私が異世界に行く方法

吉舎

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ベイルモンド砂漠編

黒い砂丘

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 ナーデルという男は酷くくたびれた顔をしていた。恐らく碌に睡眠もとらずにここまで移動してきたのだろう。私たちの乗るラクダの居ない橇を見て一瞬驚いた顔をしたが、しかしそれは大きな疲労によってすぐにかき消された。

恐らく30歳ぐらいであろうナーデルを、私は昔の自分と重ね合わせた。私が25歳で生まれて初めて日本の外へ出た時、インドのとある村でトラブルに巻き込まれて財布もケータイも失った。大使館と連絡がとれる町まで密林の中を必死に歩いた。漸く町に辿り着き宿の鏡に映った自分の顔もこんなかんじだった。

あの時は二度と海外なんぞ行くものかと思ったのだが…。まあ、今は目の前の状況に集中しよう。

橇の上のモフセンの顔を見て、ナーデルは私たちが自分を追ってきたのだとすぐ理解したようだ。ダリアが、このまま町へ戻るかどうか確認すると、案の定ナーデルは首を横に振った。

ナーデルの持っていた荷物…僅かな食糧と水は私の空間収納に仕舞い、ナーデルの乗っていたラクダはその場で解放した。後は勝手にイズマイルの町へ戻るだろう。

計6人が乗った橇は再び発進し、西へ向かう。夜の風で体が冷え込まないよう、私は黒の外套をしっかりと身に纏った。


 モフセンが、石堀り達について知っている限りの情報をナーデルに伝える。魔物の襲撃、10人が死亡。他にも重傷者が居る。話を聞くナーデルの顔はどんどん曇っていった。

「毒霧虫だって!畜生!こんなことは親父の代から一度も無かったのに!」

 地声なのか、咽喉がかれているのか、だみ声で唸るようにナーデルは言った。モフセンに手渡された水筒を受け取り、ぐいと飲み干すとぎゅっと目を瞑って動きを止めた。

やがて気持ちを切り替えたのか、目を開いて橇上を見回す。

「ああ、ベンハミン様もいらっしゃったのですね。」
「ウン。今回は気の毒ダッタナ。それと、一応言っておくガ結婚オメデトウ。」
「…ありがとうございます。」

 そうだった。彼はユーセフの娘との結婚式を挙げた数日後に此処に居るのだ。結婚したことの無い私には想像することしかできないが、きっと結婚式だって相当の緊張と疲労があったはずだ。

「この橇はどなたが魔法で動かしているのでしょう?」
「ソレハ、このアキヒコという者ダ。」

 私が頷くと、ナーデルは私に向かって言った。

「この速さならラクダよりずっと早く彼らの元へ辿り着く。彼らの逃避ルートは凡そ予想出来ます。私が方向を案内します。」
「分かりました。ただ、暫くは真っすぐで大丈夫でしょう。少し睡眠をとっては?」
「そうですよ。お休みになるべきです。」

 モフセンの言葉もあり、では少しだけと言ってナーデルは橇の荷台に横になった。するとすぐに彼は眠った。泥のように眠るというやつだ。

ナーデルを確保したことで、私たちは救援任務の最低限の要求は果たしたことになる。後は、どれほど石堀り達が生き残っているかだ。


結局ナーデルが目を覚ましたのは、翌朝太陽が昇ってからだった。イズマイルを出発してから2日目の昼、ハアルの時間帯(特に気温の高い午前11時から午後4時のこと)は橇を止め、天幕を張って睡眠と食事をとる。もし生き残りの石堀りがいるとすれば、ここから半日橇を走らせた辺りにいるはずだ。

赤毛姉妹は早めに起きて武器の手入れをしている。ベンハミンも紺色のペンダント型の魔導具をなにやら弄っている。モフセンとナーデルは出発時間ぎりぎりまで寝ていた。

ハアルの時間帯を過ぎても、天幕の外は暑い。ただ、同じ気温でも上がっていく途中か下がっていく途中かで感じ方は違う。ナーデルの案内のもと、南西方向に橇で7時間ほど進んだ。途中、時折砂丘の天辺で石堀り達がいないかと見渡して確認する。

そろそろ見つかるはずだ、とナーデルが焦りだしたところで、ベンハミンが皆に声を掛けた。

「誰カ深緑フンコロガシを持っているカネ?」

 水に反応する深緑フンコロガシ、私もアルサーヤからイズマイルへの移動に利用した。だが、今は持っていない。餌やりが面倒になってイズマイルのバザールで売ってしまったのだ。帰るときにまた買えばいいやと思っていた。幸い、赤毛姉妹の妹モナが一匹携帯していた。

「少シ貸してクレ。」

 モナは不安そうな顔でそっとフンコロガシの入った籠をベンハミンに渡す。すると、ベンハミンは籠からフンコロガシを出すと自分のペンダントをあてて小声で何かを念じた。

「何してるの、です?」

 モナが慌てて尋ねる。彼女が姉以外に話しかけるのを見たのはこれが始めてだ。ベンハミンはニヤリと笑った。

「深緑フンコロガシは湖や沼のような大きな水たまりに反応する。私ノ生物魔法デ能力ヲ強化してヤレバ、水筒の中の水などモ探知出来るようにナル。これで石堀り達が持っているダロウ水を探知出来るハズダ。」
「しかしベンハミン様。それでは我々の所持する水にも反応してしまうのではないですか?」
「ソウダ。だから、全員持ってイル水袋や水筒は全てアキヒコの空間収納にシマエ。」

 皆が指示に従う。モナはなお不安げで、ベンハミンに確認を入れた。

「ちゃんとその子元に戻るの、です?」
「タブン。まあ駄目ならこれくらい私が弁償シテヤル。」
「弁償なんか要らない!終わったらちゃんと戻して!」

 ベンハミンは子供の駄々に付き合う大人のように小さく溜息をついて、分かった分かったと言った。

魔法で改造されたフンコロガシは最初なにも反応しないように思えたが、やがて南南西の方向に体を向けて、前肢を揺らし始めた。虫の導きに従い橇を走らせる。

2時間近く進んだが、人影は見えない。ナーデルが、彼らはこんなに南方に進路をとるだろうかと呟いたところで、ダリアが移動する集団の姿を発見した。砂丘の間を縫うように10人ほどが足を引き摺りながらゆっくりと北東方向へ歩いている。

ナーデルが立ち上がって叫ぶ。

「いた!!いたぞ!だが、少ない!他はどうした!?いや、まず近づいて話を聞かなくては、アキヒコ様!橇をあちらへ!」

 しかし、ベンハミンが静止する。

「落ち着き給エ。接近スル前に彼らを追う魔物ガ居ないかドウカ確認シナクテハ。」

 ベンハミンの指示で、モナが石堀り達の後方に火の魔法を打ち込む。白く燃える炎の槍が高速で飛んで砂に次々と打ち込まれる。そのうちの一つに反応して、わらわらと黒い虫が地表に這い出してきた。それは小山ほどある砂丘の幾つかを覆いつくす。

「ひぃっ!」

 モフセンが恐怖の叫び声を上げる。ナーデルも顔色が更に悪くなった。一方、4級討伐者である赤毛姉妹は流石の落ち着きだ。

「群れの三分の一なら焼き尽くせる、です。」
「イヤ、地表に出たのが全部とは限らナイ。無暗な攻撃は控え、魔力を温存すべきダ。」

 結局、警戒しながら石堀り達に近づくことにした。石堀りと魔物の距離はおよそ1kmほど。すぐに彼らが襲われることは無いはずだ。

橇の接近に向こうも気づいたようだ。脱水で窪んだ眼でこちらをじっと見ている。荷物は殆ど捨ててしまったのか、皆腰に水袋をぶら下げているだけだ。一人が声を上げた。

「な、ナーデル様だ!」
「なにっ!若旦那様が助けに来て下さったのか!」

 ふらつく足取りで石堀り達が橇に寄ってくる。ナーデルも停止前の橇から飛び降りた。

駆け寄ってくるナーデルに、最も年取った石堀りがしわがれ声で詫びた。

「若旦那…!申し訳ありやせん。儂が居ながら、多くの者が魔物に…!」
「ハサン。お前が謝ることは無い。毒霧虫の襲撃など、誰が予想出来ようか。」

ナーデルはハサンという男の腕を強く掴み、それから他の生き残り達を見回した。

「お前たち、よくここまで頑張ったな!…ん、一人知らぬ者が居るようだが?」

 一人だけ上等なターバンに、長服の男が混じっている。目は細く鉤鼻、意識は半ば朦朧として、肩を貸してもらって辛うじて立っている様子だ。ハサンが困ったように言った。

「儂らが逃げている途中で、倒れていたこの男を拾いました。決して名乗ろうとしないのですが、身なりと仕草から身分は低くないと思います。」

 すると、停止した橇から降りたベンハミンが苛立った顔で男を睨んだ。

「コノ男、知っているゾ。研究所に出入りしているのを見たことがアル。右大臣の子飼いの魔法使いの一人ダ。何故コンナところに居ル?」

 ベンハミンは男の腰に着けた物入れを強引に引き抜くと、中身を確認した。そして、怒りと驚きと不安が入り混じったような表情を浮かべる。

「マサカ…。なんてことダ…!」



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