21 / 42
第21話 榎本あかりの秘密
しおりを挟む
着替えを終わらせて、事務所棟を出る。
ここからバス停まで、数分間、歩く必要がある。
最初は、面倒に思っていたこの道のりも、5年も通うと慣れるもので、今では何とも思わない。
ゆっくり歩を進めていると、キューッと音がした。
自転車のブレーキ音。
自転車が減速し、俺の左隣に来ると、停止する。
飛び降りて、自転車を押して歩き出す。
そのまま、俺に並んで歩くようだ。
「ぶちょー、なんで、待っていてくれないんですか?」
頭の後ろの馬のしっぽが、左右に勢いよく揺れている。
ハイネックセーターとパンツ姿。
寒いのか、首元にストールを巻いている。
「折角、仲良くなったんですから、一緒に帰りましょうよー」
榎本か。
仲良くなったって言うけど、それはどうだろう。
俺は、彼女にとっての上司。
接点が増えただけで、仲良くしているつもりはない。
「なあ、榎本」
「榎本じゃないですー、あかりんですー」
……まだ続くのか、その呼び名。
参ったなぁ……外でその名前で呼ぶのは、勘弁してほしいのだが……。
「すまん。あかりん」
「なんですかー、ぶちょー」
「豹変しすぎじゃないか?」
「そうですかねー」
態度を嗜めても、気にする様子のない彼女。
普段は、モジモジしている感のあった彼女が、ここまで変化した。
個人的な好みで考えると、こちらの方がいい。
何より、ハキハキしている。
俺のせっかちな性格のせいかもしれないが、好意的に見ることができる。
しかし、「丁寧語、何それ」の言葉遣い。
そこまでではないが、何となく、全体的に言動が、軽い感じがする。
俺以外の、他社も含めた上司にも、この態度だと、普段の仕事に、支障がありそうだ。
ため息が出る。
なぜ、彼女の性格というか、様子が変化したのか、振り返ってみる。
最初に会ったときは、普通だった。
しかし、事務所で話をしている途中で、明らかに言動が変化した。
……そういえば、髪形を変えたなぁ……
1つの疑念が持ち上がる。
まさか。
そんなことがあるのか。
「お前って、髪形を変えると、性格も変わるのか?」
普通に考えると、有り得ない。
もしかしたら、本人すら、知らないことなのかもしれない。
けれど、彼女とつきあっていく上では、知っておいた方がいいかもしれない。
そう思った俺は、そんな質問をしてみた。
「ブーブー、『お前』って言わないで下さいよー」
下から睨んでくる。いや、お前、俺の部下だしさー。
なるべく「あかりん」って呼びたくないんだよ、わかってくれよー。
「で、あかりん。どうなんだ?」
「うん、変わるよー」
当然のように返ってきた。その表情はにこやかだ。
変わるのかー。そこは驚きだわ。
あまりにも当然のように言われたので、スルーしそうになったわ。
これって、人間として可能なことなのか?
たくさんの訓練積むと、できるようになるものなのだろうか。
でも、そのために訓練する……その意味がわからない。
様々な疑問符が、頭の中を駆け巡る。
そこからは、彼女から説明を受けた。
髪形を変えることがスイッチとなり、性格が変わるということ。
ある程度気を付けていれば、変化に抗うことができるらしい。
でも、少しでも気を抜くと、その性格になってしまうようで、難儀である。
なぜ、そんなことになったのか、聞いてはみたが、答えてはくれなかった。
彼女が言うには、ツインテールにしているときが、1番ブレがない。
そういうこともあり、仕事中は、ツインテールにしているようだ。
彼女自身も、全部の髪形をしたことがないので、全てはわかっていないらしい。
そうこう話しているうちに、バス停に到着した。
まだバスは来ていないようだ。
残業終わりの時間でもない、中途半端な時間。
当分、来そうにない。
時間があるので、本当に変化するのか、確かめたくなった。
「ならば、髪形変えてもらっていいか?」
「うん、いいよー」
今まで押してきた自転車を停めて、俺と向かい合う。
周囲には俺たちの他、誰もいない。
彼女は、慣れた手つきで、ポニーテールをまとめたゴムを外す。
解放された長い髪を、手櫛で簡単に整える。
2つに分けて、両耳より下でゴムで束ねた。
1分もかけていないだろう。
ツインテールが完成した。
「できましたの……」
ゆったりとした声。
彼女は、お腹の前に軽く両手を組んでいる。
「佐々木様、これでよろしくって?」
ん?まともそうに見えるのだが……「よろしくって」とは。
少し大人しそうだが、工場でいるときほど、オドオドしていない。
むしろ、言葉に力があるような印象を受ける。
「榎本、この性格でいけば、いいんじゃないのか?」
そんな俺の声に、首を横に振って答える。
「いくらか、問題がありますの」
ゆっくりとした口調で、続ける。
「この髪形でございますと、ヘルメットに入ってくれませんの……」
確かに。ヘルメットを被ったとき、結び目はヘルメットの下。
当然、結び目より下の髪を隠すことができず、工場では違反対象となる。
「佐々木様」
そう言って、俺を見つめる。
目の力だけで、なぜか、プレッシャーを感じる。
俺の名を、あえて呼ぶことで、注目を向ける手法なのか。
「皆さまをお呼びいたすときに、『様付』になってしまいますの」
そこまで話すと、彼女は、少し視線を下に向ける。
若干俯いた感じも、両手をお腹の前で軽く組んでいる格好と相まって様になっている。
……ドレスではなく、パンツルックなのが、残念なくらいに。
様付かー。よく聞くと、先程から俺のことを「佐々木様」と呼んでいる。
そして、ノゾミも驚くくらいの「お嬢様言葉」がふんだんに使われている。
これを工場で使われると……、相手の方が恐縮してしまう。
そして、お嬢様のイメージで、仕事を任せることが難しそうに感じてしまう。
「あー、確かに、これでは日常に支障がでそうだな……」
「恐れ入ります……」
彼女が頭を下げてくる。
微笑んでこちらを見つめている。
先程のフランクな性格と正反対の雰囲気。
厳かなオーラすら感じる。
見ている感じだと、面白そうなんだけどな。
これを毎日されると、周りが苦痛かもしれない。
「では、榎本。別の髪形にできるか?」
「さようでございますか。少しお待ちになって?」
「さようでございます」
ついつい言葉が移ってしまった。
まるで目の前の女性が、真正のお嬢様のように思えた。
演じているようにも、見えないこともないが、言葉に引っ掛かりがない。
不自然さが全くないのだ。
いったい、彼女の思考回路は、どうなっているのだろうか。
俺が考え込んでいる間に、彼女の「模様替え」は進む。
2つに分けていたゴムを取り、再度手櫛で整えている。
髪をひとまとめにして、彼女の右側頭部に結び目を持ってくる。
右側サイドテールか。
ポニーテールと違ったものが出てくるのか、これ?
あー、でも、ツインテールの結ぶ位置の違いでも変化があったんだ、愚問だな。
「佐々木部長、お待たせ、なのー!」
また、なぜそんなキャラが生まれるのかよ……。
でもまあ、「なのー」と付く以外は、日常に支障がなさそうなんだけど……。
「これは、いいんじゃないのか?」
同じように聞いてみた。
しかし、彼女は、またも首を横に振る。
「……年齢的に苦しい語尾、なの……」
天真爛漫キャラが宿っているのか、笑顔だ。
しかし、その中でも哀し気な表情が浮かんでいる。
彼女は22歳。
「なのです」キャラならともかく、「なのー!」と叫ぶのは、ひとによっては引くだろうなぁ……。
まあ、この俺自身、本当に「なのー」と叫ぶひとに、初めて遭遇したのだが。
あと考えられる髪形は……。
三つ編み、お団子、ショートカット、パーマ、ボブ……。
これは、佐伯がいるときに、いろいろチャレンジした方がいいかもしれない……。
個人的には、下結びのツインテールのキャラがいいのだが。
ただ、それをするためには、髪がヘルメットに入るようにしないと……。
「……と、いう感じだな!どう、楽しめただろう?」
ん?口調が違う。
……ということは、また髪形が変わったのか……。
彼女をまじまじと眺める。変わったところはない。
……ん?結び目がない?そうか、普通のロングヘアか。
「何も髪を弄ってなかったら、こんな感じ、ということか」
「おう、緊張さえしてなけりゃな!」
男勝りな口調だな。
……いや、俺、上司なんだが、少しは緊張しろよー。
とはいえ、この口調なら、問題ないのではないだろうか。
「これでいいんじゃないのか?」
この言葉3度目。
しかし、これにも彼女は首を横に振る。
「ウチの妹がね、この口調を許してくれないんだよ……」
そうか。それはまた、難儀なことで。
「佐々木殿は、お気に入りはあっただろうか……?」
殿ってなんだよ、殿って。
これはダメかもしれない。相手が畏まる。
彼女から目線を外し、本日遭遇した彼女「たち」を思い出す。
何もなし:男勝り、殿付
ツインテール:モジモジキャラ
ツインテール下結び:お嬢様キャラ、様付
ポニーテール:伸ばし言葉、少し軽い
サイドテール(右):なのー
うーん、どれも一長一短だな……。
個人的に無難で推したいのは、「お嬢様キャラ」なんだけどな……。
「ツインテール下結び、これで行くか?」
モジモジしているよりは、マシだろうと思うんだよな。
他のキャラは、俺以外の社員とトラブルになるかもしれない。
考えすぎなのかもしれないし、個人的趣向が入っているのかもしれないが……。
彼女から答えがないので、目線を戻すと、彼女は変身途中だった。
手櫛を軽くして、2つに髪を分け、コムで結ぶ。
「佐々木様、これでよろしくて?」
お嬢様の口調に戻った。
「ちょっといいか?」
「よろしくてよ」
彼女の答えを聞いて、彼女の後ろに回る。
両側のツインテールの結び目付近をつかむ。
そんな俺の行動に驚いたのか、彼女の身体が少し震える。
緊張感を持っているようだが、さすがはお嬢様、取り乱さない。
されるがままになっている。
結び目付近を彼女の後頭部付近に付けるような形に折り返す。
うん、これならヘルメットの中に納めることができそうだ。
ツインテールを解放する。
「佐々木様!」
解放されたことがわかったのだろう、俺の正面に向き直り、非難の声を上げる。
顔が少し赤い。お嬢様キャラだからなのだろうか。
「佐々木様。このようなことは、二度と、なさらないでくださる?」
「次からは、気を付けます」
うーん、ついつい丁寧に返してしまうな。
「ありがとう存じます」
憤慨しているのか、照れているのか、表情はわかりにくい。
が、口調はゆっくりしっかりとしていた。
「榎本。ツインテールはヘルメットに入りそうだぞ」
「さようでございますの?」
彼女の中ではピンと来ていないようだ。
俺は言葉を続ける。
「ああ、先程、髪をつかんだのは、それを確かめるためだったのだが……」
それを聞いて、彼女は両ツインテールをつかんで、自分自身の後頭部に誘導する。
俺の言ったことを理解したようで、満足そうだ。
「恐れ入ります」
ツインテールを解放した後、軽く頭を下げてくる。
そうこうしているうちに、ようやくバスが来た。
「榎本。バスが来たから、帰るわ」
財布からICカードを取り出す。
「今日はありがとな」
彼女に見つめられる。
「明日からはその調子でよろしく」
「よろしくてよ」
一瞬、とまどいの表情が現れたように見えたが、そんな答えが返ってきた。
「ごきげんよう」
彼女はそう言うと、自転車に乗って去っていった。
自転車に乗るお嬢様。アクティブだなぁ……。
あ、お嬢様ってわけではないのか。
ないのか?本当はどうなんだろうか……。
バスに乗り込む。
路面電車の電停までの、短い移動だ。
席に座り、考え込む。
結局、なぜ榎本が、ノゾミのデータを知っていたのか、聞けなかったなぁ……。
それよりも、榎本の特殊な性格が解ってしまったという、ね。
悪い娘ではないんだが、謎が多い。
これは、俺の周辺に配属した方が、いいのだろうか……。
佐伯に続いて、榎本までも、周辺に置いたら、また変な噂が立つだろうなぁ……。
それよりも先に、佐伯を説得する必要があるかな。
榎本を配属するための理由を、見つけてこないと。
今度、本社に電話してみるか……。
考えを巡らせながら、電車に乗り換える。
もうすぐで、ノゾミの待つ我が家へ着く。
ここからバス停まで、数分間、歩く必要がある。
最初は、面倒に思っていたこの道のりも、5年も通うと慣れるもので、今では何とも思わない。
ゆっくり歩を進めていると、キューッと音がした。
自転車のブレーキ音。
自転車が減速し、俺の左隣に来ると、停止する。
飛び降りて、自転車を押して歩き出す。
そのまま、俺に並んで歩くようだ。
「ぶちょー、なんで、待っていてくれないんですか?」
頭の後ろの馬のしっぽが、左右に勢いよく揺れている。
ハイネックセーターとパンツ姿。
寒いのか、首元にストールを巻いている。
「折角、仲良くなったんですから、一緒に帰りましょうよー」
榎本か。
仲良くなったって言うけど、それはどうだろう。
俺は、彼女にとっての上司。
接点が増えただけで、仲良くしているつもりはない。
「なあ、榎本」
「榎本じゃないですー、あかりんですー」
……まだ続くのか、その呼び名。
参ったなぁ……外でその名前で呼ぶのは、勘弁してほしいのだが……。
「すまん。あかりん」
「なんですかー、ぶちょー」
「豹変しすぎじゃないか?」
「そうですかねー」
態度を嗜めても、気にする様子のない彼女。
普段は、モジモジしている感のあった彼女が、ここまで変化した。
個人的な好みで考えると、こちらの方がいい。
何より、ハキハキしている。
俺のせっかちな性格のせいかもしれないが、好意的に見ることができる。
しかし、「丁寧語、何それ」の言葉遣い。
そこまでではないが、何となく、全体的に言動が、軽い感じがする。
俺以外の、他社も含めた上司にも、この態度だと、普段の仕事に、支障がありそうだ。
ため息が出る。
なぜ、彼女の性格というか、様子が変化したのか、振り返ってみる。
最初に会ったときは、普通だった。
しかし、事務所で話をしている途中で、明らかに言動が変化した。
……そういえば、髪形を変えたなぁ……
1つの疑念が持ち上がる。
まさか。
そんなことがあるのか。
「お前って、髪形を変えると、性格も変わるのか?」
普通に考えると、有り得ない。
もしかしたら、本人すら、知らないことなのかもしれない。
けれど、彼女とつきあっていく上では、知っておいた方がいいかもしれない。
そう思った俺は、そんな質問をしてみた。
「ブーブー、『お前』って言わないで下さいよー」
下から睨んでくる。いや、お前、俺の部下だしさー。
なるべく「あかりん」って呼びたくないんだよ、わかってくれよー。
「で、あかりん。どうなんだ?」
「うん、変わるよー」
当然のように返ってきた。その表情はにこやかだ。
変わるのかー。そこは驚きだわ。
あまりにも当然のように言われたので、スルーしそうになったわ。
これって、人間として可能なことなのか?
たくさんの訓練積むと、できるようになるものなのだろうか。
でも、そのために訓練する……その意味がわからない。
様々な疑問符が、頭の中を駆け巡る。
そこからは、彼女から説明を受けた。
髪形を変えることがスイッチとなり、性格が変わるということ。
ある程度気を付けていれば、変化に抗うことができるらしい。
でも、少しでも気を抜くと、その性格になってしまうようで、難儀である。
なぜ、そんなことになったのか、聞いてはみたが、答えてはくれなかった。
彼女が言うには、ツインテールにしているときが、1番ブレがない。
そういうこともあり、仕事中は、ツインテールにしているようだ。
彼女自身も、全部の髪形をしたことがないので、全てはわかっていないらしい。
そうこう話しているうちに、バス停に到着した。
まだバスは来ていないようだ。
残業終わりの時間でもない、中途半端な時間。
当分、来そうにない。
時間があるので、本当に変化するのか、確かめたくなった。
「ならば、髪形変えてもらっていいか?」
「うん、いいよー」
今まで押してきた自転車を停めて、俺と向かい合う。
周囲には俺たちの他、誰もいない。
彼女は、慣れた手つきで、ポニーテールをまとめたゴムを外す。
解放された長い髪を、手櫛で簡単に整える。
2つに分けて、両耳より下でゴムで束ねた。
1分もかけていないだろう。
ツインテールが完成した。
「できましたの……」
ゆったりとした声。
彼女は、お腹の前に軽く両手を組んでいる。
「佐々木様、これでよろしくって?」
ん?まともそうに見えるのだが……「よろしくって」とは。
少し大人しそうだが、工場でいるときほど、オドオドしていない。
むしろ、言葉に力があるような印象を受ける。
「榎本、この性格でいけば、いいんじゃないのか?」
そんな俺の声に、首を横に振って答える。
「いくらか、問題がありますの」
ゆっくりとした口調で、続ける。
「この髪形でございますと、ヘルメットに入ってくれませんの……」
確かに。ヘルメットを被ったとき、結び目はヘルメットの下。
当然、結び目より下の髪を隠すことができず、工場では違反対象となる。
「佐々木様」
そう言って、俺を見つめる。
目の力だけで、なぜか、プレッシャーを感じる。
俺の名を、あえて呼ぶことで、注目を向ける手法なのか。
「皆さまをお呼びいたすときに、『様付』になってしまいますの」
そこまで話すと、彼女は、少し視線を下に向ける。
若干俯いた感じも、両手をお腹の前で軽く組んでいる格好と相まって様になっている。
……ドレスではなく、パンツルックなのが、残念なくらいに。
様付かー。よく聞くと、先程から俺のことを「佐々木様」と呼んでいる。
そして、ノゾミも驚くくらいの「お嬢様言葉」がふんだんに使われている。
これを工場で使われると……、相手の方が恐縮してしまう。
そして、お嬢様のイメージで、仕事を任せることが難しそうに感じてしまう。
「あー、確かに、これでは日常に支障がでそうだな……」
「恐れ入ります……」
彼女が頭を下げてくる。
微笑んでこちらを見つめている。
先程のフランクな性格と正反対の雰囲気。
厳かなオーラすら感じる。
見ている感じだと、面白そうなんだけどな。
これを毎日されると、周りが苦痛かもしれない。
「では、榎本。別の髪形にできるか?」
「さようでございますか。少しお待ちになって?」
「さようでございます」
ついつい言葉が移ってしまった。
まるで目の前の女性が、真正のお嬢様のように思えた。
演じているようにも、見えないこともないが、言葉に引っ掛かりがない。
不自然さが全くないのだ。
いったい、彼女の思考回路は、どうなっているのだろうか。
俺が考え込んでいる間に、彼女の「模様替え」は進む。
2つに分けていたゴムを取り、再度手櫛で整えている。
髪をひとまとめにして、彼女の右側頭部に結び目を持ってくる。
右側サイドテールか。
ポニーテールと違ったものが出てくるのか、これ?
あー、でも、ツインテールの結ぶ位置の違いでも変化があったんだ、愚問だな。
「佐々木部長、お待たせ、なのー!」
また、なぜそんなキャラが生まれるのかよ……。
でもまあ、「なのー」と付く以外は、日常に支障がなさそうなんだけど……。
「これは、いいんじゃないのか?」
同じように聞いてみた。
しかし、彼女は、またも首を横に振る。
「……年齢的に苦しい語尾、なの……」
天真爛漫キャラが宿っているのか、笑顔だ。
しかし、その中でも哀し気な表情が浮かんでいる。
彼女は22歳。
「なのです」キャラならともかく、「なのー!」と叫ぶのは、ひとによっては引くだろうなぁ……。
まあ、この俺自身、本当に「なのー」と叫ぶひとに、初めて遭遇したのだが。
あと考えられる髪形は……。
三つ編み、お団子、ショートカット、パーマ、ボブ……。
これは、佐伯がいるときに、いろいろチャレンジした方がいいかもしれない……。
個人的には、下結びのツインテールのキャラがいいのだが。
ただ、それをするためには、髪がヘルメットに入るようにしないと……。
「……と、いう感じだな!どう、楽しめただろう?」
ん?口調が違う。
……ということは、また髪形が変わったのか……。
彼女をまじまじと眺める。変わったところはない。
……ん?結び目がない?そうか、普通のロングヘアか。
「何も髪を弄ってなかったら、こんな感じ、ということか」
「おう、緊張さえしてなけりゃな!」
男勝りな口調だな。
……いや、俺、上司なんだが、少しは緊張しろよー。
とはいえ、この口調なら、問題ないのではないだろうか。
「これでいいんじゃないのか?」
この言葉3度目。
しかし、これにも彼女は首を横に振る。
「ウチの妹がね、この口調を許してくれないんだよ……」
そうか。それはまた、難儀なことで。
「佐々木殿は、お気に入りはあっただろうか……?」
殿ってなんだよ、殿って。
これはダメかもしれない。相手が畏まる。
彼女から目線を外し、本日遭遇した彼女「たち」を思い出す。
何もなし:男勝り、殿付
ツインテール:モジモジキャラ
ツインテール下結び:お嬢様キャラ、様付
ポニーテール:伸ばし言葉、少し軽い
サイドテール(右):なのー
うーん、どれも一長一短だな……。
個人的に無難で推したいのは、「お嬢様キャラ」なんだけどな……。
「ツインテール下結び、これで行くか?」
モジモジしているよりは、マシだろうと思うんだよな。
他のキャラは、俺以外の社員とトラブルになるかもしれない。
考えすぎなのかもしれないし、個人的趣向が入っているのかもしれないが……。
彼女から答えがないので、目線を戻すと、彼女は変身途中だった。
手櫛を軽くして、2つに髪を分け、コムで結ぶ。
「佐々木様、これでよろしくて?」
お嬢様の口調に戻った。
「ちょっといいか?」
「よろしくてよ」
彼女の答えを聞いて、彼女の後ろに回る。
両側のツインテールの結び目付近をつかむ。
そんな俺の行動に驚いたのか、彼女の身体が少し震える。
緊張感を持っているようだが、さすがはお嬢様、取り乱さない。
されるがままになっている。
結び目付近を彼女の後頭部付近に付けるような形に折り返す。
うん、これならヘルメットの中に納めることができそうだ。
ツインテールを解放する。
「佐々木様!」
解放されたことがわかったのだろう、俺の正面に向き直り、非難の声を上げる。
顔が少し赤い。お嬢様キャラだからなのだろうか。
「佐々木様。このようなことは、二度と、なさらないでくださる?」
「次からは、気を付けます」
うーん、ついつい丁寧に返してしまうな。
「ありがとう存じます」
憤慨しているのか、照れているのか、表情はわかりにくい。
が、口調はゆっくりしっかりとしていた。
「榎本。ツインテールはヘルメットに入りそうだぞ」
「さようでございますの?」
彼女の中ではピンと来ていないようだ。
俺は言葉を続ける。
「ああ、先程、髪をつかんだのは、それを確かめるためだったのだが……」
それを聞いて、彼女は両ツインテールをつかんで、自分自身の後頭部に誘導する。
俺の言ったことを理解したようで、満足そうだ。
「恐れ入ります」
ツインテールを解放した後、軽く頭を下げてくる。
そうこうしているうちに、ようやくバスが来た。
「榎本。バスが来たから、帰るわ」
財布からICカードを取り出す。
「今日はありがとな」
彼女に見つめられる。
「明日からはその調子でよろしく」
「よろしくてよ」
一瞬、とまどいの表情が現れたように見えたが、そんな答えが返ってきた。
「ごきげんよう」
彼女はそう言うと、自転車に乗って去っていった。
自転車に乗るお嬢様。アクティブだなぁ……。
あ、お嬢様ってわけではないのか。
ないのか?本当はどうなんだろうか……。
バスに乗り込む。
路面電車の電停までの、短い移動だ。
席に座り、考え込む。
結局、なぜ榎本が、ノゾミのデータを知っていたのか、聞けなかったなぁ……。
それよりも、榎本の特殊な性格が解ってしまったという、ね。
悪い娘ではないんだが、謎が多い。
これは、俺の周辺に配属した方が、いいのだろうか……。
佐伯に続いて、榎本までも、周辺に置いたら、また変な噂が立つだろうなぁ……。
それよりも先に、佐伯を説得する必要があるかな。
榎本を配属するための理由を、見つけてこないと。
今度、本社に電話してみるか……。
考えを巡らせながら、電車に乗り換える。
もうすぐで、ノゾミの待つ我が家へ着く。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。
女官になるはずだった妃
夜空 筒
恋愛
女官になる。
そう聞いていたはずなのに。
あれよあれよという間に、着飾られた私は自国の皇帝の妃の一人になっていた。
しかし、皇帝のお迎えもなく
「忙しいから、もう後宮に入っていいよ」
そんなノリの言葉を彼の側近から賜って後宮入りした私。
秘書省監のならびに本の虫である父を持つ、そんな私も無類の読書好き。
朝議が始まる早朝に、私は父が働く文徳楼に通っている。
そこで好きな著者の本を借りては、殿舎に籠る毎日。
皇帝のお渡りもないし、既に皇后に一番近い妃もいる。
縁付くには程遠い私が、ある日を境に平穏だった日常を壊される羽目になる。
誰とも褥を共にしない皇帝と、女官になるつもりで入ってきた本の虫妃の話。
更新はまばらですが、完結させたいとは思っています。
多分…
運命の歯車が壊れるとき
和泉鷹央
恋愛
戦争に行くから、君とは結婚できない。
恋人にそう告げられた時、子爵令嬢ジゼルは運命の歯車が傾いで壊れていく音を、耳にした。
他の投稿サイトでも掲載しております。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる