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2 プロフェッサー
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◇ ◇ ◇
あの日を境に僕の日常は大きく変わった。
と言っても変わらないものも多い。いまだに学校に通っていて、ウィリアム教授の研究室から追い出されそうなことには何ら変わりがない。むろん、僕がいまだに例の暴漢について探っていることを知っていて、教授もそれを警戒して自分の目が届くあたりにとどめておきたいとも思っているのだろうが……どっちにしても、今の僕には芳しくない状況であるというのは確かだ。
大学を出てすぐそばの通りで、強盗犯が出たらしい。
僕は直接目撃していないが、同じ講義を受けている人がそこでアルバイトしているらしく、そのせいで休みになっから給料が減るとぼやいていた。あまりに不謹慎な話だが、僕と同じような苦学生にとっては、生活の綱ともいえる給料が減るのは大打撃だとほんの少しだけ同情した。
「最近、多いよな……」
昼食に買ったハンバーガーを頬張りながら、小さな声でつぶやく。
「え、ごめん。なんだって?」
アカリは、僕が学食でハンバーガーを注文したことに気を取られて、僕の言葉を聞き逃したらしい。
「だから、強盗が多いよねって」
別に、彼女との話題作りのためにつぶやいた言葉ではなかったが、この際だからはっきりさせておきたいことがある。
「うん……でも、前から多かったと思うけどなあ……」
彼女の言うとおり、以前からこの街では強盗が横行していた。それどころか、殺人ですら他の街に比べると二倍以上の頻度で起きていたのだからその異常は口にするまでもない。
だが僕には気がかりなことがあった。
「それでも、エフェルが消えた日以降かなり増えたと思うんだよ」
「またその話? エフェルさん……っていうのは、確かアッシュの友達だよね? その人が行方不明になったのは大変だと思うけど……きっと強盗事件に巻き込まれたわけじゃないって! そのうちひょっこりと顔を出すよきっと! いいえ、必ず!」
彼女は、『エフェル』という名前の人物が行方不明になったと聞いても、涙を流すことはおろか、同情的な表情を見せる。極めつけは、僕を元気づけようと、ひたすらに慰めの言葉を口にする。
『エフェルの友達としての彼女』であれば、少なからずそんな余裕があるはずがない。
「やっぱり覚えてないんだね……」
「覚えていないもないにも、私はあったことないよね?」
僕が食べているハンバーガーを見ても、不思議そうな顔をしているあたり、彼女がエフェルについての記憶を保持していないことは明らかだが、言葉として彼女の口から直接聞かされた方が、より現実を思い知らされる。
「そうだね」
目頭が熱くなるのを感じた。
だけど涙を流すつもりはない。涙と一緒に、エフェルのことが僕の記憶から零れ落ちてしまうかもしれないからだ。
なぜだかわからないが、僕とウィリアムズ教授以外は彼のことを忘れてしまっている。つまり、僕が忘れてしまえば、彼が存在したという記憶はこの世界からほとんどすべてなくなってしまう事になる。
「どうしたの? やっぱり、そのハンバーガーおいしくなかった?」
心配そうに僕の顔を覗き込むアカリに、本当のことを話すことが出来ないのが口惜しくて、悔しい気持ちがこみ上げてきた。
彼女のエフェルの友達だった。
そんな彼女が、彼の最後を知ることが出来ないというのは、あまりにも酷だ。
「うん……おいしくないよ」
こんなものをありがたっておいしそうに食べていた親友の顔を思い出して、僕はとてもさみしくなった。
「でも、おかしいと思うかもしれないけど……そのハンバーガー……誰かがおいしいって食べていた気がするの……そんなわけないのにね……」
ふと、昔を懐かしむような口調でそう話す彼女の表情は悲しみを抱いたようなものではなく、楽しかった頃のことを思いだすようなやわらかなものだ。
それを見て僕の心は少しだけ救われた。
記憶が……脳に保管されたデータが破損して失われても、心がそれを補完している。彼女の心がエフェルを覚えているのなら、この世界に彼がいたという記録は永劫に消え去りはしないだろう。
「どうしたの?」
うれしくなって、つい笑みをこぼしてしまった僕の表情をアカリは見逃さなかったのだろう。
再び僕の顔を心配そうに覗き込む。
「何でもないよ」
今度は一切の迷いもなく、そう答えることが出来た。
「それより、強盗の話だけど……大学の近くで頻発しているような気がするんだよね」
僕は話をそらすように、話題を変えた。
というよりも、むしろ、話題を戻したという表現の方が正しい。
「うーん……なんだか話をそらされたような気がするけど、そうね。確かに、学校の近くで事件が起きることが増えているようだわ。アッシュ、あなたはエフェルのように強くないんだから、気をつけてよ? ……あれ、どうしてエフェルさんが強いって思ったんだろう?」
やっぱり、心は覚えている。
「僕が前に彼のことを話したからね。だからたぶんそのせいだよ」
「そうだった……わね。とにかく、アッシュにまでいなくなられたら私はどうすればいいかわからないから……絶対に気をつけてよね?」
「うん、わかってる――」
◇
大きな黒い袋をわきに抱えた全身黒い服をまとった男が路地から飛び出してくる。
男はあわてている様子で、僕にぶつかって一言「気をつけろ、クソガキ!」と吐き捨てると、立ち止まることもなく勢いよく走り去って行く。
「――うん。気をつけるよ」
分かったよアカリ……僕は……気をつけて、犯罪者たちを取り締まるとするよ。これ以上誰も死ぬことがないように……アカリが誰かに傷つけられないように。
「おい! そこの兄ちゃん、そいつを捕まえてくれ……って、誰もいない? いやさっきまでは確かに……とにかく、誰でもいいからそいつを捕まえてくれ!!」
慌てて逃げる男を追いかけるように、路地に走ってきたエプロン姿の男が大きな声で叫ぶ。
しかし、誰も彼の言葉に耳を貸さない。
それがこの街での当たり前だ。誰もが、他人のために危険を冒そうとはしない。そうすることで、生きながらえることが出来るからだ。しかし、無法地帯であるかと聞かれるとそうでもない。警察が機能していないわけでもないし、なにより――
「――僕がいる……」
まるで幽霊のように、そこにいるけど、どこにもいない。どこにもいないが、どこにでもいる。それが『亡霊』だ。僕は悪人にとっての悪霊になった。
走る強盗を追いかけ、疾風のごとく追い詰める。
「逃げても無駄だ。お前には僕が憑いている……」
「最近話題のファンタズマってやつか? なるほど、噂の通り、まるで亡霊にでも追いかけられているようだな! だがよ、姿が見えなくとも! そこにいるんだろうがっ!!」
強盗は狂ったように、一心不乱にカバンを振り回す。しかし、目に見えない相手を捕らえるのは容易ではない。
カバンは僕にぶつかることはおろか、かすることもなくタダひたすらに虚空を斬り続ける。それでもなお、男はひたすらにカバンを振り回し続けた。
その姿はあまりにも滑稽だ。
「お前には人の気配をよむ才能はまるでないようだね」
力なきものが物を盗んで生きる。それは、社会が依然として不完全なままであるという事を示しているようにも思えた。
「才能がないだと!? よくも……っ! そうだ。俺には才能がない。力もなければ、ヒーローに退治されるような大それた人間でもねえ! だがそれでも生きて行かなくちゃならねえのが世界ってもんよ! 俺は生きるためなら盗みもするし、殺しもする。お前のように恵まれた人間じゃないからなぁ!」
「恵まれた……? 僕はお前の思っているような恵まれた人間じゃないし……お前は、お前が思っているほど恵まれない人間でもないと僕は思うけどね」
この国に生まれた時点で僕たちは世界中の人間の平均以上にいい暮らしをしているはずだ。
直接見てきたわけではないが、紛争地域は僕たちが暮らすこの街よりはるかに治安が悪いらしい。そこで怯えながら暮らす人々のことを考えれば、家でゆっくりと眠ることが出来る僕たちはずいぶんと恵まれている。
それに、誰かが自分より恵まれているとか、恵まれていないだとか、そんな上や下を見てばかりいても仕方がないだろう。
僕たちは死よりも恐ろしい体験も、死すらも味わったことがないのだから、それだけで十分に幸せだ。
「お前に俺の何がわかる!?」
僕には赤の他人のことなんてわかりっこない。
今の僕の口調は少しばかり説教臭かったかもしれない。そう考えると、男がムキになるのも仕方がない。誰かに説教できるほど、僕は優れた人間ではないし、なにより僕は若すぎる。やはり、友が死んだという事実に対して内心では未だストレスを感じているのだろう。
だけど、自分は他人とは違うと……自分をみじめに思いながら生きて行くのはつまらないことだ。
目の前の男は、たぶん、自分をみじめに思っているのだろう。自分がかわいそうな人間だと思い込んでいる。
「何もわからないよ……僕はね。でも僕じゃない誰かには分かったんじゃないかな?」
「何を……!?」
男はほんの少しだけ戸惑いを見せた。
確かに、僕には他人の心も、その人が過ごした環境も知ることは出来ない。
だけど僕じゃない誰かには……たとえば、その人の家族や、はたまた友人や恋人になら心の内を理解できたかもしれない。
「お前にも大切な人ぐらいいるんだろ?」
「……っち」
男は僕の方から目をそらすと、あたりに響き渡るように大きな舌打ちをした。
どれほどの悪党にだって自分以外の大切な存在がいるはずだし、僕と同じで死なせたり、悲しませたりしたくない人がいるはずだ。
何より、追いかけていた時にも感じたことだが、目の前の男からは何度も躊躇いを感じた。僕にぶつかったときだってそうだ。
盗んで逃げている男が、ぶつかった相手に声をかけて時間をロスするようなことをするだろうか。いいや、それ自体が、彼が盗むという事に慣れていないようにも感じた。
何か盗まなければならない状況だったと考えるのが妥当だろう。
「何か事情があるってことは分かったよ。でもだったら、なおのことこんなことすべきじゃない」
「黙れ……!」
男の目が見えていないはずの僕をとらえた。
憎しみが宿った瞳で僕に怒りをぶつける。
「この街じゃ、誰もが盗み! 誰もが殺す! そうしないと暮らせないからだ!」
それは違う。
「僕は殺さないし、盗まない」
「いいや、この街に長く暮らしていればわかる! 誰も助けてくれないってことがな! そして気づく、家族を救えるのは自分だけだと! ヒーローは誰も救わないっ! ただ、己のために動いているとなっ!!」
「確かにそうかもしれない、結局のところは、ヒーローだってただの人間だから、自己顕示欲を満たすために人を救っているのかもしれない。だけど、それでも僕はだれも見捨てない。見捨てられない」
長い人生のうちにで、人が誰かに助けを求めることは何度あるだろう。きっとそれは数え切れないほどの回数になることだろう。そのうち、誰かが助けてくれることは数えられるほどしかないに違いない。結局のところ、自分の身は自分で守らなければならないということを嫌というほどに思い知らされることになるだろう。
だけどーー
それでも、だからといって、人から盗んでいいことにはならないし、困っている人を見捨てていい理由にはならない。
「なら俺を見逃してくれ……俺を助けると思って!」
「それは無理だ。僕はお前を救うことは出来ない。どんな事情があったとしても、犯罪者になってしまったものを救うことは出来ないからね……だけど、だから、あなた自身がそう望むなら、自分で助かるしかない。もし、今あなたを見逃しても、あなたが救われることはない。自分で助かる最後のチャンスだ」
「自首しろってか?」
「そうはいわない。僕にはあなたに何らかの刑罰を与える権利はない。それじゃあ私刑になってしまう……ヒーローにはそんな権限はない。だからこれは提案だ。店主に謝罪したらどうだ? 許してくれるとは限らないが、罪悪感はなくなると思うよ」
プロフェッサーと呼ばれるヒーローならばきっとそう言うことだろう。誰かを助け、誰かを救う。それは敵を倒すという意味ではなく、心を救い、そして導くという意味だと僕は思う。だからこそ、教授は僕の復習を止めるためにあんなことを言った。そうに違いない。
あの日を境に僕の日常は大きく変わった。
と言っても変わらないものも多い。いまだに学校に通っていて、ウィリアム教授の研究室から追い出されそうなことには何ら変わりがない。むろん、僕がいまだに例の暴漢について探っていることを知っていて、教授もそれを警戒して自分の目が届くあたりにとどめておきたいとも思っているのだろうが……どっちにしても、今の僕には芳しくない状況であるというのは確かだ。
大学を出てすぐそばの通りで、強盗犯が出たらしい。
僕は直接目撃していないが、同じ講義を受けている人がそこでアルバイトしているらしく、そのせいで休みになっから給料が減るとぼやいていた。あまりに不謹慎な話だが、僕と同じような苦学生にとっては、生活の綱ともいえる給料が減るのは大打撃だとほんの少しだけ同情した。
「最近、多いよな……」
昼食に買ったハンバーガーを頬張りながら、小さな声でつぶやく。
「え、ごめん。なんだって?」
アカリは、僕が学食でハンバーガーを注文したことに気を取られて、僕の言葉を聞き逃したらしい。
「だから、強盗が多いよねって」
別に、彼女との話題作りのためにつぶやいた言葉ではなかったが、この際だからはっきりさせておきたいことがある。
「うん……でも、前から多かったと思うけどなあ……」
彼女の言うとおり、以前からこの街では強盗が横行していた。それどころか、殺人ですら他の街に比べると二倍以上の頻度で起きていたのだからその異常は口にするまでもない。
だが僕には気がかりなことがあった。
「それでも、エフェルが消えた日以降かなり増えたと思うんだよ」
「またその話? エフェルさん……っていうのは、確かアッシュの友達だよね? その人が行方不明になったのは大変だと思うけど……きっと強盗事件に巻き込まれたわけじゃないって! そのうちひょっこりと顔を出すよきっと! いいえ、必ず!」
彼女は、『エフェル』という名前の人物が行方不明になったと聞いても、涙を流すことはおろか、同情的な表情を見せる。極めつけは、僕を元気づけようと、ひたすらに慰めの言葉を口にする。
『エフェルの友達としての彼女』であれば、少なからずそんな余裕があるはずがない。
「やっぱり覚えてないんだね……」
「覚えていないもないにも、私はあったことないよね?」
僕が食べているハンバーガーを見ても、不思議そうな顔をしているあたり、彼女がエフェルについての記憶を保持していないことは明らかだが、言葉として彼女の口から直接聞かされた方が、より現実を思い知らされる。
「そうだね」
目頭が熱くなるのを感じた。
だけど涙を流すつもりはない。涙と一緒に、エフェルのことが僕の記憶から零れ落ちてしまうかもしれないからだ。
なぜだかわからないが、僕とウィリアムズ教授以外は彼のことを忘れてしまっている。つまり、僕が忘れてしまえば、彼が存在したという記憶はこの世界からほとんどすべてなくなってしまう事になる。
「どうしたの? やっぱり、そのハンバーガーおいしくなかった?」
心配そうに僕の顔を覗き込むアカリに、本当のことを話すことが出来ないのが口惜しくて、悔しい気持ちがこみ上げてきた。
彼女のエフェルの友達だった。
そんな彼女が、彼の最後を知ることが出来ないというのは、あまりにも酷だ。
「うん……おいしくないよ」
こんなものをありがたっておいしそうに食べていた親友の顔を思い出して、僕はとてもさみしくなった。
「でも、おかしいと思うかもしれないけど……そのハンバーガー……誰かがおいしいって食べていた気がするの……そんなわけないのにね……」
ふと、昔を懐かしむような口調でそう話す彼女の表情は悲しみを抱いたようなものではなく、楽しかった頃のことを思いだすようなやわらかなものだ。
それを見て僕の心は少しだけ救われた。
記憶が……脳に保管されたデータが破損して失われても、心がそれを補完している。彼女の心がエフェルを覚えているのなら、この世界に彼がいたという記録は永劫に消え去りはしないだろう。
「どうしたの?」
うれしくなって、つい笑みをこぼしてしまった僕の表情をアカリは見逃さなかったのだろう。
再び僕の顔を心配そうに覗き込む。
「何でもないよ」
今度は一切の迷いもなく、そう答えることが出来た。
「それより、強盗の話だけど……大学の近くで頻発しているような気がするんだよね」
僕は話をそらすように、話題を変えた。
というよりも、むしろ、話題を戻したという表現の方が正しい。
「うーん……なんだか話をそらされたような気がするけど、そうね。確かに、学校の近くで事件が起きることが増えているようだわ。アッシュ、あなたはエフェルのように強くないんだから、気をつけてよ? ……あれ、どうしてエフェルさんが強いって思ったんだろう?」
やっぱり、心は覚えている。
「僕が前に彼のことを話したからね。だからたぶんそのせいだよ」
「そうだった……わね。とにかく、アッシュにまでいなくなられたら私はどうすればいいかわからないから……絶対に気をつけてよね?」
「うん、わかってる――」
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大きな黒い袋をわきに抱えた全身黒い服をまとった男が路地から飛び出してくる。
男はあわてている様子で、僕にぶつかって一言「気をつけろ、クソガキ!」と吐き捨てると、立ち止まることもなく勢いよく走り去って行く。
「――うん。気をつけるよ」
分かったよアカリ……僕は……気をつけて、犯罪者たちを取り締まるとするよ。これ以上誰も死ぬことがないように……アカリが誰かに傷つけられないように。
「おい! そこの兄ちゃん、そいつを捕まえてくれ……って、誰もいない? いやさっきまでは確かに……とにかく、誰でもいいからそいつを捕まえてくれ!!」
慌てて逃げる男を追いかけるように、路地に走ってきたエプロン姿の男が大きな声で叫ぶ。
しかし、誰も彼の言葉に耳を貸さない。
それがこの街での当たり前だ。誰もが、他人のために危険を冒そうとはしない。そうすることで、生きながらえることが出来るからだ。しかし、無法地帯であるかと聞かれるとそうでもない。警察が機能していないわけでもないし、なにより――
「――僕がいる……」
まるで幽霊のように、そこにいるけど、どこにもいない。どこにもいないが、どこにでもいる。それが『亡霊』だ。僕は悪人にとっての悪霊になった。
走る強盗を追いかけ、疾風のごとく追い詰める。
「逃げても無駄だ。お前には僕が憑いている……」
「最近話題のファンタズマってやつか? なるほど、噂の通り、まるで亡霊にでも追いかけられているようだな! だがよ、姿が見えなくとも! そこにいるんだろうがっ!!」
強盗は狂ったように、一心不乱にカバンを振り回す。しかし、目に見えない相手を捕らえるのは容易ではない。
カバンは僕にぶつかることはおろか、かすることもなくタダひたすらに虚空を斬り続ける。それでもなお、男はひたすらにカバンを振り回し続けた。
その姿はあまりにも滑稽だ。
「お前には人の気配をよむ才能はまるでないようだね」
力なきものが物を盗んで生きる。それは、社会が依然として不完全なままであるという事を示しているようにも思えた。
「才能がないだと!? よくも……っ! そうだ。俺には才能がない。力もなければ、ヒーローに退治されるような大それた人間でもねえ! だがそれでも生きて行かなくちゃならねえのが世界ってもんよ! 俺は生きるためなら盗みもするし、殺しもする。お前のように恵まれた人間じゃないからなぁ!」
「恵まれた……? 僕はお前の思っているような恵まれた人間じゃないし……お前は、お前が思っているほど恵まれない人間でもないと僕は思うけどね」
この国に生まれた時点で僕たちは世界中の人間の平均以上にいい暮らしをしているはずだ。
直接見てきたわけではないが、紛争地域は僕たちが暮らすこの街よりはるかに治安が悪いらしい。そこで怯えながら暮らす人々のことを考えれば、家でゆっくりと眠ることが出来る僕たちはずいぶんと恵まれている。
それに、誰かが自分より恵まれているとか、恵まれていないだとか、そんな上や下を見てばかりいても仕方がないだろう。
僕たちは死よりも恐ろしい体験も、死すらも味わったことがないのだから、それだけで十分に幸せだ。
「お前に俺の何がわかる!?」
僕には赤の他人のことなんてわかりっこない。
今の僕の口調は少しばかり説教臭かったかもしれない。そう考えると、男がムキになるのも仕方がない。誰かに説教できるほど、僕は優れた人間ではないし、なにより僕は若すぎる。やはり、友が死んだという事実に対して内心では未だストレスを感じているのだろう。
だけど、自分は他人とは違うと……自分をみじめに思いながら生きて行くのはつまらないことだ。
目の前の男は、たぶん、自分をみじめに思っているのだろう。自分がかわいそうな人間だと思い込んでいる。
「何もわからないよ……僕はね。でも僕じゃない誰かには分かったんじゃないかな?」
「何を……!?」
男はほんの少しだけ戸惑いを見せた。
確かに、僕には他人の心も、その人が過ごした環境も知ることは出来ない。
だけど僕じゃない誰かには……たとえば、その人の家族や、はたまた友人や恋人になら心の内を理解できたかもしれない。
「お前にも大切な人ぐらいいるんだろ?」
「……っち」
男は僕の方から目をそらすと、あたりに響き渡るように大きな舌打ちをした。
どれほどの悪党にだって自分以外の大切な存在がいるはずだし、僕と同じで死なせたり、悲しませたりしたくない人がいるはずだ。
何より、追いかけていた時にも感じたことだが、目の前の男からは何度も躊躇いを感じた。僕にぶつかったときだってそうだ。
盗んで逃げている男が、ぶつかった相手に声をかけて時間をロスするようなことをするだろうか。いいや、それ自体が、彼が盗むという事に慣れていないようにも感じた。
何か盗まなければならない状況だったと考えるのが妥当だろう。
「何か事情があるってことは分かったよ。でもだったら、なおのことこんなことすべきじゃない」
「黙れ……!」
男の目が見えていないはずの僕をとらえた。
憎しみが宿った瞳で僕に怒りをぶつける。
「この街じゃ、誰もが盗み! 誰もが殺す! そうしないと暮らせないからだ!」
それは違う。
「僕は殺さないし、盗まない」
「いいや、この街に長く暮らしていればわかる! 誰も助けてくれないってことがな! そして気づく、家族を救えるのは自分だけだと! ヒーローは誰も救わないっ! ただ、己のために動いているとなっ!!」
「確かにそうかもしれない、結局のところは、ヒーローだってただの人間だから、自己顕示欲を満たすために人を救っているのかもしれない。だけど、それでも僕はだれも見捨てない。見捨てられない」
長い人生のうちにで、人が誰かに助けを求めることは何度あるだろう。きっとそれは数え切れないほどの回数になることだろう。そのうち、誰かが助けてくれることは数えられるほどしかないに違いない。結局のところ、自分の身は自分で守らなければならないということを嫌というほどに思い知らされることになるだろう。
だけどーー
それでも、だからといって、人から盗んでいいことにはならないし、困っている人を見捨てていい理由にはならない。
「なら俺を見逃してくれ……俺を助けると思って!」
「それは無理だ。僕はお前を救うことは出来ない。どんな事情があったとしても、犯罪者になってしまったものを救うことは出来ないからね……だけど、だから、あなた自身がそう望むなら、自分で助かるしかない。もし、今あなたを見逃しても、あなたが救われることはない。自分で助かる最後のチャンスだ」
「自首しろってか?」
「そうはいわない。僕にはあなたに何らかの刑罰を与える権利はない。それじゃあ私刑になってしまう……ヒーローにはそんな権限はない。だからこれは提案だ。店主に謝罪したらどうだ? 許してくれるとは限らないが、罪悪感はなくなると思うよ」
プロフェッサーと呼ばれるヒーローならばきっとそう言うことだろう。誰かを助け、誰かを救う。それは敵を倒すという意味ではなく、心を救い、そして導くという意味だと僕は思う。だからこそ、教授は僕の復習を止めるためにあんなことを言った。そうに違いない。
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