどしかいない。それも旧家の貴族達ぐらいなはずだ。幼子が知っているはずがない。
 額から溢れ出る汗をぬぐって、床に散らばったカップの破片を拾い集める。出来るだけ動揺を探られないように、私は冷静を装った。

「大丈夫ですか?」
 メリーはそんな私を心配そうに見つめている。
「ああ、すまない。大丈夫だ。最近よくあるんだよ、歳なのかな?」
「イザベラさんはまだ22歳じゃないですか?」
 今度は私の年齢を当ててみせる。
 やはりおかしい、私の年齢は身分証にも書いていない。メリーは、私のことをどこまで知っているのだろう。――いいや、彼女はメリーではない……最初からおかしいとは思っていたが、メリーはもっと無垢だった。人の身分証を覗き見るなんてことはしないだろうし、何より、彼女の瞳からは人ならざる何かを感じる。
 故に彼女は、メリーの皮を被った何か別の存在、そんな気がしてならない。
 私はとっさに、厨房の引き出しから果物ナイフを取り出した。

「お前は誰だ?」
 自分でも馬鹿なことを考えているということは重々承知だ。それでも、私は彼女をメリーだとは思えない。
 そんな私を見て、彼女はニタニタと笑い始める。それは少女が浮かべるような微笑みではなく、まるで悪魔が浮かべるような気味の悪いものだ。
「私は悪魔じゃありませんし、君の考える通りケンさんの妹さんでもありません。だけどすごいですね、私のことを見破れる人間は……いや、この世界では獣人と呼ぶべきでしょうね。ともかく、私の正体はわからなかったとしても、私が入った者に対し違和感を覚えた獣人は君が始めてだ」
 心を読んだ? いや動揺してはならない。私の経験則からいうに、それはかなり上位の存在だ。魔物よりも上位の存在……悪魔と呼ばれる化け物よりも、はるかに化け物だろう。私でもどうにか出来るかわからない。
「お前は何者だ?」
「あらら、君は口が悪いね? 元冒険者だからですかね? それとも……」
 ふざけた口調ではあるが、その存在は明らかに私を威圧している。常軌を逸した威圧感を私に浴びせ続けているのだ。
 一流の冒険者を極めてなおその先、勇者の領域に踏み込んだと恐れられた私が、名前も知らない何かに恐怖している。勝てない相手だと、殺気だけで思い知らされている。
 だがそれでも、一度預かったメリーをそのまま放置するなんてことは出来るはずもない。

「私は人に取りつく魔物と戦ったことがある。その時は何とかなったし、今回もなんとかなるって思いたいな」
 口に出して言っては見たものの、絶対絶命だ。果物ナイフ一本でメリーからその存在を追い出せるはずがない。
「大丈夫大丈夫、メリーさんに傷つけるつもりはありませんし、ケンさんが信頼しているあなたにも傷をつけるつもりはありませんよ」
 メリーの中にいる存在は両掌を私の方に見せるように手を挙げた。武器の類は見当たらない。どうやら本当に攻撃するつもりはないようだ。それが殊更不気味で仕方がない。

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